基本スペック
駆動方式[MR]/ ミッション[5速] 1990年発売
初期馬力[280馬力]/カーナンバー:29-77
全長:4,430mm
全幅:1,810mm
全高:1,170mm
最高速度:351km/h
モード別カテゴリー | 称号 |
ST無敗 | 【首都高無敗】 |
夏休み称号 | 【永遠のNSX使い】 |
ワンメイクバトル | 【NSXチャンプ】+【NA1キング】 |
エンジン形式バトル | 【V6選手権】 |
期間限定首都一TA・1 | 【伝説のNSX】 |
期間限定首都一TA・2 | 【俺のNSX】 |
注意事項:GT-R (R35)等と同様に、ドレスアップパーツ類及びカスタムカラーが存在しない。
またチューニングを進めてもマフラーの形状は変わらず、ロールケージも組まれず、車高も下がらない。
初期選択カラーから変えられないので現状一生そのカラーと付き合うことになる。慎重に選ぶべし。
備考:5DX+より追加。ホンダを代表するスーパーカー。
コーナリング性能が非常に良く、スライドコントロールも容易。
旋回中の挙動はMRらしくRX-7 Type R (FD3S)よりテールが滑りやすくややピーキーな挙動を感じるが、その挙動に慣れれば非常に速いコーナリングが出来る。
またコーナリングマシンにしては珍しく直進安定性も優秀で加速もかなりよく、最高速もそれなりに伸びる。
対戦時のブースト、対接触性能も良好。少々インにねじ込まれた際の粘りが弱いがさほど気にするほどではない。
車幅が同世代のクルマの中でも広く、SKYLINE GT-R V-specII (BNR34)をも上回る。無理な擦り抜けは避けたほうがよい。
初登場時(5DX+)のタイムアタックではC1内回り、広島といったテクニカルコースにおいて全国総合1位を保っていた。
現在は新環状、大阪、名古屋などのハイスピードコースで全国TOP10に多数ランクインしている。
実際にFDがこれまで独占していたコースレコードのいくつかをNSX (NA1)とCountach LP400が更新し、記録を塗り替え始めている。
乗り始めは違和感を感じるかもしれないが、全体的な性能は高水準でまとまっており、数あるMR車の中では比較的初心者でも扱いやすい車種。
なお、ターミナルスクラッチ12枚目の当たり賞品としてNSX-R (NA2)もある。
ただし現在は1日1回しか引けないという仕様になっており、よほどの強運の持ち主でもない限り途方も無い日数がかかるので、入手には覚悟が必要である。
選択可能カラー
(色見本左から)
フォーミュラレッド |
インディイエローパール |
ニュートロンホワイトパール |
セブリングシルバーメタリック |
ベルリナブラック |
シャーロットグリーンパール |
カイザーシルバーメタリック |
雑記
- このクルマはリアウィンドウのチームステッカーが上部ではなく下部に貼られる。
- 北米版MaximumTuneではアキュラブランドとして収録されており、エンブレムもアキュラのものになっておりわかりにくいがよく見ると左ハンドルになっている。
実車について
- 湾岸マキシに収録されているNA1型*1NSXは「地上のゼロ編(単行本34~38巻に収録)」の連載時期が2006年春からという事から1990年~97年まで生産されていたE-NA1型というモデル。
作中では岸田ユウジの試乗する4台の車両の内の一台として山本の用意した10年落ち・走行6万km・AT仕様のベースグレード車が登場しているが、「自慢のアルミボディはヘタリ気味」「結果として高くなった、高価な安物ダメグルマ」等作中においてはなかなかに手厳しい評価を下されてしまっている*2。
- キャッチコピーは『our dreams come true』『緊張ではない、解放するスポーツだ』。 車名はホンダの新しいスポーツカー、「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」を合成させた「New SportsCar X」の略である。
