零式艦戦52型

Last-modified: 2024-04-26 (金) 12:55:36
No.021
weapon021-b2.png零式艦戦52型艦上戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+6
対潜索敵
命中回避
戦闘行動半径6
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発可、改修可入手方法
改修更新
零式艦戦21型零式艦戦32型★+3零式艦戦52型★+3
零式艦戦62型(爆戦)★+4零式艦戦63型(爆戦)
零戦の最終的な量産機となった改良型、「零式艦上戦闘機52型」です。
後継機の開発が遅れたため、零戦52型が後期の主力艦上戦闘機として奮戦することになりました。
「彗星」艦爆や「天山」艦攻と一緒に、機動部隊の主力として運用してくださいね。

ゲームにおいて

  • 零式艦戦21型」の上位装備。空母を改造すると初期装備として持参し、開発でも比較的出易いため、数は揃え易い。
    • 同装備との差は対空+1のみで体感出来る程の性能差はなく、艦戦カテゴリの上位と比べると力不足は否めない。
      良くも悪くも「改にした時の初期装備」といったところか。
    • 紫電改二」や「試製烈風 後期型」はレア度が高く開発で出難いため、開発運に恵まれない提督は終盤でも主力にせざるを得ない可能性もある。完全に史実。
      ただし後半海域(5-x)やイベント最深部等では流石に力不足なので、それまでには上位の艦戦を開発したい。同熟練機を作ってもいいだろう。
  • 後述のように多用途で要求がされるため、21型と同じくどちらかと言えば改修や任務でお世話になる機体かもしれない。
    • ゲーム中屈指の高性能機体を入手するための過程や、複数所持が可能の中では最高性能の艦上戦闘機「F6F-5」、局地戦闘機「紫電二一型 紫電改」の量産、マンスリー、クォータリーでの需要もあることから、必要に応じ一定数の在庫を確保しておきたい。

入手方法について

本装備を消費する用途

  • 改修必要装備として本装備を要求する高性能な機体が複数あり、未改修の本機の需要は大きい。
    艦載機共通の仕様として、機種転換で入手可能な装備は改修値がそのまま継承される点に注意。詳しくは改修工廠ページの注意事項参照。
    • 素材としての詳細は改修消費装備一覧ページを参照 (「装備名」が「零式艦戦52型」のところ)。
  • 結構な数の改修に必要なように見えるが、以下は21型の改修で代替が可能である。
    • 52型(熟練)は任務を利用してノーマル21型か21型(熟練)から転換していった方がネジ消費が少ない。
    • 岩井・岩本各隊のものはどれか一つずつしか持てず、またどちらも21型の改修が引き継がれる。
  • 開発はともかく牧場はそれなりに手間なので、やるならきっちり必要数を見極めてからにしたい。
    • また忘れがちだが52型(熟練)を作る際に、21型が足りなくなった場合はその状態で転換を行いこれを改修に使う事もできる。
    • 月末が近づき21型の改修が間に合わないという場合は一考の余地があるだろう。
改修・更新での消費需要の変遷

改修・更新での消費需要の変遷

  • 2017年 09月12日:「Saratoga」が大型建造落ちしたことで、複数所持可能な艦戦としては最高性能の「F6F-5」が量産可能になり、更新元の改修に必要な本装備の需要は増加した。
    ただし量産難易度は極めて高い。自分がそこまで突き詰めるか考えた上で開発や牧場を検討すべき。
  • 2017年 12月11日:「紫電一一型」の改修、及び更新が解禁されたため、F6F-5に引き続き量産可能な最高性能の局戦「紫電二一型 紫電改」を入手するために需要は更に増加した。
    こちらは改修の手間こそ軽いが、入手は3ヶ月に1個であり「一式戦 隼II型」との選択が必要である。

