戦車のいろいろ/M4シャーマン ~バリエーションと派生型~2

Last-modified: 2022-05-20 (金) 21:12:28

M4A4(Sherman V)

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クライスラーA-57マルチバンクエンジンを搭載したM4。コンチネンタルR-975ラジアルエンジンが練習機増産により供給不足となり、M4以外にもM3中戦車などもR-975ラジアルエンジンを使用していたため、急性的なエンジン不足に陥った。クライスラーA-57マルチバンクエンジンはエンジン不足に陥ったM3中戦車のA4型「M3A4」に向けて生産されたもので、バス用に生産されていた直列6気筒ガソリンエンジン5基を扇形に束ねて連結した複列30気筒液冷ガソリンエンジンである。マルチバンクエンジンはエンジン不足に陥っていたM4にも供給され、これがM4A4になる(搭載にあたって少し車体が延長されている)。しかし、マルクバンクエンジンは整備性に問題がありアメリカ本国では訓練用にしか使用されず、訓練用以外のM4A4の多くは外国にレンドリースされた。イギリスでは、整備性に問題はあったものの、同時期のイギリス戦車と比べれば故障が少なく運用実績は良かったそうで、また、イギリス以外にも中国やフランスなどにレンドリースされた。主砲は75mm M3砲で、副武装に12.7mm機関銃(砲塔真上、装備しているものとしていないものがある)と、7.62mm機関銃2門(車体、砲塔同軸)が装備されている。また、M4A4は後期型や76mm砲搭載型などが存在せず、弾薬庫も乾式である。クライスラーで1942年7月から1943年11月までに7,499台が生産された。

出典・参考元・画像引用元
日本語版Wikipedia

バリエーション

アメリカ
M4E1

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M4A4にライトG200サイクロン空冷星型エンジンのディーゼルバージョンを搭載した実験車。元々ライトサイクロンはガソリンエンジンだったが、キャタピラー(会社)が改造し、ディーゼルや原油も使用できるようにした。改造されたエンジンはCaterpillar D200Aと呼ばれ、ディーゼルエンジンへの改造のみならず、ピストン、シリンダーヘッド、クランクケース、燃料噴射装置、潤滑油をキャタピラー製のものに換装、また、ドライブシャフトの回転速度を上げ下げするトランスファーケースも装備された。このD200Aエンジンは2000rpm(回転数)で450馬力を発揮できた。1942年、アメリカ陸軍兵器部は28基のD200Aエンジンの生産を認可、そのうち20基がM4に搭載されることになった。1942年11月、D200Aエンジンを搭載したM4は「M4E1」と命名された。M4E1はベースにマルチバンクエンジンを搭載するために車体が少し延長されたM4A4を使用していた。1台目のM4E1は1942年12月にキャタピラー社の持つ「Caterpillar Proving Grounds(キャタピラー試験場)」で試験が行われた。2台目は1943年1月にフォート・ノックスに行き、3台目はゼネラルモーターズ社の試験場へと送られ、4台目は1943年5月にフォート・ノックスへ送られた。試験ではクラッチの不調や、ピストンが運動中にシリンダーを傷つける、変速機の信頼性が低いなど様々な問題が露呈し、改善する必要性に迫られた。しかし、72及び80オクタン価燃料を使用したテストではこれらの燃料でもエンジンが問題なく稼働することもわかった。前述した問題点はあったものの、テストではD200Aエンジンが実用に耐えうるエンジンということがわかり、めでたくCatarpillar D200AエンジンはOrdnance Engine Model RD1820(Catarpillar)として制式化された。このエンジンはのちのM4A6に搭載された。M4E1は2台が更なる試験のためにフォート・ノックスに残り、一台がアバディーン試験場に残ったが残りの車両は廃棄され、残った車両ものちに廃棄処分となっている。

出典・参考元・画像引用元
・Wydawnictwo Militaria 308 M4 Sherman
Military History Encyclopedia on the Web

