天界へ吹く風
皇女エルゼが即位する過程を盛り込んだストーリー。エルゼの年相応な側面も見ることができる。
なぜ彼女が皇女になったのか、ネビロ・ユルゲンやジェクトの心理を深く描写している。
チャプター1
- 天界軍を率いてカルテルの激しい攻撃を阻止した最高司祭ベルドランがこの世を去った。
カルテルの攻撃が天界に残した爪痕は大きかったが、
天界人にとってはそれを上回る悲しい出来事であった。
だが、天界の上層部はいつまでも悲しんでいるわけにはいかなかった。
天界の安定を取り戻すため一刻も早くベルドランの穴を埋めなければならなかった。
華麗な継承式はいつもならお祭り騒ぎで速やかに行われるはずであったが、今回だけは違った。 - ペトラ・ノイマン
- ベルドラン様が天に召されてから10日が経ちました。
そろそろエルゼ様の継承式を準備しなければなりません。
戦いの被害を復旧するためにも最高司祭の座を長く空けておくわけにはいきません。 - アンジェ・ウェイン
- 確かにそうですが…もう少し待ちましょう。
- ペトラ・ノイマン
- ウェイン公。これ以上待つ必要はないのでは?
ベルドラン様は自分の後継者としてはっきりとあの方をご指名されました。
それをなかったことにするおつもりでしょうか? - 事を急いで進めようとするノイマンの話にウェインの目つきが鋭くなった。
- アンジェ・ウェイン
- なんと…失礼極まりない!
戦いの後処理が残る今の状況に果して幼い少女が耐えられるでしょうか。
まだまだ学ばなければならないことがたくさんあります。 - 広い会議場がため息で充満した。
大きな責任がのしかかる最高司祭の座。
これ以上その座を空けておくわけにはいかない。
だが、普通の家庭で生まれ育った少女に何ができるだろう…。 - ペトラ・ノイマン
- …ですが、彼女に代る者はおりません。
- テレサ・シュルツ
- 最高司祭の存在が・・・果たしてこんな状況で必要なのでしょうか?
- アンジェ・ウェイン
- …どういう意味でしょう?
- テレサ・シュルツ
- …特に意味など…。
ただあの邪悪なカルテルが皇都に襲いかかってきた状況を振り返ると、
戦いに必要なのは司祭の能力ではなかったのではないでしょうか。 - 露骨に不満を口にするシュルツの発言により会議場には緊張が張り詰めた。
- ペトラ・ノイマン
- ベルドラン様もカルテルのことを心配なさっていました。
また戦いの際は自ら先鋒に立ち、奴らを無法地帯に追い出したのです。 - テレサ・シュルツ
- その通りです。素晴らしい 「指揮官」でした
- ジェクト
- ………。
- ネビロ・ユルゲン
- みなさん、落ち着いてください。
それぞれお考えがあると思いますが今やらなければならないことは葬式を行うことです。 - ピンと張り詰めた雰囲気がユルゲン一族の首長、ネビロ・ユルゲンの発言で和らいだ。
一人を除いてこの会議場に集まった者は皆、それぞれの一族を代表する者だったが、
彼より重みのある発言をする者はいなかった。 - ネビロ・ユルゲン
- エルゼ様はまだ幼いのです。
我々がこのように言い争っていると知ったらますます不安になられるでしょう。
この件については後日改めて話しましょう。 - アンジェ・ウェイン
- ユルゲン公の言う通りです。それでは、私はこの辺で失礼…。
- テレサ・シュルツ
- 私もお先に失礼します。
- ネビロ・ユルゲン
- ふう…、なかなかまとまりませんね。
まあ、こうなることは予想していましたが。
それにしても、疲れますな。
総司令官、大丈夫でしょうか。まだ戦の疲れが残っているようですが。 - ジェクト
- 大丈夫です。
- 貴族はみな退場し、会議場にはユルゲンと総司令官ジェクト・エルロックスだけが残った。
ベルドランの死後、天界の最高司令官の座についたが、ジェクトはいつまでも謙遜を忘れなかった。
ベルドランが彼を皇都に連れてきた時は田舎者ごときがすぐに投げ出して帰るだろうと誰もが思ったものだ。
勢いよく出世街道を突き進み、ついに軍人の頂点に上り詰めた。
片時も油断ならない政治の世界に生きるユルゲンだが、ジェクトが何を考えているのか分からなかった。 - ネビロ・ユルゲン
- しかし、とても残念です。
ベルドラン様は総司令官の就任式にご出席されたかったはず…。 - ジェクト
- 騒がしくならず、むしろよかったと思います。
では、失礼します。 - 軍人らしくぶっきらぼうに答え、会議場から出ようとするジェクトにユルゲンは再び話しかけた。
