一式陸攻

Last-modified: 2020-05-10 (日) 15:17:58
No.169
weapon169.png一式陸攻陸上攻撃機
装備ステータス
火力雷装+10
爆装+12対空+2
対潜+2索敵+3
命中回避
戦闘行動半径9
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可
全ての艦娘に装備不可、基地航空隊にのみ装備可能
任務「主力「陸攻」の調達」達成報酬
2016年3月作戦ランキング褒賞(1~20位)
2016年春イベントE-2甲作戦、E-4甲・乙作戦、E-5突破報酬
2016年夏イベントE-1乙作戦、E-3乙丙作戦突破報酬
2017年夏イベントE-5丙作戦突破報酬
2019年【節分任務群】報酬の節分の豆と交換
陸上航空基地より発進、敵艦船への対艦攻撃及び敵飛行場等への対地攻撃などを行った
海軍の主力陸上攻撃機です。戦場の制空権を失った大戦後期は大きな犠牲を払いましたが、
本機「一式陸攻」は、まぎれもない海軍基地航空打撃力の中核として奮戦しました。

ゲームにおいて Edit

  • 2016年4月25日に九六式陸攻と共にランカー報酬として配布された、艦これ初の陸上攻撃機。雷装と爆装、両方が付いた装備としても初。
  • 2016年8月31日に実装された新任務(クォータリー任務)をクリアすることで九六式陸攻と引き換えに入手可能。入手したら必ず下記の方法でロックしておきたい。
  • 試製景雲(艦偵型)を入手できる単発任務で1つ消費する。本装備の量産方法は限られているため、注意が必要。
  • 艦娘には装備できず、基地航空隊にのみ装備可能。
    • 艦娘は問わず装備画面で「大型機.png」(大型機)、または【全装備】選択で装備ロック/ロック解除が可能。
      この他に、基地航空隊への配備の際、艦娘の装備と同様の方法でロックする方法もある。
    • 廃棄画面では最後尾、洋上補給二式水戦改などの後にある。
  • 九六式陸攻と比較し、爆装・雷装+2、対空・索敵・行動半径+1。性能としては単純に完全上位。
  • 一方上位機種も4種存在しており純粋な陸攻としては下から2番目だが、上位機種は全てイベント・任務・ランカー報酬として入手数が限定されており、量産できる陸攻としては最強。
    攻撃したいマスへの攻撃可否を分ける行動半径も1マス長いニニ型を除けば全て一式と同じかそれ以下なので、これを揃えればイベントで想定される攻撃用途は概ね満たせる事になる。
    • 離島棲姫らへの対地攻撃で参照される爆装はニニ・三四と同じで野中隊でも1しか差が無い為、この点においては上位陸攻と遜色ない威力が出せる。

以下性能比較表(装備最大値/陸攻早見表/テーブルより転送) Edit

黄色はトップの性能

装備名火力雷装爆装対空対潜索敵命中回避半径制空値攻撃力*1*2ボーキ消費*3入手方法改修備考追加
銀河14143331912149.4234イベント、ランキング編集
一式陸攻(野中隊)12133241912133.2216イベント、ランキング敵対空射撃回避有編集
一式陸攻 三四型11124241816126216イベント編集
一式陸攻 二二型甲11123241012126216任務、イベント、ランキング-編集
一式陸攻101222398117216任務、イベント、ランキング-編集
九六式陸攻81012284100.8180開発、任務、イベント、ランキング-編集
爆装一式戦 隼III型改(65戦隊)3861325253672イベント-編集
試製東海210580102.6~145.8162任務、イベント-編集
東海(九〇一空)2116180109.8~156.6162イベント-編集
  • 火力の効果は不明
  • 制空値は「内部熟練度0、18機定数時の値」
  • 爆装隼は色分け対象外*4
  • 試製東海及び東海(九〇一空)は他の陸攻と大きく用途が異なるため色分け対象外
  • 対空射撃回避についてはこちらを参照のこと

小ネタ Edit

  • 元ネタは日本海軍の陸上攻撃機「一式陸上攻撃機一一型」である。開発符号はG4M1、連合国側のコードネームは「Betty(ベティ)」。
    • 元海軍搭乗員さん曰く、読みは「イッシキリクコー」ではなく「イチシキリッコー」が正しいらしい。
    • 九六式陸上攻撃機の後継機であり、武装強化と航続距離延伸に主眼を置いて開発された。設計主任は九六式陸攻と同じ三菱の本庄季郎技師。
    • 連合軍コードネームの「Betty」は、当時命名に携わっていた情報部のある軍曹の彼女の名前だといわれている。一式陸攻の側面銃座のふくらみを見て、彼女の身体的特徴を思った……とかなんとか。ところでつまりは巨乳なのか巨尻なのか……じゃない、リア充爆発しろ。

