|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.592|
|&attachref(./592.png,nolink,あたしが来たからには、艦隊はもう万全だな。);|>|杉(すぎ)|>|松型 7番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|14|~火力|5 / 24|
|~|~装甲|5 / 22|~雷装|16 / 66|
|~|~回避|29 / 70|~対空|22 / 63|
|~|~搭載|0|~対潜|28 / 74|
|~|~速力|高速|~索敵|8 / 26|
|~|~射程|短|~運|16 / 73|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|15|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm単装高角砲(後期型)]]|
|~|>|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''杉'' → [[杉改]](Lv46+高速建造材x17+開発資材x22)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:松型……ま、丁型でいっか、駆逐艦、杉だ。あの大戦後期に生まれたけれど、結構いろンな作戦に参加したぜ。&br;中でも礼号作戦、あれは忘れねぇ。戦局はもう最低の最低だったけど、それでも小さな小さな勝利は掴み取った。後は皆、繋いでくれよ?頼んだぜ。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:倉西希奈、イラストレーター:海原さかな (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:倉西希奈、イラストレーター:海原さかな
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>杉/定型ボイス]])
#table_edit(杉/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>杉/時報ボイス]])
#table_edit(杉/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>杉/季節ボイス]])
#table_edit(杉/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2025春イベント後段作戦『[[北海道防衛作戦]]』E4にてドロップ艦として初登場。

//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2025/03/23:[[イベントドロップ艦>北海道防衛作戦/E4]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-初出は舞台「突入!礼号作戦1944」。演者の立野沙紀氏は艦娘遊撃隊の[[春雨]]および[[北上]]役でもある。
また、艦娘・衣装デザインは海原さかな氏が担当している((https://x.com/c2_staff/status/1892218171052249226 https://x.com/C2_STAFF/status/1893269404890341646))。セーラー服風の全体デザインや色合い、腹部の重ね着風パーツ、スカーフのアクセント等々、[[松]]~[[桃]]の4隻を担当した渡辺明夫氏のデザインをリスペクトしたものになっている。
なお、「C2機関 艦娘Special Stage in呉鎮守府2025夏」の杉・樫・[[榧]]のキービジュアルはコニシ氏が作画している。
--実は25春イベにおいて「ミンドロ島突入に参加できる杉&color(white){と};[[&color(white){清霜};>清霜]]」というのは''舞台版ではありえなかった最大のifだったりする''。&color(silver){その代わり樫がいないけど};
---一方、後述するように杉は史実でミンドロ島に突入しているので、舞台における「ミンドロ島突入に参加できなかった杉」自体も''史実との分岐点となったif''と言えなくもない。
