一式陸攻

Last-modified: 2024-04-11 (木) 05:52:26
No.169
weapon169.png一式陸攻陸上攻撃機
装備ステータス
火力雷装+10
爆装+12対空+2
対潜+2索敵+3
命中回避
戦闘行動半径9
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修可入手方法
基地航空隊にのみ装備可能
改修更新
九六式陸攻一式陸攻一式陸攻 二二型甲*1 一式陸攻 三四型
陸上航空基地より発進、敵艦船への対艦攻撃及び敵飛行場等への対地攻撃などを行った
海軍の主力陸上攻撃機です。戦場の制空権を失った大戦後期は大きな犠牲を払いましたが、
本機「一式陸攻」は、まぎれもない海軍基地航空打撃力の中核として奮戦しました。

ゲームにおいて

  • 艦これ初の【陸上攻撃機】として「九六式陸攻」と同時に実装された。
    • 雷装と爆装、両方が付いた装備としても初の実装。
  • 九六式陸攻」と比較し、爆装・雷装+2、対空・索敵・行動半径+1。性能としては単純に完全上位。
  • 入手が難しい上位機種に対して、量産できる陸攻として本装備の存在は大きい上に、陸攻の改修や更なる上位への更新、後述の任務で何かと使うため、
    使用する事がなくなっても最低でもクォータリー任務での確保は欠かさないようにしたい。

装備の運用について

  • 基地航空隊にのみ装備可能。詳しい使用方法は基地航空隊を参照。
    • 距離の遠いマスへの攻撃可否を分ける行動半径も1マス長いニニ型を除けば全て本装備と同じかそれ以下なので、これを揃えればイベントで想定される攻撃用途は概ね満たせる事になる。
    • 離島棲姫等への対地攻撃で参照される爆装はニニ型・三四型と同じで野中隊でも1しか差が無い為、この点においては上位陸攻と遜色ない威力が出せる。

  • 装備ロック/ロック解除は、装備画面で「大型機.png」(大型機)、または【全装備】を選択することで可能。
    • この他に、基地航空隊への配備の際、艦娘の装備と同様の方法でロックする方法もある。
    • 廃棄画面では最後尾、洋上補給二式水戦改などの後にある。

改修更新について

  • 改修可能。「一式陸攻 二二型甲」へ更新可能、量産できる最上位陸攻の位置を譲った。
    • ★maxではおよそ雷装12.21*2・対空3.58*3となるため部分的にだが無しのニニ型・三四型などを上回る。
      • 上位兵装となるニニ型・三四型も改修可能。
      • 改修をつけると改修必要装備として使えなくなるので、任務報酬として入手可能な上位陸攻の改修を優先した方が効率的である。
    一式陸攻★maxと一部上位機種との比較表。折りたたんでいます。

    一式陸攻★maxと一部上位機種との比較表。
    黄色はトップの性能

    装備名火力雷装爆装対空対潜索敵命中回避半径制空値攻撃力*4ボーキ
    消費*5
    射撃回避改修備考
    銀河(江草隊)15153443812158.4234-
    銀河14143331912149.4234-
    一式陸攻(野中隊)12133241912133.2216
    一式陸攻 三四型無し11124241816126216-
    一式陸攻 二二型甲無し11123241012126216-
    一式陸攻無し101222398117216-
    一式陸攻★max12.21123.5823915135216-
    SM.79 bis(熟練)13143432812142.2252-
    SM.79 bis1214343812133.2234-
    • 制空値は「内部熟練度0、18機定数時の値」
    • 射撃回避(敵対空射撃回避)は☆>◎>◯>△の順に性能が高い(-は回避性能無し)。詳細はこちらを参照のこと
    • 一式陸攻★maxの雷装・対空については、表に記載するにあたり小数点以下第三位を四捨五入した値。実際の計算時には端数処理しない。

入手方法について

本装備を消費する用途

アップデート履歴

  • 2016年 04月25日:実装。「九六式陸攻」と共に作戦報酬として配布された。
  • 2016年 05月03日:ネームド機である「一式陸攻(野中隊)」が実装された。
  • 2016年 06月01日:「一式陸攻 二二型甲」が実装された。
  • 2016年 08月12日:「一式陸攻 三四型」が実装された。
  • 2021年 10月15日:改修可能となり、同時に「一式陸攻 二二型甲」へ更新可能となった。
    • ★maxではおよそ雷装12.21・対空3.58になり、「一式陸攻 二二型甲無し」を上回る。
  • 2021年 12月10日:ニニ型・三四型の改修が可能となった。

性能比較表(装備最大値/陸攻早見表/テーブルより転送)

長いので折りたたんでいます

黄色はトップの性能

装備名火力雷装爆装対空対潜索敵命中回避半径制空値攻撃力*6*7ボーキ
消費*8
射撃回避入手方法改修備考追加
キ102乙改+イ号一型乙 誘導弾41420343312149.4*9216ランキング、任務対駆逐・軽巡・重巡・軽空母特効有編集
キ102乙41119444416126162イベント、改修編集
四式重爆 飛龍(熟練)+イ号一型甲 誘導弾17215453521174.6*10270ランキング対艦誘導弾搭載機
対駆逐、軽巡級・重巡に有効
編集
四式重爆 飛龍+イ号一型甲 誘導弾15205341521158.4*11270ランキング対艦誘導弾搭載機
対駆逐、軽巡級に有効
編集
四式重爆 飛龍(熟練)14165552521149.4252ランキング、改修-編集
四式重爆 飛龍14155441521149.4252-ランキング、節分報酬編集
銀河(江草隊)15153443812158.4234ランキング-編集
銀河(熟練)14153332712ランキング、改修編集
銀河14143331912149.4234-イベント、ランキング編集
一式陸攻(野中隊)12133241912133.2216イベント、ランキング、任務編集
一式陸攻(八幡部隊)1112324191212690イベント編集
一式陸攻 三四型11124241816126216-任務、イベント、改修編集
一式陸攻 二二型甲11123241012126216-任務、イベント、ランキング、改修編集
一式陸攻101222398117216-任務、イベント、ランキング、改修編集
九六式陸攻81012284100.8180-開発、任務、イベント、ランキング編集
Do 217 K-2+Fritz-X1624432416165.6*12306ランキング対艦誘導弾搭載機
対戦艦に有効
編集
Do 217 E-5+Hs293初期型1322432416142.2*13270ランキング、改修対艦誘導弾搭載機
対小型艦に有効
編集
SM.79 bis(熟練)13143432812142.2252イベント-編集
SM.79 bis1214343812133.2234-イベント編集
SM.7991323278108198-イベント編集
B-25281644716100.8*14234-任務,イベント水上艦に反跳爆撃を行う編集
Mosquito FB Mk.VI518545172175.6252ランキング、イベント-編集
深山改1719211676180-イベント、ランキング大型陸上機編集
深山1617110373180-イベント、ランキング大型陸上機編集
爆装一式戦 隼III型改(65戦隊)39614252536*1572イベント、任務駆逐・PT特効有編集
Do 17 Z-2112524836234-イベント、任務編集
試製東海210580102.6~145.8162-任務、イベント-編集
東海(九〇一空)2116180109.8~156.6162-イベント-編集
  • 装備名色分け:
    • 【大型陸上機】カテゴリ
    • 雷装値無し装備
    • 対潜攻撃可能装備
  • 最大値の色分け対象外:
  • 火力の効果は不明
  • 制空値は「内部熟練度0、18機*16定数時の値」
  • 射撃回避(敵対空射撃回避)は☆>◎>◯>△の順に性能が高い(-は回避性能無し)。詳細はこちらを参照のこと

