Last-modified: 2025-04-04 (金) 00:45:21
No.592
592.png杉(すぎ)松型 7番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久14火力5 / 24
装甲5 / 22雷装16 / 66
回避29 / --対空22 / 63
搭載0対潜28 / --
速力高速索敵8 / --
射程16 / 73
最大消費量
燃料15弾薬15
装備
12.7cm単装高角砲(後期型)
未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
杉改(Lv46+高速建造材x17+開発資材x22)
図鑑説明
松型……ま、丁型でいっか、駆逐艦、杉だ。あの大戦後期に生まれたけれど、結構いろンな作戦に参加したぜ。
中でも礼号作戦、あれは忘れねぇ。戦局はもう最低の最低だったけど、それでも小さな小さな勝利は掴み取った。後は皆、繋いでくれよ?頼んだぜ。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:未発表、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:未発表、イラストレーター:未発表*1

定型ボイス一覧?

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時報ボイス一覧?

#table_edit(): No such page: 杉/時報ボイス


季節ボイス一覧?

#table_edit(): No such page: 杉/季節ボイス


  • 初出は舞台「突入!礼号作戦1944」。演者の立野沙紀氏は艦娘遊撃隊の春雨役でもある。
    また、艦娘・衣装デザインは海原さかな氏が担当している*2
    • 実は25春イベにおいて「ミンドロ島突入に参加できる杉清霜」というのは舞台版ではありえなかった最大のifだったりするその代わり樫がいないけど
      • 一方、後述するように杉は史実でミンドロ島に突入しているので、舞台における「ミンドロ島突入に参加できなかった杉」自体も史実との分岐点となったifと言えなくもない。
略歴
艤装員長・駆逐艦長

艤装員長・駆逐艦長(日本海軍駆逐艦「杉」として)

艦長氏名(期・本籍)
配属期間
他の経歴・小ネタ
艤装員長
初代
菊地敏隆 少佐(62*3・埼玉)
1944.7.15~8.25(艤装員長)
1944.8.25~(不明)(艦長)
五月雨水雷長を経て開戦時は有明水雷長。少佐昇進後那智水雷長。杉艤装員長、引き続き艦長。
  • 駆逐艦「杉」は松型駆逐艦の7番艦で、1944年(昭和19年)2月25日に起工し、同年7月3日に進水、同年8月25日に竣工した。
  • 松型は従来の艦隊決戦の補助としての能力に主眼を置いていた甲型駆逐艦たちと比べて量産性を重視していた。
    • 経緯や性能等の詳細は長姉の項に譲るが、昭和17年の後半から始まったソロモン方面での死闘で多くの駆逐艦を失った日本海軍は
      ・従来の駆逐艦よりも小型化して限られた資源の中で数を揃える事を優先
      ・合わせて工作規模の見直しをして工数を減らす
      ・武装の重点を対艦から対空対潜に移す
      といった方向性でその穴埋めのための駆逐艦建造を企図、紆余曲折を経て*4H案を採用、従来の艦隊型駆逐艦とは明らかに一線を画する駆逐艦が誕生した。
      • 松型とそれまでの駆逐艦と一線を画するものとして建造日数の差が特に明確に違っている。
        松型駆逐艦*5各艦の工程日数と造船所
        艦名起工日進水日竣工日かかった日数造船所
        1943年8月8日1944年2月3日1944年4月28日264日舞鶴
        1943年10月15日1944年3月28日1944年6月16日245日横須賀