--なお、''倉西希奈氏は立野沙紀氏のファン''である事が「C2機関 艦娘Special Stage in 呉鎮守府2025」にて杉のCV発表と共に明かされた。&color(silver){艦これに新たな[[&color(silver){限界化声優};>L.d.S.D.d.Abruzzi]]が誕生した瞬間であった。};
---当人達の発言によると、倉西氏が杉の声を収録するよりも先に立野氏が杉を演じていたとの事で、倉西氏は後から杉を舞台で立野氏が演じる事を知ったという。
&color(silver){舞台は見に行けなかったので脳内で立野氏の杉をシミュレートしたらしい};
-キャラクターの性格等については[[改>杉改]]の欄にて。
//**期間限定グラフィック [#graphic]

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}

#fold(艤装員長・駆逐艦長){{
艤装員長・駆逐艦長(日本海軍駆逐艦「杉」として)
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):210|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):570|c
||艦長氏名(期・本籍)&br;配属期間|他の経歴・小ネタ|
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:210|570|c
|&nobr{艤装員長 };&br;初代|菊地敏隆 少佐(62((海兵62期の同期は初霜最後の艦長の酒匂雅三少佐や戦後雪風の艦長になった佐藤精七少佐など。))・埼玉) &br;&nobr{1944.7.15~8.25(艤装員長)};&br;1944.8.25~(不明)(艦長)|[[五月雨]]水雷長を経て開戦時は[[有明]]水雷長。少佐昇進後[[那智]]水雷長。杉艤装員長、引き続き艦長。|
}}
**艦歴 [#bfb7f234]
-駆逐艦「杉」は松型駆逐艦の7番艦で、1944年(昭和19年)2月25日に起工し、同年7月3日に進水、同年8月25日に竣工した。
-松型は従来の艦隊決戦の補助としての能力に主眼を置いていた甲型駆逐艦たちと比べて量産性を重視していた。
--経緯や性能等の詳細は[[長姉>松]]の項に譲るが、昭和17年の後半から始まったソロモン方面での死闘で多くの駆逐艦を失った日本海軍は
・従来の駆逐艦よりも小型化して限られた資源の中で数を揃える事を優先
・合わせて工作規模の見直しをして工数を減らす
・武装の重点を対艦から対空対潜に移す
といった方向性でその穴埋めのための駆逐艦建造を企図、紆余曲折を経て((といっても今まで艦隊決戦一本やりの駆逐艦を作ってきた日本海軍が急に量産性重視の艦を、と言われても直ぐに具体的な形を導き出すのは困難で、1942年12月から候補として挙がった案は夕雲型・朝潮型・白露型をタイプシップとして設計計画されていたため工数が殆ど従来と変わらず主旨を理解していないものだったり、機構面の複雑さによる量産性の低さがネックの長8㎝連装高角砲を主砲に採用していたりと選定は難航した。結局10案出た中でH案が採用されたが、機関を鴻型水雷艇で採用していた量産性の高いものを搭載し、武装も無理のないものとなった))H案を採用、従来の艦隊型駆逐艦とは明らかに一線を画する駆逐艦が誕生した。
---松型とそれまでの駆逐艦と一線を画するものとして建造日数の差が特に明確に違っている。
''松型駆逐艦((船体構造を見直している改丁型(橘型)は除く))各艦の工程日数と造船所''
|~艦名|~起工日|~進水日|~竣工日|~かかった日数|~造船所|h
|[[松]]|1943年8月8日|1944年2月3日|1944年4月28日|264日|舞鶴|
|[[竹]]|1943年10月15日|1944年3月28日|1944年6月16日|245日|横須賀|
|[[梅]]|1944年1月25日|1944年4月24日|1944年7月25日|182日|藤永田|
|[[桃]]|1943年11月5日|1944年3月25日|1944年6月10日|218日|舞鶴|
|桑|1943年12月20日|1944年5月25日|1944年7月25日|218日|藤永田|
|[[桐]]|1944年2月1日|1944年5月25日|1944年8月14日|195日|横須賀|
