2000GT (MF10)

Last-modified: 2024-05-02 (木) 22:35:29

基本スペック

駆動方式[FR]/ミッション[5速] 1967年発売
初期馬力[150ps]/カーナンバー:19-88
toyota_03.jpg

全長:4175mm
全幅:1600mm
全高:1160mm
最高速度:351km/h

モード別カテゴリー称号
ST無敗【首都高無敗】
夏休み称号【】
ワンメイクバトル【2000GTキング】
エンジン形式バトル【直6選手権】
期間限定首都一TA・1【伝説の2000GT】
期間限定首都一TA・2【俺の2000GT】

備考:トヨタの代表的な旧車。

加速性能は全速域で高く、最高速も意外と伸びる。また短めのホイールベースに似合わず直進安定性も良好で、ハンドルを取られることは少ない。
しかしコーナリング性能は回頭性や旋回性は良好でターンインは素直なものの、FRのせいか滑りやすくアウトに流れやすい。雑な操作をすると簡単に壁にヒットするので、丁寧なアクセルワークを心がけよう。
5ナンバーサイズ車のため擦り抜けは比較的容易。車幅は全登場車種中第3位の狭さ。

全長も比較的短い(全登場車種中第6位の短さ)ため、バチコン(ロケット)を喰らうリスクも比較的少ない。
ブーストも強く、前述の加速力も相まって多少のミスならあっという間に挽回できる。さらに対接触性能はどういうわけかSKYLINE GT-R V-specII (BNR34)を押せるほどの強さを持っており、対戦では有利な要素が多いと言える。
6Rになってからはそれほど滑らなくなった代わりに、対接触性能が前作よりも落ちたか。それでも十分なレベルではある。
対戦では持ち前の加速力と対接触性能を活かしていこう。

コーナーで滑りやすいことを除けば性能はそこそこ高いレベルでまとまっていて、弱点も少ない。
旧車の中では結構強く慣れれば初心者でも扱えるが、どちらかというとアクセルワークなどの技術がある程度身に付いた中級者以上向けか。

選択可能カラー

(左から)

ペガサスホワイト
ソーラーレッド
サンダーシルバー
メタリック

toyota_03_color.png

更新回数及び追加カラー

1ベラトリックス
イエロー
21ホワイト
2アトランティス
グリーン
22レッド
3トワイライト
ターコイズ
メタリック
23シルバー
4パープルシルバー
メタリック
24パープル2
メタリック
5ブルー
メタリック
25ベージュ
メタリック3
6ダークレッド
メタリック
26シルバー2
7ライトブラウン
メタリック
27ライトブルー2
8ガンメタル28ペールグリーン2
メタリック
9ワインレッド
メタリック
29ピンク2
10オリーブ30ダークオレンジ
メタリック
11ダークグリーン
メタリック
31ライトパープル
メタリック
12ダークパープル
メタリック
32イエロー
13ブルーグリーン
メタリック
33イエローグリーン
メタリック
14ピンク
メタリック
34マルーン2
15ペールグリーン35ダークピンク
メタリック
16パープルブルー36ライトレッド
17オレンジ
メタリック
37ライムグリーン
18ゴールド38ダークブロンズ
メタリック
19ライトブロンズ
メタリック
39ライトイエロー2
20ミントグリーン40ダークブルー2

ちなみに、カラー1,2,3は実車の後期型に存在した純正カラーである。

湾岸マキシ.NET・ナビスクラッチ限定仕様

  • マットブラック仕様
    9月のナビスクラッチにて入手した場合、新規登録可能。
    2000GTB1.jpg

エアロパーツセット

A:純正を生かしたシンプルなエアロ。リベット留めのオーバーフェンダーと
角度がきつめのダックテールが付き、ナンバープレートがオフセットになる。
エアロAセット.jpg

B:スピードトライアルもどき仕様。黄色のフォグランプがフロントに追加され、
それ以外はノーマルよりもシンプルになる。ウイングレス。
エアロBセット.jpg

C:ラリーもどき仕様。マッドフラップ・フォグランプ・パイプフレームが付き、リアにはスペアタイヤを背負っている。
スペアタイヤはウイング扱いで、GTウイングや車種別ウイングをつけると外される。
エアロCセット.jpg