小ネタ

  • 元ネタは日本海軍の陸上攻撃機「一式陸上攻撃機一一型」である。開発符号はG4M1、連合国側のコードネームは「Betty(ベティ)」。
    • 元海軍搭乗員さん曰く、読みは「イッシキリクコー」ではなく「イチシキリッコー」が正しいらしい。
    • 九六式陸上攻撃機の後継機であり、武装強化と航続距離延伸に主眼を置いて開発された。設計主任は九六式陸攻と同じ三菱の本庄季郎技師。
    • 連合軍コードネームの「Betty」は、当時命名に携わっていた情報部のある軍曹の彼女の名前だといわれている。一式陸攻の側面銃座のふくらみを見て、彼女の身体的特徴を思った……とかなんとか。ところでつまりは巨乳なのか巨尻なのか……じゃない、リア充爆発しろ。
構想と開発の経緯

構想と開発の経緯

  • より強力な大攻・大艇と共に、日本海軍が思い描いた「漸減邀撃作戦*17」の中核を担うはずだった。
    • なぜ大型と中型を混ぜて使おうとしたかというと、お金がなかったから。重武装で防弾もしっかりしている大型陸攻は高価になりがちで多く揃えることができないので、ある程度性能を落とした中型陸攻とのハイ・ローミックスで数を補おうとしたのである。
    • そして十二試陸攻はインテグラルタンク*18の採用や徹底して無駄を省いたことにより海軍の要求以上の性能で完成。晴れて一式陸上攻撃機として制式採用されることになった。
    • ところが、肝心要の大攻の開発に失敗。海軍は本来サブとして使うはずだった中攻を主力として使わざるを得ない事態に陥ってしまう。
      そして後世の目で見れば妙にタフな飛行艇が浮いた存在に見えるのである。
      • 一式陸攻の原型である十二試中攻が発注された翌年に十三試大攻が中島飛行機に発注されたが、参考にした四発旅客機*19が失敗作とも言うべきものだったために失敗。これが「深山」である。
      • 諦めきれない海軍は再び中島に十八試大攻を発注する。しかし、これは終戦までに実用化できなかった。こちらは「連山」と名づけられた。
    • 性能向上に重点を置いて防弾を先送りにしたために常に被弾に不安を抱え、米軍から「ワン・ショット・ライター」「フライング・ジッポー」と呼ばれたとか。
技術的特徴