|[[杉]]|1944年2月25日|1944年7月3日|1944年8月25日|182日|藤永田|
|槇|1944年2月19日|1944年6月10日|1944年8月10日|173日|舞鶴|
|樅|1944年2月1日|1944年6月16日|1944年9月7日|219日|横須賀|
|[[樫]]|1944年5月5日|1944年8月3日|1944年9月30日|148日|藤永田|
|[[榧]]|1944年4月10日|1944年7月30日|1944年9月30日|173日|舞鶴|
|楢|1944年6月10日|1944年10月12日|1944年11月26日|142日|藤永田|
|桜|1944年6月2日|1944年9月6日|1944年11月25日|176日|横須賀|
|柳|1944年8月20日|1944年11月25日|1945年1月18日|151日|藤永田|
|椿|1943年6月20日|1944年9月30日|1944年11月30日|163日|舞鶴|
|檜|1944年3月4日|1944年7月4日|1944年9月30日|210日|横須賀|
|楓|1944年3月4日|1944年7月25日|1944年10月30日|240日|横須賀|
|欅|1943年6月22日|1944年9月30日|1944年12月15日|176日|横須賀|
---これに対し従来の艦隊型駆逐艦で同時期頃に作られた駆逐艦の工数はご覧の通りである
|~艦名|~艦級|~起工日|~進水日|~竣工日|~かかった日数|~造船所|h
|[[清霜]]|夕雲型駆逐艦|1943年3月16日|1944年2月29日|1944年5月16日|427日|浦賀|
|[[冬月]]|秋月型駆逐艦|1943年5月8日|1944年1月20日|1944年5月25日|383日|横須賀|

---夕雲型や秋月型と松型では工数に明確な差がでているのに分かる。それまでの艦は起工から竣工まで1年以上を要するものだったが、松型はそれを大きく短縮、中には5か月かからずに完成している艦もある。
それでいてこの頃の海戦の主要戦闘法となっていた対空・対潜戦闘力は甲型駆逐艦を上回り、電探やソナーもより新型のを搭載していたのだから、まさに「時期にあった」兵器であったと言える。
#fold(艦名の由来){{
-艦名の「杉(スギ)」は、ヒノキ科スギ属の常緑針葉樹で、日本固有種である。成長が早く加工しやすいため、古くから材木として利用され、建築・家具・日用品等幅広い用途に使われている。
その用途の広さから日本では最も広く植林され、その面積は日本の人工林の45%に達する。全国の産地で地域名を冠してブランド化されているほか、神社などの神木とされたり天然記念物に指定されているものも多い。
しかし一方で、その植林面積の広さ故に、春先の2~4月に大量に飛散する杉の花粉によるアレルギー症状、いわゆるスギ花粉症が1960年代から日本において蔓延するようになり、今や国民病とまでいわれるようになってしまっている。
&color(silver){そんな花粉症に悩まされる春の季節に「杉」の名を冠する艦娘が実装されたのは皮肉というべきか……};
}}
-「杉」の名を持つ艦船としては本艦は2代目。初代は1920年に就役した樺型駆逐艦の9番艦で、1932年に除籍。
--3代目は海上自衛隊のくす型護衛艦5番艦「すぎ」(PF-285)。元はタコマ級哨戒フリゲートの「コロナド」(PF-38)で、1953年に日本へ貸与(後に供与)され、1969年に除籍、アメリカへ返還された。なお、除籍後は再び無償供与されて実艦標的となり、1971年に護衛艦の射撃標的として撃沈されている。
--4代目となるさくら型哨戒艦4番艦「すぎ」(OPV-904)が、2026年3月13日にJMU横浜事業所磯子工場にて進水した。同3番艦「ひのき」(OPV-903)との同時進水で、共に2027年3月の就役を予定している。 
&color(silver){去年の艦これでの杉実装に続き、リアルでも花粉症に悩まされる春の季節に「ひのき」「すぎ」の名を冠する自衛艦が進水するという皮肉};
---近年の日本周辺海域での中国やロシアの活動活発化を受け、平時の警戒監視任務に特化した艦艇として計画されたのがさくら型哨戒艦である。大きさはかつての松型駆逐艦やあぶくま型護衛艦とほぼ同等だが、固有兵装は30mm単装機関砲1門のみとされ、省人化・自動化により乗員30人での運用が可能となっている。1番艦「さくら」と2番艦「たちばな」は2025年11月13日に進水し、12隻の建造が予定されている。