任務での消費について

  • 2018年 02月5日実装のクォータリー任務『主力艦上戦闘機の更新』では特艦戦廃棄とボーキ消費で、本装備 2機を「紫電改二」2機に更新できる。
    • ただし、元となる零戦52型に改修値を付けていても、紫電改二に改修値は一切引き継がれない
      転換後に改修値が消えるタイプの任務なので、消費する本装備が改修済の場合でも、付いていた改修値は消滅し還元もされないため無駄になる。
      任務で使用する本装備は改修値の付いていない物を選ぶようにしたい。
    • 更新先の「紫電改二」は開発率が低めな割に改修や任務での消費が多い装備なのでこの任務に積極的に挑戦して増やすとと良いだろう。
      開発で入手しようとするとこの任務で消費するボーキサイト量を超える量の消費となる場合が殆どであるため結果的にボーキ節約になる。
      開発率が高く持参艦もおり再入手が簡単な本装備を出し惜しむ必要は全くと言っていいほど無いためやり得な任務であると言っていいだろう。

その他

  • 妖精さんの頭の上の謎生物どこかで見たような……?
    • 他にも15.2cm連装砲の妖精さんに枕にされてたりする…ますます謎は深まるばかり…
    2015/11/18アップデート以前の画像

    2015/11/18アップデート以前の画像
    weapon021-b.png

小ネタ

  • 元ネタは、零式艦上戦闘機52型(A6M5)。帝国海軍の有名な戦闘機、零戦(ゼロ戦)の事実上の最終タイプ。
    派生型を含めれば約6,000機と零戦シリーズの中でも最多の生産数を誇り、一般に零戦と言えば暗緑色に塗装されたこの機を思い浮かべる人が多数を占めるだろう。
    • 零戦の最終的な量産型は零式艦戦62型(爆戦)だが、その名が示す通り戦闘爆撃機型。
      純粋な戦闘機(ゼロファイター)としては64型が正式採用された最後の形式だが、こちらは量産機がロールアウトする直前に終戦を迎えている。

  • 高高度性能が向上し、20ミリ機銃の弾倉を大型化するなど、着実に性能を向上させていた32型、そしてタンクを増設して航続距離を回復させた22型だったが、連合国はサッチウィーブ戦法の導入に加えアクタン・ゼロの鹵獲・研究で対零戦戦法を確立させた。その上P-38、F4UF6Fといった新型の高速機を投入。零戦で対抗するのは量だけでなく質でも難しくなってきていた。
    • 後の52型に繋がる多くの改善要素は17年内に開発が済んでいたものの、生産終了間近ということで生産ラインに導入された物は18年春の九九式二号銃を先行導入した22型甲ぐらいであった。
    • 海軍はガダルカナル撤退を決定する前の昭和17年(1942年)12月、「翌年8月で三菱での零戦の生産を終了する」と決定。基地航空隊の零戦を雷電に置き換えることで、量的に叶わないまでも質的に対抗することを考えたのである。
    • この雷電へのシフトが順調に行けば零戦は22型を最後に開発人員は十七試艦戦──つまり烈風に──集中投入できたのだろうが、雷電は有名かつ厄介な振動問題の原因究明が進んでおらず、泥縄的に零戦の継続生産と、生産量をキープできる範囲の改善型導入によって戦線を支える必要が出てきたのである。
      • 18年4月、22型に対してベルト給弾型九九式二号銃を搭載、翼端を短縮した改造を施すよう検討されており、「零戦五二型」の仮称が与えられている。
      • このような計画だった為に52型初期の発注は軍からA6M3、つまり零戦22型の発注内示として扱われている。製造番号から52型初期とされる機体も22型と記載されるなど、海軍もメーカーも当初は区別する必要性を感じていなかったようである。
  • 52型の生産開始直後、雷電一一型の生産が開始されたことを受けて再び三菱の零戦減産が計画された。昭和19年には零戦の生産を終了し雷電に一本化するものである。
    • ところが雷電は部隊配属後にいくつかの重要な不具合が露呈、これの修正までに時間がかかることと、雷電が対戦闘機戦闘に劣ること、本命の烈風開発は遅々として進まず、平行開発中の紫電改は搭載発動機「誉」に問題を抱えていたことなどからこの減産計画もお流れとなった。

