神威

Last-modified: 2021-11-16 (火) 06:00:05
No.162
神威 (かもい)神威型 1番艦 補給艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久36火力3 / 18
装甲6 / 18雷装0
回避13 / 27対空8 / 24
搭載0対潜0
速力低速索敵5 / 15
射程17 / 67
最大消費量
燃料30弾薬10
搭載装備
0未装備
0未装備
0未装備
装備不可
改造チャート
神威神威改(Lv35) → 神威改母(Lv60)
図鑑説明
給油艦として建造された「神威」です。
米国で生まれ、その後水上機母艦に改装されました。
水上機収容用ハイン式マットは思ったより便利ではなかったけれど……。
最終的に飛行艇母艦となり、輸送作戦に従事しました。
戦いの前は、米艦と共に女性飛行家の捜索も頑張りました。
北海道神威岬の名前を頂いた私のことも、覚えていてくださいね。*1

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:瀬戸麻沙美、イラストレーター:アキラ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

セリフCV:瀬戸麻沙美、イラストレーター:アキラ
入手/ログイン給油艦、神威と申します。はい、北海道神威岬由来の名前を頂いてます。できる限り、頑張りますね。
母港/詳細閲覧イランカラㇷ゚テ*2
提督、神威をお呼びですね。ここに。
提督、どうされましたか?荷物が心配ですか?神威がしっかり運びます。ご安心くださいませ。え?違う?
母港/詳細閲覧(新春)提督、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、神威をご指導いただけますと幸いです。
母港/詳細閲覧(節分)節分ですね。提督、今年の鬼役は、この神威が務めましょうか? ……え、やめたほうがいい……ですか?
母港/詳細閲覧(バレンタイン)あの! 一応、これを。……その、ホワイトチョコレートで作りました。白い、あの……美味しいです、から
母港/詳細閲覧(ホワイトデー)提督、こちらは? ……先日のお返しですか? ……あ、ありがとうございます! 嬉しいです!
母港/詳細閲覧(春本番)良い季節になりました。お花見もいいですね。神威も、お料理頑張ってみます。時雨さん、手伝って~。
母港/詳細閲覧(五周年)提督、おめでとうございます! 艦隊は五周年を迎えることとなりました。神威、お祝い申し上げます!
母港/詳細閲覧(七周年)提督、おめでとうございます! 艦隊は、遂に七周年を迎えることとなりました。神威もお祝い申し上げます!
母港/詳細閲覧(八周年)提督、おめでとうございます! 艦隊は、遂に八周年を迎えました。神威も本当に嬉しいです、はい!
母港/詳細閲覧(梅雨)提督。お出かけになるなら、傘をお持ち下さい。この季節、どうしても雨が多いですから。はい。
母港/詳細閲覧(夏)
母港/詳細閲覧(秋)浜風さん、それは? イカの姿焼き? 美味しそう♪ 一口いいの? ほんとっ?! あ、あ~ん…美味しい♪
母港/詳細閲覧(晩秋)提督、どうしました? 寒いですか? 了解です。身体、温めましょう。良いお茶が入ったんです♪
母港/詳細閲覧(秋刀魚)秋刀魚漁の支援ですね? 神威にお任せください。こう見えて、捜索任務では経験豊富です。はい♪
母港/詳細閲覧(クリスマス)私も、今日は「蝦夷鹿のグリル」作ってみたんです。提督、どうでしょうか? そう、良かった♪
母港/詳細閲覧(師走)鎮守府の年末大掃除、大変ですね。瑞穂さん、私もかんばります! 年越しそばも用意しなきゃ!
ケッコンカッコカリ(反転)ええと…これはここですね。この箱はここ。え、提督なんですか? この小さな箱を? 大切そうですね。わかりました、しっかり奥の方に仕舞っておきますね。 え? ええっ!? …イアイライケレ。
ケッコン後母港(反転)提督、お茶をお持ちしました。新茶の日本茶で、良いですか? 香りの良い紅茶もお持ちできます。はい、了解です。うふふ♪
編成給油艦神威、抜錨いたしします!艦隊、前へ!
出撃給油艦神威、抜錨いたしします!艦隊、前へ!
皆さん、準備はいいですか? 艦隊、抜錨! 両舷、前進、微速、行きましょう!
遠征選択時お届けしましょう。
アイテム発見お届けしましょう。
開戦へ? て、敵艦隊?! 仕方ありません。艦隊、砲撃用意。お願いたします!
夜戦開始深追いはあまり得意では…でも、仕方ありません。艦隊、増速! 追撃します!
攻撃撃ち方、始めてください!
へ? て、敵艦隊?! 仕方ありません。艦隊、砲撃用意。お願いたします!
連撃/夜戦攻撃降りかかる火の粉は払うまで。仕方ありません!
小破ああぁぁぁっ!! つ、積荷は? 積荷は大丈夫?!
あぁぁっ! に、逃げられない? もう!
中破/大破いやあぁぁっ! み、水が?! 浸水を防いで! なんとか持ちこたえて!
勝利MVP私の上げた戦果が? そんなことが…そう、なんですね? 出来る限りのことをなせて、良かったです。提督、ありがとう♪
旗艦大破
帰投艦隊、無事帰って来れました。みなさん、お疲れ様。ふぅ。
補給確かに頂きました。
改装/改修/改造いいですね。イアイライケレ*3
素敵な装備ですね。お預かりします。
お届けしましょう。
入渠(小破以下)すみません。少し下がります。ごめんなさい。
入渠(中破以上)ごめんなさい、提督。しっかりと…しっかりと直して、また頑張ります!
建造完了新造艦の完成です、提督。
戦績表示資料は神威がお持ちしましょう。お待ちくださいませ。
轟沈(反転)提督…お預かりした荷物…お届け出来なく、ごめんなさい。さよう…なら…
時報にて実装
放置時提督がお忙しそう。あら、瑞穂。今日も楽しそうですね。今日は何を持っているの?ふぅん、そう。私も今度運んでみようかしら。あ!その水上機かわいいですね、いいなぁ

