|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.155|
|&attachref(./155_2nd.jpg,nolink,提督、ごきげんよう。潜特型二番艦伊401です。しおいって呼んでね。);|>|伊401(い401)|>|潜特型(伊400型潜水艦) 潜水空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|20|~火力|2 / 9|
|~|~装甲|5 / 24|~雷装|36 / 72|
|~|~回避|13 / 35|~対空|0|
|~|~搭載|3|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|15 / 45|
|~|~射程|短|~運|20 / 59|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|20|~弾薬|15|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''伊401'' → [[伊401改]](Lv35)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:伊400型潜水艦二番艦、伊401です。&br;地球をぐるっと一周以上余裕で航行できる長大な航続力と、特殊攻撃機「晴嵐」を3機搭載する潜水空母なんです。&br;そう、戦略的秘密兵器…秘密なんだからっ!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:伊瀬茉莉也、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:伊瀬茉莉也、イラストレーター:しばふ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>伊401/定型ボイス]])
#table_edit(伊401/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>伊401/時報ボイス]])
#table_edit(伊401/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>伊401/季節ボイス]])
#table_edit(伊401/季節ボイス)
~
}}

*目次 [#index]
#fold(クリックで開きます){{
#contents
}}

*ゲームにおいて [#about]
-2013年12月24日開始のコラボイベント「[[迎撃!霧の艦隊]]」突破報酬として先行配信。
--TVアニメ「[[蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ->http://www.aokihagane.com/]]」とのコラボ。
--[[イオナ]]が同じく「伊401」に由来するキャラであることに掛かった配信だと思われる。
---このため長らく未実装だったネームシップの[[伊400]]は、妹に遅れること約4年のブランクを経ての実装となった。
--なお、アルぺジオのアニメ第1話(最速放送が2013年10月8日)のエンドカードにおいてイオナと共に描かれていたため、ビジュアルは実装より大分前にお披露目されていた。
---先行配信により公開された中破絵については絵師本人が[[意味深な呟き>https://twitter.com/shibafu482/status/416899495129931776]]をしていたりする。

-2014年9月26日に''[[大型建造での建造落ち:https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/515408000916283392]]''並びに、''6-1-Iでのドロップ''で本実装。
--建造の場合時間は3時間20分。戦艦レシピにて確認されている。最低値でも一応報告はされているが要再検証。
--ドロップ狙いの場合、6-1-Iマスは本線ハズレマスであり空母棲鬼+空母ヲ級が相手の最強パターン(1/3)でしかドロップしない。

-元にしている伊400型がそうであったように、本艦が初の「最初から潜母」の潜水艦である。
--他の伊号潜水艦に比べ、耐久・装甲等の値が基本的に高いが、同時に資材消費量も高い。そのため遠征等では注意が必要。また、回避の最大値も多少低い。
#fold(2目盛り(1戦)当たりの消費量一覧表。[[資材]]より抜粋){{
2目盛り(1戦)当たりの消費量一覧表。[[資材]]より抜粋
|艦種|分類|>|CENTER:未改造|>|CENTER:改造1回|>|CENTER:改造2回|>|CENTER:改造3回|h
|~|~|燃料|弾|燃料|弾|燃料|弾|燃料|弾|h
|潜水艦|標準|2|4|>|BGCOLOR(#FFFFDD):(潜母に)|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|~|[[伊168]]|2|4|2|4|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|~|[[U-511]]|2|4|2|4|2|4|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|~|[[Luigi Torelli]]|2|4|2|3|2|4|2|4|
|~|[[まるゆ]]|2|1|2|2|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|潜水空母|標準|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|2|5|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|~|[[伊13]]・[[伊14]]|3|3|5|5|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
|~|BGCOLOR(#FDE9D9):伊400型|BGCOLOR(#FDE9D9):4|BGCOLOR(#FDE9D9):3|BGCOLOR(#FDE9D9):5|BGCOLOR(#FDE9D9):6|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|>|BGCOLOR(#E0E0E0):|
}}
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#a28fb167]
-2016年1月1日のオンメンテにおいて、まさかの期間限定グラフィックと期間限定母港ボイスが実装された。
--期間限定グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--しばふ氏担当艦では初の期間限定グラフィックであり、更に中破絵が差分でないのも初である。
--なお同氏担当艦でも特に入手難度の高い彼女が選ばれた理由は[[「寒そうだったから」>https://twitter.com/shibafu482/status/683221198159745024]]との事。
-
#fold(限定イラスト:新春の晴れ着mode){{
限定イラスト:新春の晴れ着mode
&attachref(./155_Nensi_2016.jpg,nolink,提督ぅ~、あたしの活躍できる作戦ちゃんと考えてよね?ホントだよ?お願いなんだからね?ねぇ?);
}}

