人名事典

Last-modified: 2020-03-13 (金) 12:50:29

※本ページはネタ帳ではありません。
ゲーム中に(本編・イベント問わず)登場する主要な人物をまとめたものです。
名前だけの登場」「登場人物の通称・蔑称」、およびそれに類するものは項目の一つとして登録しないようにしてください。
(そういうものは→こちらへ


あ行

朝倉宗滴(あさくら そうてき)

越前朝倉氏中興の祖と言われる朝倉英林孝景(義景の高祖父)の末子。宗滴は出家名であり、本名は教景。
一族随一の武闘派として数々の合戦で名代・総大将を務め、貞景・宗淳孝景・義景の朝倉家三代を主に軍事面で補佐した武将。
加賀より侵入して来た三十万人にも上るという一向宗を、わずか一万ほどの寡兵で撃破したという九頭竜川の戦いで知られる。
その後も近江、美濃など近隣諸国を転戦し、その武名を轟かせた。
宗滴の存命中は周辺諸国は越前に手を出すことができず、平和の中朝倉家の全盛期が築かれたという。
彼は織田信長の才能を見抜いていたと言われ、今際の時には「あと三年長く生きて、信長の行く末を見たかった」という趣旨の言葉を残している。
また名物茶器・九十九髪茄子の所有者としても知られている。

本編第5章『激戦北陸道』の越前解放戦等に登場。

越前解放戦 ネタバレ

越前魔境に到着した主人公一行は、早くも宗滴が伏雷と戦うところを見て助勢する。
最初は一行の介入に機嫌を損ねていた宗滴だったが、はつなの助けで越前に駆けつけた浅井長政が一行を紹介し、共に城を奪還していく。
戦闘中、長政は宗滴に本陣で会って欲しい人がいることを述べ、杣山城を落としたらと約束を取りつける。

無事に城を取り戻した一行は本陣に帰参し、長政の連れて来た織田信長と対面する。
信長は宗滴が二度も上洛要請に応じなかったことについて聞きに来たのであった。
宗滴は幽魔退治に専念することが先だと答え、明確な返答は避けた。

宗滴は秀吉、長政と討伐数を競いながら幽魔を退治していく。
順調に城の解放を進めていく一行であったが、伏雷の騙し討ちによってはつなが、不意討ちによって宗滴が怪我を負う。
なおも出陣したがる宗滴だったが、長政らに説得され、怪我の軽いはつなに伏雷討伐を託した。
そして宗滴は陣中見舞に来た信長と言葉を交わす。

一行は遂に伏雷を倒し、はつなが封印ーーしようとしたところで、動けぬふりをしていた伏雷が反撃しようとする。
しかしその瞬間に城にいたはずの宗滴が飛び出し、伏雷に止めを刺した。
実は宗滴の容態は何ともなく、傷の手当てをしていたねねにも口止めしていたのだった。

穴を封印しながら、宗滴は秀吉に上洛要請を受け入れたこと、そして信長が自分の見込んだ通りの大器であることを告げた。

朝倉義景(あさくら よしかげ)

越前の戦国大名。信長の再三の上洛要請を拒否している。史実ではこれが、信長の越前侵攻の口実になった
その後信長包囲網に加わるも、積極的な行動に出たのは最初だけだった。その後は出兵しても消極的な行動に終始する
武田信玄の出兵要請に応じた際も同様で、一戦しただけですぐに撤退してしまい、そのことを信玄から非難されることになる

本編での最初の登場は越前解放戦。ただしこのときは名前のみの登場
このとき義景の言葉を伝えた宗滴に対し、信長は警告とも思える台詞を発している

明智光秀(あけち みつひで)

織田信長の重臣。美濃出身。
前半生については史料が乏しく謎に包まれているが、斎藤道三に仕えていたとされる。
しかし道三が嫡子義龍と対立した際、義龍に攻められて一族は離散し、貧窮に耐えながら諸国を放浪することになる。
その後朝倉義景、足利義昭に順に仕官し、また彼が義昭との間を仲介した織田家にも同時に仕える身となった。
朝廷との折衝役を務めるほどの教養を備えながら、砲術等にも長じていたという光秀は、織田家臣の中でも異例の出世を果たす。
丹波を平定した際には「粉骨の度々の高名(功名)、名誉比類なし」の感状とともに丹波一国を拝領した。
だが信長が天下統一を目前に控えた時に、突如本能寺の変を起こし信長は自害。
直後に中国地方から引き返してきた羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、その生涯を終えた。

統治期間は短かったが、領地では減税や築堤等の善政を行い、領民に慕われていた。
また愛妻家としての逸話も残り、生活に窮していた時に自身の黒髪を売ってまで彼を支えた妻煕子に感謝し、一人も側室を置かなかったという。

本編第3章『東海の攻防』の美濃・伊勢解放戦等に登場。

芦上まつり(あしがみ まつり)

「特地解放機構」所属
プレイヤーの相棒と呼べる存在で一切喋らないプレイヤーの代わりに進行役として物語の中心になっているキャラ
陸・海・空の様々な乗り物を運転できるという器用さも見せる
説明役や狂言回し、果てはボケ・ツッコミまで幅広くこなし、歴史への過度な干渉を恐れながらも率直な意見をぶつけたり、機転を利かせて窮地を乗り切るなど本作に欠かせないキャラ
が、本人も気が付いていないところで『口が軽い』側面もある・・・

日本史のみならず、三国志にもそれなりに詳しいらしい。

一時期、魔境の異常性から来る違和感、そしてそこから生じるストレスで寝込んだ時期があったが、基本的には皆勤
グルメな側面もあり、イベント終了後にはたいてい上司に美味しいものをねだっている

ちなみに、イベントでは少なくとも二度命を落としかけている

尼子経久(あまご つねひさ)

出雲の戦国大名。毛利元就、宇喜多直家とともに中国の三大謀将の一人に数えられ、「謀聖」と称される。
元は出雲守護代の出であったが、守護京極氏に職を剥奪され追放される。
その後居城の月山富田城を奪回して独立を果たし、勢力を拡大した。
家臣に持ち物を褒められるとどれほど高価なものでも喜んで下賜してしまったという逸話が残り、『塵塚物語』では「天性無欲正直の人」と評されている。
本編第13章『山陰術数』と第14章『出雲炎上』の出雲解放戦、イベント『尼子道場』等に登場。

出雲解放戦 ネタバレ

吉川元春は安芸が大雷の襲来を受けたために、尼子の救援を求めて出雲を目指していたが、月山富田城で火雷に襲われる。
しかし経久が城から打って出て、宿敵毛利家の者であるにも関わらず、身を挺して元春を逃した。
元春は行方不明となった恩人経久を救う機を伺い、身を潜めていた。

一方主人公一行は、出雲が火雷の結界で閉ざされているという情報を得る。
そこで尼子家の武将(晴久、義久、山中鹿之介)や山名家の武将(祐豊、豊国)と協力し、結界の礎となっている伯耆・因幡・但馬を解放しながら出雲へ向かう。