ゲームにおいて

  • 速吸以来となる2隻目の補給艦。
    2017年5月2日に2017年春イベント「出撃!北東方面 第五艦隊」のE-3のドロップ艦として実装された。
    • 2017年春イベント実装艦で2隻目のドロップ報告が唯一無かった(海防艦はある)が、その後新たな入手手段も設けられた。
      もちろん複数持ちも可能なので、資源と母港に余裕があるなら水母と補給艦の2隻持ちを狙ってみてもいいだろう。
    • 2017年秋イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」のE-2と、2018年冬イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」のE-2でもドロップが確認されている。
    • 2019年04月22日から、GWキャンペーンと称して2-4でのドロップが設定された。
  • 2017年夏イベント終了後に、大型艦建造で建造可能となった。瑞穂同様大鳳レシピでの建造が確認されており、建造時間は2:20、旗艦は指定なし。
    また神威を秘書艦にして大型艦建造を行う事で、同日に追加されたSaratogaを建造できる。これは後述の通り、建造された場所や推進機関が同じという縁があるためか。


  • 本艦を改にすると水上機母艦になるが、改二に相当する改母に改造すると補給艦に戻る
    • 改だと洋上補給の装備ができなくなるが、改母になるとこれが再びできるようになる。
      一方で水上機母艦としての機能は無くなってしまうため注意が必要。
    • 他の補給艦・水上機母艦と異なり中射程。だが砲戦役としては火力不足なので先走らないよう行動順調整が必要になる場面もあるかも。
      • 射程中なのは実艦が14cm単装砲を装備していたためと思われる。
  • 搭載可能な装備は改造前の速吸と同じ。
    • 対潜値が0で搭載も0なため速吸と違って対潜攻撃は不可能。
  • 図鑑番号は長らく空き番だったNo.162(あきつ丸まるゆの間)である。

  • 神威を近代化改修の素材として使用することで耐久値を上げられる艦がいる。→近代化改修

期間限定グラフィック

  • 2017年6月6日のアップデートにて梅雨限定差分modeが実装された。

    限定イラスト:梅雨mode

    限定イラスト:梅雨mode

  • 2017年にはローソンのキャンペーンで浴衣modeが描き下ろされ、同年9月12日のアップデートで実装された。

    限定イラスト:浴衣mode

    限定イラスト:浴衣mode

  • 2017年12月11日のメンテナンスで、クリスマスmodeが実装された。
    • 限定ボイスでは北海道ならではのジビエ料理をご馳走してくれる。

    限定イラスト:Xmasmode

    限定イラスト:Xmasmode

キャラクター設定について

諸元

特務艦時

特務艦時

排水量(軽荷/満載)5,702t/19,550t全長/全幅/喫水151.8/20.4/8.5m
機関出力8,000馬力/2軸速力15.0kt
航続力17,100海里/10kt乗員181名
主兵装14cm砲単装2基2門、8cm高角砲単装2基2門
装甲搭載機

水上機母艦時

水上機母艦時

排水量(基準)17,000t全長/全幅/喫水151.8/20.4/8.4m
機関出力8,000馬力/2軸速力15.0kt
航続力17,100海里/10kt乗員324名
主兵装14cm砲単装2基2門、8cm高角砲単装2基2門
12mm機銃単装6基6丁
装甲搭載機常用6+補用6

小ネタ

  • 名前の由来となった神威岬は積丹半島の岬。なお、こちらは「かむいみさき」と読む。
    • 神威(カムイ)は、アイヌ語で「神」を意味する言葉であり、「カムイ」を含む地名は北海道の各地にある。
  • かむいではなくかもいと読む。
    アイヌ語における「ウ」の母音は、日本語と比べて口をすぼめて発音されるため、日本語話者がこれを聞くと「オ」として聞こえることがある。
    また、アイヌ語が自身の文字を持っていなかったため、日本語に文字転写される際にウ段の音もオ段で表されることが度々あった。
    • 母港での「イランカラㇷ゚テ」の「ㇷ゚」も日本語にはない発音であり、小文字のプで表記される。
  • 八八艦隊計画により1922年6月8日に進水、同年9月12日に竣工。
    電気推進(ターボ・エレクトリック)機関の研究のため、海軍艦艇への電気推進採用に積極的だったアメリカで建造された。
    ちなみに、ゲームに実装されている艦ではサラトガが同じアメリカ生まれというだけでなく、神威と同じく電気推進機関を採用していたり、誕生地も同じニューヨーク・シップビルディング社(New York Shipbuilding Corporation)である。*4
    機関構成もサラトガと同じジェネラル・エレクトリック社製カーチス式タービンと、同社製発電機を使用している。
    • また、大日本帝国海軍で最後の海外発注艦となっている。

