Last-modified: 2025-03-19 (水) 03:22:16
No.594
594.png榧(かや)松型 11番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久14火力5 / 23
装甲5 / 22雷装16 / 67
回避30 / --対空22 / 62
搭載0対潜27 / --
速力高速索敵8 / --
射程16 / 72
最大消費量
燃料15弾薬15
装備
12.7cm単装高角砲(後期型)
未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
榧改(Lv46)
図鑑説明
松型駆逐艦十一番艦、榧です。舞鶴生まれ、瀬戸内育ちです。姉妹艦達と共に、あの礼号作戦に参加しました。戦艦大和以下の第一遊撃部隊最後の出撃を豊後水道まで見送って…戦後は北の国へ。榧達のこと、どうぞ覚えていてくださいね。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:未発表、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:未発表、イラストレーター:未発表*1

定型ボイス一覧?

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時報ボイス一覧?

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季節ボイス一覧?

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ゲームにおいて

  • 2025春イベント前段作戦『北海道防衛作戦』E2、E3にてドロップ艦として初登場。

アップデート履歴

キャラクター設定について

  • 初出は舞台「突入!礼号作戦1944」。演者の赤池紗也加氏は艦娘遊撃隊の鹿島役でもある。
  • 以降の松型のお約束である艦名と同じ漢字が名前に含まれている声帯の妖精さんだが、榧に関しては人名漢字として使われていない上に榧が使われている苗字も非常に珍しいため、絶望的という見方が強い*2
    舞台版の赤池氏は名前が「さやか」なので逆から読むと「かや」が出てくるが、ゲーム版での鹿島の中の人の名字が「かやの」とある意味で絡んでると言い張れなくもないようなことなどは狙ったものなのかは不明。後者はないだろうけど
  • 白と黒の丸が付いた髪留めは碁石のイメージと思われる。艦名の由来である榧は高級碁盤・将棋盤の素材として珍重されているのにちなんだものか。特に碁盤・将棋盤に用いるものは日向(宮崎県)産のものが珍重されるため、髪色がみかん色なのは日向夏に因んでるのかも。

小ネタ

略歴

略歴

19444.10舞鶴海軍工廠で起工(仮称丁型駆逐艦第5492号艦)
6.20「榧」と命名(達第202号*3
9.18艤装員事務所を設置。艤装員長岩淵悟郎少佐
9.30竣工 岩淵悟郎少佐が制式に駆逐艦長となる
10.5第二遊撃部隊麾下第十一水雷戦隊に編入 舞鶴から瀬戸内海に回航し訓練に従事
10634空の鹿屋基地転進に協力
10.25龍鳳・海鷹を榧・樅・梅・桃で護衛し佐世保発(10.27基隆着)
10.30基隆発 佐世保を経由し11.2呉帰投 引き続き訓練に従事
11.25第三十一戦隊第43駆逐隊に編入
ヒ83船団(海鷹、夕月・卯月、樅・檜・樫、海防艦数隻)を護衛し門司発
高雄到着後榧はヒ83船団と別れマニラ方面に進出
12.13第8次多号作戦で損傷した梅から菅間良吉大佐(第43駆逐隊司令)が榧に移乗 隊司令艦を継承
杉・樫(第52駆逐隊)とともにマニラを脱出
12.1543駆司令菅間大佐に対し南西方面艦隊司令長官大河原傅七中将はミンドロ島サンホセへの殴り込み作戦を発令
12.17榧・杉・樫はカムランを出撃するも台風に遭遇 参加各艦も状況が芳しく無く菅間大佐は作戦を中止しサン・ジャックに移動
菅間大佐も艦を降りサイゴンの病院に入院
12.19南西方面艦隊より作戦中止と第二遊撃部隊との合同を下令
12.24礼号作戦水上挺身部隊の一員として作戦に参加
12.28第二遊撃部隊から離脱し南西方面艦隊警戒部隊に編入(南西方面艦隊からの指示)漂流中の給糧艦「野崎」乗員を救助しカムラン湾に到着
19451.9高雄での応急修理後舞鶴に1.13帰投 修理を受ける
1.31戦没した梅より司令駆逐艦を継承(吉田正義大佐)
3.1駆逐隊司令が吉田正義大佐から作間英邇大佐に交代
3.4榧と海防艦択捉は舞鶴を出発 榧は呉に回航され3.15まで残りの修理を受ける
3.15第31戦隊は第二艦隊に編入
4.6第一遊撃部隊の前路掃討隊(花月・榧・槇)として豊後水道出口まで随行
第一遊撃部隊からの指示で反転帰還
4.20第二艦隊・第2水雷戦隊解隊に伴い連合艦隊付属に復帰
4.25駆逐艦長が海軍兵学校教官森本義久少佐に交代する
5.20新設された海上挺進部隊所属となる 屋代島日見海岸に疎開し終戦を迎える
10.5除籍
12.1特別輸送艦指定 復員輸送に従事
19477.5ナホトカにてソ連に引き渡し
7.7Волевойに改称され艦隊水雷艇として第5艦隊へ編入
19492.14予備役編入
6.17除籍 標的艦ЦЛ-23と改称
19586.10暖房船ОТ-61と改称
19598.3退役 9.2海軍より除籍
艤装員長・駆逐艦長