        1944年1月25日1944年4月24日1944年7月25日182日藤永田
        1943年11月5日1944年3月25日1944年6月10日218日舞鶴
        1943年12月20日1944年5月25日1944年7月25日218日藤永田
        1944年2月1日1944年5月25日1944年8月14日195日横須賀
        1944年2月25日1944年7月3日1944年8月25日182日藤永田
        1944年2月19日1944年6月10日1944年8月10日173日舞鶴
        1944年2月1日1944年6月16日1944年9月7日219日横須賀
        1944年5月5日1944年8月3日1944年9月30日148日藤永田
        1944年4月10日1944年7月30日1944年9月30日173日舞鶴
        1944年6月10日1944年10月12日1944年11月26日142日藤永田
        1944年6月2日1944年9月6日1944年11月25日176日横須賀
        1944年8月20日1944年11月25日1945年1月18日151日藤永田
        椿1943年6月20日1944年9月30日1944年11月30日163日舞鶴
        1944年3月4日1944年7月4日1944年9月30日210日横須賀
        1944年3月4日1944年7月25日1944年10月30日240日横須賀
        1943年6月22日1944年9月30日1944年12月15日176日横須賀
      • これに対し従来の艦隊型駆逐艦で同時期頃に作られた駆逐艦の工数はご覧の通りである
        艦名艦級起工日進水日竣工日かかった日数造船所
        清霜夕雲型駆逐艦1943年3月16日1944年2月29日1944年5月16日427日浦賀
        冬月秋月型駆逐艦1943年5月8日1944年1月20日1944年5月25日383日横須賀
  • 夕雲型や秋月型と松型では工数に明確な差がでているのに分かる。それまでの艦は起工から竣工まで1年以上を要するものだったが、松型はそれを大きく短縮、中には5か月かからずに完成している艦もある。
    それでいてこの頃の海戦の主要戦闘法となっていた対空・対潜戦闘力は甲型駆逐艦を上回り、電探やソナー最寄り新型のを搭載していたのだから、まさに「時期にあった」兵器であったと言える。
  • 艦名の「杉(スギ)」は、ヒノキ科スギ属の常緑針葉樹で、日本固有種である。成長が早く加工しやすいため、古くから材木として利用され、建築・家具・日用品等幅広い用途に使われている。
    その用途の広さから日本では最も広く植林され、その面積は日本の人工林の45%に達する。全国の産地で地域名を冠してブランド化されているほか、神社などの神木とされたり天然記念物に指定されているものも多い。
    しかし一方で、その植林面積の広さ故に、春先の2~4月に大量に飛散する杉の花粉によるアレルギー症状、いわゆるスギ花粉症が1960年代から日本において蔓延するようになり、今や国民病とまでいわれるようになってしまっている。
    そんな花粉症に悩まされる春の季節に「杉」の名を冠する艦娘が実装されたのは皮肉というべきか……
    • 「杉」の名を持つ艦船としては本艦は2代目。初代は1920年に就役した樺型駆逐艦の9番艦で、1932年に除籍。
    • 3代目は海上自衛隊のくす型護衛艦5番艦「すぎ」(PF-285)。元はタコマ級哨戒フリゲートの「コロナド」(PF-38)で、1953年に日本へ貸与(後に供与)され、1969年に除籍、アメリカへ返還された。なお、除籍後は再び無償供与されて実艦標的となり、1971年に護衛艦の射撃標的として撃沈されている。