      電気推進のあれこれ

      電気推進のあれこれ

      • なお肝心の電気推進機関であるが、当時の技術ではエネルギーロスが大きいため燃費が悪く、機関が大型化・複雑化するなどデメリットが目立ったため以降の建造艦で採用されることはなかった。
        ただし神威以外にも、大戦中にドイツから購入した客船シャルンホルスト(後の空母神鷹)が建造時から電気推進機関を搭載していた。*5
        • 西側型の原子力船は原子炉の負荷追従運転を避けるためターボ・エレクトリック推進が一般的である*6
          また、ガスタービンは効率的な回転数がレシプロエンジンより狭いため、この改善の為低速時は電気推進を使用するCOGLAG推進*7や、ガスタービンとディーゼルエンジンを併用する場合で、高速時もディーゼルエンジンをデッドウェイトとせず動力に寄与させたい場合、動的部分が軽く加減速の鈍いガスタービンと動的部分が重く加減速の素早いレシプロエンジンを直結させると双方ともぶっ壊してしまう為、レシプロエンジンをディーゼル・エレクトリック式とするCODLAG推進*8などが開発され使用されている。
        • ちなみに、鉄道ではディーゼル・エレクトリック推進が世界的には一般的。本来低速・短編成向けの液体式で電車に伍する性能を出している日本がおかしいので要注意*9
  • 最大速力は15ノット。艦これ登場艦ではまるゆの水上7.5ノット(1型)と満載状態の間宮の14ノットに次ぐ屈指の鈍足である。
    その間宮さんも軽荷重状態なら17ノットが出せて神威を上回り、まるゆも2型ならば水上14.5ノットが出せるので0.5ノットしか違わない。
    • 八八艦隊計画の艦たちは巡航速力が14ノットだったので、それに随伴できる程度の速力となっている。
      決戦前に艦隊へ給油を済ませれば安全海域へ退避するのが前提で、しかも当時航空機は未発達で襲撃の恐れもない。したがって高速は要求されていなかった。
      • それに、平時の彼女たち給油艦は産油国へ重油の買い付けに行くこともしばしば。
        買い付けた高価で貴重な重油を自分でガブガブ飲んでしまっては元も子もないので、燃費第一のエコ仕様なのである。
        なお、戦前の神威はときどき生まれ故郷の米国へも重油買い付けに里帰りしている。
      • これらの給油艦たちは、米国への油の買い付けの場合など、極力相手を刺激しないよう大砲は取り外して行っていた。
        なにせ相手を刺激して油の供給が止まろうものなら、世界第三位を誇る日本海軍の大艦隊がたちまち行動不能になるからである。
        そのくせ諜報任務も兼ねているのが常であり、鈍足のボロ船に似合わぬ一流の艦長や優秀な傍受電信員を配置、さらには軍令部の情報担当部員まで乗せていることもあった。
        中には艦底へ密かに録音機を取り付け、米海軍艦艇のスクリュー音をレコードに録音してきた図太い艦もあったという。
    • また、舳先・艫双方が垂直に切り立った船形であったため、鈍足ともあってしばしば「貴艦前進なりや、後進なりや」と聞かれたという。回答は常に「 煙突の煙を見られたし」であった。
  • 実物には石炭搭載用に、後部に箱状構造物があった。籠の中の箱はそれを模した物であろう。
    • 炭庫容量は2500t、自艦だけではなく、補給用としても使われた。
  • 彼女の自己紹介にもある通り、太平洋戦争前の1937年、女性飛行士として有名だったアメリア・イアハート女史の捜索に参加している。
    これは当時、日本の委任統治領だった南洋諸島(現在のパラオやマーシャル諸島を含めた広範囲の地域)に近い区域で赤道をたどっての世界一周飛行を行っていた女史が乗機ごと消息を絶ったため。
    • この時、日本海軍は神威の他に機雷敷設艦・沖島や駆逐艦・朝凪、夕凪も参加した。
    • また、アメリカからは空母・レキシントンや戦艦・コロラド等が参加していた。何かとアメリカに縁がある。
    • 結局女史は見つかることはなく、1939年1月5日附で死亡宣告がなされた。

戦歴

折りたたみ

  • 大日本帝國海軍が運用した神威(かもい)型特務艦1番艦。八八艦隊計画による1920年度計画にて、特務艦(給油艦)として建造が決定。ターボ・エレクトリック推進の研究調査を行うため、進んだ技術を持っていたアメリカに発注する事になった。1920年12月7日、特務艦神威と命名。軍備拡張費により1921年5月17日、ニューヨークのキャムデン造船所に発注。9月14日に起工し、12月1日に村瀬貞次郎大佐と数名の尉官が着任のため渡米した。1922年6月8日に進水し、9月12日に竣工。まさかのアメリカ生まれの艦である。9月27日、艦長村瀬貞次郎大佐指揮のもと、フィラデルフィアを出港して12月15日に横須賀へと到着した。
    • 要目は排水量1万7000トン、全長151.8m、全幅20.42m、石油搭載量1万トン(もしくは石油7500トン+石炭2000トン)、出力8000馬力、速力15ノット、乗組員181名。武装は50口径14cm単装砲2門、40口径8cm単装高角砲2門。電気推進の機関は帝國海軍広しと言えど、神威と神鷹だけである。船型は三島型を採用。特務艦の中では最大級の体躯を誇り、日本が外国に発注した最後の艦でもある。電気推進機関は速力の調整や制御性に優れるとの事だったが、神威で調査してみると重量、容積、燃費、いずれも利点無しと判断されてしまった。建造費もかさむため、電気推進方式の定着は叶わなかった。
       
