アメリカ RankIII 機動砲艇 Elco 77 ft PT-59

概要
Elco 77ft型魚雷艇の魚雷を撤去し機銃を増設したもの。
魚雷のない魚雷艇とかただの艇じゃねーか などと言うなかれ。
機動砲艦というジャンルにふさわしい火力と速力を持つ。
艦艇情報(v1.**)
必要経費
| 必要研究値(RP) | 50000 |
|---|---|
| 艦艇購入費(SL) | 190000 |
| 乗員訓練費(SL) | *** |
| エキスパート化(SL) | *** |
| エース化(GE) | *** |
| エース化無料(RP) | *** |
| バックアップ(GE) | *** |
| 護符(GE) | *** |
BR・報酬・修理
| 項目 | 【AB/RB/SB】 (初期⇒全改修完了後) |
|---|---|
| バトルレーティング | *** / *** / *** |
| RP倍率 | 1.54 |
| SL倍率 | 1.2 / *** / *** |
| 最大修理費(SL) | 3250⇒*** / ***⇒*** / ***⇒*** |
艦艇性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 【AB/RB&SB】(初期⇒全改修完了後) | |
| 艦橋装甲厚 (前/側/後)(mm) | 0 / 0 / 0 |
| 船体装甲厚 (前/側/甲板)(mm) | 0 / 0 / 0 |
| 主砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 9.52 / 0 / 0 |
| 排水量(t) | 46 |
| 最高速度(km/h) | 62⇒*** / ***⇒*** |
| 乗員数(人) | 20 |
武装
| 種類 | 名称 | 砲塔 | 搭載基数 | 弾薬数 | 購入費用(SL) |
|---|---|---|---|---|---|
| 主砲 | 40mm Bofors L/60 | 単装 | 2 | 4000 | *** |
| 副砲 | 12.7mm AN-M2 | 連装 | 4 | 8000 | *** |
| 単装 | 6 | 6000 |
弾薬*1
機銃
#include(): No such page: 40 mm Bofors L/60 gun| 武装名 | ベルト名 | ベルト内容 | 貫徹力(mm) | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | |||
| 12.7mm AN-M2 | 汎用 | API-T/AP/HEI/AP | 29 | 27 | 20 | 15 | 13 | 11 |
| .50 AP belt | API-T/AP/AP/AP | 29 | 27 | 20 | 15 | 13 | 11 | |
| .50 APIT belt | API-T/API-T/ API-T/HEI | 28 | 26 | 20 | 15 | 13 | 11 | |
追加武装*2
カモフラージュ
研究ツリー
| 前艦艇 | PT-314 |
|---|---|
| 派生艦艇 | - |
| 次艦艇(右) | USS Tucumcari |
| 次艦艇(下) | USS Litchfield |
解説
魚雷発射器が取り除かれ、12.7㎜機銃を片舷5丁ずつ配置されている。
特徴
--加筆求む--
【火力】
魚雷が無いため大型艦に対しては無力だが、無数の12.7㎜機銃と2門のボフォースがあるため小型艇狩りには無類の強さを誇る。
【防御】
【機動性】
史実
ソロモン諸島の戦闘で、制空権・制海権を失った日本軍は大発などの小型舟艇を利用して輸送を行っていたが、これらの迎撃に使われたのがPTボートである。これらは戦闘機から降ろした37㎜機銃や、時には40㎜ボフォース機関砲を搭載するなど火力を大幅に増強した。
さらにPT-59など一部の艇は魚雷を撤去しさらに火力の増強を図った。
初期のPT-59は通常のPTボートと同じく魚雷を装備していた。1942年4月9日、訓練中に誤射で発射した魚雷が補給船USSカペラ(AK-13)に不意に命中してしまう。
カペラは浅瀬へ移動後に座礁した。いきなりの味方撃ちから始まったこの魚雷艇は1942年11月にソロモン諸島の激戦地ツラギ島に配備され、12月9日夜、ガダルカナル島カミンボ付近で荷揚げ中の伊号第3潜水艦(艦長:戸上一郎中佐)に接近すると魚雷2発を発射、うち1発を命中させて撃沈した。なお、もう1発は僚艇のPT-44の下を通過している。潜水艦撃沈の功績により艇長のサールズ少尉には海軍十字章が授与された。
この艇の指揮官に駆逐艦天霧との衝突でPT-109を失ってツラギで療養していたジョン・F・ケネディ中尉が着任し、
魚雷を降ろし強武装の高速砲艇に改造される事となり43年10月7日に改造が完了した。(WTではこの改造後の姿でモデリングされている)
改造後にはベララベラ島を拠点に10月だけで13回の哨戒を行い、日本軍の水上機から爆撃を受け150ヤードの距離に至近弾を受けるなど数多くの危険な任務をこなした。
11月1日チョイセル島(チョイスル島)のウォーリア川に取り残された米海兵隊員の救助作戦に従事した。
これは900人の日本軍との間に孤立した87人の海兵隊員を救出する作戦で、PT-59自体は10人を乗せ食料を与えた。他の艇と合わせて大半の救出を成功させた。
燃料が満タンではなかったPT-59は事前に予想はされてはいたものの基地への帰路にガス欠を起こしてしまい、PT-236が救援を行い低速で曳航され帰還した。
11月18日を最後に連日の出撃で消耗したケネディは医師の助言により病気を理由に艇を降りる事となった。
その後のPT-59は1944年8月までソロモン諸島で作戦行動を続け、魚雷艇訓練センターに送られる事となった。
戦後のPT-59は民間に払い下げられ遊漁船「サン・タン」のちに「シークィーンV」として使用されていたが勘違いで他艇(PT-95)と混同されており、ケネディとの逸話が引き継がれていなかった。
この漁船が有名なPT-59である事が分かるとPTボート製作会社の創設者が購入を検討したが、1969年に火災に遭い廃棄されたと思われていた。
最後の所有者であり、ブロンクスコミュニティ校の英語教師であるレドモンド・バーク氏が、火災で燃え上部構造物や機関が外されたハルナンバー274398のボートを住宅代わりに1000ドルで購入しニューヨーク・マンハッタンの入り江に曳航し船上に住んでいた。
船の来歴を調べてみると元々はPT-59だと分かったが、当初バーク氏はケネディ指揮艇である事を知らず、PT-109に詳しい学生から貴重な艇だと指摘されて気付いたと言う。だが「ケネディのボートを持っている」と話してもジョークと思われ笑われるのみで、博物館、最大規模のケネディ記念品収集家にも頼ったが結局、誰も希望価格で買い取る者はいなかった。1976年にバーク氏は排水ポンプを止め、艇は自然のままに自沈した。
2017年にケネディ伝記作家ウィリアム・ドイルの手によってボートの一部が発見され、2020年6月に引き揚げられた。現在は戦艦マサチューセッツを管理するバトルシップ・コーブ博物館にてJFK’s PT-59として残骸の一部が展示されている。
小ネタ
のちに大統領になる男、ジョン・F・ケネディが1943年9月から同年11月まで指揮をしていた
--加筆求む--
外部リンク
コメント
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