基本スペック
駆動方式[4WD]/ミッション[5速] 1989年発売
初期馬力[280ps]/カーナンバー:2568
マキシ2・3~車種称号【貴公子】

全長:4,545mm
全幅:1,755mm
全高:1,340mm
最高速度:350km/h
| モード別カテゴリー | 称号 |
| ST無敗 | 【首都高無敗】 |
| 夏休み称号 | 【伝説のR使い】 |
| ワンメイクバトル | 【R32キング】 |
| エンジン形式バトル | 【直6選手権】 |
| 期間限定首都一TA・1 | 【伝説のGT-R】 |
| 期間限定首都一TA・2 | 【俺のR】 |
| 車種限定バトル | 【史上最強GT-R】 |
備考:いわゆる「第二世代」最初のGT-R。SKYLINE GT-R V-specII (BNR34)と並ぶ人気車。
かつての「御三家」のうちの一台でもある。
加速力が非常に優秀で、旋回性・回頭性もRX-7 Type R (FD3S)程ではないが良く、小回りが利く。
空力に難がある*1ためか、最高速はR33~35のGT-R程は伸びず*2、高速域では直線でのハンドルのブレが大きい。そのため、湾岸線などのコースは少々苦手。
車体は比較的コンパクトであり、擦り抜けも容易。全長は若干長めだが前述の旋回性と回頭性の恩恵であまり気にならない。但し小さい車に慣れた後に使用するとノーズを引っ掛けやすいか。
持ち前の長さや対接触性能の強さを生かせる争奪戦では無類の強さを発揮し、ランキングでも多く見かけるほど。
一時期戦闘力が下方修正された事もあったが現在はほぼ「御三家」当時の強さに戻っており、2on2では使用率No.1となった。
性能が高水準でまとまっており、5速車の中でも特に扱い易く現在も厨車としての立ち位置にいる人気車である。
車両そのものの知名度も高く強車が台頭してきた現環境下に於いても初心者から上級者まで多くのプレイヤーが使用しており、FD3S同様オススメ出来る1台である。
選択可能カラー
| カラー名 | マキシ2•3~色称号 |
|---|---|
| ガングレーメタリック | 【鋼の/鋼鉄の】 |
| クリスタルホワイト | 【純白の/雪色の】 |
| ブラックパール メタリック | 【黒い/漆黒の】 |
| レッドパール | 【赤い/真紅の】 |
| スパークシルバー メタリック | 【銀色の/白銀の】 |
| ダークブルーパール | 【群青の/藍色の】 |
更新回数及び追加カラー/(M)=メタリック
| 1 | ブルー | 21 | グレー(M) |
|---|---|---|---|
| 2 | イエロー | 22 | ホワイト |
| 3 | オレンジ(M) | 23 | ブラック(M) |
| 4 | ペールブルー2(M) | 24 | レッド(M) |
| 5 | ライトパープル | 25 | シルバー |
| 6 | ダークパープル2(M) | 26 | ダークブルー(M) |
| 7 | グリーン3(M) | 27 | ピンク2 |
| 8 | ピンク | 28 | ペールグリーン2 |
| 9 | ワインレッド | 29 | ダークグリーン2 |
| 10 | ミントグリーン | 30 | イエロー3 |
| 11 | ベージュ(M) | 31 | スカイブルー |
| 12 | ライトブラウン(M) | 32 | ダークグレー2 |
| 13 | パールホワイト | 33 | ガンメタル |
| 14 | ペールイエロー | 34 | オレンジイエロー(M) |
| 15 | パープルシルバー | 35 | ライトブルー(M) |
| 16 | ペールピンク | 36 | ダークパープル(M) |
| 17 | フロッググリーン | 37 | グリーン |
| 18 | オリーブ | 38 | ゴールド(M) |
| 19 | ダークオレンジ | 39 | ライムグリーン |
| 20 | ブルーグリーン(M) | 40 | ライトレッド(M) |
エアロパーツセット
A:HRD(原田エンジニアリング)のフロントバンパーBをモチーフにしたエアロ。 ヘッドライトは丸目4灯に。
ストーリーモード5話で登場するEXCITINGのリーダーが装着しているのはこれ。

B:BOMEX風のエアロ。S15シルビアのエアロA(Dspeedエアロ)とほぼ同形状。

C:ヤナックのGTスタイルをモチーフとした形状。

D:BN SportsにVERTEXのカナードを取り付けたようなエアロ。純正でウィングレス。
GT-Rではなく、下位グレードのタイプMなどでよく見かけるドリ車系エアロ。車種別ウイングAがよく似合う。
まとまりが良く、比較的使用率の高いエアロ。

E:フロントバンパーは、TBK製にカナードが付いた雰囲気。リアには大型のディフューザーが装着される。

F:かなり張り出したスプリッターが装着される。フロントはJGTC仕様にやや似ている大型ダクトとなる。
リアバンパーにはかなりデカいダクトが開けられる。リアウィングは二段。

G:M's Factoryのワイドボディキットがモチーフか。車幅が少し大きくなるので、擦り抜けに注意。
車種別ウィングAを装着すれば首都高バトル01の名古屋のBOSSとして登場する「J」風味の仕様になるかも?

