No.205 | ||||
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![]() | F6F-3 | 艦上戦闘機 | ||
装備ステータス | ||||
火力 | +1 | 雷装 | ||
爆装 | 対空 | +8 | ||
対潜 | 索敵 | +1 | ||
命中 | +1 | 回避 | +2 | |
戦闘行動半径 | 5 | |||
装備可能艦種 | ||||
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 | |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 | |
備考 | ||||
開発不可、改修可 Intrepidの初期装備 2016年「11月作戦」作戦報酬 任務「精強「任務部隊」を編成せよ!」選択報酬 任務「精強大型航空母艦、抜錨!」選択報酬 | ||||
改修更新 | ||||
F4F-3 → F4F-4 → F6F-3 → F6F-5 | ||||
大戦初期の太平洋上で零戦としのぎを削った米海軍艦上戦闘機F4Fシリーズの後継機、F6Fシリーズの初期量産型です。 大出力エンジンを装備した強力な主力艦上戦闘機として、零戦を徐々に圧倒していきました。 |
ゲームにおいて 
- 2016年12月28日に実装。2017年01月10日アップデートでF4F-4からの更新で入手可能に。
- 更新可能になるのと同時に改修可能になったが、零戦の次世代に相当する機体のためか改修コストは★+1から改修資材x4と零式艦戦52型(熟練)より重い。
- 2017年9月12日には任務の選択報酬としても入手可能になった。
- 任務「精強「任務部隊」を編成せよ!」ではF4U-1Dとの2択。コルセア(F4U-1D)は唯一の、こちらも数少ない入手手段だった為、後のIntrepid実装まで、提督諸兄を大いに悩ませていた。
- 任務「精強大型航空母艦、抜錨!」では熟練搭乗員x1、新型航空兵装資材x1との3択となる。
- 関連任務を全て消化するためにはF6F-3が二機(一機はF6F-5に更新してから任務で使用。戦果ランキング報酬でF6F-5を入手している場合はF6F-3・F6F-5を各一機で良い)必要である。
- 事前に何らかの形でF6F-3を入手していない場合、いずれかの任務報酬が最初の一機になると思われる。限定品を選択し任務に必要になるF6F-3は改修にて入手することで確保は可能。
- F4F-4との性能差は対空+3、戦闘行動半径+1で完全上位互換。
- 性能的には、改修可能な零式艦戦21型(熟練)や零式艦戦32型(熟練)と同クラス。
- 零式艦戦21型(熟練)に比べ火力+1、命中-1、戦闘行動半径-2。
- 零式艦戦32型(熟練)に比べ火力+1、索敵+1、回避-2。
- 2017年6月29日には後継機種のF6F-5が実装、同年9月12日には更新可能になった。
- ちなみに★maxから更新しても対空性能が下がらない珍しい装備である。
- 2017年8月29日には夜間戦闘機型のF6F-3Nが実装。
こちらは、任務「夜戦型艦上戦闘機の開発」で、練度&改修maxのF6F-3が必要になる。- やっと改修MAXを達成してそのまま改修工廠に向かい、あとから練度MAXにし忘れていたことに気づいて泣きを見た、なんてことがないように。
性能比較表(装備最大値/艦戦上位早見表/テーブルより転送) 
装備名 | 対空 | 対潜 | 索敵 | 命中 | 回避 | 火力 | 装甲 | 半径 | 入手方法 | 改修 | 備考 | 追加 |
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震電改 | 15 | 2 | イベント | - | 編集 | |||||||
烈風改二 | 13 | 2 | 1 | 1 | 5 | イベント | - | 一航戦に装備ボーナス | 編集 | |||
烈風改二戊型(一航戦/熟練) | 12 | 1 | 3 | 2 | 6 | イベント | - | 夜戦、一航戦に装備ボーナス | 編集 | |||
烈風改二戊型 | 11 | 1 | 2 | 2 | 5 | イベント | - | 夜戦、一航戦に装備ボーナス | 編集 | |||