艤装員長・駆逐艦長(日本海軍駆逐艦「榧」として)

艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
初代
岩淵悟郎 少佐(61・宮城)
1944.9.18~9.30(艤装員長)
1944.9.30~45.4.25(艦長)
開戦時は大尉として天津風水雷長。阿武隈水雷長、最上水雷長、望月艦長を発令されるも直後望月が戦没したため発令のみとなる。少佐昇進後夕凪最期の艦長。榧艤装員長、引き続き艦長。
第2代森本義久 少佐→中佐(60・愛媛)
1945.4.20~(不明)
峯雲航海長、神風砲術長、白雲水雷長、雪風水雷長を経て開戦時は羽黒水雷長。春風艦長ののち陸上勤務を経て榧艦長。ポツダム昇進で中佐。

艦歴

  • 元ネタは松型駆逐艦の11番艦「榧(かや)」。
  • 舞鶴海軍工廠で建造され、1944年9月30日竣工する。竣工後は訓練部隊である第十一水雷戦隊に所属、10月5日に舞鶴を出港して瀬戸内海に移動、他の姉妹たちと共に訓練に従事した。
    だが風雲急を告げるこの時期に竣工した駆逐艦たちは、相次ぐ前線での損耗から、ろくに訓練もできずに前線に投入されていった。それは榧も同じだった。
  • 初の前線投入は10月下旬、台湾沖航空戦で消耗し、直後に発生したレイテ沖海戦でも空母機動部隊撃滅が命じられた第二航空艦隊(司令長官:福留繁中将)への航空機輸送任務の護衛で、10月25日に航空機を積んだ空母龍鳳海鷹?(未実装)を姉妹たち*4と護衛して佐世保から出航、27日に基隆に到着して任務を無事完遂した。
    • だが出航した25日に小沢空母機動部隊は壊滅し、大和を中心とする栗田艦隊も突入を果たせず撤退。第二航空艦隊も米軽空母「プリンストン」を撃沈する*5も目的は達成できず、レイテ沖海戦は敗北に終わった。

南方戦線へ

  • 11月2日に呉に戻った榧は引き続き訓練に従事する。11月25日、榧は第三十一戦隊麾下の第43駆逐隊に配属となる。同日、昭南(シンガポール)に向かう「ヒ83輸送船団」護衛のため、空母海鷹、駆逐艦卯月夕月?(未実装)、松型駆逐艦の姉妹である樅、檜、ほか海防艦数隻と共に出航し台湾の高雄まで同行、そこで船団と別れた榧ら駆逐艦はマニラ方面に進出、5日にはマニラ湾に入港し、ここで漸く第43駆逐隊と合流する
    • この頃になるとレイテ増援部隊のオルモック湾への派遣作戦「多号作戦」は不可能になってきていて、12月8日の第8次多号作戦も米軍がオルモック近くまで進出してきた事で揚陸地点を変更する事態となり、オルモック湾自体が危険となっていた(詳細についてはの項目を参照)
      13日には連合国軍の大部隊がミンドロ島に向かっているのが陸軍偵察機によって発見され、多号作戦は中止となる。
      • そして14日、マニラを含むルソン島各地を米機動部隊の艦載機が襲来する。この空襲で司令駆逐艦のが被弾したため、隊司令の菅間良吉*6大佐は旗艦を榧に変更、榧を含めた指揮下の3隻(榧、杉、樫)を率いてマニラ湾を脱出して、南沙諸島に移動する。(その後第二遊撃部隊がいるカムラン湾に目的地を変更している)
        なお、被弾した桃、及びは香港や台湾の馬公で修理するため撤退するも、桃は15日に待ち伏せしていた米潜水艦に撃沈されてしまう。