  • 横須賀を拠点に重油輸送に従事する事になり、タラカンや北アメリカとの間を23回往来。これは最多記録であった。1923年9月1日、関東大震災が発生。横須賀に停泊していた神威もこの未曾有の震災に巻き込まれる。帝都及び横浜方面が壊滅状態に陥る中、翌2日に横須賀を出発。大阪に寄港し、日本赤十字社大阪支部救護班第3班15人と玄米5000俵、塩鮭380俵、白米1125俵、乾麺麭9527箱、丸干40箱、沢庵200樽、梨2073箱、梅干250樽、缶詰2040箱、タオル85枚、慰問袋421箱、毛布103枚、衣類370着、草履10梱積載。便乗者を乗せ、9月5日に大阪を出発。救援物資の受け入れ口となっている品川に入港した。神威が運んだ膨大な物資の積み下ろしは、9月14日まで掛かった。9月25日、便乗者の家族18名と一般避難民86名を収容。再び救援物資を受け取りに行くため品川を発ち、翌日名古屋に到着。便乗者を降ろし、同日中に四日市へ回航。木材4200トン、牛肉60頭分、白砂糖300俵、購買所用白米500俵、横須賀市役所用味噌醤油類500樽、陸軍用物資約12トンを積載。三重県から横浜行きの布団2万8000枚が寄付された。9月30日に横須賀で物資を降ろし、10月6日に三回目の救援物輸送を行うべく大阪に向かったが、10月16日に波斯丸と接触事故を起こしている。大阪で工廠及び市役所用のトタン板2500枚、機械油200箱、釘341箱、雑貨100個、軍需部用パイナップル300箱、食糧ビン詰め40個、工廠用目盛り板9個、海軍病院用治療品17個、軍学校用治療品26個、下士官集会所用菓子原料264個と食糧1050個、ガラス板136個等を積載。10月18日に横須賀へ到着し、物資を降ろした。この輸送を以って救援活動を切り上げた。1925年10月9日、四日市で停泊中、神威の右舷で陸軍艀舟が沈没。36名の乗員のうち、26名を救助した。1927年2月15日、横須賀で係留中に浅間埼の暗礁に接触。艦橋下右舷外板に長さ3m、幅1mの穴が開き、浸水している。
  • 1932年7月15日、第一次上海事変の勃発に伴い、浦賀船渠にて水上機母艦への緊急改装工事に着手。当時、帝國海軍は能登呂くらいしか水上機母艦を持っておらず、整備が急務だった。元々が給油艦のため上甲板が広く、艦内スペースにも余裕があり、格納庫、軽質油庫、飛行機修理工場、発動機調整所など航空関連の諸施設搭載に向いていた。しかしロンドン海軍軍縮条約の制限でカタパルトは装備できず、航空艤装そのものは第一次大戦のものと大差なかった。12月1日、連合艦隊に編入。76mm対空機銃2丁と水上偵察機6機を搭載し、ラムネ製造機を新設。1933年2月14日、横須賀を出港して佐世保に回航。渤海湾の警備を実施し、陸軍の戦闘を支援した。1934年6月1日に工事完了。水上機母艦へと生まれ変わり、艦首には軍艦の証である菊の御紋が付けられた。また昭和8年にドイツから輸入したハインマット装置を試験的に装備している。7月10日、日向灘で飛行訓練中、原田富士大尉が事故により殉職。12月13日にも九〇式二号偵察機が夏島北方3000mにて墜落している。1935年9月、4年に一度の艦隊大演習に参加。ところが9月25日、三陸沖で超大型台風の直撃を喰らう(第四艦隊事件)。神威も巻き込まれたが、幸い被害は無かった。
  • 1936年6月1日、第28駆逐隊(朝凪、夕凪)とともに第3航空戦隊を新編。8月1日に第9戦隊へ改称して連合艦隊直属となった。9月28日から10月17日にかけて第28駆逐隊とともにマリアナ及びカロリン諸島の調査に参加。軍事的価値がある島々や環礁を調べて回った。12月1日、第9戦隊を第12戦隊に改称。1937年1月26日、横須賀を出発。機雷敷設艦沖島、駆逐艦朝凪、夕凪、疾風、軽巡大井とともに再度マリアナとカロリン諸島の調査を実施。計21の港を訪れ、空から11の場所を調査して飛行場の適地を探した。7月2日、有名飛行士アメリア・イアハートは、ラエからハウランド島までの2556マイルを飛行しようとして行方不明となった。ちょうど日本の信託統治領の近くだったため、アメリカから捜索依頼が届いた。昭和天皇はイアハートの捜索を命じ、神威も捜索に加わった。ところが捜索の基礎となる情報が一切無く、捜索命令から数時間後に中止となった。7月10日、伊勢湾に到着。
     
  • 盧溝橋事件勃発に伴い、1937年7月28日に第12戦隊は支那方面艦隊(第3艦隊)に編入。佐世保にて待機していた。8月7日17時、支那方面艦隊の長谷川長官より上海方面進出のうえ、杭州方面、虹橋、ウースン砲台等の写真偵察を下令される。8月8日、駆逐艦朝凪とともに佐世保を出発し、10日午前に前韭山列島に到着。さっそく航空偵察を試みたが、天候不良により延期を余儀なくされる。舟山群島方面の灯台には無線通信施設があり、長く陸岸近くに停泊していれば、敵に意図を悟られる危険性があった。支那方面艦隊は次の偵察が上手くいかないようなら佐世保へ帰投するよう神威に命じたが、翌11日は次第に天候が回復。午前中に所定の要所を偵察し、午後には支那方面艦隊司令部へ情報が提出された。この偵察は敵航空隊の位置を掴む狙いがあったが、隠密行動を欠いたため中国側に神威の存在が知られ、偵察中の水偵も敵機に発見されていた。20時、駆逐艦朝凪が分離して上海に向かった。8月13日に第二次上海事変が勃発。新鋭の武器で固めた国民党軍3万が、日本人租界と守備隊4000名に襲い掛かった。8月14日、神威と第22航空隊で第4空襲部隊が編成され、翌15日に杭州爆撃を命じられた。この日は海上の風と波が強く、午後になってようやく9機の水偵を発進。杭州を爆撃した。15時24分に18号機が着水するも、波浪で転覆して喪失。翌16日は台風の通過で雲が低く、波が高かった。航空攻撃が出来ないこの日に国民党軍は総攻撃を仕掛けてきた。それでも馬鞍群島から延べ16機を発進させ、上海市内を偵察及び爆撃を行った。8月16日、馬鞍群島を出発してウースン沖へ移動。旗艦出雲の上空援護や、陸戦協力を実施。16時45分、上海から戻ってきた朝凪を左舷に横付けし、重油と清水を補給。18時42分に横付けを離した。8月27日に再編制され、第3航空戦隊と改名。9月1日、ウースン沖から泗礁山に回航。9月8日16時30分、給油艦鶴見が神威の左舷に横付けし、真水と燃料を補給。21時25分、鶴見は離れていった。9月11日まで同地を拠点にして作戦活動を行い、9月12日からは石洞口沖に拠点を移す。10月12日午前9時53分、神威は九五式二号水上偵察機を発進させ、首都南京の偵察に向かわせた。ところが中国国民党軍に察知され、カーチスホークⅢが迎撃に現れた。空戦の末、水偵とカーチスホークⅢは空中衝突を起こして両機とも墜落。搭乗員は戦死した。10月17日から11月23日まで再びウースン沖を拠点とした。11月下旬に一旦佐世保へ帰投し、12月初旬に南支に転戦。万山方面で作戦行動を行った。12月13日13時36分、特設砲艦首里丸が神威の左舷に横付けし、真水を補給。
  • 1938年初頭、神威は広東省の攻撃に参加。九五式二号水上偵察機を発進させ、中国側の偵察機を撃墜する戦果を挙げた。翌日、4機の水偵は雇われイギリス人パイロットが駆るグロスターグラディエーターと遭遇。10分間の空戦を経て、どうにか撃退した。4月28日、東京湾上空で航空機事故が発生し、乗員だった江原陽次郎大尉が死亡している。広東省は重慶に立てこもる蒋介石政権の命綱であり、国民党軍最大の補給路であった。これを攻略するため、帝國陸軍は2ヶ月の準備期間で3個師団の兵力と武器、食糧を用意。106隻の輸送船が馬公に集結していた。10月9日、神威は船団とともに出港。10月12日午前3時より上陸を開始した。神威、能登呂、加賀蒼龍龍驤とともに飛行機を出撃させ、陸戦支援。10月21日に広東省の攻略に成功し、鉄道網を遮断。12月15日、仲間に千代田が加わる。1939年11月15日、千歳とともに第4艦隊第17戦隊を新編。
  • 1940年、一時的に飛行艇母艦へと改装。千歳、衣笠丸とともに建設作業員や技術者を乗せて出発。タブロン島、トラック諸島、パラオのマラカル、クェゼリン環礁に飛行艇基地の建設を行った。建設資材を補充するため、何度か日本と島々を往来した。その後、有事に備えて飛行艇基地の適地を捜索。ギルバート諸島の制空権を確保するため、太平洋を奔走した。1941年1月15日、第4艦隊第24航空戦隊に編入。戦争の足音が迫る11月21日、神威はハウランド島方面の攻略部隊に編入される。
      