-2017年8月10日のメンテナンスで、夏真っ盛りmodeが実装された。
--期間限定グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--新春modeと違い、中破絵は差分である。
-
#fold(限定イラスト:夏真っ盛りmode){{
限定イラスト:夏真っ盛りmode
&attachref(./155_Summer_2nd.jpg,nolink,"潜ります? 潜っちゃいます?");
}}

-2018年3月17日開始の艦これ佐世保鎮守府巡り(コラボイベント)では佐世保鎮守府巡りmodeが描き下ろされた。
* 小ネタ [#trivia]
-特殊水上攻撃機を搭載する第二次世界大戦最大の潜水艦にして「潜水空母」。
艦これでは複数の潜水空母が登場するが、本当に攻撃用の爆撃機を3機も飛ばすことが出来たのは世界でも伊400型のみ。そのあまりの特殊性から「海底空母」と呼ぶ書籍も存在する。
~
-全長122メートル(400フィート)、最大幅12メートル、排水量に至っては3,530トン(水上)と一部の軽巡洋艦をも[[凌駕する巨体>https://wikiwiki.jp/kancolle/?plugin=attach&pcmd=open&file=1400587298640.jpg&refer=%E4%BC%8A401]]でありながら、浮上航行からの潜行や水中操作性は非常に良好。
帝国海軍の潜水艦建造技術の一つの頂点であると言っても過言ではない。
--戦後世界最大級の通常動力潜水艦である%%[[蒼龍]]%%そうりゅう型潜水艦の全長は84メートル、最大幅9.1メートル、排水量2,900トンと比べればどれだけ[[規格外の巨体>https://wikiwiki.jp/kancolle/?plugin=attach&pcmd=open&file=1401411725190.jpg&refer=%E4%BC%8A401]]であったか想像できるだろう。
--なお以前TVか何かで放映された[[伊400]]の特番で実際の乗組員だった方によると、投降した伊400型を見た米兵の最初の一言は「Wonderful! BigOne!」だったそうな。さすが彼の国、大きいことは素晴らしいらしい。
~
-搭載される特殊攻撃機『[[晴嵐>試製晴嵐]]』は、250キロ爆弾4発か800キロ爆弾1発による急降下爆撃も可能な水上爆撃機。司令塔下の格納庫に3機の『晴嵐』のフロートを分解し、機体を折りたたんで格納できる。
--イラストの伊401が右手に持っているのは、その分解状態の晴嵐のフロート(前後逆に持っている)。良く見ると2番機の晴嵐にフロートが付いていないため、発進前の組み立て途中とみられる。
--大型機を発艦させるため、カタパルトも大型のものが搭載されている。
--巨大な格納庫上には、[[25mm三連装機銃]]3基、25mm単装機銃1基を配置。司令塔の上には[[22号対水上電探]]、[[13号対空電探]]を搭載。艦後部には14cm単装砲((潜水艦搭載用の砲。軽巡の主砲である三年式14cm砲は50口径だが、この14cm砲は40口径。))、艦首には[[九五式三型53cm魚雷>53cm艦首(酸素)魚雷]][[発射管8門>潜水艦53cm艦首魚雷(8門)]]((通常伊号潜水艦の魚雷発射管は4~6門 ただし伊16型は同じ艦首に8門。))を設置。
-このように航空機運用・防空・砲撃・雷撃と、攻撃に関する全ての能力が当時最高レベルの潜水艦であった。だが一方その巨体%%と技術レベル%%ゆえに、隠密性や静粛性はお察しで、水上艦艇からすれば他の潜水艦よりも見つけやすく狩りやすいカモでしかない。要するに水上艦との戦いには全く向かない、拠点攻撃用の潜水艦なのだ。
-艦体上部の格納庫等が非常に重く、通常の潜水艦の設計だと転覆する恐れがあったが、通常は1つの''耐圧殻を横に2つ繋げる''ことでこの問題をクリア。
通常の潜水艦の断面は「円」だが、伊400の断面は「眼鏡型」になっている。要は普通の伊号潜水艦を横に2つ並べたような内部構造である。
--似たような構造をとっている艦には海大1型(伊51潜)や旧ソ連のタイフーン級戦略原潜((現在世界最大の潜水艦。))がある。
--伊400型の特長の一つでもある長大な航続距離は、複列耐圧殻の巨大な内部容積が成しえた大型燃料タンク(各耐圧殻の下部が燃料タンク)によってもたらされたもので、重油積載量1,750tは古鷹型重巡の積載量(1,850t)に匹敵する。逆にいえば、複列耐圧殻無しにこの航続距離は達成できず、また開発目的から導かれる要求性能上からも複列耐圧殻の採用は必須であったともいえる。
-水上での航続距離は37,500海里(69,450km)で、地球1周半に相当する。理論上は、無補給で地球上のどの海域へでも行って戻ってくることができる。
%%もっとも、それだけの距離を無補給で航行したら、乗員の気力・体力の方が先にダメになるだろうが。%%
~
-伊400型の開発目的は軍令部では米西・東海岸、要所への攻撃、及び通商破壊作戦と考え、連合艦隊司令部(山本五十六など)では米西・東海岸、要地攻撃を行い、敵艦隊を引きずり出すことを目的としていた。
--開発の主目的がパナマ運河攻撃という説があるが現在のところ、パナマ運河を主目標とした開発をしていたという資料は見つかっていない。
---事実、伊401艦長であった南部伸清少佐は「最初の目標であったニューヨーク・ワシントンに対する攻撃は夢となった」と戦後に回想し((1981年の南部艦長へのインタビューでは「伊400型はパナマ運河を爆撃する目的で作られたと伝えられていますが、これには確かな資料がないんですよ」と答えている。))、同じく晴嵐設計担当の内村藤一大尉の回想も開発時にはパナマ運河攻撃の話には触れず「敵最深部の要地攻撃」とし、伊400通信長、名村英俊大尉も「着想は米本土奇襲攻撃が目的」となっている。