烈風 一一型 | 12 | 5 | 任務、イベント、ランキング | - | 編集 | |||||||
烈風(六〇一空) | 11 | 1 | 2 | 5 | 任務、イベント、ランキング | △ | 編集 | |||||
烈風改(試製艦載型) | 10 | 2 | 3 | 1 | 1 | 4 | イベント | - | 一航戦に装備ボーナス | 編集 | ||
試製烈風 後期型 | 10 | 5 | 開発、初期装備 | - | 編集 | |||||||
紫電改四 | 10 | 1 | 3 | 1 | 4 | イベント、ランキング | △ | 編集 | ||||
紫電改二 | 9 | 3 | 3 | 開発、任務 | - | 編集 | ||||||
零式艦戦53型(岩本隊) | 12 | 3 | 2 | 4 | 6 | 任務 | ◯ | 編集 | ||||
零戦52型丙(付岩井小隊) | 10 | 1 | 1 | 2 | 6 | 任務 | ◯ | 編集 | ||||
零戦52型丙(六〇一空) | 9 | 1 | 1 | 6 | 初期装備、任務、ランキング | ◯ | 編集 | |||||
零式艦戦52型(熟練) | 9 | 1 | 1 | 2 | 6 | 任務 | ◯ | 編集 | ||||
零式艦戦32型(熟練) | 8 | 1 | 4 | 5 | 改修 | ◯ | 編集 | |||||
零戦21型(付岩本小隊) | 9 | 1 | 1 | 3 | 7 | 任務 | △ | 編集 | ||||
零式艦戦21型(熟練) | 8 | 1 | 2 | 2 | 7 | 初期装備、任務 | ◯ | 編集 | ||||
Fw190 A-5改(熟練) | 11 | 1 | 3 | 2 | 4 | イベント | - | 編集 | ||||
Fw190T改 | 10 | 2 | 2 | 3 | 初期装備、イベント | - | 編集 | |||||
Bf109T改 | 8 | 4 | 1 | 2 | 初期装備、イベント | - | 編集 | |||||
Re.2005 改 | 11 | 3 | 1 | 3 | イベント、改修 | - | Aquila、Graf Zeppelinに装備ボーナス | 編集 | ||||
Re.2001 OR改 | 6 | 2 | 3 | 4 | 初期装備、ランキング | ◯ | Aquilaに装備ボーナス | 編集 | ||||
XF5U | 12 | 1 | 2 | 4 | イベント、ランキング | - | Intrepid、Saratoga、Gambier Bay、Hornet、加賀に装備ボーナス | 編集 | ||||
F6F-5N | 10 | 5 | 3 | 3 | 3 | 5 | 任務、ランキング | - | 夜戦 | 編集 | ||
F6F-5 | 10 | 1 | 1 | 3 | 1 | 5 | 改修、ランキング | ◯ | 編集 | |||
F6F-3N | 8 | 4 | 2 | 2 | 3 | 5 | 任務、ランキング | - | 夜戦 | 編集 | ||
F6F-3 | 8 | 1 | 1 | 2 | 1 | 5 | 初期装備、改修、任務、ランキング | ◯ | 編集 | |||
Seafire Mk.III改 | 9 | 1 | 2 | 1 | 1 | 4 | イベント | - | 編集 |
小ネタ 
- 元ネタは、アメリカ海軍の艦上戦闘機F6F「ヘルキャット*1」の最初の量産型、F6F-3と思われる。
F4Fの後継で、2000馬力級エンジンの大出力と手堅い設計により、信頼性の高い機体として活躍した米海軍の艦上戦闘機。なんかM4中戦車の「M4無印からA6あれで1シリーズ」って気分だと、この子はただのF4Fの一種に見えてこわい。開発史
- F6F開発の歴史は1938年2月1日*2にアメリカ海軍が提示した新型戦闘機コンテストから始まる。
この時グラマン社が海軍に提示したのがXF5Fスカイロケットであり、勝者はチャンス・ヴォート社のXF4Uとなった。 - また、ほぼ同時にグラマン社でF4FにR-2600を搭載した拡大強化版として社内名称G-33、G-33Aが検討され、機体を刷新する必要が認識されたことでG-35、そしてG-50という形で新戦闘機が検討されている。
これがF6Fの直接の母体となった。 - XF4Uは数々の新技術を投入した、あまりにも革新的な機体であったため、実用化に時間がかかることが予想された。
