AI_spn18

Last-modified: 2026-04-11 (土) 13:46:10

ありそうでなさそうで本当にない話。妄想と拡大解釈とフィクションでできているページ。
ほんのりBLめだけど、ウィンチェスター兄弟って結局こうなるのが平和で正解だと思う。


琥珀色の沈黙と、左手の地図

街の喧騒から隔絶された、地下へと続く階段。ディーンが好む大音量のロックと安ビールが似合うダイナーとは対照的な、隠れ家的なスピーキージー。サムは珍しく、この静かなバーで兄に負けないほどの空き瓶をカウンターに並べていた。

「隣、失礼してもいいかしら」

不意にかけられた声に顔を上げると、そこには店の空気に溶け込むような理知的な女性が立っていた。シャープな縁の眼鏡と、聡明さを感じさせるショートヘア。驚くほど洗練された佇まいだった。

「ああ……どうぞ」

サムは慌てて背筋を伸ばし、襟元を整えた。なぜ今日に限って、いつものヨレたネルシャツで来てしまったのか。そんな小さな後悔が、喉の奥で苦く弾ける。
しばらくの間、二人の間には低く流れるモダンジャズの旋律だけが漂い、心地よい沈黙が支配していた。


「――結婚」

唐突に落ちてきた単語に、サムは「は?」と、自分でも驚くほど裏返った声を上げた。

「結婚、してらっしゃらないのね」

女性の視線は、サムの左手の薬指に注がれていた。そこには指輪の跡など微塵もなく、代わりにハンターという過酷な生業が刻みつけた古傷の山があった。かつて激しく骨折し、皮膚の下で歪に繋がった痕跡。それは愛の誓いとは無縁の、戦いの記録だ。

「どういう……からかいですか?」

「ごめんなさい、いきなり変なことを。ただ、あまりに素敵な方だったから。つい、気になって」

聞き込みの際、女性からの視線が自分に集まることには慣れていた。かつて、あのベッキーに開口一番で『サム様』と呼ばれたこともある。無自覚な美形というのは、時として厄介な副産物を生むものだ。

サムは自嘲気味に首を振った。
「……それは光栄です。でも、僕は結婚できないんですよ」

正直な言葉だった。ジェシカのことも、かつてひと時でも愛した何人かの女性たちのことも、忘れたわけではない。けれど今の自分には、普通の幸せを掴む資格も余裕もない。
いつかハンター生活を引退したら年老いて、暖炉の前でロッキングチェアを揺らしながら、「なんやかんやで」兄貴とビールを酌み交わす――。
ディーンなら「最後まで戦って死ぬ」とでも言うのかもしれないが、少なくともサムとしては平穏な未来を描きたかった。

「そんな風に否定しながら……あなた、心に決めた誰かがいるような目をしているわね」

女性の言葉が、予想外の角度からサムの胸を突いた。
変な風に受け取られたのではないかという驚きと、自分でも気づかなかった内面を暴かれたような気まずさ。

サムは言葉を失い、冷え切ったビールの瓶を見つめたまま、琥珀色の静寂の中に沈んでいった。

境界線上の残響

バンカーの図書室、微かな埃の匂いと古い紙の香りが漂う中で、ディーンがテーブルの上のメモを指先で弾いた。

「へー。これ、連絡先か? どこの誰だ、一体」

ディーンにしてみれば、それはいつもの軽口を交えた、兄弟ゆえの無邪気な詮索に過ぎないのだろう。だが、昨夜のバーで出会った女性――モニカが残した「心に決めた誰かがいるような目」という言葉が、今のサムの耳には別の意味を持って響いてしまう。

「……女だろ? 珍しく『死ぬほど飲みたい』なんて言って飛び出していきやがって。よっぽどの収穫があったみたいだな」
「それは……失態をしたからだ」

サムの声は、自分でも驚くほど硬かった。直近の狩りで、彼はあってはならないミスを犯した。ターゲットの背後にいた無関係の民間人を、あやうく射殺しかけたのだ。幸い掠り傷で済んだとはいえ、プロのハンターとして、そして何より「人を救う」ことを信条とするサムにとって、それは自棄酒に溺れたくなるほどの屈辱であり、恐怖だった。