---しかしその一方で、直接伊400型に関わっていないと思われる伊202艦長の今井賢二大尉は「パナマ運河攻撃などを主目的」と語っている。
この辺りからパナマ運河主目的説が出てきた可能性がある。
-パナマ運河攻撃は主目的とは考えにくく、戦局の推移によって出てきたものであると推測されている。ただし、複数ある目標の一つであった可能性は否定できない。
なお実際にパナマ運河攻撃案が出てきたのは1944年12月。
この時、伊400の完成間近であり、ドイツ降伏後に大西洋の海上戦力がパナマ運河を通って太平洋に来ることを妨害することを目的として立案された、と前述の南部伸清艦長、内村藤一大尉共に述べている。
-一方で旧日本海軍が当時運河建設に参加した一人の日本人技師青山士氏に運河の写真、設計図の拠出を要求したが、同氏は「私は運河を造る方法は知っていても、壊す方法は知らない」と述べたというエピソードがある。
[[在パナマ日本国大使館 パナマ運河の歴史>http://www.panama.emb-japan.go.jp/jp/panama-canal/?p-history]]より
--パナマ運河の爆撃は一見するとトンデモであるが、%%当時の%%''今でも''アメリカは東西交通を海運に頼っていた。
そのためパナマ運河を爆破されると物資の問題で西海岸での工業生産が極めて困難になる、言わばアキレス腱だったのだ((大戦中のアメリカの鉄道は戦争特需によって飛躍的に(過剰に)発達しており、アメさんが本気で鉄道敷設をしたらパナマ運河爆撃の意味は薄れていた可能性はある。それでも血管のごとく鉄道網が張り巡らされた日本と比べたら(当時同士の比較ですら)笑っちゃうレベル。アメリカの鉄道は基本的に自動車と飛行機の登場以降は衰退の一途であると言ってよく、その惨憺さたるや、戦後は車体以外は一切進化していないと断言しても良いぐらいである。関連書籍:「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか-ジェームズ・B・ウッド。))。
---放置してると運河に行きたがるのはこの目的に由来しているのだろう。
--パナマ攻撃とは別に、軍令部次長・小沢治三郎中将は晴嵐でアメリカ西海岸の都市部にペスト菌や炭疽菌を保有する生物を散布し、バイオハザードを引き起こす「PX作戦」も立案している。
だが実際に生物兵器の研究を行っていた陸軍に協力を打診したところ、参謀総長・梅津美治郎大将に''「そんなことをやったら全世界を敵に回すぞ」''と反対され、結局廃案となった((陸軍の生物兵器研究と言えば悪名高い731部隊が有名だが、もし実行していたら彼らは戦犯として訴追され、数々の悪行も白日の元に晒されていただろう。))。
-このように画期的な艦ではあったのだが、最初の''伊400が完成したのが1944年12月''、''しおいこと伊401が完成したのは1945年1月''。
日本海軍の連合艦隊が実質的に滅び確定的敗勢に陥っている最中で、彼女が活躍できる余地はすでになかった。
--太平洋を越えてアメリカ大陸まで行くことなど戦力的にも時間的にも到底出来ず、[[伊400]]((伊402は7月24日竣工で、まだ就役前だった。))および[[伊13]]・[[伊14]]((伊400型は18隻建造する計画だったが、戦局の悪化に伴い縮小され、その不足を補うため建造中の甲型潜水艦を潜水空母に改造して巡潜甲型改2(伊13型)とした。))とともに、西太平洋のウルシー環礁の米軍泊地を攻撃することとなった。
--まず伊13・伊14が泊地偵察のための[[彩雲]]をトラック島に輸送するために先発したが、伊13は途中で撃沈された。伊400・伊401は7月23日に大湊を出撃((なおこの時、出港直後に陸軍守備隊から誤射されている。伊14も武装商船から銃撃を受けている。))、8月17日に攻撃開始の予定であったが、その前に終戦を迎え戦果は0であった。
-終戦の報告を受け、その場で自沈するか、それでも米軍を攻撃するかで艦内は激論となったが、南部艦長の判断により日本へ帰投することとなった。
晴嵐はウルシー環礁付近で全機海中投棄された。詳しくは[[晴嵐>試製晴嵐]]へ。
--帰還途上の8月29日、米軍により拿捕され日本へ回航された。その途中で、座乗していた第1潜水隊司令の有泉龍之介大佐(かつて[[伊8]]の艦長であった)は自決した。
--その後、同様にウルシー環礁への出撃中に終戦を迎え帰投中に拿捕されていた伊400とともに、ハワイへ送られて調査、実験された。そして、ソ連への情報漏洩を恐れた米軍の手によりハワイ沖で海没処分された。
---ハワイへの航海の途中、エニウエトク島に寄港した。この時、島の司令官のジープを盗んだ嫌疑がかけられ出港前日艦内が捜索されたがジープは発見されなかった。出港許可は出たものの、二度と戻ってくるなと言い渡されたのであった。
---海没処分された位置は長らく不明であったが、2005年に伊401が、2013年に伊400が海底から発見された。&color(gray){なお、伊400発見が発表されたのは2013年12月上旬。当時放映中のアニメ『蒼き鋼のアルペジオ』はちょうどイ400型総出の戦闘という山場に差し掛かっており、その3週間後には艦これで[[アルペジオとのコラボイベント>迎撃!霧の艦隊]]が開始された。&br; %%何という国を巻き込んだステマ。%%};
-2023年11月05日、ロバート・バラード率いるE/Vノーチラスが前日の[[伊201]]に引き続いて18年ぶりに伊401の船体を確認。こちらの方は前回の調査結果の再確認に近いが、処分時の破壊状況が[[伊201]]よりも酷いことが改めてよく分かる。

