女真の歴史

Last-modified: 2023-06-12 (月) 14:24:27

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女真は渤海の遺民と言われており、朝鮮北部と中華北部と沿岸に分布していました。彼らはこの名を嫌い「満州族」を名乗っています。遼の苛烈な支配からやがで完顔阿骨打の下に部族の大人(長)が集うようになり遼に反旗を翻す。圧倒的カリスマと戦術眼を持った完顔阿骨打は独立し、金を建国する。勢いそのまま遼や北宋を滅ぼしタングートの西夏を屈服させ、南宋と対峙しました。女真は鉄騎兵と呼ばれる重騎兵を主力としていました。これは西洋のフルプレート(全身鉄で覆われた鎧)に影響を受けたもので当時遊牧民が西洋とも活発に交易を行っていた事の証左でもあります。遊牧民でフルプレートを採用しているのは非常に珍しく、女真の鉄騎兵の突撃力は周辺諸国に脅威を与えていました。一時は中華全域に迫る勢いでしたが彼らの栄華も長くは続きませんでした。滅亡は南宋によって、もたらされたのではなく、新たに台頭したモンゴルによるものでした。再び女真が歴史の表舞台に上がるのは16世紀後金(清)の建国者ヌルハチの誕生を待つ事になります。