本棚/収録なし/太古からの響き・仙舟伝統芸能大全

Last-modified: 2023-07-17 (月) 10:23:48

不夜候の机を調べることで閲覧できる

序文

客人諸氏の文化・娯楽産業が活況を呈し、日々発展しているのに対し、仙舟の文化娯楽産業の発展は比較的緩やかだ。文化や娯楽の発展には古い世代の終了と新しい時代の訪れが必要となる。しかし、仙舟ではどの世代の時間も非常に長い。したがって、仙舟のあらゆる美的感覚が短期間のうちに衰退することはほとんどないのだ。

もちろん、これはあくまでも低レベルな説明にすぎない。高レベルな説明をするならば、仙舟の主たる文化・娯楽活動は伝統的で優雅なものであり、太古の時代の姿をとどめているものが多いのだ。公演の夜に不夜侯を訪れれば、そのような独特な魅力を感じられるだろう。私の公演を見終えた客が「小唄を聞いて思わず涙が出てしまった。まるで太古からの響きが聞こえたみたいだったから!」と言ったことがある。

私とシエン先生は長年の付き合いの古い友人だ。彼は評論するのが好きなのだが、ある日突然、こうした昔の伝統芸能を整理して出版したいと、思いついたかのように話してきた。私もすかさず彼に途中で投げ出さないようにと言った。私の娘の夢茗はまだ幼く、こうした昔の文化・娯楽についても詳しくない。この冊子が多少なりとも彼女の役に立つだろう。

客人諸君もこうした「太古からの響き」に興味があれば、シエン先生の紹介に耳を傾けてみるとよいだろう!

淑樺
講談

講談は仙舟のほぼすべての住民に愛されている伝統芸能だ。内容は極めて単純で、壇上に1人が立ち、扇子1つ、拍子木1つで会場中の客に話を聞かせる。自分の話術だけで、古くからある物語を語る。

この講談の内容には、伝説物、歴史物、巷の笑い話の3種類しかない。伝説物はさらに怪談の書、事件の書、義賊の書に分かれている。歴史物も帝王の書、英雄の書、悪人の書に分かれている。巷の笑い話はそれほど細かく分かれておらず、主な内容は生活に密接した出来事で、面白おかしいものが多い。

この講談は簡単そうに見えるが、実はとても奥が深い。私は少なくとも600年は講談を続けているが、もし、世間知らずの若造に「シエンさん、講談はできますか?」と聞かれたら、面の皮を厚くして「まあ、何とか」と答えるしかない。

講談は話術だけで行うものだが、観客が座って「物語を聞く」だけの無味乾燥なものではいけないのだ。講談師は、観客が話の内容を「見て、触って、嗅げる」ようにしなければならない。確かに観客は席に座っているだけだが、あたかも物語の中に入ったかのように思わせなければならないのだ。例えば、私が5千年前の大戦争の話をしたとしよう。その時代、観客はおろか、私も生まれてはいない。しかし、それでも話を聞いた観客に、まるで自分がその戦争を目撃し、今しがた前線から逃げ戻ったかのように感じさせなければならないのだ。

しかし、私がいくら熱を込めて語っても、なかなか実感してもらえないだろう。時間がある時に不夜侯に来ていただきたい。私の公演を見ることができれば、すべて理解できるだろう。

運悪く、その日に私が公演していなくても構わない。不夜侯の演目はどれも見応えがあるものばかりだ。見るべき価値のある他の仙舟の伝統芸能については、次の章で紹介しよう。

仙舟墜子

仙舟墜子は仙舟人の伝統芸能である。演者が墜子琴を演奏しながら歌うので、「仙舟墜子」と名付けられた。仙舟墜子の歌詞や朗読は、庶民的な色彩が濃く、分かりやすい口語が主体となっている。押韻が厳密でないこともあるくらいだ。題材は英雄物語や男女の情など、多岐にわたっており、どれも墜子演者に好まれている。

私が見るところ、仙舟墜子は仙舟の伝統芸能の中でも、最も敷居が高い。仙舟墜子を披露しようと思ったら、話術が巧みなだけでなく、演技にも長けていなければならない。歌詞と朗読、1人で何役もこなしつつ、さらに観客に見分けがつくようにしなければならないのだ。