--なお、妹の伊402は呉で爆撃を受けて修理中に終戦を迎えており、1946年4月、[[伊58]]などとともに五島列島沖で海没処分されている。
---平成27年に海上保安庁が五島列島沖の海底調査を行い、海没処分された伊402ほかと思われる船影を確認した。
発見された伊402についての特集が、2015年8月16日の午後6時に日本テレビ系列の番組[[「真相報道バンキシャ!」:http://www.ntv.co.jp/bankisha/index.html]]にて放送された。

-就役日は1945年1月8日で、2017年2月時点で実装済みの全艦娘中、就役日の遅さでは2位(1位:[[伊14]]/1945年3月14日)。
--船の誕生日でもある進水日では、[[酒匂]]、[[伊14]]に次ぎ3番目となる。
--未実装艦であれば信濃が1944年10月8日に進水し、翌11月29日の回航中に撃沈された。&br;また、雲龍型の笠置・阿蘇・生駒も未完成状態ではあったが進水している。

-伊400型には対電探用塗装と呼ばれる代物が分厚く塗られていたという。四酸化三鉄(俗に言う黒錆)の粉末に炭素粉を混ぜ、ラテックスでまとめたものだった。
--ステルス効果の程は全く不明、というか期待は出来なかったらしい(日本製の電探では多少の効果が確認された模様)。もしかしてしおいの日焼けは対電探塗装?
--酒匂を用いた試験では、6~7kmでおおよそ20%減という結果が得られている。
-手持ちの逆探を搭載していたが、30cm程のパラボラ式で米軍のマイクロ波を耳で識別していたらしい。
--[[E-27受信機と通称される電波探知機1型改3(波長4m~0.75m)>潜水艦搭載電探&逆探(E27)]]と、48号A型受信機(波長45cm~3cm)という2つの逆探を装備していた。アンテナは前者が[[ラケット形>http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.024.jpg]]のものを、後者が小型で中央に鉱石検波器を取り付けたそれと[[可搬式のパラボラ型>http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.060.jpg]]を使用している。どちらも手動で回し、周波数を変えながら敵レーダー波を耳で聞いて探していた。
-余談だが、伊401艦長の南部伸清少佐が日本海軍の潜水艦作戦に対する反省を戦後述べている。
--第一に、潜水艦用法に関する戦略、戦術の貧困があった。
--第二に、潜水艦軍備の混乱があった。
--第三は、よく言われているとおり、技術力の差、最も端的にはレーダーの出現である。
--第四は、第三とも関係あるが対潜対策の問題である。
--第五に、以上のことが原因となって潜水艦の用法も行動も退嬰、消極的とならざるを得なかったことは残念ながら認めざるを得ない。
---これらの反省は、艦これの提督諸子が各々調べて欲しい事柄である。

