マルタの歴史

Last-modified: 2023-06-12 (月) 20:47:04

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マルタ島は古代に巨石文明が繁栄する古来から人の営みのある地域です。マルタ騎士団の本拠地でもあり、対イスラム勢力の前線基地として機能しました。騎士団は巡礼地を訪れる信者を守る事を目的として結成され、現地で治療院や孤児院を運営していました。その為ホスピタル騎士団とも呼ばれていました。三大騎士修道会の一つと数えられる存在でもありました。ウトラメール(十字軍国家群)がイスラム勢力の手に落ちて以後、拠点を失った聖ヨハネ騎士団はシチリア、ロードス島を変遷しながらマルタ島を領土として編入します。その頃からマルタ騎士団と名乗るようになりました。マルタ騎士団はバルバリア海賊(イスラム系海賊)に対抗する形で私掠船(海賊行為を国家から公に認められた船)や軍船を保有するようになります。1565年にオスマン帝国から襲来されますがこれを撃退しています。このときオスマン軍撃退に活躍した騎士団総長ジャン・ド・ラ・ヴァレットにちなんでマルタ島の主要港がヴァレッタと名付けられた。続く1571年のレパントの海戦でもマルタ騎士団の船が参加している。中世が終わりを迎える頃、宗教勢力の権威は既に衰えており、各聖騎士団の財産や戦力が国家から奪われる状況になり、マルタ騎士団も例外ではありませんでした。領土も軍船も兵力も失ったマルタ騎士団は求心力を失い、マルタ島を離れる事になりますが今日でも三大騎士修道会で唯一現存する騎士団であり、領土こそ持たないものの112の国家と国交を結んでいます。