冷戦期の自衛隊
冷戦期の自衛隊、とくに航空自衛隊の防空思想は、設立から一貫している。
それは 「先制攻撃をせず、侵入されても致命傷を防ぐ」 という考え方だ。
日本国憲法の制約下では、
- 敵基地攻撃
- 先制打撃
- 広域制空権の奪取
といった行動は想定しにくい。逆に言えばそれが弱点となってしまっているが・・・
そこで航空自衛隊は、次の役割を担うことになった。
それは、日本の上空を通過させないことだ。
当時の脅威は、ソ連の爆撃機(Tu-95など)が、高高度、直進で日本領空へ侵入。核爆弾や通常爆弾などを投下し、そのまま太平洋側へ通過する想定であった。
これに対し自衛隊は、
- 要撃戦闘機(F-86、F-104)
- 地対空ミサイル(ナイキ、ホーク)
を組み合わせ、点と線で本土を防空する構想が取られた。
しかし、1970年代後輩から1980年代前半にかけ、戦術に変化が起きはじめる。
- ソ連などの仮想敵国は爆撃機を「単独侵入」させず、
- 高性能な巡航ミサイルを搭載し、日本周辺空域、もしくは安全な後方地帯から発射
- 電子戦機や囮機を含む複合的な攻撃
を行う傾向が強くなり、当初の「見えてから撃つ」防空は成立しなくなりつつあった。
ホークは確かに近代的で優秀なミサイルではあったが、自衛隊や防衛庁などの関係機関では、
- レーダー網の多層化
- 指揮管制の自動化(BADGE構想)*1
後述するが、ホークの弱点である低空侵入への危機が強く意識され始める。したがって、前時代的なホークでは上記の目標に対処することが難しいのでは?という意見が一般化した。
さらに追い打ちをかけるように、1980年代後半ともなると、
- 中~長距離巡航ミサイルの実用化
- 地形追随飛行、低RCS機体の開発
- ECM(電子妨害)の高度化
により、防空は「破られる前提」で考えることが必要となった。
現代では一般的となったが、戦闘機や各種の射程距離の違うSAMなどを組み合わせた「多重的、複合的な防空システム」。
防衛庁や自衛隊などの関係機関は、これを研究・開発し始めるのであった。
ホークミサイルの限界と航空機、ミサイルの高性能化
ホーク(MIM-23)は、決して性能の低い兵器ではなく、むしろ登場当初においては極めて優秀で高性能な地対空ミサイルであった。
ホークの開発が始まった1950年代において、主たる想定脅威は、高高度を飛行する爆撃機であり、その速度は亜音速から超音速初期(マッハ1.0~1.2程度)であった。
この時代の敵航空機は、機体が大型でレーダー反射断面積(RCS)が大きく、速度は速いものの、基本的には直線的な飛行しかできず、機動性は低かった。
すなわち、「レーダーで捕捉さえできていれば、命中を十分に期待できる相手」であったと言える。
ホークは、当時としては画期的なセミアクティブ・レーダー・ホーミング(SARH)方式を採用しており、機動性の低い標的に対しては、極めて有効な誘導方式であった。
しかし、その後脅威は急速に進化する。1970年代後半以降、航空機およびミサイル技術は大きな飛躍を遂げ、航空機は次のような高次元の能力を備えるようになった。
- 低空侵入(地形追随飛行)
- レーダー反射面積の低減
- ECM(電子妨害)ポッドの標準化
- 高Gによる回避機動
また、攻撃手段としてのミサイルも進化し、
- 巡航ミサイルの本格的な運用
- 超低空飛行・シースキミング
- 小型・高速・複数同時侵入
といった、被発見性が低く、打撃成功率の高い戦術が一般化していった。
これらの変化は、ホークにとって致命的なものであった。加えて、以下のような構造的弱点が顕在化する。
- 誘導方式が照射レーダーに依存しており、照射妨害や照射レーダー機材が破壊された場合、ミサイル誘導が不可能となる
- 低空探知能力に限界があり、地形反射(クラッター)の影響を受けやすい
- 同時対処能力が低く、多目標への同時迎撃が困難
- 固定陣地での運用を前提としたため、機動性に乏しい
この結果、従来の「高高度から単独で侵入してくる敵航空機」を迎撃する兵器体系から、「高高度・低高度を問わず、群を成して侵入してくる敵」を相手にする防空体系への転換が求められるようになった。
このギャップを埋めるために必要とされた要素が、以下である。
1.アクティブ・レーダー誘導による撃ち放し能力
2.高速信号処理が可能なレーダー(多目標同時追尾および航空機・ミサイルの識別能力)
3.戦術的ネットワーク化による統合防空システム
研究、試作、そして実用化へ
さて、上述した通り、世界的にミサイルおよび航空機技術の進歩は著しく、自衛隊および防衛庁もまた、次世代防空システムを見据えたレーダー装置や地対空ミサイルの研究に着手することとなった。
1980年代後半から1990年代前半にかけては、
- 要求性能の検討
- レーダーおよび誘導方式に関する技術研究
といった、基礎的・概念的検討の段階にあった。
その後、開発は本格化し、1999年には、
- ミサイルの試作
- AESAレーダー装置の実験
- 同時対処能力(多目標同時迎撃能力)などの評価
が実施され、実用化に向けた作業が急ピッチで進められた。
こうした研究・開発の成果として、2003年、ついに新たな防空システムは制式化され、03式中距離地対空誘導弾として、全国の部隊への配備が開始された。
PAC-3(通称パトリオット)と違いは?