- ネビロ・ユルゲン
- あの、司令部に戻られるのでしょうか?私も同じ方向なので。
すべてベルドラン様と総司令官のおかげでしょう。 - ジェクト
- いや、すべては我が兵士たちのおかげです。
- ネビロ・ユルゲン
- ははっ、ご謙遜を。素晴らしい指揮官がいたから彼らが…。
- 歩いていたジェクトが突然止まった。
- ジェクト
- あいにく回りくどいのは好きではない。
ユルゲン公、言いたいことがあればおっしゃってください。 - ネビロ・ユルゲン
- 大した話ではありません。
ただ曇の消えた青空は実に気持ちがいいということを言いたかっただけです。 - ジェクト
- 雲はいつか消え去る。焦ることもなく、無理に風を巻き起こそうとする必要もありません。
- 天気に例えてはいたが、決して天気のことを話し合っているわけではなかった。
気が利く者なら、この乱世で生き残ろうとする者なら…
ユルゲンの言いたいことにとっくに気づいただろう。
彼はまったく感情のこもっていない声で短く返事をした。
ユルゲンはうなずいた。 - ネビロ・ユルゲン
- そうですか。では、私はこちらの方に行きますので。
今度将棋でも指しましょう。 - ジェクト
- そうしましょう。
- ようやく解放されたジェクトの声はなんだか嬉しそうだった。
ユルゲンはなおさら分からなくなってしまった。
チャプター2
- ベルドランの死後、15日目。ジェクトは一人で少女の部屋を訪ね、ドアをノックした。
- ジェクト
- エルゼ様。ジェクト・エルロックスです。入ってもよろしいでしょうか。
- エルゼ
- ええ。どうぞ。
- 赤褐色のドアが開いた。
背の高い総司令官の腰くらいの小さな少女が「緊張した面持ち」で見上げていた。 - エルゼ
- ようこそ、総司令官。 今日は射撃練習はないのですか?
- ジェクト
- 撃ち過ぎて指が疲れてしまいまして…。
それで今日はちょっと休もうかと。 - エルゼは驚いた。
- エルゼ
- そんなに激しい練習を…。
- ジェクト
- ははっ。軍人として当然のことなのでどうかお気になさらず。
- エルゼ
- 無理しないでくださいね。
- ジェクト
- エルゼ様…大丈夫ですか?寂しくはありませんか?
- エルゼ
- 家に…帰りたいです…。
- 感情を抑えた声であった。エルゼは続けて言った。
- エルゼ
- ここは…怖いです。
- ジェクト
- そうですね。私も家に帰りたいと思うことがよくあります。
- エルゼ
- おじさん…いえ、総司令官の家はどこですか?
- ジェクト
- 私の家はウェスピースです。しばらく帰っていませんが。
- エルゼ
- どうして…ですか?
- ジェクトは子供に話していいものかどうかしばらく悩んだ末、話すことにした。
- ジェクト
- 皇都に来る時に妻と娘を誘ったのですが故郷に残ると言われ…
一人でここに来ました。とても後悔しています。 - エルゼ
- ……。総司令官は一番えらい人。
部下に家族を連れてきてもらえればいいのではないですか? - ジェクト
- そうしたいのですが…
戦いが終わったばかりなのに個人的なことで兵士たちに無理をさせるわけにはいきません。
兵士たちはみんな疲れ果てています。
彼らを家に帰して休ませるのが先決です。 - エルゼ
- 羨ましい…私も家に帰りたい…。
- ジェクト
- ここに来てからどれくらいが経ちましたか?半年くらいでしょうか?
ご家族にお会いしたいでしょう。 - エルゼ
- ええ…でも、帰れないんですよね…。
お母さんに私はここにいなければならないと言われました。 - ジェクト
- その通りです。
- ジェクトは別に重々しい口調で答えたわけではない。
だが、幼い少女には重く感じられただろう。 - エルゼ
- 分かっていました。私がここに来ることになるって…
なんとなく分かっていたんです。
大きな部屋に一人寂しく…。 - ジェクト
- 決して一人ではありません。
寂しい思いをさせないためにみな最善を尽くしています。 - エルゼ
- …はい。
- エルゼは力なく答えた。そんな話は飽きるほど聞いたのだろう。
しかし、ジェクトの話はそれで終わりではなかった。 - ジェクト
- だからと言って辛くなるなということでもありません。
悲しくて寂しくなるのは当然のことです。
ですが、今のうちに悲しい時には泣いて嬉しい時には笑ってください。 - エルゼ
- 今のうちに…?