一行が出雲に到着した時、月山富田城は炎の結界に囲まれていた。
一行は経久が城の抜け道から逃げ出している可能性を考え、手分けして周辺を捜索し、経久が見つかり次第狼煙を上げることに決めた。

幽魔退治を続ける一行は、夕景城で元春に出会う。
元春は自分が経久に助けられたことを説明し、一行とともに幽魔退治をして、経久を救い出さなければならないと述べる。
一行が瀬戸山城で幽魔との戦いを続けていると、月山富田城の方向から狼煙が上がるのが見えた。

月山富田城前に戻った一行が目にしたのは、二人の経久であった。
尼子家や山名家の者達は見分けがつかず困惑するが、ここでまつりが知識を頼りに経久の服装を褒める。
すると一方の経久は普通の反応を示したが、もう一方の経久は上述の逸話通り、自分の服を脱いで全てまつりに与えようとした。
まつりの機転によって、前者は火雷が経久に扮したものであり、後者こそが真の経久であると看破することができたのである。

結界を突破し月山富田城に侵入した一行は火雷を撃破。
そして元春は経久に安芸への援軍を要請する。
まつりのアドバイスを受けた元春が尼子の力を最大限褒めるも、経久は兵の命ばかりは自分のものではないと渋い反応を見せる。
しかし穴を封印しながら、経久は元春に、元就に「安芸の海を見に行く」と伝えてくれと告げる。

石動静馬(いするぎ しずま)

「特地解放機構」の理事の一人にして、芦上の直接の上司
『理事』が団体の中でどの程度の階級の位置にあるかは不明だがそれなりの財力は持つらしく、しばしば芦上に支援物資などをねだられている。
お菓子作りが趣味で、バレンタインデーにはチョコレート菓子を作っていた。

一文字まり(いちもんじ まり)

『信長の野望Online』で入門者向け道場『もののふ道場』の主を務める『道場娘まり』のこと

本作ではコラボイベントで登場。奥州の龍泉洞*1を中心にに突如現れた魔境に挑む者の一人として登場
ラスボスが歓喜天であることを主人公一行に告げる
その後、秀吉の命で共に挑む者たちを退避させることになる

部隊に加えるためには『信長の野望Online』側のミッションを達成しなければならない&製品版アカウントであることが条件のため、少々ハードルは高かった

今川義元(いまがわ よしもと)

遠江・駿河の戦国大名である今川家の当主。仏門に入っていたが、継承権が回ってきたために還俗し、家督争いを制して当主となる
自領を盤石なものとするべく、足元を固めている。史実ではその後三河も自領に組み入れるが・・・

本編では第2章『八雷神降臨』の駿河解放戦で登場。主人公一行の実力を見込んで登用を試みる
実は、以前から京に密偵を放っており、主人公たちのことを知っていたのであった
イベントでは『河越異聞・前編』で登場。本編での経験を生かして幽魔を粉砕し、史実同様の展開で北条氏康を追い詰める
のみならず、まつりの提案を『本編での経験』を盾に蹴っ飛ばしたりする

ヴァルド

ロードオブナイツとのコラボイベント『冥王討伐録』で登場
イベントでは一人しか入手できず、大変貴重だったらしい

上杉謙信(うえすぎ けんしん)

越後の戦国大名。越後守護代であった長尾為景の子であり、初名は長尾景虎。
病弱だった兄晴景に代わって国内の反乱を鎮圧していき、晴景の養子として長尾家の家督を継いだ。
後に上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を相続し、上杉姓を名乗るようになる。
武神である毘沙門天を厚く信仰し、戦場では「毘」の一字を書いた『刀八毘沙門の旗』を掲げた。
また全軍総懸かりで突撃する際には「龍」の一字を書いた『懸かり乱れ龍の旗』を本陣に立てて戦ったという。
その卓越した軍事能力により、後世の人々から「越後の龍」「軍神」等と呼ばれる。

武田晴信(後の信玄)の信濃侵攻の際、落ち延びてきた村上義清らの要請に応じて信濃に出兵。
以降五度に渡り、川中島地方で干戈を交える。

本編第8章『長野進撃』の信濃解放戦、第9章『甲越怒涛』の甲斐・越後解放戦、イベント『川中島異聞』等に登場。

織田信雄(おだ のぶかつ)

信長の次男。北畠家に養子として出されたが、後にその基盤を丸々手中にする。その後信忠に従い各地に従軍する
史実では独断で伊賀に侵攻して惨敗し、信長から叱責状を送り付けられるだけでなく、一時は絶縁寸前になる

『異聞 天正伊賀の乱』で登場。前編の主要人物の一人
自身の器量を認めてもらおうとしてか、史実同様に独断で伊賀に侵攻しようとして立ち往生していたところに主人公一行と遭遇、合流する
伊賀の人間を蔑視しているらしく、当初は伊賀忍である夜霧とたびたび口論していたが、後に共同作業で幽魔の頭を撃破する
・・・が、実際はその半分を撃破したに過ぎなかった

そして、信雄の行動は父親である信長には「身の程知らず」に映ったらしい。後編で(史実と異なり出陣してきた)信長に、信長直臣の目の前で叱責される
そして、己を見つめなおすべく従軍することになる

本作中では登場当初は(汎用特性の中では比較的珍しい特性を持つとはいえ)何の変哲もない☆2武将だったが、
『異聞 天正伊賀の乱』イベントに合わせて☆3武将が登場した

余談:『信雄』の名は実は信長の死後、清須会議の後に称したのが最初らしい

織田三郎信長(おだ のぶなが)

言わずと知れた尾張の風雲児。足利義昭を将軍に奉じようと上洛する
史実ではここから畿内を中心に己の信ずる天下布武を掲げ勢力を広げるが・・・

本編では主人公達の前に、愛用の銃「AMBITION 201X」を持って登場。見事に使いこなしてみせる

か行

唐沢玄蕃(からさわ げんば)

武田家、後に真田家に仕えた忍者。自身の固有特性名にもなった『飛び六法』で有名になった。跳躍術・火薬術に優れていたという
また、一部資料では「父親も唐沢玄蕃を名乗った」旨の記述があり、それに従えば、二代目ということになる

『天正伊賀の乱異聞・後編』で果心居士に連れられて石川五右衛門とともに登場
竹島城を焙烙玉で派手に吹っ飛ばそうとしていたところをまつりに見つかり、説得を受けて自分のもう一つの特技を生かすことに
しかし、本人は爆薬を使いたくて仕方なかったらしく、平楽寺で再会した際にはその不満を漏らしている

当該イベントのポイント達成報酬でのみ獲得可能な限定★4武将であり、貴重な全体攻撃スキル持ちではあるものの、
前列の味方も巻き添えにするという、イメージを忠実に再現したデメリットがある

余談:彼と言えば、『黄金の馬鎧』の逸話も伝えられているが今作では登場していない
あくまで、『一忍者』としての立場から参戦したため、持参しなかった可能性がある

木下秀吉(きのした ひでよし)

