基本スペック
駆動方式[MR]/ ミッション[6速]
初期馬力[64PS]/カーナンバー:・658(黄ナンバー)

全長:3,395mm
全幅:1,475mm
全高:1,180mm
最高速度:349km/h
出現方法:NSX (NC1)でシフトを『1-22-333-4444-55555-666666』
(1速を1回、2速を2回…というふうに6速まで入力する。)
備考:通称「エスロク」。R2 (RC2)に続く2台目の軽自動車。
もはや言うまでもなく車幅・全長はR2と並び全車種で最も小さい。
隠し車種の中では群を抜いて性能が高い。最高速に少し難があるが、MR車特有のコーナリング時のクセもそこまで無く、MRの入門車種として最適である。
オーバーハング/鼻先も短いのでこれまでのクルマ以上に大胆にコーナーに飛び込める。むしろノーズが短くなった分最初は面食らうかもしれない。
トラック2台が2車線塞いでようがお構いなし。余裕で擦り抜けられる。
滑る感じは然程無いが、1度曲げるとカウンターを当てるまで横に飛ぶような挙動を見せるので、そこも慣れが必要である。
ブーストも平均以上の強さはある。対接触性能もかなり強いが、"硬い"というよりは"重い"に近いか。軽自動車なのに
アザーカーもカローラやR2程度なら飛ばすのは簡単。技量次第ではコーナリング時にトラックをインガリ代わりに使っても速度が殺されない。
硬いという訳では無くあくまで"重い"ということを考慮しなければならない。工夫すればR32を簡単に押さえつけることも可能なので、練習あるのみ。
乱入対戦で活躍するシーンもそこそこあり勘違いされているが、誰でも勝てるという訳では無く「短さと重さを生かした先行逃げ切り」系のクルマ。
そもそも前述の重さは車種自体の遅さから来ているので基礎と応用のレベルが高くないと使いこなせないだろう。
以上のことからコマンド入力の難易度こそあるものの、隠し車種の中では初心者でも扱いやすい車といえる。特にソロプレイで楽しむ分にはうってつけのクルマだろう。
ただし乱入対戦で使う場合は話が別で、初心者にはあまりオススメできない。対戦環境で使用する場合、タイムアタックで好タイムを安定して出せるのと対戦用のライン取りを理解している基礎的な走力を前提に、軽自動車サイズを活かした忍者のようなすり抜け戦法、そしてリアに飛び込ませない盤石な走りが求められる。
これらを活かせる小技が必要になってくるが、手数を増やせば増やすほどかなり心強い/手強いクルマになるのは確実なため、プレイヤーの技量が試される一台である。
隠し車種の中ではコマンドが長い部類に入るので、筐体の厳選など入力の際はくれぐれも慎重に行うべし。
特にフルチューンチケットを利用する場合、シフト抜け筐体だと失敗確率が高く勿体ないので、試しにタイムアタックなどでシフトの状態を確認してからの方が安全だろう。
選択可能カラー
注意事項:GT-R (R35)等と同様に、ドレスアップパーツ類及びカスタムカラーが存在しない。

(スクショ左から)
| プレミアムスターホワイトパール |
| プレミアムミスティックナイトパール |
| フレームレッド |
| アドミラルグレーメタリック |
| カーニバルイエローⅡ |
| プレミアムビーチブルーパール |
雑記
- 本来、5DX+で追加予定だったであろう車種。
当時の未来研通信等でその存在がほのめかされていたり、YouTuberテオくんとのコラボ企画のリザルト画面にちゃっかり登場したりとデータは本当に入っていた*3。
その後6RR+まで一切アナウンスはなかったが、2024年11月23日に開催されたバンナム公式大会「日本最速王座決定戦2024」の決勝会場にて「隠しコマンド方式での解禁で、後に公開される未来研通信にて順次ヒントが発表される」とアナウンスされた*4…はずだったのだが、1回目のヒント発表にて「頭が1、末尾が6の21桁」の発表からすぐ答えが分かったユーザーが続出。公式発表を待たずして解禁された*5*6。 - 何気に湾岸マキシ初の3気筒エンジン車である。このためエンジン種別称号を獲得するにはワンメイクしか方法がない…が、ワンメイクの場合はワンメイク称号が出現するため、初のエンジン種別称号のない車種でもある。
またROADSTER S Special Package (ND5RC)に続き、数少ない2台目のソフトトップ車種でもある。 - なおドリフトスピリッツでは先に登場しており、エアロ装着が可能となっている。


- リアのウィンドウステッカーは中央のリアウィンドウに貼り付けられる。三人称視点だとまず判読は不可能。軽自動車である事や中央リアウィンドウの大きさを加味するとおそらく全車種中で最もリアウィンドウステッカーが小さい車種
実車について
- 車名の読みはエス-ロクロクマルである。
- ホンダがビート*7以来19年振りに発売した軽規格2シータースポーツカーである。

高い走行性能と手軽さを両立し、N-BOX等既存のホンダ軽自動車と部品を共有することによってコストを抑え、誰でも手軽に買って誰でもスポーツドライブを楽しめる、世界で一番「笑顔の似合うスポーツカー」として親しまれた。
- 国産車の中では珍しい幌を布地のように外してオープントップにすることが出来るタイプ「ロールトップ」の車。ロードスタータイプにしなかったのはフレームによる重量増加を恐れたため*8。

