|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.024|
|&attachref(./024_2nd.jpg,nolink,よく出来ましたっ!);|>|霧島(きりしま)|>|金剛型 4番艦 戦艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|63|~火力|63 / 89|
|~|~装甲|52 / 69|~雷装|0|
|~|~回避|30 / 59|~対空|24 / 69|
|~|~搭載|9|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|13 / 39|
|~|~射程|長|~運|10 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|80|~弾薬|110|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|3|>|>|[[35.6cm連装砲]]|
|~|3|>|>|[[15.2cm単装砲]]|
|~|3|>|>|[[7.7mm機銃]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''霧島'' → [[霧島改]](Lv25) → [[霧島改二]](Lv75)&br; → [[霧島改二丙]](Lv89+[[改装設計図>改造#blueprint]]x2+[[新型砲熕兵装資材>アイテム#newgunmaterial]]x2+[[戦闘詳報>アイテム#report]]+開発資材x400)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:霧島です。姉妹艦の榛名には、頭脳は負けないわよ?&br;純国産高速戦艦として、奮戦するんだからっ!&br;現代の海自イージス艦にもその名は受け継がれたの。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:東山奈央、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:東山奈央、イラストレーター:コニシ

#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>霧島/定型ボイス]])
#table_edit(霧島/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>霧島/時報ボイス]])
#table_edit(霧島/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>霧島/季節ボイス]])
#table_edit(霧島/季節ボイス)
~

}}

* ゲームにおいて [#game]
- 金剛型戦艦4姉妹は、[[榛名]]の運が15、[[金剛]]が12であることを除いて、性能的な差違はない。
他の戦艦(金剛型以外)との違いは、回避率に関わるらしい速度が「高速」であることと、中口径主砲が積めないこと。
以前は[[徹甲弾>九一式徹甲弾]]が装備出来なかったが、2014年7月28日のアップデートで可能になった。
//ドロップなど詳しくは[[金剛]]も参照。
//第二期で金剛のページのドロップ情報がコメントアウトされたため
-2014年3月28日のアップデートにて、「霧島改二」への改造が実装された。
--最終的には大和・武蔵に次ぐ火力を誇る戦艦((2015年4月に海外艦のRomaが実装されて以降は火力4位に転じた。))となる。大和型の出番がない海域では実質エース的存在であるため、育てて損はない。
*キャラクター設定について [#character]
-一人称は「私」、提督のことは「司令」と呼ぶ。
-金剛型四姉妹の末妹でメガネっ娘。
-性格は知的で理論的に物事を考えるタイプ。一方で、戦艦らしく勇敢に戦う武闘派な側面も併せ持つ。ただし、割と天然というか振り回されやすい部分が垣間見える。根っこの性格はこちらなのだろうか。勇敢に戦う面もそうだが、この辺も他の姉妹艦と似ている。
--やたらとマイクの音量を点検する。本当に点検する回数が多い。
--「艦隊の頭脳」を目指しているらしく、砲撃戦でも常に戦況を分析していることが中破時に発言され、節分でもガングートと対戦する時、周りに指示を出していることが窺える。
--話が長いらしく、毎年の周年記念ボイスや夏カレーボイスでは、周りから途中で中断させられたり、提督や姉達からスルーされたりとぞんざいに振り回されている。
--新年ボイスでは末吉を引いている。結構苦労人かもしれない。
-時報では、秘書艦として知的に振舞って艦隊を運営しているが、提督から軽く放置されたり、一人で昼食を食べたり、提督にメガネを取られたりと散々振り回されている場面がある。
--18時の電気系統が弱い「あの娘」というのは、おそらくSouth Dakotaだと思われる。ちなみに彼女からはやたらとなつかれている。振り回されているのが目に浮かぶ。仲がいいに越したことはないが。
--あとやっぱりマイクのチェックをやたらとする。むしろ嬉しそうだ。
-二次創作では武闘派の側面が突き抜けてキャラ崩壊を起こしている作品が多い。二次創作の方面でも振り回されてしまっている。
-他の姉妹艦と比べ、遠慮がちだが提督のことを少なからず想っているところがある。
-榛名とは史実からか双子要素が見られる。

*小ネタ [#trivia]
-[[金剛]]型巡洋戦艦四番艦。三番艦の[[榛名]]と一緒に初の民間造船所(三菱)で建造された純国産戦艦(姉の[[比叡]]は横須賀海軍工廠)。進水日は1913年12月1日、就役日は榛名と全く同じ1915年4月19日。
--長崎造船所で作られたのに、艦これでは最初は川崎造船所と間違えられていた((後に修正されている))。
--榛名と同じ就役日になったのは、榛名側である事件があったため。また予算計上から起工、完成に至るまで榛名と非常に縁深い関係である。
---そこらへんも含めて詳しくは[[榛名]]の項を参照されたい。
-予算計上は日露戦争前まで遡る。日露戦争直前に本来の艦艇製造費による「六六艦隊計画」第三期拡張計画で計画された「第三号装甲巡洋艦」が後に霧島となる計画艦である。
⇒詳細についてはこちらの[[「日本海軍の主力艦建造史~4.ドレットノート・ショック」>雑学#baa7b419]]を参照されたし。
-艦名は宮崎県・鹿児島県に跨る霧島山から。
--霧島山は独立した山の名前ではなく、多くの山で構成される連山の名前である。
連山最高峰の韓国岳(からくにだけ・1700m)や、霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)の御神体である「天の逆鉾」がある高千穂峰(たかちほのみね・1574m)などが特に有名。
--連山の東側の宮崎県都城(みやこのじょう)の盆地にはよく雲海が発生する。宮崎県側から雲海越しに見ると、韓国岳や高千穂峰といった数々の名山が雲海の霧に浮かぶ島のように見えることから「霧島」と呼ばれるようになったという。

-産まれが榛名と似通った境遇のためか、霧島は彼女をライバル視しているのだが、実際は最大速度の関係で比叡との絡みの方が多く、しまいには比叡と組んで新しい戦艦戦隊((第十一戦隊のこと。ミッドウェー海戦後の1942年7月14日に比叡と共に編成したが、後述するようにガダルカナルでの戦いで2隻とも沈んだことで同年12月10日に解隊。以後再編成されることはなかった))を編成してしまうほどだった。
--ちなみに霧島はぎりぎり30ノットに及ばない29.8ノット、一方の榛名はというと30.5ノットで金剛型最速。「頭脳''は''負けない」というのはそういう意味?
