龍鳳

Last-modified: 2021-04-25 (日) 17:00:15
No.185
龍鳳(りゅうほう)龍鳳型 1番艦 軽空母*1
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久39火力0 / 20
装甲-- / 38雷装0
回避27 / 49対空24 / 48
搭載31対潜0
速力低速索敵28 / 64
射程20 / 69
最大消費量
燃料35弾薬35
艦載装備
18零式艦戦21型
7九七式艦攻
6未装備
装備不可
改造チャート
大鯨龍鳳(Lv25+改装設計図) → 龍鳳改(Lv50)→
龍鳳改二戊(Lv80+試製甲板カタパルト+改装設計図+開発資材x20) *2 龍鳳改二(Lv88+高速建造材x20)
図鑑説明
潜水母艦改装空母の龍鳳です。
機関の換装の影響で速度は計画通りには出なかったけれど*3、このクラスの軽空母としては充実の飛行甲板と兵装なんです。
空母龍鳳、精一杯頑張ります!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:小倉唯、イラストレーター:玖条イチソ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:小倉唯、イラストレーター:玖条イチソ

定型ボイス一覧

イベントセリフ改装段階備考追加


 
 
 


 
 
 



 
 








 
追加
入手/ログインこんにちわあ。潜水母艦大鯨です。
不束者ですが、よろしくお願い致します。
××××編集
潜水母艦改装空母の、龍鳳です。航空母艦として、私、頑張ります!×××編集
機動部隊、航空母艦龍鳳。本気でまいります!×××編集
母港*4編集
母港1詳細なんでしょうかあ?××××編集
はい、出撃ですか?×編集
母港2潜水艦と編成ですか? お任せください!××××編集
不幸…? 運が悪い…? え、私が!? そんなこと無いです!××××編集
えっ!?機動部隊の出撃ですか!?××××編集
機動部隊、出撃準備。まいります!×××編集
母港3えっと、この中ですか? 玉ねぎや馬鈴薯…あと…補給用の魚雷とか…です…はい…××××編集
ドーリットル? 何か、ちょっと苦手な響きの言葉ですね。何もしない…? 何…?××××編集
提督、あ、あの、低速軽空母だって、十分戦えますよね? 輸送艦代わりの遠征ばっかりじゃ、ないですよね……ね! 私、信じてます!××××編集
もう!輸送艦や防空砲台じゃなくて、私、空母です、空母!×××編集
ケッコンカッコカリ提督…こんな私を、生まれたままの姿で育ててくれて、本当にありがとうございます…いつも、はい、いつも、感謝しています。いつまでも、提督といっしょに…××××編集
提督、改装空母の私をここまで育ててくれて、本当にありがとうございます。いつも、いつも感謝しています。いつまでも、いつまでも提督の機動部隊に、私…!×編集
ケッコン後母港提督、お疲れではないですか?私、潜水母艦なので、居住性はちょっと自信あります。××××編集
提督、お疲れではないですか?私の飛行甲板で少しお休みになられますか?はい!×編集
放置時て・い・と・く、提督! あ、あの…潜水艦作戦は……
あっ、しばらくお休み…そ、そうですか…いえ、なんでもないんです…はい……
××××編集
て・い・と・く?提督!あ、あの、空母機動部隊の出撃は?…あ…えっと…暫くお休み?…そ、そうですか…あ、はい…××編集
素敵ですね。提督、このワイン私の装束と同じ色♪ て・い・と・く♪ 私、酔ってしまいそうですぅ/////××××編集
編成出撃編集
編成潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!××××編集
はい! 航空母艦「龍鳳」、抜錨します!××××編集
空母龍鳳の本当の力、お見せしたいと思います!××編集
出撃潜水艦隊旗艦、大鯨、出撃します!××××編集
潜水母艦、大鯨、抜錨しますね!××××編集
はい! 航空母艦「龍鳳」、抜錨します!××編集
空母龍鳳の本当の力、お見せしたいと思います!××編集
機動部隊、出撃です! 勝つ気で参ります!×編集
編集
開戦・攻撃*5編集
戦闘1昼戦開始敵艦発見! …ど…どうしましょう……!××××編集
気持ちいい…第一攻撃隊、発艦!×航空攻撃と共用編集
戦闘2昼戦攻撃えっ!? えーっと…こ、攻撃!?××××編集
続けていきます! 龍鳳、攻撃隊、発艦!×××編集
艦載機があれば、私だって!××編集
戦闘3夜戦開始この武装で艦隊戦は…無理かもー!××××編集
追撃に移行します。全艦、突撃!×昼戦攻撃と共用編集
編集
戦闘4夜戦攻撃当たって…当たってぇー!××航空攻撃と共用編集
七面鳥ですか!? 誰が…?わたしの!? いいえ、精鋭たちです!侮らないで!××編集
私達、改装空母をなめないで!××編集
編集
戦闘時ステータス*6編集
小破きゃーっ!××××編集
きゃあ~!×編集
やっ…やめてください!××××編集
やだ!飛行甲板の格納庫が!!×編集
中破/大破ちょ…直撃!? もっ…もうやだぁ……排水を急いで!沈んじゃう…!××××編集
やられました…エレベーターが……でも、まだ大丈夫、沈みません!×編集
轟沈え…私、沈むの…? …これが…みずの…なか……××××編集
空母として、沈むのね…今度は活躍、できた…かな?×編集
戦闘終了*7編集
勝利MVPえっ…嘘…わ、わたし!? …あっ、ありがとうございます…が、頑張ります!××××編集
私の艦載機が活躍したの? や、やったー! これが空母の、龍鳳の力なんです!×編集
旗艦大破編集
装備・改修*8編集
装備1改修/改造まあ~! ありがとうございます!××××編集
嬉しいです、ありがとうございます!×××編集
天山って、かわいいと思うんです。私××編集
装備2ほんとに? ちょっと嬉しいかも。××××編集
これなら、敵艦載機に負けません!×××編集
提督、ありがとうございます!×××編集
あら^~。おいしー!素敵ですね×××編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見嬉しいかも。××××編集
やりましたね!×編集
その他編集
帰投無事帰ってきました。よかったあ。××××編集
今回も無事帰って来れました。よかったぁ。××編集
無事に母港に戻って来れました。よかったぁ。××編集
補給はい、ありがとうございます。××××編集
艦載機の補充も、感謝いたします!×編集
入渠(小破以下)ごめんなさい、ちょっとお風呂に…。××××編集
ちょっとお風呂入りますね。×編集
入渠(中破以上)すみません、また少しお風呂に…うぅ、電気溶接だとダメなのかしら……。××××編集
すいません。ちょっと、長いお風呂になるかも×編集
建造完了まあ!新しいお仲間が来たみたいです。××××編集
新しい仲間が来たみたい。×編集
戦績表示提督?状況把握ですね、大切ですね。××××編集
提督、どんな状況ですか? 大丈夫?×編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

時刻セリフ改装段階備考追加


 
 
 


 
 
 



 
 








 
追加
00ちょうど午前零時です。すっかり深夜ですね。お疲れじゃないですか?×編集
01マルヒトマルマル。提督、深夜ですよ?×編集
02マルフタマルマル。提督、お休みにならなくていいのですか?×編集
03マルサンマルマル。ふはぁ、私も少し眠くなってしまいました…だ、大丈夫!ふあぁ…×編集
04マルヨンマルマル。だ、大丈夫です!格納庫の天山数えて起きているので、大丈夫。×編集
05マルゴーマルマル。提督、朝です!お早いですね?まさか、徹夜でしょうか…×編集
06マルロクマルマル。朝ごはんは何がいいですか?流石に朝からカレーは重いですよね…×編集
07マルナナマルマル。提督、朝ごはんはお味噌汁と卵焼き、鮭の切り身を焼いてみました。さぁ、召し上がれ!×編集
08マルハチマルマル。さぁ、今日も元気に頑張りましょう!ね?提督!?×編集
09マルキュウマルマル。鎮守府のお掃除もしたいですね。私、掃き掃除しますね!×編集
10ヒトマルマルマル。けっこうホコリも溜まっていますね。提督も一緒に、はい、これ持って?×編集
11ヒトヒトマルマル。お掃除すると、お腹がすきますね…お昼ご飯は何にしましょうか?×編集
12ヒトフタマルマル。今日のお昼ご飯は、大げぃ…じゃなかった、龍鳳特製カレーです!×編集
13ヒトサンマルマル。龍鳳特製カレー、いかがでしたか?馬鈴薯もおいしいでしょ?×編集
14ヒトヨンマルマル。提督、あのぉ、そろそろ本格的な機動部隊を…あ、まだ?…はいぃ…×編集
15ヒトゴーマルマル。提督、そろそろ本格的に、空母機動部隊が出撃ですよね?…ね!?×編集
16ヒトロクマルマル。なんだか、夕焼け空が綺麗…もう夕方ですね。×編集
17ヒトナナマルマル。そろそろ、お夕食の準備をしないと。提督、何がいいでしょう?×編集
18ヒトハチマルマル。お昼はカレーですし、夜は少し凝ったものがいいでしょうか…×編集
19ヒトキュウマルマル。提督、今晩はフーカデンビーフ*9にしてみました。どうでしょう?×編集
20フタマルマルマル。フーカデンビーフ、いかがでしたか?…ふふ、良かったぁ!×編集
21フタヒトマルマル。提督、洗い物片付けたら、明日の作戦の計画を立てましょう?×編集
22フタフタマルマル。明日こそ、本格的な空母機動部隊による出撃を…ね、提督!?×編集
23フタサンマルマル。提督、本日も一日、大変お疲れ様でした。明日も頑張りましょう?×編集


季節ボイス一覧


イベントセリフ改装段階備考追加


 
 
 


 
 
 



 
 








 
追加
桃の節句雛祭り♪ 雛人形、可愛いですね。潜水艦たちも、可愛い…あれ、菱餅が? おかしいわ、たしかに…また用意しなくちゃ。編集
春の訪れ編集
ホワイトデーもしかしてこちらを私に?ありがとうございます♪ 私、だいじにだいじに頂きます♪編集
お花見ですか? おまかせ下さい。お重いっぱいにお料理詰めて、馳せ参じますね。あの子達、何が好きかしら? 楽しそう。ふふ♪編集
春本番編集
梅雨雨の季節。ふふ。作っちゃった。て・い・と・く・の・てるてる坊主。かわいい。あ、提督、ほら、似てるでしょ。××編集
雨の季節。ふふふ。作っちゃった。て・い・と・く・と・龍鳳のてるてる坊主。あ、提督、ほら見て。かわいいでしょ。×編集
初夏て・い・と・く♪ え、何ですか? 水着ですか? 一応用意してあるのですが…え、今ですか?! 夏まで待っててくださいね?編集
編集
盛夏て・い・と・く♪ あの、私…水着、着てみました。どうでしょうか? あ、あの、あまり見つめないで下さい…はわゎゎゎ…////編集
夏祭り編集
あ、時雨さん。お疲れ様です。え、秋はバルジが…? そうですね、時雨さんは大丈夫だけど、私気をつけなきゃ…。編集
秋刀魚艦隊で、秋刀魚漁支援ですか? 了解しました。あ、磯風さんも、準備万端ですね? よーしっ!××編集
艦隊全力で、秋刀魚漁支援ですか? 龍鳳、了解しました。磯風さん、浜風さんも準備万端ですね?×編集
晩秋少し寒くなってきましたね。風邪を引かないようにしないと…提督も、暖かくしてくださいね?編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスて・い・と・く♪ クリスマスですね。私、腕を奮っちゃいます! お料理のリクエストがあったら、言ってくださいね?編集
年末鳳翔さん、どうされたんですか? そうか、鎮守府大掃除ですね。私もお手伝い致します♪ あ、はい。まず掃き掃除からですね?編集
新年提督?あ、あの…潜水母艦、いいですよね?必要ですよね?…あー、良かった。はい!潜水艦達のお世話は、お任せ下さい!××××2015編集
提督、あ、あの…低速軽空母だって、十分戦えますよね?…ね?私、信じてます。×2015編集
て・い・と・く、提督♪ 新年あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します!2016編集
節分節分なんですけど、潜水艦の子たちが…。痛ーい! や、やだ、痛ぁ! も、もうやだあ。あ~ん! やめてー! もう降参だからー!××××編集
節分なんですけど、さすがに空母になった私には潜水艦の子たちは…っ痛い! え、どうして?! いた、いたたたっ! も、もうやめてー! どうしてー?! もーうっ!×編集
バレンタインて・い・と・く♪ はい! 大鯨からのチョコレート、どうか受け取って下さい。あ、ありがとうございます♪××××編集
て・い・と・く♪ はい! 龍鳳からのチョコレート、どうか受け取って下さい。あ、ありがとうございます♪×編集

二周年記念編集
三周年記念編集
四周年記念て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊は四周年を迎えました。大鯨も、お祝い申し上げます。祝賀のお料理、作りますね♪××××編集
て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊は四周年を迎えました。龍鳳もお祝い申し上げます。祝賀のお料理、作りますね♪×××編集
五周年記念て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊はついに五周年を迎えました。大鯨も、お祝い申し上げます。祝賀のお料理、がんばりますね♪××××編集
て・い・と・く♪ おめでとうございます。艦隊は遂に五周年を迎えました。龍鳳もお祝い申し上げます。祝賀のお料理、頑張りますね。×××編集
六周年記念編集
七周年記念編集
八周年記念編集
周年記念て・い・と・く♪ おめでとう御座います。艦隊はこの春また、新たな歴史を刻むことが出来ました。お祝いとお礼、申し上げます。編集



イベント名編集


内容編集



ゲームにおいて

  • レベル25以上の潜水母艦大鯨を改造することで、艦種が軽空母に、艦名が龍鳳に変わる。
  • 性能は、耐久力が飛鷹と同等、搭載数と燃費が祥鳳と同等。
    ただし低速なので、速力がルート分岐に影響する海域には注意。
    • 無改造の軽空母としては普通の性能。改造艦としては千歳航なみの弱さ。
  • 終戦時に損傷状態とはいえ「浮いた状態で」生き残ったためか、運は若干高め。詳しくは小ネタでどうぞ。
    • 主要な海戦への参加は一度きりで建造当初から空母改装までトラブル続きだった割には高い評価といえる。
  • Lv50で龍鳳改へ改造可能。改造後は九七式艦攻(九三一空)を初期装備として持参する。
    • ランキング報酬だった強い九七式艦攻ではあるが有用性はそれほど高くなく、大鯨自体が入手し辛い上に改装設計図が必要なので、牧場のハードルは少し高め。
    • 2017年5月、この艦攻は大鷹が先制対潜攻撃をするための装備の一つとして指定された。同艦攻は大鷹改も持参するが改造レベルが60と更に高いため、早期の戦力化を図る提督にとっては龍鳳のレベリングも選択肢に入ったと言えよう。

  • ちなみに「鳳」の付く艦娘には、いずれも提督への愛情(親しみ)がこもった台詞が大変多い。
    大鳳鳳翔祥鳳、そして瑞鳳、本艦も例外ではない。
    • 「提督」と発言する回数は17回。実装当初は三隈に次ぐ多さだった。改では18回に増える。
      現在の最多艦は、期間限定ボイスを含めた回数では由良改二の40回。詳しくは4位の鹿島改の小ネタをどうぞ。
  • よく見ると艦名表示が金色ではなく、未改造と同じ白色。
  • 大鯨ほどではないが、艦船図鑑において説明文とボイスの一部が一致しない部分がある。

限定グラフィック

  • 2016/8/1のアップデートで期間限定グラフィック「水着mode」が実装された。
    • 大鯨は青系の水着に鯨のアクセサリーに対して、龍鳳は赤系の水着に花のアクセサリーになっている。

    限定イラスト:水着mode

    限定イラスト:水着mode

  • 2016年10月21日のアップデートにて「鎮守府秋の秋刀魚祭り」mode及び期間限定ボイスが実装された。
    • 磯風に加えて浜風も応援に来てくれたようである。助かった・・・。

    限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode

    限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode

  • 2020年12月10日のオンメンテナンスで、期間限定グラフィック「Xmasmode」が追加された。
    • こちらはオーソドックスな赤。

    限定イラスト:Xmasmode

    限定イラスト:Xmasmode

  • 2021年1月1日のオンメンテで、期間限定グラフィック「晴着mode」が実装された。
    • 龍鳳改と共に5年越しの差分実装となった。

    限定イラスト:晴着mode

    限定イラスト:晴着mode

小ネタ

戦歴

]戦歴

潜水母艦時代の艦歴は「大鯨」の項を参照
194211.30空母「龍鳳」として改装完了。即日第三艦隊に編入
12.12沖鷹と共に横須賀を出港。道中で米軍潜水艦*10に雷撃され横須賀へ退避
12.16横須賀で修理を受ける
19431.15酒巻宗孝少将以下第三艦隊第50航空戦隊所属
3.19横須賀を出港
3.31呉に入港。着艦練習艦として使用される
5.25呉を出港
6.10米軍潜水艦*11の攻撃により飛鷹が被雷損傷。飛鷹航空隊機はそのまま龍鳳航空隊に転用される
6.12第三艦隊第二航空戦隊に編入。同日附で同戦隊旗艦を拝命
6.21トラック泊地へ入港
7.19雲鷹と共にトラック泊地を出港
7.24呉に入港。着艦練習艦として使用される
10.6初春に護衛され輸送任務に従事
11.5
11.25飛鷹初春初霜谷風と共に輸送任務に従事
19441.2
3.19呉を出港
3.29瑞鳳と合流
3.30瀬戸内海を出港。雪風山雲初霜の護衛下におかれる
5.11隼鷹らと共に佐伯を出港
5.16タウイタウイ泊地に入港
5.20あ号作戦発令
6.13タウイタウイ泊地出港
6.19マリアナ沖海戦。至近弾1発を受け小破
7.3呉に入港
7.10第三艦隊第一航空戦隊に編入
8.10第三艦隊第四航空戦隊に編入
11.7第一機動艦隊旗艦を雲龍より引き継ぐ
11.15第三艦隊・第一機動艦隊解隊。聯合艦隊第一航空戦隊所属となる
12.13雲龍と共にロケット特攻機『桜花』の輸送艦に指定される
12.28桜花58機を搭載し、ヒ87船団護送を行う
19451.10TBFアヴェンジャー12機の空襲に遭遇。対空戦闘を行い1機を撃墜
1.18呉に入港
3.19第1次呉軍港空襲において大破炎上。死傷者42名
3.23鳳翔と共に第二艦隊に編入される
4.20第二艦隊解隊。呉鎮守府第四予備艦となる
6.1特殊警備艦(防空砲台)として江田島に係留される。高角砲要員・機銃要員以外は下艦
8.15太平洋戦争終結
11.30除籍
19464.2播磨造船呉船渠において解体開始
9.25解体完了

