日本 RankII 中戦車 Chi-Nu / 三式中戦車 チヌ 

概要 
1.65で実装された日本陸軍のランクII中戦車。
計画名称「チヌ」、制式呼称「三式中戦車」。
日本陸軍で初めて対戦車用途に75mm砲を装備した中戦車である。
同格中戦車比で装甲は薄く、機動力も微妙ながら、チハ改やチヘでは対処が困難だったT-34やM4シャーマン、KV-1も正面から撃破できるだけの火力がある。
車両情報(v1.65) 
必要経費 
必要研究値(RP) | 14000 |
---|---|
車両購入費(SL) | 55000 |
乗員訓練費(SL) | 16000 |
エキスパート化(SL) | 55000 |
エース化(GE) | 320 |
エース化無料(RP) | 250000 |
バックアップ(GE) | 30 |
護符(GE) | 860 |
BR・報酬・修理 
項目 | 【AB/RB/SB】 (初期⇒全改修完了後) |
---|---|
バトルレーティング | 3.3 / 3.3 / 3.3 |
RP倍率 | 1.3 |
SL倍率 | 0.7 / 1.2 / 1.4 |
最大修理費(SL) | 1200⇒1556 / 1340⇒1737 / 1120⇒1452 |
車両性能 
項目 | 数値 |
---|---|
【AB/RB&SB】(初期⇒全改修完了後) | |
砲塔旋回速度(°/s) | 9.9⇒13.7 / 6.19⇒7.28 |
俯角/仰角(°) | -10/20 |
リロード速度(秒) (初期⇒スキルMAX+エース化) | 7.8⇒6.0 |
車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 50 / 25 / 20 |
砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 50 / 25 / 25 |
重量(t) | 18.8 |
エンジン出力(hp) | 372⇒458 / 212⇒240 |
2,000rpm | |
最高速度(km/h) | 43 / 39 |
最大登坂能力(°) | 40⇒43 / 40⇒41 |
視界(%) | 88 |
乗員数(人) | 5 |
武装 
名称 | 搭載弾薬数 | |
---|---|---|
主砲 | 75mm Type 3 cannon | 55 |
機銃 | 7.7mm Type 97 machine gun | 4000 |
弾薬*1 
名称 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | 購入 費用 (SL) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||||
Type 1 APHE | APHE | 6.56 | 53 | 668 | 100 | 98 | 89 | 79 | 70 | 62 | - |
Type 90 Smoke | Smoke | 5.72 | 100 | 570 | 4 | - | |||||
Type 94 HE | HE | 6.0 | 810.0 | 552 | 11 | - |
車両改良 
Tier | 名称 | 必要RP | 購入費(SL) |
---|---|---|---|
I | 履帯 | 920 | *** |
修理キット | |||
砲塔駆動機構 | |||
弾薬開発1 | |||
II | サスペンション | 780 | *** |
ブレーキシステム | |||
手動消火器 | |||
火砲調整 | |||
弾薬開発2 | |||
III | フィルター | 1200 | *** |
救急セット | |||
昇降機構 | |||
弾薬開発3 | |||
IV | 変速機 | 1100 | *** |
エンジン | |||
追加装甲 | |||
砲撃支援 |
カモフラージュ 
研究ツリー 
解説 