言わずと知れた後の羽柴秀吉→豊臣秀吉。信長と同時期の邂逅なので改名していない
史実ではこのころから主だった武功を挙げていくところだが・・・

本編では、織田家所属として早くもプロローグで邂逅
その時の名前を名乗る前の字幕は「サル顔の武将」である
女たらしでお調子者だが、後の天下人の片鱗とも言える肝の据わったところを見せる場面も

ゲーム内では★2の初期キャラから、異世界の★4まで幅広く登場する

ネタバレ

一章クリア後に信長から正式に主人公一行への随伴役を命じられる。

余談:数多くの側女を置いた割りに子宝は最大でも4人(しかもそのうち世に出たのは秀頼だけ)と、恵まれたと言い難い
よって血縁固めという常套手段が使えず、豊臣政権の崩壊を招いた、と考えることもできる

木下秀吉(きのした ひでよし)『戦国IXA 千万の覇者』Ver

スマートフォンアプリ『戦国IXA 千万の覇者』における羽柴秀吉。木下秀吉の登録名ではないので注意
なお、PCプラウザ版『戦国IXA』の羽柴秀吉にはない異なるVerである
余りにも異質かつインパクト抜群なので、イベント紹介を兼ねて別項目を設けて紹介する

本作ではコラボイベントで登場。空腹で行き倒れ状態で邂逅する
折悪しく一行が食料を切らしていたため、自力で食料調達を試みることに
そして、事もあろうに幽魔を食料にしようとしたため、まつりに「それは!! 食べ物じゃ!! ありません!! たぶん!!」と全力で止められることになる

性格はワイルドであることを除けはやはり秀吉
あっという間に打ち解けてしまい、共に迷い込んだ池田恒興、ねねとともに共同戦線を張ることになる

武将としてはランダム5体攻撃の★4武芸者。無傷時に限ればスキル倍率も高く、おまけに特性もデメリット付きとはいえ優秀
ただし入手手段が、イベントランキング報酬か限定紹介状を使うイベントガチャに限られていた

来島通総(くるしま みちふさ)

村上水軍の一派である来島村上水軍の当主。数え七歳で当主となる。史実では伊予国大名の河野氏に仕えている
また一説には、毛利家の大友攻めの際に援軍として参戦した際、その作戦をめぐって、村上武吉と不仲になったという
ちなみに、来島姓に改めるのは秀吉の臣下に入ってから。前は村上姓を名乗っていた

『木津川口異聞』で登場。白波の依頼を受けて案内役兼護衛として織田水軍と毛利水軍の船戦見物に来ていたが幽魔の襲撃を受ける
白波を逃がして孤軍奮闘していたところに主人公一行と遭遇する
白波同様、通総も別の目的を持っているようだ

『木津川口異聞』の周回報酬、またはレアドロップ武将である

黒田官兵衛(くろだ かんべえ)

中国地方屈指の知将。ストーリーでは後述の小寺政職が健在である都合上、当初は小寺官兵衛として登場する
以後、山陽東部全般で一行の案内役およびストーリー進行役を務める
史実では腹黒く冷徹な謀臣としての活躍も目立つ彼だが、本作では知恵者でありながら時折感情に走る、少し青いところのある若武者として描かれる。

小寺政職(こでら まさもと)

播磨御着城主。当初は信長と敵対していたが、信長に従属するべく小寺官兵衛を派遣する
しかし史実では後に荒木村重の謀反に呼応する形で反旗を翻し、最終的に自城を追われることになる
本作でも高名な猛将・知将たちのように単独で幽魔と戦うほどの武勇知略は持たないようで、裏切りの影がちらつき始める。

さ行

雑賀蛍(さいか ほたる)

雑賀衆の一員として登場する鉄砲使いの女性。孫市を兄と呼び慕うが、実妹なのか義妹なのかは不明。
本作では女性となっているが、史実での素性はその実在の有無を含めて一切不明。
伝説上では信長と戦った雑賀衆に様々な異名(現代で言うコードネーム)を持った鉄砲の名手が存在したと言われ、その中に「蛍」の名が見られる。

真田昌幸(さなだ まさゆき)

信濃・上野の武将。真田幸隆の三男で、初めは武田信玄・勝頼の二代に仕える。
幼少期に武田家に人質に出されるが、信玄は昌幸の才能を見抜いて奥近習衆に抜擢した上、母方の大井氏の支族の武藤氏を継がせた。
しかし長篠の合戦で二人の兄が戦死したため、真田姓に復して家督を継ぐ。
武田氏滅亡後は織田信長に恭順し、滝川一益の指揮下に入るが、本能寺の変で信長が横死。
その後は旧武田領を巡って争う上杉氏、北条氏、徳川氏の間を巧みに渡り歩いて真田家を守り、更には混乱の中で沼田・吾妻・小県を獲得して領土を広げた。
だが当時主君であった徳川家康は北条と講和を成立させ、沼田領を北条に割譲する約を結んでしまう。
これに反発した昌幸は、徳川と手を切り上杉景勝に帰属。
家康は真田討伐のために上田城に向けて兵を挙げ、第一次上田合戦が幕を開けた。

「表裏比興の者」と呼ばれた昌幸だが、この言葉は大勢力に囲まれた地で主君を目まぐるしく変え、真田家を存続させた知謀と武勇を評したものだとも考えられる。

本作では『第1次 上田合戦異聞』に登場。

主人公(しゅじんこう)

この世界におけるプレイヤーの役割。名前はある程度自由に設定でき改名も可能だが、別に通称を設定することはできない

陰陽師の一人で、占術を専門としており、吉兆や凶兆を見ることができる。
機構のエージェントとして、そしてチームリーダーとして対幽魔戦闘の指揮を行う。

ネタバレ

実は謎多き娘はつなの子孫。穴を封じるためには、はつなの自己犠牲が必要であり、はつなの末裔である主人公は穴を塞ぐと存在が消えるという恐ろしい矛盾を含んでいる。影の薄さが進行するのはそのため。

白波

詳細不明。架空の人物と思われる

『木津川口異聞』で登場。来島通総に案内役兼護衛を依頼して織田水軍と毛利水軍の船戦見物に来ていたが、幽魔の襲撃を受け逃走中に主人公一行に遭遇する
本来の目的は別のところにあるようだが・・・?