海軍は保険として、グラマン社にG-50の開発推進を1940年12月に内示したが、当初グラマン社はF4Uの保険という海軍の考えと、所詮F4Fの改良にすぎず重量増加や再設計の限界によりF4Uに劣るものにしかならないだろうということもあり乗り気ではなかった。
だが出来る限り早く新型戦闘機がほしいという海軍の要望にグラマン社も同意し、XF6F-1の開発が始まったのは1941年6月のこと。
試作機としてXF6F-1からXF6F-3*3を経て、1942年末にはF6F-3として完成。
艦これに登場するのはこの最初の量産モデルという事になる。
- F6F開発の歴史は1938年2月1日*2にアメリカ海軍が提示した新型戦闘機コンテストから始まる。
- 先代のF4Fから主翼の位置が変更されている。
胴体のど真ん中からやや下にずらしたことで下方視界、安定性、運動性や量産性が向上した。
着陸脚は主翼に収納するオーソドックスな仕様に改め、着陸脚の格納/展開は手動から油圧式に変更された。- 主翼はF4F-4と同じく付け根の部分から鳥が羽を畳むときのような格好で大胆に畳むことが可能で
、この機構のおかげで大きな機体であるにも関わらず航空母艦に大量に搭載
することを可能とした。
- 大胆な主翼畳み機構を採用し、また中央翼内に燃料タンクを広く確保するため主桁の位置をかなり前方に取った。
そのためTBF/TBMのように主桁前方に外方引き込みをするスペースはとれなかった。内方引き込みをするには太い胴体が邪魔な上、燃料タンクスペースも確保できなくなる。
脚は主桁と後桁の間に後方引き込みをすることになった。前後桁間のスペースが広く、翼構造を強固なまま荷重を主桁に伝達出来たのはF4Uよりも有利な点である*4。
引き込みながらベベルギアで90度捻って車輪が後方を向くようにする仕組みは他にカーチスP-40等で採用されており、それほど難しいものではない。*5 - 胴体格納式のF4Fと比べれば車輪のトレッドは広がり、着艦時の安定性も良くなった。
- 主翼はF4F-4と同じく付け根の部分から鳥が羽を畳むときのような格好で大胆に畳むことが可能で
- 太い胴体は避けたかったところだが、艦上機として必要な視界を確保するためにと、前後位置で言えば主翼の上、エンジンよりもさらに高い位置にコックピットを置くことで良好な視界を得ている。
低く主翼後縁より後ろにコックピットがあったF4Uとは視界で段違いであることがわかるだろう。- なお、コックピットの真下は防漏式の機内増槽が収まっている。
- 武装はF4F-4と同じく12.7mmブローニングM2を6挺搭載。強力なエンジン馬力の余裕から爆弾・ロケット弾の搭載容量も大きく*6、戦闘爆撃機としても運用された。
- 最高速度は高度により変化するが高度7100mで612km/h。急降下制限速度はF6F-3が768km/h、F6F-5は初期型796km/h、機体番号71098以降は815km/hと零戦52型甲より20~70km/hほど優速。
ちなみにF8Fは787km/h、紫電改は789km/h、試製烈風は770km/h*7。 - 航続能力も巡航1800km、機内増槽も追加すると機体のバランスが悪くなるも2400km、外着の増槽も足すとで2900kmとF4Fの1337kmより大幅に向上している。
- F4Fより航続距離が増えたのは、機体タンク合計900lに加えて600lもの大容量増槽による「遠くまで飛ぶなら燃料を増やせばいい」という力技による解決法であった。
零戦五二型は機体が570lに増槽が300lとF6F-3のほぼ半分しかない。ただし零戦五二型は燃費が良好な上に軽量なので航続距離は正規巡航1920km、増槽付の過荷重巡航3360kmとF6Fを上回っている。
- F4Fより航続距離が増えたのは、機体タンク合計900lに加えて600lもの大容量増槽による「遠くまで飛ぶなら燃料を増やせばいい」という力技による解決法であった。
- 運動性は重量もあり、400km/h辺りの速度域では軽快とは言えないがF6F-5と鹵獲した零戦52型を比べた米軍レポートによると
、370km/h以上での操縦性でアドバンテージを持つと書いてある。しかし、レポート原文では格闘戦や運動性で勝るとは書かれていないうえ、むしろレポート5ページ目では太字強調したうえで零戦52型との格闘戦は控えろと書いてある。はたして真実はどっちだ。*8