歴代艦長

歴代艦長

潜水母艦時代の艦長は「大鯨」の項を参照
第12代亀井凱夫 大佐1942年11月30日~1944年3月16日
第13代松浦義 大佐1944年3月16日~1945年1月20日
第14代高橋長十郎 大佐1945年1月20日~1945年4月28日
第15代佐々木喜代治 大佐1945年4月28日~1945年11月30日
  • 太平洋戦争の勃発後、大鯨は横須賀海軍工廠で改装工事が行われた。
    • この時に主機を不具合だらけで出力も予定の半分しか出せていなかったディーゼルから陽炎型に搭載され信頼性のあるタービンエンジンに換装。
      これにより工期が増大し、機関を積み替えずに短期で空母にする目論見は外れてしまった。
    • 更に大鯨の時点で予定より2,000tほど排水量が増大していた結果*12、最大速度は準同型艦である瑞鳳達より低くなった。
      (「瑞鳳」「祥鳳」:28ノット、「龍鳳」:26.5ノット。機関出力はいずれも52,000馬力で同じ)
      結果、本ゲームで速力の門番を務めているに届かず、低速の座に甘んじることとなる。
    • 改装途中の1942年4月18日、初の米軍による日本本土爆撃(ドーリットル空襲)が発生。B-25爆撃機の投下した爆弾が横須賀軍港第4ドックにいた大鯨に命中、大穴が空き火災が発生している。
    • これによって更に工事が大幅に遅延し、改装が完了するのは11月30日となった。ここにおいて瑞鳳型軽空母「龍鳳」が誕生する。
      • 図鑑では「龍鳳型」になっているが、史実では「瑞鳳型」としてくくられることが多い。これは史実での書類上の扱いと実態の乖離から発生している。
        日本海軍の書類上は「瑞鳳型航空母艦」であるが、瑞鳳以外に龍鳳・千歳千代田が含まれている。*13
        要するに他母艦からの改装艦を一纏めにした分類であり、この場合は始めに空母として竣工した瑞鳳がネームシップ扱いとなる。*14
        実態は「瑞鳳型」各艦で設計・元々の艦型の違いから祥鳳型の祥鳳・瑞鳳*15、龍鳳型の龍鳳、千歳型の千歳・千代田と分離されることが多い。
        艦これにおけるくくりはこの実態説のほうを採っている。絵師の違いもここから来ているものと思われる。*16
  • 艦名は「竜鳳」と表記されることもあるが、日本海軍的にはそれ正解。書類上*17で度々「竜」の文字が使われている。
  • 第三艦隊に配属された龍鳳であるが、まだまだ彼女の試練は続く。
    • 既にソロモン方面での空母同士の戦いは事実上終結しており、文字通り間に合わなかった。*18
    • 12月、最初の航海で潜水艦の雷撃*19で損傷、またもやドック入り。この時は時津風の護衛を受けていた。
    • 1943年は航空機輸送と訓練で出撃なし。
    • この頃、このクラスの空母では搭載しなかった九九艦爆が所属した事がある。1943年6月、横須賀からトラックへ移動中の飛鷹が潜水艦の魚雷攻撃を受け引き返し、所属艦載機が龍鳳所属となったためである。
      ただし、全ての艦載機を搭載しきれなかったので、搭載したのは零戦九七艦攻のみで、艦爆隊は島伝いに空路移動している。
    • しかも移動直後の7月、ソロモンの戦いに駆りだされ、9月には戦闘機隊が二〇四空、爆撃機と攻撃機は五八二空に編入されて、二航戦は母艦戦闘なしに消滅してしまった。
  • 戦闘デビューはマリアナ沖海戦。「飛鷹」「隼鷹」と第二航空戦隊を組むも空襲を受け小破。これが最初で最後の航空戦であった。
    • 祥鳳瑞鳳龍驤などと同じく、彼女も飛行甲板下に艦橋がある構造だったため、飛行甲板前端がヒサシのようになって敵機が見えにくいという欠点があった。*20
      そこで飛行甲板前端左舷側に仮設艦橋を設置、艦橋まで伝声管を引いて、敵機を見ながら操艦することが可能になった。
      艦長松浦義大佐*21は飛行甲板右舷の飛行作業指揮所で戦闘全般と発着艦の指揮、仮設艦橋では航海長越口敏男少佐が艦長から操艦を一任され陣取り、本来の艦橋では副長が艦内全般指揮と、
      幹部たちがそれぞれ持ち場を分担することによって、龍鳳を守り抜くために全力を尽くせるよう方策が講じられていたのである
    • 僚艦隼鷹が直撃弾により損傷、飛鷹が被雷により大火災となると、敵機の攻撃は龍鳳へ集中された。
      この時、突っ込んでくる艦爆一機の発見が遅れ、航海長は慌てて「面舵一杯急げ、前進一杯!」を命令するも時既に遅く、爆弾直撃を免れ得ない状態となった。
      ところが、龍鳳は急激な大角度転舵のため、飛行甲板上の零戦3機を海中へぶち撒けたほどに大傾斜。
      傾斜した分だけ身を捩った格好となり、命中するはずの爆弾は倒してあった後部マストをもぎ取ったのみで舷側の海中に落下、至近弾となった。
      あと一瞬転舵命令が遅ければ、またもし爆弾が瞬発信管でマストの位置で爆発していたら*22、龍鳳は間違いなく致命傷を負っていたという。
      命の瀬戸際で豪運を発揮したのだった。
      • この戦闘の際に護衛として随伴していた時雨から、急降下爆撃機を警戒するあまり雷撃機の警戒を怠っているとの注意を受けている。
    • 自身の搭載機の他に二航戦僚艦の分の艦載機も収容する羽目になったが、なにせ僚艦は大型の隼鷹(発着艦不能)と飛鷹(沈没)。
      戦闘で消耗しているとはいえ、龍鳳の搭載機数では収容にも限度があった。結局途中からは駆逐艦のそばへ不時着水を命じ、搭乗員だけ収容することになっている。
    • この戦いで、龍鳳は乗員から1人の戦死者も出さなかった。
      僚艦飛鷹をはじめ、翔鶴、大鳳も無残に沈没し、艦載機の大部分も還ってこない。
      そんな大敗北のなか、対空戦闘で死者を出さなかったことだけが、龍鳳乗員たちの心の慰めだったという。
  • マリアナ沖海戦後新鋭機の運用のために飛行甲板の延長工事を受ける。
  • 1944年8月、航空戦艦となった日向伊勢と組むべく、隼鷹とともに第四航空戦隊に編入された。
    伊勢型姉妹に予定通り彗星が搭載されて実戦投入されれば、龍鳳と隼鷹はその収容先としても機能するはずだった。
    • 四航戦所属の第六三四航空隊は瑞雲隊に加えて、空母艦載の天山九九艦爆なども編入されて訓練を続けていたが、レイテ沖海戦に際し、瑞鶴以下の三航戦に保有する空母艦載機を全て供出。
      このため空船となった龍鳳と隼鷹はレイテ沖海戦には参加せず、四航戦は火力と防御力を期待された日向と伊勢のみが出撃していった。
  • レイテ沖海戦後、四航戦主力の日向と伊勢がH部隊としてフィリピン方面に進出していった。
    残された龍鳳と隼鷹は、他の空母らとともに第一航空戦隊を編成したが、もはや一航戦の栄光も過去のもので、文字通り生き残り空母の書類上の寄せ集め*23であり、これを用いて航空作戦をする力など当時の日本には既になかった。
    • 龍鳳は、空母機動部隊である第一機動艦隊の最後の旗艦である。この後も一航戦の名は残っていたが、その内情はもはや空母戦隊ではなかった。
    • 艦載機を失った「龍鳳」は輸送艦として運用される。1945年1月、ヒ87船団*24の一員として、ロケット特攻機「桜花」を積み荷として載せ出撃。
      行き先をフィリピン・ルソン島から台湾に変更し、台湾で積荷を下ろして本土行き船団に合流、磯風とともに本土へ帰還する(浜風は損傷し船団から分離、修理を受けた)。
      しかしながら、随伴していた駆逐艦「時雨」とは、永遠の別れとなってしまった。時雨はそのままシンガポールへ向かうヒ87船団の護衛を続け、その最中に潜水艦に撃沈され還らぬ艦となったのである。
      このヒ87船団は最終的に輸送船9隻の内5隻を喪失、シンガポールに到着できた輸送船は(落伍により後続の船団に入って到着した1隻含め)2隻のみと惨憺たる結果に終わっている。*25
      • 艦娘としての龍鳳が桜柄の着物をまとっているのは、特攻兵器「桜花」の輸送艦として使われた史実を表すものと思われる。
  • 呉に戻った後は練習空母に戻るが、燃料不足でろくに活動出来ぬまま、1945年3月19日の呉軍港空襲で大破、炎上する。
    • 飛行甲板の機能を失った「龍鳳」は高角砲と機銃による防空砲台として使用されそのまま終戦。11月30日に除籍され、1946年9月25日に解体完了となった。
    • 着底していた違い、浮いてはいたものの、航行不能だったため、鳳翔雪風葛城等が参加した復員輸送には従事出来なかった。
  • 歴代艦長には特潜育ての親・原田覚や、夜間空母着艦を成功させた亀井凱夫などがいる。
  • 最後の艦長となった佐々木喜代治大佐は、昭和21年4月24日に名を「喜代治」から「龍鳳」に改めた。(第二復員省公報第104号(昭和21年6月14日)218頁)
  • なお、改装時に取り外された大鯨の艦橋は横須賀鎮守府の号令台に流用され、アメリカ軍接収後もヘリポートの管制塔として1970年代まで残存していたと言う。
  • 夕食に作ってくれるフーカデンビーフとは海軍風のスコッチエッグ。主に士官以上に供された。
    大きな特徴としては、ひき肉でゆで卵を包んだ後は揚げるのではなくオーブンで焦げないように焼くこと。

戦歴

折りたたみ

  • 前身は潜水母艦大鯨。開戦直後の1941年12月20日より横須賀工廠で空母への改装工事が行われていた。1942年4月18日のドゥーリットル空襲の際に500ポンド爆弾が直撃したため、工期に遅延が発生した。10月20日に舞鶴鎮守府に編入。11月から東京湾で公試を行い、海軍工廠の技術者を乗せて試運転を実施。好成績を収めた。燃料や予備水を搭載せず消耗品のみを積載した基準排水量は1万3360トン、燃料や予備水を3分の2だけ積載した公試排水量は1万5300トンとなった。速力試験では館山沖に1海里間隔で設置された標柱の間を直進し、艦の速力を割り出した。兵装公試も恙無く行われた。
     
  • 1942年11月28日、ついに工事が完了。空母として生まれ変わった。同月30日に軍艦龍鳳と命名。大鯨時代の乗組員がそのまま龍鳳に充てられた。瑞鳳型の中では最も遅い就役であり、長兄の祥鳳は既にこの世を去っていた。第3艦隊に編入され、初代艦長に亀井凱夫大佐が着任した。副長には山崎誉少佐(航海長と兼任)、機関長には村山孝治中佐、砲術長には小屋増男少佐、通信長には木戸長三郎大尉、運用長には坂田小三郎中尉、工作長には小橋睦三大尉、軍医長には長原康夫少佐、主計長には山岸二郎大尉がそれぞれ着任。何故か整備長は欠員となっていた。航空機の不足から、当初航空隊は配備されなかった。だが元蒼龍のエースパイロット江草隆繁少佐が配属されている(横須賀航空隊長と兼業)。竣工後の11月30日から12月10日にかけて、瑞鶴とともに新型艦上攻撃機天山の運用試験を実施。ところが天山九七式艦攻より遥かに重量が増えており(3700kg→5700kg)、母艦の制動索を切断するなど事故の連続だったという。また発艦距離を縮めるため、ロケット促進装置のRATOが投入された。これは帝國海軍で初めて実用化された装置だった。
    • 要目は排水量13360トン、全長215.65メートル、全幅19.58メートル、速度26.5ノット、出力52000馬力、搭載燃料2400トン、乗員785名。しれっと隼鷹型より優速である。瑞鳳型と同じような改装を受けているので、資料によっては瑞鳳型としている場合がある。大鯨から煙突と上部構造物を撤去し、後部に1組、羅針艦橋前に2組の支柱を設置。その上に全長185m、全幅23mの飛行甲板を設けた。一方、要所要所で改良が加えられており、まず飛行甲板に強度甲板を使用。このため龍鳳には伸縮継手が一切無く、風や波浪を受けても船体が歪まないようになっている。大鯨が瑞鳳より全長約10m長かったので、それに伴って飛行甲板も約5m延伸している。ミッドウェー海戦の戦訓から、瑞鳳型より対空兵装を大幅強化。最初から九六式25mm三連装機銃10基を装備した。着艦制動索も瑞鳳型から一索追加され、計八索となっている。艦載機揚収用の起倒式クレーン1基を後部昇降機右側に装備。格納庫は瑞鳳型同様に二段式になった。右舷中央に斜め下向きの煙突を持つ。
    • 従来の羅針艦橋を撤去し、飛行甲板下の操舵室を改造。羅針艦橋兼操舵室とした。その後方には伝令所や作戦室兼海図室を内包した補助艦橋を設置。左舷側艦橋には防空指揮所を設けていたので戦闘艦橋と呼ばれた。他は瑞鳳型に倣い、両舷に指揮及び見張り所、補助艦橋、防空艦橋を設置している。補助艦橋下には舷側通路があり、左側には起倒式信号マストが置かれた。艦首にシアとフレアを持つ。艦尾の形状はクルーザー・スターン(巡洋艦)型を採用。空母にしては珍しく巡洋艦型の船体を持っている。大鯨自体大型な潜水母艦だったので、祥鳳や瑞鳳より巨体になっている。強化の代償で更に2000トンほど大型化。計画より速力も低下し、準同型艦の祥鳳や瑞鳳と比べて低速になってしまった。具体的には1.5ノット低くなっている。
    • 大鯨時代から前部に飛行機用昇降機を装備していたが、後部にも新たに追加された。龍鳳は護衛空母ではなく、機動部隊の攻撃力増加に投入する準正規空母の扱いであった。このため計画では艦戦24機と艦攻7機を運用する予定だったが、31機の艦載機を全て格納庫に収容するのは困難なので一部は露天繋止した。大鯨の機関は11号10型内火機械というディーゼルエンジンであったが、故障続出で最大出力も発揮できなかったので信頼性に長ける陽炎型タービン2基に換装。工期が延びる要因になったが、速力が20ノットから26.5ノットへ大幅に向上。余談だが、降ろされたディーゼル機関は後の2TL型標準船さばん丸と玉栄丸に流用された模様。また電気溶接で大失敗したので、船体にリベットを打って堅実な設計に戻した。
    • ミッドウェー海戦の戦訓により、消火施設の改善と改良が行われた。従来の炭酸ガスでは破孔が生じると効果的な消火が困難になるので、新たに泡沫式撒水装置を採用。火災が発生した際、30%濃度の石鹸水を噴射。海水と空気を混合する事で泡が発生する仕組みとなっていた。格納庫の前中後部に独立した電源を用意する事で、電力を喪失した状態でも稼動するよう工夫されている。被弾時の破片から導管を守るため、DS鋼板で覆った。格納庫の両側には50m間隔で、左右交互に防御された消防監視所が設けられた。艦内の防火対策の一環で、不燃性塗料を使用。延焼しやすい油性塗料を剥がし、アートメタル・ペイントを塗布した。格納庫、発動機調整所、軽質油ポンプ室、軽質油庫、船内通路、機械室、缶室、補機室、工場、弾火薬庫、居住区など広範囲に渡った。揮発油タンク区画の防御力強化も併せて実施された。
    • 従来の空母では、給気路は煙突の反対舷に設置するのが通例だった。しかし火災が発生すると熱気が機関区に流れ込んでくるので、両舷側に給気路を設置して適宜切り替えが出来るように改良。同時に機関室や機械室の中央隔壁の上部に非常脱出口を設け、反対舷への機関員の脱出を可能にした。これは防水上のデメリットがあったが、乗員の命を優先した。このように火災対策は徹底され、そのおかげかミッドウェー海戦後に火災で沈没した空母はゼロになった。
      • 龍鳳が編入された第3艦隊は、ミッドウェー海戦後に新設された機動部隊である。大型空母が攻撃を担当し、小型空母が艦隊の防御を担う役割を負った。1942年7月14日の新設時には既に龍鳳の編入が決まっていた事から、準正規空母扱いだったのは間違いない。もし南太平洋海戦に龍鳳が間に合っていれば、戦局に影響を与えた可能性は十分に考えられる。当隊は情報戦と戦務を重視しており、参謀と通信員を増加させている。
         
  • 12月4日午前11時34分、龍鳳に最初の任務が与えられる。それは空母冲鷹とともに、トラック島に陸軍第45戦隊の99式双発軽爆撃機22機を輸送する事だった。空母による輸送は、機材もろとも要員を輸送できるという事で極めて魅力的かつ有利なものだった。11月末に満州西北部を出発した白城子教導飛行団が横須賀に到着。同じく空母改装化を済ませたばかりの冲鷹が輸送作戦に加わり、瀬戸内海西部から横須賀へ回航。冲鷹と護衛の卯月時津風を指揮下に入れ、99式双爆22機と付属部隊133名を積載。飛行団長の白銀(しろがね)重二少将も乗艦し、飛行甲板には、ずらりと双発機が並べられた。出港直前になって冲鷹が機関故障を訴えたため、龍鳳と駆逐艦時津風のみが先行する事になった。出発日の12月10日午前9時30分、龍鳳は護衛を担当する駆逐艦の名を第4水雷戦隊に問い合わせ。すると「時雨と朝雲」との返答が来た。2隻と合流後、時津風は分離してサイパンに向かう手はずだった。12月10日15時に駆逐艦時津風を護衛に伴って横須賀を出港。目的地のトラック島から、駆逐艦時雨と朝霜が護衛に加わるべく出発。15日正午に合流し、翌16日午前5時にトラック北水道へ到着する予定とした。ところが初航海にして、いきなり悲劇が襲う。
  • 12月12日、豊後水道に機雷を敷設しにいく途中だった米潜水艦ドラムに発見される。午前10時12分、八丈島東約160海里で雷撃を受け、4本の魚雷が伸びてきた。このうち、右舷艦橋下に魚雷1本が命中。約100名が死傷し、中破してしまう。すかさず横須賀鎮守府に「我、雷撃を受け、魚雷1本命中。地点ハノリ19」と打電。右舷中部に浸水が認められたものの航行に支障は無かった。だが任務の続行が不可能になり、午前10時53分に横須賀へ引き返す旨と護衛駆逐艦の手配を横鎮に乞うた。足を止めた龍鳳はまさに格好の的であったが、幸運の戦巫女は龍鳳を抱擁した。ドラムは艦首魚雷発射管2門に機雷を詰めていたため、トドメの魚雷をすぐには撃てなかったのである。敵潜は潜望鏡を上げ、龍鳳を観察。船体が傾斜し、飛行甲板が見えたという。艦尾魚雷発射管でトドメを刺す準備に取り掛かるドラムだったが、海上の潜望鏡に向けて龍鳳が機銃射撃を実施。小さな水柱が林立するも、あまり効果は無かった。そこへ異変に気付いた護衛の時津風が急行。急速潜航するドラムに爆雷を投射し、修理を要する損傷を与えて時間を稼ぐ。ポートシャフトが停止して制御を失ったドラムは緊急修理を行う。敵潜が海中で釘付けになっているうちに8ノットで後退し、ゆっくりと横須賀を目指す龍鳳。迅速な退避行動が功を奏し、数時間後にドラムが
    再浮上した頃には、既に龍鳳の姿は無かった。諦め切れない敵潜は龍鳳を追跡しようとしたが、対潜哨戒機が駆けつけ、ドラムを散々に妨害。遂に追跡を断念し、撃退された。道中で駆逐艦旗風と館山航空隊が救援に駆けつけ、彼らの援護を受ける。17時20分、護衛に赴くはずだった時雨と朝雲の出港が見送られ、冲鷹の護衛に転用された。12月13日16時45分に電線敷設船初島が護衛に参加し、対潜掃討を実施している。
  • 味方の尽力により、12月14日に横須賀に到着。龍鳳の生死は昭和天皇に心配されるほどだった。龍鳳に載せていた99式双爆は全機点検が必要になり、陸軍学校のある鉾田飛行場へ移った。被雷の際に死傷した人員もそちらへ移された。白銀少将も負傷していたが必要な手当てを受け、海軍の飛行艇で長眞田穣一大佐とともにラバウルへと向かった。龍鳳の脱落によって、12月18日午前10時53分に指揮権が冲鷹に移動。早速修理が
    始まったが、完工までに約4ヶ月を要した。ちなみに彼が運ぶはずだった機体は後続の瑞鶴によって輸送された。12月22日、連合艦隊電令作第429号によって輸送任務から外された。初任務は散々な結果に終わり、1942年は暮れていった。
     