  • 52型においては、武装強化、制限・最高速度の向上、工作簡易化を目的に改設計が行われた。具体的には、
    • 強度的に弱い翼端折りたたみ部を廃止、主翼を11m幅の丸型に整形。急降下制限速度は670km/hと32型なみに回復した。
    • 翼内の20ミリ機銃は九九式一号銃からより初速の速い九九式二号銃の全面採用*1
    • 防弾タンクや自動消火装置の搭載。後の改修型では防弾ガラスも採用された。
    • エンジンの排気で空気抵抗を減らした上にその排気を加速に利用できる推力式単排気管(ロケット式排気管)の採用。これによって機体重量が増えながらも航続距離は殆ど変えることなく、最高速度を20km/hほど上昇させることに成功した。
    • かつては堀越技師の著作や撃墜王として知られる坂井三郎氏の著作が絶大な影響力が有り、52型は無理を重ねて鈍重になり、21型より劣るという評判が根強かった。
      • しかし、近年の史料を元にした研究ではこの評価はむしろ逆転したと言っていいだろう。
        実際には上昇力・急降下速度の向上、横転性能の改善により左右の切り返しは鋭く21型と52型の両方を経験した搭乗員は52型の機敏さを評価している。
  • そしてこの52型の後に、甲、乙、丙の小改良がなされた。
    • 甲は52型の20ミリ機銃をベルト給弾型にし、125発の弾丸を搭載できるように改良したもの。元々上記の通り52型開発と同時に実施する予定でこれこそ改造の主眼となるはずだったが、機銃の開発が遅れたために52型にレトロフィットされる形になった。*2他にも翼の厚みを増した結果、急降下制限速度は740km/hまで向上した。
    • 乙は機首7.7ミリ機銃の右側を三式13ミリ機銃*3に置き換えたもの。風防前部に45mm厚の防弾ガラスを、座席背後に8mm厚の防弾鋼板を装備した。
    • そして丙は零戦52型丙(六〇一空)に詳しい。
  • 32型からエンジン出力が強化されなかったため、実際のところちょっと強くなったゼロ戦という領域を出ず、連合軍が投入してきた新鋭機と比較すると十分な能力を持っているとは言い難かった。しかし、前線の搭乗員からの評価は上々で歓迎され、高い評価があるのも事実である。
    • 52型が配備されたソロモン諸島方面で米軍新鋭機と戦う第204海軍航空隊は21型の補充を拒否、当時開発中であった52型の早期配備を強く求める電文を残している。
      実機の供給が開始された昭和18年秋には前線の各基地航空隊から早期配備要求がおしよせ、その影響で海軍が当初計画していた母艦航空隊への52型配備は延期される結果となっている。
    • 52型の登場と配備は前線の搭乗員から歓迎されていた。
      昭和18年10月12日から昭和19年2月19日までのラバウル航空戦において、例えば昭和19年1月17日の邀撃戦では一撃離脱を繰り返すことで敵機撃墜12機(米側の被害記録に基づく)、損害は被弾8機で全機帰着という戦果を報告し御嘉賞を受けている。総じて零戦の喪失221機に対し、連合軍の空戦での損失は166機*4となっており、性能で勝る相手に奮闘した。
      • 大戦末期でも硫黄島迎撃作戦や九州沖航空戦、ジャンボリー作戦など時には空戦で粘り強さを見せた。
      • これらの作戦に参加しF6Fの撃墜戦果を持つ土方敏夫中尉の証言では性能ではF6Fとけんかにならないことが分かっていたが、零戦しか無い為やるしかないという気持ちで、彼の周りも同様だったという。またF6Fと零戦は性能差が大きく、「ちょっと歯が立たないがそれでも実際にはずいぶんやりましたけどね。」*5と語っている。また、沖縄上空では速度差があるグラマン相手の回避手段として横滑りを多用した*6*7
      • その硫黄島迎撃戦には坂井氏も参加しており、このときにとんでもないエピソードを残している。
        米軍の攻撃が一段落し20mmの残弾もないため本土へ向けて帰投しようとしたのだが、彼にしては珍しく航法を誤り、