構想と開発の経緯

  • より強力な大攻・大艇と共に、日本海軍が思い描いた「漸減邀撃作戦*5」の中核を担うはずだった。
    • なぜ大型と中型を混ぜて使おうとしたかというと、お金がなかったから。重武装で防弾もしっかりしている大型陸攻は高価になりがちで多く揃えることができないので、ある程度性能を落とした中型陸攻とのハイ・ローミックスで数を補おうとしたのである。
    • そして十二試陸攻はインテグラルタンク*6の採用や徹底して無駄を省いたことにより海軍の要求以上の性能で完成。晴れて一式陸上攻撃機として制式採用されることになった。
    • ところが、肝心要の大攻の開発に失敗。海軍は本来サブとして使うはずだった中攻を主力として使わざるを得ない事態に陥ってしまう。
      そして後世の目で見れば妙にタフな飛行艇が浮いた存在に見えるのである。
      • 一式陸攻の原型である十二試中攻が発注された翌年に十三試大攻が中島飛行機に発注されたが、参考にした四発旅客機*7が失敗作とも言うべきものだったために失敗。これが「深山」である。
      • 諦めきれない海軍は再び中島に十八試大攻を発注する。しかし、これは終戦までに実用化できなかった。こちらは「連山」と名づけられた。
    • 性能向上に重点を置いて防弾を削ったために、被弾にモロくなってしまい米軍から「ワン・ショット・ライター」「フライング・ジッポー」と呼ばれたとか。詳しくは後述。
    • 勿論海軍はこれを無視していたわけではなく、最初の11型はインテグラルタンク前後側面に防弾ゴムを貼っただけだったが航続距離の短縮を嫌って根本的な解決はなかなかせず*8、その後1943年になって航続距離が減るのを覚悟の上で既に生産・新規生産されていた11型の主翼タンク下面に30mm厚の防弾ゴム貼り付けて消火装置*9の設置などを行った仮称13型が前線に送られ、前線からの報告によると被弾に対して一定の効果はあったようだ。22型では防弾面では仮称13型と変わらず、1944年3月に完成した三四型でようやくインテグラルタンクからゴム皮膜の内蔵タンクに変わったものの、後継の陸上爆撃機「銀河」の配備が始まっていたこともあって少数生産に終わっている。
      • なおこの型では燃料搭載量は最大から2000lほど減り、航続距離もおおよそ2/3になってしまった。
  • そもそも、いくら大攻が控えているとはいえ中攻の防弾をこの程度でもよしとしたのは、いつもの「20mmに対する過信」がよく言われている。
    • 「将来20mm機銃が主流になり、それを防げる防弾装備は無理だから、代わりに速度と高高度性能を向上させて被弾を減らす」という思想である。ところが実際には連合軍の主流は12.7mm止まり。結論として、海軍の方針は少々極端すぎたといえる。
      • ただし、イギリスやソ連は自国の航空機では20mm機銃を装備しており、12.7mmを大々的に使っているのはアメリカ軍のみである。そもそもアメリカが12.7mmを使い続けたのは彼らの航空ドクトリンが少々特殊だったからである。
        簡潔に言うと、「そもそも航空火器に重要なのは火力でも発射速度でもなく命中精度!!よって20mmより12.7mmの方が優秀!!」という感じである。多連装なのも射線を増やすことで命中弾の増加を狙った思惑があったのだ。

技術的特徴

  • 本機の特徴として、胴体を太い葉巻型としたこと、防御火力の充実を図ったこと、長大な航続距離を持つこと、大型双発機としては異例の運動性を持ったこと、などがある。
  • 太い葉巻型の胴体は広く、胴体内に爆弾槽を設けてむき出しだった爆弾や魚雷を収容したり、尾部に銃座を設けることが可能になった。
    • 本庄技師は、以前からの風洞実験などで葉巻型の胴体は太くてもそれほど空気抵抗が増さないことに気づいていた。そのため、九六陸攻では尾端にかけて絞り込んでいた胴体をぐっと太くすることにした。結果は良好で、特に空力性能悪化の原因になっていた雷爆装を機体内部に収容できたのは、燃費と速度の向上に役立っている。
    • 爆弾槽には覆いが設けられていたが、初期の型では構造複雑による重量増加を嫌って開閉式とされなかった。そのため偵察時は整形のために取り付けたものの、攻撃装備の時は取り外していた。一式陸攻の写真で腹がへこんでいるように見えるのものは、爆弾槽扉を取り外した機体のものである。
      • 後期型ではちゃんと開閉式の扉に改められている。ところが、高速で飛行すると「気を許したハマグリのように」徐々に開いてしまう不具合があったとか。
  • 九六陸攻が渡洋爆撃で大損害を出したのは防御火力の不足が原因とされ、九六陸攻の火力増強とともに新型陸攻では20mm機銃を最初から搭載することとされた。
    • 本命の20mm機銃は尾部銃座に1丁を配置。側面銃座にそれぞれ7.7mm機銃を1丁ずつ、操縦席後ろに後上方銃座を設け7.7mm機銃を1丁。また九六陸攻で廃止された機首銃座を復活させ7.7mm機銃を1丁。合わせて20mm1丁7.7mm4丁という当時の日本軍機としては強力な防御火力を得た。
      • 九六陸攻で機首銃座が用いられなかったのは指揮運用のしやすさであった。当時の機長や隊長は偵察将校が担うのが常識で、機首銃座があればその銃手を務めた。機首銃座を廃し、偵察員兼指揮官を胴体中央に持ってくることで指揮運用をしやすくしようとしたのである。
        しかしそれは防御火器の死角を生んでしまい、渡洋爆撃では正面から突っ込んでくる敵戦闘機に応戦できないという極めて重大な欠陥が判明した。そのため、新型陸攻では機首銃座を再び設けることになったのである。
      • だが機長が機首に行きっぱなしではやはり都合が悪いため、胴体後部に機長席を設けて状況に応じて使い分けられるようにした。
        一式陸攻では爆撃手が機首銃手を兼任した。
    • 防御火力は生産が進むにつれてさらに強化され、最後には後上方銃座は動力銃塔に、側面銃座はブリスタータイプから平窓にしてそれぞれ20mm機銃に換装。機首銃座は動力操作の13mm機銃に換装され、襲い掛かる敵戦闘機に対して強固に抵抗した。一方防弾装備はかなりゆっくりとしており、一一型で既に前後桁と燃料タンク側面に防漏ゴムを装備していて、既存配備の一一型を改修&新規生産の仮称一三型ではタンク下面にも防漏ゴムの追加と消火装置を装備しているが、乗員区間の防弾装甲は無し。二二型でも防弾面では変わらず。大戦終盤辺りから生産された二四丁型よりようやく乗員区間にも防弾装甲が装備され、三四型でもこれを継承する。
  • 長大な航続距離は前述の漸減邀撃作戦を行ううえで必要とされ求められたものだが、一式陸攻では九六陸攻に引き続き主翼内をインテグラルタンクとすることで実現した。
    • 要求された最大航続距離は2600海里≒4815km以上。九六陸攻の4550kmでも大概だが、当時の一般的な双発機をはるかに上回り四発機に匹敵するものであった。
    • 必要な燃料搭載量は5000Lを超えると試算されたが、胴体は人間と爆弾ですでにいっぱい。翼内に別組みのタンクを収める従来の方式でも必要量を満たせないと判断した本庄技師は、翼そのものをタンクとすることで解決することにしたのである。
    • 当然海軍は懸念を示した。被弾した際の危険性     ではなく、ガソリン漏れと被弾後の修理に。
      そこで、シーリングにはなお一層の研究を重ねること、タンクには人が直接入れる点検口を設けることを伝えると、海軍も要求を満たすためなら、とインテグラルタンク採用を認めたのだった。
  • 一式陸攻の運動性はひとえに本庄技師の設計の優秀さにある。
    機体形状の空力学的洗練に加え、当時の常識より小さくとられた舵面によってよく効く舵になったという。
    • 重心設定をギリギリまで前方にずらした結果でもあるが、反面着陸時のブレーキ操作で逆立ちの危険があり、着陸時には手空きの搭乗員は後部に移動したという。
      • 離陸時にはタキシング中はブレーキ操作で機体が逆立たないように手空きの搭乗員が後部に移動し、いざ離陸となると今度は前方に移動するという、まるで潜水艦のようなバランス調整を行っていたとか。
    • 尾輪にステアリングが無く、単尾翼を採用したことでエンジン後方気流を利用した操舵もできなくなり、滑走路へのタキシングが九六陸攻より難しくなったとの評価もある。
    • 海軍側の離陸距離600m以下の要求を満たしたSTOL機でもあり、良好な馬力荷重と低い翼面荷重により数字上は空母からの発艦が可能である。え、翼が艦橋にぶつかる……????「ウチの出番やね!」
    • また本機は最高時速453kmという俊足を誇った。これを実現するために、葉巻型の胴体はもとよりエンジン後方に最大直径を持ってきたエンジンナセル、双発爆撃機としては薄く押さえられた主翼など随所に工夫が施されている。
    • 本機の主翼は九六陸攻とほとんど同じサイズだったが、断面形状は改良されたものを用いている。厚さは当時の双爆が15~18%ほど*10であったのに対し12.5%と異例の薄さであった。
      • ところで本機の主翼は二二型で15%厚の層流翼型、そして防漏タンクの三四型では単桁式にと、実に二回も空力ないし構造の大変更を行っており余り例のないそして設計工数がもったいないことをしている。層流翼へとレトロフィットを試みた有名な他の例にスピットファイアがあるが、こちらは製造開始前に戦争が終結してしまっている。主翼の大変更を伴う設計とは家の基礎から建てなおすようなもので、それだけ時間のかかる行為なのだ。
      • ただし、二二型から三四型への変更では一式陸攻に対する運用思想自体が変化していたため、設計の大幅変更は避けては通れなかっただろう*11