D:'66日本GP風エアロ。大きめのリップスポイラーが装着され、
フロントグリルは半分塞がれてのっぺりした顔つきになり、リトラクタブルライトは閉じたままになる。ウイングレス。
エアロDセット.jpg

E:エアロAをベースにややレーシーな味付けをなされたエアロ。
エアロAよりガッチリしたリップスポイラー・オーバーフェンダー・大型のリアウイングが装着される。
エアロEセット.jpg

F:異形の大型ウイングやド派手なディフューザーなどがコレでもかと装着される。特にリアの当たり判定が大きくなるので注意。
ブレーキランプ、フロントライトがLED化され、リトラクタブルライトは閉じたままになる。
マフラーはセンター4本出し。全体的にレーシーなエアロで、カスタムGTウイングがよく合うかも。
エアロFセット.jpg

G:フロント周りがにわかにFD3Sっぽくなる。
フロントに小さなフォグランプが4灯付き、マフラーは2x2本出しになる。車種別Bを更に大きくしたようなウイングも特徴的。
エアロGセット.jpg

H:エアロGのフロントにサイドカナードを付けたようなエアロ。ローマウントのGTウイングが付く。
エアロHセット.jpg

I:黒い部分が増え、ディフューザー装着のGTカースタイルの現代風エアロ。ウィングはダックテール。
2000GT-I.jpg

J:黒固定の大型スプリッターが装着され、フロントライトとメッキ部分がブラックアウト化。サイドスカートも黒固定。ディフューザーも装着される。
純正生かしたレーシーに纏まったエアロで見栄えが良い。
2000GT-J.jpg

K:フロントがマセラティ・GRAN TURISMO風となり、ロケットバニー風のワイドフェンダーが装着される。ローマウントのGTウイングが付く。
2000GT-K.jpg

ダクト付きボンネット

A:左右の両端に控えめなエアアウトレットがつけられる。
2000GTボンネットA1.jpg

カーボンボンネット(ダクト付)1:
2000GTカーボンボンネット1-1.jpg

B:エアインテークやアウトレットが細かく配置されたレーシーなもの。
2000GTボンネットB1.jpg

C:5連アウトレットが左右に配置される。
2000GTボンネットC1.jpg

D:大きな排気口が付く。
2000GTボンネットD1.jpg

カーボンボンネット(ダクト付き)2:FRPボンネット(ダクト付き)Dの排気ダクトのフチがカーボン化される。
2000GTカーボンボンネット2.jpeg

カーボンボンネット(ダクト付き)3:中央部が大きく膨らみ、前方に小さめの吸気口、両脇に3連アウトレットが開けられる。S30ZのボンネットAに似ている。車体色混じりのカーボン。
2000GTカーボンボンネット3.jpg

車種専用ウィング

A:小ぶりのボディ同色のGTウイング。やや後ろに突き出る様に設置される。映画「ヘアピン・サーカス」に登場する2000GTのウイングに似ている。
2000GT車種別A1.jpg

B:大型二段ウイング。
2000GT車種別B1.jpg

C:板のようなウイング。他の板ウイングと違い、上部中央に小さな切り込みが入っており、トランクドアとワイヤーで連結されている。車体色混じりカーボンになる。
2000GT車種別C.jpg

エアロミラー

小さめのドアミラー。純正のフェンダーミラーから、ドアミラーの位置に変更される。
2000GTミラー1.jpg

カーボントランク

2000GTハッチ1.jpg

ワークスステッカー

1967年富士24時間耐久仕様。
ボディが強制的にホワイトになり、フロントバンパーとボディ中央にラインが入り、さらにゼッケンナンバーがつく。
中央に走るラインの色は、そのときに選択しているボディの色によって変わる模様。