        なんと敵の編隊に合流してしまう。
        お互いしばらくたってからF6Fの中に零戦が混じっていることに気づきF6Fは当然坂井の零戦を撃墜しようとするのだが、
        坂井の巧みな操縦技術によって編隊を乱され、15機*8もいたにもかかわらず坂井の零戦を取り逃がしてしまった
        どこぞの空の魔王も真っ青の不死身ぶりである。ちなみに坂井は当然撃墜されたことはない*9
  • また、坂井も52型を批判的に言いつつも2号銃についてはよく当たるようになり威力も上がったと絶賛している。
  • 一方52型の登場時期はF6Fが登場し始めた上に制空権も喪失しつつあり、零戦では不利であったことも事実である。初めてF6Fと戦った252空の飛行隊長、周防元成大尉は、空技廠でテストパイロットをしていた同期の志賀淑夫大尉に次のような悲痛な手紙を送っている。
    • 相手は新手、おそらくF6Fと思われる。速力、上昇力ともに手強い相手だ。ゼロではもうどうにもならぬ。次を急いでくれ。零戦のままでは今後連合軍相手には通用しない。と書かれていた。余談だが志賀大尉はそのころ紫電の試作機をテストしており、次世代機の必要性を強く要望している。
    • 日中戦争からの最古参の角田数男氏は、とても普通の空戦では勝てないとわかった。ただ日中戦争で中国機を零戦が追い回したように、グラマンを追いかけ回せる飛行機があればなんとかなる、早く作ってくれないかと証言しており、性能面での不利が搭乗員の証言でうかがえる。
    • 台南空の一員としてラバウルの激戦を生き抜いた一木利之氏は、マリアナのころになると飛行機の数でも性能でも戦争にならなかったと回想しているように、かなり不利な戦況だった。
  • とはいえこれ以上の機体は他に無く、32型や22型と比べて多少なりとも速度、急降下制限速度、ロールレートが向上した零戦52型は文字通り現場の要望に応えた機体であった。
    • 念願のエンジン強化は53/63型の栄31型、54/64型の金星62型まで持ち越されるが、栄31型は開発リソース不足で水メタノール噴射装置を装備できなかったために若干の向上に留まり、54/64型は終戦までに量産が間に合わなかった。
  • そもそも52型は実用化が遅れていた後継機までの繋ぎとして開発されたのだが、後継機である雷電烈風などの開発は遅れに遅れ、結局最後まで騙し騙し使い続けることとなってしまった。
    一人でF6Fを6機を撃墜した301空の松場秋夫少尉のように零戦で活躍したベテランパイロットもそれなりに居たが、制空権での不利は覆らなかった。
    • 前線搭乗員の損失を埋める為、艦爆隊員*10が戦闘機隊に補充されたり、果ては訓練を最低限まで簡略化した特丙飛までも前線に送られるなか、戦争後半に生き残っていた数少ないベテラン達ももはや零戦で劣勢を埋めることはできなかった。
    • さらに機体の配備が始まったのは航空優勢が逆転したソロモン海の戦いの後であり、防弾装備によって生存性は上がったが戦局はそれ以上に厳しかった。
      • ちなみに菅野直大尉のように52型でエースパイロットになったものも居た。
    • もっとも参戦後に全く新規の機体を開発して全面的な転換ができたのはチート工業力のアメリカと人民の血肉で贖ったソ連ぐらいで、イギリスのスピットファイアもドイツのBf109もモデファイを続けつつ終戦まで生産された。零戦は21型から52型へモディファイされたがやはりエンジン馬力のパワーアップがすくないため大きな性能向上はできず、武装と防御の向上により重量が増し、飛行性能が目に見えて低下した。52型で低下した飛行性能は1500馬力の金星エンジンに換装した54型で回復したとのことである。重量増大に伴う飛行性能低下を補うため、岩井勉氏は20mm機銃を下ろし13㎜機銃のみで戦い、土門少尉は裏技として発進後すぐに燃料を投棄して軽量化するなど現場では非力なエンジンを補う努力がなされたのであった。
      *11