  • 1941年12月8日、真珠湾攻撃により大東亜戦争が勃発。神威は開戦をマジュロ環礁で迎え、ギルバート諸島攻略作戦に航空部隊として参加。マキン島及びタラワ島の攻略支援を担当した。12月10日に両島を占領したため、12月11日にマジュロを出発。第二次ウェーク島攻略作戦に参加する事になり、12月16日にウェーク島北方約1000海里で南雲機動部隊から分派された第2航空戦隊と合流。ともに南下を開始した。直接攻略作戦には参加せず、後方で支援任務に従事。12月23日にウェーク島の攻略に成功。イミエジを経由してトラック諸島に向かった。1942年1月1日、トラックに入港。1月30日、南洋部隊航空部隊電令作第53号によりラバウルへの進出を命じられ、2月2日にトラックを出撃。占領されたばかりのラバウルには2月4日に到着した。2月7日午前6時20分、駆逐艦望月弥生睦月、夕凪に補給。2月14日、ラバウルに進出した南洋部隊航空隊が神威に将旗を掲げ、二度目の真珠湾攻撃を行うK作戦の指揮を執った。3月3日午前に特設掃海艇玉丸と第二玉丸に重油を補給し、3月5日に駆逐艦望月弥生睦月、軽巡夕張、敷設艦津軽を補給。4月1日、南洋部隊に編入され、午前7時30分にラバウルを出発。タロア、イミエジ、ジャボールに物資を輸送する。6月17日午前9時、ヤルートを出発して帰路につく。6月26日に村雨五月雨が護衛につき、翌27日15時15分に豊後水道で駆逐艦2隻と別れた。そして6月29日に舞鶴へ到着。舞鶴工廠にて発信機及び送信機の増備、搭乗員酸素補給装置の装備、爆雷兵装の移送等を行った。7月24日13時に舞鶴を出港し、再び中部太平洋で活動する。8月5日午前6時40分、ロイ到着。現地で駆逐艦太刀風と合流し、護衛を受けながら出発。イミエジ、ラバウル、タロア、ミル、ヤルートに物資を輸送する。12月20日、タロアにて北上丸から食糧品の供給を受ける。12月24日、南西方面艦隊所属となり、午前5時にタロアを出発。ロイを経由して内地に向かった。
     
  • 1943年1月26日、敷設艇夏島に護衛されて豊後水道を通過し、台湾に寄港。2月20日、南西方面艦隊機密第201100番電により航空兵器と基地物件の輸送を命じられ、2月26日にスラバヤ入港。クーパンとアンボンを経由し、3月8日午前10時15分に目的地のバボに到着。桟橋から500mの場所に投錨して、25番通常爆弾400個、自動車3台、機銃弾、食糧、天幕等を揚陸した。蘭印方面東部は敵潜や敵機の跳梁が激しく、常時艦内哨戒第三配備としていた。午後12時10分、南東方面よりPBYカタリナ飛行艇が襲来し、対空戦闘。3発の爆弾が投下されたが、右150mに着弾して至近弾に留まる。敵機は神威の上を航過し、艦尾方向に向かって退却。午後12時28分、カタリナは雲の中に隠れて接触を失った。この戦闘で神威は8cm高角砲8発と毘式12mm機銃211発を発射した。輸送任務を終え、4月11日に高雄へ寄港。今度は第851海軍航空隊の基地設営資材及び航空兵器の輸送任務を命じられ、5月7日にスラバヤへ入港。インド洋方面に転出する第851航空隊の要員を乗艦させ、進出先のシボルガに基地設営資材と航空兵器を揚陸した。その後パダンに移動し、セメント2400トンを積載。5月21日に出発してケンダリーを目指して東進する。敵潜の襲来に備え、之字運動を行っていた。
  • 5月26日19時40分、フローレス海にて雷跡2本を発見。全速で取り舵一杯を行い、回避。1分後に艦尾方向から衝撃波が届いた。直ちに対潜戦闘を開始し、九五式爆雷3個を投射する。19時54分、左方向に敵潜の灯光らしきものを確認して前部主砲2発を発射。敵潜を退け、5月28日14時11分にケンダリーへ到着し、セメント1000トンを揚陸。ケンダリー停泊中の5月30日午前10時2分、北東方向より3機のB-17から襲来して対空戦闘。6発の投弾を受けたが、右舷艦首約300mに着弾。午前10時25分、敵機は雲の中に隠れて戦闘は終結。神威は無事だった。8月11日から18日にかけてシンガポールで入渠整備。10月22日午前9時、りおでじゃねいろ丸とともに第8号掃海艇に護衛されてスラバヤ出発。バンカ海峡まで行動を共にした。その後、アンダマン諸島への輸送任務に従事。
     