  • 1943年1月15日、訓練専門の第50航空戦隊が新編。内地に正規空母が残っていなかったため、たまたま内地にいた龍鳳と鳳翔が練習空母に指定された。駆逐艦夕風と標的艦摂津も加えられ、酒巻宗孝少将の指揮のもと母艦搭乗員養成及び機材整備の任務に就く。同日15時に鹿屋海軍航空隊に将旗が掲げられ、開隊が宣言された。龍鳳は第5部隊に編入されたが未だ修理中だったため、任務は与えられなかった。2月1日午前11時3分、第50航空戦隊司令より隊内番号「5」を割り当てられる。予定では3月10日頃に修理を完了し、3月18日に出港する事となっていた。工期を限界まで切り詰めているため、これ以上の短縮は不可能だと第3艦隊へ通達している。出港に備え、護衛駆逐艦の手配も行っている。
  • 2月7日と8日、東京湾にて鹿屋航空隊の着艦訓練に協力し、2月10日に修理を終えて出渠。2月15日に横須賀を出発し、単独訓練を実施。基礎訓練、諸兵器及び諸装置の公試・試験、臨戦準備作業等をこなした。2月18日、第50航空戦隊の関係者が艦内を巡視していった。続けて諸試験を実施したところ、3月9日の航空用燃料タンク最終試験時にバラスト用水の漏洩を確認。さっそく修理が施されたが、出港日が1日遅延してしまった。3月15日と翌16日に翔鶴艦攻の発着艦訓練に協力した。3月17日に完了。翌18日、龍鳳に派遣された鹿屋航空隊の艦攻8機と艦爆8機を搭載。一時的に龍鳳艦長の指揮下に入り、臨時乗組員の扱いとなった。回航に向けて横須賀鎮守府と連合艦隊から護衛駆逐艦が派遣され、まとめて翔鶴の指揮下に入った。
  • 3月19日午前7時に横須賀を出港し、東京湾で翔鶴浜風、波風、漣と合流。瀬戸内海西部に向けて回航された。本土近海では米潜水艦が出没し始めていたため、訓練を兼ねて対潜警戒に当たっている。だが3月20日午前6時30分に2回目の航空教練中止の無電が入り、取り止めとなった。同日13時に瀬戸内海西部に到着し、翔鶴と分離。大分航空隊に便乗の搭乗員と機体を引き渡し、徳山へ回航。そこで燃料補給を受けたのち杵築湾に移動した。未了だった運動力検測と自差修正、出動諸訓練、基礎訓練を行い、準備を整えた龍鳳はいよいよ搭乗員養成訓練に参加する。
  • 3月21日20時40分、横須賀航空隊の雷撃訓練に協力するよう命令が下る。同月27日まで鳳翔と協同で雷撃訓練の標的艦になった。3月29日15時55分、着艦に失敗した艦攻1機が不時着水して喪失。搭乗員は救助された。同月31日20時30分、基礎訓練のため出港。訓練と同時に、便乗していた横浜飛行機隊の雷撃擬襲に協力した。
  • 4月1日時点の龍鳳の人員配置は士官21名、将官12名、予備士官5名、准士官15名、下士官194名、水兵581名、便乗者5名の計833名であった。翌2日からは発着艦訓練にも協力。発射された訓練用魚雷は夕風がせっせと回収した。搭乗員の訓練は多忙を極めており、夕風1隻では足りないと申告書に書かれているほどだった。4月4日午前10時5分、佐世保鎮守府より本土東方海域に敵機動部隊出現の危険性ありとの情報が入った。これに伴って瀬戸内海の第50航空戦隊に警戒配備が命じられ、航空機は分散配置された。23時、龍鳳は第50航空戦隊に「目下、第3警戒配備中」と報告している。予想された攻撃は無く、4月7日以降から訓練が再開された。しかし呉空襲の危険が出てきたため、訓練を取りやめて警戒待機を強いられている。4月8日、龍鳳整備員の一部を都築に送って訓練。翌9日から11日にかけて、第10回航空教練を開始。この期間中だけ龍鳳に将旗が掲げられた。4月14日より高角砲及び機銃の発射教練を開始。異状なし。練習空母として活動する一方、まだ工事が完了しておらず、呉在泊中に残りの工事を行った。5月中旬頃にようやく完了したとされる。4月28日、横浜飛行機隊の訓練が終了。以降は鳳翔に引き継がれた。
  • 5月5日から13日にかけて、駐日ドイツ海軍武官が龍鳳に来訪し、母艦搭乗員の養成、空母と陸上基地の関係、艦載機及び関連兵器の説明、艦内編成、母艦の諸装置一般などの講習を行った。軍機以外は可及的開放指導をし、同盟国にノウハウを教え込んだ。さらに龍鳳では九九式艦爆の発着艦と鹿屋航空隊の総合訓練を見学した。5月6日、鹿屋空の航空機が龍鳳で発着艦訓練を実施。5月8日、一時的に龍鳳へ将旗を掲揚。訓練部隊の大部分が参加する第9回航空戦教練の直接指導を行った。翌9日午前6時から11日18時にかけて、摂津や夕風とともに甲軍を編成し、航空機のみで編成された乙軍と模擬戦を実施。ちなみに龍鳳の航空機は乙軍に所属していた。龍鳳航空隊は摂津を空母に見立て、伊予灘で総合雷撃訓練と対潜警戒を行う。母艦の方は夕風の護衛を受けて訓練に参加した。大分基地の協力を得て、艦爆搭乗員に着艦訓練の場を提供。熟練者による九九式艦爆の着艦訓練も行われ、後進に見学させている。ちなみに龍鳳に掲げられた将旗は、13日に鹿屋航空隊へと戻された。
  • 5月11日、アッツ島にアメリカ軍が上陸。翌12日13時10分、連合艦隊は迎撃のため龍鳳と駆逐艦五月雨、長波を北方部隊へと編入させる。さらに5月13日午前5時より敵機動部隊の策動に備え、第2警戒配備が発令。戦闘機隊も第2邀撃の配備に就き、緊迫の時間が流れた。速力の低さが問題視されたのか、5月14日22時41分に編入が中止。第50航空戦隊へと戻った。6月1日、第50航空戦隊司令部より訓練結果をまとめた対摂津爆撃参考資料が送付される。翌2日に龍鳳の巡視が行われた。6月5日午前10時20分、種子島の喜志鹿崎沖で敵潜水艦の出現が確認され、翌日に対潜哨戒機が出動。これに伴って6月9日午前9時30分に第4警戒配備が発令された。
     
  • 6月11日午前9時46分、榛名とともに横須賀への回航命令が下る。最前線から瑞鶴が帰投し、交代でトラック島への進出が決まったのである。これに伴って第3艦隊第2航空戦隊に転属。練習空母の任を解かれ、輸送任務に復帰する。13時30分、第50航空戦隊より榛名と合流するよう命じられる。同日15時に瀬戸内海を出発し、長浜沖で仮泊。翌12日午前11時に抜錨し、榛名とともに横須賀へと回航される。今まで手塩にかけて育ててきた鹿屋航空隊が艦攻6機を派遣し、航路の対潜掃討を実施。第50航空戦隊を離れる恩師の龍鳳を見送った。また対潜哨戒機2機が龍鳳と榛名の上空を旋回し、直衛してくれた。直衛機は15時まで旋回、艦攻6機は16時30分に全機帰投し、16時47分に「敵を見ず」と打電。安全を報告した。彼らの献身的な援護の甲斐あって、6月13日に横須賀に入港。名残惜しさはあったものの、龍鳳は新たな
    任務に臨んだ。龍鳳の離脱に伴い、7月末に実施する予定だった九九式艦爆の終業慣熟訓練は取りやめになった。
  • 横須賀には中破した飛鷹が停泊していた。この艦は3日前に米潜トリッガーの雷撃を受け、五十鈴に曳航されて命からがら引き返してきたのだった。手負いの飛鷹から所属の整備員と航空機を引き継ぎ、飛鷹に代わってトラック島まで運ぶ事になった。ただ飛鷹の船体は龍鳳より大きく、龍鳳には全ての航空機を収容できないので、載り切らなかった分は硫黄島とテニアンの飛行場を経由してトラックに向かった。この時、飛鷹から将旗を継承して旗艦になっている。
     
  • 6月16日、横須賀を出港。戦艦金剛榛名、改装空母冲鷹、雲鷹、重巡熊野、鈴谷、軽巡五十鈴、駆逐艦雪風時雨浜風谷風清波?、涼風、新月?とともに目的地を目指す。月齢が増大する日は敵機襲来の確率が高く、対空警戒を厳にして航行。日没から日の出までの間、見張り員と砲戦関係者は第2警戒配備。それ以外の部署は第3警戒配備が命じられた。航海中の6月19日午前5時8分には敵機がヤルートとタラワに襲来した情報がもたらされ、より一層の警戒が求められた。気の休まる暇がない緊迫の航海だったが、敵機の襲来は無かった。しかし、敵は空からではなく海中から襲ってきた。暗号解析により、米潜水艦スピアフィッシュが息を潜めて待ち伏せていたのである。6月21日午前2時40分、オロール島の西水道でスピアフィッシュに雷撃される。4本の魚雷が龍鳳へと伸びていく。悲劇再びと思われたが到達前に自爆し、命中しなかった。水中から響いた爆発音で初めて襲撃された事に気付いたという。一方で回避に成功したとも、目標速度の誤認で外れたとも言われており、仔細は不明である。ともあれ雷撃に失敗した敵潜水艦は旋回し、艦尾魚雷発射管で再度龍鳳を狙った。ところが発射準備中に護衛の駆逐艦が急行してきたため断念し、急速潜航。危機は去った。トラック島は眼前だったので、そのまま泊地へと逃げ込めた。6月21日、トラック泊地に入港。艦の周りには魚雷対策用の網が張られた。第4水雷戦隊旗艦長良と夕暮に、龍鳳が運んできた人員と物件を移乗。作業は翌22日に完了した。その後、移乗させた人員はウォッゼ島へと運ばれていった。泊地では大分第12航空隊の練習空母として後進の育成に励んだ。
  • 最前線では航空機の損耗が激しく、6月だけでも318名の搭乗員と425機の航空機を失う痛手を受けていた。さらに6月30日からソロモン諸島中部方面で敵軍が攻勢に転じ、ニュージョージア島の沖合いに浮かぶレンドバ島に上陸。少数の日本軍守備隊を粉砕し、魚雷艇基地を設けられてしまう。加えてニューギニア東方のウッドラーク島、トロブリアン島、ラエ南方のナッソウ湾にも上陸を確認。たちまちソロモンは敵の支配下と化した。事態を把握した古賀峯一海軍大将は指揮下の水上部隊と基地航空隊を投入して直ちに反撃開始。同時に第2航空戦隊に航空機の派遣を下令した。これを受け、7月2日に龍鳳から零戦11機と九九式艦爆13機をブインに派遣。後詰めとして更に零戦20機と九九式艦爆5機、九七式艦攻12機を送った。持っていた航空隊を全て送り込んでしまったので、7月15日に積み荷だった飛鷹航空隊の機体と搭乗員がそのまま龍鳳に吸収され、補充機となった。
  • 7月19日、空母雲鷹とともにトラックを出発。到着直前の7月23日午後12時47分に駆逐艦海風が護衛から離れた。翌24日に呉へ到着し、瀬戸内海で発着艦訓練に使用される。8月21日、柱島泊地で日栄丸から給油を受ける。9月2日に呉へ回航された。9月22日から27日にかけて入渠整備。次の輸送任務に備えた。その間に内令第1985号が発令され、正式に瑞鳳型と分類される。
    • 一方、派遣された龍鳳航空隊は7月2日にブインへ到着。そこには上阪香苗少将率いる第26航空戦隊の司令部があり、彼らと協力体勢を取る。潤沢な物量と戦力で万物を押し潰さんと攻めてくる連合軍を、現地の陸軍とともに迎え撃つ。同月4日、初陣としてレンドバ島攻撃に参加。零戦49機と陸軍戦闘機17機が重爆17機を護衛し、敵の牙城を果敢に攻め立てた。零戦は9機を撃墜し、2機不確実の戦果を挙げ、陸軍機は14機を撃墜。上陸用船舶数隻を大破させる事に成功したが、敵の想像を絶する物量を前に重爆8機を喪失。零戦1機が不時着し、3機の陸軍機が撃墜されてしまった。以降、陸軍航空隊はソロモン方面での作戦を中止。だがこれは長く苦しい戦いの序曲に過ぎなかった。翌5日に龍鳳から派遣されてきた増援が到着し、戦力を増強。7月6日には南東方面艦隊の草鹿任一中将が雪風に乗って、ブインに進出。陣頭指揮を執る事になった。
    • 7月7日に再度レンドバ島方面を攻撃。零戦43機と陸攻6機が参加し、北部にあるルビアナ島の敵陣地を狙った。約40機の敵戦闘機が出現したが、15機を撃墜。帝國海軍の損失は零戦2機と陸攻2機に留まった。7月12日、零戦48機と陸攻8機がエノガイ陣地を攻撃。敵機約30機と交戦した。別働隊の零戦15機と爆装零戦8機が時間差で突入し、敵機約20機と交戦。零戦2機と陸攻1機を失うも26機を撃墜し、2機不確実を報じた。ところが7月15日の攻撃で、第751航空隊の陸攻隊が甚大な被害を受け、准士官以上が全滅。以降は昼間の爆撃に陸攻が付随しなくなった。絶望の中で善戦する龍鳳航空隊であったが、7月17日にブイン基地が敵の反撃を受ける。敵第13空軍や海兵隊からなる150機以上の戦爆連合が圧倒的な数を以って大空襲を仕掛けてきた。これを43機の零戦が迎撃。19機撃墜し、1機不確実の戦果を挙げるも、13機を喪失。龍鳳搭乗員からも3名の戦死者を出す痛ましい結果となった。損失を穴埋めするため第201航空隊が急派され、イザベル島レカタ基地も撤収する羽目になった。
    • 8月1日朝のレンドバ島攻撃では、龍鳳航空隊と第204海軍航空隊の零戦38機が艦爆の援護を受けて参加。龍鳳所属の九九式艦爆6機が泊地を攻撃し、魚雷艇PT-164とPT-117を撃沈。他にも輸送船1隻、大型舟艇3隻以上、駆逐艦1隻を撃沈し、対する損害は1機のみと完勝を収めた。8月7日、零戦48機と艦爆12機でレンドバ島の敵艦船を攻撃。輸送船2隻と海上トラック及び大発8隻を撃沈した。損害は艦爆1機のみ。同月10日、敵の攻撃を受けるムンダ上空で零戦31機が敵戦闘機11機と交戦。珍しく日本側の方が多い空戦となった。零戦3機を失うも、半数以上の6機を撃墜して退けた。8月13日にもムンダで航空戦が生起し、損害ゼロでP-39戦闘機5機を撃墜した。
    • 続く8月13日(15日説あり)、ベララベラ島へ上陸しようとする敵輸送船団を三次に渡って攻撃。連日の航空攻撃の中でも最大級のものになった。龍鳳所属機がガダルカナル島沖でアメリカ陸軍兵員輸送船APA-23「ジョン・ベン」を雷撃で撃沈。他にも輸送船3隻と巡洋艦2隻を撃沈せしめ、敵の上陸地点2ヶ所を炎上させた。我が方の喪失は零戦9機、艦爆8機に及んだ。8月18日、ベララベラ島に取り付いた敵艦船に対して航空攻撃。零戦48機と艦爆10機が、敵戦闘機10機と交戦。第二次攻撃は天候不良によって艦爆2機のみが出撃した。敵駆逐艦1隻に直撃弾を与え、4機を撃墜する戦果を挙げたが、1機の零戦が大破した。
    • 8月21日、ビロアの敵軍を攻撃し、迎撃に上がった敵戦闘機約20機と交戦。輸送船2隻を撃沈し、敵機13機を撃墜。我が方の損害はゼロと完勝。8月24日、零戦47機と艦爆12機でベララベラ島の敵上陸地点を攻撃。敵機十数機の抵抗を受けたが、7機撃墜し2機不確実。大型舟艇1隻を撃沈した。翌25日と30日はビロアの敵陣地を攻撃。対地攻撃だったため空戦は生起しなかった。8月31日、零戦32機と艦爆11機がビロアの敵艦船を攻撃。艦爆3機を喪失するも、巡洋艦と駆逐艦をそれぞれ中大破させ、3機を撃墜した。
    • 連戦に次ぐ連戦で、龍鳳航空隊は敵機約30機を撃墜したが損耗率も大変高く、ついに半数の機体を喪失。9月1日付で龍鳳航空隊は解散し、残余の機体と人員は現地の第204海軍航空隊に吸収。艦爆隊と艦攻隊は第582海軍航空隊に吸収され、ラバウル上空迎撃戦やカビエン輸送の援護に投入される事になる。第2航空戦隊の司令部も現地部隊に吸収された。
    • 9月1日、第2航空戦隊司令部が再編制され、新たに元翔鶴艦長の城島高次少将が司令官に着任。吸収された龍鳳航空隊の再編に着手した。飛行長に進藤三郎少佐が着任し、5人の戦闘機分隊長が新たに配属された。進藤少佐は元加賀戦闘機搭乗員で、第二次上海事変から戦い続けてきたベテラン中のベテランだった。戦闘機分隊長の中にも真珠湾攻撃に参加した古強者もいて、錬度も高かった。再編制と訓練は内地で行われたが燃料が不足していたため、本格的な訓練は南方で行う予定だった。だが、シンガポールの飛行場の多くは陸軍が管轄していたため軍令部でも状況や状態がよく分かっていなかった。このため第2航空戦隊の参謀を派遣する事になり、呉から陸路で福岡に移動。福岡から出発する定期飛行便の零式輸送機に便乗し、上海と台北を経由して高雄に移動。そこで九六式陸攻の不定期便に乗り換え、三亜とサイゴンを経てようやくシンガポールに到着した。現地の陸海軍と協議し、航空隊の受け入れについて交渉を始めたが、最初のうちは上手く行かなかった。それでも何とか了承を得て、受け入れ態勢を作り上げた。進出の裏では、このように人知れず苦労があった訳である。
       