M4A4E1

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105mm榴弾砲搭載M4の第一次試作車。105mm榴弾砲搭載M4は機甲部隊の使用する機甲歩兵を援護する支援戦車として開発が開始された。105mm榴弾砲を搭載するため、砲架と防盾は新規設計のものが採用された。M4A4E1では「combination mount T70」と呼ばれる砲架が使用されており、防盾もT70に合うように制作されていた。この砲塔は1942年11月までに準備が整い、二台のM4A4に搭載された。M4A4E1のテストは1942年12月7日にアバディーン試験場で開始され、その後フォート・ノックスでも行われた。これらのテストは105mm榴弾砲の発砲機構、反動、砲塔バランスなどの問題点を浮き彫りにし、105mm榴弾砲の改善の必要性を訴えた。

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Military History Encyclopedia on the Web

M4E5

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本車はM4をベースとしているが、解説のしやすさや見やすさを優先し、M4A4の項に書く
105mm榴弾砲搭載M4の第二次試作車。以前のM4A4E1の問題点を改善した車両。M4A4E1で起こった問題は防盾にあると踏んだ装甲委員会は1943年2月にM4A4E1の防盾の再設計を命じた。これにより「Combination Mount M52」という新設計の防盾が開発され、3人の搭乗員用の砲塔バスケットも新設された。M4E5は1943年の前半に2台試作され、1943年8月にアバディーン試験場、その後フォート・ノックスに移された。M4E5に搭載された105mm T8砲はM4A4E1に搭載された105mm砲よりも軽量で、また新型防盾のおかげで仰角、俯角共に上昇した。75mm砲搭載M4にあるジャイロスタビライザーも105mm砲搭載M4には不要であると判断され使用されなかった。その後、装甲委員会はM4E5の正式化を承認、1944年2月から生産が開始されている。

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Military History Encyclopedia on the Web

M4E3

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Chrysler A-65 V-12エンジンを搭載したM4A4。搭載経緯などは不明であるが、M4A4に搭載されているA-57マルチバンクエンジンの出力強化などの目的があったと思われる。A-65 V-12エンジンはクライスラーが開発したV型12気筒水冷ガソリンエンジンで、総馬力650馬力、正味馬力575馬力が期待されていた。1943年1月にクライスラーはA-65 V-12エンジンをM4に搭載する許可を求め、3月にはテスト用にM4A4が送られた。また搭載に当たって車体は241mm程、下方に伸びるように延長された。A-65 V-12エンジンは搭載された当初は549馬力だったが後に圧縮比を上げる改造を受け580馬力にアップしている。M4E3は1943年5月末までにA-65 V-12エンジンの性能を見るため通常のM4A4との比較試験を受け、ここで良いパフォーマンスを見せた。また、陸軍が推奨するフォードエンジンを使用したM4A3とのドラッグレースでは勝利を勝ち取り、従来のエンジンよりも優れていることを証明した。これまでの試験含む400マイル(644km)の走行のあと、状態の確認を行うためにエンジンが取り外されたが、前述した距離を走行した後でもエンジンに異常はなく、良好な状態を保っていたという。しかし、アメリカ陸軍はそれ以上のエンジンの開発を進めず、この計画は1943年11月22日に中止になってしまった。はっきりとした理由は不明である。