  • 52型の主要装備・設計の導入時期
    • 昭和17年6月:栄二一型・100発ドラム弾倉
    • 昭和17年夏:防弾燃料タンク
    • 昭和17年9月:円形翼端(主翼幅11m)
    • 昭和17年秋:炭酸ガス自動消火装置
    • 昭和17年末:九九式二十耗二号固定機銃
    • 昭和17年末~:推力式排出管(17年導入検討開始・18年導入)
  • 航空戦史家の古峰文三氏は、零戦52型の登場時期に関して史実より早くなっていた可能性を指摘している。
    • 52型の大きな特徴である新たに再設計された翼幅11mの丸く整形された主翼は、昭和17年9月4日に承認図の提出が求められている。このことからこの主翼はカダルカナル戦前に着想されたものであり、二号零戦問題により試作された22型の完成時には、52型主翼の設計は完了していたことになる。
    • この頃に52型に相当する形式が登場したなら九九式二十耗二号固定機銃の装備は間に合わないかもしれないが、優れた空力特性を持つこの主翼により史実以上の身軽さと32型の航続距離不足を補う機体になっていただろうと述べている。
    • また、本来なら昭和17年10月から32型を生産する計画だった中島製作所でもこの52型相当の改良型に生産を切り替えていたかもしれず、そうなれば昭和19年4月まで続いた21型の生産は切り上げられ、21型は単なる旧式機として搭乗員から52型と比較されることもないまま忘れ去られていた可能性もあると述べている。
    • しかし、実際には32型から22型への改良と生産移行という大きなを回り道をすることになり、その結果、零戦改良の完成形というべき52型は昭和17年9月から昭和18年7月まで10ヶ月近く眠らされていたことになると指摘している。
    • 古峰氏は最後に、こうして眺めるとガダルカナル戦という事件が零戦の正常な改良・発達の過程にどれだけ暗い影を落としていたかが実感できる、と締め括っている。