2000GT_WORKS_Re.jpg

2000GT_WORKS_B.jpg

サイドステッカー

ドアヒンジ下部に斜め貼りとなる。

2000GTサイド.jpg

雑記

  • 初出は2013年7月18日~8月31日まで行われた先行ゲットキャンペーン*1 。 その後2013年10月24日のメジャーアップデート☆5にて通常車種として解禁となった。
    先行ゲットキャンペーンでアンロックした場合は廃車カードは使用出来ず、初期馬力からとなった。
  • 本作に登場する2000GTは前期型。
    前期型と後期型の違いは、
    • フロントマスクのデザインが異なる。*2
    • 後期型は、内装の一部形状が変更されている*3
    • 前期型で特注色だった「ベラトリックスイエロー」「アトランティスグリーン」「トワイライトターコイズメタリック」の3色が後期型で正式に採用され、ボディーカラーが全6色となった。
    • ヘッドレスト・クーラーの追加装備。
    • 3速ATモデルの追加。
      などである。

実車について

  • 1967年5月から1970年8月まで3年3ヶ月の間生産され、生産台数は日本国内向けに218台、海外向けに108台の計320台と極めて少ない。*4その希少性から、現在の中古車価格は数千万円以上になっている。
    1967年発売当時の価格は238万円。当時のクラウンなら2台、カローラなら6台は買える値段だった。
    ちなみに当時の大卒社会人の初任給が26000円程度であったことを考えると、現在の価値に換算すると約1500~2000万円相当の高級車であった。しかし生産に手間がかかりすぎるため、販売は常に赤字だったという。
  • 希少な車のため中古車はプレミアがつき、かなりの高値で取引されている。2013年にはクラシックカー専門のオークションで、日本車としては最高値である115万5000ドル(日本円で約1億1800万円)で落札された事がある。
    余談ではあるが、エンジン不動、ガワだけの放置廃車体で状態が劣悪でも300万の値が付くこともある。*5
  • DOHC*6エンジン、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション*7、4輪ディスクブレーキ*8、ラック・アンド・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトは、トヨタ自動車ではこの車から本格採用された。これらは1980年代以降からは、量産自動車でも採用されて珍しくなくなっているが、1960年代中期においてこれらを全て装備している本車は、当時としては最上の高性能車と言えた。軽量化のために専用デザインの鋳造マグネシウムホイールを採用したことも異例である。*9
  • この2000GTに採用されたマグネシウムホイールは、独自のデザインから「2000GTのアイデンティティの1つ」として有名である。
    しかし、マグネシウムホイールは素材の特性上、塩分・腐食・衝撃にかなり弱いという弱点がある。*10製造から45年以上50年近く経った現在では腐食が発生した個体も多く、コンディションの維持に頭を悩ませているオーナーも多い。これを代替するため、オーナーズクラブからの要望で、ある有名ホイールメーカーから同一デザインで素材だけをアルミニウム合金に変更したアルミホイールが限定で製作されている。
  • 印象的かつ魅力的なデザインに収められた丸型テールランプレンズは、実は当時のトヨタマイクロバス用のパーツを流用したものであった。*11
  • 実車は2000ccモデルのみであるが、直列6気筒SOHC 2253ccエンジンを搭載したモデル(型式名:MF12L)も10台前後、試験的に生産された。*12
    生産された車両が全て左ハンドル仕様だったため、海外、主に北米市場向けに考えられ、試験生産されたと言われている。*13