-四姉妹の中では、双子のはずの榛名より金剛と瓜二つ。というか遠くだと見分ける手段が殆どない。
しかし流石に双子というだけあって、霧島と榛名の砲塔は側面に曲面がある。全て平面で構成されている姉たちと異なっている。
--金剛型4隻の構造の違い(第二次近代化改装後)
|~艦名|~改装終了年|最大速力|主砲塔の形状|バルジ|艦橋構造物|煙突|後部艦橋|後部マスト|h
|金剛|1937年|30.3kt|砲塔側面が角ばった形状|従来のまま|構造は霧島と酷似(基部部分の形状に差がある)|第2煙突が第1よりも細い|艦尾側に傾斜する形状|下部ヤードの位置が中心支柱トップの少し下|
|比叡|1939年|29.7kt|~|他の3隻よりも大きい((そのため艦幅も他の3隻と比べて1mほど大きい))|構造は大和型のと類似((改装時に建造していた大和型の艦橋構造物の配置確認のため試験的に似た構造配置とした))|~|直立した形状|下部ヤードの位置が中心支柱トップと同じ|
|榛名|1934年|30.5kt|砲塔側面は丸みをもつ形状|従来のまま|トップの測距儀が高い位置にあり、他の3艦よりも背の高い構造((後に防空指揮所の増設をしたため、その箇所が前に突き出る状態となっている。さらにレイテ沖海戦前に防空指揮所の増強がされたため、このでっぱりは巨大化し「リーゼント」とも呼ばれる事もあるとかないとか…))|第2煙突は第1と同じ大きさで少し背が高い|直立した形状だが比叡よりも第2煙突寄りに配置|下部ヤードの位置が中心支柱トップの少し下|
|霧島|1936年|29.8kt|~|~|構造は霧島と酷似(基部部分の形状に差がある)|第2煙突が第1よりも細い|艦尾側に傾斜する形状|下部ヤードの位置が中心支柱トップと同じ|
~
**開戦序盤の活動 [#w0e60d22]
-開戦時は第三戦隊に所属していた霧島は比叡と共に第一小隊を編成、機動部隊に編入され真珠湾攻撃に参加する。
--ご存じの通り真珠湾攻撃は航空部隊による港湾空襲に終始し艦隊が砲火を交える事はなかったが、もし米軍の反撃を受けた場合はそれを撃退する役目を2隻は負っていた。また空母の中に被弾航行不能となった艦が出た際は、比叡と霧島が曳航を行う事になっており、2隻の編入にはそういった目的があったのである。
-その後も霧島は比叡と共に南雲機動部隊によるラバウル空襲やポートダ―ヴィン空襲に護衛として参加。3月1日にはジャワ島南方で米駆逐艦「エドサル」と遭遇した南雲機動部隊は、比叡と霧島、[[利根]]、[[筑摩]]を攻撃に差し向ける。
--17時33分、一番近かった筑摩、次いで比叡が砲撃を開始するが艦長ジョシュア・J・ニックス少佐の巧妙な回避運動で中々命中弾を与える事が出来ず、霧島と利根も加わった4隻で集中打を浴びせるも中々エドサルに損害を与えることが出来なかった。
しびれを切らした南雲長官は18時27分、[[蒼龍]]に[[99式艦上爆撃機>九九式艦爆]]による攻撃を指令。飛び立った9機の99式艦爆は複数の命中弾を与えてエドサルは炎上、それにより距離を詰める事が出来た比叡と霧島が再度砲撃を開始、利根と筑摩もエドサルを挟み撃ちにして攻撃を加え、エドサルは19時ごろに沈没した。⇒[[砲撃を浴び大水柱が乱立する中沈んでいくエドサルの写真>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%B5%E3%83%AB_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:USS_Edsall_(DD-219)_under_fire_and_sinking_on_1_March_1942_(80-G-178997).jpg]]
--日頃「月月火水木金金」の精神で猛訓練に勤しんでいた日本海軍の対艦砲撃の成果が、このような不甲斐ないものになった事について、作戦後色々と物議をかもしたそうである。たった1隻の駆逐艦の撃沈に要した砲弾の消耗は
○比叡:主砲210発、副砲70発
○霧島:主砲87発、副砲62発
○利根:主砲497発、高角砲8発
○筑摩:主砲347発、高角砲54発
にも及んだが、蒼龍航空隊の攻撃前での命中弾は1発のみであり、逃げに徹する小艦艇を砲撃で撃沈するのが如何に困難であるかを突き付ける結果となってしまった。
---もっとも「逃げに徹する小艦艇を砲撃で撃沈するのは困難」というのは、当時の砲撃プロセスがどの国も「公算射撃((砲弾1発1発が命中するよう意図して照準しているのではなく、数発撃って着水した範囲「散布界」に目標を捉えて、あとは命中弾が出るまで続けるという方法。なので命中するかしないかは運の要素も大きく、逃げるために頻繁に回避行動をしている小艦艇を散布界内に捉えること自体がそもそも難しい))」である以上、解決が非常に難しい問題でもある。実際米側もそういった状況下で逃げに徹する小艦艇を撃ち漏らしたり時間や砲弾を浪費してしまったりする事例は多く。1944年2月17日にトラック諸島空襲を行った際、港湾から脱出する駆逐艦[[野分]]を捕捉した米戦艦[[アイオワ>Iowa]]、ニュージャージー、重巡[[ミネアポリス>Minneapolis]]、ニューオーリンズの4隻が砲撃するという、エドサルの時と全く同じ艦数、艦種での戦いとなったが、エドサルと同様回避に終始する野分に命中弾を与えられず取り逃がしている。

-その後の比叡と霧島は第二小隊の金剛、榛名と合流して金剛型4隻体制に戻り、インド洋方面で活動、セイロン沖海戦にも参加した。4月24日に本土に帰還後、今度は榛名と第二小隊を組むことになりMI作戦に機動部隊の一翼として参加する事になる。