PAC-3は、主として弾道ミサイル迎撃を目的とした防空兵器であり、超高速・高高度目標に対する最終段階での防衛を担うシステムである。
迎撃方式にはヒット・トゥ・キル(直撃破壊)方式を採用しており、迎撃の成否が直接被害の有無に直結する。
すなわち、PAC-3は「ここで止められなければ終わり」という局面を守る兵器である。
その特性上、
- 配備数は限られる
- 防護範囲は狭く、点防御に特化している
- システムおよび迎撃弾が高価で、使用可能弾数にも制約がある
といった特徴を持つ。一方、03式中距離地対空誘導弾(03中SAM)は、
- 航空機
- 巡航ミサイル
- UAV(無人航空機)
などを主な対象とする面防御型の防空兵器である。
その特徴は、
- 中距離防空を担う射程
- 高い同時対処能力(多目標同時迎撃)
- 戦術データリンクによるネットワーク化と、柔軟な再配置能力
にあり、敵の侵入そのものを阻止する防空網の中核を成す存在である。
自衛隊の防空構造は、概ね次のような多層構造となっている。
- 戦闘機(最外縁防空)
- 03式中SAM(広域・中距離防空)
- 81式地対空誘導弾(中距離防空)
- 91式地対空誘導弾・基地防空SAM(近距離防空)
- PAC-3(最終段階防衛)
このように、PAC-3が点防御による最終防衛を担うのに対し、
03式中SAMは、**多層防空網の中心に位置する「広域の盾」**である。
両者は性能比較の対象ではなく、
役割も思想も根本的に異なる兵器体系である点に注意する必要がある。
世界初の電子妨害
組織的な電子妨害(Electronic Countermeasures:ECM)の始まりは、第二次世界大戦とされている。その直接的なきっかけとなったのは、索敵レーダーの登場である。
1930年代後半から1940年代初頭にかけて、各国は電波を用いた探知装置、すなわちレーダーを実用化した。代表的なものとしては、
- イギリス:チェーン・ホーム(防空レーダー網)
- ドイツ:ヴュルツブルク、フライヤ
などが挙げられる。
当時のレーダーは、
- 敵機の早期発見
- 夜間や悪天候下での迎撃支援
といった、比較的限定された能力しか備えていなかったが、それでも人類はここで初めて
「電波によって敵を“見る”」という新たな能力を手に入れたことになる。
当然ながら、敵も同じ事実に気づく。
そうなれば次に生まれる発想は自明である。
「その電波を妨害できれば、戦局を自軍に有利にできるのではないか」
こうして、世界初の“組織的”電子妨害は、1942年頃のドイツ空軍によって試みられた。
ドイツ空軍は、イギリスの防空レーダー網に対し、
- 雑音信号の送信
- 偽の反射信号の発生
といった初期的なECMを実施したが、当初は、
- 送信出力の不足
- 周波数の不一致
などの問題により、効果は限定的であった。
しかし1943年、「ウィンドウ作戦(Operation Window)」において、人類は初めて本格的な電子妨害に成功する。
これは、後のECM技術の基礎となる画期的な作戦であった。
1943年7月のハンブルク空襲において、イギリス空軍は、アルミ箔を細かく裁断したものを爆撃機から大量に散布しレーダー画面上に無数の偽目標を生成することに成功した。
その結果、ドイツ側の防空レーダーは完全に混乱し、レーダー誘導を必要としていた夜間戦闘機による迎撃は事実上機能停止状態に陥った。これにより、連合軍爆撃機の損害は大幅に減少した。
この作戦は、史上初めて「戦局を左右した電子妨害」として位置づけられている。
能力向上型とは?
前述したように、ミサイルや航空機の発展は目を見張るものがあり、基本型では対処が難しい場合もある。
2013年頃から配備が始まった03式中距離地対空誘導弾能力向上型では、以下のようなアップグレードが施されたとされている。
① 探知・追尾能力の向上
- レーダーの処理能力アップ
- 低空・高速目標への追従性改善
- 電子妨害耐性(ECCM)強化
② 迎撃範囲の拡大
- 実用的に使えるエリアが''拡大
③ 弾道ミサイルへの“限定的”対応
- 上昇段階、終末段階の一部に対して、補助的迎撃能力を持つとされる。
④ ネットワーク統合強化
- 他レーダーからの目標情報共有強化