- ジェクト
- そのうち、嬉しい時に泣いて、悲しい時に笑わなければならなくなるかもしれません。
上に立つ者は常に孤独に苛まれるでしょう…
感情を隠し続けないと心が粉々になるかもしれません。 - エルゼ
- そんなの嫌です…。
- ジェクト
- 私もです。しかし、この現実を変えられるほどの力が私にはありません。
- ジェクトはしばらく黙っていた。幼い子供にこの話をしていいものか…。
普通なら話さなかっただろう。しかし、ジェクトはエルゼの聡明さと、
この少女を後継者として選んだベルドランを信じることにした。 - ジェクト
- 最高司祭という座は非常に不安定なものです。
皇国の中心として崇められてはいるものの、皇帝でもなく実質的な権力もありません。
ですが常に疑われ、必要な時にだけ責任を負わされます。
でも仕方ありません。
それがあなたが背負わなければならない重荷ですから。 - エルゼ
- ……。
- ジェクト
- あなたのことを操り人形呼ばわりする者たちもいるでしょう。
ですが、エルゼ様、彼らの話はすべて無視するのです。
そして彼らの操り人形になるのではなく、皇帝になるのです。 - エルゼ
- 皇帝…?
- 天界では聞き慣れない言葉だったため、賢いエルゼも戸惑いの表情を見せた。
ジェクトは力強くうなずいた。 - ジェクト
- この国は砂で建てた城のような状況です。
貴族の勢力はあまりにも強く、権力は分散されています。
こんな時、バカルのように強い敵が現れれば…あっという間に散らばって逃げてしまうでしょう。
そのようなことが起きる前にこの国を一つに束ねなければなりません。
あなたがそうすると覚悟を決めてくだされば協力します。 - エルゼ
- …よく分かりません。おじさんがそうすればいいんじゃないですか…?
- 怯えているエルゼの問いにジェクトは首を横に振った。
- ジェクト
- 私にはできません。
私の思考は長年の戦いで固くなり、人を味方と敵の二つにしか分けられなくなりました。
##BR
それに私は軍人です。この私が支配者の座につくと…。
改革しやすくなるかもしれませんがよくない前例が作られるでしょう。
力さえあれば改革できるという…。
そして最も重要な理由は…。 - エルゼ
- それは何ですか?
- ジェクト
- 私は面倒なことが嫌いで…。
業務が終わると海を眺めながら酒を飲んだり、友人に会ったりしたいんです。
ですが、皇帝になるとそれができなくなりますから。 - それを聞いたエルゼはくすくすと笑った。
- エルゼ
- 私も遊びたいのに…。
- ジェクト
- では、エルゼ様も適当に人を選んで司祭の座を譲って逃げてしまえばよろしいのでは?
あなたはそうしますか? - エルゼはしばらく考えた。そして声を出して笑った。
- エルゼ
- 私がいなくなるとまた別の誰かがこの広い部屋で一人でいなければならないじゃないですか。
それはかわいそうです。
それに…おじさん…あっ、ごめんなさい…。
総司令官がこの国で一番力を持っていますよね? - ジェクト
- まあ…はい。
- エルゼ
- 総司令官が協力すると言いましたし、やってみます。
この国が危険にさらされると大好きな人たちの命も…。
悪い人たちを阻止しなければ!
##BR
ところで、皇帝って何ですか?最高司祭の友達ですか? - ジェクト
- かつては神と人を繋ぐ者が最高司祭、人々を一つに束ねて率いる者を皇帝と呼びました。
我が国を「皇国」と呼ぶのもそれが由来です。 - エルゼ
- よく分かりません……。なんだか大変そう…。
皇帝以外にはいないんですか?その一つ下とか。 - ジェクト
- エルゼに予想外のことを聞かれたジェクトは言葉を失った。
「皇帝の一つ下」…。 それは何だ…。
彼もまた皇帝という概念に慣れていない天界人であった。 - ジェクト
- そうですね…皇帝の一つ下…皇女くらいでしょうか?