  • 竣工後、8月25日に杉はこの頃完成した艦艇の登竜門である第十一水雷戦隊に配備される。当時の十一水戦旗艦は姉妹艦の「桑」*6
    • 十一水戦司令官は高間完少将。太平洋戦争開戦時の榛名艦長で、1942年7月14日より第四水雷戦隊司令官。由良長良を旗艦にしたが、第三次ソロモン海戦では朝雲を旗艦にして夜戦に参加した。当時の四水戦の部下には時雨夕立がいる。
  • 訓練部隊である第十一水雷戦隊だが、この頃の日本海軍は戦力も枯渇しだし、練習途上であっても前線に動員するような状態だった。そのため第十一水雷戦隊も来る連合軍との決戦を企図した作戦「捷号作戦」で第一線部隊として投入されることが決定し、8月1日付で編成された「第二遊撃部隊」に編入される事になっていた。
    • 第二遊撃部隊は第五艦隊司令長官志摩清英中将を指揮官とする、小沢機動部隊の前衛*7を担う事を目的として編成された部隊で、それまで主戦場とはならなかった北方海域を担当していて戦力も残っていた第五艦隊*8に、第二戦隊が解隊され連合艦隊直属となっていた扶桑山城*9、第十戦隊より第六十一駆逐隊*10、そして第十一水雷戦隊で構成する予定だった。
  • 「榧」もそうだったが風雲急を告げるこの時期は訓練途上でも前線に投入される艦艇が殆どであり、所属替え翌日の15日には小沢艦隊司令部より駆逐艦秋月と共に鹿児島への弾薬輸送を命じられる*12
    • 同時期に秋月の姉妹である涼月、若月にも台湾高雄への航空隊人員等の輸送任務が命じられている。台湾沖航空戦たけなわのこの時期の輸送任務は危険であり、涼月幹部は抗議したようだが却下されてしまう。だが彼らの不安は的中し、16日22時ごろ都井岬沖を航行中の涼月は米潜水艦の奇襲を受け2度目の艦首切断という損害を受け撤退、後のレイテ沖海戦に参加出来なくなってしまう。
      • 付近を航行していた秋月、杉に対して、損傷した涼月に搭載していた人員、物資の移載と台湾輸送継続の命令がくだる。4隻はとりあえず鹿児島に入港、杉と秋月は予定通り弾薬を鹿児島に降ろすが、結局「捷一号作戦」が発動し小沢艦隊麾下の彼女らは本隊に合流する必要が出たため、台湾への輸送は鹿島卯月、夕月らに委ねられ、3隻は損傷した涼月を護衛しつつ本隊と合流した。
  • 1944年10月20日、数日前からレイテ湾に侵入していた米攻略部隊がレイテ島に上陸を開始する。18日に「捷一号作戦」を発動していた連合艦隊は小沢艦隊にも出動を命じる*13が、前衛の第二遊撃部隊は台湾沖航空戦大勝利の速報により、残敵掃討のため出撃していた。そのため、空母戦力の警戒、護衛部隊が不足していた。
    • 結局第二遊撃部隊は、小沢艦隊と合流することなく台湾方面に移動し、レイテ沖海戦ではスリガオ海峡から突入する第一遊撃部隊第三部隊、通称「西村艦隊」と連携するため続航する事になった。台湾沖航空戦大勝利の大誤報に踊らされた連合艦隊の失策で、瑞鶴たちは敢え無く丸裸になってしまったのである。
    • そこで連合艦隊は、対潜掃討部隊である第三十一戦隊から五十鈴、桐、槇、桑を小沢艦隊の指揮下に入れて第二遊撃部隊の代用とし、これに既に機動部隊傘下に加えられていた大淀*14第十一水雷戦隊の多摩、杉も加えた戦力で小沢機動部隊の護衛戦力とした*15*16
      • なお、第十一水雷戦隊は司令部自体は残留となったため、旗艦を多摩から松型駆逐艦「檜」に変更したうえで多摩と杉のみの参戦となった。
      • 編成としては第三十一戦隊の旗艦を大淀に変更し、これに杉も加わった松型駆逐艦4隻も踏まえた「警戒隊第一駆逐連隊」*17。第六十一駆逐隊*18と第四十一駆逐隊*19を合わせた「警戒隊第二駆逐連隊」*20。残された五十鈴と多摩で「巡洋艦戦隊」*21を編成する...というような寄せ集めに近いような編成となってしまったが、ともかく杉は大淀の指揮下で初陣を迎える事になった。