技術的特徴

  • 本機の特徴として、胴体を太い葉巻型としたこと、防御火力の充実を図ったこと、長大な航続距離を持つこと、大型双発機としては異例の運動性を持ったこと、などがある。
  • 太い葉巻型の胴体は広く、胴体内に爆弾槽を設けてむき出しだった爆弾や魚雷を収容したり、尾部に銃座を設けることが可能になった。
    • 本庄技師は、以前からの風洞実験などで葉巻型の胴体は太くてもそれほど空気抵抗が増さないことに気づいていた。そのため、九六陸攻では尾端にかけて絞り込んでいた胴体をぐっと太くすることにした。結果は良好で、特に空力性能悪化の原因になっていた雷爆装を機体内部に収容できたのは、燃費と速度の向上に役立っている。
  • 長距離飛行を考慮して乗降口の近くにはトイレがあり、さらに九六式陸攻と同じく自動操縦装置も搭載している。
    • 爆弾槽には覆いが設けられていたが、初期の型では構造複雑による重量増加を嫌って開閉式とされなかった。そのため偵察時は整形のために取り付けたものの、攻撃装備の時は取り外していた。一式陸攻の写真で腹がへこんでいるように見えるのものは、爆弾槽扉を取り外した機体のものである。
      • 後期型ではちゃんと開閉式の扉に改められている。ところが、高速で飛行すると「気を許したハマグリのように」徐々に開いてしまう不具合があったとか。
  • 九六陸攻が渡洋爆撃で大損害を出したのは防御火力の不足が原因とされ、九六陸攻の火力増強とともに新型陸攻では20mm機銃を最初から搭載することとされた。
    • 本命の20mm機銃は尾部銃座に1丁を配置。側面銃座にそれぞれ7.7mm機銃を1丁ずつ、操縦席後ろに後上方銃座を設け7.7mm機銃を1丁。また九六陸攻で廃止された機首銃座を復活させ7.7mm機銃を1丁。合わせて20mm1丁7.7mm4丁という当時の日本軍機としては強力な防御火力を得た。
      • 九六陸攻で機首銃座が用いられなかったのは指揮運用のしやすさであった。当時の機長や隊長は偵察将校が担うのが常識で、機首銃座があればその銃手を務めた。機首銃座を廃し、偵察員兼指揮官を胴体中央に持ってくることで指揮運用をしやすくしようとしたのである。
        しかしそれは防御火器の死角を生んでしまい、渡洋爆撃では正面から突っ込んでくる敵戦闘機に応戦できないという極めて重大な欠陥が判明した。そのため、新型陸攻では機首銃座を再び設けることになったのである。
      • だが機長が機首に行きっぱなしではやはり都合が悪いため、胴体後部に機長席を設けて状況に応じて使い分けられるようにした。
        一式陸攻では爆撃手が機首銃手を兼任した。
    • 防御火力は生産が進むにつれてさらに強化され、最後には後上方銃座は動力銃塔に、側面銃座はブリスタータイプから平窓にしてそれぞれ20mm機銃に換装。機首銃座は動力操作の13mm機銃に換装され、襲い掛かる敵戦闘機に対して強固に抵抗した。
  • 防弾に関しては開発時からあまり考慮していない。そのため開戦直後から被弾による被害の大きさを用兵側から指摘されている。
    • 九六式陸攻で受けた火災への対策に関しては、最初の11型はインテグラルタンク前後桁と側面に防弾ゴムを張っており、これに関しては当時の公式文書だった『一式陸攻取り扱い参考書』や『操縦参考書』に記載されている。また、昭和十七年度以降研究実験に関する件では火災防止法と防弾ゴムと鋼板のさらなる研究が進められているが、インテグラルタンクの構造上タンクの上面と下面は主翼外板が兼ねており、外板に装着すれば大幅な性能低下は免れない為防弾ゴムの装備方法について悩んでいた。さらに一式陸攻には致命的な弱点があり、エンジンに被弾すると容易に炎上や爆発し、かつエンジンの近くにある燃料タンクにまで誘爆するのである。これはニューギニア沖海戦で米海軍が気づき、各部隊へ伝達された。*20
      • 昭和17年秋頃には火災対策として消火装置の研究も進められていた。ガダルカナル島周辺の戦いで陸攻隊の損失が増え続ける中、昭和17年11月にとうとう海軍から「航続力は妥協するから防弾性能を上げてくれ」という要求が出され、後の三四型の開発が始まる。翌昭和18年1月からは既生産機や新規生産機の一一型*21の主翼タンクに応急消火装置*22の搭載が、2月からは主翼タンク前後側面及び主翼外板下面に26mm厚の防弾ゴム貼り付けが急いで行われた。春頃になると応急消火装置は自動消火装置*23へと変更された。前線からの報告によると被弾に対して一定の効果はあったようだ。また、燃料集合槽も被弾時のリスクが大きい胴体内搭乗員区間にある1番タンクからから主翼付け根部分の2番タンクに移した。
      • 二二型では当初インテグラルタンク内に防弾ゴムを装備するという画期的な計画だったが、ゴムが熱や燃料に反応して溶解する不具合を克服できず生産機では一一型と同様と変わらない仕様になってしまった。二四型丁では胴体タンク及び機関席燃料コック、主操縦席背面に防弾鋼板を設置し、主翼付け根部分の燃料タンクには毒性があるものの消火効力の大きい四塩化炭素液層を設置と変更されている*24。しかし肝心の三四型は生産機のロールアウトが昭和19年10月まで遅れた上、昭和東南海地震による名古屋工場壊滅、本土空襲による生産基盤の破壊そのほかもろもろによって終戦までに60機前後しか生産できなかった。
    • 防弾装備が後手後手に回ったのは海軍内で「将来20mm機銃が主流になり、それを防げる防弾装備は無理だから、代わりに速度と高高度性能を向上させて被弾を減らす」という思想があったからだという。また、日中戦争の戦況の好転と戦訓により九六式陸攻の大編隊を飛ばしたところ被害が減少し戦果を重ねていた点もある。とはいえ開戦してみれば実際には主な交戦相手である米軍機の主流は12.7mm止まりで戦況の悪化で陸攻を大編隊で飛ばしても被害は減らない。結果として海軍の方針は極端すぎたし、大慌てで行った機体火災対策も確かに効果を発揮する場面はあったものの悪化する戦局と激化する迎撃に晒される搭乗員からの評価は低いままだった。*25
      • ただし、イギリスやソ連は自国の航空機では20mm機銃を装備しており、12.7mmを大々的に使っているのはアメリカ軍のみである。そもそもアメリカが12.7mmを使い続けたのは「イギリスから取り寄せた20mmをコピーして作ったのはいいけど頻繁に弾詰まりして空戦には使えねえじゃないか!それに20mmよりM2ブローニングの方が弾道安定してるし初速も速くて命中精度が高い!!俺はM2を使い続けさせてもらう!!」という感じで少々特殊な状況だったから。*26
      • なお一瞬の交戦で確実な撃墜を求められる夜間戦闘機や飛ぶ限り突っ込んでくる特攻機の迎撃をしなければならない海軍機の一部は不具合をのんでも20mm機銃を搭載している。
  • 長大な航続距離は前述の漸減邀撃作戦を行ううえで必要とされ求められたものだが、一式陸攻では九六陸攻に引き続き主翼内をインテグラルタンクとすることで実現した。
    • 要求された最大航続距離は2600海里≒4815km以上。九六陸攻の4550kmでも大概だが、当時の一般的な双発機をはるかに上回り四発機に匹敵するものであった。
    • 必要な燃料搭載量は5000Lを超えると試算されたが、胴体は人間と爆弾ですでにいっぱい。翼内に別組みのタンクを収める従来の方式でも必要量を満たせないと判断した本庄技師は、翼そのものをタンクとすることで解決することにしたのである。
    • 海軍ではこのインテグラルタンクに関して被弾時のリスク   ではなく、ガソリン漏れと被弾後の修理に懸念を示した。
      そこで、シーリングにはなお一層の研究を重ねること、タンクには人が直接入れる点検口を設けることを伝えると、海軍も要求を満たすためなら、とインテグラルタンク採用を認めたのだった。
      • 空技廠で防弾装備を研究していた堀輝一郎氏が遺した手記によれば、昭和13年頃の会議で将来防弾装備を追加できるようにインテグラルタンクを止めるよう提案したそうである。しかし本庄技師は「海軍の要求を満たすためにはこれしかない」、海軍は「今更計画変更などできない」と主張し、物別れに終わったそうである。
        肝心の本庄技師も、「こんな設計方針止せばよかった、と何度も思った」と戦後回顧している。
      • 開戦からしばらくたち、一式陸攻の損失が多くなると海軍から火災の原因になりやすいインテグラルタンクに見切りをつけて主翼構造を変更しようとする案が出た。当の本庄技師は生産性と機体特徴の合理性の観点から反対しているが、結局この意見は却下され三四型への構造研究が始まる。
      • ちなみに海軍が心配したシーリングの不具合は生産初期に本当に出ていたりする。三菱くん?
  • 一式陸攻の運動性はひとえに本庄技師の設計の優秀さにある。
    機体形状の空力学的洗練に加え、当時の常識より小さくとられた舵面によって軽い力でよく効く舵になったという。
    • 重心設定をギリギリまで前方にずらした結果でもあるが、反面着陸時のブレーキ操作で逆立ちの危険があり、着陸時には手空きの搭乗員は後部に移動したという。
      • 離陸時にはタキシング中はブレーキ操作で機体が逆立たないように手空きの搭乗員が後部に移動し、いざ離陸となると今度は前方に移動するという、まるで潜水艦のようなバランス調整を行っていたとか。
    • 尾輪にステアリングが無く、単尾翼を採用したことでエンジン後方気流を利用した操舵もできなくなり、滑走路へのタキシングが九六陸攻より難しくなったとの評価もある。
    • 海軍側の離陸距離600m以下の要求を満たしたSTOL機でもあり、良好な馬力荷重と低い翼面荷重により数字上は空母からの発艦が可能である。え、翼が艦橋にぶつかる……????「ウチの出番やね!」
    • また本機は最高時速453kmという俊足を誇った。これを実現するために、葉巻型の胴体はもとよりエンジン後方に最大直径を持ってきたエンジンナセル、双発爆撃機としては薄く押さえられた主翼など随所に工夫が施されている。
    • 本機の主翼は九六陸攻とほとんど同じサイズだったが、断面形状は改良されたものを用いている。厚さは当時の双爆が15~18%ほど*27であったのに対し12.5%と異例の薄さであった。
      • 薄い主翼は抗力係数が小さくなるため高速化に効果があったが、容積が減るため航続距離確保のためのインテグラルタンク採用に繋がり、ひいては一式陸攻の最大の弱点の大元ともいえる。
      • ところで本機の主翼は二二型で15%厚の層流翼型、そして防漏タンクの三四型では単桁式にと、実に二回も空力ないし構造の大変更を行っており余り例のないそして設計工数がもったいないことをしている。層流翼へとレトロフィットを試みた有名な他の例にスピットファイアがあるが、こちらは製造開始前に戦争が終結してしまっている。主翼の大変更を伴う設計とは家の基礎から建てなおすようなもので、それだけ時間のかかる行為なのだ。
      • ただし、二二型から三四型への変更では一式陸攻に対する運用思想自体が変化していたため、設計の大幅変更は避けては通れなかっただろう*28
      • ちなみに同じ三菱製の雷電も開発中に通常翼型から層流翼型に設計変更して大幅な時間ロスをしていたりする。三菱くん??
一式陸攻の四発案は実在したのか?

一式陸攻の四発案は実在したのか?