  • 1944年1月11日、ラウト島南端にて護送船団と合流。14時45分にバリクパパンへ到着した。ケンダリーからマカッサルに向かっていた1月28日午前5時50分、マカッサル海峡にて敵潜ボーフィンに捕捉される。ボーフィンは神威に狙いをつけ、一日中追跡。上空を警戒していた水偵によって5回潜航を強いたが、水偵が出せなくなる夜になると爪牙を剥いてきた。21時、ボーフィンは神威に向けて6本の魚雷を発射。神威はジグザグ運動しており、全て回避。22時、ボーフィンは再び6本の魚雷を発射し、2本が神威に直撃して炎上させられる。敵潜を視認した神威はボーフィンを銃撃し、ジグザグ回避しながら高速で一旦離れた。22時45分、ボーフィンはトドメを刺そうと艦尾魚雷発射管から2本を発射するも失敗。23時29分に再び艦尾魚雷2本を発射し、2本とも神威に命中。黒煙が噴き上がる。神威からの反撃はより一層激しくなり、ボーフィンは一旦潜航。ボーフィンは23時48分にダメ押しの1本を発射し、命中させる。魚雷5本も喰らった神威は致命傷を負い、沈没を避けるため座礁した。ちなみにボーフィンは神威を見失っている。瀕死の神威はマカッサル海峡からスラバヤまで曳航され、1月29日に第102工作部から緊急修理を受ける。本格的な修理を行うため2月1日にシンガポールへ回航。2月3日、海軍配當船丹後丸が積荷を引き取っていった。
  • 4月6日、タラカン丸の右舷に横付けて重油を補給。4月15日、南西方面艦隊から除かれて連合艦隊所属となる。優秀なタンカーが次々に撃沈されて船舶不足なのと、水上機母艦の必要性が疑問視されて神威から航空艤装を撤去する事に。これに伴って艦種が特務艦となり、舞鶴鎮守府所属となる。翌16日、左舷に北上を、右舷に標的艦波勝を横付けして補給。4月25日、修理のため入渠。本格的な修理とともに補給艦へと戻す作業が行われた。7月15日から18日にかけて、船体を迷彩色に染め上げる。8月16日より石炭と重油の積載が始まり、8月25日に完了。南西方面艦隊へと編入された。8月26日に重心公試、砲煩公試、水地位聴音機公試を実施。そして8月31日に修理完了し、補給艦に戻った。1万トン級の輸送艦は、今となっては宝石のように貴重だった。9月4日に重油を積載して準備を済ませると、託送品飛行機用器材と重油の輸送を命じられる。9月6日午前7時48分、タンカー極東丸、特設運送船興川丸とともにシンガポールを出港。対空警戒を厳重にしながらマニラへと向かう。護衛には駆逐艦皐月、第30号駆潜艇、第33号駆潜艇がついた。9月8日18時58分、ミリで仮泊。輸送船を入れ替え、翌9日午前7時22分に出発。皐月と駆潜艇3隻が護衛につき、19時にブルネイにて仮泊。9月10日午後12時53分にブルネイを出発し、2日後の18時40分にボアヤン島に到着。ここで待機命令が出され、整備作業を開始。皐月に燃料補給を行った。9月19日午前6時55分に出港し、18時40分にタランプランで仮泊。翌20日午前6時2分に出発、21時22分に目的地のマニラへと到着した。
  • 9月21日午前7時19分、神威はマニラに投錨した。ところが午前9時21分、マニラに敵機の大群が襲来。湾内の在泊艦艇が一斉に対空砲火を上げる。午前9時30分に神威も対空射撃を開始し、艦首方向より接近していた3機の敵機を攻撃。1機を撃墜する。敵機は矢継ぎ早に神威へ殺到し、午前10時11分に敵機6機が正面より突っ込んでくる。対空砲を放つも撃墜には至らず、神威の上空を航過して飛び去った。午前10時37分、雲の中から敵機の群れが現れ、艦尾方向から機銃掃射を浴びる。投下された爆弾が左舷艦首50mに着弾し、至近弾となる。左右には敵の大編隊が確認され、上空には敵機が乱舞する。午前11時9分、右方向より敵機3機が接近。対空砲火により1機を撃墜して追い払った。間隙を縫って湾内から脱出し、洋上で投錨。15時30分、1機の敵機が神威に突っ込んできた。対空砲火を浴びせると、被弾したのかパイロットが機を捨ててパラシュート降下。着水するまでの間、神威の対空射撃は停止した。15時43分、右舷へ至近弾10発が着弾。16時32分、急降下爆撃機約8機が突撃してきて、うち1機が神威に機銃掃射を浴びせながら投弾。10m先に着弾し、ぎりぎりの所で外れた。16時35分、右30度の敵機1機を撃墜。16時45分に「撃ち方止め」が下命され、17時14分にマニラ地区の空襲警報が解除された。地獄のような空襲から生還した神威だったが、船体各所に数多の機銃弾痕が穿たれ、前部砲塔電源電路切断、武式2m高角測距儀使用不能、破孔6ヶ所、至近弾で主補送水喞筒海水出入口管付根亀裂の損傷を負う。人員面では砲術長が頭部に爆弾片を受けて戦死している。第三南遣艦隊命令第7号が発令され、補給艦はマニラを脱出して比較的安全なコロン島へ移動する事に。神威は22時3分に出港し、翌22日16時36分にコロン島へ到着。ディニマン島近海に投錨した。9月23日、第30号駆潜艇と第33号駆潜艇に燃料補給。しかしコロン島も安住の地ではなかった。午前9時、マニラ地区に空襲警報が発令され、コロン島も空襲を受ける危険性が高まった。
  • 9月24日早朝に22機のヘルダイバーと96機のヘルキャットが出現。湾内にいた12隻の特務艦と輸送船団が攻撃された。午前8時51分、神威は対空戦闘を開始。左舷側から約60機の編隊が近づいてくる。午前9時1分、対空砲火で1機撃墜し、2分後に左舷側の敵機も撃墜。上々の滑り出しを見せたが、その直後に上空より敵機が急降下。対空砲火で迎え撃つも機銃掃射を浴び、艦長、航海長、主計長、機関長が負傷。反撃で1機撃墜不確実を報じた。午前9時4分、軽質油庫に直撃弾を喰らい、火災発生。第一内火艇も炎上するが、こちらは鎮火に成功。間もなく軽質油庫の火災も鎮火するが、後部への至近弾で再び火災発生。午前9時23分、間隙を突いて出港準備を開始。8分後、抜錨。午前9時35分に消火に成功し、手酷い損傷を負いながらも外洋に脱出。難を逃れた。軽質油庫及び三番重油槽に海水が浸入、25mm機銃1基及び8cm高角砲照準器使用不能、各所に弾痕、艦橋照明装置や信号灯用電源破損等の被害を受けた。下士官7名と水兵9名が戦死。対空砲火で敵機2機以上撃墜を報じた。翌25日に菲島部隊電令作第320号が出され、マニラへ舞い戻る事になった。
  • 9月25日午前8時45分、ミマ11船団に加わって出港。9月27日午前5時、マニラの南西240マイルに到達。入港まで後少しの所まで来た。ところが45分後に、以前神威を襲った敵潜ボーフィンに雷撃され、4本のうち1本が直撃して中破。重油と軽質油に引火し、中部甲板と後部予備弾庫が大火災となる。1分後、艦尾と艦首にそれぞれ1本ずつ魚雷が通過していった。誘爆を防ぐため爆雷3個を投棄し、消火活動を実施を行って午前5時55分に鎮火。だが、艦首が徐々に沈下し始める。5番及び6番重油タンクから重油を後部に移送して誘爆を防ぐ。被雷の影響で11名が戦死し、1名が行方不明、19名が重傷を負った。夜遅くにマニラへ到着し、慶州丸の支援を受けながらキャビテ工廠に入渠、応急修理を受ける。食糧、重油、弾薬、真水の補給を行い、10月2日に作業完了。
  • 10月3日、マニラ発高雄行きのマタ28船団に加わってマニラを出発。17時40分にサンタクルーズで仮泊し、翌4日午前7時45分に出発。16時27分にサンフェルナンドに到着。10月6日に出発するが、午前8時に敵潜アスプロの襲撃を受け、3本の魚雷が放たれるも被害無し。一難さってまた一難、15時30分に敵潜カブリラが襲撃し、2隻の輸送船が撃沈される。18時30分、マタ28船団はラポック湾に引き返す事になり、反転。10月7日午前0時30分、台湾の東方沖で敵機動部隊が活動中との無線報告が入り、マタ28船団は二手に分かれる。翌8日16時30分、高雄に発令されていた空襲警報が解除されたため、再び高雄を目指す。23時25分、今度は敵潜ホーに襲撃され、輸送船1隻が撃沈。第8号駆潜艇も大破させられた。悪夢はまだ終わらない。10月9日午前1時42分、ソーフィッシュの雷撃で橘丸が撃沈される。相次ぐ敵潜の襲撃により、船団は香港に退避する事を決定。まず最初に足が遅い神威が離れ、16時に船団も香港へと向かった。10月11日13時20分、香港に到着。第2工作部から大修理を受ける。
  • 10月15日17時5分、1機のP-38と2機のP-51が山陰より出現し、対空戦闘。突っ込んで来た敵機から2発の爆弾が投下され、至近弾を受ける。2分後、敵機が機銃掃射をしながら投弾し、100m先に着弾。機銃弾により蒸気管が被弾し、蒸気が噴出するとともに内火艇から出火する。17時8分に別方向から銃撃を受けるも、損害軽微。5分後、内火艇の火災を鎮火。この日の空襲は終わった。翌16日15時30分、戦闘配置発令。3分後、味方機2機が飛び去っていくのが見えた。そして15時38分、B-25爆撃機7機が左方向より飛来。1分後に26機の編隊が出現した。多くの機は船舶が集まっている所へ向かったが、7機が神威へ襲い掛かる。高角砲が火を噴き、B-25を迎え撃つ。陸軍の煙幕船が活動し、港内の船舶を煙で覆い隠す。16時41分、空襲警報解除。高角砲10発と25mm機銃弾1300発を放った。
  • 10月21日18時11分、駆逐艦朝顔や第101号掃海艇、第23号及び第28号駆潜艇に護衛されて出発。ホモ01船団を形成して門司に向かう。11月1日に船団から分離し、翌2日17時13分に神戸へ到着。敵潜を警戒して大阪、和泉灘、天満湾、伊勢湾、清水を転々としながら11月9日に横須賀到着。11月13日午前11時20分より横須賀工廠第6船渠に入渠し、本格的な修理を受ける。九三式水中聴音機を零式水中聴音機に換装し、九六式25mm単装機銃を6基に増設。重油、食糧、弾薬、二式爆雷18個を搭載し、12月21日に諸公試を実施。真水の積載を終えたのち、12月22日午前6時52分に横須賀を出発し、第一東志丸や補助掃海艇羽衣丸に護衛されて瀬戸内海に向かう。清水港、伊勢湾、大島港、鍋島を経由し、12月26日14時5分に呉へ到着。便乗者や輸送物資を搭載する。12月30日、船団司令部が乗艦し、神威はヒ87船団の旗艦となる。17時28分に呉を発ち、19時に六連島へ回航。便乗者53名が乗艦した。そして高雄とマニラを経由してシンガポールに向かうヒ87船団に加わる。護衛には空母龍鳳、駆逐艦時雨旗風浜風磯風、海防艦御蔵、倉橋、屋代、第13号海防艦がついた。12月31日午前8時20分、出発。
     
