SKYLINE GT-R (BNR32)

Last-modified: 2024-05-02 (木) 22:23:28

基本スペック

駆動方式[4WD]/ミッション[5速] 1989年発売
初期馬力[280ps]/カーナンバー:2568
マキシ2・3~車種称号【貴公子】
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全長:4,545mm
全幅:1,755mm
全高:1,340mm
最高速度:350km/h

モード別カテゴリー称号
ST無敗【首都高無敗】
夏休み称号【伝説のR使い】
ワンメイクバトル【R32キング】
エンジン形式バトル【直6選手権】
期間限定首都一TA・1【伝説のR】
期間限定首都一TA・2【俺のR】
車種限定バトル【史上最強GT-R】

備考:いわゆる「第二世代」最初のGT-R。SKYLINE GT-R V-specII (BNR34)と並ぶ人気車。
元「御三家」のうちの一台でもある。

加速力が非常に優秀で、旋回性・回頭性もRX-7 Type R (FD3S)程ではないが良く、小回りが利く。
空力に少々難がある*1ためか、最高速はR33~35のGT-R程は伸びず、高速域では直線でのハンドルのブレがやや大きい。そのため、湾岸線などのコースは少々苦手。
車体は比較的コンパクトであり、擦り抜けも容易。全長は若干長めだが前述の旋回性と回頭性の恩恵であまり気にならない。但し小さい車に慣れた後に使用するとノーズを引っ掛けやすいか。

長さを生かせる争奪戦では無類の強さを発揮し、ランキングでも多く見かけるほど。
また、2on2では持ち前の長さや対接触性能の強さから、Cosmo SPORTS(L10B)の弱体化後は使用率No.1である。

一時期戦闘力が下方修正された事もあったが現在はほぼ「御三家」当時の強さに戻っており、性能が高水準でまとまっている事もあり5速車の中でも特に扱いやすい車両の内の一台である。
厨車としての立ち位置にいる人気車
車両そのものの知名度も高く、強車が台頭してきた現環境下に於いても初心者から上級者まで多くのプレイヤーが使用しており、FD3S同様オススメできる1台である。

選択可能カラー

カラー名マキシ2•3~色称号
ガングレー
メタリック
【鋼の/鋼鉄の】
クリスタル
ホワイト
【純白の/雪色の】
ブラックパール
メタリック
【黒い/漆黒の】
レッドパール【赤い/真紅の】
スパークシルバー
メタリック
【銀色の/白銀の】
ダークブルー
パール
【群青の/藍色の】

更新回数及び追加カラー

1ブルー21グレー
メタリック
2イエロー22ホワイト
3オレンジ
メタリック
23ブラック
メタリック
4ペールブルー2
メタリック
24レッド
メタリック
5ライトパープル25シルバー
6ダークパープル2
メタリック
26ダークブルー
メタリック
7グリーン3
メタリック
27ピンク2
8ピンク28ペールグリーン2
9ワインレッド29ダークグリーン2
10ミントグリーン30イエロー3
11ベージュ
メタリック
31スカイブルー
12ライトブラウン
メタリック
32ダークグレー2
13パールホワイト33ガンメタル
14ペールイエロー34オレンジイエロー
メタリック
15パープルシルバー35ライトブルー
メタリック
16ペールピンク36ダークパープル
メタリック
17フロッググリーン37グリーン
18オリーブ38ゴールド
メタリック
19ダークオレンジ39ライムグリーン
20ブルーグリーン
メタリック
40ライトレッド
メタリック