  • 一式陸攻の開発時に四発化案があった、というのはよく語られる話である。以下は「海鷲の航跡」(海空会編、1982年)からの引用。

    軍と三菱の第一回一式陸攻試作打ち合わせ会で、
    「九六陸攻の性能をさらに向上させる技術は特に見当たらず、馬力増大以外には無かったにもかかわらず、海軍側の出した一式陸攻の試作要求項目は、いたずらに機械としての効率が良いことに偏り、軍用機としての強さが不十分のように思う。それには防弾と消化および機銃性能の強化が必要である。要求項目を満足する機体はできるが、攻撃に対する防備が不十分に思う。特に小柄な機体に長い航続距離の要求は機体のいたるところに燃料タンクがあることになり、被弾すればそこに必ず燃料タンクがある状態になる。この弱点をなくすには四発機にする以外に方法がない。これによって、大きな搭載量と空力性能と兵儀装の要求を満たし、増やした二発の馬力で防弾用鋼板と燃料タンクの防弾と消化装置を運ぶのだ」
    と説明した。それに対して和田操空技廠長は、
    「用兵については軍が決める。三菱は黙って軍の仕様書どおり双発の爆撃機を作ればよいのだ」
    という一言で、重要な意見は議論もされず棄却されたのであった。

  • 以上の記述から、一式陸攻の四発架空機やそれに関連する架空戦記が多く出ているわけだが、実はこの話は一式陸攻の開発時にはなかった可能性がある。
    • 三菱社内に残る資料にはこの話は十六試中攻「泰山」の開発時のことと記されている。
      また横森周信氏の「海軍陸上攻撃機」(サンケイ出版、1979年)でもこの逸話は十六試中攻の時の出来事とされている。本書は本庄技師の回想を多く引用しているが、一式陸攻の開発時にこの話は触れられていない。
    • 十六試中攻「泰山」の最初の要求性能は『一式陸攻と機体規模と搭載量は同じで防御火器を強化し防弾タンクを装備、最高速度556km/h最大航続距離7400km以上に向上させ急降下爆撃を可能とする』という一式陸攻をはるかに上回る滅茶苦茶なもので、前任機から大きく向上させることを求められたという点で相似している。したがって、後年になって本庄技師が取り違えた可能性もないとはいえない。
  • 今後新たな資料が発見されて一式陸攻でも四発機案があったことが証明されるかもしれないが、今のところ、この話は十六試中攻の開発時のみであった可能性が高いといえる。
  • もう一方で、十二試中攻四発案説の根拠となる点もある。実は三菱はこの時点で四発大型機を試作した経験があるのだ。
    • 陸軍九二式重爆撃機(キ-20)。ドイツのユンカースG38大型旅客機……の名目で製作されていたK51重爆撃機*29を国産化の上さらに強化しようという試みである。結局本機も実用域には達せず、最後の5・6号機が製作される頃にはすっかり旧式化していて計画中止となるのではあるが……
      三菱にしてみれば「なんで大型多発機の経験が少ない中島*30に四発機をやらせてウチは双発なんだ」という思いがあったとしても不思議ではない。
活躍と終焉

活躍と終焉

  • 陸上攻撃機である一式陸攻はその航続距離や搭載量から爆撃や雷撃のみならず、哨戒や輸送、攻撃隊の誘導や偵察・索敵など多用途で使用された。
  • 一式陸攻の初陣は日中戦争最中の昭和16年7月。陸戦支援のため宜昌対岸にある敵陣地の爆撃を行い任務成功。翌日には重慶市街地への爆撃に参加し高度7000mから投弾、爆撃成功と判定された。翌8月には爆弾は携行せず成都にある航空基地の攻撃を行う零戦隊の誘導機を務める。夜間長距離飛行ではあったものの誘導に成功し、戦闘機も零戦隊によって壊滅、陸攻も敵戦闘機4機と戦闘し2機撃墜を記録している。この作戦の戦闘詳報には陸攻隊との協同で夜間長距離飛行を容易にし成都奇襲に成功した、と書かれている。
  • 太平洋戦争においても一式陸攻は多くの戦果をあげている。
    • 真珠湾攻撃後の12月8日の昼頃、フィリピンのクラーク飛行場に高雄空と第一航空隊が合同で空爆、さらに高雄空はイバ飛行場にも空爆を行い両飛行場の破壊、及び零戦隊の銃撃戦果と合わせて駐機されていたアメリカ軍の航空機をクラーク飛行場にて48機、イバ飛行場では60機を地上撃破という大戦果を挙げている。なお迎撃に上がってきたP40戦闘機30機は零戦隊と交戦しており、P40側が25機が撃墜され、零戦側は7機の損失であった。
      • この空襲で極東アメリカ航空軍は保有していた航空機の過半数を喪失、航空搭乗員や地上基地要員を多数喪ったことで事実上壊滅している。
        爆撃後のアメリカ陸軍クラーク飛行場