H:GT-R NISMO専用エアロ。6Rで再収録。フロントバンパーが俗に言う「豚鼻」と呼ばれるN1ダクトの付いた仕様になり、リアウイングの形状もNISMO仕様になる。
エアロD同様、使用率の高いエアロ。あっさり仕上げたい人にオススメ。
実車のニスモは、リアのワイパーがなく、ホイールも違うものが使われておりYOKOHAMAのADVAN Racing TCIIIを装着するとホイールは似せることができます。

I:C-WESTのN1フロントバンパーをモチーフにしたまとまりの良いエアロ。
リップスポイラー、サイドスカート、リアバンパー下部が黒く塗装される。

J:スバル・WRX S4(VBH)(本作未収録)をモチーフにしたエアロ。フロント・サイド・リアの無塗装樹脂が目立つ。

6RRまで。日産のVモーショングリル、トヨタ・MARK X G's(本作未収録)をモチーフにしたエアロ。ウィングはROWEN製に似ている。
マフラーは二本出しに変わる。

K:Silvia spec.R (S15)のエアロH(Nismoエアロ)を丸ごと移植した様なエアロ。
エアロHと同様にあっさり仕上げたい人にオススメ。

ダクト付きボンネット
A:Du-Luckの95年製ボンネットをモチーフにしたような形状。ボンピン付き。

カーボンボンネット(ダクト付1):

B:VARIS製のクーリングボンネットをモチーフに汎用フィンを追加した形状。

C:BCNR33のボンネットBと同じく、TBK製と思われる。

D:

カーボンボンネット(ダクト付き)2:

カーボンボンネット(ダクト付き)3:

車種別ウィング
A:NISMO製のリアトランクエアリップスポイラー。レイナや平本が装着している。

B:R34やGC8の車種別Bとほぼ同じ形状。
形状は違うが、雰囲気的にはJGTC仕様のR32を意識したい人にはオススメ。

C:純正ウィングをスリムにしたような形状。ボディ色のカーボン地になる。

エアロミラー
ガナドール・スーパーミラー風のエアロミラー。

カーボントランク

ワークスステッカー
NISMO仕様。元のボディカラーはロールケージを除いて完全に隠れる。
余談だが、このカラーリングは本来のBNR32のNISMOワークス仕様ではない。恐らくS-tune仕様がモチーフになっていると思われる。
厳密に言えばこのワークスカラーはZ33・BNR34・BCNR33・S15に採用されたものである。


サイドステッカー
雑記
- ボディカラー1つでイメージがガラリと変わるので、カラーの選択は非常に重要。ちなみに「ガングレーメタリック」はこの車のイメージカラーである。
初期カラーが「ダークブルーパール」の場合、ロールケージの色が黄色になる。これはマキシ1から続く仕様である。