一式陸攻の四発案は実在したのか?

  • 一式陸攻の開発時に四発化案があった、というのはよく語られる話である。以下は「海鷲の航跡」(海空会編、1982年)からの引用。

    軍と三菱の第一回一式陸攻試作打ち合わせ会で、
    「九六陸攻の性能をさらに向上させる技術は特に見当たらず、馬力増大以外には無かったにもかかわらず、海軍側の出した一式陸攻の試作要求項目は、いたずらに機械としての効率が良いことに偏り、軍用機としての強さが不十分のように思う。それには防弾と消化および機銃性能の強化が必要である。要求項目を満足する機体はできるが、攻撃に対する防備が不十分に思う。特に小柄な機体に長い航続距離の要求は機体のいたるところに燃料タンクがあることになり、被弾すればそこに必ず燃料タンクがある状態になる。この弱点をなくすには四発機にする以外に方法がない。これによって、大きな搭載量と空力性能と兵儀装の要求を満たし、増やした二発の馬力で防弾用鋼板と燃料タンクの防弾と消化装置を運ぶのだ」
    と説明した。それに対して和田操空技廠長は、
    「用兵については軍が決める。三菱は黙って軍の仕様書どおり双発の爆撃機を作ればよいのだ」
    という一言で、重要な意見は議論もされず棄却されたのであった。

  • 以上の記述から、一式陸攻の四発架空機やそれに関連する架空戦記が多く出ているわけだが、実はこの話は一式陸攻の開発時にはなかった可能性がある。
    • 三菱社内に残る資料にはこの話は十六試中攻「泰山」の開発時のことと記されている。
      また横森周信氏の「海軍陸上攻撃機」(サンケイ出版、1979年)でもこの逸話は十六試中攻の時の出来事とされている。本書は本庄技師の回想を多く引用しているが、一式陸攻の開発時にこの話は触れられていない。
    • 十六試中攻「泰山」の最初の要求性能は『一式陸攻と機体規模と搭載量は同じで防御火器を強化し防弾タンクを装備、最高速度556km/h最大航続距離7400km以上に向上させ急降下爆撃を可能とする』という一式陸攻をはるかに上回る滅茶苦茶なもので、前任機から大きく向上させることを求められたという点で相似している。したがって、後年になって本庄技師が取り違えた可能性もないとはいえない。
  • 今後新たな資料が発見されて一式陸攻でも四発機案があったことが証明されるかもしれないが、今のところ、この話は十六試中攻の開発時のみであった可能性が高いといえる。