--MI作戦の中発生した「ミッドウェー海戦」はご存じの通り南雲機動部隊の空母4隻壊滅という大惨敗に終わった。護衛をしていた榛名と霧島にも米艦載機による攻撃があり榛名は損傷を被ったが霧島は被害なく、残存艦艇と共に帰路につく。その際霧島は駆逐艦たちが収容した4空母の一部生存者を収容している。

**第十一戦隊編成 [#o3ad4656]
-ミッドウェー海戦後、日本海軍は戦力の立て直しを図ったのだが、その中で「空母機動部隊の常設化」が叫ばれる。
--そもそも開戦以来活躍していた「南雲機動部隊」というのは作戦行動のため色んな艦隊から戦力を抽出して編成された「臨時部隊」であり、戦況に合わせて臨機応変に編成ができる等の利点もあったが、部隊として必要な集団運動のための練成等がしずらいなどデメリットもあり、ミッドウェー海戦前から指摘されていた。
---例えば南雲機動部隊の中核である空母6隻は、部隊指揮官である南雲忠一中将が司令長官を務める第一航空艦隊所属だが、霧島と比叡が所属する第三戦隊は高須四郎中将が司令長官を務める第一艦隊の所属、利根と筑摩で編成する第八戦隊は第二艦隊所属であり、異なる艦隊に所属している艦艇であった。
--そのため日本海軍の艦隊編成自体に変更が行われ、機動部隊所属艦艇の殆どが新設された「第三艦隊((元々は開戦時より南方攻略作戦を担当する艦隊として存在していたが、南方攻略が一段落ついたという事でこの頃は「第二南遣艦隊」と改称されており欠番だった))」に編入される事になり、比叡と霧島も第三戦隊所属から新設された第十一戦隊に編入された上で第三艦隊所属となり、金剛や榛名と別れることになる。
-1942年8月7日、米軍がソロモン諸島ガダルカナル島を占領した事で、同方面における長い戦いが始まった。
霧島は第三艦隊の指揮下で8月16日に本土を出発しトラック諸島に移動、24-25日にかけて発生した第二次ソロモン海戦では機動部隊の護衛として参加するも特に大きな損害もなかった。
--9月には敵機動部隊との会敵を目指して10日に出撃するもその機会は訪れず23日に帰還、10月には26日漸く米機動部隊との決戦「南太平洋海戦」が発生し、霧島は第十一戦隊を中核とする「前衛部隊((第十一戦隊司令官の阿部弘毅少将を指揮官に戦艦比叡、霧島、重巡鈴谷、利根、筑摩、軽巡長良、駆逐艦秋雲、風雲、巻雲、夕雲、浦風、磯風、谷風))」を編成、機動部隊の前面(約50~60浬)に主力艦が横一列((東から順に[[筑摩]]、[[利根]]、[[第十一>比叡]][[戦隊>霧島]]、[[長良]]、[[鈴谷]]の順でその周囲を駆逐艦7隻が守りを固めていた))に展開して襲来する敵航空部隊から日本空母を守る壁として活動する。
---この試みは成功し、米航空部隊は[[ホーネット>Hornet]]航空隊の一部(([[F4F>F4F-4]]8機、[[SBD]]15機))が南雲機動部隊にまでたどり着けたが、残り((ホーネット航空隊のF4F7機、SBD9機、[[TBF]]15機とエンタープライズ航空隊のF4F 8機、SBD 3機、TBF 8機))は日本側直掩機の迎撃もあり殆どが前衛部隊を攻撃するしかなくなってしまい、[[瑞鶴]]や被弾していた[[翔鶴]]、[[瑞鳳]]を守ることに成功する。&color(silver){部隊規模で「かばう」が発生したわけである。};
--但し壁となった前衛部隊は直掩機がいるわけでもなく敵航空機の襲来に生身で晒されることになった。比叡や霧島は被害はなかったが、第七戦隊(鈴谷、利根、筑摩)は米航空機の攻撃をもろに受け、筑摩が大破して艦長古村啓蔵大佐((後年大和沖縄特攻で第二水雷戦隊を率いる人物))が負傷、副長・砲術長・主計長を含む192名が戦死、重軽傷95名という大損害((乗員883名中283名が死傷した訳で、全乗員の約3分の1が被害を被った訳である))を被ってしまった。
---なお米軍の空襲は最初は第七戦隊旗艦である鈴谷に集中したが奇跡的に回避する事に成功している。まあその時の鈴谷には''&color(red){西村祥治};''(第七戦隊司令官)、''&color(red){木村昌福};''(鈴谷艦長)がいたのだからさもありなんではある。

**第三次ソロモン海戦 [#c468ac22]
-南太平洋海戦で米空母ホーネットを撃沈し、残るエンタープライズを損傷・撤退に追い込んだことで、同方面の稼働米空母はゼロになった。だが南雲機動部隊側も艦載機の殆どを失い作戦行動可能な空母が[[隼鷹]]1隻だけとなったこと、ヘンダーソン飛行場が未だ活発に活動している事でガダルカナル島の戦況は未だ芳しいものではなかった。
そこで連合艦隊はヘンダーソン飛行場の再度の無力化を企図し、第十一戦隊に10月13-14日に第三戦隊が行った夜間飛行場砲撃を再度行うよう命令する。比叡・霧島を基幹に「第五次挺身隊」を編成、増援の第三十八師団がガダルカナル島へ上陸する前にヘンダーソン飛行場の砲撃を行う事になった。
--同じ作戦を再度行う行為について、第十一戦隊や各艦将校からは「柳の下のドジョウ掬いで2回目は危ないのではないか」という懸念の声があがった。また昭和天皇も作戦説明を受けた際に「「日露戦争に於いても[[旅順港>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%B8%AF%E9%96%89%E5%A1%9E%E4%BD%9C%E6%88%A6]]の攻撃に際し初瀬・八島の例((2隻は当時の日本海軍が持つ6隻の戦艦の中の2隻。当時日本海軍は旅順港に閉じこもる旅順艦隊に備え、主力戦艦6隻を3隻ずつ交代で周辺に展開させていたが、その際の航路が毎回同じところを航行しているのをロシア側が察知して機雷を敷設、それが初瀬と八島に被雷して2隻を失う原因となった))あり、注意を要す」と直々のご警告もあった。