白波の素性

とある家に仕える者の一人。具体的な関係は語られていないが主君とは姉妹のような仲という
目的は、『後ろ盾を増やすこと』。領地は幽魔の襲撃をたびたび受けており、後ろ盾が来島村上水軍だけでは心許なかった
白波自身も奮闘していたが、やはり一人では無理があった。そのため主君の要請で旅に出ることになる
その主君とは・・・大三島の鶴姫(=大祝鶴(おおほうり つる))

陶晴賢(すえ はるかた)

大内家臣。初名は隆房だが、この「隆」の字は陶氏当主が大内氏当主の名から一字を拝領する慣例に従い、主君の大内義隆から賜ったものである。
義隆の寵も厚い武断派の武将であり、その武勇から「西国無双の侍大将」と評されていた。
しかし義隆は、出雲遠征の失敗と養嗣子の死を契機として、文治派の相良武任を重用し始める。
文治偏重の政策を行うようになった義隆に対し、隆房は謀反を敢行。大寧寺で義隆を自刃させ、武任ら義隆派の武将や公家衆も惨殺した。
その後義隆の養子であった晴英(後の義長)を大内氏当主として擁立し、偏諱を受けて晴賢を名乗った。
大内氏の実権を掌握した晴賢だったが、大内家の減衰とともに勢力を拡大していた毛利元就との対立が先鋭化し、吉見正頼の反乱の際に訣別する。
晴賢は大軍を率いて安芸に侵攻するが、厳島の戦いで元就の策謀の前に敗れ、自害した。

本作では『厳島異聞』で登場。

厳島異聞 ネタバレ

安芸に出現した魔境を訪れた主人公一行は、折敷畑山で晴賢と出会う。
晴賢は主君義隆と幽魔が戦っているため、毛利に援軍要請に向かっているところだと説明するが、一行が幽魔退治を生業としていることを知り協力を求める。
一行は義隆と弘中隆包にも合流し、順調に幽魔を撃破すると、毛利家の者達に会いに桜尾城へ向かった。

一行はまず吉川元春に出会ったが、元春は晴賢が生きていることに驚き、また警戒心を露わにする。
二人の言動から、元春には厳島の戦いの記憶があり、晴賢にはその記憶がないことが明らかになった。
毛利元就は、晴賢は幽魔とともについでに黄泉返ったのであろうと冷静に述べるが、義隆まで黄泉返ったことを知ると、彼を出迎えたいと一行に伝える。
毛利隆元と隆景も、思い掛けない義隆との再会に驚きの色を浮かべるが、特に隆元は晴賢には厳しい視線を向けた。
入城した義隆は元就に、自領の周防へ帰還するための援軍を要請する。
元就は快く承諾し、成功した時の褒美として「大寧寺への参拝」の許可を求めた。
この言葉は、義隆が大寧寺の変の記憶を有しているか探るためのものだったが、義隆は特に大きな反応を見せなかった。

一同は元春と隆景を門山城に、元就を厳島に置き、幽魔を海上で挟撃する作戦を採る。
まずは門山城に向かい、山側からは元春と晴賢が、海側からは隆景と援軍の村上武吉が攻めて、厳島に幽魔を追い込んだ。
作戦通りに事を進めた一行だったが、豊臣秀吉は幽魔の逃げ足の速さに違和感を覚える。
一方隆景と元春のもとには、元就から書状が届いた。
二人は武吉とともに門山城に留まり、幽魔を追い立て続けるようにとのことであった。
隆景はその書状を見ると「何ともわかりやすく、読みやすい書」と評し、元春と武吉に指示を与えた。

一行が厳島の包ヶ浦に到着し元就と会うと、晴賢が幽魔の群れと共に現れた。
晴賢は幽魔を従え、大内のために毛利を滅ぼそうと企んでいたのだった。
また先の門山城の戦闘では幽魔を意図的に退却させ、厳島に向かわせていた。
元就は動じることなく幽魔の群れに対処し、宮尾城へと退却していく。
熾烈な攻撃を何とか凌いでいた一行だったが、かねてから晴賢を警戒し、宮尾城で備えていた隆元が駆けつけ、難を乗り切った。
元就は晴賢と義隆を戦わせるため、桂元澄に書状を持たせて義隆の元へ派遣する。
それは毛利を憎み、寝返りを許そうとしない晴賢を義隆が討てば、元澄が義隆に内応する旨を記した偽の書状であった。
義隆は晴賢が毛利に戦を仕掛けたことを知ると、大内家の当主として晴賢を止めなければならないと述べる。

義隆と隆包は晴賢を「逆臣」とみなし、晴賢に対して兵を挙げた。
義隆は元澄の書状が罠であることを知りながら、晴賢の存在が家名を傷つけることを懸念し、晴賢を討つ決心をしたのである。
またも義隆に自分の道を阻まれた晴賢は、毛利が大内を滅ぼしたのだと主張するが、隆包は晴賢こそが大内滅亡の張本人だと言い放つ。
晴賢は忍ばせておいた後詰に大内軍を背後から襲わせ、義隆らの姿はかき消えてしまった。

無数の幽魔に手こずる一行だったが、その時門山城に留まっていたはずの元春、隆景、武吉が駆けつけた。
隆景は、長いはずの元就の書状が簡素であったことから、それが晴賢の策だと見破っていたのである。
劣勢を判断した晴賢は、海の底から化鯨を出現させ、その背に乗って退却した。
一同は化鯨と海で戦うのは無理があると考え、陸上に誘き寄せて、鶴翼の陣形で撃破することにした。

晴賢は再度、元就の前に姿を現した。
隆元は晴賢のことを大内を滅ぼした不忠者と謗るが、晴賢は毛利の者達こそ不忠者であると反論し、何故大内を再興させなかったのかを詰問する。
元就は晴賢が主な臣下のほとんどを討ったために、滅ぶ以外の道がなかったのだと語る。
大内による天下のために滅びを招く者を排したのだと返す晴賢だが、元就はそれは忠ではなく野心だと断言し、晴賢では天下を望めないと言う。
晴賢は自分にはその器量がないことを承知していたが、それでも志を曲げはしないと、元就に打ち掛かる。

一行は化鯨を討ち果たし、残る幽魔も海へと逃げ帰っていった。
追い掛けようとする一行だが、その時晴賢が重傷を負い、幽魔の波に呑まれそうになっていることに気付く。
懸命に晴賢に手を伸ばすも、晴賢は情けを乞うことを厭う。
例え命尽きても己を曲げはしないと繰り返す晴賢は、「我が敵にして、我が友」に別れを告げ、海の底へと姿を消した。

た行

武田信玄(たけだ しんげん)

甲斐の戦国大名。信玄は法名であり、諱は晴信。
戦国最強とも呼ばれた騎馬軍団を率い、「甲斐の虎」の異名を取る。
軍旗に掲げた「風林火山」は孫子の一節に由来し、兵の心得を説いたものである。
(ただし孫子の旗を用いた記録はあるものの、風林火山という呼称は文献に存在せず、井上靖の小説が初出だと考えられている)
また治世にも手腕を発揮し、信玄自らも法に拘束されることが明文されている「甲州法度次第」の制定、水害に備えての「信玄堤」の築堤などを行った。

信濃に侵攻しほぼ全域を手中に収めるが、村上義清ら北信濃の豪族は長尾景虎(後の上杉謙信)に救援を求め、川中島地方で五度に渡る合戦を繰り広げる。

本編第8章『長野進撃』の信濃解放戦、第9章『甲越怒涛』の甲斐・越後解放戦、イベント『川中島異聞』『三方ヶ原異聞』等に登場。

道鬼斎(どうきさい)