  • 1945年1月1日の新年を洋上で迎える。艦内では四方拝が行われた。1月3日午前9時、台湾に空襲の兆候が見られたため舟山列島に避難。1月5日午前5時、舟山列島を出港して台湾に向かう。しかし道中の1月7日、東シナ海で敵潜バーブに発見され、ウルフパックが形成される。午前11時27分、大時化の中で敵潜ピクーダに雷撃され、宗像丸が大破。船団から分離する。18時30分、濃霧に隠れて台湾海峡に到着。ヒ87船団は入港時間をズラすため各グループごとに分かれて行動。翌8日正午、御蔵、屋代、第13号海防艦に護衛されて出発。23時13分に高雄の外港に辿り着いた。
  • 1月9日午前6時45分、対空戦闘に備えて戦闘配置につく。午前7時33分に転錨するが、その際に陸上の方から爆発音を聞いている。午前8時3分、敵機1機が左140度方向に確認され、対空戦闘開始。これを機に高雄港へF6Fとアベンジャーの大群が殺到する。午前9時9分、第9号海防艦が被弾するところを目撃。午前9時32分、1500m付近に爆弾が着弾して至近弾を受ける。神威にも敵機が群がってきたが、的確な射撃により攻撃を許さなかった。午前11時40分、敵機8機が左右に散開し、挟撃を仕掛けてきた。右舷60mに爆弾数発が着弾したものの被害なし。13時59分、対空砲火で1機撃墜。喜んだのも束の間、1分後に後部重油槽に直撃弾を受けて火災が発生するも損害軽微で済んだ。14時13分、鎮火。17時10分に空襲警報は解除され、便乗者53名とヒ87船団司令官他14名が退艦した。1月10日17時、ヒ87船団は高雄を出発。馬公に向かう予定だったが、基隆が空襲を受けているとの報が入ったため、1月12日に入港先を香港に変更。翌13日午前11時、香港へと入港した。だが香港はフィリピンから飛来する敵偵察機に監視されており、一息つける場ではなかった。
  • 1月15日午前9時20分、左方向に敵機14機を発見して対空戦闘。午前10時30分、艦尾方向と艦首方向に至近弾数発を受ける。14時6分に艦橋12cm望遠鏡台が被弾し、火災発生するも2分後に消し止められた。翌16日午前8時23分、再び敵機が襲来し対空戦闘。午前9時41分に至近弾を受ける。午前11時21分、艦首方向より敵機が接近。右30度100m付近に爆弾を投下されるも、2機を撃墜する。午後12時43分、右舷病室及び機械室付近に爆弾が命中して火災発生。主機械が使用不能になる。15時15分には前部に直撃弾2発を喰らい、至近弾十数発が両舷の艦首付近で炸裂。15時40分、敵機4機が左方向より急降下。対空砲火で1機撃墜するも、両舷に至近弾数発を受けて傾斜が始まる。16時5分に軽質油庫に注水。16時45分、神威に敵機2機が接近。これを対空射撃で2機とも撃墜した。18時30分に敵機が引き上げていったのを最後に、空襲は終わった。何とか空襲を生き残ったが、船団にはついていけなくなり、香港に残留。もはや戦えるだけの力は残っていなかった。1月29日、第2工作部に入渠して修理。主砲弾を返納し、代わりに機銃弾を積載する。2月10日、不発弾を揚陸。翌11日は紀元節という事で艦内休業となった。3月15日、香港にP-51戦闘機5機とB-29爆撃機3機が出現し対空戦闘。機銃弾101発を発射したが、戦果・被害ともに無し。
     