「ああ、元気なかったもんな。だから可愛い女の子に慰めてもらいたかった、と。お前も隅に置けないねぇ」

ディーンのこうした物言いは、日常茶飯事だ。いつもなら苦笑して肩を竦め、適当にいなして終わるはずだった。けれど、モニカの言葉が澱のように心に溜まっていたせいか、サムの口を突いて出たのは、正反対の言葉だった。

「……ディーン。兄貴は、僕の何もかもを知りたいのか?」

それは詰問ではなかった。ディーンを責めるような鋭い響きも、怒りも含まれてはいない。ただ、純粋な問いとして発せられたはずのその言葉は、文字面だけをなぞれば、あまりに拒絶に近い響きを持って部屋に落ちた。

ディーンが面食らったように眉を寄せ、気まずそうに頭を掻いた。
「……んなことある訳ないだろ。俺とお前は家族だが、別人だって。そこらへんの結論は、もうとっくに出てただろうが」

「……」

「言いたくないならそう言えよ。やれやれ、これだからインテリ様は」
ディーンは両手を軽く広げて、逃げるようにその場を立ち去った。重いブーツの音が遠ざかっていくのを、サムはただ黙って見送ることしかできなかった。

結局、自分は兄貴に何を言いたかったのだろうか。
「別人だ」と突き放されたことに安堵したのか、それとも、言葉にできない寂しさを覚えたのか。

差し出された連絡先のメモは、主を失ったまま、冷たいテーブルの上で白く光っていた。
家族という近すぎる距離の中で、サムは自分たちが引いたはずの「境界線」の深さを、改めて思い知らされていた。

聖域のキッチンと、解けない結び目

深夜のキッチン。冷蔵庫の低い唸りだけが響く静寂の中で、サムは一人、冷え切ったカウンターに肘をついていた。

もし、自分たちが「ただの家族」であったなら。互いにもっと明確なパーソナルスペースを主張し、踏み越えられない一線を守って暮らしていただろう。あるいは、気まぐれに現れては去っていくカスティエルやクラウリーのような距離感の方が、世間一般で言うところの親類関係に近いのかもしれない。
まともな家庭の経験も記憶も持たないサムにとって、「普通」という概念はいつだって、手に届かないカタログの中の風景のようなものだった。

「……なんか、完全に熟年夫婦なんだよな」

思わず口を突いて出た独白に、自分でも苦笑する。
ディーンは普段、サムのプライバシーなど無頓着に放り出しているくせに、サムが外の世界の誰かと親密な接点を持とうとすると、途端に目に見えない鎖をたぐり寄せる。それはあの支配的な性格ゆえだと、ずっと前から思っていた。自分の知らない空白が弟の中に生じることを、生理的に許容できない人種なのだと。

だが、だからといって距離を置くのが正解だった試しは、これまでの経験上、一度としてない。これは共依存や魂の結びつきといった、既存の言葉を当てはめることすら躊躇われるほど、重く、粘りつくような何かだ。

「夫婦、か……勘弁してくれ」


その時、音もなく翼の気配が混じり、カスティエルがゆるゆるとキッチンへ現れた。

「やあ、サム」

挨拶はするものの、カスティエルはサムの顔を見ることもなく、当然のような顔で冷蔵庫を開けて中を漁り始めた。

「……蜂蜜のホットミルクか? 作ろうか?」
サムの問いに、カスティエルは棚からマグカップを取り出しながら答えた。
「ああ、頼む。サムの淹れるミルクは、私にとって最高の温度と分量なんだ」

言われるがまま、サムはいつもの手際でミルクを温め、蜂蜜を滴らせる。その背中に向かって、カスティエルが何気なく、しかし鋭い一言を投げかけた。

「……まるで、サムは母親のようだな。落ち込んだディーンには黙ってビールを振る舞うし、私に対してもこうして、必要なものを察して差し出してくれる」

母親。その言葉に、サムのミルクをかき混ぜる手が止まった。
献身的で、受容的で、そして決して逃げ出さない「家」という名の楔。
カスティエルの純粋すぎる指摘は、サムが目を背け続けてきた「ウィンチェスター」という関係性の歪な本質を、残酷なほど正確に射抜いていた。