特徴 
今まで日本中戦車は小口径砲が中心だったのがチヌからは75mm砲を装備している。
ただし、即席兵器なので問題が多く、あまり性能を期待してはいけない。
【火力】
火力に関してはこのBR帯の中戦車達が装備する75mm砲クラスと比較して平均的。貫通力は同格として現れるT-34やM4シャーマンなどの正面装甲を角度が付いていなければなんとか貫徹可能なレベルである。ただ炸薬は80gくらいで相変わらずマシマシであり、貫通さえできれば容易く撃破することができる。
しかし跳弾しやすい被帽無しの徹甲榴弾か榴弾、煙幕弾の3つしか装備できないため、少しでも角度を付けられると貫通は難しい。それに対し、こちらは貧弱な装甲が仇となって距離を取ろうが角度を付けようが貫通される。こうなれば一方的に殴られるだけとなるので貫通できるように射撃目標をしっかりと確認しよう。
装填速度は7.8秒とBR3.3クラスでは遅く手数でも勝負できない。比較例として貫通力の似たクロムウェルVとM4A1は同条件で6.5秒、4号F2は7.6秒、T-34 1940が9.3秒、P40が6.4秒となる。
砲塔旋回速度も全改修済みで7.3°/s、昇降速度も2.8°/sと同格中戦車の中では最低だと言わざるを得ない。T-34やM4や四号など他国の中戦車の半分程度しかないので急な会敵では先手を取られることがある。索敵も怠らないように。
初速も47mm砲に比べると低く、弾道も若干山なりではあるが動目標への攻撃も十分可能である。
【装甲】
正面装甲はチヘ同様ほとんど垂直の50mmでありまったく頼りにならない。
チヘですら頼りにならなかった装甲がBR3.3の本車では無いも同然である。このBR帯では75mmを超える砲を持つ戦車が多くなり対空自走砲も口径が大型化しているので正面からでも普通に貫通される。
75mm級のAPHEを被弾しようものなら一撃で靖国送りになるだろう。側面も25mm、車体側面上部は20mmと近距離では12.7mm弾すら防げない。
砲塔も装備する砲にあわせて相応に大きなものとなっているため被弾面積が増え、端の方への被弾でも75mm級の砲弾であれば砲塔後部の弾薬まで破片が到達し誘爆するという事も多くなる。厄介なことに車体の弾薬庫は20発しか搭載できず、残り35発は砲塔内に積まれる。継戦能力を捨てて生存性を上げるか、生存性を捨てて継戦能力を上げるかという選択肢が問われる。
あと余談だが日本の戦車共通で操縦席が他の国と違って外から見て左にあり、砲手と一列になっていないので、一撃でどっちとも無効にされる確率が他の国と比べて低い。(炸薬モリモリだったら諦めよう)。特に化学弾などは効果は高い。(今これゆうか?)
【機動性】
ABではエンジン出力も多少増加しているものの重量も増加している為相変わらずの機動性である。
やはり動き回る戦いは中々に難しいだろう。
RB/SBでは18t程度と中戦車にしては軽量なのだが、チヘの貧弱なエンジン(240馬力)を搭載したまま2t近く増えているので重量/出力比で計算すると1馬力辺り78.3kgの負荷が掛かってるので機動性はむしろチヘ、ホニより低い。参考までにM4A1は76.5kg/1馬力辺り、ホイは66.7kg/1馬力辺り、チヘは71.3kg/1馬力辺りである。
旋回がもっさりしており馬力不足が顕著なので裏取りや最前線でこまめに動き回れず、それに加えて砲塔旋回の遅さのせいで市街地戦は苦手である。
史実 
三式中戦車チヌは日本陸軍が量産配備できた戦車としては最後に作られた中戦車であり、アメリカ軍の主力戦車 M4中戦車に対抗するために開発された。
本来であれば新型戦車を開発する場合、車体開発だけでなく搭載砲も平行して開発していかなければならないため、量産可能になるまで約一年から一年半程度の期間が必要だったが、
チヌは既存兵器の部材を組み合わせることで、たった半年足らずという短期間で量産化までこぎ着けることができた。
その反面、急ごしらえの即席新型戦車というべき代物でもあり、足回りや主砲周りに起因する不具合も多かった。