活躍と終焉

  • 一式陸攻の初陣は日中戦争最中の昭和16年8月。零戦と共に成都の航空基地に対する攻撃を行った。この時中国軍の邀撃機は一式陸攻が飛行する高度8000mに達することができず、また基地上空で待ち構えていた戦闘機も先行する零戦によって叩き落され、陸攻隊は損害なしで敵基地に壊滅的被害を与える戦果を挙げた。
  • 太平洋戦争においても一式陸攻は多くの戦果をあげている。
    • 真珠湾攻撃後の12月8日の昼頃、フィリピンのクラーク飛行場に高雄空と第一航空隊が合同で空爆、さらに高雄空はイバ飛行場にも空爆を行い両飛行場の破壊、及び零戦隊の銃撃戦果と合わせて駐機されていたアメリカ軍の航空機をクラーク飛行場にて48機、イバ飛行場では60機を地上撃破という大戦果を挙げている。なお迎撃に上がってきたP40戦闘機30機は零戦隊と交戦しており、P40側が25機が撃墜され、零戦側は7機の損失であった。
      • この空襲で極東アメリカ航空軍は保有していた航空機の過半数を喪失、航空搭乗員や地上基地要員を多数喪ったことで事実上壊滅している。

        #Region(爆撃後のアメリカ陸軍クラーク飛行場)
        s_0063-clark_field.jpg

  • 昭和16年12月10日、マレー半島沖で生起した「マレー沖海戦」では九六陸攻と共同で英戦艦「レパルス」「プリンス・オブ・ウェールズ」の2隻を航空攻撃のみで撃沈。航空戦力の有用性を世界に知らしめる結果となった。
  • その後も高高度からの爆撃では零戦と共同して被害を抑えつつ戦果をあげている。
    しかし対艦攻撃においては、開戦前から予測された通り艦艇の対空砲火が著しく強化されて低空への侵入自体が熾烈なものとなった。珊瑚海海戦の戦訓では「今後雷撃は強襲しかなくなるだろう、高度500mから投下できる魚雷が望まれる」と魚雷の更なる遠距離投下で離脱確率上昇を要望されたほどである。*12小型の艦攻ですら「味方機の損耗と引き換えに刺し違えを図る」様相を呈してきた。ましてや高性能のために防弾を削った陸攻において……。機は対空砲火で次々に失われていき、開戦時の高練度を誇る陸攻隊は見る影もなくなっていった。
  • 昭和17年2月には本命の空母機動部隊とも死闘を繰り広げている。ところがこの頃には米軍は既にレーダーを実用化しており、護衛機無しでの攻撃だったこともあり攻撃位置にすらたどり着けない機が続出。機体の喪失はもとより、ベテランの搭乗員も多く失う結果となった。
  • 昭和17年8月から11月にかけ、陸攻隊はあっちで爆撃をしてはこっちで雷撃をしまたそっちで補給物資を投下するような忙しい日々を送ったが、日増しに増える損害は累積していき、次第に出せる数も減っていった。
    • この3ヶ月で陸攻隊は100機以上を喪失。失われた人材はそう簡単に取り戻せるものではなくこれ以降は再建もままならずほぼ弱体化の一途をたどった。
  • さらに戦局が進むと敵戦闘機も高度8000mへ上がってくるようになり、対地爆撃にも影が差し始める。
    • 改良型も開発されたものの二型は武装強化、爆弾槽扉の開閉化、翼形状の変更による航続距離の延伸のみで技術的な面から開発には時間が掛かるとして、防弾強化は防漏ゴムと消火器の増設程度となっており、大規模な装甲化に関しては24型丁、つまり桜花搭載母機まで待たなければならない。
    • またこの頃は、海軍の方針転換や前線からの陳情で連続して仕様変更が行われ、生産に支障が出ている。
    • 結果として零戦も陸攻も消耗し、少数で送り出された攻撃隊は大きな損害を出していったのである。
  • 数が揃わなくなり、昼間攻撃が難しくなった後は、夜間攻撃に出撃するようになる。
  • ガダルカナル島を含むソロモン諸島では、ラバウルより陸攻隊が爆撃や雷撃を行ったり輸送、偵察、哨戒も行っている。対艦戦果だけを挙げると、レンネル島沖海戦では九六式陸攻と共に攻撃を行い、重巡シカゴを撃沈、駆逐艦ラ・ヴァレットを大破させることに成功した。また、同様に11月8日、ソロモン諸島ブーゲンビル島のエンプレス・オーガスタ湾沖で軽巡バーミングハム*13を大破させるなどしっかり活躍をみせている
  • 昭和18年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将がブーゲンビル島で戦死した「海軍甲事件」で、山本が搭乗中に撃墜された機体として有名であり、数々の戦争映画で山本最期のシーンに本機が登場した。*14
    山本が搭乗した一式陸攻の左翼は、新潟県長岡市の山本五十六記念館に展示されている。
  • また、昭和19年10月15日台湾沖航空戦で第二十六航空戦隊司令官・有馬正文少将*15が自ら搭乗して自爆突撃を敢行したのも本機である。
    • 有馬少将は「戦争は老人から死ぬべきだ」との持論があり、自ら実践して見せたのだが、その思いは通じることはなく、多くの若者が特攻に駆り出されることになる。
  • 戦争末期には特攻兵器「桜花」の母機としても使用された。
    • 「桜花」とは簡単に言えば人力操舵の巡航ミサイル、紛う事無き「アレ」である。詳しくは各自調べられたし。
      • 桜花を扱った作品としては、松本零士作の「音速雷撃隊」とそれを原作とした「ザ・コクピット」が有名。
    • 第七二一海軍航空隊、通称「神雷部隊」が桜花特攻部隊としては有名である。詳しくはコチラ
    • ちなみに、桜花唯一の撃沈戦果である駆逐艦マナート・L・エベールを撃沈した土肥三郎中尉の搭乗機を投下した、攻撃第七〇八飛行隊の一式陸攻(三浦北太郎少尉、後日の出撃で戦死)は追撃を振り切り無事生還している。
  • なお、一式陸攻は終戦作業の一環である緑十字飛行に従事した機体のひとつである。
    • 緑十字飛行とは、終戦直前から1945年10月に全航空機の飛行禁止が下命されるまで連合軍監視下で行われた飛行の総称である。用いられた機体は白く塗られ、緑色で十字が描かれたことからこの名がついた*16
    • とりわけ、一式陸攻と本機の輸送機型である一式陸上輸送機の2機は、終戦交渉のための交渉団を木更津海軍基地から沖縄の伊江島まで送り届けている。交渉団は伊江島から連合軍機でマニラに向かい、条件交渉のあとは再び伊江島から緑十字飛行を行うこととなった。しかし、一式陸攻は故障のため飛行できず、先行した一式陸上輸送機は燃料切れで静岡県磐田市の海岸に不時着。幸いに代表団は怪我もなく翌日東京に帰着、遅れてやってきた一式陸攻は無事に木更津に帰りついた。この飛行が行われた1945年8月19日が、大日本帝国海軍による最後の公式飛行とされている。
      • ちなみに木更津に帰り着いた一式陸攻は9月末に破壊。不時着した輸送機はしばらく海岸に放置されていたものの、はずせる部品をあらかた盗まれた後台風の大波に飲まれて姿を消した。
        ところが、2006年に尾翼が、2011年に燃料タンクが発見されちょっとした話題を呼んだ。