また、高速域でなら旋回率を活かして零戦に対抗できる運動性を発揮でき、零戦に乗っていたエースパイロットも、口を揃えてF6Fの運動性能を褒めている。- 低~中高度では軽量な零戦に対し比べるまでもなく不利だが、6000m以上の高高度では二段過給機を搭載するF6Fは馬力の減少が少なく、零戦に対して優位に立ち回れるポテンシャルを持っている。
- また、大馬力エンジンにより速度が出やすいことを利用して零戦より速度優位の状態で格闘戦を行うこともあった。
- 昭和19年2月17日、トラック環礁の夏島上空でのF6Fと零戦の1VS1の格闘戦という、珍しいものを最後の204空司令柴田武雄少佐が目撃している。
- 低~中高度では軽量な零戦に対し比べるまでもなく不利だが、6000m以上の高高度では二段過給機を搭載するF6Fは馬力の減少が少なく、零戦に対して優位に立ち回れるポテンシャルを持っている。
- F6Fは小高登貫飛長の零戦に対し上方からハイサイドアタックをかけた。
アメリカ海軍航空隊の射撃術ハイサイドアタックとは
- まず目標より500mほど上、1000mほど左右どちらかに離れて並行に飛ぶ。1000mほど前方に出たところで切り替えして突進、300mほどで射撃を開始する。この時、決して敵機の後ろにつくわけではなく前方を敵機が横切る形になる。そして見越し射撃で目標の前方に射撃し、そのまま下方を反対側にすり抜け、速度を生かして敵機を振り切って急上昇、再び攻撃をかける。ちなみに海軍ではF4Fを装備していたころからこの空戦機動を行っており、空戦訓練もハイサイドアタックとオーバーヘッドアタックを中心に訓練したという。
- この時、零戦は下方を反対側にすり抜けてゆくF6Fの後上方についたが、降下しながら速度を出しているF6Fは零戦の射程距離に入る前に振り切って上昇しまた攻撃をかけた。これを何度か繰り返した後、F6Fは諦めて去っていった。F6Fは一度も零戦の後ろを取ることはなく、逆に零戦は何度もF6Fの後ろを取った。これを地上で見ていた柴田少佐はスポーツならば零戦の判定勝ちとしていたが、零戦側も米軍艦載機迎撃の際、第一回目の迎撃、第二回目の迎撃合わせて27発被弾していた。そのうちの一発は小高飛長の頭部から50cmほどの位置に被弾していた。ちなみに小高登貫飛長はこの日、2機のF6Fを撃墜戦果を挙げていた。
- また、小八重幸太郎上飛曹も1943年12月27日にF6Fと1on1の空戦を行い、双方共に様々なマニューバを取り対抗するも、弾を撃ち尽くしたので最終的に決着が付かず、お互い顔を視認したあと立ち去った。
- 2000馬力級、翼面積31平方メートルという数字はほぼ烈風と同等。
比較して1トンほど重いが零戦、F4Fの次世代の戦闘機をアメリカは大戦に間に合わせ、日本は全く出遅れたということもできるだろう。- ただし烈風はF4U同様かなり冒険的な設計をしているのに対し、F6Fは持てる技術を無難に注ぎ込んだ機体であり、その設計思想は大きく異なる。
烈風とはあくまでサイズが同じくらいの同世代機というだけで、中身は全くの別物と考えた方がいいだろう。 - 上記のようにF6Fは本来F4U-1の保険として堅実に設計されたという一面があったが、F4U-1コルセアは空母運用不適格という問題が初期に発生したため、F4Uに代わって空母機動部隊を支えたF6Fの存在意義は大きい。
- ただし烈風はF4U同様かなり冒険的な設計をしているのに対し、F6Fは持てる技術を無難に注ぎ込んだ機体であり、その設計思想は大きく異なる。
- 欠点としては巨体と6トンもある重量。
急降下時はともかく、運動面では格闘戦で陥りやすい低速域の縦旋回、横旋回が苦手で軽量な零戦に遅れを取った。
また、着艦速度が速く、失速限界速度付近では舵が利き難いので着艦が難しかったとされているがそれより着艦不適とされたF4Uとは一体*9- これはかなりまずい欠点である。
機体が大きいので護衛空母*10では発艦や搭載数の問題にも直面した。F6Fは機体が重いので滑走距離が戦闘機としては長く、発艦の際はカタパルトの使用が前提だった護衛空母もあった。飛行甲板が小さくて足も遅く、カタパルトも一基しかない護衛空母*11でも、敵を攻撃する為TBFなどの重量のある攻撃機も発艦させることもあるので、実戦では連続発艦にも影響を与えることもあった。F6Fは強力だがこちらもカタパルトを使わないと運用が難しい*12ので、カタパルトが無くても発艦できるFM-2を主力戦闘機として配備した*13飛行隊もあった。