  • 実車の開発はトヨタ自動車とヤマハ発動機の2社共同開発*14で行われ、生産はヤマハ発動機に委託、ヤマハ発動機とその系列企業で行われた。*15
    このような経緯から、「トヨタ自動車が開発した車と言うべきか?」という議論が現在に至るまで続いており、トヨタ自動車を嫌う人たちの中には自社の技術アピールのために2000GTを市販したトヨタへの侮蔑的表現として、「トヨタ・2000GTではなく正確にはヤマハ・2000GTである」「開発をヤマハに丸投げして金で買取りTOYOTAのバッジをつけただけだ」、と言われることもあった。ヤマハ発動機側は「全体レイアウト計画やデザイン、基本設計などはトヨタ側でなされ、ヤマハは同社の指導のもとで主にエンジンの高性能化と車体、シャシーの細部設計を担当した」としている。*16
    エンジンも一部でヤマハ製と言われることがあるがこれも誤りで、トヨタ・クラウン用のM型直列6気筒エンジンをベースに、ヤマハ発動機が開発・製造したDOHCヘッドを装備したものである。*17
    ちなみにエンジンメーカーロゴも含め、ロゴ関係はすべてTOYOTAである。
  • 車体デザインは当時のスポーツカーデザインの基本に則って、長いボンネットと短い客室部を低い車高に抑えつつ全体に流麗な曲線で構成され、先行のジャガー・Eタイプ(1961年)などの影響を指摘されることもあるが、当時の日本の5ナンバー規格の枠内でコンパクトにまとめられながら、その制約を感じさせない美しいデザインとして評価が高い。*18
    デザインを手がけたのは当時トヨタ自動車のデザイナーだった野崎喩を中心にデザインされたことが21世紀に入ってから明らかにされ、晩年の野崎本人によってスケッチやデザイン過程についての談話も公表されている。野崎は2000GTのデザイン以前の1963年に、デザインを学ぶためアメリカのアートセンター・スクールへ留学した経験があり、その当時のスケッチが2000GTのモチーフになったという。
    しかし、(特に海外では)ヤマハ発動機がトヨタ自動車と技術提携する前に日産自動車とのスポーツカー共同開発を進めていたことから、2000GTより以前に、日産・シルビア(初代・1965年)のデザイン監修をしたとされるドイツ系アメリカ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツが、2000GTのデザインも手がけたという説が、広く浸透している。*19
  • 上記の「2000GTはゲルツ・デザイン」説がどこから出たかは不明であるが、
    • 日産・A550X開発時にゲルツと日産がアドバイザーの関係にあった
    • A550Xもトヨタ・2000GTもリトラクタブルライトのファストバック・クーペという類似性を持ち、後者が前者の改良デザインとも見なせる*20
    • 前述の「ヤマハへの開発丸投げ・買い取り」評の存在
    • 当時のトヨタ自動車に自社で(さらに広い意味で、「当時の日本人のセンスでは」)このようなデザインを行えるはずがない、という先入観
      が原因と言われている。
  • 後継車の開発計画はあったものの、同車種のみの製造で終わり、ヤマハ発動機自身も四輪車事業へ進出することなく二輪車事業に専念することとなった。*21
    その後、両社がそれぞれの分野で快進撃を続けたのはご存知の通りである。*22
  • ボディーカラーには上記6色以外に、特別にゴールドカラーに塗装された車両が3台存在する。*23カスタムカラーNo.18のゴールドを装着すれば似せることができる。
    参考画像*24
    MF10_GoldColor.jpg
  • 愛知県長久手市にあるトヨタ博物館にて、メーカーのトヨタ自動車が自ら保存している。*25これだけなら自動車には良くある話だが、なんとこの2000GTは自走可能な状態で展示(動態保存)されており、時々敷地内を走っている(車検もやっているかは不明、ナンバープレートが単なる飾り板の為やっていない可能性もある)。