  • 10月6日に呉を出港。岩国沖で再編成された龍鳳航空隊の航空機を積載し、千歳とともにシンガポールへ航空機輸送に従事する。どちらも艦載機が使用不可なので対潜警戒と前路掃討に不安が残った。10月11日13時に佐伯湾を出発。呉防備隊の徳島丸、怒和丸、黒神、片島、由利島が主要航路の対潜掃討を行い、出港を援護してくれた。駆逐艦初春雪風を護衛に従え、シンガポールを目指した。しかし、先月から東南アジアでは敵潜の被害が急増しており、特にフィリピン近海で活発に動いていた。往路だけで2回も米潜水艦が出現したが、雪風の迎撃によって被害を免れた。10月15日に海南島三亜へ入港。翌16日に出発し、同月19日にシンガポール到着。自身の航空隊を揚陸し、代わりにコバルトや生ゴム、ニッケル等の南方産資源を積載。10月25日に出発して帰路につき、三亜を経由して11月5日に呉入港。輸送任務を成功させた。
    • つつがなくシンガポールに進出した第2航空戦隊の航空隊は到着早々セレター、センバワン、テンガー、カラン、マレー半島マラッカの各飛行場に分散し、飛行場を全面的に使用して日夜厳しい訓練に励んだ。ところが急激に空母搭乗員がやってきた事で、セレターでは問題が発生していた。水不足である。元々シンガポールは赤道直下にあり、暑い気候から水を消費しやすい環境にあった。イギリス空軍が作った約300名の将兵を収容する施設に約1000名を無理やり詰め込んだので、水不足が顕著になったのだ。困った第2航空戦隊の参謀は海軍関係の司令部や機関に相談したが、打開策は見つからなかった。次にシンガポールの軍政当局に相談してみると、あっさり「水道管の直径を大きくする」と色よい返事が貰えた。現地の労働者は日本軍の守勢や後退を目ざとく感じ取り、出勤率が70%程度に下がっていたのだが、空母搭乗員が進出して激しい訓練を繰り返すようになると「日本軍の敗北は杞憂だった」と安心し、出勤率が90%にまで上昇した。こうして工事は容易に行われ、セレターでの水問題は解決した。南方軍総司令官の寺内寿一元帥は「海軍の飛行機が昼も夜も猛訓練しているのを見て、心強く思っています。私がここに来てから、陸軍機が夜間訓練をしているのを見た事がありません」と喜んだ。龍鳳の知らないところで、大きな影響を与えていたのだ。*26
  • ラバウルを中心とした南東方面では未だ激戦が続いており、帝國陸海軍の航空隊は敵軍の数の暴力に苦戦していた。連合艦隊司令長官の古賀峯一大将は予定を繰り上げ、12月上旬に練成中の第2航空戦隊機をトラックに進出させるよう命じた。時同じくして、シンガポールへ進出中の第2航空戦隊司令部から飛行機の終末訓練が近いので、母艦の訓練整備を急ぐよう連絡が入った。内地の燃料や物資は欠乏していたが、戦争の花形だからか航空母艦は常に優先的だった。工廠や軍需部から惜しみなく物資と応援の言葉が添えられ、出撃準備が急速に進められていった。輸送には母艦を使用する事とし、龍鳳は11月22日に呉を出港。瀬戸内海西部で飛鷹と合流し、航空機輸送の任務に就く。
  • 11月25日、出発。佐伯防備隊が対潜掃討と掃海を行い、航路付近の哨戒も請け負ってくれた。4隻の駆逐艦の護衛を受けながら南下し、マニラ湾へ入港。行動を秘匿するため、北方に仮泊した。ここでは駆逐艦への給油を行い、それが終わると翌朝に出発した。慎重にマニラ湾口を出ると、目的地のシンガポールへと向かった。マニラとシンガポールの中間辺りに差し掛かった頃、左10度の方向に岩が突っ立っているのが見えた。調べてみても、海図に載っていない。暗礁なのだろうか。よく見てみると、それは敵の潜水艦によって沈められた貨物船の残骸であった。船尾を下にして、哀れな骸を海上に晒している。もしかしたらまだこの海域に潜んでいるかもしれないので、護衛の駆逐艦に警戒させたが、幸い何も起きなかった。マレー半島とシンガポールの間にある海峡の入り口に差し掛かった。すると、シンガポールから航空機が飛来し、龍鳳で着艦訓練を行った。12月3日にシンガポールへ到着。左に飛行場が見える所で投錨した。入港早々搭載物件の陸揚げが行われ、それが終わると航空機や物件の積載が始まった。その忙しさは目が回るほどだった。ここで自身の航空隊を積載する。
  • 護衛に若葉初春初霜をつけ、飛鷹に将旗を掲げて12月11日に出発。海峡の東口で飛鷹とともに艦載機を飛ばし、対潜掃討。平穏な航海を続けて、無事補給地のタラカンに入港した。龍鳳の船体を桟橋につけ、重油の補給を実施。日没までに完了し、沖合いに投錨した。翌朝に出港。天気は快晴で波は穏やかと、敵の支配圏内とは思えないくらい平穏な航海が続いた。12月18日にパラオ寄港。すぐに出発してトラック島を目指した。到着を目前に控えたある時、トラック島から飛行機がやってきて通信筒を落としていった。これを伴走者の飛鷹が回収している。
  • 12月22日にトラックへと到着。トラック島では飛鷹ともども日栄丸から燃料補給を受け、本土に戻る便乗者を乗せた。同月24日午前2時40分、速やかに瀬戸内海西部へ回航し、内地所在の航空隊の発着艦訓練に協力するよう命じられる。物資の陸揚げ中、警戒警報が発令され、トラック島がにわかに色めきたった。トラックからずっと南の方の島の見張りが国籍不明の航空機を発見したとの事だったが、何事も無かったので解除された。12月27日出港。伴走者には浜風がついた。帰り道にサイパンへ寄港し、物資を降ろした。太平洋の真ん中で大晦日を迎え、餅つきが行われた(志柿謙吉氏著書「空母「飛鷹」海戦記」)。
    • 12月1日から6日にかけて、龍鳳航空隊の一部がマラッカ近辺で陸軍の敵前上陸訓練に協力。他にも第1南遣艦隊や第16戦隊の鬼怒や球磨などが参加し、不穏な動きを見せるイギリス東洋艦隊に備えた。12月10日、龍鳳航空隊はシンガポールを出発。トラック島に進出した。12月27日、戌輸送作戦援護のため飛行長の進藤少佐以下零戦21機(27機とも)がカビエンに進出。
    • 年が変わって1944年1月1日、カビエンへ物資を運ぶ巡洋艦能代と大淀を上空から支援。無事物資を揚陸させたものの、午前8時25分に警報が発令。20分後にF6Fグラマン40機、ドーントレス50機、アベンジャー16機の大戦力がカビエンに出現した。作業が完了していた能代と駆逐艦山雲は素早く港内から脱出したが、作業に遅れが生じていた大淀が取り残される。絶体絶命の味方を救うべく、勇猛果敢に迎撃。4機が未帰還となり、1機が不時着水する損害を受けたが、F6Fグラマン8機撃墜(うち5機不確実)、ドーントレス9機(8機不確実)の戦果を挙げた。能代も大淀も脱出に成功し、輸送作戦を見事完遂させた。
    • 1月4日、カビエンに物資を揚陸し、トラック島へ戻る妙高、羽黒、利根、駆逐艦2隻を上空から援護。しかし道中で再び敵艦上機の襲撃を受け、迎撃を行う。F6Fグラマン1機とドーントレス2機を撃墜し、今回も成功裏に終わった。翌5日、役目を終えた龍鳳航空隊はトラック島に帰投した。
       
  • 1944年1月2日、呉帰投。整備のため17日に因島造船所に回航されて整備を受けた。その間に龍鳳、飛鷹隼鷹の3隻から零戦69機、九九式艦爆18機、九七式艦攻27機が供出され、ラバウルに進出。補充されたそばから最前線に供出されるせいで、手元には残らなかった。1月26日出渠し、呉へ回航。
    • タロキナ地区が敵の手に落ち、飛行場を建設された事でラバウルへの攻撃は一層激しくなっていた。悪戦苦闘するラバウル航空隊のもとへ、1月25日に城島少将率いる第2航空戦隊の航空機が到着。翌26日、ラバウルに約200機に及ぶ敵の戦爆連合が襲来し、これを最大規模の戦力で迎え撃った。第2航空戦隊と第204航空隊の零戦92機が出撃したが、10機の零戦を喪失。龍鳳所属の吉岡実盛一飛曹が戦死した。同月28日にも敵戦爆連合約180機が出現し、傍若無人に暴れまわる。62機の零戦が迎撃し、劣勢ながらも奮戦。80機を叩き落とし、6機を撃墜不確実と報じた。しかし零戦8機を失い、石沢義秀上飛曹(龍鳳所属)が壮烈なる戦死を遂げた。1月29日、ラバウル空襲に現れた敵戦爆約200機を零戦68機で迎撃。25機撃墜し、8機不確実の戦果を挙げたが、未帰還機5機を出した。日本の搭乗員はよく戦い、そして錬度の面でも圧倒していた。ゆえにキルレシオは常に日本側が優位だった。だが敵は膨大な物量に任せた爆撃を繰り返し、いくら撃墜してもキリが無い。無限の物量の前では、錬度も機体性能も戦略もまるで関係無かった。彼我の戦力差は日を重ねるごとに開いていった。
    • 1月30日、約190機の敵機が襲来。零戦53機が迎撃し、13機を撃墜。未帰還機は零戦1機に留まった。だがこの日は第二波攻撃があり、約100機がラバウル上空に出現した。これを42機の零戦で迎え撃ち、33機を撃墜せしめた(不確実7機)。損害は零戦5機を喪失、その中には龍鳳戦闘機分隊長の荒井弘一飛曹が含まれていた。翌31日の空戦では敵機約180機を零戦51機で迎撃。戦果は25機撃墜、不確実6機となった。1月中だけでも敵軍はのべ2888機(うち戦闘機1850機)の航空機を攻撃に回しており、これだけ集中攻撃を受けてもなおラバウルを維持し続けていた現地部隊には感嘆する。
    • 2月に入っても敵の物量攻めは続いた。2月3日、二波に分かれて敵機約220機が襲来。2月5日にも約200機が襲い掛かってきた。2月7日の迎撃戦では清水銀治*27飛曹長を失った。同月9日のラバウル空襲は三次に渡り、それぞれ約200機、59機、38機がラバウルを襲った。2月13日、敵機の大群を零戦40機が迎撃。23機を撃墜し、7機不確実を報じた。被害は零戦2機程度だった。2月19日の空戦では、161機の敵機を零戦36機が迎撃。日に日に迎撃に上がる零戦の数が減少しており、零戦隊の疲労が見て取れる。それでも勇猛に戦い続け、37機(米軍側記録23機)を撃墜。5機の零戦を失った。
    • 苦闘の中で龍鳳航空隊は約40機を葬る活躍を見せたが、損害を物ともしない無限の物量に追い詰められる。そんな中、一大事が起きる。トラック島が敵の大空襲を受けて甚大な被害をこうむったのだ。駐機していた航空機の大半が破壊されたので、2月20日に第2航空戦隊のトラック後退が命じられた。この時点での稼動機は零戦37機、九九式艦爆4機、九七式艦攻5機にまで減少しており、龍鳳の稼動機は僅か4~5機程度だったという。人員面でも5名中4名の戦闘機分隊長を失う痛撃を受けており、生き残った進藤少佐と吉村博中尉はともに第652航空隊へと転属になった。
    • 2月17日、敵の大軍がトラック島を大空襲。逃げ遅れた艦艇が多数撃沈され、基地機能を喪失する被害が出た。これを受け、マーシャル諸島を根城とする敵機動部隊に奇襲攻撃を仕掛け、戦局を挽回する雄作戦が発案された。発案者は軍令部第一課航空作戦担当部員の源田実中佐と言われる。3月頃から作戦の立案が行われ、搭乗員の訓練に2ヶ月を要する事から6月8日に攻撃を実行する予定となった。内容はメジェロ環礁に居座る敵機動部隊を、200機の零戦と爆装零戦50機、九九式艦爆及び彗星130機、九七式艦攻及び天山150機で一斉に攻撃し、戦局の挽回を図る壮大なものだった。母艦として翔鶴瑞鶴大鳳隼鷹飛鷹、龍鳳、瑞鳳、千代田千歳、雲鷹、大鷹、神鷹、冲鷹(立案時点で沈没)を投入。乾坤一擲の一大決戦を挑むはずだった。
    • ただ問題点も結構残っており、龍鳳が所属する第2航空戦隊は「海上機動戦やや困難」と判断された。また油槽船の数が不足していて、実行に移すには難題が山積している状態だった。それでも連合艦隊司令長官古賀大将に計画書を送付し、3月11日に大本営海軍部が弾薬と燃料の調査と通知を行うよう関係各基地に通達。ところが直後に海軍乙事件が発生し、古賀長官が行方不明になったため、計画は立ち消えになってしまった。仮に実行されていれば、龍鳳は生きて帰れなかったかもしれない。
  • 3月4日、第2航空戦隊から固有の航空隊が削除された。トラックに後退した機はそのまま現地に吸収され、手元に戻ってくる事は無かった。代わりに同月10日に第652航空隊が新設され、これが空母艦載機として第2航空戦隊に付随した。このうち12機はトラック島から戻ってきた機体で、少数ながら母艦に戻ってきた訳である。ただ機材の補充が遅れ、再建には時間を要した。所属機は天山艦攻に刷新されたが、横須賀航空隊で講習を受けたばかりで整備員も搭乗員も機体の扱いに慣れておらず、発着艦訓練も始めて間もない状況だった。
  • 3月13日午前11時50分、連合艦隊電令作第996号が発令。龍鳳は第1航空艦隊のマリアナ諸島進出に協力する事になり、サイパンへの第三次輸送を担当。当初はフィリピンへの輸送を予定していたが、マリアナ諸島に変更された。参加兵力は龍鳳、瑞鳳、第4駆逐隊で、先任艦長がいる龍鳳が旗艦となった。同日22時57分、龍鳳は瑞鳳、初霜雪風、連合艦隊等に打電して揚陸地の詳細と同地の防備状況、協力の要領等を事細かに尋ねた。3月16日午前9時40分に第1航空艦隊参謀から輸送内容の仔細が送られてきた。同日中に人事異動が発令され、二代目艦長に松浦義大佐が着任。彼はトップクラスの成績で海軍兵学校を卒業した秀才であり、彼の卓越した采配がこの先遺憾なく発揮される事になる。他にも航海士が潜水学校普通科へ転出している。3月19日13時10分、輸送に参加する駆逐艦山雲より「電探工事未完につき、調整に3日掛かる」との報告が入る。これを受けて龍鳳は18時47分に淡路島岩屋灯台沖で瑞鳳と合流するよう、山雲に電文を送った。翌20日正午、龍鳳艦長交代の旨を連合艦隊長官と第1~3航空戦隊の司令官に打電。艦長交代に伴い、予定中のグアム及びサイパン方面への輸送任務指揮権を瑞鳳に譲渡した。
  • 3月21日午前7時30分、豊後水道西口を出発して鹿児島へ回航。深島の90度5分の地点で護衛駆逐艦1隻と合流し、航路上の対潜掃討を担った。目的地到着後、飛行場付近に投錨し、第343航空隊の零戦を2日かけて積み込んだ。航空機整備に必要な最低限の人員を残し、地上勤務者全員が龍鳳に乗艦。乗り切らなかった搭乗員と零戦は、尾崎大尉の指揮のもと香取基地に移動し、空路でテニアン島へと向かった。3月24日に出港、翌25日に伊勢湾鈴鹿沖へ到着し、第523航空隊の彗星を積載。搭乗員は白子沖から龍鳳に乗艦した。横須賀から派遣されてきた雪風と合流するが、燃料補給の地点が四日市から神戸に変更されたため、すぐに離れていった。3月28日午前8時30分、テニアン島近海にて浮上中の敵潜水艦2隻を発見したとの報告が入る。いずれも針路は南西との事。13時、旗艦となった瑞鳳より天候不良を理由に出港日を1日延期する無電が
    入った。
  • 3月29日午前8時、瑞鳳と第4駆逐隊が横須賀を出発。龍鳳は16時55分に瑞鳳や第4駆逐隊と合流し、艦船番号「2」を振り分けられる。翌30日、伊良湖水道で護衛の山雲、初霜雪風能代と合流し、速力20ノットで外洋を蹴り出す。3月31日17時にパラオへ向かう能代が分離。4月1日未明、敵機動部隊の空襲圏内に入ったため瑞鳳より対空警戒を厳にするよう指示が下る。情況によっては在泊期間を2日以内に留める事も命じられた。23時5分、現地の基地航空隊よりテニアン島近海に敵の大部隊出現の報が入り、第1航空艦隊は龍鳳と瑞鳳に直ちに北方へ退避するよう命令。その後、初霜を伴って瑞鳳隊と別行動。龍鳳隊はサイパンを目指し、瑞鳳隊はグアムを目指した。翌2日午前7時9分にサイパン島へ到着し、航空機と要員の揚陸作業を開始。龍鳳の巨体では港内に入れなかったが、防潜網がしっかり整備されていたので敵潜の脅威は少なかった。航空機揚陸用の舟艇5隻を使ってピストン輸送を行った。この頃になるとサイパン島に敵の偵察機が何度も現れ、空襲や敵艦隊接近の警報が発令されるほどだったが、何事もなく揚陸を完了。初霜への給油(350トン)も問題なく終わった。
  • 4月3日にサイパン島を出発し、帰路につく。付近に潜伏中の敵潜を味方機が発見し、初霜が制圧に向かった。午前6時53分、味方機の誘導により初霜は爆雷9個投射。効果不明のまま午前8時30分に捜索を打ち切り、龍鳳と合流した。以降は平穏な航海が続き、無事本土近海まで戻ってきた。ところが荒天によって時化になっており、しかも天候回復には長時間を要する事が判明。風向きも悪いので、4月7日に徳山湾へ避泊。
    翌8日に呉へ帰港し、輸送任務を完遂させた。その後は4月29日まで瀬戸内海西部で訓練し、その後岩国へ回航。岩国航空隊では、空地分離の是非について論争された。会議には隼鷹飛鷹、龍鳳の艦長と副長が参加しており、意見を求められたが、隼鷹と龍鳳の副長は「意見無し」だった。そのせいか飛鷹副長の番が飛ばされてしまった。5月1日から3日にかけて平群島沖に停泊。5月6日、岩国沖で第652航空隊が乗艦。久しぶりに自前の航空隊を保有する事が出来た。戦備を整えた龍鳳は、翌7日に佐伯湾へ回航された。
     
  • 輸送任務を黙々とこなしていた龍鳳に転機が訪れる。あ号作戦の発令に伴い、南方への進出が決定。翔鶴瑞鶴大鳳の名立たる主力空母が先立ってリンガ泊地に進出していたが、第1航空艦隊のマリアナ進出に協力していた龍鳳や瑞鳳等は進出が遅れていた。岩国で物資を積載し、準備が済んだ艦から佐伯湾に回航されていった。今回の第2航空戦隊の旗艦は隼鷹に指定された。5月11日、隼鷹飛鷹、武蔵、千歳、千代田、瑞鳳、第653航空隊、第4駆逐隊等とともに佐伯湾を出発。護衛の駆逐艦が豊後水道南口の対潜掃討を行い、戦艦武蔵とともに外洋へと出た。その威容は実に素晴らしいものだった。九州の東岸を一路南下し、翌12日に中城湾に到着。駆逐艦に燃料補給を実施し、午後遅くに出発。台湾東方海域に変針する頃、海上にモヤが発生。僚艦の姿が見えなくなる。このため変針は各々の判断で行わなければならなかった。そんな中、前方の武蔵が「赤、赤」の緊急信号が出された。敵潜水艦出現を知らせる信号である。3隻の空母は一斉に回頭、「配置に付け」のラッパが吹かれる。雷撃に備えて防御隔壁が降ろされ、拡声器で緊急ブザーが鳴らされた。見張り員が敵潜を探すが、暗闇に包まれていて見えない。右舷の遠くから、駆逐艦が爆雷を投下する音が僅かに聞こえる。緊迫の瞬間だったが、予想された雷撃は無かった。2、30分後に元の針路へ戻り、南下を続行した。アメリカ軍はニューギニアで鹵獲した機密文書によって、空母部隊の進出が手に取るように分かっていた。異常なまでに警戒するのも当然である。
  • 翌日から出来るだけ飛行訓練をするはずだったが、タウイタウイ集合の期日や燃料の問題もあって思うように出来なかった。1日に2回か3回実施できれば良い方だった。風向きも追い風と訓練に不向きだった。また付近のセレベス海とフィリピン近海には大量の米潜水艦が蠢動しており、5月だけでも63隻(26万5000トン)が犠牲となっていた。駆逐艦も10隻が無残に沈められている。敵の監視網を突破し、96時間43分の航行を経て5月16日19時28分にタウイタウイ泊地へ到着。サムヒルの159度6.6海里に投錨した。泊地の中央に空母翔鶴瑞鶴大鳳が停泊し、大鳳の隣には栗田中将座乗の愛宕が横付けされている。その北側に隼鷹飛鷹、龍鳳が、南側に千歳千代田、瑞鳳が停泊し、西側には大和、武蔵、金剛長門の戦艦群が投錨。そしてそれらの外側を囲むように重巡最上高雄摩耶鳥海鈴谷妙高熊野、羽黒、利根、筑摩、軽巡矢矧、戦艦扶桑と駆逐艦12隻が占位。帝國海軍の総力が展開していた。
  • さっそく訓練を開始し、5月18日に第1航空戦隊と合同訓練。翌19日13時、給油艦鶴見と艦尾同士を接し燃料補給を受ける。同日中に、バリクパパンで燃料を満載した1万トン級タンカー「あづさ丸」「日栄丸」「建川丸」の3隻が入港。これで機動部隊の作戦行動が可能になった。タウイタウイは熱帯で、毎日がとても暑かった。龍鳳には冷蔵庫も製氷機もラムネ製造機もあり、入浴まで出来るので幾ばくかマシな環境だったが、それらの設備が無い小型艦はさぞかし地獄だったであろう。暑いと能率が下がるので、艦隊は訓練の日程に原住民の生活リズムを参考。朝食後の掃除を後回しにし、日が昇る前に訓練を実施。昼食後は休憩を長めに取り、14時半頃から訓練や作業を再開。太陽が照りつける時間帯を避けつつ腕を磨いた。
  • 第2航空戦隊内で防御の総合訓練をやる事になり、旗艦隼鷹から派遣されてきた副長が想定した状況で訓練を実施した。その訓練はまず飛鷹で行われ、艦長が戦死して副長が指揮を執る所から始まった。そして次々に故障が発生し、副長が対応に追われるのだが、事あるごとに下士官や要員の戦死判定が出て、手足がもがれていく。最終的には飛鷹副長以外全員戦死というトンデモない状況と化し、彼は怒り出してしまった。当然是正された。龍鳳への防御訓練は飛鷹の副長が指導したが、先程のようなトンデモ訓練にはならなかった。
  • 泊地は無風の日が多く、訓練に適さない事が多かった。かと言って沖合いに出れば跳梁跋扈している米潜水艦に襲われるという八方ふさがりの状態だった。実際、訓練中の千歳が雷撃され、命中こそしなかったものの冷や汗を流す場面が見受けられた。制圧に向かった駆逐艦は次々に殺され、ただでさえ少ない駆逐艦が更に減少。敵の跳梁跋扈に打つ手は無く、対潜掃討の駆逐艦が毎回轟沈させられるので、第1機動艦隊の大前参謀が第2艦隊司令部を尋ねて駆逐艦の派遣をやめるよう要請したほどだった。敵の手の上で思うように転がされる中、5月20日にあ号作戦開始が下令される。
  • 5月31日午前6時、隼鷹飛鷹とともに泊地を出港。米潜の目をかいくぐって発着艦訓練を実施した。発艦は良好だったが、着艦に問題ありと認められた。おかげで隼鷹は2機を、飛鷹は1機を喪失。龍鳳の喪失機は無かった。対潜掃討を兼ねて駆逐艦も訓練に参加しており、12隻の駆逐艦と艦隊運動訓練を実施。こちらは概ね良好だった。19時30分に帰投。6月に入ると米潜の跳梁が更に激しくなり、ついに訓練の機会すら得られなくなった。搭乗員の大半は若い者で占められ、第2航空戦隊の奥宮正武参謀長は「錬度が格段に落ちた」と嘆いた。標的艦摂津に対して行われた爆撃訓練でも、9機全てが外す有様であった。彼らを指示する指揮官さえも場数を踏んでいない若輩者になってしまい、索敵から攻撃までの動作に不安が残った。結局最後まで搭乗員の錬度不足を解決できず、ありとあらゆる面で不利なまま圧倒的な数を誇る敵艦隊に挑む事になる。龍鳳には、かつて赤城に乗艦しハワイ作戦からずっと戦い続け、20機以上を撃墜した古参の菊池哲生一飛曹が乗り込んでいるので、一応少数ながら実戦慣れした搭乗員がいたようである。
    • 6月9日、第5基地航空隊は偵察機をメジェロ環礁に派遣。すると、4日前には在泊していたはずの敵機動部隊(正規空母6隻、軽空母8隻、戦艦6隻等)が忽然と姿を消している事が判明。敵の大戦力が狙う場所はサイパンか、パラオか。第1航空艦隊には既に余力が無いため、大本営は陸攻隊の一部を硫黄島に進出させ、第1航空艦隊の指揮下に入れて索敵させた。撃墜した敵パイロットが所持していた呼出符号と尋問の結果、敵空母は15隻いる事を確認。連合艦隊と海軍部は正確に敵の戦力を把握した。
  • 6月10日16時、渾作戦参加のため軽巡能代、駆逐艦島風、沖波、山雲、岸波、磯風谷風、早霜、戦艦大和、武蔵がタウイタウイを出発。これを帽振れで見送った。大和の甲板上に整列した乗組員も帽振れの返礼をしてくれた。同月12日、大鳳にて最後の打ち合わせや連絡が行われ、終日泊地内の艦艇と大鳳との間を内火艇が往来した。出撃が目前に迫り、今夜は酒宴を開いて無礼講となった。
     