  • 1945年4月5日、B-24の大群が香港を空襲。神威は入渠中に直撃弾を受け、大破浸水。同時にドックを破壊されたため、修復の見込みが無くなる。4月9日に出渠。最後の力を振り絞って向島泊地へ回航し、船体は放棄された。4月13日、無人となった神威は着底。5月10日、第4予備特務艦となる。大破着底状態で終戦を迎え、1947年5月3日に除籍。進駐してきたイギリス軍によって解体された。戦後、舞鶴海軍墓地に芳魂乃碑が建立された。
    • 総戦果は敵機12機撃墜。魚雷6本、爆弾4発以上、無数の至近弾と機銃弾を喰らっても沈没しなかった化け物であった。さすがはアメリカ製だけあってタフネス。本当に特務艦なのだろうか…。

この艦娘についてのコメント


*1 「北海道神威岬の名前を~」はテキストでは表示されずボイスのみ
*2 アイヌ語で「こんにちは」(「プ」は小文字で、英語の「cup」の発音に近い音。参考
*3 アイヌ語で「ありがとう」
*4 所在地はニュージャージー州カムデン市である
*5 現在はVVVFインバーターや交流誘導モーターのような高効率・高出力な電圧制御やモーターが主流となっているため、エネルギーロス問題は驚くほど改善し、クルーズ客船や軍艦などを中心に電気推進が普及している
*6 原子炉は炉心の反応速度で熱出力が決まるが、ただ単に制御棒を抜き差しすれば反応速度が比例して制御されるというわけではなく。下手にそんなことをしていると炉内の燃料集合体の反応にムラが出来、非常に不安定になってしまう。この為、西側では原子力船にせよ発電所にせよ原子炉の負荷追従運転は禁忌とされている。東側ではやっていたが、その結果が……
*7 combined gas turbine electric and gas turbineの略。あさひ(III)型護衛艦はこの方式。
*8 combined diesel-electric and gas turbine
*9 因みにそんなことになった理由は、日本国内の多くの線路の耐荷重量が低すぎたせい