それだけではない。「墜子」と名前がついているように、墜子琴の演奏技術も極めて高いレベルが求められる。墜子琴は3本の弦しかなく、墜子奏者はそれを使って無数の雰囲気を醸し出し、無数の場景を表現し、無数の感情を伝えなくてはならない。ただ「琴が弾ける」程度でできるようなことではないのだ。

私は若いとき、杞菊先生の墜子演目『景元の初狩り』を聞いたことがある。若いと言っても、すでに300歳近くになっていたが…しかし、杞菊先生の演技と卓越した演奏技術に私は深い感銘を受けた。

今、杞菊先生は因果殿に入って久しい。新しい演者には100年ほどの下積みを経て、完璧に演じられるようになった者もいる。しかし、私はもう一度彼女の『景元の初狩り』を聞きたくてたまらない。

狐族太鼓

仙舟のあらゆる地方戯曲の中で、狐太鼓は最も新しい。

狐太鼓は、狐族が仙舟同盟に加入した際、鍋を打ち鳴らしながら街で商いをしていた狐族の行商人に由来している。狐太鼓の演者は普通、太鼓をリズミカルに打ち鳴らしながら、歌っている。ほとんどが歌詞で、朗読は皆無だ。

狐太鼓の題材は狐族の性格と一致しており、英雄や愛情の歌、激しい戦いや熱い気持ちの表現を好む。仙舟墜子が真っ直ぐ素朴な表現をするのに対し、狐太鼓の歌詞は美しく、幅の広い意味を持った言葉が使われがちである。

しかし、これも別に矛盾していないだろう。何しろ狐太鼓の最も古い歌詞の1つが狐族の伝統叙事詩『青丘歌史』なのだ。

近年、仙舟で何度も公演されている狐太鼓の演目は、歴史的英雄を語る『雲騎と歩離の戦い』と、軽快で愉快なラブコメディー『狐媚記』の2つだ。時間があれば、聞いてみるといい。

持明時調

仙舟墜子や狐太鼓は、いずれも歌唱部分のメロディを特に重視しているわけではない。仙舟人は歌よりも墜琴の演奏を重要視している。狐族は歌詞の内容をより重視しており、太鼓のほとんどを同じフレーズのメロディだけで歌うことも多々ある。しかし、持明族は違う。彼らの楽器は簡単なもので(カスタネット1つだけ)、歌詞も古風だ。そして、メロディの変化が非常に多彩なのだ。

しかし、もしあなたが心優しい観客で、人の苦難に関する物語を聞くのが嫌ならば注意した方がいい。どこかでカスタネットを持った持明族を見かけ、その持明族がカスタネットを打ち鳴らしながら歌い始めたら…急いでその場を離れた方がいいだろう。それから起こることにあなたが耐えられる保証はないからだ。

なぜなら持明時調は、仙舟の伝統芸能の中でも悲劇的美学の代表だからだ。同じ愛の歌でも、仙舟人は無邪気な男女を歌い、狐族は一触即発の関係を歌い、持明族はすれ違った2人を歌う。同じ英雄の歌でも、仙舟人は勇敢さを歌い、狐族は勧善懲悪を歌い、持明族は大業の失敗を歌う。

持明時調は悲劇に偏っており、大団円を迎える結末の演目は数えるほどしかない。ほとんどが観客に心穏やかでない結末を残す。今から考えてみると、持明時調は持明族が湯海で苦しんでいた時代が起源なのだ。そのような悲劇的な美学に対する執着は、その苦難の歳月に由来しているのかもしれない。

数百年前、凌解という名の持明族がいて、『龍牙伝』と『再生縁』の2つの曲目を歌い、仙舟「羅浮」で人気を博した。『龍牙伝』は悲劇的結末の英雄叙事詩で、『再生縁』は仙舟人と持明族の間の悲劇に終わる愛情物語を描いたものだ。

凌解はすでに生まれ変わっているが、彼女の作品は伝承が途絶えたわけではない。無数の仙舟の民は凌解の後を追いかけ、持明時調の道へと歩んでいるのだ。その中には、持明族ではない者までいる。今のような時代、仙舟で持明時調を歌う人がいれば、その演者は十中八九、凌解を慕う門下生だと話すだろう。