  • 6月13日、空母15隻と戦艦8隻を中心とした大量のアメリカ軍が要衝マリアナ諸島に襲来。サイパン島に14インチ砲による熾烈な艦砲射撃が行われた。艦砲射撃は爆弾より遥かに強力で、徹底的である。4万発以上の砲撃で市街地は炎に沈んだ。続いて15隻の空母は数に物を言わせて周囲の航空基地を攻撃。アスリート飛行場に駐機していた34機が全て破壊され、日本側は一瞬にして制空権を失った。攻囲されたサイパン島の同胞を救うため、ただちに迎撃艦隊が出撃。旗艦大鳳で采配を振るのは航空機運用に長けた智将小沢治三郎中将。再建された機動部隊が今、出撃しようとしていた。
  • 午前9時、威容を誇る小沢艦隊はタウイタウイ泊地を出撃。空母9隻、戦艦5隻、重巡11隻、軽巡2隻、駆逐艦29隻、給油艦6隻からなる合計62隻が決戦海域へ向けて勇壮に波を蹴り出す。これが我が帝國海軍のほぼ全力であった。午前10時、海中より覗く魔眼が小沢艦隊を捉える。敵の潜水艦、レッドフィンが偵察に現れたのである。そして小沢艦隊の戦力を報告したが、空母9隻のところを6隻と誤認。この結果、敵は隼鷹飛鷹、龍鳳は途中で合流するものと判断した。ともあれこの通報により、敵潜水艦の群れが血に飢えたピラニアの如く引き寄せられる事になる。小沢艦隊は徹底した無線封鎖を敷いたため、お得意の暗号解析でも艦隊の動向が掴めなかった。翌14日16時30分、前進拠点のギマラス泊地に到着。玄洋丸とあづさ丸から夜通しの燃料補給を受け、不必要なカッター類をギマラスの第36警備隊に預けた。油槽船から、およそ1万800トンの重油が小沢艦隊に補給される。
  • 6月15日午前7時に出港。護衛艦艇が次々に抜錨し、北東方面に向けて長蛇の列を成す。第1航空戦隊の後に第2航空戦隊が続き、決戦海域へと向かう。17分後にあ号作戦決戦発動が下令され、豊田副武長官が小沢艦隊に対し「皇国ノ荒廃此ノ一戦二有リ、各員一層奮励努力セヨ」との激励文を送った。これを受け、旗艦大鳳にZ旗が掲げられる。進撃中にも敵情が続々と届き、敵輸送船約30隻がサイパン西方に出現し、目下上陸中。14時頃には敵機動部隊が硫黄島と父島に来襲し、通り魔的に航空機を破壊していった。
  • ミンドロ島南方で米潜水艦シーホースに発見され、位置情報を通報しつつ追跡される。更に午前11時には敵が忍ばせている沿岸監視員に発見され、「機動部隊発見」の情報を打電されている。無論日本側もそれを見越しており、第3連合通信隊が強力な電波妨害を実施。遅延させる事には成功したが、残念ながらシーホースの電報はハワイの敵司令部に届いてしまい、敵艦隊と展開中の敵潜全てに通達した。
  • やがて小沢艦隊は太平洋とフィリピンを隔てるサンベルナルジノ海峡に突入。大小様々な艦艇が一列縦隊を組み、波を蹴立てて進撃する。その威容は乗組員の心を鼓舞した。海峡はとても狭いので、艦首に砕かれた波が島の両岸に叩きつけられる。日没が迫り、辺りは夕闇に包まれ始めた。おそらく敵の潜水艦は海峡の出口で、不気味に並んだ白い歯をちらつかせているに違いない。各空母から対潜哨戒を担当する航空機が飛び立ち、警戒を厳にする。夕焼けで海は血のように染まっていた。
  • 今まさに夕日が没しようとする17時30分、サンベルナルジノ海峡を突破して太平洋に出る。予想された敵の待ち伏せは無かった。外洋に出ると一気に波が荒くなった。押し寄せる波頭が龍鳳を左右に揺さぶり、船体を沈めたり突き上げたりする。艦隊は夜間警戒航行隊形になり、敵を求めて航海を続ける。サイパン島を取り巻く情勢が続々と入ってきて、7万もの敵軍が強行上陸したとの情報が入った。わずか3万の守備隊は苦戦を強いられ、後退しているとの事。残された時間は少ない。だが敵軍の魔手はサンベルナルジノ海峡に伏せられていた。18時30分に再度沿岸監視員が、18時45分に米潜フライングフィッシュが小沢艦隊発見の報を打電していたのである。幸いな事に司令官スプルーアンスへの報告が遅れに遅れ、有益なはずの位置情報が全く意味を成さなかった。フライングフィッシュも追跡に失敗し、接触を失った。
  • 夜の帳が降りた。各艦は厳重な灯火管制を敷いたが、旗艦の大鳳だけが1km信号灯でしきりに信号を送っていた。これでは灯火管制の意味が無い。20時30分、日本側も敵潜水艦が艦隊を監視し、絶えず電報を送っている事を無線傍受で知る。敵の潜水艦が蠢く海で、大鳳の信号は実に軽率であったが、幸い襲撃は無かった。
  • 6月16日、各空母は発着艦訓練を実施。空は灰色の暗雲で覆い尽くされていた。午前8時頃、敵が再び硫黄島方面に来襲したとの情報が入った。この日の昼間、大鳳に着艦しようとした1機が操作を誤り、発進準備を終えていた前方の艦載機に衝突して火災事故を起こした。大鳳は旗艦だけあって中央に配されていて、皮肉にもどの艦からも事故の様子が窺えた。幸い大事には至らなかったものの、不吉な予感を感じずにはいられなかった。午後に入ると、隊列のずっと後ろの方で爆雷攻撃を行っている音が聞こえてきた。また我が対潜哨戒機がすっ飛んでいくのも見え、やはり敵潜水艦に追跡されているようだった。15時30分、渾作戦より戻ってきた能代島風、沖波、戦艦大和、武蔵、重巡妙高等が合流。夜になって燃料補給が始められたが、雨だったのと灯火管制下での作業だったため難航。それでも不断の努力で夜明けまでに完了した。
    • 龍鳳は隼鷹飛鷹とともに乙部隊を編成。護衛に戦艦長門、重巡最上、駆逐艦満潮時雨浜風野分、早霜、秋霜、山雲が配された。旗艦大鳳翔鶴瑞鶴が鎮座する甲部隊と本隊をなし、それぞれ輪形陣を敷いた。本隊の前方には敵機を釣り上げる戦艦部隊が展開。この戦艦群が敵機を引き付けている間に本隊から攻撃隊が発進、敵機の行動圏外からのアウトレンジ攻撃で敵空母を無力化し、敵戦力の3分の1を撃破。弱った敵艦隊に戦艦を突撃させて覆滅するのが小沢中将の作戦であった。決戦海域は貿易風が吹いており、向かい風を得るには東に向けて進む必要があった。つまり東へ舳先を向けて進撃している小沢艦隊は発艦に有利であり、アウトレンジ戦法を後押しした。龍鳳は零戦18機と天山7機、予備6機を搭載した。
  • 6月17日15時30分、補給作業完了につき進撃再開。針路60度に変針し、速力20ノットで航行。偵察機によって敵の機動部隊は2群に分かれ、1群に空母4隻、もう1群に空母2隻が潜んでいる事が判明。位置も概ね特定できた。マリアナ諸島の友軍機も付近で再三敵艦上機を発見したと報じており、近海に敵が潜んでいるのは疑いようが無かった。決戦の時は刻々と迫る。龍鳳艦内では搭乗員が身辺整理を始めた。みな、生還を期さない覚悟である。小沢艦隊はミッドウェー海戦の戦訓から索敵を徹底。
  • 6月18日午前5時、航空戦第三戦法第二法に則ってサイパンの西方700海里で索敵機14機が発進。敵機動部隊を求めて飛び去った。このうちの1機が東進中の敵艦隊を発見し、また前方約400海里に敵の哨戒機を確認する。午前6時55分には73度方向410海里に東進中の敵機1機発見。60度方向425海里にも敵味方不明機3機が発見され、敵の航跡を目ざとく捉えた。敵が潜んでいる海域に目星が付いたので、午前11時に第二次索敵隊13機が出撃。14時45分から15時40分の間に、三群に分かれて行動するアメリカ第5艦隊を捕捉。実に高い索敵能力を見せ付けた。彼我の距離は約380海里。全軍が緊迫した空気に包まれる。各偵察機からの情報を集め、総合結論を出したのが夕刻だったため、この日の攻撃は中止。攻撃を強行すれば帰投が夜間になり、着艦に大きな危険が伴う。無用な危険から搭乗員を守るべく攻撃は翌日に持ち越しとなった。大鳳から発光信号で翌日の戦闘要領を含めた命令文が発せられたが、端の方に配置されている艦には位置的に届かず、瑞鶴が中継してくれたが、それでも全軍に伝わったとは言いがたかった。敵潜水艦を欺くため、日没前に北へ変針して航路を偽装。日没後に南へ変針し、決戦の態勢を取った。
     
  • すっかり日が落ちた6月18日の夜、辺りは闇夜に飲まれた。乙部隊の空母は先頭中央に隼鷹、左後方に龍鳳、右後方に飛鷹が配されていたが、その三角形の中心には戦艦長門がいた。信号は旗艦の隼鷹から発せられるのだが、長門の巨体が遮ってしまうので長門が信号を中継していた。しかし隼鷹が出す信号と、長門が中継する信号には齟齬があった。隼鷹は左へ斉動する信号を出したが、長門は全く正反対の右斉動の信号を出して後続の空母2隻を混乱させた。長門に問い合わせる前に隼鷹が発動符を出してしまい、危うく長門飛鷹が衝突しかける事態に発展した。ぎりぎりのところで長門が変針したため、大惨事は避けられた。ところが隊形の乱れは龍鳳にも影響。長門の信号に従った龍鳳は、意図せず飛鷹に高速で接近。飛鷹の左前方から直交する針路になっていた。衝突にはならないが、このままでは飛鷹の眼前を横切る形となって大変危険である。飛鷹から航海灯が出され、左に変針して龍鳳をかわした。相手の位置を把握した龍鳳は右へ変針し、飛鷹とすれ違う反航の体勢を取った。その後、龍鳳は大角度転舵し、飛鷹の正横約1000mに占位して平行針路とした。辛くも衝突事故は避けられた。
  • 対する敵軍も飛行艇が小沢艦隊を発見。ただちに位置情報が通報されたが、これまた情報伝達に失敗しスプルーアンスに伝わったのは翌朝という有様だった。一方で通信解読により、敵は翌日黎明に「ノサユ00」の地点から小沢艦隊が攻撃する事を把握していた。地点を示す暗号は1942年から1943年にかけて既に解読されており、小沢艦隊の位置を特定できる決定的な情報だった。だがスプルーアンスはこれを囮の艦隊だとして信じようとしなかった。情報戦では日本側が制したが、その優位を覆すほど敵は潤沢な物量を持っていた。空母9隻と艦載機439機の日本側に対し、敵軍は空母15隻と艦載機902機と数の暴力で圧倒。一筋の光もない絶望的な戦いが幕を開ける。
     
  • 6月19日、マリアナ沖海戦に参加。午前1時、闇夜に紛れてPBM哨戒飛行艇が触接し、小沢艦隊の位置情報を繰り返し通報。しかし情報の女神にとことん忌み嫌われていた敵軍の本隊には(何故か)届かず、位置特定の最後のチャンスを無駄にした。午前3時、暗闇の飛行甲板には爆弾と燃料を満載した航空機がずらりと並べられていた。その間を縫って、整備員が慌しく動き回る。30分後、小沢艦隊から水偵16機が索敵のため出撃。午前4時15分、第3航空戦隊空母の艦攻13機と重巡筑摩の水偵1機が出撃し、同時に彗星11機と最上の水偵2機も発進。敵艦隊の動向を監視する。艦隊の方は縦深配備とし、前衛艦隊(丙部隊)、乙部隊、甲部隊の順に配置。午前5時22分、乙部隊は甲部隊の北15kmの地点を航行していた。午前6時34分、敵大型空母4隻と戦艦4隻を中核とした敵艦隊を発見。これを便宜的に「7イ」と命名した。
  • 攻撃に必要な情報を取り揃えた小沢中将は、午前8時に攻撃命令を下す。龍鳳の飛行甲にはエンジンの轟音が幾重にも重なり、静寂の海を切り裂く。「発艦始め」の号令とともに航空機が次々に飛び立っていく。これを母艦の乗員たちが帽振れで見送る。各空母から一斉に攻撃隊が飛び上がり、乙部隊は少し遅れて零戦17機、爆装零戦25機、天山7機の計49機を発進させた。午前8時30分に第一次攻撃隊の発進を完了させた。その直後、索敵機がグアムの南西に空母3隻、戦艦5隻を含む敵艦隊を発見。同時刻、7イの北方に空母3隻、戦艦1隻を含む一群が発見された。前者を「15リ」、後者を「3リ」と命名。小沢中将は遅れて発進した乙部隊の攻撃目標を3リに変更させた。午前10時、続いて第二次攻撃隊が出撃。零戦20機、九九式艦爆27機、天山3機の計50機が東の空に飛び去り、15リを攻撃目標に定めた。同時に龍鳳から前路索敵用の天山(黒川中尉機)が発進し、不意の襲撃にも注意を払った。敵の哨戒機は現れず、未だ小沢艦隊を捕捉できていない様子だった。順調に推移しているかのように思われた。だが、小沢艦隊に悲劇が襲う。
     
  • 龍鳳から少し離れたところに展開していた甲部隊で、目を覆いたくなる悲劇が始まっていた。午前8時10分、米潜アルバコアが大鳳を雷撃。さらにキャバラが翔鶴を雷撃し、虎の子の大型空母2隻を失う痛撃を喰らう。一方、送り出した攻撃隊は高度3000mにまで分厚く広がる雲量に阻まれ、指揮官機や僚機からはぐれる機が続出。洋上航法を会得していない錬度未熟な搭乗員は各々ばらばらに飛行するしかなかった。やがて石見丈三少佐率いる49機は3リがいる海域に到達したが、敵を発見できず。14時30分、空を埋め尽くす無数の敵機に襲撃され、14機が撃墜されてしまった。宮内安則少佐率いる32機も敵艦隊(15リ)を発見できずグアム島へと向かったが、15時に敵戦闘機30機の待ち伏せを受ける。無防備な着陸時を狙われたため、壊滅的打撃を受ける。エースだった菊池哲生一飛曹もグアム着陸時に味方機をかばって壮烈なる戦死を遂げられた。錬度不足が最悪の形で表れたのだ。
  • そんな中、阿部善次少佐率いる15機が偶然にも敵空母ワスプⅡとバンカーヒルを発見。果敢に戦いを挑んだが、膨大な数の敵機と苛烈な対空砲火により残念ながら命中弾は出ず、10機を喪失。2機が不時着して壊滅状態に陥った。悲惨な殺戮劇により攻撃隊の大半は帰らず、371機中215機が未帰還となった。乙部隊が送り出した攻撃隊は第一次、第二次ともに敵を発見できず、何ら戦果を挙げる事が出来なかった。翔鶴大鳳の受難により、出撃した甲部隊の航空機は瑞鶴か乙部隊に行くよう命じられた。残存機は艦戦44機、艦爆11機、艦攻30機、戦爆17機。これが小沢艦隊の戦力全てだった。
  • 隼鷹飛鷹、龍鳳が甲部隊の方へ近づいてみると、水平線の向こう側から黒煙が立ち昇るのが見えた。時間が経つにつれ黒煙は濃くなり、火勢が強くなっていく。更に接近すると、天を焦がさんばかりの大火が翔鶴大鳳を焼いていた。特に大鳳は黒煙に包まれ、わずかにアイランド型艦橋の輪郭が見える程度だった。おおよその火元は、前甲板の下方にある軽質油庫のように見える。時々真っ赤な炎が噴き出し、そのたびに黒煙が巻き上がる。大鳳の近くには駆逐艦が横付けし、生存者を収容している様子だった。あと5海里までのところまで接近すると、大鳳から「近寄るな、付近に敵潜水艦2隻あり」との信号を受けた。
    最早この海域は敵の手のひらの上である。変に集結すれば一網打尽にされる危険性すらあった。時間差で接近してきた隼鷹飛鷹にも同様の信号が送られた。やがて大鳳は2回の大爆発を起こした。その衝撃たるや、距離を取っていた龍鳳にもズシリと伝わった。大鳳は左舷へ傾斜し、白煙だけを残して沈んでいった。怪魚によって貴重な大鳳翔鶴を冥府へと引きずり込んでしまった。17時10分、艦隊は一旦北上した。
  • 19日夜、連合艦隊司令部から一時後退を促され、旗艦を一時的に羽黒へ変更。22時45分、艦隊を速やかに西方に退避させた。だが小沢中将の闘志は未だ燃え盛っていた。彼は補給と再編成が済み次第、再び敵艦隊に殴りこもうと考えていた。油槽船から給油を受け、その時を待つ小沢艦隊。補給を終えた後、6月22日にサイパン島に殴りこむという予定が艦内に伝えられた。一方、攻撃を受けた敵艦隊は小沢艦隊を血眼になって探していた。索敵機をバンバン飛ばし、草の根を分ける勢いで海域を捜索。それでも発見には至らなかった。西方に退避した事で、索敵機の行動範囲外に出ていたからである。
     