武田信玄の伝説の軍師、山本勘助が出家後に称したとされる名。
長年仕官先に恵まれなかったが、板垣信方の推挙によって破格の待遇で武田家に召し抱えられ、各地を遍歴して得た兵法、築城、諸国情勢等の知識で貢献。
武田軍が戸石城で村上義清に大敗を喫した時には「破軍建返し」と呼ばれる策により体勢を立て直し、その活躍は摩利支天のようだと畏怖されたという。
第四次川中島の合戦で「啄木鳥戦法」を献策するも上杉謙信に見抜かれ、責を負って敵中に突入し戦死したと語られている。

勘助は『甲陽軍鑑』やその影響を受けた近世の作品のみに活躍が伝わり、一時は架空の人物であるとの説が有力であったが、「山本菅助」の名が記された市河家文書を初めとする資料の発見により実在性が認められた。
現在でも実像が定かでなく学者により見解は分かれるが、後世に語り継がれているような軍師としての活躍はなくとも、信玄の信任厚い側近であったと考えられている。

本作では『川中島異聞』に登場。

川中島異聞 ネタバレ

主人公一行は川中島に出現した魔境に訪れていた。
史実とは異なり上杉軍と武田軍は敵対してはおらず、互いに協力し合って幽魔を退治していく。
一行も両軍、そして長尾虎と勘助に手を貸して幽魔退治に励むが、先刻見掛けたばかりの勘助に別の場所でも出会うという不思議な現象が度重なる。
遂に八幡原で二人の勘助の姿を目にした一行に、信玄は初めて道鬼斎の存在を明かす。
また一行は、虎の正体がもう一人の上杉謙信であることも知る。
虎と道鬼斎は「まれびと」として、一種のパラレルワールドからこの世界に来た者達だった。

向こうの世界での川中島の合戦。辺り一帯には幽魔の群れが溢れ返っていた。
信玄は勘助(道鬼斎)に上杉との戦を続けるべきか相談するが、勘助はまず信濃を確たるものとするために上杉と戦うことを選び、啄木鳥戦法を献策する。
一方虎率いる上杉軍も、幽魔ではなく武田と戦を構えることを選んだ。

しかし両軍ともに幽魔の強さを見誤っており、次々と将が討たれて窮地に陥る。
両家で争っている場合ではないと判断した信玄と虎は、幽魔退治のために手を結ぼうとするが、その瞬間に信玄が幽魔に襲撃されてしまう。
落命した信玄と虎を目にした勘助は、彼女が信玄を討ったものと誤解し、上杉軍に対し弔い合戦を宣言する。

人同士の争いを優先した両軍は幽魔に囲まれ、上杉方は虎以外の、武田方は勘助以外の全ての者が亡くなった。
この時初めて勘助は、虎の言葉によって自身の過ちに気付いて茫然自失となる。
二人は今度こそ武田と上杉の皆を守り抜くべく、こちらの世界へ訪れたのである。

道鬼斎は今回も敢えて同じ策を提唱し、向こうの世界で両家を滅ぼした幽魔の油断を誘った。
そして向こうの世界では存在しなかった主人公一行の力もあり、見事仇の幽魔を倒し終えた。
悲願を成し遂げ、二人は深い感慨に耽る。

はつなは残りの幽魔を追い払い邪気が減れば、二人が元の世界に戻ることを説明し、別れの挨拶を済ませることを勧める。
虎は一行とともに残りの幽魔退治を続ける意志を述べる。
一方道鬼斎は信玄亡き甲斐へ戻ることを告げ、主人公一行と、そして虎と最後の言葉を交わした。

トナカイ秀吉

文字通りトナカイのコスプレをした秀吉

イベント『聖夜祭』で登場。小夏が悪戯半分に、トナカイの衣装を秀吉に、サンタの衣装をねねに着せてしまう
それを気に入ってしまった秀吉とねねが、着たまま参加しようとする、というもの

イベント中はデイリーダンジョンが専用のものになり、初回クリアで確実に入手できた
しかし師範武将扱いのため戦闘に参加させることはできない
突破師範代+職業師範か、豪商の役割を担うことになった。

戸萌小夏(ともえ こなつ)

まつりの同僚。資材部調達課の窓口担当。通称「小夏」
補給担当のためストーリーでの露出がもともと少ない
取っておきの新兵器も石動理事が用意してくれましたの一文で済まされて出番がもらえない

イベントでもまつりに報告を先取りされしまい、拗ねる描写がある

な行

長尾虎

異次元の上杉謙信。女性。もちろん、架空の人物。恐らく女性説から誕生したのだろう
見た目は謙信とは異なるが、中身は謙信そのもの。

ネタバレ
女性説は当初から批判が多かったようで、現在でも俗説の域を出ていない

ねね

オープニングから秀吉とともに主人公一行に同行する主要人物。木下秀吉の妻。
主に女たらしの秀吉にツッコミを入れる役。
『聖夜祭』ではサンタのコスプレをして現れ、通常魔境で迎えを待っていた

本作では初期★2から異世界★4まで幅広く存在するが、異世界★4以外はすべて薬師である

は行

はつな

安倍清明の末裔ということ以外は詳細不明。
陰陽師の一人で、織田信長の命で幽魔を退治し「穴」を封じることを使命・目的としているらしいが、素性などは一切不明の謎多き女性。
向こう側の人間にもかかわらず、イベント魔境等、どこにでも現れる。
術は土御門家由来。のみならず、土御門家の遠縁という噂もあるが、こちらははっきりしない

高所恐怖症、船酔いすること等、まつりに弱点をつかれるとビンタする。

ネタバレ

実は主人公のご先祖様。穴を封じるためには自己犠牲が必要であり、はつなの末裔である主人公は穴を塞ぐと存在が消えるという恐ろしい矛盾を含んでいる。

北条氏康(ほうじょう うじやす)

相模の戦国大名。北条家の三代目にあたり、氏綱の嫡男。正室は瑞渓院(今川義元の姉妹)。
氏康が家督を継いで間も無く、今川義元は氏綱に占拠された駿河国の河東を奪還すべく、関東管領の山内上杉氏と手を組み挟撃を開始。
これに呼応して武蔵国にも山内上杉・扇谷上杉・古河公方らの連合軍が攻め寄せ、河越城を包囲した。
氏康は義元と和睦すると河越城に駆けつけ、八万の軍勢に対しわずか八千の精鋭で勝利を収める。
この十倍もの兵力差を覆した戦いは河越夜戦と呼ばれ、日本三大奇襲の一つにも数えられている。
その後も武田信玄や上杉謙信らの強豪と戦いながら勢力を拡大し、関東八州に覇を唱えた。

検地の徹底、税制改革、目安箱の設置等の善政を敷いた一方で、勇猛な武将としても知られ、「相模の獅子」の異名を取る。
生涯三十六度の合戦では一度も敵に背を向けたことがなく、受けた傷は全て身体の前面に負った「向疵」であったという。