だが山本五十六連合艦隊司令長官は無茶な作戦を推し進める際の常套手段、「''ならば俺自身が陣頭指揮をとる''」発言によってこういった懸念の声を払拭し、作戦を推しすすめたという((なお陛下自らのご警告が山本らに届いたのは作戦開始後となってしまった))
---実は連合艦隊司令部においても、陸軍への後ろめたさがあるとはいえ安直なワンパターン攻撃を危惧する意見は、宇垣纏参謀長を始めとして多かった。
しかしこれは俗説に近いが黒島亀人参謀が「米軍は夜戦ともなれば艦隊を出してこない」「こちらは戦艦2隻も出撃させるのだから勝てる」と慢心もいいところの意見具申を行い、結果として山本長官の裁可を得てしまった。
第三次ソロモン海戦以前のサボ島沖海戦で古鷹、吹雪沈没。青葉大破という大損害を夜戦で被ったことを考えれば、杜撰極まりない作戦指導と批判されても仕方のない話である。
---これに懲りたのか、山本は黒島の進言を鵜呑みにしなくなり、距離を置くようになる。また作戦立案をする立場の参謀の交代を検討するようになる((理由としては同じ参謀を長期間作戦立案させていると、思考を読まれやすくなるというのが理由))。だがこの動きが実現する前に山本自身がブーゲンビル島上空で散ってしまった。

***第一夜戦(姉「比叡」の損失) [#g40edb86]
-11月9日、第十一戦隊含む「前進部隊」がトラック泊地を出撃、13日に上陸を予定する第三十八師団も外南洋部隊(第八艦隊基幹)の護衛と支援のもと11隻の輸送船に分乗してガダルカナル島を目指した。
--前進部隊編成(第一夜戦時)
|~部隊|~指揮官|~所属各隊・各艦|~所属艦隊|~主任務|
|本隊|近藤信竹(第二艦隊司令長官)|・第四戦隊([[愛宕]]、[[高雄]])|第二艦隊|・挺身攻撃隊の支援&br;・敵増援部隊の捕捉殲滅|
|東方哨戒隊|西村祥治(第八戦隊司令官)|・第八戦隊([[利根]])|第三艦隊|前進部隊の東側索敵哨戒|
|~|~|・第三水雷戦隊([[川内]]、[[綾波]])|第一艦隊|~|
|航空部隊|角田覚治(第二航空戦隊司令官)|・第二航空戦隊([[隼鷹]])|第三艦隊|・挺身攻撃隊の支援&br;・ガ島敵航空兵力の撃滅|
|~|~|・第十九駆逐隊([[浦波]]、[[敷波]])|第一艦隊|~|
|挺身攻撃隊|阿部弘毅(第十一戦隊司令官)|・第十一戦隊([[比叡]]、霧島)&br;・第十戦隊([[長良]])&br; ・第十六駆逐隊([[天津風]]、[[雪風]])&br; ・第六十一駆逐隊([[照月]])|第三艦隊|・ガ島飛行場及び付近的施設砲撃破壊&br;・状況により敵艦隊攻撃|
|~|~|・第六駆逐隊([[暁]]、[[雷]]、[[電]])|第一艦隊|~|
|~|~|・第四水雷戦隊([[朝雲]])&br; ・第二駆逐隊([[村雨]]、[[夕立]]、[[五月雨]]、[[春雨]])&br; ・第二十七駆逐隊([[時雨]]、[[白露]]、[[夕暮]])|第二艦隊|~|
|母艦支援隊|栗田健男(第三戦隊司令官)|・第三戦隊([[金剛]]、[[榛名]])|第二艦隊|・航空部隊の警戒支援|
|~|~|・第十一駆逐隊([[初雪]]、[[白雪]])|第一艦隊|~|
-11月12日、不安定な天候の影響もあり、挺身攻撃隊は予定より約40分の遅れでガダルカナル島への突入を開始する。
当時の海域は月齢3.4の闇夜であり、天候の影響で幾度か針路変更した結果、比叡・霧島の前方で警戒する筈だった四水戦の朝雲と第二駆逐隊の面々は旗艦比叡と併走するような状態となっており、比叡は旗艦ながら部隊のほぼ先頭に立っているという危険な状態となっていたが、阿部司令官を始め誰もそれに気づいていなかった。
--一方米側もこの海域の防衛に第67任務部隊第4群を投入していた。
日本側の部隊出撃の動きを察知したウイリアム・ハルゼー提督は、まずリッチモンド・K・ターナー少将にガダルカナル島の海兵隊への増援部隊を編成させ、直ちに船団でガダルカナル島へ派遣、その護衛にダニエル・キャラハン少将揮下の第67任務部隊4群を当てて共にガダルカナル島に向かわせ、ノーマン・スコット少将が率いる第62任務部隊第4群も同様に急行させた。
また南太平洋海戦での修理が済んでいないエンタープライズを応急修理済みの状態のまま呼び戻し、戦艦[[ワシントン>Washington]]、[[サウスダコタ>South Dakota]]らと第16任務部隊を編成して急行させている。これらの戦力は米海軍がこの時点でソロモン方面に投入できるほぼ全艦艇であった。
-11月12日11時、停泊する輸送船団を守るためガダルカナル島周辺海域を航行していたキャラハン少将指揮の第67任務部隊第4群は、スコット少将の部隊も加わり、重巡2隻((サンフランシスコ、ポートランド))、軽巡3隻(([[アトランタ>Atlanta]]、ジュノー、[[ヘレナ>Helena]]))、駆逐艦8隻((カッシング、ラフィー、ステレット、オバノン、アーロン・ワード、バートン、モンセン、[[フレッチャー>Fletcher]]))、の編成となっていた。
-1時24分、ヘレナのレーダーが挺身攻撃隊を捕捉、米艦隊はこれを「丁字体制」で迎え撃つべく運動を開始する。だが前衛の駆逐艦がキャラハン少将の「艦隊を左へ」という指示を「艦を左へ」と読み間違え、そう行動したため混乱が発生する。
--日本側はこの間にも突入を続けていて第67任務部隊の存在に気づいていなかった。だが11時30-40分頃に第2駆逐隊の夕立、春雨と、第67任務部隊先頭の駆逐艦カッシングがニアミス、カッシングは慌てて左に転舵したことで米艦隊の存在を把握、44分に夕立が通報した。