エアロパーツセット

A:HRD(原田エンジニアリング)のフロントバンパーBをモチーフにしたエアロ。 ヘッドライトは丸目4灯に。
ちなみにストーリーモード5話で登場するEXCITINGのリーダーが装着しているのはこれ。
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B:BOMEX風のエアロ。S15シルビアのエアロA(Dspeedエアロ)とほぼ同形状。
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C:ヤナックのGTスタイルをモチーフとした形状。
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D:BN SportsにVERTEXのカナードを取り付けたようなエアロ。純正でウィングレス。
GT-Rではなく、下位グレードのタイプMなどでよく見かけるドリ車系エアロ。車種別ウイングAがよく似合う。
まとまりが良く、比較的使用率の高いエアロ。
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E:フロントバンパーは、TBK製にカナードが付いた雰囲気。リアには大型のディフューザーが装着される。
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F:かなり張り出したスプリッターが装着される。フロントはJGTC仕様にやや似ている大型ダクトとなる。
リアバンパーにはかなりデカいダクトが開けられる。リアウィングは二段。
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G:M's Factoryのワイドボディキットがモチーフか。車幅が少し大きくなるので、擦り抜けに注意。
車種別ウィングAを装着すれば首都高バトル01の名古屋のBOSSとして登場する「J」風味の仕様になるかも?
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H:GT-R NISMO専用エアロ。6Rで再収録。フロントバンパーが俗に言う「豚鼻」とも呼ばれるN1ダクトの付いた仕様になり、リアウイングの形状もNISMO仕様になる。
エアロD同様、使用率の高いエアロ。あっさり仕上げたい人にオススメ。
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I:C-WESTのN1フロントバンパーをモチーフにしたまとまりの良いエアロ。
リップスポイラー、サイドスカート、リアバンパー下部が黒く塗装される。
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J:スバル・WRX S4(VBH)(本作未収録)をモチーフにしたエアロ。フロント・サイド・リアの無塗装樹脂が目立つ。
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6RRまで。日産のVモーショングリル、トヨタ・MARK X G's(本作未収録)をモチーフにしたエアロ。ウィングはROWEN製に似ている。
マフラーは二本出しに変わる。
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K:Silvia spec.R (S15)のエアロH(Nismoエアロ)を丸ごと移植した様なエアロ。
エアロHと同様にあっさり仕上げたい人にオススメ。
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ダクト付きボンネット

A:Du-Luckの95年製ボンネットをモチーフにしたような形状。
ボンピン付き
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カーボンボンネット(ダクト付1):
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B:VARIS製のクーリングボンネットをモチーフに汎用フィンを
追加した形状。
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C:BCNR33のボンネットBと同じく、TBK製と思われる。
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D:
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カーボンボンネット(ダクト付き)2:
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カーボンボンネット(ダクト付き)3:
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車種別ウィング

A:NISMO製のリアトランクエアリップスポイラー。
レイナや平本が装着している。
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B:R34やGC8の車種別Bとほぼ同じ形状。
形状は違うが、雰囲気的にはJGTC仕様のR32を意識したい人にはオススメ。
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C:純正ウィングをスリムにしたような形状。
ボディ色のカーボン地になる。
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エアロミラー

ガナドール・スーパーミラー風のエアロミラー。
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カーボントランク

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ワークスステッカー

NISMO仕様。元のボディカラーはロールケージを除いて完全に隠れる。

余談だが、このカラーリングは本来のBNR32のNISMOワークス仕様ではない。恐らくS-tune仕様がモチーフになっていると思われる。
厳密に言えばこのワークスカラーはZ33・BNR34・BCNR33・S15に採用されたものである。
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サイドステッカー

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雑記

  • ボディカラー1つでイメージがガラリと変わるので、カラーの選択は非常に重要。ちなみに「ガングレーメタリック」はこの車のイメージカラーである。
    初期カラーが「ダークブルーパール」の場合、ロールケージの色が黄色になる。これはマキシ1から続く仕様である。
    r32rollcage.jpg
  • ミッション切り替え音:ブローオフ2 例「ポゥ」
  • 本作のライバル作品である「頭文字D」においても、本車に搭乗している中里毅が、作中の台詞で「不敗神話のR」と言及するシーンがある。また、同作の終盤にて高橋涼介と箱根ターンパイクでバトルした北条凜の駆る死神GT-Rは、ゲーム『ARCADE STAGE』シリーズでは中里仕様と同様にV-specIIがベースであるが、原作では湾岸マキシに登場している標準グレードがベースとなっていると思われる*2