        爆撃後のアメリカ陸軍クラーク飛行場
        s_0063-clark_field.jpg

    • 昭和16年12月10日、マレー半島沖で生起した「マレー沖海戦」では九六陸攻と共同で英戦艦「レパルス」「プリンス・オブ・ウェールズ」の2隻を航空攻撃のみで撃沈。航空戦力の有用性を世界に知らしめる結果となった。
    • その後も高高度からの爆撃では零戦と共同して被害を抑えつつ戦果をあげている。
      『知られざる南西方面での戦い』
      • 例えばダーウィン空襲時の高雄空では高高度爆撃と零戦隊の手厚い護衛により後のソロモンと比較すると被害を抑えている。1942年の8月15日に行われた一式陸攻11型27機とダーウィン市街地に対する爆撃では高度7000m~8000mで空爆を行った直後、機体正面からオーストラリア空軍のP-40の編隊が迎撃を受けて多数機が被弾、機上戦死者2名出すものの炎上した機体はなく全機帰還した。このP-40編隊は零戦隊との空戦により追い払われた。高高度爆撃に徹底した理由としては前日にあたる1942年4月4日の爆撃を行った7機の陸攻中3機が撃墜、4機が被弾という被害が大きいものだった。その後4月29日からは高雄空は機材補充と錬成を行い8月に舞い戻ってきた。1943年の上旬には機材を仮称13型に更新し、5月2日には25機の陸攻が零戦27機の護衛のもとダーウィン強襲を行う。このころには敵の迎撃機はP-40ではなく砂漠仕様のスピットファイアMk.Vc(以下Mk.Vと呼称)となり、このMk.Vcを装備する第1戦闘航空団が防空任務を受けていた。また、オーストラリア空軍側の戦術にも変化が見られ、早期警戒の徹底を行い事前に高度9000mまで上昇後上部から攻撃を加えてきた。不利な位置で奇襲を受けるという形になったものの、零戦隊の活躍と陸攻の弾幕射撃により被弾6機のみで日本軍側は空爆成功、全機帰還した。28日のミリギンビ空襲では陸攻9機が零戦7機の護衛を受けたものの、スピットファイアの迎撃により陸攻9機中1機被撃墜、行方不明1機、被弾不時着1機、帰着した6機も被弾多数4機、被害なしは2機のみと被害が大きくこれら総合して戦死者は10名であった。7月6日には陸攻22機で零戦27機の護衛の元ブロッククリークス飛行場を爆撃し、スピットファイア33機から迎撃を受けることになった。爆撃は成功しB-24一機の地上撃破と基地の燃料を炎上させたものの、22機中1機が被弾炎上し撃墜され、もう1機が不時着大破、残りも被弾機が多数占める形となったが、多くの機体が被弾しても特に炎上せず帰還できたのは特筆すべきだろう。*31
      『陸攻隊の墓場、ガダルカナルとソロモン諸島』
      • しかし対艦攻撃においては、開戦前から予測された通り艦艇の対空砲火が著しく強化されて低空への侵入自体が熾烈なものとなった。特に敵空母部隊を攻撃する際が顕著であり、レーダーの実用化により早期警戒を行うようになっており攻撃位置にたどり着けない機体も続出した。珊瑚海海戦の戦訓では「今後雷撃は強襲しかなくなるだろう、高度500mから投下できる魚雷が望まれる」と魚雷の更なる遠距離投下で離脱確率上昇を要望されたほどである。小型の艦攻ですら「味方機の損耗と引き換えに刺し違えを図る」様相を呈してきた。ましてや大型の陸攻において……。機体やベテラン搭乗員は対空砲火や戦闘機の迎撃により次々に失われていき、開戦時の高練度を誇る陸攻隊は見る影もなくなっていった。
        • 一例を上げれば、昭和17年7月8日、ラバウル航空基地から四空、三沢空の一式陸攻23機(全機雷装)が台南空の零戦15機の護衛のもと出撃した。ツラギ周辺の米艦隊に対し雷撃を行うも、魚雷投下前にF4F-4より陸攻4機が被撃墜、艦艇からの対空砲火により約8機ほどが連続して被撃墜された。さらに1機は尾輪を海面に接触させた為不時着水、もう1機は旋回退避中右翼を海面に接触させてしまい水没という事故も起こしている。攻撃終了後、さらにF4F-4に襲われ4機が被撃墜した。結局のところ、ラバウルに帰還したのは5機であり*32一式陸攻の損害は18機、零戦も1機が自爆とかなり甚大な被害であった。戦果は輸送艦ジョージ・F・エリオットが魚雷と陸攻の体当たりにより撃沈、駆逐艦ジャーヴィスが大破した。
          • この戦闘において、もっとも被害が多かったのは"戦闘機隊の掩護を受けられない雷撃時"かつ、米護衛艦艇群の対空砲なので、中型機攻撃機のみで敵艦艇に対し肉薄雷撃するのが危険かというのを表している*33。しかし、前線のラバウル飛行場からガダルカナル島までは空母なき艦攻や艦爆では到底往復できず*34、陸攻隊はその後も昼間雷撃は中止して夜間攻撃などに変更などあったものの雷撃任務の一線に立ち続けることになった。
          • ちなみに前日の7月7日に台南空の零戦18機の護衛の元、四空の一式陸攻27機はラバウルより出撃し高度4000mから爆弾投下、艦艇に対して有効弾はなかったものの、レーダー誘導された60機の米軍戦闘機と対空砲火に襲われた。爆撃終了後陸攻隊は零戦隊とはぐれてしまい、F4F隊により執拗に追尾され、実際にこの作戦に参加した関根精次一飛が「炎の翼」と形容したようにそこかしこで被弾炎上する機体があったとされているものの、損失は陸攻4機が撃墜され2機が不時着大破したのみであり雷撃時と比較すれば少なかった。*35
      • ガダルカナル島を含むソロモン諸島では、ラバウルより陸攻隊が爆撃や雷撃を行ったり輸送、偵察、哨戒も行っている。対艦戦果だけを挙げると、レンネル島沖海戦では九六式陸攻と共に攻撃を行い、重巡シカゴを撃沈、駆逐艦ラ・ヴァレットを大破させることに成功した。また、同様に11月8日、ソロモン諸島ブーゲンビル島のエンプレス・オーガスタ湾沖で軽巡バーミングハム*36を大破させるなどしっかり活躍をみせている
        • 昭和17年8月から11月にかけ、陸攻隊はあっちで爆撃をしてはこっちで雷撃をしまたそっちで補給物資を投下するような忙しい日々を送ったが日増しに増える損害は累積していき、この3ヶ月で陸攻隊は一式陸攻と九六式陸攻の合計100機以上を喪失。失われた人材はそう簡単に取り戻せるものではなくこれ以降は再建もままならずほぼ弱体化の一途をたどった。
          • 特に陸軍の支援爆撃を行ったヘンダーソン飛行場への空爆は被害が大きく、9月9から僅か5日間で16機もの陸攻を失った。*37
        • ガダルカナル島爆撃では9月12日が23%、9月13日が11%、9月27日が16%、9月28日が32%とすさまじい大損害を出していたが、10月にはいると一転して10月15日、20,21日のように損害0の日があり10月全体の損失は7%まで下がった。*38
          • これは10月14日夜の金剛と榛名によるヘンダーソン飛行場砲撃の効果である。飛行機の損害もさることながら、ガダルカナル島に備蓄されたガソリンが焼き払われてしまいカクタス航空隊は深刻なガソリン不足に陥ってしまったのである。*39高度8000mで侵入する陸攻隊を迎撃するためには40分前に離陸し空中待機する必要があったが、長時間の空中待機ができず着陸したところに陸攻隊がやってきたり、攻撃も数分だけで終了せざるをえなかったりと陸攻隊が被弾する機会が激減した為である。
  • ガダルカナル島以降はソロモン諸島にも進出し哨戒飛行も行う。哨戒を行った702空では6月から9月までの3ヶ月間の間にコンソリ、飛行艇など複数の敵哨戒機との空戦を何度も経験したが、撃墜戦果はともかく全ての機体が帰投している。
    • 哨戒自体は中攻の任務の一つであり、各戦線でも投入されている。1943年まではともかく1944年以降は被害が増え始め、最新鋭の銀河も投入するも被害は減らなかった。
    • さらに戦局が進むと敵戦闘機も高度8000mへ上がってくるようになり、対地爆撃にも影が差し始める。
      • またこの頃は、海軍の方針転換や前線からの陳情で連続して仕様変更が行われ、生産に支障が出ている。
      • 結果として零戦も陸攻も消耗し、少数で送り出された攻撃隊は大きな損害を出していったのである。
  • 昭和18年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将がブーゲンビル島で戦死した「海軍甲事件」で、山本が搭乗中に撃墜された機体として有名であり、数々の戦争映画で山本最期のシーンに本機が登場した。
    山本が搭乗した一式陸攻の左翼は、新潟県長岡市の山本五十六記念館に展示されている。
  • また、昭和19年10月15日台湾沖航空戦で第二十六航空戦隊司令官・有馬正文少将*40が自ら搭乗して自爆突撃を敢行したのも本機である。
    • 有馬少将は「戦争は老人から死ぬべきだ」との持論があり、自ら実践して見せたのだが、その思いは通じることはなく、多くの若者が特攻に駆り出されることになる。
  • 戦争末期には特攻兵器「桜花」の母機としても使用された。
    • 「桜花」とは簡単に言えば人力操舵の巡航ミサイル、紛う事無き「アレ」である。詳しくは各自調べられたし。
      • 桜花を扱った作品としては、松本零士作の「音速雷撃隊」とそれを原作とした「ザ・コクピット」が有名。
    • 第七二一海軍航空隊、通称「神雷部隊」が桜花特攻部隊としては有名である。詳しくはコチラ
    • ちなみに、桜花唯一の撃沈戦果である駆逐艦マナート・L・エベールを撃沈した土肥三郎中尉の搭乗機を投下した、攻撃第七〇八飛行隊の一式陸攻(三浦北太郎少尉、後日の出撃で戦死)は追撃を振り切り無事生還している。
  • なお、一式陸攻は終戦作業の一環である緑十字飛行に従事した機体のひとつである。
    • 緑十字飛行とは、終戦直前から1945年10月に全航空機の飛行禁止が下命されるまで連合軍監視下で行われた飛行の総称である。用いられた機体は白く塗られ、緑色で十字が描かれたことからこの名がついた*41
    • とりわけ、一式陸攻と本機の輸送機型である一式陸上輸送機の2機は、終戦交渉のための交渉団を木更津海軍基地から沖縄の伊江島まで送り届けている。交渉団は伊江島から連合軍機でマニラに向かい、条件交渉のあとは再び伊江島から緑十字飛行を行うこととなった。しかし、一式陸攻は故障のため飛行できず、先行した一式陸上輸送機は燃料切れで静岡県磐田市の海岸に不時着。幸いに代表団は怪我もなく翌日東京に帰着、遅れてやってきた一式陸攻は無事に木更津に帰りついた。この飛行が行われた1945年8月19日が、大日本帝国海軍による最後の公式飛行とされている。
      • ちなみに木更津に帰り着いた一式陸攻は9月末に破壊。不時着した輸送機はしばらく海岸に放置されていたものの、はずせる部品をあらかた盗まれた後台風の大波に飲まれて姿を消した。
        ところが、2006年に尾翼が、2011年に燃料タンクが発見されちょっとした話題を呼んだ。
  • 最後に太平洋戦争時の昭和16年12月から1945年8月までにおける陸攻・陸爆全般の生産数と損失についてではあるが、九六式陸攻が356機、一式陸攻は2258機、銀河は1099機と合計3713機が生産された。そのうち陸攻の消耗機数については3505機。消耗の内訳は戦闘によるものが1261機、自然消耗機数が2244機と実際は炎に包まれて墜落した機体よりも損傷と修理を繰り返し使い古されて廃棄された機体が多いことが分かる。とはいえ、総消耗数は機体生産数の94%と高く、陸攻隊の戦いは航空消耗戦だったという事実が残る。*42
    • ちなみに直接比較はできないが、太平洋戦争開始後に生産が軌道に乗ったB-24の生産機数は1945年9月までに18,188機*43、戦闘消耗数は1945年8月までに3,626機*44で、戦闘による消耗は生産機の19%ほどである。陸攻・陸爆は34%が戦闘によって失われているので……これが多いのか、少ないのか。繰り返しになるが、運用者も集計者も違うデータなので*45直接比較しても雰囲気以上の意味はない。
『一式ライター』