- エルゼ
- では、これから私を皇女と呼んでください。
- ジェクト
- ですが…皇女は皇帝の娘に当たると思いますが…。
それでは、大人になったら皇帝になるということで…。
なにしろこの国は皇帝のいない皇国ですから。 - 「ベルドランが生きていたら今の話を聞いて何だそりゃと笑ってくれただろう」。
ジェクトは突然襲われた寂しさを振り払って立ち上がった。 - ジェクト
- それでは、受け入れてくださったということで。の辺で失礼します。
- エルゼ
- またサボるんですか?
- ジェクト
- できることならそうしたいのですが、私の仕事を代わりにしてくれる者がいないので。
誰かいい人がいたら紹介してください。 - 下がる前に敬礼するジェクトにぎこちなく真似をしたエルゼだが、
何かを思い出しジェクトのところに駆けつけ、彼の軍服を引っ張った。
そしてひざまずいたジェクトの耳にささやいた。 - エルゼ
- あの…私が皇女になったら総司令官の娘さんを探してあげますね。
そしたら私と友達になってくれないか聞いてくれません? - ジェクト
- 娘はエルゼ様より年上ですから…
友達というよりはお姉さんって言わせたがるかもしれません。 - エルゼ
- 本当ですか!嬉しい!実はお姉さんがほしかったんです。
じゃ、お姉さんになってくれないか聞いてくれませんか? - 天真爛漫なエルゼの言葉を聞いたジェクトは苦笑いを浮かべた。
- ジェクト
- 私の娘が皇女の姉になる…。 私はその姉の父…ということは!つまり…。
エルゼ様、困りますな。今抱えている仕事だけでも大変なのです。
これ以上複雑な話は…。 - エルゼ
- …ずるい!
- ジェクト
- とにかく外は寒いので大人しくしていてください。
皇帝であれ、皇女であれ、即位式で鼻水を垂らす主君は見たくありませんので。
チャプター3
- ジェクト
- …従って私はエルゼ様を皇女に立てたいと思います。以上。
- エルゼの最高司祭継承を決める場であった。
他の代案があるわけでもなかったので貴族院の形式上の承認の場に過ぎなかった。
本来なら静かで重々しい雰囲気のになるはずだった。
穏やかだった会議場は再び修羅場と化した。 - ペトラ・ノイマン
- 皇女?皇女…?
- 狼狽した貴族たちを前に、ジェクトは平然としていた。
いや、図々しかったという表現の方が正しいかもしれない。
「頭は大丈夫でしょうか?」と聞く始末。しかし、返ってくる答えもなく、
ジェクトがどうしてイーグルアイと呼ばれているのかを確認できただけであった。 - テレサ・シュルツ
- ……・深い意味があるとは思いますが…前例のないことなので…。
- ジェクト
- それを言うならカルテルの大規模攻撃も前例のないことではありませんか?
バカルによって多くの歴史本が燃やされて以降、初めてのことだそうですが。 - ペトラ・ノイマン
- ですが、皇女…それは皇帝になることを前提にしているという話ではありませんか!
司令官はこの国がどうして皇帝の座を無くしたのかご存じのはず! - ジェクト
- バカルが自ら王になったから?
- アンジェ・ウェイン
- その通りです。 我々はあの怪物に支配され長年苦しみを受けてきました。
それを教訓にし、それぞれの意見が尊重される体制を維持発展してきたのです。
皇帝を立ててしまうとこれまでの努力が水の泡になってしまいます。 - ペトラ・ノイマン
- それに幼いエルゼ様がそんな重荷に耐えられるとは、到底思えません。
- ジェクト
- 幼くはありますが心優しく賢いお方です。
みなで協力すれば特に問題はないと思います。
それから、耐えられるとは思えないというのはどういう意味でしょう?
すでにこの皇国の重荷を背負っておられます。その言い方は失礼極まりない! - ペトラ・ノイマン
- も、申し訳ございません…。ですが、最高司と皇帝は明らかに違います。
悪しき習わしだと判断して捨てたものをなぜ再び…。 - 狼狽してはいたがこの会議場に集まる貴族の首長たちは無能たちではなかった。
彼らはジェクトの主張に対して真っ向から対立した。
また巧みにジェクトの意図を歪曲しようとする者もいた。
ジェクトが用意した切り札がすべて使い果たしたと思われたその時、
沈黙を守っていたユルゲンが静かに口を聞いた。 - ネビロ・ユルゲン
- エルロックス様のお話は分かりました。 意見を曲げないということも含めて。
ですが、この事案は我々貴族院でも慎重に論議すべきものだと思います。
少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか。 - ジェクト
- 分かりました。
- ネビロ・ユルゲン
- それでは今日はこの辺でお開きにしましょう。
貴族院の招集は私から改めてご連絡します。 - ジェクト
- 分かりました。
- 貴族たちが全員帰った後、ユルゲンはため息をつきながら肩をすくめた。
- ネビロ・ユルゲン
- …直球すぎたのでは…。もう少し遠回しに発言される方かと思っていました。
- ジェクト
- 口下手であることは重々承知しています。
だからこそ遠回しに言うべきではないと思いまして。 - ネビロ・ユルゲン
- 総司令官の発言が貴族院にどれほどの"衝撃を与えたのかお分かりでしょうか?
