首都高速都心環状線

Last-modified: 2024-06-06 (木) 15:59:37

C1のこと。
このページでの解説は、あくまでも首都高速都心環状線とはどういう場所かについて記載する。

 

C1こと首都高速都心環状線は、東京都の千代田区、中央区、港区を環状に通る首都高速道路の路線である。略称は都環(とかん)。
実は、全線開通した時に世界中が衝撃を受けた道路でもある。

というのも、普通「高速道路」と名の付く道は、たとえ環状線であっても、直線を多用し、できる限りコーナーの数を減らして作るのが一般的だった。
例として阪神高速1号環状線の地図をご覧頂きたい。
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この様に、都市の中を移動する際もできるだけ流れを良くするために、直線を多用し、最低限のコーナーを用いて各路線に繋げている。
ではここで、首都高速都心環状線の地図をご覧頂きたい。
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お分かりいただけただろうか。この異質なコーナー群を

これには理由があった。国としては都心移動の際にストレスフリーとなる環状線を作成し、都内の物流の効率化を図ろうとした。
ところが1964年、東京オリンピックが開催されることになると、国は羽田空港→国立競技場までの道のりをできる限り早く走れるようにと考えるようになる。そこで、国の取った方法は環状線の建設を推し進めること。
依頼を受けた東京都庁や各業者の方々は必死にこれを作ろうとするも、道路を作る際によくある建物被りをできるだけ避けようとした。
普通この手の計画は、計画路線に建物等があった場合、立ち退き等で対処する必要がある。だが、首都圏での立ち退き交渉となると、急ぎの場合時間を割くのが本当に辛いぐらい多くなる*1
そこで、川や開発の進んでいない場所*2、つまり公共物の真上を通すことにアイデアは見出される。これならば、立ち退き交渉の数も激減し、空港→会場までの高速道路も楽に作れる。

そして、完成後に開催された世界中のお偉いさんや土木業者の方への説明会。そこで世界中が度肝を抜かれた。
そう、建物をかわし、公共物の上を通すとなると必然的に道はくねくねと曲がってしまう。しかし、日本人はそんなくねくねした場所で高速道路を作ってしまった。
スペースが無ければ高速道路の上に高速道路を作り、ある場所は川の真上を通るためほぼ下道と同じ高さに…と、全ては「オリンピック」の名のもとにとんでもない道を作ってしまった。
この高速道路を見た海外のある建築家はこう言ったらしい。
「日本人は、まるでニュルブルクリンクのような、都市の中にサーキットを作ってしまった」と。


*1 のちに法律上このあたりは追加ルールが設けられ、「地権者と同意が得られるならビルの中に高速道路が通ってもok」と解釈してよい条文が作られた。その結果が阪神高速11号池田線・梅田出口の「ビルを貫通する形でトンネルが設けられた出入口」で、現在はその異質さからこれ自体が観光スポットになってしまっている。湾岸マキシで走れるようにならないですかねバンナムさん。
*2 例えば、橋脚がある銀座出入口付近と京橋JCT周辺は、かつて築地川と楓川というがあった。