実車について

  • ケンメリGT-Rの生産終了から16年後の1989年に発表されたのがこのR32スカイラインGT-Rである。
    本車は発売当時日産社内で行われていた901運動*3の集大成として開発され、足回りはアテーサE-TS、SUPER HICASといった当時の最新デバイスを、エンジンには専用開発されたRB26DETTが採用されたことで非常に高い戦闘力を持つ車となった。
  • 湾岸マキシに収録されているR32 GT-Rは、上級グレードのV-Spec*4、V-SpecⅡ*5などのエンブレムが無いことから標準グレードの車両である。
    また、車体色の設定を見るに1991年8月の一部改良で登場した中期型以降のモデルだと推測できる。
  • 搭載されたRB26DETTは高い出力と耐久性と引き換えに鋳鉄製であったため非常に重く*6、これによって車重の増加を招いた上、フロントヘビーな重量配分*7となってしまった。さらにアテーサE-TSなどの高度なデバイスが仇となり、標準装備のブレーキではハードな走行に耐え切れず強いアンダーステアに悩まされ、後述のGr.Aよりも改造範囲の狭いGr.Nレースではべーパーロック現象*8によってリタイアしてしまうこともあった。*9
  • 本車の開発時には、ドイツ・アイフェル地方に存在する世界一過酷なコースとして有名なサーキット「ニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)」へテスト車両を持ちこんで走行テストが行われた。*10
    開発チームは自信を持って投入したものの、当初は1周もまともに走れなかった。水温・油温共に完全にオーバーヒート、5km地点でタービンブローし、周回を終えるまでに20分もかかり、“ニュル北”の厳しさを思い知らされたという。
  • GT-Rを含むR32スカイラインは、それまでスカイラインの開発責任者を務めていた桜井眞一郎*11に代わり、桜井氏の一番弟子である伊藤修令が開発責任者を務めた。*12
  • 7代目(R31型)開発終盤で開発責任者の座を継いだ伊藤氏は、R31スカイラインに関して
    • 「これはスカイラインではない。新しい直列6気筒エンジンは高回転まで気持ちよく回らない上、ターボもパンチが足りない。ハンドリングなどの乗り味にもスカイラインらしさがない。」
    • 「2ドアクーペも無く、走りのスカイラインは何処に行ったのか。*13
    • 「やはり桜井氏がやらないとダメだ。桜井氏がやらないスカイラインはスカイラインではない。*14
  • …と情け容赦ない「伊藤氏にとっては」不本意なバッシングを受けたという。*15
    そのため、当時流行していた「ハイソカー*16」と呼ばれる高級路線にシフトし不評に終わった7代目R31型に対して、8代目となるR32型は軽量コンパクトなスポーツ路線に回帰することを目標に開発された。
    • R32スカイラインの正式発表時に伊藤氏は、「これが、私のスカイラインだ。」と誇らしげに宣言したという。
      ちなみに伊藤氏は後年、「全てのクルマがオールマイティーでなくてもいいと思います。例えばミニバンのように室内空間を広く採ろうと思えば車高も高くなって、操安性が低下してしまうのは避けられないわけですしね。だから弱みを隠すのではなく、いいところを伸ばしたほうが存在価値を示せるクルマになると私は思うんです。」と設計哲学を述べている。
  • R32型がそれまでの桜井氏設計のスカイラインと大きく異なる点は、GT-Rの存在意義が変わった事にある。桜井氏は『2000ccという排気量でどこまで立ち向かえるか』を重視しており、ディーゼルで採用されたLD28、RD28を除き、GT-Rを含めても2000cc、5ナンバーの枠から出る事はなかった。*17
    しかし、伊藤氏の考えは『スカイラインという枠の中で、どれだけの速さを実現出来るか。』を重視しており、開発段階で既にRB24やVG30が入っていた。この事からも、R32型のGT-Rは従来のスカイラインと違う考えの中、伊藤氏によって生み出された新たなスカイライン像とも言える。*18