機体が空虚重量で4t以上、装備な燃料も搭載して5t半もあるので当然人力で飛行甲板の待機位置まで運べるシロモノではない。しかし、いつも機体を自走させたり牽引車を使えるわけでもなく、一機につき30人以上の屈強な男が力いっぱい振り絞って移動させる場合もあった。
- これはかなりまずい欠点である。
- さらに機体重量は自慢の2000馬力のパワーを殺し、加速や上昇に悪影響を及ぼしている*14。
実際にF6F-5は、低空での加速や上昇において機体の軽い零戦52型や一式戦闘機、紫電改や四式戦に劣っており追いつかれたり、逃げられたりすることもあった。特に紫電改や四式戦に対しては、スペック上では高度6000mでもさらに劣勢だった。 - 低速での旋回が苦手ということは格闘戦で下手すれば相手に主導権を譲りわたす可能性もあったため格闘戦を控えるようにマニュアルで指示したほどである。特に400km/h以下では零戦との格闘戦を禁止にしたほどである。*15。
- 実際設計に無駄が多かったらしく、F8Fではかなりコンパクトに軽量化され更に量産性も向上している。
- もうひとつは2000馬力級にして見ると最高速度が612km/hと低い点か。作戦によっては固定増槽を装着することもあり、その場合は600km/hを下回るほど速度が低下している。*16。
- F6Fの生産が始まった時、グラマン社はF4Fの受注残があり、TBFアベンジャーの大量発注も来ていた。そのため工場の新設が必要であったが、戦時中であり鉄鋼が政府割当制で入手に時間がかかった。そこで廃線となったニューヨーク高架鉄道やワールドフェア・バビリオンの廃材を買い入れて工場の建設資材にあてた。この時、グラマンは買い入れた鉄で飛行機を作ってるというジョークが流れた。重くて頑丈なグラマンの飛行機のイメージにもあっており、後に「グラマン鉄工所」というあだ名がついた。
- ただし、これはグラマン社が設立当初から、堅実な設計で頑丈な艦載機を作り続けて来た証でもある。特にチャンス・ヴォート社がF4Uで先進的な設計を取り入れたが故障や運用難に悩まされていた反面、凡庸な性能だが運用も整備もしやすく、着艦時に機体が真っ二つに折れてもパイロットが怪我ひとつなく脱出できたという記録映像も残されているF6Fへの信頼は非常に大きなものであった。*17
- ちなみにこの「鉄工所(Ironworks)」の尊称は、他にリパブリック・アビエーション社にも冠されている。こちらもまた重くて大きくてむやみに頑丈な軍用機を作り続けたメーカー。高射砲でハチの巣になってるのに平気で飛んで帰ってきたP-47、翼にSAMを喰らったが不発だったのでそのままぶっ刺し状態で飛んで帰ってきたF-105と、無茶な逸話が記録に残る。で、この会社は後にあのフェアチャイルド社に吸収されるのである…。
- 初めて配属されたのは、1942年末に就役したばかりの新鋭空母エセックス。訓練の後、翌年夏には初めてエセックスとヨークタウン*18から実戦出撃を行っている。
エセックス級空母とF6F戦闘機はどちらも戦争後半期を象徴する米海軍兵器だが、実はほぼ同時期の生まれで縁の深い両者でもある。
ゲームでエセックス級が実装された暁にはF6F-3を持参するのであろうか。→ 持参しました。
- 実戦では1943年より投入され、当時日本陸軍海軍と死闘を繰り広げている。
決して楽な戦いではなく、しばしば格闘戦に誘われて少なくない損害を受け、劣勢になることもあったが、徐々に戦力差、搭乗員の練度差、燃料、資源の差、F6Fの持つ性能を活かして最終的にはアメリカを勝利に導くにあたって大きな貢献を見せた。- ただし当時主戦場となったソロモン諸島の空戦に参加した部隊の報告書や元パイロットの手記ではP-38やF4Uを脅威とする証言はあっても、F6Fに対する印象は薄く、あまり詳細を語られる証言・報告は少ない。
というのもソロモン諸島で米航空戦力の中心を担っていたのは陸上基地から出撃したP-38やF4Uが多く、F6Fは空母への配備が中心で、参加機数自体まだ少なかったからである。F6Fが恐れられるようになるには米空母が襲い掛かるマリアナ沖海戦後になるまで待つ必要がある。 - ちなみに太平洋戦争では1943年~1945年の2年間の間にF6Fは5163機*19の日本軍機を撃墜し、米軍のNaval Aviation Combat Statistics World War II