    トヨタ博物館では展示車両の多くが自走可能な状態となっており、湾岸マキシに収録されている車種では他にもCosmo SPORTS (L10B)やEUNOS ROADSTER(NA6CE)、Fairlady Z (S30)*26、CELSIOR (UCF10)*27などが動態保存となっている。登場車種のご先祖様や兄弟車、あるいは子孫になるクルマだけでなく、なんと1900年より以前の初期の自動車も展示されているため、訪れてみるのも一興だろう。*28
  • トヨタ自動車の工場見学に行くとお土産としてモデルカー*29がプレゼントされるのだが、1970年から1998年までの28年間、本車がモデルカーを務めていた。*30
    1999年に初代プリウスにバトンタッチし、以降は歴代のプリウスがモデルカーを務め、現在はレクサスブランドのLFAが務める。*31
  • 愛知県蒲郡市にある「ロードスターガレージ」が2000GTのレプリカを製造販売している。
    マツダ・ロードスターをベースに本物の2000GTから型取りして製作したFRPボディを装着し、内装も忠実に再現されている。また、前述のボンドカー仕様のオープンモデルも製作販売している。*32
  • また、同県岡崎市にある「ロッキーオート」も2000GTのレプリカを製造販売している。
    こちらは「ロードスターガレージ」のレプリカとは異なりベース車両を持たず、車体は何とフレームを1から設計し開発されている。ボディも本物から型取りして製作され、内装も同じく忠実に再現されている。
    トヨタ・スープラやアリストに搭載される2JZエンジンを搭載し、駆動方式は本物と同じFRを採用している。2017年には東京オートサロンでボンドカー仕様のオープンモデル*33も発表され、販売開始された。
    それだけでなく「ロッキーオート」では、トヨタ・アクアに搭載されている「THS-Ⅱ」を搭載したハイブリットモデルのレプリカも開発し、製作販売している。*34
  • 映画「007は二度死ぬ(原題You Only Live Twice)」(1967年)ではボンドカー*35として出演。SONY製のテレビ電話を装備しており、ボンドと諜報部の人間と会話をするシーンがある。
    この作品に登場した2000GTは市販されたモデルでは存在しないオープンモデルで、ホイールはジャガー・Eタイプの様なワイヤーホイールを装着するなど、異色のスタイルだった。
    実はオープンモデルになったのは理由がある。ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーが長身のため通常のハードトップモデルでは乗ることができないためオープンカー仕様を特注し、トヨタは2週間かけて屋根が取り外せるタルガトップ仕様に設計をやり直し、1週間かけてクーペ仕様を改装し、納車した。
    しかし完成した車にショーン・コネリーが乗ってみたところ、開口部から頭がひょこんと出てしまう滑稽な有様になってしまった。*36
    そこで映画制作者がトヨタに相談したところ「二週間待ってくれ」と回答、トヨタは納車したタルガトップの2000GTをフロントガラスのフレームだけ残しあとは全て取り払ったフルオープン・コンバーチブル仕様に再改装することになった。*37
    そして相談から二週間後にオープンモデル仕様が撮影所に届けられたという。*38
    この作品以降ボンドカーとして日本車は登場していないため、唯一の日本車ボンドカーである。*39
  • 前述の007だけでなく日本の漫画やアニメにもよく出演しており、とても馴染みの深い名車である。古くは「サーキットの狼*40」や「よろしくメカドック*41」、近年だと「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツオトナ帝国*42」など、たくさんある。
  • ドリフトスピリッツにも収録されており、初期カラー3色の他にベラトリックスイエロー・アトランティスグリーンが収録されている。