  • 6月20日午前4時、小沢艦隊より索敵機が飛び立ち、東方海域の捜索を行う。午前6時20分、小沢艦隊は油槽船5隻と合流し、午前11時19分より燃料補給を開始した。正午に旗艦を瑞鶴へ変更。敵襲を警戒し、7隻の空母は盛んに索敵機を飛ばしたが敵艦隊の位置は掴めなかった。まるで霧のように消えてしまったかのよう。艦隊上空には5、6機の零戦が旋回している。午前中の索敵は実を結ばず、午前11時30分にパラオの哨戒機がペリリュー島の20度540海里に敵機動部隊を発見したと報じたが、味方だった。正午頃、再び索敵機を出して念のためペリリュー近海を捜索。午後に入ると、東方約240海里付近に相次いで敵味方不明機を確認。愛宕が傍受した通信により、敵飛行艇が触接している公算大と認められた。補給作業を中断し、14時15分に小沢艦隊は更に西方へ退避。龍鳳と隼鷹は追随したが、飛鷹のみ反応が遅れて落伍しかける。全速力で追えば合流も出来たが、潜水艦を警戒して之字運動をしたため、飛鷹は本隊に追いつく事は出来なかった。これにより乙部隊の陣形は龍鳳と隼鷹飛鷹の2つに分けられてしまう格好となった。15時5分に傍受した通信によると、敵は小沢艦隊の全貌を正確に報告していた。間もなく敵の攻撃が来るだろう。第1、第2補給部隊に西方への退避命令が出された。さらに摩耶の水上偵察機が敵艦隊を捕捉し、艦隊の緊張が一気に高まる。15時20分、敵の哨戒機らしきものが触接を開始する。小沢司令は全航空機に攻撃を下令し、龍鳳ら各空母は発艦に備えて風向きを調整。敵方と相対する形となる。夕刻16時15分、いよいよ補給が終わろうかと言う時、ついに敵艦上機群約20機が東方約200海里の地点を西進中との情報が入った。更に索敵機が空母を含む敵艦隊を発見。そして17時30分、200機にも及ぶ敵機が出現する。
  • 乙部隊では、最初に隼鷹が敵機の接近に気付いた。17時27分、隼鷹は旗流信号で、能代は電話で「230度方向に敵飛行機見ゆ。母艦より離れるな」と伝えてきた。飛鷹は正規の位置まで後600mのところに迫っていたが、まだ定位置に就いていない。敵機はグングンと距離を詰めて来る。17時40分(時雨戦闘詳報)、龍鳳から戦闘機隊が発進。わずかに残っていた希少なベテラン搭乗員が駆る零戦26機が展開し、敵機の群れを迎え撃つ。対空戦闘を意味するラッパが鳴り響き、艦内は慌しくなる。乙部隊は主力から3000mしか離れておらず、集中攻撃が予想された。間もなく全艦が猛烈な対空射撃を開始する。太平洋の覇者を決める一大決戦が始まった。乙部隊には約100機が襲来し、各艦は第三戦速で回避運動を取る。勇敢な零戦隊が敵前衛部隊と交戦を開始し、F6F2機(うち1機撃墜不確実)、ドーントレス9機(2機不確実)を撃墜するも、敵は損害を物ともせずに突撃。零戦隊の間隙を突いて、乙部隊へと襲い掛かる。絶望という言葉すら生ぬるい地獄が幕を開けた。
     
  • 空を覆う無数の敵機は、思い思いに自身の獲物へと喰らい付いた。どうやら敵の目には航空母艦が魅力的に見えるらしく、駆逐艦や巡洋艦を無視して空母に飛びついていく。龍鳳にも敵機が殺到し、チャールズ・ネルソン中尉率いる雷撃機5機が肉薄。魚雷が一斉に放たれたが、5本全てを回避。対空砲火で反撃したものの撃墜には至らなかった。敵機は矢継ぎ早に現れ、今度はヘルキャットの編隊が接近。強固な対空砲を潰すため、龍鳳に向けて機銃を乱射してきた。更にドーントレスの編隊が加わり、龍鳳に投弾。敵パイロットは8発の爆弾を命中させたと主張したが、実際は全て至近弾であった。護衛に回ってくれた駆逐艦時雨と一緒に右へ左へ船体をよじる。乱立する水柱、乱舞する敵機、いつ殺られるか分からない死への恐怖。僚艦に目を見やると、隼鷹飛鷹も必死に身をよじって回避している。2隻の支援には長門が回っているようだった。
  • 日没が迫ったため、戦場は宵闇に包まれ始めた。徐々に濃さを増す暗闇は龍鳳の船体を隠してくれたが、敵はお構いなしに攻撃を続行。ジョージ・ブラウン中尉率いるベローウッド所属ドーントレスが接近し、龍鳳に対し雷撃体勢を取る。ところが直前になって敵編隊は飛鷹に標的を変更し、辛くも龍鳳は難を逃れた。だがこの悪夢はまだ終わりそうに無かった。敵機は矢継ぎ早に来襲し続け、乙部隊に休む暇を与えない。17時40分、飛鷹の右舷後部機械室に魚雷1本が命中し航行不能。加えて艦橋後部マストで爆弾が炸裂し、艦橋要員が壊滅したため戦闘不能に陥る。17時55分、隼鷹の艦橋後部煙突に2発の直撃弾を受け、火災発生。発着艦諸装置破壊により発着艦不能。無事な空母は龍鳳だけになる。17時57分、アベンジャー雷撃機の編隊が龍鳳に向かって突撃。既に発射体勢を取っていた。絶体絶命の窮地であったが、時雨が対空射撃をしてくれたおかげで撃退に成功。間一髪助かった。持ちつ持たれつの関係で敵に対抗し続けた。激しい対空砲火で乙部隊は6機を撃墜した。
  • そんな中、頭上から敵機が矢のような急降下爆撃を仕掛けてきた。対空砲火をかいくぐり、龍鳳目掛けて投弾されるそれは真っ直ぐに龍鳳を捉えており、直撃は免れないと思われた。しかしここで龍鳳は強運に助けられる。回避しようと急激に舵を切った結果、船体が大きく傾いた。これが身をよじる形となり、先ほどまで飛行甲板があったところに爆弾が落下。直撃弾は至近弾となり、命からがら助かった。大傾斜させたため、甲板の零戦3機が海に落下してしまったとの逸話もある。勇猛果敢に戦う龍鳳だったが、18時10分に4機のアベンジャーに襲撃され、至近弾により小破。しかし戦闘航海と航空機の発着艦に支障は無く、宇垣参謀長の日記にすら触れられないほど軽微なものだったとされる。
  • やがて、出撃させた攻撃隊の一部が帰還。辺りは夕闇に包まれている上、敵味方が入り乱れる乱戦だった事から同士討ちが発生。しかも隼鷹飛鷹が被弾しているため、降りられる空母が足りない!やむなく味方機は上空を旋回したが、このままでは燃料切れで不時着水するのも時間のも問題だろう。戦い疲れた彼らを収容できるのは瑞鶴か龍鳳しかない。小さな体に掛かる重圧は計り知れないものになった。飛鷹所属の零戦が母艦を求めて旋回していると、突然最上から主砲射撃を受けた。命からがら攻撃をかわし、龍鳳に着艦した。飛行甲板に降りられた機はまだ幸運だった。燃料が切れた味方機は駆逐艦の近くへ次々に不時着水。搭乗員だけは救助されたが、上空にはまだ助けを求める機体がたくさん旋回している。空母も、駆逐艦も、搭乗員も、みんな死力を尽くして敵と戦っていた。
  • 18時7分に「撃ち方止め」の命令が下り、敵の数に任せた蹂躙は終わった。龍鳳にはSBD6機、TBM10機、F6F14機が襲い掛かったとされる。乙部隊で戦闘可能な空母は龍鳳だけになってしまった。隼鷹は中破しながらも飛鷹の復旧作業を見守っている。飛鷹では懸命な消火が行われたが、消火ポンプの故障により放水停止。長門による曳航も失敗し、武運つたなく19時32分に沈没していった。更に貴重なタンカー玄洋丸と清洋丸まで失う結果となった。そして残った艦艇も傷だらけだった。満身創痍と化してもなお小沢中将は敵艦隊への攻撃を諦めていなかったが、残存機は零戦30機、艦爆15機、艦攻16機の計61機にまで減少していた。見かねた連合艦隊司令部は19時45分に退避を命じ、マリアナ沖海戦は幕を下ろした。乙部隊は49機の航空機を喪失。やっとの思いで再建した機動部隊は奮戦むなしく粉砕されてしまった。
    • 夕暮れ時に攻撃を強行したアメリカ軍もタダでは済まなかった。艦載機の帰投が夜になったのだが、パイロットは夜間着艦の訓練を受けていなかった。20時頃に続々と帰還してきたが飛行甲板に衝突したり、不時着水したり、艦尾に突っ込んだりして80機を喪失した。幸いスプルーアンスは追撃しなかったため小沢艦隊は撤退に成功。潤沢な戦力を持っていたのに戦果拡大のチャンスを自ら捨てたスプルーアンスに与えられたのは賞与ではなく、味方からの不満だった。部下のクラーク提督は「世紀のチャンスを逸した」と悔しがり、モントゴメリー提督は「この結果は全ての者にとって著しく失望すべきものであった」と嘆きの慟哭を上げた。アメリカ海軍航空本部は「航空専門家でない者を空母部隊の指揮官にしたからだ」と采配を非難し、白眼視した。
       
  • 小沢中将は戦力の再編成を行うため沖縄の中城(なかぐすく)湾へと向かった。6月21日の朝は、とても晴れ渡っていた。だが小沢艦隊はまだ虎口を脱していなかった。午前5時35分にグラマンらしき航空機が確認され、午前7時35分には敵味方不明機が出現。敵の追っ手である。午前8時18分、敵機動部隊出現の際には各空母の全航空兵力を以って最後の攻撃を行う事とし、その準備を整えておくよう命じられる。しかし乙部隊の稼動機数はわずか12機であった。戦闘可能な空母も龍鳳のみと、大変心細い戦力であった。各艦艇では生き残った者の手で、戦死者の海軍葬が執り行われた。幸いにして龍鳳では1人たりとも戦死者を出さなかった。しかしその弔意を引き裂くかのように敵の触接機が飛来し、小沢艦隊の最後尾にしつこくまとわりついてきた。第3航空戦隊が後方約650kmに索敵機を飛ばしてみると、追っ手と思われる敵艦上機1機が発見された。通信傍受の結果、追っ手を繰り出しているのは敵空母バンカーヒルと特定された。また敵飛行艇が触接してきて、ほぼ正確に戦力を通報された事から総員戦闘配置の号令が下った。さらに艦隊は増速し、敵機の追跡を振り切った。以降は敵機の出現は無くなったものの、洋上補給は危険と判断されたので中城湾まで一直線に走った。敵機の脅威が無くなると、今度は天候が悪化してきた。15時45分、小沢中将はあ号作戦の中止を決断した。
  • 6月22日15時、沖縄の中城湾に寄港。ここで負傷者の移乗と燃料補給を行った。この日、連合艦隊司令部はサイパン島奪回を企図し、残存の機動部隊を瀬戸内海に回航して戦力の再建を命じたが、マリアナ沖海戦の敗北によって陸軍が消極的になったので作戦は中止となった。23時3分、連合艦隊より機動部隊は瀬戸内海西部への回航を命じられる。この中城湾にも敵潜水艦出現の兆候が見られたため、翌23日午前11時に出港。先に出発した戦艦大和以下第1戦隊の背中を負った。この日は北東の風が強く、玄界灘は荒れに荒れていた。大時化の海を突破し、6月24日18時に柱島帰投。陸奥が沈没した地点には墓標のように赤い浮標が置かれていた。6月27日、搭乗員は大分基地に集合するよう下令され、龍鳳から退艦した。7月3日に呉軍港へと回航。機密保持のため、一部の乗員は大竹海兵団に隔離されていった。
  • 7月9日(7月11日説あり)、呉工廠に入渠して飛行甲板の修理を実施。加えて大改装を行った。
    • マリアナ沖海戦の戦訓から対空兵装を強化し、25mm三連装機銃4基、連装機銃2基、25mm単装機銃23基、13mm単装機銃18門、12cm28連装噴進砲6門、2号1型電探1基と1号3型電探1基を新たに装備。高角砲付近に切り欠きを設け、機銃の射撃範囲を広げる工夫がなされている。中でも異彩を放っていたのは噴進砲であった。これは対空ロケット砲であり、あ号作戦以降にようやく実用化の目途が立った新型兵器だった。増やした機銃や電探を扱うため、乗員の数も785名から989名に増員。新型機の発着艦に対応すべく飛行甲板も約15m延伸し、支柱を簡易型に変更した。隼鷹を参考にした難燃・防火対策が施され、リノリウムを廃止。可燃性の装飾は徹底的に排除され、私品も一握りの物を除いて携行禁止。兵員室では寝台食卓(6人用)を1個事務兼用として残し、被服箱などを撤去。甲板に帆布または軽便畳を敷いて、この上で食事及び就寝する。超が付くくらいの防火対策に「やり過ぎ」との声も上がったが、実行に移された。
    • 大鳳沈没の戦訓から、ガソリン庫の防御とガス漏れ対策の強化が平行して行われた。タンク周辺の空いたスペースに鉄筋を組み、そこへコンクリートを流し込んで防御壁とした。タンク直上の甲板には約1mのコンクリート壁を張り、空所として密閉。通管などの艤装は撤去された。ガソリンの気化対策には通風能力の強化で対応。格納庫の前後端に開口部を用意して換気出来るようにし、前部昇降機口に帆布幕を張って新鮮な空気を取り込めるように改良した。この徹底的な対策によって、のちに龍鳳は驚異的な防御力を発揮する。7月20日に出渠。
  • サイパン島を手中に収めたアメリカ軍の次なる目標は、硫黄島であった。敵機動部隊は約60機の艦載機を放って硫黄島を空襲し、これを基地航空隊が迎撃した。この襲来は海軍部を激しく動揺させ、「これは米軍の硫黄島攻略の前触れではないのか」と恐怖させた。敵軍の攻撃は続き、7月3日には二度目の空襲が、翌4日には接近してきた敵の巡洋艦群が艦砲射撃を加えるなどやりたい放題であった。しかし7月5日以降は攻撃がピタリと止み、ひとまず脅威は去ったものと思われた。だが依然として硫黄島への脅威は健在だと連合艦隊司令部は考え、常に緊急出動が出来る空母を手元に置いておく事にした。戦力には千歳、瑞鳳、千代田の3隻が指定されたが、龍鳳にも待機が命じられた。これにより、しばらく内地で待機する事になる。内地の燃料状況が悪化の一途を辿っていた事も無関係ではないだろう。
  • 隼鷹が戦線離脱し、飛鷹が沈没してしまったので、再建のため7月10日に第2航空戦隊は解隊。それに伴って第652航空隊も取り上げられ、再び航空機を失う。瑞鶴を旗艦とした第1航空戦隊に転属し、第601航空隊が付随した。雲龍と天城も編入されたが、この時点ではまだ建造中だったため実際の戦力は龍鳳と瑞鶴のみであった。7月31日、新たな方針を打ち出して再編成が行われた。それは即戦力となる訓練済みの空母(瑞鶴と龍鳳)を第3、第4航空戦隊に回すというものだった。8月10日に第3艦隊第4航空戦隊に転属。今度は第634航空隊から艦載機を供出してもらう事になり、福田澄夫大尉率いる零戦48機が岩国で訓練を開始した。
  • 8月13日、呉を出港して柱島泊地へと回航。8月21日に戦艦扶桑や駆逐艦桑とともに日栄丸から燃料補給を受け、翌22日、八島へ向けて出発。8月26日に柱島へと戻った。9月10日に再び八島へと回航され、翌11日、戦闘機隊は徳島へ、天山隊は美保へ訓練基地を移した。機動部隊は8月末頃に再建、9月末に「作戦可能」の目標を据えたものの、大幅な遅延が発生。その間、龍鳳は再び航空機輸送の任務に就き、9月29日に柱島へ入港。就役したばかりの新型空母雲龍と合流し、猛特訓を開始。柱島、松山沖、屋代島沖、八島沖、徳山沖、岩国沖、大分沖、門司、油谷湾、佐世保で月月火水木金金の特訓を繰り返した。護衛を担う中小艦艇は燃料が豊富なリンガ泊地に進出したので、相変わらず外洋に出る事は出来なかった。もし飛行機材の補給と整備が完了すれば、龍鳳もリンガ泊地に進出する予定だった。10月10日、通信長に横地鑑也大尉が着任。空母は対空強化を行い、航空隊は訓練に勤しんで「作戦可能」を目標に再建を急いでいた。しかし新機材の配当が遅延し、再建が遅れる。更に10月12日から16日にかけて生起した台湾沖航空戦で、第634航空隊が基地航空隊に転用されて損耗。乗せる航空機が無くなってしまう。航空隊を編成できなかった、修理中だった、低速が原因だった等、様々な理由が考えられるが、捷一号作戦には不参加と相成った。
  • 10月20日午前9時28分、龍鳳艦長は第1機動艦隊参謀長に電報を送って意見具申。内地防空用の戦闘機と練習航空隊の教官の大部分を速やかに決戦正面海域に投入すべきと主張。すぐに輸送できないものは岩国航空基地に一旦収容し、呉に所在の5隻の空母で輸送すると訴えた。
    • 10月下旬、徳島航空隊の新米搭乗員が大発に乗って龍鳳に乗艦。発着艦訓練の一環で、先輩搭乗員の実技を見学するのである。到着した日は何もせずに一泊。艦長に指定されたベッドで横になった。翌日、龍鳳は紀伊水道沖を出港。風上に向かって速力をグングンと上げ、飛行甲板に猛烈な風が吹き抜ける。手すりに掴まり、踏ん張っていないと吹き飛ばされそうだ。新米搭乗員は今か今かと実技の時間を待っている。舳先の飛行甲板からは着艦目標の白い煙が尾を引き、その手前には油圧式の着艦用ワイヤー4本が張られている。艦の左舷には赤と青の着艦誘導灯が交互に点けられていた。艦橋の中央には、着艦用ワイヤーに引っかからなかった時のやり直しの目印になる太い白線が引かれている。やがて彼方から零戦3機が接近。龍鳳の上をすれすれで航過すると、編隊を解いて着艦体勢に入る。左に旋回しながら前輪を出し、フックを下げ、フラップを降ろし、何度も何度も旋回して着艦のタイミングを見計らう。左右にバンクし、軸線を合わせ、突入角度を調整する。徐々に飛行甲板へと近づき、艦尾の上を通ると機首を上げる。すると機尾が下がり、2番目の着艦用ワイヤーにフックが引っかかる。ワイヤーは思い切り引っ張られたが、機体の速度を削ぎ切って停止させた。まさに見事な着艦だった。待機していた整備員が駆け寄り、機体からワイヤーを外す。合図をすると再びエンジンを吹かし、零戦は飛び立った。続いて2番機が着艦姿勢に入る。1番機同様に前輪を出し、フックやフラップを降ろして手本のような着艦を成し遂げた。3番機も華麗に着艦を決め、新米搭乗員を感嘆させた。その後、先輩搭乗員の体験談を聞いたり、艦内で講義が行われた。貴重な体験と知識を得た新米搭乗員はその日のうちに退艦し、原隊へと戻った。彼らは母艦搭乗員になるべく訓練を続けたが、残念ながらその機会は訪れなかった。
       