本作では『異聞 河越夜戦』に登場。

異聞河越夜戦・前編 ネタバレ

今川義元と太原雪斎は山内上杉と手を組み、「北条に奪われし」河東の地へと進軍してきた。
氏康は風魔小太郎から今川軍侵攻の報を受けると、義弟綱成に長久保城の守備を命じ、自らも吉原城に出陣する。
彼は今川から嫁いできた瑞渓院を案じていたが、氏康を心から慕う瑞渓院は「ろけっと砲」で義元を吹き飛ばそうと参戦を望み、氏康に城に残るよう諭される。

主人公一行が吉原城に到着し幽魔退治をしていると、氏康が小太郎を伴って直々に挨拶に来る。
しかしそこに今川軍が出現。
氏康は幽魔とともに応戦するのは不可能だと判断し、城兵も引き連れて一時退くことにする。
義元は吉原城の幽魔退治には協力するものの、まつりの提案した北条との停戦については固辞した。

一行はまつりの発案で大石寺に向かうが、これは武田信玄に、北条と今川の早期停戦に向けての仲介を頼むためであった。
しかし信玄は、仲介の意思は見せつつも、氏康自らが停戦の案を拒んだことを理由にこれを断った。

今井狐橋に押し寄せる幽魔を見た氏康は、今川と幽魔が手を組み攻め寄せているものと思い込んでいた。
しかし一行に手渡された双眼鏡によって多少誤解は解け、自軍と今川軍で幽魔を挟み撃ちすることに決める。
一方義元らは幽魔を北条軍に追い立てていたが、挟み撃ちの作戦には手を貸し、共同で幽魔を殲滅した。

事後の会談中、長久保城主の叔父幻庵から急報が入る。
上杉憲政(山内上杉)・上杉朝定(扇谷上杉)・足利晴氏(古河公方)が手を組み、八万の大軍で北条攻めを始めたとの話であった。
この時初めて氏康は、今川が幽魔とではなく北関東の三家と通じ、北条を挟み撃ちにする策を立てていたことを知るのだった。
彼は河東を守るために河越まで失ってはならじと、綱成を河越城の守備に向かわせる。
そして信玄の仲介で義元と停戦の誓いを立て、河東を明け渡すことになる。

一方本部に戻ったまつりは、石動理事にあることを頼むのであった。

異聞河越夜戦・後編 ネタバレ

再び河越を訪れた一行は、まずは氏康の陣に向かう。
氏康の説明によると、敵方の軍勢は八万。
対して北条勢は河越城に三千、そして氏康率いる『七千』の兵であるという。
史実では氏康らの軍勢は八千であるが、この魔境では千の兵が足りなかった。
劣勢ではあるものの、氏康はそこに隙を見出して策を講じていた。
敵に幾度も攻撃を仕掛けては逃げることで戦力不足をアピールし、更に幻庵が氏康をたしなめる芝居まで見せ、北条家を侮らせたのである。
加えて風魔一族が敵陣に酒を行き渡らせたため、大いに敵方の士気が下がっているとの報であった。
去り際に一行は、河越城の綱成宛の文を氏康より託された。

河越城に向かう途中、一行は山内上杉の陣の横を抜けるが、幽魔は山内上杉家を無視して一行だけを襲ってきた。
これに疑念を抱きながらも河越城に辿り着くと、綱高の案内により入城し、同時にはつなとも合流した。
綱高の話により、三家連合軍と幽魔が手を組んでいる可能性はますます高まる。
一行から文を受け取った綱成は、氏康が河東を諦めたこと、そして明日にでも夜戦を仕掛けることを知り、奮起して戦に備える。

帰参した一行から報告を受け取った氏康は、自ら山内上杉家の本陣へ赴く。
相手の油断を誘うため、また敵状を視察するために、憲政に降伏を申し入れに行ったのである。
憲政は氏康の目論見通り北条を侮っており、降伏交渉を跳ね除ける。
その裏ではつなは、山内上杉が幽魔と通じていることを確信した。

ついに夜戦を決行する時が訪れる。
山内上杉の陣へと突入しようとする氏康らに、一行はあるものを渡す。
それは石動達が用意をしてくれた三千個の暗視ゴーグルであった。
北条軍が攻め寄せて来たとの報に、山内上杉軍の長野業正と上泉信綱は応戦の態勢を整える。
同時に綱成は朝定を、綱高と大道寺政繁は晴氏を討つために、河越城より打って出た。

扇谷上杉本陣の朝定、古河公方本陣の晴氏は、共に無意識に邪気を放ち、幽魔を生み出していた。
二人とも死の間際に突如、奇異な幽魔の姿へと身を転じる。
「黄泉渡し」という名のその幽魔は、より多くの人の命を黄泉へと渡すため、二人に仮初めの命を授けて蘇らせ、今まで利用していたのであった。
二体の黄泉渡しを倒し、一行は山内上杉本陣へと急いだ。

氏康は憲政のもとを目指すも、業正と信綱の奮闘により、そして『兵が千足りない』ことにより苦戦を強いられていた。
しかし憲政は幽魔を引き連れ、自ら氏康の前に現れる。
幽魔に囲まれ大苦戦する一行だったが、その時大爆発とともに幽魔の壁に穴が開く。
瑞渓院が「ろけっと砲」を撃ち込んで道を切り開き、氏綱率いる千の兵を引き入れたのである。
氏康が氏綱とともに憲政に斬り掛かると、黄泉渡しが出現した。

最後の戦いを終え、河越城では勝利の宴が催されていた。
氏綱や綱成らが祝いの酒を交わす裏で、氏康は瑞渓院の差し出したレモネードに口をつける。
宴に招かれていた一行は瑞渓院に会い、彼女から感謝の言葉を受け、そして「なにゆえ殿に近づいた」のかを尋ねられた。
戸惑うまつり達に、瑞渓院は言葉を続ける。
「殿に色目を使う女はこのろけっと砲で吹き飛ばすと固く誓っておってな。」
「末期の水は、れもねーどでよいな?」

ま行

松姫(まつひめ)

武田信玄の六女。
武田家と織田家の誼を深くするため、幼くして織田信忠の許嫁となった。
しかし武田と徳川の間で三方ヶ原の戦いが起こると、織田は同盟関係にある徳川に援軍を送ったため、両家の親交は絶えて婚約も破棄されてしまった。
その後敵対関係となった武田家と織田家だが、武田氏滅亡後も松姫が無事であることを知った信忠は、改めて松姫を妻として迎える用意をする。
しかし本能寺の変が勃発し、信忠は自刃。同年松姫は出家し、信松院と名乗った。
生涯二人は会うことはなかったとされるが、信長が信忠にそうするように言い聞かせていたこともあり、頻りに文や贈り物のやり取りをしていたという。

本作では『三方ヶ原異聞』に登場。

三方ヶ原異聞 ネタバレ

松姫が大きな荷物を用意するのを見た四人の姉達(波留姫、佐保姫、真理姫、菊姫)。
訝しんで尋ねると、松姫は「あの人」に会いにいく決意を告げる。
姉達は松姫に協力する意向を示し、父信玄が評定で不在にしている隙に皆で館を発つ。
馬場信春から娘達の失踪の報を受け、書置きを目にした信玄は、血相を変えて出陣の支度をする。