-飛行場に戦艦の主砲を向けて発射直前だった日本側は夕立の通報に驚愕した。この時点で霧島ら戦艦は飛行場砲撃のための[[三式弾]]を弱装弾薬((砲弾を発射するための火薬量のこと。火砲の砲身には寿命があり、何百発か発射したら安全面のうえから砲身を交換する事になるのだが、発射する際の火薬の量を調整する事で耐用数を調整する事ができる。通常の装薬量「常装薬」は装薬包が4個だが、目標との距離や貫徹性を考慮しなくてもいい目標の場合だと装薬包を減らして撃つことで砲身への負担を減じて寿命を延ばすことができる。弱装薬の場合は装薬包は3個、さらに減らす「減装薬」だと2個になる。逆に増やす「強装薬」というのもあり、常装薬の2割増しとするそうだが、あまり使われることはなかったらしい))で準備しており、切り替えが不可能な状態だった((一度装填した砲弾を入れ替えるのは不可能なのと、この時点で砲室に砲弾や装薬を送り込む揚弾機等にも三式弾や弱装薬を複数積んでいる状態だったため、それらを使い切らない限り徹甲弾を撃つことができなかった))。
--阿部司令官は即座の砲撃を指示、目標を飛行場から敵艦隊に切り替えた比叡が探照灯を点灯して予想される敵部隊の位置を照らすと、中央に巡洋艦複数隻、その左右に駆逐艦が4隻ほどいて、日本側を包囲するように運動しているように見えた。
-丁字体制を企図していた第67任務部隊が何故こんな体形になっていたのか?実は夕立とニアミスしかけたカッシングの転舵を夕立の存在に気づいていない後続艦が慌てて追従、だが予定の動きではないので回りの艦艇が混乱し、陣形が大きく乱れていたのだった。
---もっとも日本側も前述のとおり悪天候で幾度となく針路変更した事で陣形が大きく乱れており、長良、比叡、霧島の縦陣を中心に直衛の駆逐艦6隻が左右に3隻ずつ併走していた((右舷側に先頭から暁、雷、電、左舷側に先頭から雪風、天津風、照月))が、本来なら前衛だった四水戦は第2駆逐隊の夕立、春雨が旗艦右前方、四水戦旗艦朝雲と2駆の残り2隻(五月雨、村雨)が右後方に大きく遅れる状態となってしまっていた。
-比叡は直ちに砲撃を開始し、霧島もこれに続いた。随伴する各艦艇も襲撃に移り狭い海域で大小艦艇30隻が入り乱れる大乱戦となった。
--詳細についてはこの海戦に参加した各艦の項目をご参照されたい。夜戦でのあまりにもの乱戦に海戦後の各艦の報告に食い違うところなども多く、正確な状況推移は不可能だが、霧島は比叡と他の艦(不明)と共同で重巡洋艦サンフランシスコと軽巡洋艦アトランタを撃破、アトランタは後日沈没した。
---霧島は乱戦に巻き込まれるのを避けるために砲撃をしつつ北上し、0時30分には損害を受ける比叡に代わり「飛行場砲撃を取止む」と打電している。
-日本側は探照灯を点灯したことで敵の集中砲撃を受けた比叡が大破、真っ先に敵と遭遇して大乱闘を演じた夕立と危険を顧みず比叡に続いて探照灯を点灯していた暁が沈んだ。
1時25分、比叡大破航行不能を受け、霧島は救援のため南下を開始する。だが指揮能力を失った第十一戦隊に代わり指揮を継承した第十戦隊(指揮官は木村進少将)司令部はこのまま戦場に霧島が居続けるのは日の出までに敵空襲圏内から離脱できなくなる危険があると判断、霧島に北方への避退を命じる。
--こうして霧島は炎上して停止する比叡を遠くに遠望しつつ、四水戦の護衛を交代で受けながら戦場を離脱した。これが長らく行動を共にした比叡との永遠の別れとなる。だが比叡の姿が2日後の自身の姿になろうとは、この時は誰も思わなかっただろう。

***第二夜戦(日米戦艦ガチンコ対決) [#e36febeb]
-霧島が北上している頃、連合艦隊は挺身攻撃隊の飛行場砲撃が失敗した事を知るも、引き続き飛行場砲撃を目指す事に決した。
--まず輸送船団を護衛する外南洋部隊から、支援部隊(第七戦隊基幹で指揮官は同戦隊司令官の西村祥治少将)の重巡鈴谷、[[摩耶]]、軽巡[[天龍]]、[[夕張]]、駆逐艦[[巻雲]]、[[風雲]]の6隻に飛行場砲撃を命じると共に、ショートランド泊地にいた外南洋部隊主隊の重巡[[鳥海]]。[[衣笠]]、軽巡[[五十鈴]]、駆逐艦[[朝潮]]に直ちに出撃して飛行場砲撃に向かうよう指示、主隊は13日午前中に出撃してガダルカナル島に急行した。
---これらの部隊はまず支援隊が13日深夜に妨害を受けずにガダルカナル島沖合に到着し、鈴谷、摩耶による砲撃を行い損害を与えるが、重巡の20センチ砲では飛行場の砲撃も限定的であり、支援隊は帰路に主隊と合流するが日の出となり、14日午前6時頃にヘンダーソン飛行場から出撃した米軍機の空襲を受け衣笠が被弾して9時22分に沈没、鳥海、摩耶、五十鈴も損傷して後退した。
--また14日夜の上陸を予定していた輸送船団は、第二水雷戦隊(司令官は田中頼三少将)の駆逐艦9隻(([[早霜]]、[[親潮]]、[[陽炎]]、[[海風]]、[[涼風]]、[[高波]]、[[巻波]]、[[天霧]]。[[望月]]))の護衛をうけていたが、これも米軍機の波状攻撃を受け、輸送船11隻中6隻を沈められ1隻が撤退する損害をうけていた。
-激闘を経た挺身攻撃隊は13日午後2時にオントン・ジャバ島東岸沖に到着、第三戦隊(金剛、榛名)と合流し駆逐艦への補給を行った。この間にも部隊再編が行われ、今度は近藤信竹前進部隊指揮官自ら指揮して飛行場砲撃に向かう事になる。
霧島と挺身攻撃隊の一部は近藤中将直卒の前進部隊本隊に合流、再突入可能な他部隊の艦艇も合流して再度ヘンダーソン飛行場砲撃に向かう事になる。金剛と榛名は隼鷹と共に前進部隊から分離後退する事になり、霧島は戦艦としてはただ1隻、ガダルカナル島に向かう事になった。そしてこれが金剛、榛名にとって霧島との今生の別れとなった。
-一方、辛くも挺身攻撃隊を撃退できた米軍だったがその代償は高くついた。指揮官のキャラハン少将、次席指揮官だったスコット少将は共にこの海戦で戦死し、損害も軽巡2隻(アトランタ、ジュノー)、駆逐艦4隻(カッシング、ラフィー、バートン、モンセン)を失い重巡は2隻とも大破、残りも軽巡ヘレナと駆逐艦2隻が中小破するという惨状だった。