&br;
***初任務 [#o3df8fba]
-竣工後、8月25日に杉はこの頃完成した艦艇の登竜門である[[第十一水雷戦隊>https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08030127600]]に配備される。当時の十一水戦旗艦は姉妹艦の「桑」((従来旗艦を務めていた[[長良]]が8月7日に潜水艦の攻撃で戦没したため、桑が旗艦を務めていた。その後8月30日付で旗艦は[[多摩]]となるも捷一号作戦では第十一水雷戦隊司令部自体は残留となったため、10月18日10時をもって旗艦は多摩から檜に変更となっている))。
--十一水戦司令官は高間完少将。太平洋戦争開戦時の[[榛名]]艦長で、1942年7月14日より第四水雷戦隊司令官。[[由良]]や[[長良]]を旗艦にしたが、第三次ソロモン海戦では[[朝雲]]を旗艦にして夜戦に参加した。当時の四水戦の部下には[[時雨]]や[[夕立]]がいる。
-訓練部隊である第十一水雷戦隊だが、この頃の日本海軍は戦力も枯渇しだし、練習途上であっても前線に動員するような状態だった。そのため第十一水雷戦隊も来る連合軍との決戦を企図した作戦「捷号作戦」で第一線部隊として投入されることが決定し、8月1日付で編成された「第二遊撃部隊」に編入される事になっていた。
--第二遊撃部隊は第五艦隊司令長官志摩清英中将を指揮官とする、小沢機動部隊の前衛((ここで想定している「前衛」という役割は大まかにいうと、①空母機動部隊に迫る敵を撃退し、なおかつ機宜に応じて敵艦隊を追撃し戦果を拡大する。②「前」衛と呼称しているように機動部隊から離れてその前方、敵機動部隊と自機動部隊との間を進軍し、攻撃に向かう敵航空部隊を捕捉してこれを引き付け、結果自身の機動部隊を敵機の魔の手から防ぐ。というものである。これまでは第二艦隊がこの任務を務め、南太平洋海戦では機動部隊前方を進軍して敵機を引き付け[[筑摩]]が大破しつつも、機動部隊への敵航空隊襲来は1回のみに抑える事に成功している。マリアナ沖海戦でも前衛は栗田健男中将の第二艦隊が務め、第三航空戦隊を加えた体制で小沢機動部隊前方に展開していたが、この時は後方からやってきた小沢艦隊麾下の航空隊を「敵航空部隊」と勘違いして砲撃してしまうというチョンボを犯したりもしている))を担う事を目的として編成された部隊で、それまで主戦場とはならなかった北方海域を担当していて戦力も残っていた第五艦隊((志摩長官直率の第二十一戦隊([[那智]]、[[足柄]]、[[木曾]]、[[多摩]])と、木村昌福少将指揮の第一水雷戦隊([[阿武隈]]、第七駆逐隊、第十八駆逐隊)))に、第二戦隊が解隊され連合艦隊直属となっていた[[扶桑]]、[[山城]]((その後9月10日に扶桑と山城で第二戦隊が再編され、24日に第一遊撃部隊(栗田艦隊)に転出した。本当なら、扶桑と山城は第二遊撃部隊の貴重な戦艦戦力だった))、第十戦隊より第六十一駆逐隊((当時は[[秋月]]、[[初月]]、[[涼月]]、若月))、そして第十一水雷戦隊で構成する予定だった。
---だが小沢長官の意見具申((第一遊撃部隊への戦艦戦力、直掩航空戦力の増強))により扶桑と山城は第一遊撃部隊への編制替えとなってしまい、六十一駆も結局機動部隊本隊に残留、木曾は横須賀砲術学校の練習艦に指定されて転属、多摩は第十一水雷戦隊の旗艦に異動したがその[[第十一水雷戦隊自体が1944年10月14日付で第二遊撃部隊から機動部隊本隊に所属がかわってしまい>https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08030127700]]、いざ捷号作戦が発動された際、その戦力は大きく減少してしまった。
-「榧」もそうだったが風雲急を告げるこの時期は訓練途上でも前線に投入される艦艇が殆どであり、所属替え翌日の15日には小沢艦隊司令部より駆逐艦[[秋月]]と共に鹿児島への弾薬輸送を命じられる((厳密には杉が指名された訳ではなく、小沢艦隊司令部からは「秋月及び第十一水雷戦隊所属の艦から1隻」という指示であった))。