主人公一行は遠江に出現した魔境に向かうところで、織田家の使者であった信忠とその案内本多忠真に遭遇し、行動を共にしていた。
一行は青崩峠で少女が幽魔に襲われているのを目撃し、救出する。
彼女の名前を聞いた信忠は、彼女が自身の婚約者である松姫であることを知る。
織田家と松平家が近付くことを武田家に知られることを危惧した信忠は、幸い婚約者同士でありながら今まで面識がなかったこともあって、松姫に対し「吉法奇妙斎」と名乗る。
(信長の幼名「吉法師」と信忠の幼名「奇妙丸」を合体させたものであると考えられる)
そして一行は松姫の供の者達を探すことにする。

初めは武田勢に警戒していた松平勢だが、この出兵は松平勢と一戦交えるためのものではないことが判明し、互いに協力して幽魔を倒していく。
一行も両勢の武将達と出会いながら、菊姫、佐保姫、真理姫を救出していった。
そのような中、奇妙斎の正体を知る酒井忠次は松姫との仲の良さを冷やかしたが、松姫は奇妙斎に感謝しながらも、自身が想う人は許嫁の信忠だけであると言い張る。
松姫は信忠が文武に優れた青年であり、そして「こんなにおひげが生えていない」と信じていたのだった。
その言葉に信忠は若干気落ちしたようで、忠次は非礼を詫びながら彼を慰める。

一行は四人の姫を伴って信玄の陣へ赴き、残る波瑠姫の救出に向かう。
この時信玄は初めて信忠と対面し、彼ならば婿として悪くないかも知れないと考える。
だが愛娘の松姫が信忠に武運を祈るのを見て顔色を一変させ、幽魔に八つ当たりするかのように猛撃を始めた。
無事に救出された波瑠姫だったが、妹たちにより松姫を連れ出した首謀者にされていた。

信玄と信忠は松平元康に会い、共に幽魔退治の策を練る。
信忠はまずは兵を退くように見せ、頃合いを見て攻めに転じ、一行を敵の中央へ送り込む策を述べた。
また戦況を見て差配を伝える役を、彼自身が務めることも申し出る。
信忠は自分に皆を導く器がないことを思い悩んでいたが、この役を通して自身のあり方に気付く。

無事に幽魔退治を終えた一行。
別れ際、松姫は奇妙斎に信忠宛の文を手渡す。
文に記されていたのは、自分が立派な姫となること、早く迎えに来て欲しいこと、そして次の言葉であった。
「奇妙斎、いえ奇妙丸さま……。おひげもよいと存じます。」

三好長慶(みよし ながよし)

細川家の重臣だったが、主君そして将軍家をもしのぐ勢力を畿内に築き上げ、『最初の天下人』と称された
しかしその後病気と身内の不幸から心身共に異常をきたす。史実ではそこから松永久秀に実権を握られ、その状況のまま病死してしまう

本編では河内和泉解放戦で登場するが、正に最晩年そのままの状況で思い込みと浮き沈みが激しい。すぐに介錯を周囲に求める始末
解放していくにつれ徐々に回復していくのだが、最終局面で全幅の信頼を置いていた松永久秀が行方不明に
まつりの言葉も届かず、精神状態はどん底に・・・
が、突如回復して最終的な指揮を執ることになる。まつりの言葉が届いたのか単に開き直っただけなのかは定かではない
『永禄異聞』でも登場。(周囲の思惑はともかくとして)清水寺参りに来ていたところに騒動に遭遇
三好家の当主として討伐を命じる。そして、(主人公一行も含めた)他の三勢力と永遠の功績争いをすることになる
また『木津川口異聞』でも直接の登場はないものの、阿波水軍の頭領である森甚五兵衛の台詞に、健在を匂わせる一節がある

ネタバレおよび推察

永禄異聞で登場したのは本編の影響と思われるが、単に魔境の異常性が原因と考えることもできる

毛利元就(もうり もとなり)

安芸を本拠とする戦国大名。一国人領主に過ぎなかった毛利家を一代で中国地方一の大大名に押し上げた
厳島の戦いで陶晴賢を討った後に大内家を滅ぼし、後に月山富田城を陥として尼子家も滅亡させる
周到な調略、謀略、そして駆け引きを得意としたことから、後世の人間に『中国三大謀将』の一角に数え上げられるようになった

家族内、家中、そしてかつて同じ立場だった国人領主の結束を重視していたことから、戦前、『三本の矢』の逸話が世間に広く伝わった
が、それ自体は、実在の書状を元にした後世の創作、との説が現在では有力である
ただし、大変筆まめな人物だったようで、その書状のみならず、数多くの書状を残している
身内宛の書状はやたら長いものも多かったらしく、後世の評論家の一人はこの様を見て『説教魔』と評したという

『厳島異聞』でも登場。登場時の話しぶりからすると、本編の後らしい
「陶晴賢が黄泉から帰ってきた」との一報を受けても、「化け物が黄泉から溢れ出てるのだ。ついでに帰ってきても驚かない」と語る元就も、
かつての主君である大内義隆が帰ってきた、との一報にはさすがに動揺を隠せない
大内勢と桜尾城で合流後、義隆から、自身の本拠である周防への帰還の協力を依頼される
その時褒美を聞かれた際、『大内領にある大寧寺への参拝の許可』を願い出る
それを聞いたまつりの心中は穏やかではなかった

『厳島異聞』ネタバレ、毛利元就視点。絵馬ヶ岳終了地点

大寧寺は史実で、そしてこの世界でも大内義隆が自刃した寺である。その名を持ち出して大内勢の反応を伺っていた
・・・というより、むしろ自らの態度を示した、というべきか
それを聞いた毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の三人の息子たちは、大内勢・・・特に陶晴賢に対し、警戒態勢をとることになった
包が浦で晴賢の襲撃を受けても、慌てふためくまつりとは対照的に泰然自若の構えを見せている
あまりの落ち着きぶりに、「こっちが滑稽に見える」とまつりに呟かせたほど

詰めていた隆元の援護を受けて逃げ込んだ宮尾城を晴賢に包囲されるが、桂元澄に書状を持たせ、大内勢に晴賢の背後を突かせるよう試みる
実より名を重んじる義隆の心理を突いた書状だった。その策は当たったが、突然大内勢の背後に幽魔が現れる
晴賢も後詰めを残していたのだ
一行も救援に出るが結局間に合わず、大内勢は撃破されてしまう。さらに城外に出たことで、後詰めを得て勢いを増した晴賢勢と正面衝突する形になった
そのまま城に逃げ込むわけにはいかない。さりとて、既に自前の手は使い果たしている。元就は元春・隆景に賭けた
晴賢の策を見破れる、という考えからだった。それに応え、元春・隆景勢は村上水軍と共に現れる
これで形勢は逆転、一気に決着を付けられるか、と思われたが晴賢は海から鯨の化け物を呼び出した
これこそが晴賢の奥の手だったのだ。毛利の兵は腰を抜かして戦闘どころではなく、そのまま逃げられてしまった