よりすべての喪失を合計すると2461機。その内訳は空戦での喪失(Own Losses on Action Sorties to Enemy AC)は270機、対空砲火での喪失(Own Losses on Action Sorties to Enemy AA)が553機、戦闘中にその他理由による喪失(Own Losses on Action Sorties Operational)340機、戦闘以外での喪失(Own Losses on Other Flights)885機、陸上/艦上での喪失(Own Losses on Ship or Ground)は413機とアメリカは集計している。
- アメリカの被撃墜認定において、例えば被弾が原因で操縦不能になり墜落し、搭乗員が死傷しても戦闘空域以外で墜落したら被撃墜ではなく戦闘時以外の喪失と判定されることがある。その他に搭乗員が機上戦傷死しても機体が不時着すれば被撃墜数にカウントされなかったり、修理不能で廃棄されても戦闘喪失にカウントしなかったりするので実はこの戦闘以外の喪失の中には、直接的とは言わずとも戦闘が原因の喪失も含まれている。また、「あの墜落した味方機は何によって墜落したか」なんて基本的に戦闘中に目視確認か、被弾墜落した本人の報告なのでどうしても不正確になってしまうので、空戦など戦闘による喪失判定が非常に曖昧であり、公式と銘打っていても確実に信頼できるソースではないのであくまで目安程度で見ていただきたい。*20
- 日本側に於いても、グラマン戦闘機らしい頑強さに加えて、アメリカ機にしては比較的よく曲がって旋回にも食らいついてくるため、それまでのグラマンと違い手強い機体として警戒された。
- ただし当時主戦場となったソロモン諸島の空戦に参加した部隊の報告書や元パイロットの手記ではP-38やF4Uを脅威とする証言はあっても、F6Fに対する印象は薄く、あまり詳細を語られる証言・報告は少ない。
- F6Fの派生型は多いため、F6F-3の派生型に絞って記述する。
- F6F-3E
夜間戦闘機型。右主翼下にAN/APS-4レーダー搭載。18機改装。1944年実戦投入。
1944年7月4日に父島上空にて二式水戦9機相手に2機で一方的に7機を撃墜したのはこの機体。 - F6F-3N
夜間戦闘機型。右主翼下にAN/APS-6レーダー搭載。229機改装。 - F6F-3P
武装偵察機型。 - XF6F-4(F6F-4)
XF6F-2同様、ターボチャージャー付きのエンジンであるR-2800-27(2,100馬力)を搭載し高高度性能を強化した試作機。F6F-3から1機だけ改造されたものの没になった。
空母運用する事を考えてか、高高度性能よりも速度性能を米海軍が重要視した為と言われる。 - Hellcat FR.Mk1
英国海軍への輸出仕様でF6F-3相当。F4F系列と同じく相当数が供与された。当初は「ガネット(カツオドリ)」と呼ばれていたが、すぐにヘルキャットに統一されている。
自国製シーファイアと共に運用された。シーファイアと比べて運動性では劣るものの着艦が容易で、当時のドイツ戦闘機主力のBf109Gに対しても互角に戦えると好評だった。
しかし、イラストリアス級の後期型は格納庫天井が低く、巨大な本機をそのまま運用するのは困難だったそうな。
- F6F-3E
- 2018年7月24日にデアゴスティーニ・ジャパンから発売された『第二次世界大戦傑作機コレクション』65号が、F6Fの三色塗装時代をモデル化している。*21
- この青2色と灰色を使った「トライカラー・スキーム」は、南太平洋での作戦環境に合わせた塗装とされているのだが、F6F-3がこの塗装だったのは、1943年9月の実戦投入からわずか4か月間ほどで、1944年3月には「グロス・シーブルー」一色への塗装替えが始まった。「トライカラー・スキーム」は日本軍機の格闘戦への対策として、現在で言う「ロー・ビジビリティ」(低視認性)を目指したものだったが、F6F部隊が空戦技術を確立して戦果が上がるようになったため、塗装にコストをかける必要がなくなって「グロス・シーブルー」に塗り替わったと言う経緯がある。*22
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