  • 10月20日、連合艦隊より新たな輸送任務が命じられる。台湾沖航空戦で被害を受けた第61航空廠の再建資材を空母海鷹とともに運ぶ事になった。指揮権は先任艦長がいる海鷹に定められた。呉で必要資材を積み込み、佐世保へ回航。レイテ沖海戦が生起した10月25日午前11時、空母海鷹と佐世保を出港。護衛には駆逐艦梅、桃、榧、樅がついた。各航空隊向けの資材や航空機を龍鳳が輸送、それを海鷹が九七式艦攻12機で援護した。
  • 10月26日16時、大瀬崎の180度5海里の地点を通過。南方では死闘が繰り広げられていたが、こちらは非常に平穏な航海であった。翌27日午前10時に基隆へ入港。輸送した航空資材を降ろし、燃料用砂糖とアルコールを積載。10月29日13時30分に出港し、道中何事も無く10月31日17時30分に六連島に到着。11月2日に呉へ帰投した。輸送任務を成功させ、各艦は原隊へと復帰していった。11月6日に呉を出港し、夜遅くに大竹で仮泊した。
  • 龍鳳が内地に戻る少し前、帝國海軍はレイテ沖海戦に敗北。なけなしの空母4隻を失い、再編成を迫られていた。連合艦隊は生き残っていた空母を集め、雲龍天城葛城、信濃、隼鷹、龍鳳で第1航空戦隊を編成。しかし水雷戦隊の被害も大きく、機動部隊直属だった第10戦隊を解隊して補填。護衛戦力に事欠く事態となってしまった。11月7日、呉で雲龍から第1機動艦隊の将旗を継承。帝國海軍最後の空母部隊旗艦となり、小沢治三郎中将が乗艦した。11月11日に呉を出港し、夜遅くに宇治へ入港。翌日に出港して呉へと戻った。ところが11月15日に第1機動部隊が解隊され、旗艦任務を解かれた。小沢中将は退艦し、わずか8日間だけの栄光であった。その後、第1航空戦隊に編入された。11月19日、海軍に引き渡された空母信濃が戦隊に加わった。11月21日に呉を出港し、松山に回航。11月30日、新たに暗号員が乗艦した。
    • 龍鳳が旗艦に選ばれたのは、もはや龍鳳くらいしか選択肢が無かったからと思われる。雲龍型は正規空母だが乗員の錬度不足が問題化、鳳翔は練習空母なうえ外洋航行不可、海鷹は帝國海軍最小空母で搭載数・速力ともに劣悪、神鷹は鈍足かつ機関不調の常連と問題百出状態であった。唯一龍鳳のみ訓練済みで速力も搭載機数もそこそこ良かったので、消去法で龍鳳に白羽の矢が立てられた。
       
  • 大本営海軍部は、神雷特攻部隊に桜花を配備するため第一次輸送でフィリピンに30機、台湾に70機を送る事にした。輸送計画は11月末に一旦延期したのち、実行へ移された。12月13日、ミンドロ島にアメリカ軍の上陸船団が接近。兵力2万7000名を伴っていた。重要拠点マニラから僅か24kmしかなく、敵将マッカーサーの狙いは誰の目から見ても明らかだった。これを受け、同日中に雲龍とミンドロ島へ桜花を緊急輸送する任務を命じられる。12月19日午前11時3分、龍鳳に第17駆逐隊が指揮下に入る。ついでにカムランに向かう軽巡矢矧と時雨、シンガポール行きの海防艦4隻も護衛に加わった。しかし先に桜花を運んでいた雲龍が12月19日、米潜レッドフィッシュの襲撃で沈没。これを受けて入港先をフィリピンから台湾へ変更した。この変更は、12月25日に神雷部隊の指揮官が台湾に進出する予定だったからと言われている。12月24日午後12時58分、第1海上護衛部隊の指揮下に編入。龍鳳、時雨、矢矧の3隻は29日午前7時までに門司へ集合するよう命じられる。翌25日午前11時5分、連合艦隊参謀長より龍鳳は「こたびの輸送は特に最善を尽くせ」と念を押される。それほどまでに重要な輸送任務であった。呉軍港で桜花58機の積み込み作業が行われ、艦内は騒がしくなった。龍鳳の周りには物資を積んだハシケが取り囲み、昼夜を問わない突貫作業が続けられた。
  • 12月28日に呉を出港し、翌29日午前7時に門司港へ到着。ヒ87A船団の駒澤克己指揮官の麾下に入り、関係者は同日午前9時に門司武官府で行われた護衛艦会議に参加した。12月30日17時40分、雪風の主蒸気管破裂により護衛から脱落。浜風が司令駆逐艦に指定された。18時30分、船団が六連島沖に集結し、龍鳳もそちらへ移動した。目の前には敵が支配する漆黒の海が無言で揺らめいていた。
  • 12月31日午前8時20分に門司を出発。敵機動部隊が東へ退却した隙を突いて輸送を試みた。今や非常に貴重となった1万トン級タンカー天栄丸、辰和丸、海邦丸、宗像丸、さらわく丸、黒潮丸、光島丸、松島丸と龍鳳及び旗艦神威で輸送隊を編成。これを海防艦御蔵、屋代、倉橋、13号、駆逐艦旗風浜風磯風時雨が護衛する。ただし龍鳳が同行するのは行き先の台湾までだった。護衛艦艇が先行し、前路掃討を担当。敵潜水艦の襲撃を警戒し、船団は沿岸寄りの航路を選択。各々距離1km、間隔2kmを取りつつ北西に針路を取り、対馬北端沖で朝鮮半島に向けて変針。午前9時45分、第2警戒隊形に移行。午前11時より之字運動を行う。13時45分、敵潜水艦に捕捉されたとの情報が入ったため右45度へ一斉回頭。17時15分に第3警戒隊形へと陣容を変更し、朝鮮南岸接岸航路に入った。対空警戒も怠らずに行い、敵襲への警戒を強める。ヒ87A船団は朝鮮南岸に沿って進み、朝鮮半島西側から黄海に進入。東海で南下を開始した。雲龍が台湾北東海域で沈められているため、こたびは徹頭徹尾大陸沿いの航路を通る事に。
    • 護衛に空母の龍鳳がついてくれた事は、船員たちの大きな心の支えとなった。しかし艦載機を持っておらず、対潜哨戒は全く出来なかった。
       
  • 1945年1月1日、警戒航行中に戦闘諸訓練を実施。午前10時8分、第1警戒隊形に占位。13時15分から之字運動を開始した。護衛対象のさらわく丸と海邦丸が機関故障で一時落伍するも、復旧。アメリカ軍のフィリピン侵攻に伴って東シナ海や南シナ海では敵機動部隊が暴れまわっており、加えて中国大陸から飛来する敵機と無数の敵潜水艦が補給線を断たんと海域を席巻。航海には常に危険が伴った。1月2日午前7時35分、敵が敷設した浮遊機雷を発見したため処理。17時45分、第2警戒航行隊形に占位。
  • 1月3日午前0時15分、泗礁山水道を通過。午前6時、フィリピン東方に敵機動部隊数群探知の報告が入る。午前8時50分に第4警戒航行隊形に変更。さらに午前9時には目的地の台湾全土に空襲警報が発令。巻き添えを避けるため、旗艦神威から上海南方の舟山列島泊地へと向かう旨の指令を受ける。だが1時間後に濃霧が発生し、視界不良に陥る。五里霧中だったが、午前11時37分に舟山列島北東錨地に一旦退避。しかしここも安全ではなかった。到着した直後の午前11時40分、泊地南方にて敵機と交戦する商船を確認。加えて舟山列島にも空襲の兆候が見られたため、龍鳳、時雨浜風磯風に退避命令が下った。翌4日午後12時10分に出港して一旦船団から分離。泗礁山泊地に向かい、そこで危機が過ぎ去るまで退避した。龍鳳は警戒艦に浜風を指定し、泊地の警護をさせた。1月5日13時に泊地を出発し、船団との合流を目指した。航行中の翌6日午前8時50分、午前10時にヒ87A船団と合流するよう命じられる。午前11時、ヒ87A船団と合流した。17時55分、船団速力を15ノットに上げる。21時、110度方向に敵潜水艦らしき音を探知。22時8分、右45度方向より魚雷音を探知し船団は右へ緊急一斉回頭を実施。ところが22時14分に誤聴だった事が判明した。それでも左45度緊急回頭を行い、元の針路へ戻った。
  • 1月7日午前3時30分、貨物船光島丸が機関故障により落伍。護衛には旗風がついた。午前5時35分、敵潜水艦が跳梁跋扈する危険海域こと台湾海峡に突入。ここは陸地からの航空支援が受けやすい代わりに敵潜が我が物顔で走り回っていた。午前7時26分に速力12ノットへ増速し、午前7時45分から之字運動を開始。海中に潜む見えざる敵に備える。だが、努力むなしく台湾海峡北部を南下中に米潜水艦バーブに発見され、追跡を受ける。さらに近辺で活動していたピグーダに連絡し、呼び寄せる。午前11時26分に4本の雷跡を確認。魚雷の主はピクーダであった。雷跡はグングンと真っ直ぐに伸びていき、1分後に3本目が貨物船宗像丸に直撃して大破。船団は左45度へ緊急回頭を行う。午前11時30分より護衛艦艇が爆雷投射を開始し、船団は右へ左へ一斉回頭を繰り返す。正午、第1警戒航行序列に占位。宗像丸の救援には海防艦倉橋が向かった。宝石のように貴重となった空母を守るため、13時にヒ87A船団から分離。行き先を高雄から北部の基隆に変更し、護衛に時雨浜風磯風を引き連れて反転。この決断が功を奏し、ピクーダとバーブの襲撃から逃れる事に成功した。龍鳳の到着に合わせ基隆防備隊が航路の掃海を実施し、誘導を行った。
  • 午後12時55分、護衛任務を終えた3隻の駆逐艦とは基隆港外で別れ、龍鳳のみが基隆へ入港。ここで本土に帰還する人員や砂糖を積載。後は内地に帰投するだけだが基隆港に備蓄燃料が殆ど無く、補給のため高雄港へ回航された。しかし、高雄もまた安全な場所ではなかった。図らずも、港内の船舶を狙った米第38任務部隊の空襲に巻き込まれてしまう。
  • 1月9日午前5時20分にレーダーが敵の大編隊を探知し、午前6時15分に高雄で空襲警報が発令。そして高雄港を狙った空襲が発生する。敵艦載機が大挙して襲来し、在泊艦艇に牙を剥く。対空砲火の中を踊るように駆け抜け、肉薄してくる敵機。全艦が敵機に群がられる中、龍鳳にはアベンジャー12機が襲来。風を切り裂いて急降下爆撃を仕掛けてきたが、投下された爆弾は全て命中せず。逆に強化された対空砲で1機を撃墜する戦果を挙げた。死闘は続き、龍鳳のそばには乗船を撃沈されたと思われる陸軍兵や船員が流されていった。新竹沖合いでは襲撃された駆逐艦が炎上する様子が見受けられた。13時48分、空襲警報解除。何とか昼間の空襲は終わり、龍鳳は鋭利な爪牙から逃げ延びた。この空襲で港湾施設や船舶に大きな被害が出た他、捕虜300名以上も巻き添えを喰らって死亡している。一旦危機は去ったが、21時15分に高雄近海で敵水上艦艇及び潜水艦を確認。高雄警備府より翌10日午前5時30分以降総員配置を行って警戒するよう在泊艦艇に呼びかけている。
  • 1月11日に基隆へ退避。積み荷の桜花を降ろし、「軍艦龍鳳は無事基隆に到達。マル大(桜花)兵器輸送に成功せり」と報告された。午前9時20分、磯風と海防艦御蔵が基隆に入港し、着岸。午前11時30分より食糧品を積み込み始めた。南部の高雄港ではB-24による爆撃が行われており、いつ基隆が空襲を受けてもおかしくない状況だった。本土へ帰還するついでに2隻の輸送船からなるタモ35船団を護衛する事になり、龍鳳、磯風、御蔵は護衛に組み込まれた。
  • 翌12日午前6時45分、タモ35船団を護衛して基隆を出港。幸運にも敵機動部隊の本格的な空襲が始まる前に脱出し、その蹂躙から逃れる事が出来た。往路と同じように大陸寄りの航路を通り、21時4分に西大島南方で警泊。1月13日午前6時45分に出発し、北上。警戒航行に移る。翌14日午前8時45分、浜風からの通信を第17駆逐隊へ中継。その日は舟山列島に仮泊し、1月15日18時には金湖島南方で仮泊。敵機と敵潜水艦を警戒し、航行と仮泊を繰り返した。1月16日18時10分に加徳水道を通過し、1月17日に門司港へ入港。無事タモ35船団を守り抜いた。午後12時5分に磯風と龍鳳は船団から解列し、15時5分に磯風とも別れた。1月18日午前9時30分に呉へと帰投。これが日本空母最後の外洋航行となった。龍鳳と別れたヒ87A船団は敵襲によって過酷な運命を辿り、何かと縁があった時雨も武運つたなく死んでしまった。海鷹とともに第二次輸送を行う計画が存在していたようだが、結局実行には移されなかった。
  • 1月20日に高橋長十郎大佐が艦長に着任し、以降は訓練用空母となる。南方航路の途絶により国内は深刻な重油不足となっており、満足に動く事も叶わなかった。1月27日、軍令部第一課は燃料を大量消費する空母と戦艦の使用を断念。しかし空母は近い将来の使用を考慮し、第2艦隊司令長官の直轄に置き、第2艦隊司令部の用法の研究準備に充てる事とした。それでも瀬戸内海で訓練を行ったが、常に制約がついて回った。2月中旬から下旬にかけて、乗組員に二泊三日の休暇が与えられた。2月10日、わずかに生き残っていた空母天城、葛城、隼鷹(中破)、龍鳳と戦艦大和で第1航空戦隊を編成。第601航空隊を艦載機とし訓練を行った。とはいえ、最早見た目だけの機動部隊であり、再建など夢のまた夢であった……。港内には活躍の場を失った伊勢日向榛名、大和、葛城、天城、海鷹、青葉、大淀、利根、沢山の駆逐艦と潜水艦、海防艦が所狭しと係留もしくは錨泊していた。
     
  • 3月14日、海を埋め尽くす敵の大艦隊がウルシー環礁を出撃。日本側は素早くこれを発見し追跡を行ったが、沖縄侵攻の前兆なのか飛行場への攻撃なのか割り出す事が出来なかった。3月18日、不吉を知らせる敵の偵察機が呉軍港と神戸を嘗め回すように空撮。戦艦大和と榛名、そして龍鳳、鳳翔、海鷹が呉に在泊中であると特定された。そして敵は、これらの艦を標的にした。数え切れないほどのロケット弾と1000ポンド爆弾を用意して…。
     
  • 3月19日午前4時40分、敵機動部隊が四国沖へ接近中との情報が入る。午前6時に警戒警報が発令され、各艦艇に適宜分散するよう命じられる。約350機もの敵艦上機が放たれ、凶兆の怪鳥となって呉へと忍び寄っていた。中部軍司令部より敵艦上機120機が松山上空を通過したと通報。当初、敵機は広島市に向かうものと推測されたが、突如反転して呉軍港を攻撃してきた。午前7時12分、地獄の始まりを告げる空襲警報のサイレンが響く。敵は真珠湾攻撃の意趣返しだと意気込んでいる。グラマンの大群が呉の上空を我が物顔で飛び回る中、在泊の艦艇から一斉に対空砲火が放たれた。この防御放火は激烈なもので、敵軍を驚かせた。発射された高角砲弾は空中で炸裂し、その鋭利な破片が雨のように地上へ降り注いだ。
  • 空襲時、龍鳳は港の奥に停泊。前方には戦艦榛名が、後方には巡洋艦大淀が停泊していた。午前7時20分、広方面からバンカーヒル所属のグラマン4機が出現。休山を飛び越え、呉に侵入してきた。そして24番浮標に停泊中の龍鳳目掛けて140mmロケット弾を撃ち込んできた。幸い命中しなかったものの、龍鳳への熾烈な攻撃が始まった。しかも卑劣なる敵は、帝國海軍と縁が深い古鷹山を盾にして攻めてきた。山がギリギリまで敵機を隠し、機銃手の不意を突いて襲い掛かる。龍鳳は噴進砲を装備した数少ない艦であった(他は伊勢型と空母葛城しか持っていない)。噴進砲が起こす猛烈な炎と煙は敵パイロットに絶大な恐怖を与え、攻撃コースから退散させる効果を発揮。空母でありながら第1波と第2波を無傷で乗り切ってみせた。しかし第3波攻撃の時に艦尾へ直撃弾を喰らう。轟音とともに100mの火柱が立ち、猛火が飛行甲板を嘗め尽くす。もくもくと大きな黒煙を吐き出すも龍鳳の闘志は消えず、群がる敵機に向けて対空砲を撃ち続けた。機関が健在だったため微速で港外に脱出し、吉浦沖で回避運動を取りながら反撃に転じた。隣には戦艦大和がいたうえ、積極的に撃ってくる龍鳳を脅威と捉えた敵機は集中砲火を浴びせ、更に2発の爆弾と2発のロケット弾を受ける。飛行甲板が山のようにめくり上がり、昇降機から火炎が噴出する大ダメージを負いながらも、空が真っ赤に染まるまで対空砲を撃ち続けたという。龍鳳の反撃でヘルダイバー2機を撃墜せしめた。乗組員決死の消火活動により、かろうじて鎮火に成功。艦から白煙が立ち昇っている様子を敵機に撮影されている。よく見ると昇降機からは未だ黒煙のようなものが噴き出ている。
  • 午前9時5分、敵機は潮が引くように去っていった。空は光無き暗雲が覆い、水面には白い腹を見せて浮かぶ魚群があった。艦内には空薬莢が散らばり、激戦だった事を物語っている。三次に渡る大空襲を生き延びた龍鳳だったが、飛行甲板に10mの大穴が開いて大破。第1缶室が使用不能になり、左舷側部にも大破孔が発生、艦尾も1.8m沈下した。外板に穿たれた穴から海水が浸入し、排水ポンプで汲み出すのに5日の時間を要した。乗組員12名が戦死し、30名が負傷(戦死者34名とも)。歴戦の空母は遂に戦闘能力を喪失してしまった。しかしながら徹底的な防火対策により沈没には至らず。これまでの戦訓と対策が活きた瞬間だった。
  • 午前11時20分に空襲警報解除。機を捨ててパラシュート降下した敵パイロットが、龍鳳の内火艇によって救助された。どうやら彼はバンカーヒル所属のジョアン・D・ウェールズ海軍中尉であった。同乗のミラード・ウィルコックス二等飛行通信兵曹は既に溺死していた。尋問の結果、九州沖航空戦で敵空母に相応の被害を与えた事が判明。その後、捕虜は大竹警備隊に引き渡され、軍法会議に掛けられた。呉への大規模攻撃はこれで終わったが、その後も敵機が飛来して空襲警報が発令。17時25分に解除されるまで、不安な時間を過ごした。翌日の3月20日、呉軍港空襲の戦果を確認するためマリアナ方面からB-29が現れ、空撮。港内に停泊していた122隻の艦艇は全て把握・識別された。
    • わざわざ真珠湾攻撃と同数の航空機を揃え、意趣返しを狙ったアメリカ軍であったが、その成果は惨憺たるものだった。沈没した艦は1隻も無く、真珠湾攻撃の再現にしては理想から程遠い結果となった。敵パイロットは一様に失望したという。
       