--この時点で、ハルゼーの手持ち戦力はガダルカナル島へ急行している応急処置しただけの空母エンタープライズと、第64任務部隊の戦艦2隻(ワシントン、サウスダコタ)と残余の駆逐艦だけだった。ハルゼーは第64任務部隊のウィリス・A・リー少将に直ちにサボ島東方海域への進出を命じた。
---流石に空母のエンタープライズまでサボ島東方海域に突入させるようなことはしなかったが、エンタープライズは損傷している状態ながら索敵機を出すなどして迎撃に尽力、前述の衣笠撃沈及び支援隊艦艇への損害もエンタープライズの艦載機が発見しヘンダーソン飛行場に通報、同基地の航空機との共同での撃沈だった。また輸送船団への攻撃にも加わっている。
--14日夜、第64任務部隊はサボ島沖に到達し、サボ島を基点にその周囲を右回りに周回して敵を待ち受けていた。編制はリー少将座乗の戦艦ワシントンとサウスダコタ、これに駆逐艦4隻(ウォーク、ベンハム、プレストン、グウィン)が護衛するという、たった6隻の部隊だった。だがこれが現状米海軍がこの方面に投入できる最後の水上部隊であり、米側ももう後がない状況だった。
-一方日本側は前進部隊をが徐々にガダルカナル島に近づこうとしていた。その編成は以下の通り
--前進部隊編成(第二夜戦時)
|~部隊|~指揮官|~所属各隊・各艦|~所属艦隊|~主任務|
|射撃隊|近藤信竹(第二艦隊司令長官)|・第四戦隊([[愛宕]]、[[高雄]])|第二艦隊|・ガ島飛行場及び付近敵施設砲撃破壊|
|~|~|・第十一戦隊(霧島)|第三艦隊|~|
|~|~|・第十戦隊([[長良]]、[[五月雨]]、[[雷]])|~|・第四戦隊の直衛|
|直衛隊|高間完(第四水雷戦隊司令官)|・第四水雷戦隊([[朝雲]])&br; ・第十一駆逐隊([[白雪]]、[[初雪]])|第二艦隊|・第十一戦隊の直衛|
|~|~|・[[照月]]|第三艦隊|・第十一戦隊の後方警戒|
|掃討隊|橋本信太郎(第三水雷戦隊司令官)|・第三水雷戦隊([[川内]])&br; ・第十九駆逐隊([[浦波]]、[[敷波]]、[[綾波]])|第一艦隊|・前路掃討|
-部隊は掃討隊が先行し、20時前にサボ島付近に到着、予定通り周辺の掃討にかかり浦波、敷波はサボ島を右回りに、綾波と川内は左回りに回ってその周囲の捜索を開始した。
だが直後の20時に敷波より「敵らしき船影見ゆ」との報告があり、次いで20時5分には浦波より「敵は新型巡洋艦」と報告、川内は予定を変更して敷波らと合流しに向かい20時25分に敵らしき船影を確認、全軍に警報を発した。リー少将の第61任務部隊と遭遇したのである。
--近藤司令長官は当初は飛行場砲撃を目指して予定通り行動し、発見した敵は掃討隊に任せようと考えた。だが、掃討隊の続報でこのままでは敵と真正面からぶつかる事が判明し、飛行場砲撃は困難であると考えられた。そこで近藤は「まず敵を撃滅す」と全軍に下令して襲撃態勢に入る。
--一方の米側は19時48分にツラギ島の魚雷艇部隊から日本艦隊の目撃情報を受け警戒していた。21時に針路変更を行った際に川内をレーダーで捕捉した事で日本艦隊を確認し、21時17分に砲撃を開始する。
この砲撃で掃討隊の3隻は煙幕を張って一時撤退したが、米側はこれを「巡洋艦を転覆させた」と誤認する。川内達は煙幕で身をかわしつつ併走して雷撃の機を伺っていたが、ここで珍事が発生する。
なんと、''単艦でサボ島を左回りに進んでいた綾波が、砲声を聞いて戦闘開始を知り、単独で突っ込んできたのである。''
---詳細は綾波の記事に譲るが同艦は単艦で6隻の米艦相手に大立ち回りを演じて米駆逐艦4隻の無力化((この海戦も第一夜戦の時と同様、夜間の乱戦となったため詳細については日米との認識にずれがある。日本側ではまず綾波の雷撃で駆逐艦ウォークに1本が命中して沈没、ベンハムにも1本命中して大破航行不能(後日沈没)プレストンが綾波の砲撃で火災発生となるが、綾波は戦艦ワシントンの副砲射撃で大破航行不能となる。ここで長良以下後続の直衛隊が到着して激戦となり炎上するプレストンは沈没し、残るグウィンも損傷して落伍させる。というものだが、米軍の認識では最初の綾波の雷撃は認識しておらず、砲撃も「サボ島の陸上砲台からの射撃」という認識だった。最初に被害を受けたウォークは長良らが到着した後の砲雷撃での撃沈、ベンハムやプレストンも長良らとの交戦における損傷という認識で、綾波固有のものという認識はしていない※但し綾波の突入時には長良らが後続しており、それとごっちゃになっている可能性はある))に貢献、米軍はいきなり護衛の艦艇をすべて失い残るは戦艦2隻のみとなってしまった。
-こうして日米双方の戦艦は急速に接近し、太平洋戦争最初の戦艦同士の砲撃戦が発生する。だがここでも霧島に不運が起こる。ヘンダーソン飛行場砲撃のために用意していた三式弾が邪魔で、徹甲弾による砲撃がすぐには出来なかったからである。
--2日連続のこの判断ミスについては、もともと日本側は第一夜戦で米水上部隊は壊滅しており、出てきても巡洋艦1隻と駆逐艦数隻ぐらいだろうから、まともに反撃する余力はなく第一夜戦のような夜間迎撃はないと判断していたためである。そして序盤での戦いでも綾波らは相手の大型艦を「巡洋艦」と報告しており、近藤ら前進部隊司令部も直衛の三水戦、四水戦で対応できると判断していたのも要因であった。日本側はまさか米側が後方に撤退していた新鋭戦艦2隻を呼び戻して「''&color(red){夜間の狭い海域に小回りの利かない戦艦を投入して防衛の矢面に立たせる};''」とは思いもしなかったのである。