  • 10月20日、第三航空戦隊*22と第四航空戦隊*23 を中核とする小沢機動部隊は豊後水道を出撃する。だが杉を含む松型駆逐艦は他の駆逐艦と比べて燃料の積載量が少なく頻繁に補給をする必要があった。杉は22日に空母千歳から洋上補給を受けている*24。だが訓練不足もあり補給作業は難航、杉は予定量の搭載に成功したが他艦の中には予定量の半分も補給できなかった艦が続出し*25、なかには管を切断してしまう艦も出てきたため、結局補給は中止された。
  • 10月24日、この日は小沢機動部隊から「機動部隊最後の航空隊」が出撃し、米機動部隊をおびき寄せるための反撃がなされていた。そうした中で上空警戒任務に就いていた零戦の1機が瑞鶴への着艦に失敗、洋上に墜落してしまう。更に搭乗員を救助しようと瑞鶴の乗員1名が海に飛び込み、両者は洋上を漂流する事になる。
    そうした中、瑞鶴より杉と姉妹艦の桐に救助命令がくだり、2隻は反転して漂流現場に急行する。
    • 2隻は無事に漂流者を発見救助する。だが残念ながら搭乗員の方は既に死亡しており、飛び込んだ乗員1名のみの救助となった。
      こうして指示を務めた2隻は本隊と合流すべく反転するが小沢機動部隊を見失ってしまう。
      捜索を続けた2隻は深夜になり複数の艦影を視認する。友軍だと思った桐の川畑艦長はこれに続行するが、上空を米軍の夜間哨戒機が飛来し、英語の無線通信が混線したことから、2隻は前を行く艦影は米機動部隊だと判断、慌てて退避行動をとり逃げ出してしまう。
      • 川畑艦長はこれを「米機動部隊」だったと思っていて、後年の回想録でもそう述べているが、当時の状況から恐らくこれは米機動部隊ではなく前衛として分離先行していた松田少将指揮の前衛部隊(日向伊勢秋月初月、若月、霜月)だったと考えられている。
    • 結局元々燃料補給が満足にできていない桐は燃料が不足しだしたので、独断で高雄に撤退、杉もこれに同行したので、翌25日の凄惨な対空戦闘に杉は参戦する事はなかった。
      • なお、桐と杉の行動について公式報告には「燃料補給が出来ずに不足しだした桐に杉を護衛につけて撤退させた」とあり、溺者救助や誤認騒動の事は触れられていない。司令部側の判断で問題視はされなかったようである。このほかにも「伊勢型戦艦の低速力(編隊速力22ノット)、松型駆逐艦の航続距離が短いために、三航戦(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)の機動部隊としての行動が制限された」「母艦部隊を有効に使用するには少なくとも(編隊速力)24ノット以上にて相當航続力大なるものを以て機動部隊を編成すること緊要なり。」…と報告と評価がなされている。
  • 10月26日に高雄についた2隻は奄美大島等を経由して10月30日に呉に帰還する。だが杉は休む間もなくレイテ沖海戦から帰還した伊勢日向五十鈴らと南方輸送部隊「H部隊」を編成、11月9日に五島列島を出撃して14日に南沙諸島に到着、翌15日に松型駆逐艦5隻で新たな駆逐隊「第52駆逐隊」を新編しマニラに進出、多号作戦に参加する事になる。
    • 杉は第8次作戦から参加、姉妹の他駆潜艇や輸送艦からなる部隊で指揮は梅に座乗する第43駆逐隊司令の菅間良吉大佐が務めた
      • だが作戦中に米軍のオルモック上陸が発生し、増援部隊を送る港湾だったオルモック湾は危険地帯となり揚陸が難しくなった。揚陸をサン・イシドロに変更するが重火器の揚陸は出来ない地点であり、結局兵員のみの揚陸で終わってしまう(詳細はの項を参照)
        この帰路、米軍機の攻撃を受けた杉は軍医長を含む戦死35名、負傷43名の損害を受けてしまう。
  • 結局多号作戦は米軍のオルモック侵攻、および12月15日のミンドロ島への上陸から中止となり、杉たちはマニラから脱出して南沙諸島に移動する。そして南西方面艦隊はミンドロ島サンホセにある米船団への殴り込み作戦を発令、南沙諸島にいた杉、樫、榧に白羽の矢があたる。だが同作戦は台風の影響もあり延期となる(詳細はの項を参照)