- 座席後ろの窓は開閉が可能で、オープンにした際走行中車内で発生する空気の渦を流す役割がある。*9
- このスタイルを見てもらうとわかる通りトランクスペースなんてものは存在しない。ボンネットの中に小さな収納スペースがあるが、オープントップにするために幌を外すとそこにしまうことになる為、オープントップ=収納スペースが使えない。という愛すべき欠陥設計でもある。
まあこの手の車に乗る人は大概「収納スペース?そこに助手席という名前の空間があるじゃろう?」という考えなので、試乗記では頻繁に書かれるものの、実際の所有者には欠点に上げられることは少ないのだが。
- エンジンはN-BOXと同じS07A型直列3気筒DOHCターボを採用。ただし、そこはスポーツカーのため味付けはかなり異なっている。それでいて燃費性能も高く、JC08モードでは21.2km/L*10と高水準。CVT仕様はアイドリングストップ機構も相まって24.2km/Lとかなり高い。
- 海外ではベビーNSXとして話題となり、良質な中古車が海外に多数流れている。また、生産終了後はすぐプレミア価格になるなどその注目度は今なお高い。

また、そこから着想を経て本当にベビーNSXにするエアロキットも存在する。
若きリーダーと駆け巡った一生
- 2010年、ホンダ創立50周年を記念した社内企画コンペに応募があった四輪部門400件のうち、当時21歳入社3年目の若手社員、「椋本 陵」氏の案が採用されたのが全ての始まりである。

コンペで採用されたこの案は、直ぐにモックアップの開発プロジェクトが立ち上がることになり、提案した椋本氏はホンダ史上最年少の22歳でプロジェクトリーダーを任されることとなった。
そして、この若きリーダーにベテランや中堅、若手のスポーツカー好きが集った開発室を部室と呼ぶことになる。*11*12*13
- 一般に公開された最初の姿は「Honda EV-STER」で、コンペの1位~3位のいいとこ全部盛りで作った車両だった。

前述のコンセプトカーが反響を産み、(市販化の際は)現実的に手軽に乗れるスポーツカーを作ろうという案にシフト。そうしてこのプロジェクトは軽自動車で開発が行われることとなり、S660に生まれ変わることになる。
- 一般に公開された最初の姿は「Honda EV-STER」で、コンペの1位~3位のいいとこ全部盛りで作った車両だった。
- ホンダファンや自動車雑誌はこぞって「ビート復活」としたが、実を言うと提案した椋本氏はビートという車のことを知らずに企画を作った。
ビートを知ったのはプロジェクト進行の許可が降りた時だったらしく、だからといって「2代目ビートにはしない」とハラをくくった。

- このような車では昨今の厳しい安全基準がクリア出来ないだろうと社内外では思われていたが、開発陣は「一線入魂」という言葉を掲げ、オープンボディにおける高剛性、高強度化と軽量化を両立を図った。
- ロールオーバー(横転)対策では北米法規を参考にし、ホンダ独自の社内基準を設定。フロントピラーとセンターピラーに補強材を追加することで乗員保護性能を高めている。
- 乗員保護のためのエアバッグには世界初採用となった「内圧保持型」を採用。通常開いてすぐ萎むエアバッグを暫く枕のように開いたままにすることにより、軽2シーターオープンながら高い安全評価を得た。

- 発売するやいなや、低価格と高い走行性能、何より否が応でも「ビートの生まれ変わり」として懐かしむ人がこぞって購入し、一時納車1年待ちのメガヒットとなる。
その後も安定して台数を出荷していたが、排ガス規制等の時代の波には逆らえず惜しくも生産終了となる。
- ラストモデルを2021年3月に660台限定で発表し、同月に注文を打ち切った。
しかし、注文を望む声が多く、同年10月に通常グレードを600台注文打ち切り時に商談中だった人に、50台をオンライン限定販売を行い、その50台は当日に満枠となった。
- ラストモデルを2021年3月に660台限定で発表し、同月に注文を打ち切った。
- 2022年3月に生産終了、2015年の発売から数え総生産台数38,916台。この時、既に開発リーダーの任を解かれた椋本氏を含めた部室メンバーが立ち会い、最後のラインオフを見送った。
若きリーダーのその後のおはなし
- 開発リーダーとなった椋本氏は、S660生産中の2016年にプロジェクトリーダーの任を解かれ、本来の部署であるモデラー部に戻った。その後、タイや東南アジア向けに久々に名前が復活したコンパクトカー「シティ」の開発にも携わり、そのまま普通に会社員として過ごす…はずだったのだが
- 任が解かれた2016年、「N-ONEオーナーズカップの参戦枠に空きが出たから出てみないか?」との誘いが社内から持ちかけられた。実は、S660の開発はホンダのスポーツカー魂を持つベテランから激推しされており、テストドライバーや開発チームに加わったベテラン社員の中にはNSXやタイプRシリーズの開発に携わった者もいたのだ。

そんな繋がりから急遽サンデーレーサーとしてデビューした椋本氏は、チームヤマト*15や後のHRDC*16等、ホンダの社内部活動でモータースポーツを行っている人々から直々に修行をつけてもらい、メキメキと実力をつけ現在ではスーパー耐久*17でのチームヤマト監督兼ドライバーとして参戦するにまで至った。


中堅になっても、リーダーの戦いはこれからも続いていく…。
- 任が解かれた2016年、「N-ONEオーナーズカップの参戦枠に空きが出たから出てみないか?」との誘いが社内から持ちかけられた。実は、S660の開発はホンダのスポーツカー魂を持つベテランから激推しされており、テストドライバーや開発チームに加わったベテラン社員の中にはNSXやタイプRシリーズの開発に携わった者もいたのだ。