- ミッション切り替え音:ブローオフ2 例「ポゥ」
- 本作のライバル作品である「頭文字D」においても、妙義ナイトキッズリーダーの中里毅が、作中の台詞で「リアサイドについているRのバッジは、不敗神話のRだ!!」と言及するシーンがある*3。また、同作の終盤にて高橋涼介と箱根ターンパイクでバトルした北条凜の駆る死神GT-Rは、ゲーム『ARCADE STAGE』シリーズでは中里仕様と同様にV-specIIがベースであるが、原作では湾岸マキシに登場している標準グレードがベースとなっていると思われる*4。
- 元気社の「首都高バトル」シリーズでは以下の代表的なライバルが使用している。
・パープルメテオ(NAMAHAGE)/藤巻直樹*5
・J/オダシマジョー
・仁の川崎/川崎真司
・夜明けのガーネット/笹原暁音
・クレイジーモンキー/白石務*6
・音速のナポレオン/柿岡裕嗣*7
実車について
- ケンメリGT-Rの生産終了から16年後の1989年に発表されたのがこのR32スカイラインGT-Rである。
本車は発売当時日産社内で行われていた901運動*8の集大成として開発され、足回りはアテーサE-TS、SUPER HICASといった当時の最新デバイスを、エンジンには専用開発されたRB26DETTが採用されたことで非常に高い戦闘力を持つ車となった。
- 湾岸マキシに収録されているR32 GT-Rは、上級グレードのV-Spec*9、V-SpecⅡ*10などのエンブレムが無いことから標準グレードの車両である。
また、車体色の設定を見るに1991年8月の一部改良で登場した中期型以降のモデルだと推測できる。
- 搭載されたRB26DETTは高い出力と耐久性と引き換えに鋳鉄製であったため非常に重く*11、これによって車重の増加を招いた上、フロントヘビーな重量配分*12となってしまった。さらにアテーサE-TSなどの高度なデバイスが仇となり、標準装備のブレーキではハードな走行に耐え切れず強いアンダーステアに悩まされ、後述のGr.Aよりも改造範囲の狭いGr.Nレースではべーパーロック現象*13によってリタイアしてしまうこともあった。*14
- 本車の開発時には、ドイツ・アイフェル地方に存在する世界一過酷なコースとして有名なサーキット「ニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)」へテスト車両を持ちこんで走行テストが行われた。*15
開発チームは自信を持って投入したものの、当初は1周もまともに走れなかった。水温・油温共に完全にオーバーヒート、5km地点でタービンブローし、周回を終えるまでに20分もかかり、“ニュル北”の厳しさを思い知らされたという。
- 7代目(R31型)開発終盤で開発責任者の座を継いだ伊藤氏は、R31スカイラインに関して
- …と情け容赦ない「伊藤氏にとっては」不本意なバッシングを受けたという。*20
そのため、当時流行していた「ハイソカー*21」と呼ばれる高級路線にシフトし不評に終わった7代目R31型に対して、8代目となるR32型は軽量コンパクトなスポーツ路線に回帰することを目標に開発された。- R32スカイラインの正式発表時に伊藤氏は、「これが、私のスカイラインだ」と誇らしげに宣言したという。
ちなみに伊藤氏は後年、「全てのクルマがオールマイティーでなくてもいいと思います。例えばミニバンのように室内空間を広く採ろうと思えば車高も高くなって、操安性が低下してしまうのは避けられないわけですしね。だから弱みを隠すのではなく、いいところを伸ばしたほうが存在価値を示せるクルマになると私は思うんです」と設計哲学を述べている。
- R32スカイラインの正式発表時に伊藤氏は、「これが、私のスカイラインだ」と誇らしげに宣言したという。
- R32型がそれまでの桜井氏設計のスカイラインと大きく異なる点は、GT-Rの存在意義が変わった事にある。桜井氏は『2000ccという排気量でどこまで立ち向かえるか』を重視しており、ディーゼルで採用されたLD28、RD28を除き、GT-Rを含めても2000cc、5ナンバーの枠から出る事はなかった。*22
しかし、伊藤氏の考えは『スカイラインという枠の中で、どれだけの速さを実現出来るか』を重視しており、開発段階で既にRB24やVG30が入っていた。この事からも、R32型のGT-Rは従来のスカイラインと違う考えの中、伊藤氏によって生み出された新たなスカイライン像とも言える。*23
- 1990年にはGr.Aレース参戦マシンのホモロゲーション用モデルとして、通称「豚鼻」と呼ばれている冷却用ダクトを設けられた専用フロントバンパー・リアトランクリップスポイラー*24を、BNR32の純正リアウイングと組み合わせて装着した「スカイラインGT-R NISMO」が500台限定で発売された。エアロセットHを装着するとほぼ完全に再現ができる。*25
ちなみにこのリアトランクリップスポイラー、リアのダウンフォースとトラクションの強化を見込んで前述の通り純正リアウイングと組み合わせて装着されたが、想定以上の効果を発揮してしまい、フロントのダウンフォースに対してリアのダウンフォースが効きすぎ、富士スピードウェイのストレートで全開走行した際フロントの接地感がまるで無かったらしい。