*1 当たりくじを15枚集めてアンロックする方式であった。
*2 後期型は、「固定式フォグランプが小型化」「ウインカーミラーレンズが橙色(前期型はヘッドライトと同色の白)」など。
*3 ダッシュボード、ステアリングホイールのホーンボタン、ドアインナーハンドル、シートにヘッドレスト追加、など。
*4 特殊用途車14台、試作・テスト車2台、その他1台を含めると計337台。後述する2253ccエンジンを搭載したモデル(型式名:MF12L)は含めない。
*5 もっとも、この作品におけるチューナー達のような「わかる人」が見ればそこから直せてしまうらしいが・・・。
*6 Double OverHead Camshaftの略で、4ストロークレシプロエンジンのシリンダーヘッドにおけるバルブの駆動において吸気側と排気側に別々のカムシャフトを備える方式。シリンダーヘッドやエンジンの燃焼室の設計自由度が高い、バルブの開閉タイミングを吸気側・排気側で別々に調整できる、高回転・高出力化が容易などの長所がある。
*7 ちなみにトランスミッション(とクラッチ)はトヨタ系列のアイシンが供給した。アイシンの乗用車向けトランスミッションの供給は、2000GTが初めてとなった。
*8 当初は4輪ともディスクブレーキを採用した車は少なかった。
*9 マグネシウムホイールは、素材にマグネシウム合金を採用したホイールのこと。アルミホイールに比べて軽量ではあるが、量産がしにくいことから一般的ではなくアフターパーツとしての供給も少ない。採用例としては、ポルシェ・カレラGTやブガッティ・ヴェイロンなど。ちなみに2000GTは日本車として初めてマグネシウムホイールを採用した車種である。
*10 腐食に弱い点については、塗装や防錆処理が剥がれたら速やかに補修しなければならない。大気に曝露すると水分や酸素などと反応して腐食・錆びが起こり、急速に強度が低下するためである。塩分に弱い点は海岸沿いに普段駐車している場合は頻繁に水洗いしないと錆が発生する恐れがあり、説明書に注意書きがしてあるほどである。 衝撃に弱い点については、特にスポーツ性を謳った、極度に軽さを重視した製品に顕著であるが、ギャップや縁石を踏むとホイール自体が完全に割れることがある。四輪の場合はたいてい、負荷が掛かるハブボルトあたりを境に割れ、ホイール全体が外れてしまう。
*11 実は2000GTに限らず多くの有名な少量生産スポーツカーには、外装パーツに量産車からの流用品を用いることが多い。例えばロータス・エスプリのテールランプにはスプリンタートレノ・カローラレビン(AE86型)の物が使われており、ランボルギーニ・ディアブロ(後期型)のヘッドライトはフェアレディZ(Z32型)の物が使われている。
*12 市販には至らなかったため、正式名称は不明。愛好家やマニアの間では2300GTと言われている。ちなみに、型式名のLは左ハンドル(Left-hand drive)を意味する。
*13 一時は北米市場の廉価モデルとして本格的に生産することも検討されたようであるが、結局トヨタ自動車内部での反発に遭い市販には至らなかったと言われている。
*14 当初トヨタは1964年5月に系列企業に生産委託する形で2000GTの計画をスタートさせ設計・開発は順調に進んでいたが、委託した企業ではこの車の生産が難しいことに悩んでいた。一方ヤマハ発動機側は当初日産自動車主導の下で高性能スポーツカーの開発を進め、A550Xと呼ばれる試作車まで製作していたが、日産側の事情で1964年半ばに計画が頓挫してしまった。そこでヤマハがトヨタに相談したところ、互いのニーズが一致し技術提携、共同開発が行われることになった。
*15 しかし、ヤマハは四輪生産のノウハウがないため、品質はトヨタ側の基準で厳しくチェックされたという。
*16 実際前述の通り、ヤマハとの技術提携が結ばれる前からトヨタは2000GTの開発に着手している。当時トヨタ自動車は既に自動車メーカーとして30年近い経験を蓄積しており、パッケージとして自動車を仕上げる企画力・設計力に乏しかったとも考えにくい。対するヤマハ発動機の四輪自動車製作は、YX30と呼ばれる試作車1台を製作するのが精一杯だったようで、このことからヤマハ単独で2000GTを開発することは不可能と言える。また、ヤマハ発動機側に開発を丸投げしたという確実な資料や証言は示されていない。
*17 余談であるが、当時ヤマハ発動機はオートバイ・船外機等を含めて4ストロークエンジンを開発・生産したことはなかった。このことからエンジンがヤマハ製というのは間違いと言える。
*18 ちなみに5ナンバーの規格は、ボディサイズが全長4700mm/全幅1700mm/全高2000mm以内、エンジンの排気量が2000cc以内であること。このうちどれか1つでも超えた場合は3ナンバー規格となる。
*19 ゲルツ本人は晩年の1996年8月、日本の自動車雑誌『ノスタルジックヒーロー』誌によるアメリカでのインタビュー(1997年 同誌61号に掲載)で、トヨタ・2000GTへの自身の直接関与を否定している。
*20 余談だが、1964年12月28日にトヨタ自動車側の開発メンバーがヤマハ発動機に出向き技術提携を行った時、このA550Xを実見した。しかしこの時2000GTの基本設計は強度計算なども含めて完成していたため、開発に影響はなかったとされる。