  • 12月20日、連合艦隊司令部は改めてサンホセへの殴り込み作戦を南西方面艦隊に督促する。大河内伝七司令長官は麾下の第二遊撃部隊に第二水雷戦隊を中核とした部隊に突入を命令、志摩中将により木村昌福司令官を指揮官とする挺身部隊が編成され、杉も第43駆逐隊の樫、榧とともに参加、榧艦長岩淵悟郎少佐の指揮下に入る*26
  • 12月24日、カムラン湾を出撃した挺身部隊は偽装針路をとりながら進軍したためか、24日、25日は敵からの触接は受けなかった。26日未明にミンドロ島への針路をとり南下、16時半ごろ米爆撃機に発見される。
    • 挺身部隊を発見した米爆撃機は慌てたのか「戦艦1,巡洋艦1,駆逐艦6」と敵情報告する。実際の挺身部隊は「重巡1,軽巡1、駆逐艦6」であったのだが、米軍はその後も周辺にいた米陸軍機が部隊上空に現れるが数も少なく攻撃もせずに周囲を飛行するだけだった。
      • 彼らが攻撃しだしたのは日没後の20時45分頃からだった。当時は天候も晴れ月齢も11と日没後も艦隊は上空から丸見えという状態だった。まず朝霜が爆撃を受けるがこれを回避、21時には大淀も爆撃を受け250㎏爆弾2発が命中するが、慌てて出撃してきたからかどの爆弾も信管がついておらず爆発しなかったので難を逃れた。
      • だが続いて狙われた清霜に幸運は訪れなかった。中央部に爆弾1発が命中し機関室を直撃、瞬く間に航行不能になり浸水も発生する。炎上する清霜はその後30分ほどで沈没するが、空襲を受ける杉ら他艦は清霜にかまう余裕もなく、部隊はそのまま進撃を継続する。損害は清霜だけにとどまらず、被弾したB-25が足柄に突入自爆、死傷者70名を出す大損害を出している
  • 空襲を受け、各艦に損害が出るも、杉の損害は軽微で死者はいなかった。挺身部隊はそのままマンガリン湾に突入、23時頃よりサンホセにいる敵部隊への攻撃を開始した。
    • この攻撃で、どの艦がどういう戦果を挙げたのか、正確な記録はないが米軍は輸送船1隻が大破炎上、海岸の物資集積所や飛行場に損害が出たと報告している。
    • なおマッカーサー司令部は「日本軍の艦隊が夜間に襲撃してきたが、爆撃機の夜間空襲と、魚雷艇の反撃で撃退された。我々の被害は最低限であった。連合軍の勝利である」と報道している。
      • 攻撃後、挺身部隊は撤退を開始するが、その帰路清霜沈没地点で生存者救助を旗艦朝霜が実施、駆逐隊司令以下乗員343名中、隊司令、艦長含む256名が救助された*27
  • 礼号作戦は成功したが、大局を好転させるような大勝利には程遠かった。帰路で杉たちは挺身部隊から警戒部隊への復帰を命じられ、足柄や霞とは別行動になる。香港経由で台湾高雄に移動、1945年1月8日杉は第52駆逐隊司令艦となる。ここでマニラ以来行動を共にしていた榧は内地に戻り、杉も高雄で応急修理後佐世保への回航が決まる。1月21日の高雄空襲で更に損害を受けるが行動には支障はなく、船団護衛をしながら2月8日に佐世保に帰港する
    • 杉の修理が終わった頃には、第三十一戦隊は第二艦隊に所属していた。再度修理が必要になり入渠、その間大和と第二水雷戦隊の沖縄特攻作戦があったため、杉はそれにかかわることは出来なかった。5月20日、所属する第三十一戦隊を基幹とする海上挺身部隊が編成され、杉も姉妹たちと共にこれに加わる。だが燃料もなく、訓練もできない杉たちは待機する日々を過ごし、杉は呉でそのまま終戦を迎えた。
      • 終戦後は復員船として復員輸送に従事、1947年7月31日に賠償艦として中華民国海軍に引き渡され「恵陽」(フェイヤン)と命名された。だが幾多の戦闘で船体は痛み、満足に修理も受けれていなかった杉は再戦力化されずに放置され、国共内戦中の1949年5月に台湾に移動する際に座礁事故を起こし、そのまま1951年に除籍解体となった。