チヌは中戦車の名を冠していたが、火力の高さと元々の生産予定数の少なさから、三式砲戦車とともに砲戦車中隊に配備されている。
日本陸軍は当初南方戦線において九七式中戦車を上回る装甲、火力、機動力を持つM3軽戦車を脅威に感じており、九七式中戦車に初速の速い一式四七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車改を送り解決した。チハ改はM3軽戦車に対しては一式四七粍戦車砲で800~1000mから撃破可能で、装甲に関してはM6 37mm戦車砲を320m以上なら命中角度次第で防ぐことができたが、中頃になると米軍は反攻作戦を開始、自慢の船団輸送能力を活かし各戦線に30t級のM4中戦車を揚陸するようになると戦況は変わる。チハ改ではM4中戦車に対して側面で400~600m、正面では100mという至近距離ではないと貫通は難しく、反面M4中戦車の持つ75mm砲では1000m以上でも命中すれば貫通されてしまう可能性もあった。
陸軍は当時同じく一式四七粍戦車砲を搭載した一式中戦車が完成、四式中戦車(当初は長砲身57mm戦車砲搭載予定でのちに長砲身75mm戦車砲搭載の方向で進んだ)開発途中であったが、前者は武装では到底M4中戦車に正面から太刀打ちできず、後者はそもそも開発途中であったため、急きょ穴埋めとして昭和19年5月に一式中戦車の武装を強化した中戦車を開発することになった。
本車輛では、一式砲戦車にも搭載された九〇式野砲を戦車砲として改修した三式七糎半戦車砲を搭載している。元々は採用年式が示す通り1930年に採用された野砲であったが、貫通力は一式徹甲弾(徹甲榴弾)使用時で1000ヤードで71mm、500ヤードで84mm、250ヤードで89mm、タングステン・クロム鋼弾である特甲弾では1000mで85mm、500mで100mmの貫通力と陸軍は列強の中戦車を撃破するには十分な貫通力、威力があるとして選んだ。実際の性能としてはM4シャーマンが搭載したM3 75mm戦車砲程度の貫通力があった。
昭和20年3月9日で射撃演習を行った際、3000mの距離から畳一枚分くらいしかない目標を初弾で命中させたので関係者が驚いた、という逸話がある。(ちなみにチハの場合は800m以上の距離になると命中率が20%を切り、チハ改では1300m以上で命中率20%を切っていた)
装甲はチヘから何一つ進歩しておらず、75mm砲弾が当たればひとたまりもなかった。さらに駐退複座機が外に露出しており、八九式中戦車のように集中攻撃されて破損し、発砲できない可能性もあった。その為、四式中戦車の材料を利用して前面装甲を増厚させるプランが存在している。
機動性においては足回り、機関ともに一式中戦車と同じだが、重量が増加してる為最高速度は44km/hから38km/hに低下、足回りの破損も多かった。
実戦は経験をしておらず、本土決戦用の戦車として上陸してきた米軍に対して機動戦を行い橋頭堡を撃破する第32軍の機動決戦兵団を中心に配備されて本土に温存されたまま終戦を迎えている。
本土決戦時の運用方法としては前提として戦車部隊は歩兵と砲兵と共同作戦を行う。チハやチヘ、速射砲歩兵砲などが前衛を務め歩兵の支援を行い、チヌは陣地後方で待機し敵戦車が投入された場合に出動、敵戦車に反撃するという運用方法が基本だった。
しかし現場レベルではM4シャーマンの正面装甲に対して貫通力はもちろん、特に装甲の不足が懸念されており、正面からの機動戦闘を行うことは避けて側面に回り込んで突いたり、複数の陣地で待ち伏せて撃った後に移動する砲戦車のような運用方法が検討されていたという。さらに18トンを超える車重は当時の日本の貧弱なインフラが耐えられず、さらに当時は工兵機材も不足していた為国内ですら移動がままならなかった。