礼号作戦

  • 12月15日、米軍はミンドロ島に上陸を開始、同島での戦いが始まった。16日、南西方面艦隊司令長官大河内伝七中将は南沙諸島にいる第43駆逐隊3隻による殴り込み作戦を発令する。
    だが、この時点でカムラン湾に入港する直前だった第43駆逐隊は樫が損傷のため21ノット以上出すことができず、杉は第8次多号作戦で受けた損傷が直っていなかった。
    • 連合艦隊から突入せよと矢のような催促もあり、入港後燃料補給を受けた第43駆逐隊は17日に出撃するも、いわゆる「コブラ台風*7」と呼ばれる大型台風の直撃で洋上は大荒れ、突入の見込み無しと判断した菅間司令は突入を諦めてサンジャックに移動する。結局殴り込み作戦は大河内長官の判断で中止となり、第43駆逐隊は第二遊撃部隊との合流を命じられる。
      • なお、サンジャック入港の際、萱間隊指令は肺浸潤が悪化してサイゴンの病院に緊急入院する事態となってしまう。そのためこれ以降の作戦は岩淵悟郎榧艦長の指揮で行動する事になる。
  • だが連合艦隊司令部はミンドロ島への水上殴り込み作戦を督促し続けた。根負けした大河内長官は木村昌福少将率いる第二水雷戦隊にサンホセへの突入作戦を行うよう第二遊撃部隊の志摩清英指揮官に指示、志摩は木村司令官に作戦を一任し、旗艦を重巡足柄から航空戦艦日向に変更して足柄らを提供する。これにより木村長官を指揮官とする「挺身部隊」が編成され、第43駆逐隊もこれに加わることになる。
    • 挺身部隊には二水戦から大淀(14日付で戦隊旗艦となっていた)、朝霜清霜が参加、これに「巡洋艦は2隻いてほしい」という木村長官の考えから、第二遊撃部隊旗艦の足柄が旗艦変更したうえで参加、これに第43駆逐隊が加わる総勢8隻の部隊となった。
      • なおこの時点で健在だった第二遊撃部隊の他艦艇は伊勢日向(ともにカムラン湾に在泊)や羽黒などがいたが、殴り込み作戦で必要な機動性が心配されて伊勢型戦艦の投入は諦められ、羽黒は当時大破損傷していた妙高を昭南に送り届ける護衛を初霜と共にしていて不在だった。
  • 駆逐艦に将旗をあげた木村長官は22日夕刻にカムラン湾に集結、26日夜にミンドロ島への突入が決定し、24日に出撃する。
    • その後の部隊の活躍はやそのほかの参加艦艇のページに譲るが、榧は突入直前の26日夕刻の米第5空軍による空襲で機銃掃射してきたP-38の1機が引き起こしのタイミングを誤りマストに激突し、マストが根元から折れてしまう被害を受けている。
      突入後は停泊する4隻の輸送船に対して霞、樫と共に魚雷攻撃を行い1隻を大破着底させている。
      最終的に樫は前述のマストの被害と機銃掃射による罐の損傷で速力が20ノットに低下し、死者4名、負傷者17名をだす*8も、無事に作戦を成功させた。
      • 帰路、一時的に南西方面艦隊の指揮下に移動した第43駆逐隊は米潜水艦により撃沈された給糧艦「野崎」の乗員を救助、12月29日11時に他の挺身部隊所属艦より遅れてカムラン湾に帰還した。補給を受けた駆逐隊はその日のうちに出港して30日にはサンジャックに到着する
  • 1945年1月7日、第43駆逐隊は台湾高雄に到着する。この頃第43駆逐隊の新司令に吉田正義大佐*9が着任、旗艦はマニラ湾脱出後香港で修理を受け、この頃合流した梅に変更となる。だがその梅もルソン島からの航空隊撤収作戦に従事するなかで1月31日に戦没し、旗艦は再び榧に戻っている。
    • なお、当の榧は19日に高雄を出港後内地に戻り、舞鶴で修理を受けている状態だった。