  • 1990年にはGr.Aレース参戦マシンのホモロゲーション用モデルとして、通称「豚鼻」と呼ばれている冷却用ダクトを設けられた専用フロントバンパー・リアトランクリップスポイラー*19を、BNR32の純正リアウイングと組み合わせて装着した「スカイラインGT-R NISMO」が500台限定で発売された。エアロセットHを装着するとほぼ完全に再現ができる。*20
    ちなみにこのリアトランクリップスポイラー、リアのダウンフォースとトラクションの強化を見込んで前述の通り純正リアウイングと組み合わせて装着されたが、想定以上の効果を発揮してしまい、フロントのダウンフォースに対してリアのダウンフォースが効きすぎ、富士スピードウェイのストレートで全開走行した際フロントの接地感がまるで無かったらしい。
    当時ハセミモータースポーツでドライバーを務めていた現NDDPの長谷見昌弘監督いわく「いっそのことリアウイング取っ払いたかった」とのこと。だがこのリアトランクリップスポイラーと純正リアウイングを組み合わせたままホモロゲーションを取得したことが仇となり、レギュレーションの関係でこのどちらも取り外すことが出来なかった。そのため対策としてウイングの取り付け部にワッシャーを挟み、ウイング自体を後傾させてアタックアングルを減らし、少しでもリアのダウンフォースを軽減しようとしていたらしい。
  • Gr.Aでは同年よりR31スカイラインGTS-Rに替わり、全日本ツーリングカー選手権(JTC)クラス1*21にカルソニック・スカイラインとリーボック・スカイラインの2台が参戦、デビューウィンを果たす。
    それまでGr.Aで最強を誇っていたフォード・シエラRS500を圧倒、予選では大差をつけて勝利しポールポジションを獲得、決勝ではスタートと同時に2台のR32 GT-Rがライバルを一気に突き放し、カルソニック・スカイライン以外の車両は全て周回遅れで優勝するという圧倒的な強さを見せ付けた。
    翌91年にプライベーターへの供給が始まるとシエラRS500からR32 GT-Rに乗り換えるドライバーが続出し、ライバルを事実上駆逐してしまった。*22
    そのあまりの強さから「R32 GT-RのライバルはR32 GT-Rのみ」という状況になり、1991年最終戦以降のJTCクラス1は事実上R32 GT-Rのワンメイクレース状態となってしまい、グループA自体が解消する大きな要因となった。*23悪く言ってしまえば、当時のリアル厨車と言える。この不敗神話は語り継がれる存在ともなっている。
    • 開発時の目標の一つが「Gr.Aで向こう2年勝てる車を作る。」だったのだが、蓋を開けてみればGT-R以外のライバルは2年経っても現れず、そのまま4シーズン(約4年)が過ぎて最終的にGr.A自体が無くなってしまった。
      この事に関して伊藤氏は「GT-Rのライバルが現れる事を期待していたが、現れる事は無く、そのままグループAというカテゴリーが消滅してしまったのは残念であった。」と後年の著書で語っている。
      最終的には4年間で29戦29勝という前代未聞の金字塔を打ち立て、その名は国内だけに止まらず、豪州を始め世界各国のレースに参戦して数々の勲章を獲得している。*24
  • モデル末期(と言ってもGT-R以外モデルは1993年にR33型へとモデルチェンジしていたが)にはGr.Aが消滅、代わりに1993年から全日本GT選手権(現:SUPER GT)が開催。
    その内、チームインパルが93年度(ほとんど試合不成立状態だったが)と94年度でGT1(後のGT500)でシリーズチャンピオンを獲得した。
  • 本wikiでも度々言及されている土屋圭市氏は、AE86やNA1・NA2型NSXの他にも、日産との関係が悪化する前、Gr.A参戦時代に本車を愛車としていた事でも有名。
    元々、氏は「レースで乗っているマシンを日常や自主練でも使用する」事を一つの決め事としており、自身でR32を購入、チューン*25して乗り回していた。おまけに全部で4台のR32を乗り継いでおりその全てを走行過多によるボディの破損で廃車にしているという、正に湾岸ミッドナイトばりのエピソードを持つ。