沈黙のバックアップと、解けないハニーの呪縛

ディーンが短く号令をかければ、基本的にサムは何も言わずに従う。それがこの数十年、兄弟が作り上げてきた不文律だ。
狩りの現場で、潜伏した敵の前にディーンが先んじて踏み込む。彼が僅かに首を振れば、サムはその意図を瞬時に汲み取り、死角を埋める、もしくは奇襲のためのバックアップ体制へと移行する。交代制と決めたはずの変装用スーツの手入れも、精巧な偽造IDの作成も、サムの役目だ。激しい狩りの後、バーで泥酔してモーテルの部屋をひっくり返した後の片付けも、次の獲物を探すための膨大なリサーチも、古代文字の解読も。そのすべてを、当然のようにサムが担っている。

ディーンが理不尽に怒鳴り散らした時も、自暴自棄になって無茶な特攻を選んだ時も。時として彼がきわめて冷酷な決断を下した瞬間に、肩を竦めながらも隣に立ち、その支えになるのも、サムだ。

サムという揺るがない後方がなければ、前線で全力を出し切れないことくらい、ディーン自身も骨身に沁みて分かっているはずだ。そして、彼はそれを「それでいい、お前は俺の横にいろ」という無言の傲慢さで受け入れている。

「――僕は、お前の奥さんになんか、絶対にならないからな!!」


唐突に投げつけられた怒号に、目の前のカスティエルが青い瞳を丸くして固まった。手にしたマグカップからは、まだ温かい湯気が立ち上っている。

「……サム、どうしたんだ? 私は、また何か人間の言葉を間違えて使ったか」

「……いや、なんでもない。忘れてくれ」

サムは片手で顔を覆い、深すぎる溜息をついた。カスティエルは納得のいかない様子で、小首を傾げる。
「奥さん(ワイフ)というのは、確か『ハニー』とも呼ぶのだろう? つまり、この蜂蜜と関連するのか?」

「……なんでもないってば」

どこまでも純粋で、どこまでも呑気な天使に見切りをつけるのは簡単だった。だが、今この瞬間、カスティエルという唯一の「他者」から離れてしまったら、自分を繋ぎ止めるよすがが本当に消えてしまいそうだった。

それに、認めざるを得ない事実がそこにある。
文句を言い、反発し、支配的だと毒づきながらも、僕の両手にはすでに、ディーンから零れ落ちるほどの歪な愛が溜まってしまっている。その重みを知ってしまった以上、もう、どこにも引き返せないのだ。


不注意は、いつだって人生における最悪の敗因になる

カスティエルにあらぬ八つ当たりをした詫びに、せめてクッキーの箱でも探そうとキッチンへ回り込んだ時だった。戸棚の奥を覗き込み、引き出しを探りながら冷蔵庫へ向かおうとした足元が、あろうことか滑った。

抗う間もなかった。コントのような無様な格好でつんのめり、そのまま冷蔵庫の頑丈な取っ手に向かって、右の額を叩きつける形で頭突きをかました。

「いっ、……つ……」

視界が真っ白に弾け、鋭い痛みが額を貫く。
いつからだろう、どんな大怪我を負っても声を上げて叫ばなくなったのは。ハンターとして生きる日常の中で、ディーンに叩き込まれた「忍耐」という名の呪縛。それは反射的に息を詰めさせ、行き場を失った熱い吐息が脳へと逆流して意識を掻き混ぜる。

「ッ……」

短い、息を呑む音が聞こえた。
事の一部始終を見ていたのだろうカスティエルが、慌ててサムの側へ回り込んでくる。
額という箇所は、なぜこうも際限なく血が溢れるのか。冷蔵庫の前は、瞬く間に赤黒い海へと変わっていった。

立ち上がろうとした瞬間、猛烈な眩暈が襲う。痛みは麻痺し始めていたが、脳にダイレクトな衝撃が入ったのは明白だった。数多の化け物と渡り合ってきて、よもや自宅の冷蔵庫で命を落とすのだとしたら、これほど酷い喜劇(じょーく)はない。

「サム、じっとしていろ!」

カスティエルの切迫した警告が、遠い霧の向こうから聞こえる。
ああ、じっとしていていいのか。なら、お言葉に甘えて……。
そう思った瞬間、全身の力が抜け、サムの意識は底知れない暗闇の中へと静かに消えていった。