-「潜水艦に航空戦力を搭載し、陸上攻撃の任を負わせる」という設計思想は、第一次世界大戦以来各国で実験されてきたものであるが、潜水艦艦載砲が廃れはじめ、潜水艦が対艦船攻撃に特化しかけたWW2時代、時代に逆行するように現れた伊400型で集大成を迎えたと言っても良いだろう。
--このデータとコンセプトは後にアメリカ海軍が開発した核巡航ミサイル(レギュラス)搭載潜水艦に反映されている。((巡航ミサイル発射時には浮上しなければならないうえに射出まで時間がかかり発射の隠密性が劣ること、目標への誘導が電波誘導で敵から妨害を受ける危険性があったこと、撃ちっぱなしで妨害に強く発射時の早急性・隠密性にも優れる潜水艦発射核弾道ミサイルが実用化されたことなどから早々に陳腐化し、レギュラス巡航ミサイル搭載潜水艦は通常動力型4隻、原子力推進型1隻の計5隻しか就役しなかった。ちなみに、その通常動力型レギュラス搭載潜水艦の一隻の艦名は「グロウラー」。「霰」や「敷波」などを沈めた帝国海軍艦船の天敵潜水艦の襲名である。伊400型のコンセプトを継いだともいえる潜水艦に、帝国海軍の天敵の名が継がれるとはなんという歴史の皮肉…。))&color(gray){一方その頃、ソ連は伊400型のデータ無しで更に先進的な「弾道」核ミサイル潜水艦を完成させていた。};
核ミサイルという恐るべき対地攻撃手段を得て、潜水艦による効果的な奇襲陸上攻撃という、潜水艦が開発されて以来各国が夢見たコンセプトは完全に花開いたのである。
さらに時代が進んで21世紀、潜水艦(主に大きな搭載空間を持つ元戦略原潜)に特殊部隊隊員や無人航空機(UAV)を載せ、敵地後方に展開する%%シンファクシ級潜水空母%%「特務潜水艦」というシステムが実戦運用されている。しおいとその姉妹の目標の、遠い実現者達である。

*戦歴 [#ydf5e215]
#fold(折りたたみ){{
-大日本帝國海軍が建造した[[伊400]]型潜水艦2番艦。潜特型やS特型とも呼ばれる。元々列強の中でも特異な発達を遂げてきた日本の潜水艦であったが、[[伊400]]型はその極致とも言うべき存在。山本五十六長官は開戦前よりパナマ運河攻撃を企図しており、1942年1月の時点で軍令部から艦政本部に「航空魚雷1本または800kg爆弾1個を搭載できる攻撃機を積んで、4万海里航海できる潜水艦は無いか?」と尋ねている。この提案が[[伊400]]型の骨子となり、5月には基本性能が纏められた。また伊号潜水艦による米本土砲撃や伊25潜による爆撃を経て、搭載機を2機から3機に増加。技術者はよくこの要求に応え、改マル五計画にて建造が決定した。

-1942年度戦時建造補充計画にて、特型一等潜水艦第5232号艦として建造が決定。1943年4月26日、臨時建造費によって佐世保工廠で起工。1944年3月11日に進水し、10月11日に艤装員事務所を設置。そして1945年1月8日、竣工。艦長には南部伸清少佐が着任し、呉鎮守府所属となる。先に竣工した[[伊400]]とともに第6艦隊第1潜水隊を結成。伊401には有泉龍之助大佐が乗艦、旗艦となる。竣工した日に佐世保を出港、瀬戸内海西部へと回航されて訓練部隊である第11潜水隊のもとで訓練に従事。
--要目は排水量3530トン、全長122m、全幅12m、機関出力7700馬力、速力18.7ノット(水上)/6.5ノット(水中)、急速潜航秒時60秒、安全深度100m、水中行動35時間、作戦可能期間4ヶ月、乗組員157名。武装は艦首九五式魚雷発射管8基(魚雷20本)、14cm甲板砲1基、九六式25mm三連装機銃3基、九六式25mm単装機銃1基。巨体を活かし、随一の重武装が施されていた。センチメートル波レーダーに対応した逆探知装置、三式探信儀、四式水中聴音機、水中充電器、22号水上電探、13号対空電探を搭載。