出典・参考元・画像引用元
The Sherman Tank site

派生型

アメリカ
T53 GMC

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M4A4に90mm M1高射砲を搭載したもの。1942年の夏、M10に90mm砲を搭載する計画と並行して、M4に90mm砲を搭載するという提案が出された。対空も対戦車もできるというコンセプトで、基本的にはM4のレイアウトを維持しつつ、エンジンを後部に、操縦手を前部に、戦闘室を中央に配置するというものだった。1942年7月に兵器委員会によって承認され、正式に「90mm Gun Motor Carriage T53」と名付けられた。試作車両はクライスラーによって試作され、M4A4をベースとしていた。クライスラーの試作した車両はエンジンがM4、M4A1で使用されたコンチネンタルR-975に換装されており、またコンセプト通りでなく、エンジンを中央に、戦闘室を後部に配置していた。エンジンを中央に移したので、変速機、ファイナルドライブも少し上向きに傾け、辻褄を合わせた。搭載された90mm M1高射砲は未使用時には側面の起倒式の装甲板を起こし、部分的に戦闘室に装甲保護を加えた。T53は1942年8月にアバディーン試験場で試験を行った。しかし、結果は惨憺たるもので対空の面では90mm砲を最大仰角にすると砲が安定せず対空がままならないということや、主砲が重心と離れすぎていたために車体の安定性に悪影響を及ぼしたり、斜面にいる際は仰角を調整したり、主砲を旋回させることすら困難になった。2回目の試験では装甲の不足、車高の高さにより自車が発見されるリスクが高いこと、機動性の低さ、搭載可能弾薬数の少なさなどが露呈した。これらの欠陥にもかかわらず、T53の開発は継続された。のちの改良型は「90mm gun motor carriage T53E1」と名付けられた。

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Fandom
WT live

T53E1 GMC

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試作1両目
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試作2両目
T53の改良型。T53のレイアウトを一新し、元の構想通り、エンジンが後部に移り、操縦手は前部に、戦闘室は中央になった。試作1両目は砲の稼働範囲部が開いた箱型の戦闘室を採用しており、M4A4の中央部を大きくえぐり、そこに新設の戦闘室を設けている。また、戦闘室の左右の1/2インチ(1.27cm)厚の装甲板にはバールやシャベルが取り付けられていた。この装甲板はヒンジがつけられていて起倒式(試作1両目の画像2枚目参照)で、戦闘時に開くことができた。箱型戦闘室は0.5インチ(1.27cm)の装甲で構成されていてボルト留めであったが、このボルトが非常に外れやすくて軟弱であった。このボルトの軟弱さと言うのが指摘され、戦闘室を少しいじった試作2両目が制作されることになった。試作2両目は車体の構成は試作1両目と全く同じだったが、戦闘室が天板のない鋳造の1/4円型の装甲板二枚のみとなった。T53は対空も目的としていたことから、視界の改善も意図していたと思われる。T53E1はキャンプデイビス(Camp Davis)でのテストに向かったが、やはり装甲保護の不十分さ、搭載可能弾薬数の少なさ、車高の高さによる発見のリスクが問題となり、プロジェクトは1944年5月25日にキャンセルされた。

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WT live

Chrysler’s Improved Suspension M4A4

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機動性の改善を意図して計画された大直径式転輪を履いたM4A4。M4A4の生産元であるクライスラーはマルチバンクエンジンを搭載するにあたり、車体を延長する必要があった際についでならもっと性能を良くしようと考え、大直径転輪を装備することを思いついた。ちなみに、このM4A4は大直径転輪であるがためか、クリスティー式サスペンションを搭載しているとも言われているが実際にはクリスティーサスペンションはスプリング(いわゆるサスペンションのばね)を車体内部に、本車は外部に装備しているため別物である。また、クリスティーとアメリカ陸軍との関わりは公式には1939年3月の兵器部との会談で、それ以後アメリカ陸軍の戦車などに関わることはなかったため、これがクリスティー式サスペンションであるとは考えにくく、そもそも1942年2月に兵器局によって製作されたこのM4の図面はクリスティー式サスペンションの配置とは逸脱していた。大直径転輪はT4中戦車で使用されたものの改良版で、T4中戦車では4つだった転輪もM4A4では片側5つに増加している。履帯は470mm幅(VVSSサスペンションのM4A4は421mm幅)のものになり、転輪はそれぞれ個別のアームに取り付けられ、対応するスプリングシリンダーは傾斜していた。しかし、計画が進む中でどうもスプリングシリンダーがM4A4の重量に耐えられないのではないか、と言う話が上がり、解決策としてより重いコイルスプリングを採用し、これらを車体下部の側面外部に沿って垂直に装着するという改良方法が採られた。
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1942年2月当初の図面。シリンダーが前方に傾斜して配置されている。外側に配置するということは転輪なども外側に押し出されるということで、おそらく輸送時には何かしら問題があったのではと考えられる。