-22時1分、愛宕と霧島は探照灯を照射、すると6000mという近距離にいる米新型戦艦を捕捉する。これはサウスダコタだったのだが、日本側は相手が「巡洋艦を中核とする部隊」だと思っており、戦艦だとは思っていなかった。
驚いた日本側は直ちにこの目標への攻撃を開始、高雄、愛宕、霧島の単縦陣で右砲戦をしつつすれ違い様に重巡2隻が雷撃を仕掛ける。だがこの雷撃はサウスダコタの起こす波浪に信管が反応して早爆するなど((他にも沈没した米駆逐艦の残骸に命中したのでは?という推察もある))してしまい、命中はなかった((ワシントンは計32回の水中爆発音を確認している))。
だが霧島の主砲弾等の砲撃は熾烈を極め、サウスダコタは火だるまとなり第三砲塔に主砲弾が命中して破壊するなどするが、やはり35.6センチ砲弾では41㎝砲弾に耐えるだけの防御力を持つサウスダコタに致命傷を与える事は難しかった。
--大破したサウスダコタは、リー提督から「大丈夫か?」と心配する電文に、ギャッチ艦長が「全て上手くいっているようだ」と返信するなどして戦場に居続けようとしたが、やがて針路をかえてワシントンの後方に進みそのまま南西方向に脱出した。
-22時6分、サウスダコタとすれ違った前進部隊は反転し、これに止めを刺そうとした。だがこの時、霧島の周囲に無数の水柱が立ち上がった。日本側が全く認識していなかったもう1隻の戦艦「ワシントン」からの砲撃であった。
--実はワシントンは前哨戦で沈んだ駆逐艦の生存者を躱そうとして転舵した際、これにサウスダコタが気づかず前進したので分離してしまった結果、日本側には察知されないままでいた。
霧島の存在をワシントンはレーダーで認識していたが、サウスダコタ側の電気系統のトラブルなどもあり、レーダーに映る目標のどちらが霧島でどちらがサウスダコタなのか判別できず、しばらく攻撃できずにいたのである。
だが22時1分の探照灯照射で何方が霧島なのかが判明し、ワシントンは距離8200mまで接近して砲撃を開始する。初弾から至近弾となったワシントンの砲撃は正確で第二斉射で早くも霧島に命中、続く第三斉射も命中弾を与え霧島は僅か7分間で16インチ砲弾9発を被弾。防御力に劣っていた彼女は一瞬で致命傷を負ってしまう。
---霧島戦闘詳報では被弾は6発以上、前部電信室全滅、三番四番砲塔作動不能、舵機故障となり、愛宕・高雄に追従できなくなってしまった。幸い火災の鎮火に成功し、機械室や罐室も健在で動力自体は維持していたが、舵取機室の損傷で舵が主舵10度で固定されてしまい、右舷に傾斜して直進不能となってしまう。
--だがここでワシントンも判断ミスをする。霧島を撃沈したと判断して攻撃を中止したのだが、その間に霧島が残された主砲塔3基6門で反撃する。幸い命中弾はなかったが至近での砲撃であり、命中したらワシントンの装甲と言えどもただでは済まなかった可能性があった。
---霧島がまだ闘志をなくしていないことが分かったワシントンは北西に進みつつ霧島への砲撃を再開した。この砲撃で霧島の健全な主砲は4番砲塔だけとなり、煙突以降の艦体後部で大火災が発生する。今度こそ無力化したと判断したワシントンは日本の輸送船団を撃滅すべく22時20分に北上を開始、前進部隊の愛宕、高雄と併走する形となる。双方しばらく応戦したが、リー提督はこれ以上戦うのは被雷のリスク((既に護衛の駆逐艦もない状況であり、日本側の駆逐艦部隊が体制を立て直して近づいてきたら、ワシントン1隻だけでは全てに対処するのは不可能であるため))があるのと、日本軍の増援上陸はもう無理であろうと判断、10時30分に追撃を中止して反転離脱を命じた。
---ワシントンは気づいていなかったが、実際日本の五十鈴、電、初雪、五月雨がワシントンを追跡しており、約1時間後の23時40分頃に撤退するワシントンへ雷撃((本数は電5本、初雪3本、五月雨5本、長良不明))を仕掛けるも、これも途中で自爆((同時刻にワシントンが計17回の水中爆発音を記録している。また日本側も4回ほどの水中爆発音を検知している))してしまい戦果はなかった((但し日本側は命中して撃沈したと判断している))。
-こうして第三次ソロモン海戦第二夜戦はまたしても日本の敗北に終わった。増援を積んだ輸送船団は残った4隻((廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸))が揚陸地点の浅瀬に座礁させて無理やりにでも揚陸しようとしたが、夜が明けるとアメリカ軍機による攻撃が始まり4隻は炎上、結局船団は2000名の将兵((護衛の駆逐艦が沈没した輸送船から救助した将兵含む))、260箱の弾薬、1600個の米袋を送り届けただけで壊滅した。
--[[浅瀬で座礁、炎上する輸送船>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%B5%B7%E6%88%A6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_transports_Hirokawa_Maru_and_Kinugawa_Maru_beached_and_burning_on_Guadalcanal,_on_15_November_1942_(80-G-67248).jpg]]
--[[座礁し空襲を受けて残骸となった輸送船「鬼怒川丸」>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_transport_Kinugawa_Maru_beached_and_sunk_on_the_Guadalcanal_shore,_in_November_1943_(80-G-K-1467-A).jpg]]
-戦場に残された霧島に対して、前進部隊指揮官はワシントンと交戦しつつ、駆逐艦朝雲と照月に護衛を命じていた。