-3月10日に発生した東京大空襲の報復で、第6艦隊は[[伊400]]型によるサンフランシスコ爆撃を提案。軍令部が検討に入ったが、小沢治三郎中将の反対で実現しなかった。3月19日、呉軍港空襲に遭遇。敵機の大群に向けて甲板砲を撃って迎撃する。放たれた爆弾が付近の潜水艦桟橋に着弾し、そこにいた人もろとも吹き飛ばした。間隙を縫って江田島秋月沖に退避すると、傾きながら砲を撃っている[[大淀]]の姿があった。伊401は潜航し、敵機の目から逃れた。この戦闘で約1万発を発射した。この頃になると呉にも燃料が残っておらず、ディーゼル駆動する潜水艦だけが動く事が出来た。しかし潜水艦にも燃料が必要なため、4月11日に呉を出港。大連港を目指したが、その日のうちに座礁してしまう。幸い離礁には成功したが、翌12日早朝、姫島灯台沖で磁気機雷に触雷。一部の計器と後部バラストタンクが破損してしまったため呉に戻らなければならず、代わりに[[伊400]]が燃料を取りに行った。1700トンの燃料を持ち帰った事で作戦の実行が可能となる。4月中旬、軍令部から突拍子も無い命令が下された。それは、伊401をドイツに派遣するというものだった。((吉村昭氏著書「深海の使者」出典。))ドイツの降伏は時間の問題であり、Uボート約120隻を日本へ回航させるよう在独海軍武官府を通じてデーニッツ提督と交渉していた。交渉が成立した暁には伊401はヨーロッパに派遣され、Uボートの先導役を担う予定だった。その命令は南部艦長にも伝えられ、艦内にはインド洋、大西洋、ノルウェー近海から北海にかけての海図1万枚が積載された。航海長の坂東宗雄大尉が航路の策定を始めたが、交渉が不成功に終わった事で命令は撤回された。
-5月、伊401は修理ついでにシュノーケルを装備。これは有泉大佐が提案したもので、同盟国ドイツのUボートに使用されて既に実績を得ていた。[[伊400]]、伊401、[[伊13]]、[[伊14]]の4隻にはシュノーケルが搭載された。6月1日、呉を出港。瀬戸内海はB-29によって機雷封鎖され、呉にも燃料が残っていない事から新たな訓練地として石川県七尾湾が指定された。機雷封鎖された下関海峡と対馬海峡を突破し、6月4日に七尾湾へ到着。第631航空隊の晴嵐が福山を経由して七尾湾に送られ、猛特訓を開始。6月6日からは夜間の飛行訓練も行われた。厳しい訓練の末、晴嵐の組み立ては僅か7分で完了できるようになった。6月12日、攻撃目標をパナマ運河からウルシー環礁に変更。6月19日に最後の飛行訓練が行われ、晴嵐の訓練は完了した。
-6月25日13時25分、小沢中将は「嵐」作戦を発令。まず前段階として「光」作戦が実施される事になり、[[伊13]]と[[伊14]]がトラックに彩雲を輸送。その彩雲でウルシー環礁を偵察し、得られた情報をもとに[[伊400]]と伊401が晴嵐による攻撃を行うのである。攻撃予定日は8月17日に定められた。7月13日に七尾湾を出発し、空襲を避けるために夕刻舞鶴へ入港。3ヶ月の作戦行動に耐えられるだけの食糧や弾薬を積み込む。7月19日午前8時、晴嵐搭乗員12名が伊401の艦上に整列。舞鶴鎮守府司令長官や参謀が列席する中、有泉大佐から「神風特別攻撃隊」と墨で書かれた白鞘の短刀が授与され、龍之助から「龍」の文字を取って神龍特別攻撃隊と命名された。7月20日午前7時、[[伊400]]と一緒に「神龍特別攻撃隊」「大日本者神国也」「非理法権天」の幟を掲げ、掃海艇に先導されて舞鶴を出発。翌21日18時30分に大湊へ到着した。ここでは晴嵐の日の丸を星マークに変える作業が行われた。敵が味方と誤認するよう仕向けるためだった。また5ヶ月分の食糧が缶詰が積載され、神龍特別攻撃隊員には最後の半舷上陸が許された。
 