- ジェクト
- 国のことはすべて最高司祭が決める。
その名称が皇帝に変わるだけのことです。 - ネビロ・ユルゲン
- お言葉ですが、それは違います。
政治家というものはくだらなくて小さなことにこだわる連中なのです。
総司令の発言はこの国の勢力の成り行きを変えるものでした。
決してその名称が変わるということではないのです。
…そんなふうに見ないでください。 - ジェクトは静かにユルゲンを見つめた。
ネビロ・ユルゲン。若くして貴族院の実勢を握った男。
名ばかりの最高指導者を除いては
彼がこの国で最も影響力を持つ人物だと言っても過言ではなないだろう。
ジェクトはユルゲンの狙いがまったく読めなかった。
ジェクトの意図は明確で大きな衝突は覚悟の上だった。
大貴族の首長が皇帝中心の権力構造を望んでいるだと…?本当に…?
だが、今しかなかった。
ベルドランの遺言に従うためではなく、常に見くびっていた無法地帯との戦いが
終わった今でなければ、この国はこの先も変わらないと判断したのだ。 - ネビロ・ユルゲン
- 私に耳打ちでもしてくださればここまで複雑にはならなかったことを…。
- ジェクト
- 私の意見に賛成するという意味ですか?
- ネビロ・ユルゲン
- 総司令官の考えというよりはベルドラン様の考えなのでは?
- ジェクト
- …確かに遺言ですが、どうしてそれを?
- ネビロ・ユルゲン
- ベルドラン様がエルゼ様のお名前に「ベガ」を付けた時に気づいたのです。
ベガというのは平和な時代の最も力の強かった皇帝の名。
知っているものは多くありませんが。
ですが、ここまで強圧的な方法を使うとは…。 - ユルゲンの遠回しな叱責を受けたジェクトは素直に詫びた。
- ネビロ・ユルゲン
- この件は私に任せてくださいませんか?
ベルドラン様の意志を必ず成し遂げるように協力いたしますので。 - ジェクト
- (ネビロ・ユルゲン…何を企んでいるのだ…。
貴族院によって治められている天界を皇帝か協力は権力で治めるようにする
というベルドランの狙いに気づいたはずなのに。)
エルゼ様もまだ幼く、支えてくれる勢力もない…。
この男を敵に回すのは危険かもしれん。参ったな。
銃弾が降り注ぐ戦場の方がまだ居心地いい…。)
ですが、この件はくれぐれも慎重にお願いします。 - ネビロ・ユルゲン
- もちろんです。
もしよろしければ一緒にお酒でもいかがでしょうか。 - ジェクトは本当は大貴族の館になど行きたくなかった。
だが、今回だけは仕方もなく…。 - ジェクト
- 分かりました。ちょうどうまい酒があるのでそれをお持ちしましょう。
チャプター4
- 民たち
- 皇女殿下万歳!
皇女殿下万歳!太平の御代となるべし! - エルゼ
- あっ…。
- ネビロ・ユルゲン
- 笑顔で手を振るだけでいいのです。演説は他の場所で。
- エルゼ
- はい…。い、いや、分かったわ。
- 即位式が進むにつれ、幼いエルゼの表情は見ていられないほど硬くなっていた。
だが、予め練習した通りに毅然とした態度で臨み、
最高司祭兼皇女の即位という前代未聞の事態が起こったにもかかわらず、
即位式は特に問題もなく順調に進んだ。 - メリル
- 盛り上がってるね。
ベルドランの後継者が幼い少女だなんて、反発も多いかと思ってたんだけどね。
サクラでも雇ったのかい? - ジェクト
- そんなことは。
- メリル
- あんたはそうかもしれないけど、ユルゲンなら…。
こういうのは雰囲気が肝心だからね。
最高司祭に皇女…。誰もが不満を口にするはずだ。
だけど、その前に手を打って世論を味方につけておけば、人はそれに流されるもの。 - ジェクト
- 誰が何と言おうと結局は自分で判断し、行動するものでしょう。
- メリル
- あんた、あの群衆達がみんな自分の頭で判断して、
即位を本当に喜んでいると思ってんのか?よくもそんな能天気なことを…。
貴族に振り回され、頭が台尻みたいに硬くなっちまったのか? - セブン・シャーズのメリル・パイヤオニとは
ジェクトがウェスピースにいた頃からの付き合いである。
何の前触れもなくいきなり研究を手伝えと押しかけてきたメリルはジェクトが
最高司令官の座についた今も変わらず遠慮のない言い方をする。
腐れ縁のよしみと言えるだろう…。
ジェクトは何食わぬ顔で言い返した。 - 冒険に出ると言いながらあっちこっちで問題ばかりを起こしている
あなたに言われたくはないですな。口出ししたければ一緒にいかがです?