当時ハセミモータースポーツでドライバーを務めていた現NDDPの長谷見昌弘監督いわく「いっそのことリアウイング取っ払いたかった」とのこと。だがこのリアトランクリップスポイラーと純正リアウイングを組み合わせたままホモロゲーションを取得したことが仇となり、レギュレーションの関係でこのどちらも取り外すことが出来なかった。そのため対策としてウイングの取り付け部にワッシャーを挟み、ウイング自体を後傾させてアタックアングルを減らし、少しでもリアのダウンフォースを軽減しようとしていたらしい。
- Gr.Aでは同年よりR31スカイラインGTS-Rに替わり、全日本ツーリングカー選手権(JTC)クラス1*26にカルソニック・スカイラインとリーボック・スカイラインの2台が参戦、デビューウィンを果たす。
それまでGr.Aで最強を誇っていたフォード・シエラRS500を圧倒、予選では大差をつけて勝利しポールポジションを獲得、決勝ではスタートと同時に2台のR32 GT-Rがライバルを一気に突き放し、カルソニック・スカイライン以外の車両は全て周回遅れで優勝するという圧倒的な強さを見せ付けた。
翌91年にプライベーターへの供給が始まるとシエラRS500からR32 GT-Rに乗り換えるドライバーが続出し、ライバルを事実上駆逐してしまった。*27
そのあまりの強さから「R32 GT-RのライバルはR32 GT-Rのみ」という状況になり、1991年最終戦以降のJTCクラス1は事実上R32 GT-Rのワンメイクレース状態となってしまい、グループA自体が解消する大きな要因となった。*28悪く言ってしまえば、当時のリアル厨車と言える。この不敗神話は語り継がれる存在ともなっている。
- モデル末期(と言ってもGT-R以外モデルは1993年にR33型へとモデルチェンジしていたが)にはGr.Aが消滅、代わりに1993年から全日本GT選手権(現:SUPER GT)が開催。
その内、チームインパルが93年度(ほとんど試合不成立状態だったが)と94年度でGT1(後のGT500)でシリーズチャンピオンを獲得した。
- 本wikiでも度々言及されている土屋圭市氏は、AE86やNA1・NA2型NSXの他にも、日産との関係が悪化する前、Gr.A参戦時代に本車を愛車としていた事でも有名。
元々、氏は「レースで乗っているマシンを日常や自主練でも使用する」事を一つの決め事としており、自身でR32を購入、チューン*30して乗り回していた。おまけに全部で4台のR32を乗り継いでおり、その全てを走行過多によるボディの破損で廃車にしているという、正に湾岸ミッドナイトばりのエピソードを持つ。
なお、氏にとって事実上最後のGT-Rである4台目のR32は、廃車時にはパッと見でわかるほどボディが歪んでおり、内装を剥がすと内側に幾つも亀裂が入っていた程だった。当時の主な走り込みの場所はFSWとの事だが、いくらハイスピードサーキットとはいえ、300psそこそこのライトチューンでそこまでのヤレを引き起こしてしまう、氏の卓越したドライビングテクニックとコーナリングスピードが窺い知れるエピソードでもある。- なお、関係が悪化した理由については、本wikiのR33のページ、及びそのページにリンクされている「広報チューン事件」のページを参照のこと。
- 本車は、日本のチューニング業界に革命を巻き起こした車として有名である。
当時S130型フェアレディZがL28改3.1L+ターボでようやく400~550PS前後を絞り出していたのに対し、マフラー・コンピュータといったライトなブーストアップだけで400PS前後、さらにエアクリーナー・触媒・インタークーラーといった補機類の強化で450~550PS前後、エンジン本体に手を入れると600PS前後をやすやすと叩き出し、当時最強と言われたトヨタ7MーGTEを一瞬で窮地に追い込み、新たな市場を作り上げた。
登場から30年以上経った現在でも、他に引けを取らない一級品の戦闘力を誇っている。
- 第2世代GT-RのエンジンRB26DETTは、排気量が2.6Lと市販車としては中途半端な排気量である*31。これは前述のFIA-Gr.A規格で行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)のレギュレーションに適正化させたことが理由である。
- 上述の中途半端な排気量とサーキットのレースで勝つことを目的として高回転域のパワーを求めた設計のためか、排気量に対してトルク(特に低回転域)が細い傾向にある。
本車に搭載されるRB26の最大トルクは36kgf·m/4,400rpm。参考としてライバルとされる2JZ-GTEを搭載するJZA80スープラの最大トルクは46kgf·m/3,600rpm。400ccの排気量の差を考慮しても最大トルク値・発生回転数どちらも2JZには劣っており*32、RB26のトルクが細いことがわかる。*33RB26DETTの数少ない弱点と言われている。*34
但し、RB26のスカイラインGT-Rが前述の通り高回転型*35に開発されたのに対し、2JZのスープラは公道を余裕を持って走れるグランツーリスモとして低中速トルク型*36で開発されている為、方向性の違いによるものと言える。