そのため、凌解は他の持明族のように生まれ変わったのではなく、一種の文化として、仙舟の民の心の中で、本当の意味で永遠に生き続けているのだと思う。

漫才

漫才の起源に関して、仙舟にはさまざまな説があり、それぞれの説の支持者の間で論争が繰り返されてきた。しかし、あえて言うならば、そのような論争には何の意味も意義もない。漫才が仙舟の日常生活の中で極めて重要な地位を占めていることを知っているだけで十分ではないか。

私の知る限り、仙舟人、狐族、持明族、さらには化外の民に至るまで、芝居が嫌いな人は大勢いるし、講談が嫌いな人は数え切れないほどいる。しかし、漫才が嫌いな人はほとんどいない。

理由は簡単だ。漫才は階級にかかわらず楽しめるし、気楽でユーモアに富んでいるからだ。1日の疲れが溜まり、体や頭を休めたいと思った時は、茶屋を見つけ、熱いお茶を飲みながら、椅子にもたれかかって漫才を聞く――あぁ、これ以上素晴らしいことがあるだろうか!

漫才は通常2人で演じ、1人がボケ、もう1人がツッコミをする。このような掛け合いの中で、面白おかしいストーリーが展開されるのだ。

私の本業は講談だが、漫才師と講談師はいずれも話術によって生計を立てているため、共通点が多い。前述したように、講談は物語を聞かせるだけでなく、聞いている人にその場にいるように思わせなくてはならない――漫才も同じなのだ。

しかも、漫才は1人の漫才師だけがどれだけ優秀でも、相方に能力がなければ、まさに宝の持ち腐れになってしまう。2人の息の合ったやりとりで絶妙なテンポが生まれ、そしてその独特な語りのリズムこそ、漫才が人々の笑いを誘う秘訣なのだ。

そろそろ観客から、「そういう意味では、漫才は講談よりも難しいのではないか?」という質問が出てくるだろう。

それについては…私は判断を下さない。自身で不夜侯を訪れ、講談と漫才を聞き、それから自分で判断を下してみてはいかがだろうか?

雑技

漫才が言葉によって観客に楽しみをもたらすものだとすれば、雑技は体の動きで観客に楽しみをもたらす。

雑技は、仙舟の時代と同じくらい長い伝統を持つ技だ。仙舟人、狐族、持明族は、我々が仙舟で共に住むようになった時から、それぞれの雑技の伝統を持っていた。その理由は簡単だ――いかなる時代、いかなる種族の者であろうと、大道芸をしたり、関心を持ったりする奇特な者がいるからだ。

目がくらむような効果を見せるため、雑技にはさまざまな技術が使われている。鍛え抜かれた腕前によるものもあれば、巧みなトリックによるものもある。往々にして後者の方が効果的だ。考えてもらいたい。持明族が「雲吟法術」を披露したとしよう。確かに過酷な修練が必要だが、特に誰も驚きはしないだろう。持明族は元からこうした不思議な技を使うからだ。しかし、狐族が「雲吟法術」を披露したら、会場中の観客の驚きの視線を集めるに違いない。なぜなら、狐族にそんなことができるとは誰も思っていないからだ。

だから、桂乃芬が仙舟の雑技界に現れた時、観客たちはたちまち沸き立ったのだ。

仙舟の外から来た一時滞在者があれほど多くの雑技の技を身につけただけでなく、長命種ですら習得が難しい技を数多く自分のものにしたのだ…時間を見つけて桂乃芬の公演を見に行くことをすすめる。この天才雑技芸人はさまざまな人の長所を吸収している。その本当の実力を自分の目で確かめてみるといいだろう。

何より重要なのは、短命種である桂乃芬が仙舟のどんよりとした伝統芸能の世界に新しい風をもたらしてくれたことだと思う。彼女は火吹き、剣呑み、碗のせ、傘こぎ、喉での槍の受け止め、胸元での岩割りといった伝統的雑技だけでなく、素手での銃弾つかみ、倒立での麺食い、歯磨きしながら口笛など、独自の絶技を考案したのだ。

私は半生を講談師として生きてきたが、私の話術をもってしても、彼女の才能の1万分の1も伝えきれない…あぁ、読者諸氏におかれては時間を見つけて自身の目で確かめに行ってもらいたい。