最新の30件を表示しています。コメントページを参照

  • E4-3丁の削り1戦目で来てくれました。大泊も削り1戦目だったし、榧は削り中には来なかったけど掘りに回った1戦目で来てくれた。・・・今回の新造艦娘たちはホント、俺と資源に優しい(笑。 -- 2025-03-26 (水) 23:27:39
    • 恒例の単艦出撃→中大破撤退、執務室でじっくり観賞のお時間ですが・・・なかなかに勇ましいお姿。普段の口調もワイルド(笑)けど、やられてなお気の強さを出すって感じが、もう、惚れてまうやろ(笑。 -- 2025-03-26 (水) 23:45:31
    • そうやって人の幸運まで奪っていくから、他の人が苦労するんだ!!! -- 2025-03-29 (土) 20:41:40
  • E5-2甲で延々と沼ってたらボス前で2隻目でた  -- 2025-03-27 (木) 13:38:42
  • E4-3丙で本当にドロップするのでしょうか?もう既にWマスで100S以上なのですが、伊勢日向だけで計20隻以上ドロップしてます -- 2025-03-27 (木) 21:13:35
    • 144Sでドロップしました -- 2025-03-28 (金) 09:28:45
  • E6-3で「杉」2席目来ました -- 2025-03-28 (金) 01:06:06
  • E4-3突破と同時にお迎え 一緒に頑張ってE6行こうな!(血涙) -- 2025-03-28 (金) 10:24:04
  • 史実紹介で、修正した方いるけど勘違い箇所(捷号作戦発動時点で11水戦は小沢機動部隊に所属替えになっているのに、第二遊撃部隊のままだと間違い、それをもとに文面を作っていたりしている箇所等々を修正しました。 -- 2025-03-28 (金) 13:58:02
    • あと、第十一水雷戦隊は第二遊撃部隊の代用として第31戦隊とともに小沢艦隊に編入されたのではなく、捷一号作戦発動時点ですでに小沢艦隊に編入されてた部隊なので、その点の誤記も訂正 -- 2025-03-29 (土) 12:20:27
  • レベル46で改装可能です -- 2025-03-28 (金) 14:29:22
  • 上の方にあったぷいきゅあっぽいって感想すげえわかる、ちっちゃい女性提督ウケしそう…ひ ら め い た -- 2025-03-28 (金) 14:32:05
  • 可愛杉ィ! -- 2025-03-28 (金) 20:42:10
  • E5-3ボス前Rマス ネルソン大破してイラっとしてS勝利でドロップでビックリした。 -- 2025-03-28 (金) 22:30:36
    • 乙 作戦です -- 2025-03-28 (金) 22:31:34
  • ド直球に「愛してる!」と言ってくるねぇ・・・おっさん提督は照れてしまうよ(笑。 -- 2025-03-29 (土) 15:36:04
    • ずい…! ずい…!! -- 2025-03-29 (土) 20:55:00
  • E4-3甲堀25戦でゲッツ(S20A5)即ロック。皆もロック忘れずに。 -- 2025-03-29 (土) 16:43:56
  • E4-3乙で攻略中…ラスダンは到達が厳しい…ので戻っての堀は嫌だw早期邂逅祈を祈って書き込み -- 2025-03-29 (土) 21:30:11
  • なんかこの子が来てからずっと鼻が・・・ハ、ハ、ハ、ハックション! -- 2025-03-30 (日) 01:29:53
  • 雪風のお友達増えたね! -- 2025-03-30 (日) 03:20:40
  • E4-2甲虚無輸送中 ボスマスSでゲット・・・・ -- 2025-03-30 (日) 05:11:42
  • E4-3丙 133周Sでやっと出ましたわ -- 2025-03-30 (日) 21:09:56New