もともと第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」との願いから発売された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表、翌1990年9月14日の販売開始から2006年1月末までの16年間フルモデルチェンジを行うことなく*3製造され、2005年12月まで販売された。
- NSXは量産車初のオールアルミニウムボディを採用したことで有名な車で、モノコックから足回り・エンジンに至るまでアルミニウムをふんだんに使っているが、同時に掛けられた手間とコストに比例して車両価格も高騰してしまっている。
価格は販売当初は1グレードのみの800万円*4に始まり、車両の改良や装備の追加などによる値上がりとカスタムオーダープランへの対応で900万~1,500万円台となっていた。なお発売から15年間は当時のスポーツカーの新車価格では日本車最高額だった。- アルミニウムは腐食せず年月が経つと硬さが増す性質があるため、ボディは事故を起こさなければ半永久的に使えるボディとも言われている。後述のリフレッシュプランで20年以上経過した個体(事故歴なし)を調べたところ全く劣化していなかったという。
エンジンも10万Km走行の個体のエンジン内部を内視鏡で覗いたところ、全く劣化していなかったという逸話がある。*5これにより経年車を新車時の状態にまで蘇らせるNSXリフレッシュプランが可能となっているという。
リフレッシュプランについてはNSX-R (NA2)の項目にも記述されているのでそちらも参照してほしい。 - 発売当時はバブル景気であったため、納車が3年待ちと言われ、中古車が新車以上の価格で取引される現象もみられた。
ホンダは「約半年で納車できるように」と製造工員を倍にしての二交代体制を敷き、1日あたり25台の生産数を倍にする増産体制をとった。しかしその直後バブル景気が崩壊したことによりキャンセルが相次ぎ、通常の納期になった。 - 15年以上に渡ってホンダにおけるフラッグシップの役割を担っていたが、NSXの生産終了以降はレジェンドにその座を譲った*6。
生産終了の理由は、搭載するエンジンの排ガス規制対応が難しいコトに加え、生産時の手間やコストの多さから採算が取れないためであった。
- アルミニウムは腐食せず年月が経つと硬さが増す性質があるため、ボディは事故を起こさなければ半永久的に使えるボディとも言われている。後述のリフレッシュプランで20年以上経過した個体(事故歴なし)を調べたところ全く劣化していなかったという。
- 創業者・本田宗一郎の生家が鍛冶屋*7であったことから、「鍛冶屋のせがれ」というフレーズを合言葉に、鍛冶屋の職人の作る「世の中の人々が毎日使えて誰にとっても使いやすく、息長く使える商品」をイメージし、「日常での利便性と快適性を犠牲にせず、トップクラスの走りのパフォーマンスを誰でも堪能出来るスポーツカー」を目標に開発が進められ、その「ドライバー中心のスポーツカー」というコンセプトの通りに作られたNSXは、日本はおろか世界中のスポーツカーの在り方に影響を与える程だった。
このクルマの影響を強く受けて開発されたクルマも存在し、有名所ではフェラーリ・F355やマクラーレン・F1等がある。- また宗一郎氏も、同社製の高級セダン・レジェンドの試作車を一目見た途端、そのボディへ蹴りを入れたのに対し、NSXのコトは素直に評価しており、開発時から何かと気に掛け続け、発表された際にはアルミニウム製のボディをコンコンと軽く叩き「こりゃぁニューム*8で出来てるのか。俺は早く辞めて良かったよ。俺が今も会社に居座ってたら、こんなクルマは出てこなかっただろうからな」と、いの一番に褒め言葉を贈ったという。
また、栃木県・高根沢製作所のテストコースにて、NSXに試乗した際も「お前ら、ちゃんとしたクルマつくれたな」と、褒め言葉を贈っている。*9