坊ノ岬沖海戦~終戦へ

  • 2月5日、第二遊撃部隊を構成する第五艦隊は解隊となり、第三十一戦隊は連合艦隊直属となる。
    • 高雄市にあった戦隊司令部は空路内地に戻り、台湾に残余した艦艇は第十方面艦隊*10所属となり、内地残余の艦艇で第三十一戦隊は再編成、司令部は秋月型駆逐艦の「花月」に将旗を挙げた。
  • 3月1日、第43駆逐隊司令が吉田大佐から作間英邇大佐*11に交代、15日には第三十一戦隊は第二艦隊に編入となる。榧は花月や生き残った姉妹たち*12と共に大和直衛として警戒任務に就くことになる。
    • 3月19日の呉大空襲では姉のが敵の機銃掃射で若干の被害を受けたが他は大事無く、3月28日には大和らと共に佐世保への回航が指示されたが直後に取消となる。そして4月5日夕刻、第一遊撃部隊*13に沖縄出撃が命じられる。
    • 第三十一戦隊は前路掃討隊として部隊が外洋に出るまでの針路掃討を命じられた。また弾薬や燃料の一部を大和や第17駆逐隊*14らに移載もしている。
      4月6日15時20分、第一遊撃部隊出撃に合わせて花月、榧、槇ら前路掃討隊も出航、日本海軍最後の艦隊出撃であった。豊後水道出口まで随伴した前路掃討隊は16時20分、第一遊撃部隊指揮官伊藤整一中将の命令で帰投する。帰投後第三十一戦隊は第一遊撃部隊から待機部隊に編入替えとなり、第十一水雷戦隊の指揮下に入った。
      • 榧の実装により坊ノ岬組での前路掃討に参加した艦娘の初実装となった。
  • 4月20日、第二艦隊、第二水雷戦隊解隊に伴い、第三十一戦隊は連合艦隊直属となり、本土決戦に向けた「海上挺身部隊」が5月20日に新設されると榧も同部隊所属となる。
    出撃の機械のないまま訓練と待機を続けるが燃料欠乏のためそれも難しくなるとらと共に山口県屋代島の日見海岸に疎開、榧、桐、竹の3隻が横一列に並んで係留されカモフラ―ジュが施された。このカモフラ―ジュが功を奏したか、その後は空襲を受ける事もなく、そのまま終戦を迎える事になる。

戦後

  • 戦後は12月1日に特別輸送艦に指定されて復員輸送に従事した後、賠償艦としてソ連に引き渡され、艦隊水雷艇*15「Волевой(ヴァリヴォーイ)」として1949年まで在籍し、1949年2月に予備役、6月に除籍され武装解除の上「第23標的艦」に転身する。その際名前も「TsL-23」に変更された。1959年に退役し解体、波乱の生涯を異国の地で終えることになった。
  • 艦名の「カヤ」(榧)は、イチイ科の常緑針葉樹。庭園樹として植栽されるほか、材木は建築材や家具等、種子は食用・油脂用・生薬として利用される。
    特に高級碁盤・将棋盤の素材として珍重され、中でも宮崎県産の日向榧が最高級品とされている。木取りによっては価格は数十万~数百万円以上にもなるという。
    一方、果実の種子は食用となり、見た目と炒った時の芳香から和製アーモンドに喩えられることもある。漢方では榧子・榧実と呼ばれ、虫下しや夜尿症、頻尿に効用があるとされている。
    また、果実に多く含まれる油脂分は食用や灯火用、碁盤・将棋盤の手入れ用等として利用される。
  • 「榧」の名を持つ艦船としては本艦は2代目。初代は1920年に就役した樅型駆逐艦の2番艦で、1940年に除籍。
  • 3代目はアメリカからの供与艦であるくす型護衛艦8番艦「かや」(PF-288)。元はタコマ級哨戒フリゲートの「サンペドロ」(PF-37)で、1953年に日本へ貸与(後に供与)され、保管船YAC-23への区分変更を経て1977年に除籍。くす型護衛艦の中で最後に退役した艦であった。なお、除籍後は実艦標的として改装され、開発中の国産地対艦ミサイル(後の80式空対艦誘導弾/ASM-1)の標的として1979年に撃沈されている。