『ワン・ショット・ライター』

  • 今現在、一式陸攻の話に「ワンショットライター」や「フライングジッポー」の渾名はもはや定番である。が、この渾名も、戦後付け足されたデマである可能性が大いにある。
    • この言い回しは1952年に出版された書籍で既に言及されている。また横森周信氏によれば、ガダルカナル攻防戦のころには「一式ライター」という呼び名が一般にも知られ始めていたとされる。
    • ただ、現在残っている米軍のガンカメラ映像では即時炎上する機体は少なく、また一式陸攻のしぶとさを評価するパイロットや司令官もいた。そのため現在ではいくつかの由来が推定されている。
      • 米軍パイロットが言い始めた説。
      • 関係者が「ゼロ・ファイター」に対して自嘲した「ワン・ライター」が人に伝わる間に変化した説。
      • 日本機のイメージを貶めえるためのただの蔑称という説。
      • 後世の人間が上記防弾機構の問題から創作したという説。
    • なんにせよ、戦争当時から本当にワンショットライターなどと呼ばれていたのかは不明である。
  • 損害が大きかったため極めて貧弱だったと言われることもあるが、実際には頑丈だったというアメリカ側の証言もある。
    • 陸攻隊の墓場と呼ばれたガダルカナル島などソロモン諸島ではの数は日米互角でありアメリカ側もこの時期は決して楽な戦いをしていなかった。
    • 一例を上げれば、昭和17年8月8日、ラバウル航空基地から四空、三沢空の一式陸攻27機(全機雷装済)が台南空の零戦15機の護衛のもと出撃した。途中四空のうち4機が引き返し*1723機となった一式陸攻がガダルカナル島周辺の米海軍艦艇を攻撃するために飛行を続けた。アメリカ側はブーゲンビル島に監視員*18*19により、日本軍の航空隊が向かってきたことを知っていたが、アメリカ海軍艦艇はレーダーの不調により、早期迎撃に失敗しツラギ島*20まで陸攻隊は無傷で侵攻した。しかし、アメリカ海軍のF4F-4戦闘機に襲われ陸攻4機が被撃墜。それでもなお陸攻隊は突撃陣形を作り、低空雷撃を行った。最も被害を受けたのは艦艇からの対空砲火であり、約8機ほどが連続して被撃墜された。さらに1機は尾輪を海面に接触させた為不時着水、もう一機は旋回退避中右翼を海面に接触させてしまい水没という事故も起こしている。攻撃終了後、さらにF4F-4に襲われ4機が被撃墜した。結局のところ、ラバウルに帰還したのは5機であり*21一式陸攻の損害は18機、零戦も1機が自爆とかなり甚大な被害であった。数十人分の席が一度に空いた食堂は寒々としていたという。戦果は輸送艦ジョージ・F・エリオットが魚雷と陸攻の体当たりにより撃沈、駆逐艦ジャーヴィスが大破した。
      • この戦闘において、もっとも被害が多かったのは"戦闘機隊の掩護を受けれない雷撃時"かつ、米護衛艦艇群の対空砲なので、中型機攻撃機のみで敵艦艇に対し肉薄雷撃するのが危険かというのを表している*22。しかし、前線のラバウル飛行場からガダルカナル島までは片道で1000kmあり、往復では2000kmもあるので、艦攻や艦爆では到底往復できず*23、陸攻隊に白羽の矢が立ったので、以後も陸攻隊による雷撃は続けられた。
    • ちなみに前日の8月7日に台南空の零戦18機の護衛の元、四空の一式陸攻27機はラバウルより出撃し艦艇に対して爆撃するも戦果無し、もしくは駆逐艦一隻が小破させた。陸攻隊の損害はレーダー誘導された60機の米軍戦闘機の迎撃と、対空砲火により陸攻4機が撃墜され2機が不時着大破した。また、零戦隊も2機が未帰還、坂井三郎一飛曹が頭部に7.62mm弾を被弾し重傷を負った。
      • 戦果は小さいものの、雷撃時と違い、迎撃の規模が大きいにも関わらず爆撃時は被害が少ないことが分かる。
    • 対日爆撃に投入されたB-29が無視できない損害を出したように迎撃戦闘機や高射砲陣地などで強固に守られた目標に向かっていった攻撃隊はいずれも無傷では済まされなかった。護衛の戦闘機もつけず無策で突っ込ませるなら、米軍の超重爆だろうが、ソ連の襲撃機だろうが、独軍の急降下爆撃機だろうが、大して変わらない。
      • ただし防弾を無視しろというわけではなく、当然通常通り運用するのならば、陸軍の100式重爆のように防弾性は存分に効果を発揮できる。あくまでそういった防弾を活きるのは護衛戦闘機が居て初めて機能する。一式陸攻の場合、護衛及び爆撃に徹するのであれば被害は抑えれるということは事実なのだが、やはり防弾機能は重要である。
  • また、特に損害が大きかったのが『低高度からの対艦攻撃』に多かったことも注目しておきたい。
    • 戦闘機の主兵装が機銃だった当時、それなりの速度の大型爆撃機に対する迎撃法は『後上方または後下方からより多くの弾丸を機体に叩き込む』ものであった。しかし高度8000mを飛行されるとここから上記のような攻撃を仕掛けるのは1万m付近に上昇する必要があり、そうなってくると米軍機でも容易なことではなかった。アメリカ陸軍航空隊ではP-40は言うまでもなく迎撃が困難で、本来迎撃機であったP-38を投入した。P-38は零戦搭乗員からすればペロハチと呼ばれた機体だが、動きが鈍い陸攻、艦爆、艦攻隊員からはかなり厄介な相手として見られていた。無論いくら日本軍でも、艦戦の護衛を付けたので、奇襲を除いてP-38でもそう簡単に手出しはできなかった。
      米軍も高々度爆撃をする日本軍多発爆撃機には手を焼いているし、逆にB-17でも落ちるときは落ちた。
    • 対して低高度を長時間、『目標に向かってまっすぐに』飛び続けなければならない雷撃は、そもそも非常に危険な任務である。上方や下方からの攻撃は受けにくいものの、高度による制約を受けない敵戦闘機は容赦なく付きまとってくるし、艦船からの対空射撃も非常にやりやすくなる。「活躍と終焉」でも述べたが、小型の艦上攻撃機でさえ著しい犠牲を強いられる雷撃任務に、大型で動きも鈍い多発機を投入するのは非常に無茶なことだが、陸上基地から敵艦船を雷撃する際は長距離飛行することが多かったので、単発機では空母などを使用しない限り到底長距離飛行に適してるとは言い難く、日米でもよく攻撃前後での飛行中に海上で燃料切れを起こし不時着→波に攫われて行方不明ということも多々あったことを考えるとこちらも無茶なことである。これは日本だけに限った話ではなく当時の状況的に見てみると双発爆撃機を雷撃機に転用する事例は多く、アメリカではB-26が、ドイツではJu 88・He111・Do 217の改造機が、イタリアのサヴォイア・マルケッティ SM.79などが大戦中に雷撃任務も行っていた*24。またイギリスもあのデ・ハビランド モスキートの雷撃仕様を製造している。艦上雷撃機がギャグのような不作ばかりだったので艦上機化しようとしたこともある。夜間戦闘機としてのモスキートの前任者であるブリストル ボーファイターも戦闘雷撃機という仕様だった。
  • 米海兵隊のエース、ジョセフ・J・フォス大尉がフライトシム*25を監修した際、一式陸攻を十分な耐久力や防御火力を持つ機体とするように要請した。その理由として彼は「一式陸攻は脆い機体ではなかった」と述べたとされる。
    • フォス大尉が乗っていたF4Fでは、高高度を高速で飛ぶ一式陸攻に攻撃をかけられるチャンスは多くないが、それでも一式陸攻がソロモン海で損害を受けたのはF4Fの戦術の変化である。まず一式陸攻も高高度爆撃ばかりではなく、中高度~低高度での爆撃任務もあった。そしてF4F隊は陸攻隊より1000mほど高いところまで上昇したのちに反航戦で接近し、陸攻隊の斜め前上方から急降下して陸攻の頭上から銃撃の一斉射撃を加える、というものであった。上部からの激しい攻撃により陸攻の犠牲が増え、運よく墜落寸前までになった機体も結構あったが、ラバウル~ガダルカナルは片道1000kmと一式陸攻でも航続距離に余裕はなく、中には被弾して燃料が漏れが止まらないのでラバウルまで戻れずに帰路途中で未帰還機も出したりした。
      • この点については重装甲を誇るB-29も実は494機の戦闘喪失*26を出しており、その中には42-65218号機*27のように日本軍の迎撃を逃れても被弾により帰路途中で燃料漏れや着陸時の事故、操舵不能により未帰還機を出していることも無視できない。やはりある程度は爆撃機の長距離での飛行を前提として任務の手前、被弾により未帰還になるリスクは付き物なのも考える必要が出てくるだろう。
      • 余談だがB-29にも“急所”があった。高々度を長距離飛行するためののっぺりとした胴体に高アスペクト比の細い主翼のため主翼付け根が脆かったのである。さらに与圧キャビンが仇となってここに被弾すると容易に空中分解する恐れがあった。しかもこの主翼付け根の“急所”は日本軍にバレており戦闘機はここを狙ってきたと言う。日本軍は胴体構造を解析したわけではなかったので“圧縮酸素瓶がこのあたりにあるため”と勘違いしていたようだが、クルーにとってみればそこを狙ってくるわけでたまったものではなかっただろう。