    なお、氏にとって事実上最後のGT-Rである4台目のR32は、廃車時にはパッと見でわかるほどボディが歪んでおり、内装を剥がすと内側に幾つも亀裂が入っていた程だった。当時の主な走り込みの場所はFSWとの事だが、いくらハイスピードサーキットとはいえ、300psそこそこのライトチューンでそこまでのヤレを引き起こしてしまう、氏の卓越したドライビングテクニックとコーナリングスピードが窺い知れるエピソードでもある。
    • なお、関係が悪化した理由については、本wikiのR33のページ、及びそのページにリンクされている「広報チューン事件」のページを参照のこと。
  • 本車は、日本のチューニング業界に革命を巻き起こした車として有名である。
    当時S130型フェアレディZがL28改3.1L+ターボでようやく400~550PS前後を絞り出していたのに対し、マフラー・コンピュータといったライトなブーストアップだけで400PS前後、さらにエアクリーナー・触媒・インタークーラーといった補機類の強化で450~550PS前後、エンジン本体に手を入れると600PS前後をやすやすと叩き出し、当時最強と言われたトヨタ7MーGTEを一瞬で窮地に追い込み、新たな市場を作り上げた。
    登場から30年以上経った現在でも、他に引けを取らない一級品の戦闘力を誇っている。
  • 第2世代GT-RのエンジンRB26DETTは、排気量が2.6Lと市販車としては中途半端な排気量である*26。これは前述のFIA-Gr.A規格で行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)のレギュレーションに適正化させたことが理由である。
  • 上述の中途半端な排気量とサーキットのレースで勝つことを目的として高回転域のパワーを求めた設計のためか、排気量に対してトルク(特に低回転域)が細い傾向にある。
    本車に搭載されるRB26の最大トルクは36kgf·m/4,400rpm。参考としてライバルとされる2JZ-GTEを搭載するJZA80スープラの最大トルクは46kgf·m/3,600rpm。400ccの排気量の差を考慮しても最大トルク値・発生回転数どちらも2JZには劣っており*27、RB26のトルクが細いことがわかる。*28RB26DETTの数少ない弱点と言われている。*29
    但し、RB26のスカイラインGT-Rが前述の通り高回転型*30に開発されたのに対し、2JZのスープラは公道を余裕を持って走れるグランツーリスモとして低中速トルク型*31で開発されている為、方向性の違いによるものと言える。
  • トルクが細い弱点を持つと言われているRB26DETTだが、これを改善するためHKSなどの有名なアフターパーツメーカーがスープアップ*32などの対策キットを開発・販売している。*33
  • 非常に高い走行性能で高評価を得たR32 GT-Rであるが、一方でベースとなった通常のスカイラインに対する呪縛となった面もある。
    というのも、R32スカイラインでは走行性能を重視するあまり、室内やトランクが狭いといった快適性を大きく損なってしまう。そのため次代のR33型ではボディサイズを大きくして快適性の改善を図ったのだが、今度は走行性能の面での不評により再び批判されてしまった。*34
  • 同車のホイールはデザインが良いことや、ホイールの強度が高いため流用パーツとして人気がある。*35
  • 2018年、ニスモが同車のパーツの一部を再販。これにより、バンパー、ハーネス一式、ブッシュ、エンブレム、ゴムホース等80のパーツが再販された。今後、ABSユニットや、外装パーツの大半が追加で販売される予定で、発売検討中の物の中にはBNR32のホワイトボディもあるという。仮にこれが発売されたとすると24年ぶりにBNR32型スカイラインGTーRの新車が出来るかも知れない。尚、この部品再販はBCNR33やBNR34の部品再販への拡大も検討中だと言う。
    そして2020年にホワイトボディの再販と同時に、二世代GT-Rのレストアビジネス「NISMO restored car」がサービス開始となった。