この艦娘についてのコメント

  • 戻ってE2-1掘りと考えてたが泥率とガシャンの精神衛生的なこと考えるとそのままE3-3で掘るのもアリか、やまむさじゃなくサブネルソンだからそれほど重くないし -- 2025-03-15 (土) 03:11:25
  • 駆逐艦梨(前後、海上自衛隊の護衛艦わかば)の実装はまだですかねぇ? -- 2025-03-15 (土) 05:41:22
  • 艦歴が細かくなってて嬉しい~こう言う歴史を知れるところがいいゲームだなって思う -- 2025-03-15 (土) 18:36:17
  • 沼っているので祈願書き込み -- 2025-03-15 (土) 22:56:17
    • E2-1にて無事に着任できました。ありがとうございます。 -- 2025-03-16 (日) 23:16:31
  • 榧…かや…KAYA…こみっくパーティ…? ウッアタマガ -- 2025-03-15 (土) 23:48:29
  • ダメだ。e2-1とe3-3を合わせて100周したが全然ドロしない。後段にも影響するし榧掘り放棄して一時撤退だな。まさかドロップ艦をイベ後に任務指定するようなことはしないと信じる…… -- 2025-03-16 (日) 03:46:27
  • E3-3丁で掘って約3日目、全然出る気配無し。油も弾もほぼ満タンから半分切った。そろそろ出て欲しい。長門も明石も見飽きたよ…… -- 2025-03-16 (日) 03:53:05
  • 前段甲完走後ドロ率高いE3-3で掘ってるが、全然出ねぇ! 大和武蔵使って掘ってるからそろそろ出てもらわんと後段の為に資源が・・・早よ来て!お願い! -- 2025-03-16 (日) 05:38:12
  • 俺はE3-3沼りそう(サブ戦力のためSが安定しない)だったから速攻でE2-1に戻したわ… -- 2025-03-16 (日) 05:49:03
  • 戦闘妖精雪風の二次創作本が頭を過る……。 -- 2025-03-16 (日) 12:19:03
    • その話くわしく -- 2025-03-16 (日) 22:25:23
  • まだクリア出来てないんだけど E3-3ってLマスとかボスの編成って最終編成の前に戻るの? Lマスとかネ級改のままならとても掘りなんて出来そうにない -- 2025-03-16 (日) 12:47:38
    • そら戻るよ、というかクリア後がラスダン編成で固定されたケースって過去あったっけ? -- 2025-03-16 (日) 15:31:46
      • ないわけじゃなかった。14年に実装された3-5の各マスが最終形態で固定されるのもその名残。ただイベントドロップのレア艦がそういうボスに配置されてると削りでドロップしなかった=ほぼ諦めになるっていうんで、削りの編成に戻るようになった。 -- 2025-03-16 (日) 16:09:54
    • クリア後は装甲破砕状態+ラスダン前編成(道中敵も含む)になるよ -- 2025-03-16 (日) 15:39:51
    • すまねぇ E2-1で試しに掘りしたら一発目で出たわ・・・ あとはE1に戻って大泊掘ればいい -- 2025-03-16 (日) 21:40:50
      • 大泊もそこで出る(出た)からそのまま出撃するとよいぞ -- 2025-03-17 (月) 03:58:15
      • むしろ大泊はE2の至るところでドロップするみたいだしなぁ…うちはギミックのラ級が落としていきましたわ -- 2025-03-17 (月) 05:13:57
  • 段々腹立ってきた、マジで全然出ねぇわ く〇ったれ -- 2025-03-16 (日) 15:38:30
  • 上に同じく。3-3 S勝利も安定しない。油も10万とんだ。新艦のドロ率は考えてもらいたい。 -- 2025-03-16 (日) 17:00:52