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参考元より、VVSSサスペンションを備えたM4A4と改良後の大直径転輪を備えたM4A4との比較(縮尺通りではない)。コイルスプリングが垂直に配置されているのがわかる。

重量の問題は一応ではあるが解決し、この大直径転輪を備えたM4A4はある程度実用性がありそうなのがクライスラーによって証明されたにもかかわらず、計画は図面から進むことはなかった。理由の一つとしてVVSSサスペンションは大直径転輪よりシンプルで信頼性が高く、アメリカ陸軍は大直径転輪への置き換えのメリットをおそらく見出せていなかったことが考えられる。また、上で挙げたように輸送時にも足回りの幅のせいで障害があると思われ、それもこの大直径転輪を装備したM4A4が紙面から抜け出せなかった原因と考えられる。

出典・参考元・画像引用元
Tank Encyclopedia

M4A4 with T22 Tractor suspension

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M4A4 USA3031035号車にT22トラクター(M6トラクターの試作名称)のサスペンションを履かせたもの。1943年ごろは、M4の機動性や走破性を上げるための改造が頻繁に行われている時期であった。そんな中、1943年の春にアリス・チャルマーズ(Allis-Chalmers)社は自社で開発中のT22のサスペンションをM4A4に試験的に履かせることを決定した。T22の走行装置は22インチ(559mm)幅の履帯と水平スパイラルスプリング(渦巻きばね)を備えたサスペンションで、M4A4に装備されて1944年前半にアバディーン試験場で試験が行われたが、T22のサスペンションは戦車に使用するのには不適切とされ、不採用となった。

出典・参考元・画像引用元
SHERMAN MINUTIA WEBSITE
WARSPOT

M4A4 CDL(Canal Defense Light)

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M4A4をベースとしたCDL(Canal Defense Light)。詳細はM4A1の項の「M4A1 CDL」を参照されたし。

M4A4 Sherman crocodile

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M4A4に火炎放射器を搭載したもの。詳細はM4A2の項の「M4A2 Sherman crocodile」を参照されたし。

M32B4 TRV(Tank Recovery Vehicle)

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M4A4をベースにしたTRV。他のシャーマンベースのTRVと違い、円形の砲塔を装備せず、一つの大きなクレーンのみを装備している。M4A4はアメリカでは訓練用にしか使用されず、イギリスなどでもすでに別途で戦車回収車があったため(Sherman ARV)、M32B4は試作車であるT5E4が1両制作されたにとどまった。

出典・参考元・画像引用元
SHERMAN MINUTIA WEBSITE

イギリス
ShermanV Horstman suspension

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ホルストマン式サスペンションを履いたM4A4。機動力の向上を目的とし、1943年に英国で試作車が完成、試験では優れた安定性と機動性を持っていることが証明されたが、同時期に出現したHVSSサスペンションに堅牢性で劣るとされ、不採用になった。