  • 3月23日、鳳翔とともに第2艦隊に編入。翌24日、呉工廠で一週間ほど応急修理。この時は機械関係のみで、飛行甲板の大穴は放置された。3月28日に再びB-29単機が飛来し、完全な垂直撮影を実施。残余の艦艇の位置情報を掴まれる。3月31日午前0時5分に警戒警報が発令され、午前0時30分に空襲警報へと切り替わった。敵は豊後水道に機雷をパラシュート投下し、大和以下水上特攻部隊と軍港内の艦艇を分離させようと企んだ。出現したB-29に対し、龍鳳は対空射撃を行っている。
  • 4月1日、呉工廠から修理不能と判定される。甲板に穿たれた大穴だけ塞ぐ応急修理だけ行い、港務部の曳船で引っ張られていった。*284月5日夜、戦艦大和から「候補生総員退艦」の発光信号が送られた。大和率いる水上特攻部隊が死出の旅に出ようとしていたが、未来ある若者を死なすのは忍びないとして全員退艦させる事になったのである。龍鳳には軽巡洋艦矢矧から退艦してきた士官候補生が移乗。彼らには一室があてがわれた。候補生の一人が第2艦隊の暗号を解読し、部屋の前に張り出した。戦艦大和や軽巡矢矧の沈没もいち早く察知したという。こんな状況下でも人事異動が行われ、4月16日に龍鳳から数名が退艦。ランチで潜水母艦長鯨へと向かっていった。4月20日、大和の沈没に伴って第1航空戦隊が解隊。日本最後の機動部隊が幕を下ろした。龍鳳は呉鎮守府第4予備艦に転属。残余の空母は海鷹を除いて全て予備艦となり、無常の日々を過ごす事になる。
  • 4月24日、江田島がアメリカ軍機の攻撃を受け、ついでと言わんばかりに龍鳳も襲撃されるが被害は無かった。以降、呉市を狙った爆撃が何度も行われたが、龍鳳への攻撃は皆無だった。翌25日に海軍総隊が開設され、指揮系統を豊田副武大将のもと統一化。龍鳳は他の残存艦とともにその指揮下に入った。4月28日、最後の艦長となる佐々木喜代治大佐が着任。彼は今まで特務艦といった端役の艦長にしかなれない不遇の道を歩んでいたが、いよいよ軍艦の艦長になれると聞いて大いに喜んだ。あまりの嬉しさに、戦後は佐々木龍鳳に改名した程。5月5日午前10時30分、B-29爆撃機172機が襲来。広海軍工廠と第11海軍工廠が標的になった。射程距離が長い伊勢日向は超長距離砲撃で迎撃していたが、機銃と高角砲しかない龍鳳はただただ見守る事しか出来なかった。雌伏の時は終わりの兆候すら見せない。
     
  • 6月1日には江田島の秋月沖に回航され、戦艦榛名の前方に係留。互いに向き合う格好となった。そして島の一部に見せかけるため擬装工作を開始。陸地に船体をぴったりつけ、擬装用の網をかけ、農園を作り、デッキの上に迷彩を描き、陸地から切り取ってきた草木を使って飛行甲板を隠匿した。悪天候により敵偵察機が来なかったため、敵にバレる事なく作業が進められた。苦心の末、空から見るとちょっとした小山に見えるようカムフラージュされ、完全に自然と一体化した。擬装の出来はかなり良かったらしく、擬装コンテストで伊勢を押さえて1位に輝いた。龍鳳と鳳翔はアイランド型艦橋が無い、フラッシュデッキ型空母だったので擬装が容易かつ巧妙に行う事が出来る強みがあった。燃料が無くてボイラーを焚けなかったので、陸上から給電してもらって高角砲や機銃の動力とした。乗組員にとって、動力すら事欠く現状は目が眩むほど恥ずかしかったという。龍鳳から見て左側には大淀が、右側には青葉が、右斜め下には葛城、天城、伊勢が配置されていた。特務予備艦になり防空砲台として運用される。対空火器が健在だったので、榛名を守る盾として起用された訳である。対空要員以外は退艦し、農作業に励んだ。ただ、龍鳳では位置の露呈を避けるため、対空射撃を一切禁じていたようである。また大幅な人事異動が行われ、乗艦していた少尉候補生たちは本土決戦を見据えた配置へと転換になった。食糧品は陸地から毎日補給され、艦内では配置教育、簡易兵器製作、分隊作業、擬装作業を実施。
  • 乗組員たちは一様に「自分たちの落ち度で戦局がこうなったのだ」と人一倍責任を感じていた。栄光の日々は過ぎ去り、今や敵機の跳梁に恐れる日を送っている。元気が良い者は特攻隊や防備隊に転向し、艦内は静かになった。それでも、士気はとても高かった。目に物を見せてやると闘志を赤い炎で滾らせていた。6月22日、B-29が呉工廠へ向けて1トン爆弾336発を投下。工廠が壊滅し、工員325名が死亡した。さらにB-24が艦艇群を襲撃してきたが、榛名に攻撃が集中したため龍鳳に被害は無かった。しかし空襲で女子挺身隊に多数の犠牲者が出た事が伝わり、沈痛な雰囲気が艦内を支配するに至った。
  • 7月1日深夜から翌2日未明にかけて、B-29爆撃機166機が呉市街地を標的に空襲を開始。工廠の勤務者の戦意を削ぐというお題目で一般市民の虐殺を始めた。軍港からも、焼夷弾が炎の尾を引きながら街へ吸い込まれていくのがよく見えた。投下された1000トンの焼夷弾は呉市の大部分を焼き払い、灰燼に帰した。日が昇った後、呉市の戦災被害者に炊き出しを行うべく艦内の食糧を供出。呉海兵団に手渡した。7月2日13時、木工経験者を含む木工員を呉施設部と広施設部出張所に派遣。呉施設部長の指揮下に入り、翌3日に家を失った市民のために応急簡易住宅の建設を行った。また火元になりかねない危険な木造住宅を速やかに撤去。同日中に清水海軍航空隊の平岡五三軍医大尉が龍鳳配属となり、軍医長兼分隊長となった。7月5日、その平岡軍医大尉が舞鶴鎮守府に看護科下士官の現在員を報告している。7月7日、艦内の鉄製テーブルを呉工廠砲土部に貸与。翌8日、艦内の大清掃を実施。7月9日、兵員用襦袢3着受領のため下士官が受け取りに出向く。同時に亀甲イカダ30個を受領した。7月10日18時30分、敵機動部隊の電波が増加している事を察知。陸軍からの情報によると空母1隻が確認された。近いうちに空襲があると身構える。時々空襲警報が発令される中、配置教育や簡易兵器の製作が行われた。飛行甲板には農園が作られ、より精巧に陸地に見せかけた。翌11日22時16分、第3警戒配備発令。寄せられた情報を統合した結果、敵機動部隊は潮ノ岬170度270海里付近を西進中との事。7月13日、近隣の江田島が敵機の機銃掃射を受けた。しかし何故か江田島への本格的な空襲は無く、近くにいた龍鳳はその恩恵をしっかりと受ける事が出来た。7月14日16時45分、呉鎮守府長官から定規と両脚器の定数3分の2を速やかに軍需部へ返納するよう命じられる。
  • 7月16日から19日にかけて12.7cm高角砲2基と25mm三連装機銃2基を取り外す工事を行い、返納。さらに別の25mm三連装機銃2基を取り外し、艦側の陸地へ再配置する工事を行った(7月30日完了)。その間の7月17日、本土決戦に備えて製造した簡易兵器を調査する検査員が乗艦し、チェックを行った。7月19日19時16分、陸軍の司偵が潮ノ岬沖で活動する敵機動部隊を発見。第2警戒配備発令。7月20日、2日前に行われた横須賀空襲を受けて、呉鎮守府長官は迷彩塗装が効果を発揮していないと判断。敵機来襲に対して遺憾なく防御砲火を展開するよう各艦に通達している。
     
  • 7月24日14時、敵艦上機約870機が呉軍港に襲来。二度目の空襲が始まった。敵は残存艦艇の抹殺を第一に掲げており、陸上施設には目もくれず襲い掛かってきた。泊地は浅いため魚雷攻撃は出来なかったが、代わりに無数の爆弾が驟雨のように降り注いだ。完璧な擬装が施されていた龍鳳に敵機は全く気付かず、眼前や上空を通り過ぎていくばかり。アメリカ軍の記録でも龍鳳を見つけ出せていなかったらしく、まさにステルスと言っても過言ではなかった。だが目の前で繰り広げられる蹂躙に耐えかね、龍鳳も遂に対空射撃を開始。高角砲や噴進砲を使って頑強に抵抗する。12.7cm高角砲81発、25mm機銃1376発、12.7cm噴進砲15発を発射した。空襲後、呉鎮守府長官より戦果及び損害の報告を求められ、18時11分に「戦果不明、被害無し」と報告している。無傷で空襲を切り抜けたが、夜になっても敵機が不穏な動きを見せており、夜間空襲の可能性大と判断。22時以降は第三警戒配備とし、灯火管制を行って空襲に備えた。結局空襲は無く、翌25日に破損した対空砲の応急修理が行われた。依然、敵機動部隊は潮岬で活動しており、厳重な警戒が敷かれた。
  • 7月26日、2日後午前8時に呉海軍警備隊で今次空襲に対する戦訓打ち合わせをする事が決定。龍鳳の艦長に参集の命が下った。翌27日、不必要になった航海科の物件や眼鏡を軍需部に返納。呉警備隊及び第81戦隊などの各陸戦隊に供与された。急性肝炎患者1名と急性カタール性虫唾炎患者1名が発生し、呉の病院へと搬送された。また龍鳳の医薬品は地上の防空壕に分散格納され、残っていなかった。
     
  • 7月28日に三度目の空襲を受ける。空を覆いつくさんばかりの敵機が現れ、もうもうと炎と煙が立ち昇る。海面には無数の水柱が築かれ、生き残った艦艇を傷つける。艦上機のみならずB-24まで投入され、計1747機が軍港を攻撃。敵の無限とも言うべき物量を前に、伊勢日向青葉、利根、大淀、天城が大破着底ないし転覆していく。軍港内で龍鳳は12.7cm20発、25mm252発を発射。姿無き護国の神獣は最後まで敵に喰らい付いた。この空襲でも敵軍は龍鳳を発見できず、一度たりとも攻撃を受けずに地獄のような空襲を乗り切った。その後、艦内第2哨戒配備となった。19時3分、対空戦闘に必要な物件以外は全て陸揚げされる事になり、呉海兵団から100名の応援を得て作業が進められた。呉港務部長や運輸部長から送られてきた舟艇に弾薬、酒保物品、衣類、兵備品などが載せられていく。軍需部長や工廠長も作業に協力し、各艦から供出された軍需品は分散格納された。
  • 7月30日、呉鎮守府長官の命により大破着底した艦艇から25mm単装機銃が龍鳳周辺に配置された。さらに呉海軍軍需部から借り出された25mm単装機銃10基が艦側の陸上に配置され、下士官5名と水兵25名、装備を運用する特別優秀な者50名が龍鳳に派遣。強力な対空陣地が築き上げられた。呉海兵団からは整備員が転送され、機銃の整備を開始。8月1日中に完了した。8月1日、利根と大淀から供出された25mm単装機銃10基が新たに加えられた。敵は空母を最重要目標に定めている上、未だ生き残っている龍鳳には集中攻撃が予想されたので、機銃がかき集められたのである。呉軍需部から2万発の機銃弾を補充され、臨戦態勢を整えた。鳳翔と葛城にも同様の措置が取られ、対空陣地と化した。今や呉の防空は、この3隻の双肩に掛かっていた。人員は兵科136名、飛行科15名、整備科6名、機関科62名、工作科12名、医務科2名、主計科16名、便乗者3名の計252名。残り弾薬は12.7cm高角砲通常弾薬包8個、同火炎弾薬包73個、同着色通常弾薬包23個、25mm機銃通常弾1624発、12cm噴進砲15発、そして補充された25mm機銃用二型改一弾薬2万発。これが龍鳳の総力であった。
  • 真夏の太陽が地面を焼き、絶え間ないセミしぐれが軍港内に響く。龍鳳の機銃群は青空を睨み続けたが、予想に反して敵の空襲は全く無かった。空梅雨だったため長らく呉には雨が降っていなかったが、沖縄方面から北上してくる台風の影響で8月3日と4日は久しぶりの雨天となった。だが高気圧によってすぐに透き通るような青空が戻った。撃つべき相手が現れないまま、時間だけが過ぎていった。
     
  • そして8月15日、大破状態で終戦を迎えた。海に浮いた状態の空母は鳳翔、葛城、龍鳳、隼鷹のみであった。約800トンの浸水があったが、終戦後の排水作業で除去された。機密書類の破棄は徹底されたようで、龍鳳の行動や命令に関する文書は殆ど残されていなかった。8月末、呉工廠から3つの班が派遣され、軍艦から菊の御紋を外して行った。進駐してくるアメリカ軍に奪われないよう、白布に包んで工廠裏の神社に運ばれた。後日境内で焼却。戦後撮影された映像によると前部飛行甲板がひしゃげ、少し右舷側に傾いているのが分かる。9月、ドナー・M・ウィリアムズという人物が龍鳳の船体を撮影。彼が撮った写真は現代まで残されている。10月6日にアメリカ軍第10軍団第41師団の輸送船30隻が広湾に到着し、500名が上陸。船体は進駐軍に接収された。長く苦しい戦いを終えた龍鳳は、11月30日に除籍となる。見たところ損傷が少なかったため、一時は修理して復員船にする予定があったという。また証言の中にも復員船に使用されたとする声も散見される。しかし機関が破壊されていたので復員船には適さず、進駐軍は修理を命じなかった。呉工廠第3船渠へ回航され、アメリカの調査員が船体を調べた。
  • 1946年4月2日より播磨造船が解体作業を開始。その横には復員船任務を終えた宵月?が入渠していた。僅かながら解体作業中の写真が残されており、普段は隠れて見えない艦橋部分が写った貴重な資料となっている。9月25日に完了し、護国の龍は静かにこの世を去った。解体された艦艇群から得られた鋼材は1092トンに及び、広島財務部から262万7837円で民間企業5社に払い下げられた。龍鳳たちの血肉は戦後日本の復興に役立てられ、最後の奉公を行った。機動部隊最後の旗艦、日本空母最後の外洋航行という2つの記録と栄誉を持った武勲艦の名は、時を経ても朽ちぬ不動のものとなった。

この艦娘についてのコメント

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 大鯨大破のリンク、ドメインが消滅してるようですね、売りに出てます。 -- 2019-10-19 (土) 15:33:56
  • 艦長の改名がかっこよすぎて潔すぎて、、 -- 2019-11-21 (木) 21:18:57
  • 普通の艦なら単なる通過点であるはずの形態だが、この娘は白と緑に加えて三色育成している提督が多いように思われる。 -- 2020-02-18 (火) 12:06:47
  • ブレス感溢れる囁き声が耳から脳にクると評判だけどもし名字が柳だったなら完全に脳が吹っ飛びそう(BOIN的な意味で) -- 2020-05-02 (土) 20:59:59
  • 龍鳳の梅雨ボイスを一覧に追加したいのですが、ノーマル龍鳳を持っている方お教えください(自分は改しか持っていないので)。龍鳳改で「雨の季節。ふふふ。作っちゃった。て・い・と・く・と・龍鳳のてるてる坊主。あ、提督、ほら見て。かわいいでしょ。」とありますが、ノーマル龍鳳でも同じでしょうか?一緒であれば龍鳳に追加したいと思います。 -- 2020-05-31 (日) 10:25:30
    • はい。同じですね。 -- 2020-05-31 (日) 10:39:41
    • ありがとうございます。龍鳳、龍鳳改+大鯨にボイス追加してみました。龍鳳と大鯨は微妙にボイスが違うのね。(「ふふ」が「ふふふ」になってたり) -- 木主? 2020-05-31 (日) 11:12:31
  • クリスマス限定グラが・・・最高だ。 -- 2020-12-10 (木) 23:52:27
    • サンタ服のおかげで改じゃないノーマル龍鳳を求めて三人目を持つことを決めたよ -- 2020-12-11 (金) 00:10:55
      • 俺も~!3人目の大鯨を龍鳳にしてしまった。 -- 2020-12-12 (土) 21:57:41
      • 無印龍鳳の赤サンタ画像うぷおなしゃす!改と永久大鯨の他に、大鯨2人いるけど設計図がぁ・・・ -- 2020-12-20 (日) 06:11:31
  • 龍鳳嫁提督としてはハズレ友軍の旗艦に据えられたお陰で皆に嫌われないか心配だ・・・ -- 2020-12-19 (土) 16:12:50
    • お仕置き妄想が捗るからね。きっと龍鳳もそれを望んでる -- 2020-12-21 (月) 22:27:19
  • 不幸…? 運が悪い…? そんな事ない…? そうだね!!(押し倒す音) -- 2020-12-24 (木) 21:45:39
  • この子はもー、船の頃は改装空母っぽいシンプルかつスマートな外観が良かったのに艦娘になったらムチムチえろえろと、こいつめこいつめ(猥 -- 2020-12-27 (日) 16:28:24
  • サンタコスしたと思ったらすぐに晴れ着にお着替え、サービスしすぎよ。どれだけ搾り取るつもりなの? -- 2021-01-07 (木) 10:39:59
  • イヤイヤ・・・君かい! -- 2021-04-22 (木) 21:04:14
  • 改二:設計図+カタパルト・・・!そしてコンバート! -- 2021-04-22 (木) 21:09:18
  • 完全無欠に予想外だった! -- 2021-04-22 (木) 21:11:21
  • 3隻目育ててたら改二キター ・・・ってまたコンバートかい 4隻目拾ってこなきゃ -- 2021-04-22 (木) 21:20:53
  • あー龍鳳2隻を改二系にしたので龍鳳補充をトコロテン式に既に育ってる大鯨を改造&改二実装直前にひろった大鯨を高レベルへ育成しようと思ってたけど…育った大鯨は大鯨のまま…新しい子を早めに軽空母にしたほうが育成は楽かなぁ…どうしようかなぁ -- 2021-04-25 (日) 17:00:13
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 艦船図鑑表記による。史実での話は後述。
*2 改二を改二戊に戻す場合、高速建造材を20個と資源を消費する
*3 ボイスでは「出来なかったけれど」。
*4 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*5 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*6 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*7 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*8 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*9 卵を牛肉で包み、オーブンで焼く肉料理の一種。
*10 ドラム(USS Drum、SS-228)。瑞穂の仇。
*11 トリガー(USS Trigger、SS-237)。
*12 祥鳳・瑞鳳:11,200t、龍鳳:13,260t
*13 書類上の瑞鳳型に祥鳳は含まれていない。理由は後述。
*14 ただし、「瑞鳳型」として定義された時点で祥鳳はすでに沈没していたため、2番艦である瑞鳳がネームシップになった、という説もある。
*15 さらに祥鳳と瑞鳳では設計が違う部分があるが、この二隻は同型扱いが多い。どちらをネームシップとするかはやはり書類上と実態上の違いである。
*16 他に実態を基にした表記には吹雪綾波の特型(書類では吹雪型)、陽炎夕雲の甲型駆逐艦がある。
*17 簡単に確認できるものではアジア歴史資料センター公開の「昭和20年10月5日 引渡目録 軍艦 竜鳳 八雲 北上(Ref.C08011345000)」がある。
*18 10月の南太平洋海戦が最後。以後、空母航空隊はい号作戦、ろ号作戦での地上基地に進出しての戦闘で消耗。再建されたときには、既にあ号作戦(マリアナ沖海戦)を迎えていた。
*19 米潜水艦ドラム (USS Drum/SS-228)によるもの。ドラムはこの他に水上機母艦「瑞穂」を撃沈している。
*20 龍驤は艦橋部分で飛行甲板が終わっているので影響は少ないが、龍鳳や祥鳳、瑞鳳は艦橋上から飛行甲板が15mほどせり出していて上方視界が殆ど無かった。また、龍鳳と瑞鳳は後に飛行甲板を前方に15mほど延長したので、視界がさらに悪化した。
*21 兵学校49期を三番で卒業、上位二人は皇族なので事実上の首席。
*22 後部マストの位置には発電機室があり、爆発すれば艦内電力を喪失するところだった。実際に同海戦では、飛鷹は艦橋後部マストをかすった爆弾が瞬発信管だったため炸裂、航海長以下艦橋要員多数が戦死・負傷。隼鷹も大煙突を直撃した爆弾がやはり瞬発信管で、煙突周りにいた見張員など50名以上が吹き飛ばされ戦死する惨劇になっている。龍鳳のこの爆弾が爆発しなかったのは、まさに奇跡そのものだった。
*23 いまだ未完成であった信濃が含まれていたり、解隊直前には、空母ですらない大和も所属させられていたことがある。
*24 輸送船9隻、駆逐艦4隻(浜風、磯風、時雨、旗風)、海防艦4隻からなる護送船団。
*25 この後、四航戦の日向伊勢初霜等によって行われた北号作戦が完全成功を収めた。この作戦が奇跡と言われるのは、直前に南下するヒ87船団と、北上するヒ86船団壊滅の悲劇があったからでもある。しかもヒ86船団は貨物船、タンカーが全滅している。
*26 奥宮正武氏著書「日本海軍が敗れた日(上)」出典。
*27 瑞鶴搭乗員で、真珠湾攻撃にも参加したベテランだった。
*28 潮書房光人社出版「航空母艦物語」出典。