  • 早くお迎えしないとアシタカが旅立てない -- 2025-03-16 (日) 18:42:02
  • E3乙完走したからE2で掘ろうと思ったらE3のほうが良さそうな感じか… -- 2025-03-16 (日) 20:43:22
    • Aでも出るからガシャンがあるE2-1よりもだいぶ出やすい、梅とかを一緒に狙いたいならE2-1もなしでは無い。逆にガングートが欲しいなら取りあえずE3-3掘りになると思う、こいつも乙ならAでも出る。 -- 2025-03-17 (月) 11:38:20
      • サンクス。確率高くなさそうだし気長に掘るわ… -- 木主 2025-03-18 (火) 00:56:07
  • E3-3甲で戦力削り2回目にボスマス(X)A勝利で出てしまった。全く予想も期待もしていなかったのだが。物欲センサー健在だわ。 -- 2025-03-17 (月) 17:21:19
  • 先週末、E3丁で攻略は終わったが榧は出なかった。後段開放までの間、今日から榧掘りで時間を潰すことになるのかと思ったら、1戦目で出てきた。フルマラソンも覚悟してたのにスタート1発目って・・・大泊もラスボス削り1戦目で出たし、今回の新造艦たちはサービスが過ぎる(笑。 -- 2025-03-17 (月) 20:38:35
    • 来てくれたことに感謝しつつ、恒例の単艦出撃→大破撤退、執務室での中大破姿の鑑賞・・・大泊と同じで肌色少なめ。いや、若干多いのかな? -- 2025-03-17 (月) 20:52:14
  • 100周越えたがカスリもしねぇ、5%って本当か? -- 2025-03-17 (月) 21:42:24
    • 当然ウソです -- 2025-03-17 (月) 22:32:12
    • 「本当だぴょん!!」って卯月が言ってたよ -- 2025-03-18 (火) 22:50:46
    • E3-3で100周超え、ワイ以外にもおったか -- 2025-03-19 (水) 00:12:43
    • ここにも1匹いますよ。ワフー2人目がこれ、当たりの配送ミスだったんだきっと… -- 2025-03-19 (水) 00:57:30
  • きてね。E2-1で待ってる -- 2025-03-18 (火) 02:37:58
  • E2-1ただいま100周に到達、さあ沼ってきました -- 2025-03-18 (火) 15:13:16
  • E3-3丙で掘ってるが、丙でもSでしか出なさそうで、S安定しないので結構つらい -- 2025-03-18 (火) 15:43:37
  • 2日半(約60周、S55)でやっと来た、燃料8万消えたわ -- 2025-03-18 (火) 20:02:56
  • 浦波ばかり20回ほど出ている…w -- 2025-03-18 (火) 20:54:10
  • E3-3でやっとこさお出迎え。戦艦3の連合掘りは資源的にキツかったが副産物に海防艦大量だから精神的にはまぁマシか -- 2025-03-18 (火) 21:32:18
  • E2-1堀4回目でお迎え(゚∀゚) -- 2025-03-18 (火) 21:45:03
  • 戦歴の記述、終戦前に竹・桐・榧の3隻が横一列に並んで係留されカモフラ―ジュが施されたとあるけど、この時の3隻は竹・槇・榧のはず(桐はその対岸で花月・蔦と碇泊) -- 2025-03-18 (火) 22:49:40
  • E3-3掘りで沼り -- 2025-03-18 (火) 22:57:28
  • ダメだこれ!無念の一時撤退!乾燥したらまた来るからね… -- 2025-03-19 (水) 00:54:44
  • E2-1甲ちょうど108周でお迎え…サブももちと海防艦いっぱいきたからヨシ! -- 2025-03-19 (水) 03:04:56
  • サイヤ人の戦闘服みたいな格好しやがってーー!!榧、お前がナンバーワンだ。 -- 2025-03-19 (水) 03:22:16