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Horstman Group

Sherman VC firefly

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M4A4に17ポンド砲を搭載した型。17ポンド砲は1943年2月に登場して以来、ティーガーやパンター相手にその強力さを見せつけた。この17ポンド砲はティーガーやパンターに対抗できる唯一の砲としてノルマンディー上陸作戦での使用も考えられていた。しかし、上陸に対戦車砲を使用するのは不都合なため、車載化が必要であった。そんな中、1943年6月にシャーマンに17ポンド砲を搭載するという案が北アフリカ戦線で経験を積んできたウィザリッチ少佐(ウィザーリッジ、ウィスリッチとも)によって提出された。しかし、これはチャレンジャー巡航戦車(当時開発されていたクロムウェルをベースとした17ポンド砲搭載の巡航戦車)を支持していたイギリス軍需省(供給省)によって拒否されてしまった。それでもウィザリッチ少佐はめげず、王立機甲軍総監レイモンド・ブリッジス将軍にこの案を直訴、その後様々なテストを行なってこの案が有用であるとの結論を出すに至った。反面、イギリス軍需省の支持していたチャレンジャーは開発が遅れ、使用予定ノルマンディー上陸作戦には間に合わなさそうなことがわかった。17ポンド砲を搭載するにあたり行われた改造は、シャーマンに対しては砲塔後部のバッスルを切り抜き、奥行きを持たせた上で当時のイギリス軍標準無線機であったNo.19無線機を搭載させ、17ポンド砲の長い砲尾を収めたり、装填手のハッチが新設されたことで、17ポンド砲に対しては車載時に駐退機砲身を中心として右上と左下という斜め対称の位置に変更したり、砲身を20cmほど延長させたり、水平鎖栓としたことである。また、大きな17ポンド砲砲弾を搭載するために、車体の機関銃手席を潰して、そこに砲弾ラックを新設した。車体、バスケット下にも砲弾が搭載できるようになっている。翌年1月6日には17ポンド砲搭載M4の試作車が完成、そこから一週間の間にさらに5台の試作車が完成した。ファイアフライは生産というよりは既存のM4からの改造で制作しており、ウーリッジ工場で一生懸命に改修作業が始まった。ファイアフライは1945年5月末までに2,139両が完成し、イギリス、カナダ、ポーランドの各機甲部隊やヨーロッパ戦域に展開している第21軍集団全体、イタリア戦線などで使用された。

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日本語版Wikipedia
Tank Encyclopedia

Sherman tulip

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イギリス軍がアメリカから供与されたM4A4の砲塔左右にRP-3 60ポンドロケットを搭載したもの。発案はコールドストリームズガーズの第一大隊所属の少尉であったロバート・ボスコーエン(Robert "Bob" Thomas Boscawen 1923年3月17日- 2013年12月28日)と、彼の友人であるダーモット・マスカー大尉(Dermot Musker 生年月日、詳細ともに不明)で、おそらくカナダ軍がスタッグハウンド装甲車の砲塔左右にRP-3ロケットを搭載したことに影響を受けたと思われる。RP-3ロケットはオランダはネイメーヘン近郊のイギリス空軍基地にあるタイフーン戦闘爆撃機からかっさらい、1945年3月16日にM4A4の砲塔左右に取り付けられた。RP-3ロケットの発射器はタイフーンのものをそのまま持ってきており砲塔天板に溶接されている。翌日にはテスト発射が行われた。結果は不明であるが、その後、コールドストリームズガーズの第1大隊を構成する第2戦隊全体から第1大隊全体のシャーマン戦車にこのRP-3ロケットが装備されることが決定されているため、おそらく実用に耐えるものだったのであろう。シャーマンチューリップは飽和攻撃などでの使用を意図されており、1945年3月23日までには第2戦隊の全シャーマン戦車の砲塔両側面にRP-3ロケットの搭載が行われた。シャーマン・チューリップは600ヤード(約548m)離れたところから特殊部隊「ブランデンブルク」が潜む森に向かって2つのロケットを発射、「ブランデンブルク」を含む30~40人が諦め、出てきたところを捕虜にすることに成功するなど戦果を残した。RP-3 ロケットは建物などにも有効で、また、敵への威圧にも非常に効果的であった。その後のRP-3 ロケットを搭載したシャーマン・チューリップの行方は不明であるが、おそらく、そのまま終戦を迎え、破棄されたと思われる。
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ファイアフライをベースとしたシャーマン・チューリップも存在している

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Tank Encyclopedia

Sherman Observation Post

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イギリス陸軍王立砲兵隊の制作したM4ベースの司令塔戦車。内部スペースを確保するために75mm M3戦車砲を取り外し(代わりに木製の偽の砲身が取り付けられている)、内部に既存の無線機とは別にイギリスのNo.18無線機とNo.19無線機を増設し、合計3つの無線機を搭載している。他に、外部にもNo.38無線機2つを搭載している。