『一式ライター』

  • 一式陸攻の開発の原点としては九六式陸攻が日中戦争において九六式陸攻が関係する。渡洋爆撃時に最新鋭の九六式陸攻が迎撃時に半数近くが喪失した為である。第一連合航空隊の戦闘詳報には被弾、炎上する悲痛な報告が満ちており、1937年の9月に行われた十二試陸攻の計画案審議の際、航空本部技術部長の杉山俊亮少将が「本陸攻試作の目的は九六式陸攻に欠陥ある故、この改良型をなるべく速やかに得るに在るということを申しておく。」と発言している。この結果、航空廠では九六式陸攻の燃料タンク外周に8mmほどのゴムで覆うのが効果的と結論付けた。が、重量が300kgほど増加する。そのため九六式陸攻には装備されず、十二試陸攻にて盛り込むことになった。*46
    • そして一式陸攻の要求には防弾を考慮することとあり、8mmの防弾ゴムを張り付けた防弾タンクも開発されたが、7.7mmしか耐えれないのに300kgもの重量があり装備されなかった。被弾すれば燃える機体であることはみなわかっていたのである。
      • 太平洋戦争が始まるとすぐに一式ライターの名が広まったようで、ガダルカナル島戦の頃は、アメリカ軍による日本軍向け宣伝放送で言われていたという証言もある。他にも数々の悪評があったようで、戦争末期になると入隊してきた新人ですら知っていて、教官はまず陸攻という機体を信頼させることだった。という話もある*47
  • このように搭乗員や開発者からの評価は低く、戦後長らく『よく燃える機体』、そこから果ては『一式陸攻は防弾が欠如していた』『燃料タンクに一発でも被弾すれば燃える』ということが事実のように語られ、人命軽視の象徴として語られることも多かった。確かに構造上被弾に強いとはとても言えないし、実際に甚大な損害を受けたのは事実ではあるものの、最近になっては実は一式陸攻は脆い機体ではなかった、と再検討する研究もされており、これまで流布されてきたイメージは幾分誇張されすぎているとも言われている。
    • 航空戦力が拮抗していた昭和18年の前半までだと、最も被害が大きいのは護衛機が居ない場合と海面すれすれの低空まで降下して敵に接近する雷撃時で、地上攻撃だと述べ265機中損失は25機であり、損失率は9.8%で雷撃時の悲惨なまでの損失とは様相が異なっている*48。1942年9月28日のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場への爆撃では、33機のF4Fに奇襲攻撃を受け全機被弾したものの25機中5機が被撃墜、3機が不時着したのみで残りは帰還しており、上記戦記本で描かれているような「一発で火だるま」「すぐ墜ちる」ような事にはなっていない*49
      • 米海兵隊のエース、ジョセフ・J・フォス大尉はフライトシム*50を監修した際、一式陸攻を十分な耐久力や防御火力を持つ機体とするように要請したという。その理由として彼は「一式陸攻は脆い機体ではなかった」と述べたそうである。*51
    • また戦記の中でも、書かれている内容と実際の損失記録と照らし合わせると、内容が大げさになっている事例もある。前述した1942年7月7日の四空の一式陸攻27機による爆撃が一例であり、「炎の翼」ではこの時そこかしこで被弾炎上する機体があったと記述されているが、実際に記録されている損失は27機中被撃墜4機、不時着失敗による損失2機で、同著で表現されているようなものではなかったようだ。
  • 一式陸攻のような双発の大型機が雷撃を仕掛ける場合、直掩機が迎撃しやすい低空を直線で進入せねばならず、損失が大きくなるのはどの国の機体でも一緒である。
    • ミッドウェー海戦では、同島飛行場から出撃した航空魚雷搭載の「B26」4機が南雲機動部隊を雷撃するが、護衛戦闘機無しの状態で突入したため、直掩の零戦約10機に襲われ2機撃墜、帰還した2機も損傷が激しく放棄されている。単発機ではあるが同時に出撃したTBFアベンジャー雷撃機は高い防御性能と高火力の迎撃火器を持ちながら、出撃した6機中3機が直掩機に、2機が対空砲火で撃墜され生還は1機のみだった。
      護衛戦闘機の援護を得にくい航空雷撃はどれだけ高性能な防御力をもっていても撃墜されやすいものであり、一式陸攻への評価はそのあたりも加味する必要があるだろう。
こぼれ話:翼端掩護機
  • 十二試陸上攻撃機の開発が完了して間もない昭和14年、陸攻の生産に先んじて生産された特殊な機体があった。それはG6M1『翼端掩護機』である。編隊の外側を飛行し強力な銃座で敵機を近寄らせず編隊を守る目的で生産された。
    • 一式陸攻の初期型との大きな違いは尾輪が引き込み式である点、爆撃照準器の廃止と胴体下部に銃塔を設け、前後に20mm機銃を1挺ずつ搭載、ほかには翼内の最外側にある燃料タンクを廃止し爆弾層内部の増槽を固定装備とした。
    • 30機ほど作ってみたのはいいが改修により通常の陸攻より重量が増加、速度と運動性が低下した為陸攻隊に追従できないと判定され、さらに長距離飛行可能な零戦を陸攻の護衛に充てた為配備される前に計画を撤回した。
      • 作ってしまった30機はG6M1-L一式大型陸上練習機11型として改修され、さらにその後練習機から輸送機として改修された。輸送機として制式採用名はG6M1-L2「一式陸上輸送機」である。
      • 一式陸輸は一式陸攻譲りの胴体の広さがあり、九六式陸輸では人員10名ほどしか乗せられなかったのに対しおよそ20人ほど乗せられた。30機しか生産されなかった本機ではあるものの、零式輸送機や二式輸送飛行艇といった他の輸送機と同じく重用され人員や貨物の輸送に従事した。
一式陸上攻撃機の今