人手が足りないもので。 - メリル
- よしてくれよ、頭がおかしくなったのか?
科学者は軍隊に入った瞬間、終わってしまう。
軍人という者は短気で結果ばかりを追い求める…。それに小言が多い!
成果が出るまでの試行錯誤を理解できない連中たちめ! - ジェクト
- 弟子と聞きましたが。
- メリル
- ああ、ナエンか? もう一人でもやっていけるだろう。
いつまでも面倒を見てやるわけにもいかないしさ。 - メリルはパイプにタバコの葉を入れた。
女官長があからさまに嫌な顔をしたが
外からは見えないということを理由にタバコをふかした。 - メリル
- ああ、そうだ。 海岸守備隊にいるヘルマンの弟子…。
あいつ…復讐に狂って暴れているようだが。大丈夫か?
大らかで優しそうに見えるが実際は血に飢えている…そんな奴が一番厄介だぞ。 - ジェクト
- 頼もしい部下です。 彼に代わる人材もいませんし、証拠もありません。
しばらく見張りをつけておきます。 - メリル
- 本当に気に食わないね。 ヘルマンの奴、まったく人を見る目がない!
まぁ、頭を悩ませるのはあんただから別にいいか。
そろそろ時間だし、私はもう行くわ。 - ジェクト
- 即位式の真っ最中ですが・・・。
- メリル
- 興味ないね。 それに人だかりは苦手だ。
あんなに幼い子供に重い服を着せているのも可哀想で見ていられない。 - ジェクト
- それはこっちのセリフですぞ、ババアが。
- ジェクトの返事を聞いたメリルは豪快に笑った。
- メリル
- がはははっ!年の順にあの世に行くわけじゃないからな!
あんただって若者たちのおかげで生きられているくせに生意気なこと言いやがる! - メリルはパイプを口にくわえたまま去っていった。
変わり者ではあるが人望も厚く、物知りのメリルがエルゼの側にいてくれれば…。
冷やかしで冒険中に水虫にかかれと、小声でつぶやいた。 - ネビロ・ユルゲン
- 思ったより盛り上がっていますね。 このままなら問題なく即位されるでしょう。
- ジェクト
- あなたのおかげです。
- ネビロ・ユルゲン
- とんでもありません。総司令官が皇女様を支持すると表明してくださったからです。
そして見事に民の尊敬を集めていました。 - ジェクト
- あまりにも褒められると照れくさくなりますな。
- 適当にユルゲンの話を遮ったがジェクトの心境は複雑であった。
彼は自分を見つめているエルゼに手を振りながら考え始め。 - ジェクト
- (ベルドラン様の言う通りに、よどんだ貴族院を刷新しなければならない。
新しい時代には新しい風を吹かせなければ…。今回のカルテルの侵入も
結局は長年にわたって行われてきた差別と権力の集中によるもの。
そうさせたのは…貴族。)
実に厄介なことを頼まれたもんだ、ベルドラン様…。) - ネビロ・ユルゲン
- (貴族は民からの信頼を失った…。最高司祭中心の権力集中は時代の流れ…。
それを変えることができないならば、いっそ流れの主導権を握るしかない。)
しばらくは軍を味方につけ、すべての責任は皇女に押しつける。
「最高司祭」兼「皇女」だからな。)
強い力を持ち正統性にも問題ない新しい指導者を立てなければならない…。
この国を発展させる道はそれしかないのだ。) - ネビロ・ユルゲン
- 今日もいい天気ですな。新しい王が即位するには最高の日です。
- ジェクト
- そうですな。 実にいい天気です。
- ユルゲンとジェクトは同じ空を見上げた。