ちなみに何気に日本戦車初の電動式旋回装置を持つ中戦車。チハやチヘの頃はハンドルを回す必要があったが、本車輛の場合砲塔が巨大化したので電動式に改められた。一応旋回装置が破損したときなどの予備として旋回ハンドルがあるが、実際に搭乗したことがある元戦車兵によるとチハ改と違い砲塔が大きい為相当大変だったらしい。
残念ながら砲塔バスケットはないので乗員はチハ、チヘと変わらず砲塔の動きに合わせてグルグル周る。
小ネタ 
◆珍しい戦車砲
本車に搭載されている砲は上記の通り野砲を転用した物なのだが、改修の時間が足りなかったため、縄を引いて発砲する方式そのままになっている*2。そのせいで狙いをつける砲手と紐を引く撃発手(無線手が兼任することもあった)が別という変則的な形な上、工作精度の問題で騒音を奏でる車内では砲手と撃発手は発射のタイミングが合わせにくかったと考えられるが、なにぶん紐を引いて発砲する戦車はほぼ*3前例がなく、どれだけ問題だったかは当時の記録も断片的なため、推測に頼らざるを得ない部分も多いので注意が必要である。
本車の主砲とほぼ同じものを搭載した一式七糎半自走砲は、1941年に戦車部隊側から砲戦車化の要望が寄せられた際に、移動する戦車を想定した目標に対する射撃試験などが行われている。その結果、砲戦車としては様々な問題を指摘されているものの、命中精度及び威力は良好であるとの評価を得た。
(ただし、肝心の縄を引いて発砲する形式に関しては特に問題視されていない*4)。
ちなみに、同様の形式で撃発する戦車(?)は他にも存在しており、Chi-Ha Short Gunがこれに該当する(こちらは砲手が直接縄を引くようだ)。
◆実は最新式戦車
本来チヘの後継はチト、チリの順番*5なのだが、チト、チリが一向に完成しないためチヘの武装強化案がチヌとして採用されることになった経緯がある。
◆装甲の材質
Q.本土決戦の切り札が軟鉄製ってマジ!?
A.よくわかってない。
さまざまな逸話や反論もあるがいずれも信憑性がなく、真実をはっきりさせるものがない。
小説家で有名な司馬遼太郎は日本陸軍の元戦車兵でもあったが、その当時最新鋭戦車だったという三式中戦車の装甲にヤスリをかけたところ、あっさり削れたので従来の九七式中戦車で試したときに削れなかったことを思い出し、装甲の質を疑う逸話は有名である。
しかし、ヤスリで鋼板の組成を把握するのはほぼ不可能である。
(またドイツ戦車研究家の富岡吉勝氏は「(ミリタリー雑誌)の編集部に九州かどっかの工場で働いていた人から丁寧な手紙が来たそうで、「三式中戦車には装甲板がなくてただの鉄を使った」と書いてあったらしい」と発言している。
ただし、富岡氏は手紙の件が事実かを精査したわけではなく、ほとんど噂に近い。)
戦中・戦後の、戦車技師である曽根正儀氏は反論として、三式中戦車の装甲は柔軟性を高めた均質圧延鋼板であり、ヤスリがかかるのは当然で、M4中戦車など諸外国の戦車も同様にヤスリがかかる硬度である。
としているが、実際にはリアルタイムの記録ではなく回想であり、三式中戦車自体複数の工場で作っていたことや、物資不足の戦争末期であることなどから、完全に疑惑を払拭するほどの論拠とはいえない。
つまるところ、司馬氏の観察は論外であり、また富岡氏の話は風聞であり証言ですらない。だからといって曽根氏の反論も現場側の意見ではなくあくまでも開発側のもので、現状がどうだったか把握していたわけでもない。つまるところ、どれもこれも信憑性が高いとは言えず、真相がどうだったかは闇の中である…
◆自衛隊に配備されていた…?
wt運営が日本戦車実装前に書かれていた記述によるとこの三式中戦車チヌは1960年頃まで自衛隊に使用されていたとされているが、自衛隊からそんな事実は確認されていない、恐らく61式戦車の試作車群(STAシリーズ)が四式中戦車の変速機を参考にしたというエピソードと混同したのだろう
https://warthunder.dmm.com/library/detail/1394
外部リンク 
コメント 
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