  • E4-3甲ラスダンで出てくれた~。沼らなくて良かった -- 2025-03-30 (日) 22:39:06New
  • ♪杉はいずこ、杉は居ずや~、って広瀬中佐も探してたぞ -- 2025-03-31 (月) 03:33:44New
    • 長門ラスト艦長:うちのオヤジが何だって? -- 2025-03-31 (月) 04:50:07New
  • スギ薬局行かなきゃ -- 2025-03-31 (月) 10:37:52New
  • poiのデータだと、E4-3で、そんなに確率低くないんだけど、やはり苦労するのかな?榧としまね丸で沼って大量に物資消耗して、残るは杉だけなので、ここでは楽に出てほしいんだけど。 -- 2025-04-01 (火) 18:53:50New
    • 間違えて足柄に札付けちゃったから泥縄的に杉掘りしてたけど割とすぐ楽に掘れた、高速+ルートはめっちゃ楽だよ -- 2025-04-02 (水) 20:21:46New
  • 、ヒダリデウテヤ! -- 2025-04-01 (火) 19:58:59New
  • 改造に必要な開発資材を追記したものですがしっかり確認せずに改造してしまったので、どなたか次に改造する際は確認していただけると幸いです。(開発資材の減った量的には20~22なのはほぼ確です) -- 2025-04-01 (火) 20:01:28New
  • E4-3丙27周目で邂逅成功!このままイベント進める気になれずに掘った甲斐があった;;;ようやくE5行けます;今回仕事忙しいので難易度落とさなきゃいけなかったけど報われた;;; -- 2025-04-02 (水) 01:26:24New
  • E4丁86周で出たー 他の丁でやってる人頑張ってね -- 2025-04-02 (水) 12:27:14New
  • E4-3乙、Aで来た チャリで来た -- 2025-04-02 (水) 12:57:37New
  • この杉様に感状(長年の篤志家としての活動に -- 2025-04-02 (水) 14:42:31New
  • E4-3丙ゲージ破壊後20週目くらいで無事邂逅! -- 2025-04-02 (水) 18:08:35New
  • 改造前から増設装備枠に22号電探系や13号対空電探装備可能の模様 -- 2025-04-03 (木) 12:48:17New!
  • E4-3乙 70周、杉未だ出ず… 泥祈願! -- 2025-04-04 (金) 00:45:20New!

提案意見掲示板からのお知らせ

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  • 建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
    ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

*1 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*2 https://x.com/c2_staff/status/1892218171052249226 https://x.com/C2_STAFF/status/1893269404890341646
*3 海兵62期の同期は初霜最後の艦長の酒匂雅三少佐や戦後雪風の艦長になった佐藤精七少佐など。
*4 といっても今まで艦隊決戦一本やりの駆逐艦を作ってきた日本海軍が急に量産性重視の艦を、と言われても直ぐに具体的な形を導き出すのは困難で、1942年12月から候補として挙がった案は夕雲型・朝潮型・白露型をタイプシップとして設計計画されていたため工数が殆ど従来と変わらず主旨を理解していないものだったり、機構面の複雑さによる量産性の低さがネックの長8㎝連装高角砲を主砲に採用していたりと選定は難航した。結局10案出た中でH案が採用されたが、機関を鴻型水雷艇で採用していた量産性の高いものを搭載し、武装も無理のないものとなった