城に戻って作戦会議になるも、さすがに鯨相手に海で挑むわけにはいかない。陸に引きずり出すしかない
水軍で退路を断った後、鶴翼の陣で迎撃し、包囲・殲滅・・・の方針となる
一行の活躍で包囲が完成、中央で晴賢と対峙する。隆元が「大内家を見捨てた不忠者」と喝破されると、代わって進み出る
「大内が滅んだのは晴賢が主たる臣を討ったから」と言うと「大内の天下のため邪魔者を排除したのみ」と返される
「他に天下を望んだものはいたか?」と続けると「志を持たぬものはただ呑まれるのみ!」と激高
「荷は一人では届けられぬ。お前は天下を望める器ではなかった」と突くと、晴賢は開き直るしかなかった
そのまま交戦、撃破。晴賢は敗走する幽魔に巻き込まれ、そのまま海へと消えていった

や行・ら行・わ行

山中鹿之助 (やまなか しかのすけ)

本名は幸盛。尼子家再興を願い、『我に七難八苦を与えたまえ』と月に祈った逸話は有名
しかし史実ではその願いはかなわず、毛利家に捕縛され、最期は連行される道中で斬殺されてしまう

本編では尼子家の跡取りである義久に付き従っている形で登場するが、
その世話焼きぶりを見たまつりに『過保護』と称されている

『尼子道場』では、「尼子三傑」として熊谷新右衛門・立原久綱とともに登場。
己の力量を試す機会を待ち望む他の二人と対照的に、ひたすら苦難を待ち望むその姿勢をまつりに呆れられている

夜霧

架空の人物。
『天正伊賀の乱異聞』で登場。前編の主要人物の一人
主人公一行の前に立ちふさがるが、道案内役をすることになる
当時同行していた織田信雄とはいさかいもあったが、自分の居場所である伊賀を守るため、最終的に協力する
そして伊賀を支配していた幽魔の首領を撃破するが、実体の半分を撃破したに過ぎなかった
そこに伊賀を離れていた姉が戻り、織田軍と一時休戦したことを告げられる

ネタバレ

夜霧の姉は★4武芸者の夕霧。登場当初は『くの一』(名前は誤植ではない)という名前だった
また、初出の本編では登場しなかったが、『朝霧』という名前の姉妹がいることが判明した

コメント

  • 『配下』って表現は適当じゃないよね。ゲーム中の立ち位置としては『機構に協力して頂いている武将の皆さん』なんだから。プレイヤーの部隊に加わったからって主人公や秀吉の配下になったわけじゃない -- 2016-09-10 (土) 03:09:12
    • 同意。『本作内では』に変えてみる。ほかに適当な表現はあるかな・・・? -- 2016-09-10 (土) 10:39:41
  • 一部の下品なネタ、明らかな間違いなどを削除しました -- 2016-09-11 (日) 18:45:35
  • ストーリーの履歴をいつでも任意で見る事ができて、武将名のYahoo検索機能まで付いてるこのゲームでこんなネタバレとどうでもいい個人の感想しかないページを作る意味なんてどこにあるんだろうか。メリットが皆無な時点で存在意義がないと思う。そういう個人的なのはSNSでやってほしい。 -- 2016-09-12 (月) 13:59:55
    • メインストーリーに出てくる人物を書く必要は殆ど無いよね、需要があるのは後発組が絶対見られないイベントの登場人物に限られるとは思う -- 2016-09-12 (月) 19:25:03
  • ページ削除みたいに害があるわけじゃないから、やりたいようにやらせておけば?こんなページの編集に時間をかけるより新規さんの質問とかに丁寧に対応したほうが本wikiの活性化につながるとは思うけどね。 -- 2016-09-12 (月) 19:52:26
  • 必要ないページとの意見が多いようなので暫定措置として他のページからのリンクを外しました -- 2016-09-14 (水) 11:41:22
  • また荒れるから、リンクを戻してあげたら? -- 2016-09-18 (日) 21:13:15
  • >>悩んだプレイヤーも多いであろう。これ書いてる奴だけだろ。何を迷うんだよ。見なけりゃいいじゃなくてさ個人主観大杉でこのページの存在自体がムカつくんだよ。消せよ。 -- 2016-09-19 (月) 23:13:02
  • 批判コメントだらけだからってコメント欄を消してしまおうって発想になるかね普通…。編集の仕方も内容も、「自分がこうしたい、書きたい」ばかりで、それを読む人がいるって視点が欠如してるんだよね。この文章はいらない、ここは説明不足、この表現はおかしい、って各項目を一つ一つ添削してあげたいくらい内容がひどい -- 2016-09-20 (火) 15:13:51
    • 何の事言ってんのかと思ったらこのコメページへのリンク消されてたのを修正したのね。何故こんな墓穴を掘るような真似を… -- 2016-09-20 (火) 15:32:45
    • 埒が明かないしこのページごと抹消する事を提案してみる。あっても良いことなくて荒れるばかりでメリットが見当たらないからね -- 2016-09-20 (火) 15:46:29
      • そうすると、また用語集の方が荒れそうな気がするが…。 -- 2016-09-21 (水) 07:42:19
      • アクセス解析入れたから削除荒らしはもう来ないよ。そもそも荒らしの意図が不明なのにページを分離したところで、荒らし対策になっていなかった。現にこのページも何度も削除されてるしね。 -- 2016-09-21 (水) 11:54:31
    • 俺の目には一人でこのページ作ってる人が先日の削除荒らしと同一人物、あるいは同類に見える。違ってたらすまんな。 -- 2016-09-21 (水) 17:47:46
  • 『過去の記憶が無いように見えるが…。』って、実は記憶があるってネタバレしてるのと同じじゃないか -- 2016-09-21 (水) 17:42:57
  • 個人の感想・一考察・戦闘での使用感などの主観的な文章は削除し、同時に一部の項目を大幅に編集させて頂きました。拙文ではございますが、武将のスキル名・特性名の由来となった逸話、登場するストーリーに関する史実の出来事を中心にまとめてみたつもりです。また折り畳みで、その人物がメインとなるストーリー(特に過去イベント)のあらすじを記しました。 -- 2016-12-02 (金) 21:09:40
    • 乙。ここ自体の必要性はさておいて、とりあえず見るに堪えないページからは脱却できたと思う -- 2016-12-03 (土) 11:26:28
    • 乙。新規ユーザーや戦国時代に詳しくない人にはいいんじゃないかな。 -- 2016-12-04 (日) 17:59:14
    • 乙。当時クリアできなかったストーリーの結末が読めて嬉しいわ。 -- 2016-12-05 (月) 00:16:42

*1 ただし、まりもこの名前を使ってはいるが、この名前は戦国時代にはなかった可能性がある