一式陸上攻撃機の今

  • 一式陸攻は損失率が高く、また残った機体も戦後処理でほとんどが破壊。数機がアメリカに持ち帰られたとみられるものの、完全な形で残っている機体は今現在世界のどこにも存在しない。
    • しかし、胴体のみならば河口湖自動車博物館・飛行館*28にて二二型が復元保存されている。また米国カリフォルニア州のPlanes of Fame航空博物館*29に一一型の残骸が、メリーランド州のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設*30に三四型の機首部分が保存されている。
    • そのほか、南洋の島々には多くの残骸が木々や珊瑚に埋もれ眠っている。
    • アメリカの偵察衛星よりどこかの地上の楽園にはMig19等に交じって、衛星写真で一式陸攻、それ以外に零戦やF4U等が保有されていることが確認されている。稼働状態であるかは不明。
  • 妖精さんが持っているのは零戦にも搭載されてる九九式二〇粍機銃の旋回機銃版で、尾部銃座に搭載されていたもの。後に後上方、側面にも装備されたのは上で述べたとおり。
    • ちなみにこのイラスト、目立った突起の無いつるりとしたエンジンカウリングやブリスター銃座、胴体下面は無塗装仕上げになっているなど一型の特徴をよく捉えている。垂直尾翼は本来こんなに角ばってないけど。