*5 船体構造を見直している改丁型(橘型)は除く
*6 従来旗艦を務めていた長良が8月7日に潜水艦の攻撃で戦没したため、桑が旗艦を務めていた。その後8月30日付で旗艦は多摩となるも捷一号作戦では第十一水雷戦隊司令部自体は残留となったため、10月18日10時をもって旗艦は多摩から檜に変更となっている
*7 ここで想定している「前衛」という役割は、大まかには空母機動部隊に迫る敵を撃退し、なおかつ機宜に応じて敵艦隊を追撃し戦果を拡大すること。、部隊は「前」衛と呼称しているように機動部隊から離れてその前方、敵機動部隊と自機動部隊との間を進軍し、攻撃に向かう敵航空部隊を捕捉してこれを引き付け、結果自身の機動部隊を敵機の魔の手から防ぐ、というものである。これまでは第二艦隊がこの任務を務め、筑摩が大破しつつも、機動部隊への敵航空隊襲来は1回のみに抑える事に成功している。マリアナ沖海戦でも前衛は栗田健男中将の第二艦隊が務め、第三航空戦隊を加えた態勢で小沢機動部隊前方に展開していたが、この時は後方からやってきた小沢艦隊麾下の航空隊を「敵航空部隊」と勘違いして砲撃してしまうというチョンボを犯したりもしている
*8 志摩長官直率の第二十一戦隊(那智足柄木曾多摩)と、木村昌福少将指揮の第一水雷戦隊(阿武隈、第七駆逐隊、第十八駆逐隊)
*9 その後9月10日に扶桑と山城で第二戦隊が再編され、24日に第一遊撃部隊(栗田艦隊)に転出した。本当なら、扶桑と山城は第二遊撃部隊の貴重な戦艦戦力だった
*10 当時は秋月初月涼月、若月
*11 第一遊撃部隊への戦艦戦力、直掩航空戦力の増強
*12 厳密には杉が指名された訳ではなく、小沢艦隊司令部からは「秋月及び第十一水雷戦隊所属の艦から1隻」という指示であった
*13 この命令は、連合艦隊が数日前の台湾沖航空戦で、「当分機動部隊を作戦に使うことはないから」と明言して、練成途上の航空部隊を台湾に出動させていたのにもかかわらず、その舌の根が乾かぬうちの出動命令であったため、小沢機動部隊司令部では激怒した参謀も多かったそうである
*14 10月5日付で連合艦隊旗艦の任を解かれ空母機動部隊の基幹戦力である第三艦隊に配属されていた。
*15 作戦発動及び第二遊撃部隊の代わりの前衛戦力が決定された10月18日時点で、第十一水雷戦隊は既に小沢機動部隊の所属である(第十一水雷戦隊の機動部隊本隊編入は10月14日付)。公判戦史である「戦史叢書」でも第二遊撃部隊の代行として加えたのは「第三十一戦隊」とあり、「第十一水雷戦隊は第二遊撃部隊が出撃して不在だったためにこれに代わる戦力として充当された」という話は事実でなはい。仮に第二遊撃部隊が予定通り機動部隊本隊として行動する事になったとしても第十一水雷戦隊も機動部隊本隊に加わる予定であった。
*16 やはり第十一水雷戦隊は訓練部隊であるためか、所属艦艇の多くは訓練不足のため残留となった。杉が選ばれた理由はこの直前まで秋月と共に内地で作戦行動中であり、燃料再補給さえ済ませれば即出動か可能であったからと思われる
*17 指揮官は第三十一戦隊(旗艦は大淀)の江戸兵太郎少将
*18 初月、秋月、若月
*19 霜月
*20 指揮官は第六十一駆逐隊(旗艦は初月)の天野重隆大佐
*21 指揮官は多摩艦長山本岩多大佐(山本大佐の方が五十鈴艦長松田源吾大佐よりも先任であるため)
*22 瑞鶴瑞鳳千歳千代田
*23 航空戦力を台湾沖航空戦で第二航空艦隊に提供したため自前の航空隊がなく隼鷹龍鳳は留守番。日向伊勢だけが出撃した。
*24 小沢艦隊側の戦闘詳報の記述による。但し千歳側の記録では桑になっている
*25 五十鈴が計画量200tに対して75t、桑が100tに対して75t、桐が100tに対して30tしか補給できなかった
*26 駆逐隊司令の萱間大佐はこの頃病気療養中であり、榧艦長が指揮を代行していた
*27 その他5名が米軍の捕虜になっている