*21 その後もトヨタ自動車とヤマハ発動機は親密な関係が続いており、トヨタの高性能スポーツエンジンをヤマハは何度も開発・製造し(例として、TA22セリカの2T-Gエンジン、SW20MR2の3S-GEエンジン、A70スープラの1JZ-GTE、など)、2010年に発売されたレクサス・LFAでは専用の1LR-GUEエンジンをトヨタとヤマハで共同開発した。また、意外に思われるかもしれないが、フォードグループにもエンジンを供給している。ボルボにも初代XC90向けに4.4LのV型8気筒エンジンを供給したことがある。
*22 しかし、ヤマハ発動機はその後も自社ブランドでの自動車事業参入を何度か検討しており、1992年にはOX99-11というスポーツカーを発表、発売寸前まで計画が進められた事がある(バブル経済崩壊後であったことや本業業績悪化により計画は中止された)。2013年11月には試作車「MOTIV」の公開とともに自動車事業への参入の意向を改めて示している。
*23 前期型が2台、後期型が1台。全て東京モーターショーに出展するために製作されショー出展後、前期型は1台がショーでスタントコンパニオンを演じたモデルの所有となりイギリスに渡り、現在はToyota USA Automobile Museumが所蔵している。もう1台はショーで見た個人オーナーが購入して所有していたがその後ヤマハ発動機に寄贈され、レストア後同社のコミュニケーションプラザに展示されている。残る後期型の1台はショー出展後、行方がわからなくなっている。
*24 湾岸マキシ4公式サイト、未来研通信 第85回 カスタムボディーカラーより。
*25 通常のクーペ仕様だけでなく、何と前述の007映画の撮影に使用したオープンモデルも所有している。
*26 展示されているモデルはZ432(PS30型)なので湾岸マキシに収録されているモデルとは厳密には異なる。
*27 展示されているモデルはLEXUS・LS400なので海外仕様である。
*28 トヨタ自動車だけでなく他の自動車メーカーも自社で博物館を経営し、そこで自社製品を展示しているケースは多いため、気になる人は一度調べてみてほしい。
*29 このモデルカーは、工程での廃材をリサイクルしたもので、車軸が回転できるようになっており、内蔵するバネにより添付のカタパルトから発進させ、走らせて遊ぶことができる。
*30 トヨタ自動車の記録では1970年以降は2000GTだったとされており、それ以前はどの車種がモデルカーであったのかは不明。一応、「セリカのモデルカーが存在した」という証言を受けトヨタも調査したが、ゴミの中から現物が見つかった以外、何も情報が残っていなかったという。
*31 2017年現在、2000GTのモデルカーを手に入れることはかなり難しいが、歴代のモデルカーは愛知県豊田市にあるトヨタの企業博物館「トヨタ会館」に展示されているため、見るだけならそこを訪れてみるのもありだろう。展示されている2000GTのモデルカーは黄色で化粧箱、組み立て説明書等も展示されている。ちなみに前述のゴミの中から見つかったセリカのモデルカーもちゃんと展示されている。
*32 ロードスターをベースとしているため、映画に登場した仕様ではできなかった、幌屋根を閉めることもできる。
*33 こちらは幌屋根を閉められるかは不明。
*34 ただし、こちらのモデルは駆動方式がFF(前輪駆動)になっている他、メーター、ステアリング、シフトレバー、エアコン操作パネルなど一部アクアのパーツが使われているため、内装の再限度は低い。
*35 正確にはボンドのサポートをする組織所有の車両。
*36 肩をすくめて首を傾げても窮屈なほどだったという。ここから「ショーンコネリーの身長が高いので屋根を切った」という都市伝説まで生まれている。
*37 しかし大至急の改造だったため幌屋根を取り付けることができず、座席後方に幌屋根らしく作ったダミーを装着してごまかしている。そのため、厳密に言えばコンバーチブルではない。
*38 Top Gearボンドカースペシャルより。またこの番組内では6代目ジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグが一番好きなボンドカーとして当車両をあげている。
*39 前述の通り、正確にはボンドのサポートをする組織の車両なので厳密にはボンドカーではないが。
*40 主人公風吹裕矢のライバルの1人、隼人ピーターソンの愛車として登場。街道レーサー編の富士スピードウェイで風吹の愛車ロータス・ヨーロッパ、風吹最大のライバル早瀬左近のポルシェ911カレラRSとレースをするが敗北。その後公道グランプリに出場したが、海に転落してリタイアした。
*41 東日本サーキットGP編でチームMDM(メカドックもどき)の車両として登場。ヒロインの1人である小野麗子がスポーツ800を手放したことから借りて搭乗する。
*42 悪役「イエスタディ・ワンスモア」のリーダー、ケンの愛車として登場する。しんのすけのオシッコの被害を受けるなど散々な扱いを受けたが「俺の魂」と呼ぶほどかなり気に入っている様子。