--同時期に秋月の姉妹である[[涼月]]、若月にも台湾高雄への航空隊人員等の輸送任務が命じられている。台湾沖航空戦たけなわのこの時期の輸送任務は危険であり、涼月幹部は抗議したようだが却下されてしまう。だが彼らの不安は的中し、16日22時ごろ都井岬沖を航行中の涼月は米潜水艦の奇襲を受け2度目の艦首切断という損害を受け撤退、後のレイテ沖海戦に参加出来なくなってしまう。
---付近を航行していた秋月、杉に対して、損傷した涼月に搭載していた人員、物資の移載と台湾輸送継続の命令がくだる。4隻はとりあえず鹿児島に入港、杉と秋月は予定通り弾薬を鹿児島に降ろすが、結局「捷一号作戦」が発動し小沢艦隊麾下の彼女らは本隊に合流する必要が出たため、台湾への輸送は[[鹿島]]、[[卯月]]、夕月らに委ねられ、3隻は損傷した涼月を護衛しつつ本隊と合流した。

***レイテ沖海戦 [#p6dab3ed]
-1944年10月20日、数日前からレイテ湾に侵入していた米攻略部隊がレイテ島に上陸を開始する。捷一号作戦を発動した連合艦隊は、17日9時過ぎに小沢艦隊にも出動を命じる((この命令は、連合艦隊が数日前の台湾沖航空戦で、「当分機動部隊を作戦に使うことはないから」と明言して、練成途上の航空部隊を台湾に出動させていたのにもかかわらず、その舌の根が乾かぬうちの出動命令であったため、小沢機動部隊司令部では激怒した参謀も多かったそうである))が、警戒部隊の主力となる筈の第二遊撃部隊は台湾沖航空戦大勝利の速報を受けて残敵掃討のため出撃していた。そのため、空母戦力の警戒部隊が不足している状況だった。台湾沖航空戦大勝利の大誤報に踊らされた連合艦隊の失策である
--この17日9時時点で、小沢長官が掌握している戦力は海上戦力で三航戦(([[瑞鶴]]、[[瑞鳳]]、[[千歳]]、[[千代田]]))、四航戦(([[日向]]、[[伊勢]]、[[隼鷹]]、[[龍鳳]]))、艦隊直属の[[大淀]]((10月5日付で連合艦隊旗艦の任を解かれ空母機動部隊の基幹戦力である第三艦隊に配属されていた。))、六一駆(([[初月]]、[[秋月]]、[[涼月]]、若月))、四一駆((霜月、[[冬月]]))、十一水戦(([[多摩]]、[[榧]]、樅、[[杉]]、樫、檜))、航空戦力は練成途上の六〇一空、何かしらの事情で台湾方面に進出しなかった六三四空の残余機のみという状況である。このうち涼月と冬月は損傷して修理中だったため、隼鷹と龍鳳は搭載する艦載機がなく戦力として運用できないため、それぞれ出撃艦艇から外された。十一水戦も多摩と杉のみの参戦となり、残りは龍鳳らと共に台湾への緊急輸送任務に加わった榧以外は残留となった。
---結局第二遊撃部隊は、小沢艦隊と合流することなく台湾方面に移動し、レイテ沖海戦ではスリガオ海峡から突入する第一遊撃部隊第三部隊、通称「西村艦隊」と連携するため続航する事になった。
-小沢艦隊の前衛戦力不足について連合艦隊は、対潜掃討部隊である第三十一戦隊から[[五十鈴]]、桐、槇、桑を小沢艦隊の指揮下に入れて第二遊撃部隊の代用とし、小沢機動部隊の護衛戦力とした((作戦発動及び第二遊撃部隊の代わりの前衛戦力が決定された10月18日時点で、第十一水雷戦隊は既に小沢機動部隊の所属である(第十一水雷戦隊の機動部隊本隊編入は10月14日付)。公判戦史である「戦史叢書」でも第二遊撃部隊の代行として加えたのは「第三十一戦隊」とあり、「第十一水雷戦隊は第二遊撃部隊が出撃して不在だったためにこれに代わる戦力として充当された」という話は事実でなはい。仮に第二遊撃部隊が予定通り機動部隊本隊として行動する事になったとしても第十一水雷戦隊も機動部隊本隊に加わる予定であった。))((やはり第十一水雷戦隊は訓練部隊であるためか、所属艦艇の多くは訓練不足のため残留となった。杉が選ばれた理由はこの直前まで秋月と共に内地で作戦行動中であり、燃料再補給さえ済ませれば即出動か可能であったからと思われる))。
--編成としては第三十一戦隊の旗艦を大淀に変更し、これに杉も加わった松型駆逐艦4隻も踏まえた「警戒隊第一駆逐連隊」((指揮官は第三十一戦隊(旗艦は大淀)の江戸兵太郎少将))。六一駆と四一駆を合わせた「警戒隊第二駆逐連隊」((指揮官は六一駆司令の天野重隆大佐(旗艦は初月)))。残された五十鈴と多摩で「巡洋艦戦隊」((指揮官は多摩艦長山本岩多大佐(山本大佐の方が五十鈴艦長松田源吾大佐よりも先任であるため)))を編成する...というような寄せ集めに近いような編成となってしまったが、ともかく杉は大淀の指揮下で初陣を迎える事になった。