このクルマはホンダにとっては、まさに宝も同然である。 - 特にマクラーレン・F1はデザインを手がけたゴードン・マレー氏が開発中NSXを所有し、求める絶対性能は違えどNSXをベンチマークとし、快適性とスポーツカーとしての性能の両立の為の指標としていたといわれており、マレー氏本人も「F1を10点満点とするならば、NSXは7点。ポルシェやフェラーリは3~4点」と、NSXのポテンシャルを高く評価している。
ちなみに余談だがマクラーレン・F1の開発時においてホンダにV型8気筒または10気筒エンジンの供給を依頼していた。しかし当時のホンダはバブル景気の崩壊や本車の開発・販売不振で赤字を出しており、経営が苦しかったことから断られてしまった。そのためBMWから当時のフラッグシップモデルとして開発されていたM8に搭載する予定のV型12気筒のS70エンジンの供給を受けた。
もしマクラーレン・F1にホンダ製エンジンが搭載されていたならば、NSXとは遠縁の親戚のような関係となっていたかもしれない。
- また宗一郎氏も、同社製の高級セダン・レジェンドの試作車を一目見た途端、そのボディへ蹴りを入れたのに対し、NSXのコトは素直に評価しており、開発時から何かと気に掛け続け、発表された際にはアルミニウム製のボディをコンコンと軽く叩き「こりゃぁニューム*8で出来てるのか。俺は早く辞めて良かったよ。俺が今も会社に居座ってたら、こんなクルマは出てこなかっただろうからな」と、いの一番に褒め言葉を贈ったという。
- 自動車界の02年問題をクリアしたクルマでもある。*10この頃、Supra RZ (JZA80)やSKYLINE GT-R V-specII (BNR34)にRX-7 Type R (FD3S)といったライバルのスポーツカーは排ガス規制をクリアできず次々に生産中止に追い込まれたが、NSXは97年のマイナーチェンジで既にクリアしていた。
- 本車の上位モデルであるNSX-R('92)*11は、当時ホンダでF1コンストラクター争いをしていたF1ドライバーである、”音速の貴公子”こと故アイルトン・セナ・ダ・シルバ氏や、”雨のナカジマ”こと中嶋 悟氏が走行テストを行うなど、プロのレーシングドライバーが開発に参加していた事でとても注目を集めた。
- なお、NSX-RとベースグレードのNSXの分かりやすい相違点は、主にホイール*12・フォグランプの有無・マフラー・シートの形状と色である*13。
特に、フルアルミ車体という前代未聞の取り組みが実ったのは、走行テストでボディ剛性の向上を訴え続けた、NSXの開発テストドライバーである玉村 誠氏と同様の意見を述べた、セナ氏の意見が決め手となった為と言われている。*14 - ちなみにYouTubeやニコニコ動画には、NSX-R完成披露会でセナ氏と中嶋氏が鈴鹿サーキット(西コース)をそれぞれ走行する大変貴重な映像が残されており、是非一度視聴してみてほしい。人馬一体となり、極限状態の中、命を賭して限界を攻めるプロレーサーの走りは、まさに神業である。
以下リンク参照。又は、「セナ NSX」or「中嶋 NSX」で検索。
- なお、NSX-RとベースグレードのNSXの分かりやすい相違点は、主にホイール*12・フォグランプの有無・マフラー・シートの形状と色である*13。
- なおドリフトスピリッツでType-Rの名で先に収録されており、湾岸マキシとは違いエアロパーツが装着可能となっている。NSX-RとだったりNSX Type-Rとメディア等によって異なる場合がある。
- 上記のNSX-Rが発売された後、1993年にドイツで開催されているADAC GT CUP*15にNSX-Rが参戦したコトを皮切りに、NSXは本格的にモータースポーツの世界へと踏み込んで行く。
最初に参戦したADAC GTでは、ポルシェやBMWといったドイツの強豪スポーツカーを相手取り、何回か優勝を記録しているものの、海外のローカルレースというコトもあってか、日本国内ではそれほど話題にはならなかった。