この装備についてのコメント

  • こいつが鹿屋基地にあるやつか。 -- 2019-05-05 (日) 20:17:10
  • イベント中に6-5をやるときに、余った烈風や隼等では頭数が足りない場合には意外と使える(例えば第1航空隊を零戦52型2個、試製烈風後期型、隼Ⅱ型で均衡にしたり)。 -- 2019-06-17 (月) 20:28:05
  • 史実での52型の航続距離って21型を僅かに上回ってない? -- 2019-07-18 (木) 08:23:45
    • 今更だけど確かそう。紫電改もそんなに航続距離短くないはず。 -- 2019-08-04 (日) 04:37:17
      • 雷電や紫電改のような局地戦闘機に航続距離求めたのホント謎 -- 2019-08-04 (日) 09:45:15
      • 局地ってのは海軍用語で陸上の拠点を指す言葉だから、そこから飛んでいって制空することも任務の一つ。だからその航続距離が要る。 -- 2019-08-06 (火) 02:57:02
      • 理解。でも流石に長過ぎない…? -- 1葉? 2019-08-06 (火) 07:46:14
      • 機動部隊が役に立たなくなったもんで、本土防空の最後の盾だった本土の陸海航空隊は最初で最後の盾になったわけだからね。なんとかして打って出ないと哨戒も迎撃もできず無傷の敵が本土に到達してしまう。このような状況下で新鋭機による航空迎撃の機会を増やして爆撃を阻止しようと思うと、航続距離を伸ばすほかない -- 2019-08-06 (火) 08:43:05
      • 絶対数(機体もパイロットも)が足りないから1機が滞空できる時間を増やすしか無いのもある -- 2019-09-22 (日) 12:17:50
  • 荒らされてたみたいですね。 -- 2019-08-25 (日) 01:34:23
  • 721航空隊の52丙とか艦これに実装してほしいんだがさすがに無理かね? -- 2019-12-07 (土) 03:39:10
  • 某飛行隊のゲームやるとこいつがかなりの強機体に思えてくる -- 2020-03-12 (木) 21:53:38
  • 54/64型が実装されたら、21型(熟練)ぐらいの性能があってもいいはず(願望 -- 2020-03-29 (日) 07:57:16
  • 三年目でようやくお役御免になった。上位艦戦ができても、零式21型(熟練)があまり生産できてないこともあって、基地航空隊配備分として頑張ってくれた。これからは改修素材になると思うけど、本当にありがとう! -- 2020-04-22 (水) 10:01:28
  • これ一機開発するのにボーキ3000も使ったんだが確率変わった? -- 2020-09-17 (木) 03:23:06
    • 個人的には21型作りたいのに52型ばっかできて困るくらい。このゲームの偏りが酷いのはいつものことだと諦めてる -- 2020-09-17 (木) 04:43:52
  • 赤城戊か加賀戊を旗艦にして52型を改修したら零夜戦になるようにならんかな -- 2020-09-25 (金) 22:09:31
    • 夜攻も量産出来るようになったことだし、対空5か6くらいでいいので夜戦も作れるようになって欲しいね(もしくはRe.2001の夜戦型か) -- 2020-09-26 (土) 01:09:42
  • 更新先は62型か…対空7くらいの53型か54型あたりでも良かったのだけれど -- 2020-11-14 (土) 05:40:03
    • 最終形態の63爆戦は任務で最大2機手に入るし62(通常)も63も撃墜耐性(対空射撃回避)ないからねぇ -- 2020-11-14 (土) 14:18:55
  • 千葉県大多喜町で見つかったのは52型かな? -- 2021-01-27 (水) 06:38:06
  • このページから52熟練に飛ぶリンクってないね。同様の例だと頭の方に「熟練版もある」みたいなリンクが置いてあることが多いけど -- 2023-04-13 (木) 07:31:57
    • 気になったらどんどん修正してね。 -- 2023-04-13 (木) 08:24:27
  • どこに書けば良いのかわからないからここに書いとく、レシピ全部33で一回集中開発やったら零戦52型が1つでた -- 2023-06-25 (日) 09:56:32
    • 理論値が10,20,-,30でテーブル指定が無いんだから普通に開発されるだろ -- 2023-07-09 (日) 07:51:41
  • 欲しい時に限って出ない定期 21型ばかり出てきて困る -- 2023-12-09 (土) 06:51:21

*1 22型甲で先行的に導入されてはいる。
*2 ちなみに21型にも同様の改良を施し41型とする計画があった。しかし20mmのベルト給弾化が21型の生産終了に間に合わず幻の形式に。
*3 米ブローニングM2重機関銃のコピー。携行240発。
*4 その他に対空砲による損失37機、出典:海軍零戦隊撃墜戦記
*5 戦争証言アーカイブス“特攻は嫌いだった”チャプター2
*6 土方敏夫著:海軍予備学生零戦空戦記
*7 戦争証言アーカイブス“特攻は嫌いだった”チャプター5
*8 なお『零戦の秘術』によると、実際にはF6Fは15機ではなく4機だったという目撃証言もある
*9 1941年12月12日の戦闘で被弾不時着している
*10 義手の海軍パイロット、森岡寛大尉が有名。彼は零戦52型丙でB-29、PBY-4、P-51やF6Fを撃墜した記録を持っている
*11 Bf109やスピットファィアも大戦後半の型は2000馬力エンジンに換装されたモデルもあるが、少数の配備に留まり数的主力機は依然としてBf-109GやスピットファイアMk.9のように1500馬力前後の機体だった。イギリスに至ってはアメリカのように2000馬力級が全面的に配備されるのは第二次世界大戦後の話である。