この装備についてのコメント Edit

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 戦一攻三×2部隊を一式にするにも、初心者は(確定で貰える22型甲含めても)一年以上かかるってどうなのよ…96式を改修可能にするか、せめて機種転換をマンスリーにして欲しい -- 2019-06-05 (水) 19:30:11
  • 97式艦攻も、800キロの爆弾や魚雷が積めるのは一式陸攻と同じなんだよな確か。基地航空隊で使えば一式陸攻と同じ攻撃力に…は無理か(それ以前に半径全然足りない) -- 2019-06-21 (金) 15:04:12
  • 96式陸攻から強化されていて有り難いのが行動半径9と対空2の部分だなあ。劣勢調整やってるとこの僅かな違いがホントばかにならんし -- 2019-08-15 (木) 20:37:06
  • 熟練付いててもカスダメにしかならねぇな -- 2019-09-07 (土) 03:12:42
  • 実際のところ野中隊や銀河とのダメージ差ってどんなもんなの?着任が遅くて銀河1個しかないから主にこれ使ってるけど、熟練度つけてボス部隊に投げてもカスダメかミスにしかならないからよくわからない -- 2019-09-10 (火) 22:15:45
    • 基地航空隊の攻撃力に比較表があるけど、知りたいのはそういうことでいいのかな? -- 2019-09-10 (火) 22:24:48
      • こんなページがあったのか。触接とかにもよるけど最終攻撃力で40~は違う感じだね。ありがとう -- 2019-09-10 (火) 22:44:39
  • 上位陸攻配ってくれないんならせめて一回の任務で二機転換可能とかにして欲しいなあ。一向に差が縮まらんわ。 -- 2019-09-15 (日) 17:58:50
    • ちゃんとクォータリー任務やってたら確実に差は縮まると思うが。あと上位陸攻はあるほうが良いのは当然だけど無くても十分戦える -- 2019-09-19 (木) 21:40:16
      • 6-5から付け替えるの面倒で陸戦以外は一式陸攻で埋めたけれど甲でも問題なかったな 無論、試行回数でそのうち差は出てくるだろうけど -- 2019-09-21 (土) 14:20:05
  • 銀河 -- 2019-09-21 (土) 14:17:07
  • ワンショットライターの話、43年には航空参謀の所に南方の戦場から燃えやすいと陳情がたくさん届くようになってて、その頃から日本では一式ライターと呼ぶようになってた。同人物が戦後GHQ本部で聴取受けた時に初めて米軍もワンショットライターと呼んでいたことを知って、考える事同じだと驚いたと書き残してる -- 2019-10-01 (火) 13:44:45
    • 設計の段階から燃えやすいと言われてて、実際技師もパイロットも口を揃えてよく燃えたと言ってるのにこのページだと極端に擁護に回りすぎな気がする -- 2019-10-01 (火) 13:53:29
      • 日本兵器愛をこじらせてすごい偏向編集してるのがいるんだよ。そのうち直すか -- 2019-10-30 (水) 06:54:57
      • このゲーム自体、希有な例外を当たり前のように捉えているからね。旧軍やブラック体質な企業の発想を表出させている。 -- 2019-11-14 (木) 19:14:53
      • ↑? -- 2019-11-14 (木) 19:23:56
      • ?? -- 2019-11-16 (土) 20:56:35
      • ただ、零戦と違って馬力向上の制限が緩かったから防弾消化装備は出来たので改良型はそれなりにしぶとかったらしい。堀越さんと本庄さんの仲があんまりよろしく無かったのか戦後堀越さんは本庄さん担当機はけっこう酷評してるのもあったり・・・ -- 2020-01-08 (水) 18:37:16
  • 実は結構コンバート可能になるまで遠いよね……まあ甲じゃなければ九六式でいいだろうけど -- 2019-11-29 (金) 08:07:18
  • 交換任務につながるトリガー任務がどれなのか全然わからん・・・ -- 2019-12-14 (土) 01:08:39
    • あー翔鶴瑞鶴か・・・陸攻と東海のどっちもこの子らが居ないと始まらないんだなorz -- 2019-12-14 (土) 01:32:10
  • 野中・銀河と併せて12機超えてから暫くクォータリー転換任務をやらずにいたけど、これ自身や野中・銀河の改修で改修餌にされる可能性もあるから作り続けた方が良いのかな?倉庫の圧迫が... -- 2020-01-03 (金) 17:49:17
  • 結構貯まってるから上位陸攻に改修・更新させてくれませんかね…改修餌でもいい。圧迫具合がね…かといって無駄に捨てるのは危険すぎて。 -- 2020-01-03 (金) 18:03:47
  • みんなすげーな、俺なんて陸攻1機しか持ってないぜ! -- 2020-01-06 (月) 23:16:58
  • クォータリーでコツコツと増やし続け気づけば16機もうさすがにこれ以上は必要ないと思いつつも任務があるのでつい増やしてしまい17機目 -- 2020-02-03 (月) 06:53:55