土砂降りの雨の向こう側で、誰かと誰かが激しく言い争う声がする。

「ディーン! サムが!」
「なっ、……おい! キャス、早く治癒しろ!」

「……できない。まだ私の恩寵は安定していないんだ。だから、ホットミルクで癒そうと……」
「できないなら最初からそう言え! クソッ、サム! 目を開けろ!」

遠ざかる意識の端で、誰かの温かい手がサムの肩と背中を取る。その必死な体温だけが、サムの身体を辛うじてこの世界に繋ぎ止めていた。


気がつくと、見慣れたバンカーの自室の天井が目に飛び込んできた。
右の額にそっと手を当てると、そこには小さな絆創膏がひとつ、丁寧に貼られている。傷自体の痛みはほとんど引いていた。もともと裂傷は大したことがなかったのだろう。

深刻だったのは、脳を芯から揺さぶるような残響の方だ。この無駄に高い身長が、今回は完全に仇となった。2m近い高さから一気に自由落下し、冷蔵庫という鉄の塊に鐘を打つような有様になったのだから、衝撃もひとしおだ。

「……高身長あるある、か」

思わず自嘲気味に呟く。公共交通機関の座席でも、場末のモーテルのシャワー室でも、あるいはインパラの車内ですら、頭をぶつけずに済んだことなど一度もない。

身を起こそうと身じろぎした瞬間、寝室の扉が勢いよく蹴破るようにして開け放たれた。

「馬鹿野郎! そのまま寝てろ!」

「……ディーン。もう大丈夫だってば、大げさだよ」

「キッチンで勝手にぶっ倒れるなんてのは、救いようのない馬鹿のやることだ!」

ディーンの剣幕は妙に熱を帯びていて、その勢いに押されるようにしてサムはしぶしぶ枕に頭を戻した。狩りの最中に大怪我を負った時ですら見せたことのないような、焦燥の混じった怒り。

「……なに。なんでそんなに怒ってるんだよ。たかが不注意だろ?」

サムの問いに、ディーンは一瞬言葉を詰まらせた。それから、重々しく口を開く。

「……お袋がな、同じように怪我したことがあるんだよ」

その一言で、部屋の空気が止まったような感覚に陥った。ディーンが母さんの思い出話を自ら口にする時、そこにはいつも聖域のような静寂が伴う。

「え……?」

「俺の大好物のパイを焼いててさ。オーブンから取り出そうとした時につんのめっちまって……額をガッツリ、だ」

「……嘘だろ?」

「嘘なもんか。そのまま気絶しちまって……その後の親父ときたら、もうてんてこ舞いだよ。俺はまだ三歳半くらいだったが、親父が家中ひっくり返す勢いでお袋の真似事をして、片っ端から失敗しまくってたのを鮮明に覚えてる」

「あの父さんが……?」

「ああ。朝っぱらから洗濯機のボタンを押し間違えてぶっ壊すし、飯を作るって言えば肉を焼いても生焼けか黒焦げの二択だ。幼心に、あの命令大好きな親父にもできないことがあるんだな……って、妙に冷めた目で見てたよ」

想像もつかない父さんの無様な奮闘ぶりに、サムは思わず喉を鳴らして笑っていた。

「……目に浮かぶよ、本当に」

「……しばらく、お前の担当してる仕事を俺がやる。……やれると思うか?」

ディーンが真顔で、どこか不安げに聞いてくる。サムは一秒の迷いもなく即答した。

「いや。無理だと思う」

「……だよな」

ガックリと肩を落としたディーンを見て、サムは少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。そっと彼に微笑みかける。

「……僕が兄さんの隣にいる理由を、奪わないでくれよ」

「……っ! 何言ってやがる、この馬鹿サミー!」

ディーンは耳まで真っ赤にして、僕の額に載せていたおしぼりをひったくるように掴むと、足早にキッチンへと去っていった。

遠ざかる兄の背中を見送りながら、サムは痛みを思い出した額をそっと擦った。
熟年夫婦、か。……まあ、たまにはそんな役割も悪くない。そう自分に言い聞かせるように、サムは静かに目を閉じた。