-10月20日、第三航空戦隊(([[瑞鶴]]、[[瑞鳳]]、[[千歳]]、[[千代田]]))と第四航空戦隊(([[日向]]と[[伊勢]]のみの出撃)) を中核とする小沢機動部隊は豊後水道を出撃する。だが杉を含む松型駆逐艦は他の駆逐艦と比べて燃料の積載量が少なく頻繁に補給をする必要があった。杉は22日に空母[[千歳]]から洋上補給を受けている((小沢艦隊側の戦闘詳報の記述による。但し千歳側の記録では桑になっている))。だが訓練不足もあり補給作業は難航、杉は予定量の搭載に成功したが他艦の中には予定量の半分も補給できなかった艦が続出し((五十鈴が計画量200tに対して75t、桑が100tに対して75t、桐が100tに対して30tしか補給できなかった))、なかには管を切断してしまう艦も出てきたため、結局補給は中止された。
-10月24日、この日は小沢機動部隊から「機動部隊最後の航空隊」が出撃し、米機動部隊をおびき寄せるための反撃がなされていた。そうした中で上空警戒任務に就いていた零戦の1機が瑞鶴への着艦に失敗、洋上に墜落してしまう。更に搭乗員を救助しようと瑞鶴の乗員1名が海に飛び込み、両者は洋上を漂流する事になる。
そうした中、瑞鶴より杉と姉妹艦の桐に救助命令がくだり、2隻は反転して漂流現場に急行する。
--2隻は無事に漂流者を発見救助する。だが残念ながら搭乗員の方は既に死亡しており、飛び込んだ乗員1名のみの救助となった。
こうして指示を務めた2隻は本隊と合流すべく反転するが小沢機動部隊を見失ってしまう。
捜索を続けた2隻は深夜になり複数の艦影を視認する。友軍だと思った桐の川畑艦長はこれに続行するが、上空を米軍の夜間哨戒機が飛来し、英語の無線通信が混線したことから、2隻は前を行く艦影は米機動部隊だと判断、慌てて退避行動をとり逃げ出してしまう。
---川畑艦長はこれを「米機動部隊」だったと思っていて、後年の回想録でもそう述べているが、当時の状況から恐らくこれは米機動部隊ではなく前衛として分離先行していた松田少将指揮の前衛部隊([[日向]]、[[伊勢]]、[[秋月]]、[[初月]]、若月、霜月)だったと考えられている。
--結局元々燃料補給が満足にできていない桐は燃料が不足しだしたので、独断で高雄に撤退、杉もこれに同行したので、翌25日の凄惨な対空戦闘に杉は参戦する事はなかった。
---なお、桐と杉の行動について公式報告には「燃料補給が出来ずに不足しだした桐に杉を護衛につけて撤退させた」とあり、溺者救助や誤認騒動の事は触れられていない。司令部側の判断で問題視はされなかったようである。このほかにも「伊勢型戦艦の低速力(編隊速力22ノット)、松型駆逐艦の航続距離が短いために、三航戦(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)の機動部隊としての行動が制限された」「母艦部隊を有効に使用するには少なくとも(編隊速力)24ノット以上にて相當航続力大なるものを以て機動部隊を編成すること緊要なり。」…と報告と評価がなされている。

***多号作戦 [#h9231dc8]
-10月26日に高雄についた2隻は奄美大島等を経由して10月30日に呉に帰還する。だが杉は休む間もなくレイテ沖海戦から帰還した[[伊勢]]、[[日向]]、[[五十鈴]]らと南方輸送部隊「H部隊」を編成、11月9日に五島列島を出撃して14日に南沙諸島に到着、翌15日に松型駆逐艦5隻で新たな駆逐隊「第52駆逐隊」を新編しマニラに進出、多号作戦に参加する事になる。
--杉は第8次作戦から参加、姉妹の[[梅]]、[[桃]]他駆潜艇や輸送艦からなる部隊で指揮は梅に座乗する第43駆逐隊司令の菅間良吉大佐が務めた
---だが作戦中に米軍のオルモック上陸が発生し、増援部隊を送る港湾だったオルモック湾は危険地帯となり揚陸が難しくなった。揚陸をサン・イシドロに変更するが重火器の揚陸は出来ない地点であり、結局兵員のみの揚陸で終わってしまう(詳細は[[桃]]の項を参照)
この帰路、米軍機の攻撃を受けた杉は軍医長を含む戦死35名、負傷43名の損害を受けてしまう。
-結局多号作戦は米軍のオルモック侵攻、および12月15日のミンドロ島への上陸から中止となり、杉たちはマニラから脱出して南沙諸島に移動する。そして南西方面艦隊はミンドロ島サンホセにある米船団への殴り込み作戦を発令、南沙諸島にいた杉、樫、榧に白羽の矢があたる。だが同作戦は台風の影響もあり延期となる(詳細は[[榧]]の項を参照)