    • それでいいと思う。万が一、二二型の更新任務みたいなのが実装されたときのために、開発不可能な装備をストックしておくのは重要。「慢心してはダメ」って赤城さんも言ってる。豆喰いながら。 -- 2020-02-03 (月) 08:47:40
  • そろそろ餌にはされそうだけどいつになるかはわからんよなぁ -- 2020-05-10 (日) 15:17:54
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 18機、対水上艦、クリティカル・触接無し
*2 東海系は同条件での対潜攻撃力
*3 1スロ当たり
*4 雷装値が0だが他の陸攻と同じく対水上艦では雷装値を参照する。ただし、用途は大きく異なるため色分け対象外とした
*5 米艦隊が太平洋をやってくる間に潜水艦・航空機で戦力を低下させ、戦力的に互角となった状態で艦隊決戦を挑むというもの。ちなみに「ぜんげんようげきさくせん」と読む。
*6 翼内部を水密構造にして燃料タンクとする方法。
*7 DC-4Eのこと。戦後日本航空などでも運用されたDC-4……とはまったくの別物。DC-4はDC-4Eの失敗を踏まえて新たに設計されたものである。
*8 そもそも防弾防漏タンクの開発が遅れていたせいもある。詳しくは三四型のページを参照のこと。
*9 当初は応急消火装置だったようだが、1943年春ごろから自動消火装置に置き換わっている
*10 前後長さに対する厚みの割合。大きいほど分厚い。
*11 戦局の悪化に伴い航続距離よりも防弾装備や消火システムを重視しなければいけなくなった。それまでは航続距離と速力が最重要であり、そのために他を削らざるを得なかったのは先に述べた通り。
*12 九一式航空魚雷の後期型では限界投下速度、高度共に向上しいくらかマシになったものの、比較的低空を飛ばなければならないことに変わりはなかった。
*13 アメリカ海軍のクリーブランド級軽巡洋艦。艦番号はCL-62。イギリス海軍でも同様の名前の軽巡があり混同に注意。
*14 山本は公式発表では機上で戦死とされ、戦後の映像作品でも「機上での壮烈な最期」が描かれている。だが、戦闘機の機銃弾が直撃したら遺体は原形を止めている可能性が低いこと、遺体回収に向かった部隊の証言などから、墜落後しばらくしてから全身打撲か内臓破裂により絶命したとの説が有力である。
*15 かつては翔鶴艦長として南太平洋海戦などを戦っている
*16 ちなみにこの塗装は連合軍側からの指定で、誤って撃墜してしまうのを防ぐための処置であった。
*17 詳細に書くと、離陸時に尾輪破損により離陸中止が一機、合流できず引き返した陸攻が一機、さらに機体に異常を発見した二機が途中で引き返した。
*18 いわゆるコーストウォッチャー。
*19 この時期にブーゲンビル島にはアメリカ軍は上陸していないので、おそらくこの監視員は現地住民と思われる。
*20 ルンガ岬のすぐそばにある島。米海軍艦艇はルンガ沖に航行中だったので、文字通り目と鼻の先の距離まで侵入を許してしまったのである
*21 内訳は四空3機と三沢空2機。さらにこれとは別に三沢空の陸攻1機が不時着大破し、搭乗員は救出される
*22 日本海軍ではこれより以前に同様の被害から飛行艇による雷撃を中止している
*23 同じく8月7日において、陸攻隊の第一次攻撃隊の他に第二次攻撃隊として二空の艦爆9機が不時着水覚悟で出撃し、4機の被撃墜と5機の不時着水により全機損失と言う結果を出している。ただし搭乗員救助の為に予め不時着水地点として決められていたショートランド南東に味方駆逐艦が派遣されており、不時着水した艦爆隊員6名を救助し、搭乗員により連合軍艦隊の詳細が報告された。第二次攻撃隊の戦果は駆逐艦マグフォードが大破に追い込み、さらに第一次、第二次攻撃隊の搭乗員の目視により連合軍艦隊の詳細な情報を掴めたので翌日の8月8日に航空雷撃を行い、第一次ソロモン海戦で勝利に貢献した。
*24 ただし、米軍はともかく欧州機の殆どは日米の単発艦攻ほども飛べない。
*25 MS Combat Flight Simulator 2とされる。
*26 文字通り出撃作戦時の損失。但し航空機による撃墜や対空砲火、原因不明の喪失の他に作戦中の事故や不時着機、廃棄なども含む。本土や訓練時の事故を含まない数字。含んだ場合は754機。※出典:History of the 9th bombbardment
*27 ハロルド・ハンセン少佐機
*28 ここには他に零戦や九三式中間練習機(所謂赤とんぼ)などの機体、栄や熱田などの発動機が保存・展示されている。一式陸攻も含めいくつかの機体はほとんど新造レベルの復元を、また栄発動機を起動可能までレストアするなど変態もといかなり高い技術を持っている模様。なお一般公開は毎年8月のみなので要注意。
*29 第二次大戦で活躍した日米の機やホームビルドのヘンテコ機などが展示されている模様。零戦や雷電が展示されているほか、九九艦爆二二型のフルレストアが進行中。
*30 スミソニアン国立航空宇宙博物館の付随施設。博物館に収まりきらない品を保管、復元、維持するための施設で、日本軍の機も多く収蔵されている(模様)。ちなみに震電はここにいる。