提案意見掲示板からのお知らせ

  • ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、wiki内神社というページが設置されました!ぜひご利用ください。

  • 建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
    ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

*1 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*2 茅(もしくは萱)はチガヤ、スゲ、ススキなどの草本を刈り取ったものの総称であり、裸子植物であるイチイ科の榧とは植物系であること以外の共通点はない。
*3 他に「樫」「檜」「楓」「伊201潜」等
*4 、樅の3隻
*5 なお、この海戦で初めて実施された「神風特別攻撃」は第二航空艦隊ではなく第一航空艦隊が実施したものなので、第二航空艦隊はこの時点では特攻作戦は行っていないので注意
*6 開戦時は磯波艦長、ガダルカナル戦前に雪風艦長に移動して数々の激戦を戦い抜いた。艦長退任時の『私が去っても雪風は沈まない。雪風に神宿る―「雪風に神宿る」だ。』は幸運艦「雪風」を象徴する名言である。その後榛名副長等を経て台湾沖航空戦たけなわの1944年10月15日に同駆逐隊司令として着任していた
*7 1944年12月14日から19日かけてフィリピン東方面を台湾に向けて横断した大型台風で、周辺で作戦行動していた日米両艦艇にそれぞれ影響を与えた。特に米軍艦艇は元々対空兵装増加等の影響もあって高重心な船が多く、空母も格納庫が開放式でこういった大荒れの海上に弱い等もあり、17日夜から18日にかけて駆逐艦3隻が沈み、軽空母モントレー以下3隻、護送空母3隻、軽巡1隻、駆逐艦3隻が深刻な損害を受け、戦艦Iowa、空母エセックス他3隻、護送空母2隻、重巡1隻、駆逐艦7隻、他3隻が損傷した。空母も収容していた艦載機が波浪で破壊され146機も失ってしまう。最終的には790名の将兵が死亡・行方不明となり、その損害はレイテ沖海戦での損害を上回った
*8 但し岩淵艦長の回想では死者は30名以上だったともいわれている
*9 海兵50期で開戦ほどなく建造中の駆逐艦風雲艤装委員長を務める。風雲竣工後は艦長としてミッドウェー海戦やソロモン諸島での一連の戦いに参加、大湊警備府参謀を経て第43駆逐隊司令となる。その後第41駆逐隊司令に移動して駆逐艦冬月に乗艦、坊ノ岬沖海戦では大和矢矧が沈み、磯風航行不能、朝霜行方不明と、艦隊司令、戦隊司令、駆逐隊司令の乗艦が皆やられてしまい、冬月に乗る吉田が唯一健在な司令となったので、次席指揮官である二水戦司令古村啓蔵少将が救助され指揮が出来るようになるまでの間、残余戦力による生存者救助や連合艦隊への報告等を行う。なお、特攻作戦である同作戦に対して、連合艦隊が16時39分に中止命令を出した要因として、15時50分頃に発信した吉田の報告電文が要因であったという見解もある。戦後は第2復員官として鳳翔艦長となり復員作業に従事する
*10 南西方面を管轄する南西方面艦隊が米軍のフィリピン侵攻で周辺海域の指揮まで手が回らなくなったため、南西方面艦隊所属で在フィリピンではない部隊を指揮管轄するために編成された方面艦隊
*11 開戦時は綾波艦長として第三次ソロモン海戦の死闘まで指揮を執る。その後は玉波艤装委員長(後初代艦長)、冬月艤装委員長(後初代艦長)を経て吉田氏と入れ替わるように第43駆逐隊司令となる(吉田氏は第41駆逐隊司令として冬月に着任した)。同職のまま終戦を迎え戦後は第2復員事務官として北上艦長、鳳翔艦長代理を務める。彼について(特にお酒にまつわる話)は綾波のページにも詳細があるので一読をお勧めする
*12 、杉、樫、桐、槇など
*13 第二艦隊基幹の作戦部隊
*14 磯風浜風雪風
*15 ソ連でいう駆逐艦のこと