**礼号作戦 [#ac2866f9]
-12月20日、連合艦隊司令部は改めてサンホセへの殴り込み作戦を南西方面艦隊に督促する。大河内伝七司令長官は麾下の第二遊撃部隊に第二水雷戦隊を中核とした部隊に突入を命令、志摩中将により木村昌福司令官を指揮官とする挺身部隊が編成され、杉も第43駆逐隊の樫、榧とともに参加、榧艦長岩淵悟郎少佐の指揮下に入る((駆逐隊司令の萱間大佐はこの頃病気療養中であり、榧艦長が指揮を代行していた))。
-12月24日、カムラン湾を出撃した挺身部隊は偽装針路をとりながら進軍したためか、24日、25日は敵からの触接は受けなかった。26日未明にミンドロ島への針路をとり南下、16時半ごろ米爆撃機に発見される。
--挺身部隊を発見した米爆撃機は慌てたのか「戦艦1,巡洋艦1,駆逐艦6」と敵情報告する。実際の挺身部隊は「重巡1,軽巡1、駆逐艦6」であったのだが、米軍はその後も周辺にいた米陸軍機が部隊上空に現れるが数も少なく攻撃もせずに周囲を飛行するだけだった。
---彼らが攻撃しだしたのは日没後の20時45分頃からだった。当時は天候も晴れ月齢も11と日没後も艦隊は上空から丸見えという状態だった。まず[[朝霜]]が爆撃を受けるがこれを回避、21時には[[大淀]]も爆撃を受け250㎏爆弾2発が命中するが、慌てて出撃してきたからかどの爆弾も信管がついておらず爆発しなかったので難を逃れた。
---だが続いて狙われた[[清霜]]に幸運は訪れなかった。中央部に爆弾1発が命中し機関室を直撃、瞬く間に航行不能になり浸水も発生する。炎上する清霜はその後30分ほどで沈没するが、空襲を受ける杉ら他艦は清霜にかまう余裕もなく、部隊はそのまま進撃を継続する。損害は清霜だけにとどまらず、被弾したB-25が足柄に突入自爆、死傷者70名を出す大損害を出している
-空襲を受け、各艦に損害が出るも、杉の損害は軽微で死者はいなかった。挺身部隊はそのままマンガリン湾に突入、23時頃よりサンホセにいる敵部隊への攻撃を開始した。
--この攻撃で、どの艦がどういう戦果を挙げたのか、正確な記録はないが米軍は輸送船1隻が大破炎上、海岸の物資集積所や飛行場に損害が出たと報告している。
--なおマッカーサー司令部は「日本軍の艦隊が夜間に襲撃してきたが、爆撃機の夜間空襲と、魚雷艇の反撃で撃退された。我々の被害は最低限であった。連合軍の勝利である」と報道している。
---攻撃後、挺身部隊は撤退を開始するが、その帰路清霜沈没地点で生存者救助を旗艦[[霞]]、[[朝霜]]が実施、駆逐隊司令以下乗員343名中、隊司令、艦長含む256名が救助された((その他5名が米軍の捕虜になっている))。

***その後 [#l2854d22]
-礼号作戦は成功したが、大局を好転させるような大勝利には程遠かった。帰路で杉たちは挺身部隊から警戒部隊への復帰を命じられ、足柄や霞とは別行動になる。香港経由で台湾高雄に移動、1945年1月8日杉は第52駆逐隊司令艦となる。ここでマニラ以来行動を共にしていた榧は内地に戻り、杉も高雄で応急修理後佐世保への回航が決まる。1月21日の高雄空襲で更に損害を受けるが行動には支障はなく、船団護衛をしながら2月8日に佐世保に帰港する
--杉の修理が終わった頃には、第三十一戦隊は第二艦隊に所属していた。再度修理が必要になり入渠、その間[[大和]]と第二水雷戦隊の沖縄特攻作戦があったため、杉はそれにかかわることは出来なかった。5月20日、所属する第三十一戦隊を基幹とする海上挺身部隊が編成され、杉も姉妹たちと共にこれに加わる。だが燃料もなく、訓練もできない杉たちは待機する日々を過ごし、杉は呉でそのまま終戦を迎えた。
---終戦後は復員船として復員輸送に従事、1947年7月31日に賠償艦として中華民国海軍に引き渡され「恵陽」(フェイヤン)と命名された。だが幾多の戦闘で船体は痛み、満足に修理も受けれていなかった杉は再戦力化されずに放置され、国共内戦中の1949年5月に台湾に移動する際に座礁事故を起こし、そのまま1951年に除籍解体となった。
-そしてそれがら75年の時を経た2026年3月13日にさくら型哨戒艦の4番艦「すぎ」が進水した&color(silver){……のだが一緒に進水した3番艦がよりにもよって「''ひのき''」という花粉シーズン真っ只中にとんでもないオチを付けた};。

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