霧島では一度は鎮火した火災が再燃し、弾火薬庫爆発の危険があったため注水を行った。潜水夫による水中作業も試みられたが失敗し、徐々に右に傾斜しだした霧島は23時50分に朝雲に対して救援を依頼する。
--霧島には主砲弾のみが命中し魚雷の被雷はなかったが、艦尾付近に命中浸水したのを魚雷命中と誤認している((恐らくワシントンの40センチ砲弾が水中弾となって命中したのと思われる))。元は巡洋戦艦であり、対防御力も強化されてるとはいえ舷側装甲は最大でも203㎜しかない((参考として長門型は最大376㎜、伊勢型で299㎜、大和型で410㎜。相対したワシントンは305㎜、サウスダコタは310㎜だが約19度の傾斜を設けている事で16インチクラスの主砲弾にも耐えれるようになっている))金剛型ではあるが、41センチクラスの砲弾を9発も浴び、他にも無数の副砲弾等を受けながら、霧島はすぐには沈まず持ちこたえていた。
---だが日にちが変わって11月15日0時42分、万策尽きた霧島の艦長岩淵三次大佐は総員退艦を決定、軍艦旗降下の後、乗員や負傷者は接舷した朝雲に移乗した。
午後1時ごろワシントンを追跡していた五月雨が到着、司令部より霧島の処分命令が出て五月雨がその準備をしていた1時23分、彼女は左舷後部から転覆して沈没した。
朝雲、照月、五月雨は移乗が間に合わなかった霧島生存者を沈没海域から収容、2時30分に作業を終えて北方へ撤退した。岩淵艦長以下准士官以上69名、会S関平1031名が救助された。

***その後 [#y005c4e5]
- 戦争の序盤という時期に沈んだこともあってか、生存者たちのその後については比較的まともな扱いであったようである。同じ海戦で沈んだ比叡については艦長の西田正雄大佐が査問員会にかけられ予備役編入という懲罰処分をうけたが、霧島の岩淵大佐については予備役編入等はなく、1943年5月1日に少将に進級する。だが1944年11月17日に第31特別根拠地隊司令官となりマニラに駐留。マニラ市街戦を多々赤い翌年2月26日に自決した。死後中将に特進している。

-1992年8月、海洋考古学者のロバート・バラード(タイタニック号や[[ビスマルク>Bismarck]]の発見者)によって、サボ島の西北西10kmの海域で霧島の残骸が発見された。
深度約1,000~1,200mの海底でひっくり返った状態で沈んでおり、第一煙突より前方の船体が失われているが、
これは着底の衝撃で2番主砲塔弾薬庫が誘爆を起こし海中で吹き跳んだのが原因と推測されている。→[[詳細なレポート(英語)>http://www.navweaps.com/index_lundgren/Kirishima_Damage_Analysis.pdf]]
-開戦からミッドウェーまで霧島の烹炊兵として勤務した高橋孟氏の著書、「海軍めしたき物語」「海軍めしたき総決算」と献立と調理法を記した「海の男の艦隊料理」がいずれも新潮文庫から刊行されている。
-現在霧島の名は4隻建造されたこんごう型護衛艦の2番艦「きりしま」として引き継がれている。金剛型4姉妹の中で次代もこんごうと姉妹になったのはきりしまだけとなったが、この時点で「はるな」「ひえい」はヘリコプター搭載護衛艦として使用中であり仕方がない?
--なお3番艦は「みょうこう」4番艦は「ちょうかい」と命名されている。
-こんごう型は日本初の「イージス艦」として、登場時から色々と話題となり、映像作品やゲーム、アニメ、漫画等でも実在感・架空艦含め数多く出演している。
きりしまも数多くの映画に出演している。映画「シン・ゴジラ」では相模湾などの太平洋上でゴジラを捜索する艦として登場。ハリウッドでも映画「バトルシップ」で妹の「みょうこう」が主人公艦の「ジョン・ポール・ジョーンズ」の僚艦として登場する中で、「きりしま」も各国海軍対抗のサッカー大会が行われている会場の近くに停泊して、甲板上から乗員が応援しているシーンがある。
---なおバトルシップでのシーンは実際にパールハーバーに停泊していた「きりしま」で撮影されたもの。当時「きりしま」はBMD機能付加に伴う認定試験のためパールハーバーに寄港しており、登場している乗員も実はエキストラではなく本物の「きりしま」乗員である。

***余談 [#f54f7d1f]
-『大空のサムライ』で世界的に高名な撃墜王坂井三郎少尉は元々は霧島の乗員。海軍パイロットを志して「海軍少年航空兵」の受験を2回受けたが不合格となり、ならば「海軍に入れば飛行機を近くで見れるだろう」と考えて佐世保海兵団に入団し、1933年5月に四等水兵として霧島に配属されている(配属先は15センチ副砲だった)。
その後榛名に配属され二番砲塔の砲手になるなどしたが航空兵のあこがれは消えずに漸く操縦練習生になったという。
-マイクの音量を気にしているが、実はマイクで敵を攻撃する兵器は''実在する''。
とはいっても実際にマイクで殴りつけるわけではなく音に指向性持たせる非殺傷の装備であり、実は民間企業でも何の問題もなく使える。主に暴動鎮圧、海賊対策などに用いられる他、特殊なスピーカーとしても利用可能。
なお、「[[さざなみ>漣]]」が本兵器で%%洋上ジャ○アンリサイタルを開催し%%不審船を追い払うことに成功している。[[参考動画:Youtube「国旗の重み」>https://www.youtube.com/watch?v=vbE7O9X84_M]]
具体的には、「我々は日本の海上自衛隊だ!」と自己紹介。相手は耳を押さえてのた打ち回りながら退散する。
残念ながら、護衛艦きりしまが使用したという記録は今のところない。

*この艦娘についてのコメント [#comment]
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