-7月23日14時、まず[[伊400]]が出発。続いて16時に伊401が出発した。隠密出港だったため、見送る者はいなかった。まとめて撃沈されるのを避けるため外洋に出た後は別行動を取り、ボナペ島沖で合流する手はずとなっていた。港を出ると、函館航路や室蘭航路を頻繁に行きかう汽船が見受けられた。16時、津軽海峡を通過中に突如左舷(北海道側)から砲撃を受け、左舷後方300mに着弾。どうやら陸軍の汐首要塞が伊401を敵潜と誤認したようだ。艦内では慌しく配置につき、急速潜航。味方から攻撃されてはたまらない。内地の哨戒圏を出るまでは潜航して進む事にした。翌24日午前6時30分、津軽海峡を突破して太平洋に出る。7月26日に[[伊400]]と別れ、昼間は水上航行、夜間は潜航して目的地に進んだ。
-7月28日、伊401は猛烈な台風に巻き込まれた。荒れ狂う波頭は伊401を飲み込まんとする程で、台風が過ぎるまで潜航退避。30日に浮上し、浪費した時間を埋めるため雨の中を19ノットで航行。南鳥島近海までやってきた。ここで対空電探が200km地点を飛ぶ敵機を捕捉。レーダーで追跡すると、敵機はグングンと迫ってきている事が判明。彼我の距離が100kmを切ったところで潜航し、この敵機をやり過ごした。ここで有泉大佐と南部少佐が今後の航路について協議。有泉大佐は敵の警戒が厳しいとして、そのまま南下する事は危険と判断。航路の変更を要求した。だが南部少佐は変更には反対で、意見が対立。有泉大佐の意見が通り、ウェーク島の東を迂回して南下、ギルバート海峡を通過して会合点に向かう事となり、変更を伊400へ打電したとよく言われる。
--伊401は終戦後、拿捕されるまでの間に公的私的を問わず一切の記録を破棄した。大湊出港後の動向は乗組員達の証言しかない。特に有泉大佐に関しては南部少佐の証言が大半である。伊400へ打電したというのは艦長の南部少佐が、有泉大佐から打電したことを聞いたという証言だけであり、打電したところを直接みた人間は誰もいないのだ。なお伊400のみならず日米どちらも会合地点変更の電信を受信していない。本当に打電していれば待っていたのは伊400ではなくアメリカ海軍対潜部隊であったろう。
-無音航行と急速潜航を駆使して敵の対潜哨戒網を回避し続けていた伊401だったが、「光」作戦で先に出発した[[伊13]]が予定日を過ぎてもトラックに到着していない事が伝わる。僚艦の沈没に、乗組員は不安を覚えた。また[[伊58]]によるインディアナポリス撃沈により敵は対潜網を強化し始めていた。しかし航路変更が幸いし、敵影は一度も見なかった。鏡のように反射する美しい海、イルカの大群、真夏の夜に輝く南十字星…。今が戦争中である事を忘れさせてくれる幻想的な光景が次々に出迎えてくれる。天候は常に不安定で、カラリと晴れ渡る事もあればすぐに猛烈なスコールに見舞われるなど千差万別の表情を見せた。
 
-8月14日の日没、伊401は会合点であるボナペ島の南方約100海里に到着。天気は快晴で、波は立っていない。すかさず僚艦の[[伊400]]を探すも見当たらない。陽が落ちた後も見張り員は血眼になって探し求めたが、それでも見つからない。それもそのはず、航路変更を伝える通信は[[伊400]]に届いておらず、両者の位置がズレていたのだ。やむなく有泉大佐は第6艦隊に状況を報告し、攻撃予定日を8月25日に延期した。だが作戦は唐突に終わりを告げる。8月15日朝、通信長の片山伍一大尉が慌しく艦長室に入って南部艦長に一枚の紙片を渡した。アメリカ海軍の暗号電文を解析したもので、それには日本の降伏を伝える内容が記されていた。艦長はアメリカの宣撫工作だと断定し、片山通信長に口外禁止を命じた。だが、間もなく海軍省から「太平洋上に在る我が艦艇は、一切の敵対行動を停止すべし」と平文で送られてきた。昼頃、終戦を伝える玉音放送が伊401にも届き、乗組員は顔色を失った。艦内には沈痛な空気が重く漂い、誰もが口をつぐんで目を逸らしていた。艦内では今後について議論され、「全員自決した上で自沈」「3ヶ月分の食糧と弾薬を持つ伊401を海賊船として暴れさせる」「予定通りウルシーに突撃する」といった意見が出された。有泉大佐は、艦橋で哨戒指揮を執っていた坂東大尉を除く准士官以上全員を士官室に集め、「全員自決するのが、我々日本海軍軍人の取るべき態度だと確信しているが、何か異論は無いか?」と問うた。集められた士官は全員有泉大佐の意見に賛同し、解散となった。虜囚の辱めを受けるくらいなら自決した方がマシだったからだ。しかし唯一参加していなかった坂東大尉は「降伏は天皇陛下の命令であり、自決はそれに背くのでは」と考え、司令室に赴いて有泉大佐に意見した。有泉大佐は激怒するかに思われたが、真摯に耳を傾けた。そして「もう一度協議しよう」と言ってくれた。再び士官室に准士官以上が集められ、今度は坂東大尉も参加。協議の結果、自決は中止となった。
-伊401は一度トラックに向かって抗戦を続けようと試みた。8月18日夕刻、第6艦隊の醍醐中将から正式に作戦中止を命じられた。最終的に本土への帰投が決まり、帰路についた。水平線にマストが見えた時は潜航してやり過ごしつつ、故国を目指す。8月26日、連合国との終戦協定により作戦海域から帰投中の艦艇は、マストに黒球と黒の三角旗を掲げるよう指示があった。南部艦長は道中で鹵獲される事を危惧し、星マークをつけた晴嵐3機や20本の九五式酸素魚雷、海図、機密文書を海上投棄。丸腰となる。
-8月29日午前0時、三陸沖で見張り員が黒い物体を発見。その正体は米潜水艦だった。潜航すれば敵対行為と取られ攻撃を受ける危険性があったため、左に大きく変針してやり過ごそうとした。ところが午前4時に左舷のエンジンが故障。米潜水艦にも気づかれ、あっと言う間に追いつかれた。米潜水艦セグンドは発光信号で「停船せよ」と命じ、伊401はそれに従った。セグンドは右舷300mに横付けすると「我が命令に従わねば撃沈する」と脅しつけてきた。その後、交渉のためセグンドからボートが派遣された。武装した水兵も乗っている。航海長の坂東大尉がボートに乗ってセグンドに渡り、艦長のジョン・E・バルソン大尉と相対した。バルソン艦長は坂東大尉に「降伏せよ」と言ったが、「天皇陛下の命令なくして降伏できない。もしも貴官が我々に強要するなら全員自決する」と毅然とした態度で言い返した。これに対しバルソン艦長は首を振って「ハラキリ、ノーグッド」と諌めた。バルソン艦長は候補生時代に日本海軍の候補生と交歓した事があり、他のアメリカ人と違って敵意を持っていなかった。セグンド側はグアム基地に回航したいと考えていたが、坂東大尉は内地で引き渡したいと考え、燃料不足を理由にグアム回航を拒否した。バルソン艦長が本隊と無線連絡を取って指示を請うている間、伊401は手旗信号で「我が艦を直ちに撃沈されよ」と送ってきた。交渉が長引いた事に焦りを覚えた有泉大佐が自沈を命じたのだが、南部艦長に阻止された。やがてセグンドから東京湾へ来るよう命じられる。伊401側は東京に問い合わせ、午前9時に内地から東京湾に行くよう返事があった。これに伴ってセグンドに追従する事になり、米下士官8名が乗り込んできた。彼らにはサントリーウィスキーが振る舞われたとか。左舷エンジン故障のため中々先に進めない。
-8月31日午前4時20分、伊豆半島沖で司令塔から銃声が聞こえた。南部艦長と矢田砲術長が駆けつけると、第三種軍装に身を包んだ有泉大佐が椅子の上でピストル自殺していた。机には海軍、南部艦長、家族に宛てた3通の手紙が残されていた。有泉大佐の遺体は軍刀とともに軍艦旗に包まれた。後部甲板には監視兵がいるので、前部の第2ハッチから水葬した。午前5時、相模湾に入ると先導役が駆逐艦に代わり、伊401に星条旗が掲げられた。午前11時、南部艦長は降伏の証として軍刀2本をセグンド艦長のバルソン大尉に渡した。乗り込んできた米兵は戦利品として双眼鏡や砂時計、軍服等を持ち去った。乗組員が所持していた軍刀も全部持っていかれ、中には物を巡って喧嘩し出す始末。17時に横須賀へ到着。そこには[[伊400]]と[[伊14]]の姿があった。潜水母艦プロメテウスに横付けし、米潜水艦ともども肩を並べた。他の潜水艦と比べると、明らかに[[伊400]]型は巨体だった。伊401の横須賀到着を以って、太平洋上から日本の艦艇は姿を消した。
 