一式陸上攻撃機の今

  • 一式陸攻は損失率が高く、また残った機体も戦後処理でほとんどが破壊。数機がアメリカに持ち帰られたとみられるものの、完全な形で残っている機体は今現在世界のどこにも存在しない。
    • しかし、胴体のみならば河口湖自動車博物館・飛行館*52にて二二型が復元保存されている。また米国カリフォルニア州のPlanes of Fame航空博物館*53に一一型の残骸が、メリーランド州のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設*54に三四型の機首部分が保存されている。
    • そのほか、南洋の島々には多くの残骸が木々や珊瑚に埋もれ眠っている。
    • アメリカの偵察衛星よりどこかの地上の楽園にはMig19等に交じって、衛星写真で一式陸攻、それ以外に零戦やF4U等が保有されていることが確認されている。稼働状態であるかは不明。
  • 妖精さんが持っているのは零戦にも搭載されてる九九式二〇粍機銃の旋回機銃版で、尾部銃座に搭載されていたもの。後に後上方、側面にも装備されたのは上で述べたとおり。
    • ちなみにこのイラスト、目立った突起の無いつるりとしたエンジンカウリングやブリスター銃座、胴体下面は無塗装仕上げになっているなど一型の特徴をよく捉えている。垂直尾翼は本来こんなに角ばってないけど。

この装備についてのコメント

  • エサ用のこれが3機ある。無印のドルニエ(1機目)☆MAXを改修更新するか、無印飛龍(2機目)☆6以降の改修に充てるか・・・どっちにすりゃええんや! -- 2022-02-04 (金) 22:13:34
    • 次イベの様子見てからでええやろ。3月になればクォータリー報酬で飛龍☆MAXにもできるし -- 2022-02-06 (日) 14:01:07
    • このタイミングだとイベントまで放置でいいが、基本的にはドルニエ更新安定。ドルニエは更新しないと改修した意味がないし更新先が強い、メリットしかない。飛龍は後半の改修効果が薄くてコスパ悪すぎるし、更新自体もすべきかどうか何とも言えない -- 2022-02-06 (日) 14:14:59
      • Do17はカス過ぎて持ってる意味ないもんな…。D0217になって初めて価値が出る -- 2022-02-06 (日) 14:51:25
      • 陸攻に自信ニキの皆さま、回答有難うございます。ひとまずドルニエ更新の方向で行こうと思います。 -- 2022-02-06 (日) 20:35:38
  • そういやクォータリーの改修更新で九六式の改修値引き継ぐんだろうか? -- 2022-02-21 (月) 21:46:56
    • 九六式陸攻の方のページに書いてあるが引き継がないそうで -- 2022-02-21 (月) 21:56:40
  • 表記がないようなんだけど 一式陸攻は7人乗りでB25は3人じゃないっけか ウェイトになるし育成に時間もコストも掛かる人間が多い時点で劣ってた…という見方もあるんじゃないの -- 2022-10-24 (月) 21:05:43
    • B25は3人乗りじゃないっすね -- 2022-10-24 (月) 23:36:12
    • それ飛ばして爆撃するだけで銃座とか誰も使わない前提じゃないか?<3人 -- 2022-10-24 (月) 23:42:11
    • パイロット→ワンオペ上等、機銃手→不要、エンジニア→無線手兼任、航法士→爆撃手兼任、これで行ける! -- 2022-10-25 (火) 00:25:15
    • ドーリットル空襲仕様のB-25Bかもだが、あれは銃座や爆撃照準器を取っ払ったカスタム機だからな。 -- 2023-03-24 (金) 16:51:52
  • 陸攻とか水上機のページを見れば見るほど凄くて強そうなんだけど 一方米軍は航空基地設営と護衛空母(と対空レーダーとカタパルトでの一線級運用)で対抗したわけで 陸攻も水上機も駆逐してる史実艦のガンビー(と対空レーダーと米カタパルト)って本当は凄いんじゃなかろうか…? -- 2022-12-27 (火) 23:49:25
  • 野中隊との関係で「音速雷撃隊」が目立ちがちだが、同じ”ザ・コクピット”の「スタンレーの魔女」もぜひ注目してほしい。ヘビーかつ深みある傑作でありまっす! -- かぼちゃ大王? 2023-02-02 (木) 15:14:42
  • こやつの積んだアレで唯一撃沈された駆逐艦、マナート・L・エベールが発見されたってヤフーにあったから見つかったって事で実装されるんかいなと思ったが、マナート・L・エベールってフレッチャー級の次のアレン・M・サムナー級じゃあ無理っぽいぽいぽい・・・フレッチャー級が全部実装されたら来る・・・訳ないか、それどんだけかかるんだよってツッコむわな。 -- 2023-06-08 (木) 18:13:16
  • 陸攻の数が揃ってきたから配置コストケチる意味でも熟練機や飛龍・銀河といった一線級はイベ用に置いといて、あぶれた一式陸攻を通常海域で置きっぱなしにしようかなって思ったんだよね。でもいざ運用してみると飛龍や銀河に比べると一式陸攻って当たらないし、刺さり方も浅い。こう考えると高性能機は高性能機らしい威力出てたんだな -- 2023-06-23 (金) 22:13:36
    • 一線級は火力150なのに対して、一式陸攻は117だからねー。ステータスやその他による命中補正もないし。戦艦と重巡それぞれの単発攻撃の戦果を比較するくらいは違うイメージ -- 2023-06-24 (土) 05:46:55
    • 以前から通常海域は一式陸攻置きっぱなしでやってるけど、B-25の反跳爆撃が設定されてから刺さりが悪くなったように感じてる。それまでは6-5ボスマス集中で第二全滅も普通にあったのにここ一年は同じ構成で誰も落ちないのも珍しくなくなってる。 -- 2023-07-21 (金) 04:00:01
  • 野中隊に★つけようとしたら、この機体が足りなくて96陸攻から造るはめになった。使うかどうかさておき、予備の機体を常に押さえておいた方が良いかなあ。次のイベント海域が欧州なら、Do217にも出番あるだろうし、ネジと機体どっちも集めないと。鳳翔さ~ん、またお願いします -- 2023-07-21 (金) 18:43:23
  • しーちゃん的には「一式陸攻+桜花」とかは実装するつもりはないだろうけども、一方で仮に実装するならしーちゃんがどういう料理の仕方をするだろうかってのは気になるな -- 2023-10-09 (月) 19:34:22
    • 噴式一式陸攻二式大艇母体後期出力装甲強化型+桜花無線誘導後続延長型後期改二(神雷部隊熟練)+KMX+和製Xバンドレーダー+和製対潜魚雷+照明弾夜戦型+翼端増槽 …もうこれわかんねえな -- 2023-11-26 (日) 13:38:36
  • 銀河の後半改修で要求されるようだ。幸いうちは一式のほうが数多いとはいえ、最優先は未所持のDo217への更新で3コ消費だろうか。 -- 2023-11-28 (火) 23:19:13
  • 陸攻の改修が追加されるたびに餌としてコイツ要求されてんな・・・徹甲弾代わりに毎日叩く日が来るかもしれん -- 2023-11-29 (水) 00:40:25
  • 野中と銀河、これを使用する改修として優先順位高いのはどっちだろうか・・・? -- 2023-11-29 (水) 00:54:38
    • 対空小鬼「好きな方でおk」 -- 2023-11-29 (水) 03:37:30
    • 一機目なら野中 特効で一式野中が指定されるケースかなり多かったから 通常の銀河じゃ期待出来ない あと銀河を複数☆6にする 沢山持ってる人は念の為、無改修の銀河を確保しておく(素材になるかも) あとは2機目の野中改修か銀河 -- 2023-11-29 (水) 05:32:45
    • どっちも★6で止めてるワイ、低みの見物。 -- 2023-12-07 (木) 15:32:05
    • 在庫に余裕がないなら当面保留が良いとは思う。銀河江草の実装が予告されている以上、銀河江草の作成餌として銀河熟練が必要とか十分有り得るし。今後のクリスマスや年末年始、節分の陸攻の補充状況見ながら、イベント開始予告がでるくらいまで待つのが安全かと。 -- 2023-12-07 (木) 17:24:22
  • 作れないことはないが、三ヶ月に1機もらえることもあって、絶妙に億劫になる重さだ -- 2024-02-04 (日) 07:33:44
  • クォータリーで確保していた在庫が尽きつつあって改修が進まんね、一応急の対応に4機は残しておきたいし銀河二部隊と野中二部隊関税回収済みなら当座はいけるだろ -- 2024-03-01 (金) 23:11:47
  • クォータリー任務実装から毎回任務消化。過去の任務意外の入手分含めて今回で遂に36個目、4ページ分埋まった。無論途中で任務消化のため減った事もあったが、そろそろドルニエ以外で少しずつ使いたいなと思いつつも他の装備を優先しがち。まだまだ一式陸攻はためていきます。 -- 2024-03-07 (木) 15:37:08