しかし、ADAC GTの参戦車両をベースに改良を施し、LM-GT2仕様として生まれ変わったNSX-GT2で、1994~96年の3年間にかけて参戦したル・マン24時間耐久レースにおいては、高橋国光氏や土屋圭市氏に飯田章氏といった著名な日本人レーシングドライバーを多数登用したコトもあって、日本国内においても大きな話題となった。- 参戦初年度の1994年はLM-GT2クラスに3台のNSX-GT2を投入。相次ぐ駆動系のトラブルに苦しめられながらも、14位・16位・18位と全車が完走を記録した。
参戦2年目となる1995年は、GT2クラスにプライベーターとして、チーム国光と中嶋企画の2台のNSX-GT2を参戦させる一方、GT1クラスにホンダワークスとして参戦。ボディ剛性の関係上、タルガトップモデルのType Tをベースとしたターボ仕様のレーシングマシン・NSX-GT1 TURBOを送り込んだ。残念ながら、肝心のNSX-GT1 TURBOはめぼしい成績を納められなかったものの、チーム国光のNSX-GT2がクラス優勝を飾るという快挙を達成した。
参戦3年目且つ最終年度の1996年は、チーム国光のNSX-GT2が参戦。クラス3位の成績を残して有終の美を飾った。 - これ以後は主な戦場を日本国内へと移し、1996年にチーム国光がプライベーターとしてNSX-GT2で全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスに参戦。翌年の1997年からは、マイナーチェンジ後のGH-NA2型をベースとしたJGTC仕様のNSX-GTを投入し、本格的にホンダワークスが参戦開始。これ以降のNSX-GTの活躍は周知の通りである。
- 参戦初年度の1994年はLM-GT2クラスに3台のNSX-GT2を投入。相次ぐ駆動系のトラブルに苦しめられながらも、14位・16位・18位と全車が完走を記録した。
- ル・マン24時間耐久レース LM-GT1仕様
(NSX-GT1 TURBO)
(NSX-GT2)
(avex童夢 無限NSX)
(カストロール無限NSX:チャンピオンマシン)
- 光岡自動車*16が2001年の第35回東京モーターショーに初めて出展した際に、初出展記念として本車の中古車をベースにしたコンセプトカーを製作した。
外装を剥がしてオリジナルのパイプフレームとボディを被せられた車で、公開されるとその独特なデザインからブースにはたちまち人だかりができたという。この時数十名から購入希望が寄せられた事で、光岡自動車はこのコンセプトカーを「光岡・大蛇(オロチ)」として市販することを決定した。
当初はホンダにNSX用エンジン*17の供給を希望していたが、NSXの生産終了や排ガス規制への対応が困難であることなどから断られてしまい、やむなくトヨタからV型6気筒3MZ-FEエンジンを供給してもらうこととなった。
オロチは湾岸マキシには未収録だがドリフトスピリッツには登場している。
- 本車のリトラクタブルヘッドライトを、デザインの似たトヨタ SUPRA 2.5GT TWIN TURBO R (JZA70)へ流用するカスタムも存在した。
- 頭文字Dの登場人物である北条豪のNSXもE-NA1型で、あちらはアドバンス製のFLATOUTフルエアロキットとGTウイング、ゴールドのBBS LMホイールで再現可能。ドリスピにもコラボ車としてフォーミュラレッドのボディにアドバンス製のFLATOUTフルエアロとBBS LMホイールを装着したNSXが登場している。
- 本車は特撮テレビドラマ『仮面ライダードライブ』に登場する「トライドロン」というスーパービークルの撮影用車のベース車両でもある。外装こそ大きく変更されているが、全体的なシルエットは意外とNSXのまま(特にルーフやリアウインドウ~それより後ろがわかりやすい)で、ミッドシップゆえのサイドに設けられたエアインテークなども意匠として残されている。
現在は東映側で保管されており、たいていは宮城の石ノ森萬画館で展示されているほか、時々京都の太秦映画村など他の関連施設での展示が行われることもある*18。