-南部少佐ら乗組員は私物を持って横須賀潜水艦基地に移動し、そこで監禁された。米第8軍は[[伊8]]艦長時代に漂流者銃撃を指示した有泉大佐を戦犯として探しており、伊401乗員が逃亡に手を貸しているのではないかと疑っていた。取り調べを受けたが、次第に誤解が解けて全員釈放となった。乗組員たちは整備を行うついでに、アメリカ人に操艦方法を教えた。お互いに潜水艦の乗員だったため敵愾心は無かったという。9月1日午前8時、軍艦旗を取り下げる。そして9月15日に除籍され、9月20日から25日にかけて東京湾でアメリカ人乗組員だけで試験航行を行った。訓練完了後、教練のお礼として士官にはタバコ20箱、10ドル紙幣5枚、ウイスキー1本が、下士官と兵にはタバコ20箱、10ドル紙幣5枚が進呈された。手すきの者は引き渡しに備えて伊401の艦内を清掃しており、アメリカ人乗組員に高く評価されていた。そのためか通訳から「東京裁判で連合国は潜水艦の捕虜虐殺問題を取り上げるから、油断していると捕まる。解放されたらすぐに行方をくらました方が良い」と助言を受けた。10月29日、米潜水艦スケルトンの乗員40名が伊401を操艦し、佐世保へと回航。途中で枕崎台風と遭遇するが、二重船殻構造のおかげで快適に航行できた。11月1日、佐世保到着。12月11日に[[伊400]]や[[伊14]]とともに佐世保を出港し、グアムとエニウェトクを経由して真珠湾に入港。大勢の人々や軍楽隊が出迎えた。
 
-1946年1月16日、太平洋で性能テストやレーダーの実験を受ける。そして5月31日午前10時59分、米潜水艦カベゾンの雷撃を受けて海没処分された。
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