*1 新型航空兵装資材が2個、熟練搭乗員が2個必要
*2 10+0.7×√10
*3 2+0.5×√10
*4 18機、対水上艦、クリティカル・触接無し
*5 1スロ当たり
*6 18機、対水上艦、クリティカル・触接無し
*7 東海系は同条件での対潜攻撃力
*8 1スロ当たり
*9 駆逐艦・軽巡・重巡・軽空母相手には167.4(雷装16.24相当)。
*10 駆逐艦・軽巡・雷巡・重巡相手には194.4(雷装19.5相当)。
*11 駆逐艦・軽巡・雷巡相手には176.4(雷装17.25相当)。
*12 戦艦相手には225? 基本攻撃力に1.35倍して切捨て(基本攻撃力125)と仮定
*13 駆逐艦相手には153(雷装14.3相当)。
*14 実際の威力は129.6~196.2(雷装11.5~19.6相当)。標的によって異なる
*15 駆逐艦・PT相手には239.4 雷装25相当
*16 大型陸上機は9機
*17 米艦隊が太平洋をやってくる間に潜水艦・航空機で戦力を低下させ、戦力的に互角となった状態で艦隊決戦を挑むというもの。ちなみに「ぜんげんようげきさくせん」と読む。
*18 翼内部を水密構造にして燃料タンクとする方法。
*19 DC-4Eのこと。戦後日本航空などでも運用されたDC-4……とはまったくの別物。DC-4はDC-4Eの失敗を踏まえて新たに設計されたものである。
*20 『帝国海軍一式陸攻 P167』より引用
*21 当時生産されていたのはエンジンを火星一五型に変更したものでいわゆる仮称一三型。用兵上は一一型と区別されなかった
*22 戦闘前に把手を引っ張ると二酸化炭素ガスが燃料タンク付近やエンジンの機密区間に放出され、被弾時の火災発生リスクを抑える装置。
*23 エンジンや燃料タンクの火災を電気的を検知し、二酸化炭素を瞬時に噴射し消火する装置。構造的には二式飛行艇や零戦、紫電改や雷電に装備されたものと同じ
*24 『帝国海軍一式陸攻 P143、P160~P163』より引用
*25 『帝国海軍一式陸攻 P78、P79、P87』より引用
*26 『CANNON OR MACHINE GUN?The Second World War Aircraft Gun Controversy』より抜粋
*27 前後長さに対する厚みの割合。大きいほど分厚い。
*28 戦局の悪化に伴い航続距離よりも防弾装備や消火システムを重視しなければいけなくなった。それまでは航続距離と速力が最重要であり、そのために他を削らざるを得なかったのは先に述べた通り。
*29 当時はドイツはナチスによる再軍備宣言以前の所謂ヴェルサイユ体制であり、こうした技術を開発するには「建前」が必要であった。
*30 中島飛行機がダグラスDC-3のライセンス生産をしていたからであるが、純国産機に限って言えば大戦中に活躍した中島の大型機は一〇〇式重爆『呑龍』ぐらいであり、その呑竜にしてもなんやかや不満があって陸軍は早々に後継機を三菱に発注している。
*31 以上『一式陸攻戦史 第12章』『海軍零戦隊撃墜戦記2』より引用
*32 内訳は四空3機と三沢空2機。さらにこれとは別に三沢空の陸攻1機が不時着大破し、搭乗員は救出される
*33 日本海軍ではこれより以前に同様の被害から飛行艇による雷撃を中止している
*34 同じく8月7日において、陸攻隊の第一次攻撃隊の他に第二次攻撃隊として二空の艦爆9機が不時着水覚悟で出撃し、4機の被撃墜と5機の不時着水により全機損失と言う結果を出している。ただし搭乗員救助の為に予め不時着水地点として決められていたショートランド南東に味方駆逐艦が派遣されており、不時着水した艦爆隊員6名を救助し、搭乗員により連合軍艦隊の詳細が報告された。第二次攻撃隊の戦果は駆逐艦マグフォードが大破に追い込み、さらに第一次、第二次攻撃隊の搭乗員の目視により連合軍艦隊の詳細な情報を掴めたので翌日の8月8日に航空雷撃を行い、第一次ソロモン海戦で勝利に貢献した。
*35 『一式陸攻戦史 第9章』より
*36 アメリカ海軍のクリーブランド級軽巡洋艦。艦番号はCL-62。イギリス海軍でも同様の名前の軽巡があり混同に注意。
*37 『一式陸攻戦史 第十章』
*38 梅本弘 ガ島航空戦のデータ
*39 ガダルカナルの戦い―アメリカ側から見た太平洋戦争の天王山
*40 かつては翔鶴艦長として南太平洋海戦などを戦っている
*41 ちなみにこの塗装は連合軍側からの指定で、誤って撃墜してしまうのを防ぐための処置であった。
*42 『帝国海軍 一式陸攻 P95』
*43 "Bombers 1939-45、Patrol and Transport Aircraft"
*44 『「Air Force Fifty」Air Force Association Turner Pub Co P.10』
*45 損失割合の差が機体設計なのか運用なのか戦局なのか、あるいは集計基準が違うかもしれない。
*46 『一式陸攻戦史 第一章』より
*47 「望郷の戦記―奇蹟の一式陸攻」「炎の翼」「進路0、日本列島ヨーソロ」「ヨーイ、テーッ!―海軍中攻隊、かく戦えり」等。 悪名にはバリエーションがありその中に一撃ライターもあった。
*48 米海兵隊戦闘機隊パイロットの証言でも、一式陸攻の高高度性能と防御火力の高さを苦々しく回想しているものが多い
*49 『帝国海軍一式陸攻 P169~P170』
*50 MS Combat Flight Simulator 2とされる。
*51 『帝国海軍一式陸攻 P172』
*52 ここには他に零戦や九三式中間練習機(所謂赤とんぼ)などの機体、栄や熱田などの発動機が保存・展示されている。一式陸攻も含めいくつかの機体はほとんど新造レベルの復元を、また栄発動機を起動可能までレストアするなど変態もといかなり高い技術を持っている模様。なお一般公開は毎年8月のみなので要注意。
*53 第二次大戦で活躍した日米の機やホームビルドのヘンテコ機などが展示されている模様。零戦や雷電が展示されているほか、九九艦爆二二型のフルレストアが進行中。
*54 スミソニアン国立航空宇宙博物館の付随施設。博物館に収まりきらない品を保管、復元、維持するための施設で、日本軍の機も多く収蔵されている(模様)。ちなみに震電はここにいる。