*1 CD値0.39。
*2 死神GT-RにはV-specIIのロゴが存在せず、公式設定においてもV-specIIのグレード名は存在しない。加えて原作においてバトル終盤にブレーキトラブルを起こして制御不能に陥るシーンは、標準グレードの弱点とほぼ一致する。
*3 1980年代に日産が提唱した「1990年代までに技術世界一を目指す」車作りを目標とした運動のこと。本車だけでなく、S13型シルビア/180SX、P10型プリメーラ、K11型マーチなど多数の名車を生み出した。技術面の大幅な向上によって、日産のブランドイメージアップにも大きく貢献した。
*4 1993年2月のマイナーチェンジに発売。標準車との違いは、ブレーキローター径の大径化(フロント296mm→324mm、リア297mm→300mm)、ブレンボ製ベンチレーテッドディスク、225/50R17インチBBS製ホイール、サスペンションの再セッティング、ATTESA E-TSのロジックパターン変更。
*5 1994年2月に発売。コーナリングスピードの向上を図るため、Vスペックのタイヤを245/45R17に変更されている。このようになった理由は、V-Spec発売当時は245/45R17の認可が下りず、発売翌年に解禁となったため。
*6 乾燥重量で255kg。参考としてライバルとされる2JZ-GTE(JZA80スープラなどに搭載)は220kgほど。
*7 前期型で約62:38。
*8 ブレーキパッドをブレーキローターに押し付ける為の油圧を発生させる液体が、ブレーキの熱により沸騰を起こし、沸騰による気泡がペダルを踏んだ際につぶれて緩衝材となることで、油圧がパッドに伝わらずにブレーキの効きが悪くなる現象。ペダルを踏んだときに普通よりもアッサリと奥まで踏めることから「ブレーキが沈んだ」と言うこともある。
*9 対策としてその後発売されたVスペックグレードではより大型のブレンボ製ブレーキが採用されている。
*10 この時、テスト車両はメディアに正体を悟られないようにするため、S13シルビアのボディパネルを使用して偽装していた。
*11 初代スカイラインから開発に関わり、2代目途中から7代目終盤まで開発責任者を務めたことから「ミスター・スカイライン」「スカイラインの父」として有名。7代目開発終盤に急遽病に倒れて入院し、退院後はスカイラインの開発責任者には復帰せず、1986年10月に日産自動車の特装車部門の開発企画・製造を目的とした関連企業オーテックジャパンの初代社長に就任する。その後も意欲的な特装車開発や、ボディ補強材、ディーゼルエンジンの排ガス浄化装置開発など、精力的に活動を続けた。
*12 厳密には前述の通り7代目終盤から伊藤氏が開発責任者を引き継いでいるが、実際に伊藤氏が7代目の開発責任者として行ったことは運輸省(現在の国土交通省)への型式申請のみだったという。そのため伊藤氏がゼロから開発責任者を務めたスカイラインとしてはR32が初となる。
*13 R31発売当初は4ドアHT、4ドアセダンしか設定が無かった
*14 前述の通り、7代目は終盤まで桜井氏が開発責任者を務めていたため、R31型は実質桜井氏が手がけたスカイラインである。
*15 ちなみに伊藤氏も当時、「やはり開発責任者と名乗るからには、自らがゼロから立ち上げた商品をもって、評価を受けたい。」という思いを持っていたという。
*16 日本産の高級乗用車や上級小型乗用車全般を指す言葉。High Society Carが語源とされる。代表的な車種は、トヨタ・ソアラ、マークII、チェイサー、クラウン、日産・ローレル、シーマなど。
*17 その証拠にC210(ジャパン)の頃にはL28、R30(ニューマン)の頃にはVG30という既にスカイラインよりハイパワーなエンジンも存在した
*18 当時、一部のファンの中には「2000cc、FRじゃなければRではない」と言った意見もあったが、そもそも目指している所が違う…
*19 原作で秋川レイナ、平本洸一が搭乗するR32 GT-Rに装着されている。
*20 ただし、リアワイパーは実車のGT-R NISMOにはついていないため、そこだけ違いはある。
*21 JTCは国際自動車連盟(FIA)が定めるグループA規定により排気量別の3クラス制で行われていた。
*22 シエラ以外のライバルにはトヨタ・スープラがいたが、1990年をもって撤退してしまった。
*23 それでもレースの人気自体は、衰えるどころかむしろ増しており、毎レース観客スタンドは満員で、チケットも取れない程だったという。
*24 スパ・フランコルシャン24時間耐久など。余談だがスパの耐久レース時、余りにも速過ぎた(2位以下20周遅れ)ため、現地のTV局から「テレビ映りが悪い」と苦情が来たそうな…
*25 当時土屋氏はチューニングショップ「圭Office」を副業として経営しており、オーナー兼開発ドライバーとして主に足回りのパーツを開発・販売していた
*26 日本の自動車税は500cc毎に税金が上がっていく為、2.6Lと3Lでは自動車税が同じになる。2.5Lでは3Lより6000円ほど税金が安くなるため2.6Lでは性能・税金面でも中途半端になってしまう。
*27 このためか、トルクが最重要視されるドリフト競技であるD1GPなどでは、換装エンジンに2JZが選択されることが多い
*28 第2世代GT-R最後のGT-R、BNR34でも最大トルクは40kgf·m/4,400rpmである。
*29 他に言われている弱点としては、前述の重量面やエンジンオイル管理関係などが挙げられる。気になる人は調べてみてほしい。
*30 BNR32 GT-Rのレッドゾーンは7500rpmから、BCNR33・BNR34は8000rpmからがレッドゾーンである。
*31 JZA80スープラのレッドゾーンは6800rpm。
*32 エンジンの排気量を上げるチューニング手法。エンジンのシリンダーボア(内径)を広げて行う場合はボアアップとも言う。
*33 余談だが、排気量を変更する際は車検証の内容が変わる為、改造申請が必要なので注意。申請を怠ると、法律違反になる他、脱税行為とみなされることもある。
*34 「ホイールベースが拡大されたことで旋回性能が若干落ちた」「室内・トランクもあまり変わらない」など。ただし原作・ストーリーで黒木も言っているようにホイールベース拡大によって高速域の直進安定性は向上しており、旋回性能もアテーサE-TSの改良によって可能な限り対処されている。そもそもGT-Rのようなスポーツカーに快適性や利便性を求めるのもお門違いではあるが…
*35 901運動の集大成という事もあり、ホイールのデザインも考えられた上、何とブレーキキャリパーの形状までデザインされた。