出典・参考元・画像引用元
Wikipedia
The Miniatures page

Sherman Twaby ARK(Armoured Ramp Carrier)

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M4A4(Sherman V)をベースとし、イギリスが製作した架橋戦車。M4A4(Sherman V)の砲塔を撤去し、そこに折りたたみ式の橋梁を搭載したのは見た目から分かるがそれ以外の詳細が不明。1944年4月4日に撮影されたとされる正面、側面、後面からの写真がある為、1944年前半頃に試作されたのは推測できるが実戦での使用時と思われる写真がない為試作のみで終わったと思われる。

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ThinkDefence

Sherman Plymouth

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ベイリー橋(第二次世界大戦中にイギリスによって開発されたあらかじめ組み立てられたトラス橋)を運搬するために開発?使用?されたM4A4。こちらもSherman Octopusと同様資料が少ないが、おそらくM4A4をベースとし、砲塔を撤去、そこにベイリー橋を固定するためのローラーロッキング機構などを備えていた。写真は1944年にポーランド第2軍団によってイタリアのアペニン山脈で使用されるSherman Plymouth。Octopusと違い、少数が実戦運用されていたのは間違いないようだ。

出典・参考元・画像引用元
Wikipedia
Reddit

Sherman ARV Mk.I(Armoured Recovery Vehicle)

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REME(王立電気機械工兵)がM4A4の砲塔を撤去しARV(装甲回収車)とした型。元々砲塔があった部分にはキューポラが増設され、Aフレーム型ブーム(クレーン)を装備している。このAフレーム型ブームは通常時は側面にストラップで固定されており、必要になったら車体前面の変速機部に取り付ける。その他、様々な回収機器が搭載されていたと推測できるが、主に何が搭載されていたかなどは不明である。車体の7.62mm機関銃は撤去されているが、代わりに車体上部にブレン軽機関銃を二連装にして装備した型もある。Sherman ARV Mk.Iは1945年半ばまでに221台が生産され、そのうち188台がM4A4ベース、32台がM4A2ベースだった。ARV Mk.Iはノルマンディー上陸作戦からVEデーまで使用され、1st Lothians and Border Yeomanryの中の戦隊ごとに20台のARVが配備されていた。
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Aフレーム型を展開した状態のSherman ARV Mk.I。上部のブレン軽機関銃も見える。

出典・参考元・画像引用元
SHERMAN MINUTIA WEBSITE

Sherman ARV Mk.II(Armoured Recovery Vehicle)

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Sherman ARV Mk.Iの車体上部に固定の戦闘室を設置した型。装備されている砲身はダミーである。この箱型戦闘室には二つの特徴的な形をしたキューポラが追加され、その前にはクレーン用のリールが見える。Sherman Mk.Iでは前部に一つしか装備できなかったクレーンもMk.IIでは3つ装備できるようになっていて、一つは車体前部に設置できる3.5tウィンチ、戦闘室に設置できる60tウィンチ、後部に設置できる9.5tウィンチである。これもおそらくREME(王立電気機械工兵)によって改造されたと思われるが、量産までは行かずに終戦を迎えている。

出典・参考元・画像引用元
ARMED CONFLICTS.COM

インド
M4A4 with D-56T 76.2mm gun

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インドがソ連から輸入したPT-76のD-56T 76.2mm戦車砲をM4A4に搭載したもの。だが、製作年などが不明なため、展示の際無理やり搭載して、格好を整えた可能性も考えられる。

出典・参考元・画像引用元
For the Record
War Thunder Forum

M4A5(ラム巡航戦車)

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M3中戦車をベースにしたカナダ産の巡航戦車。当時カナダはイギリス連邦軍の一員として軍備の増強を迫られていた。しかし、イギリスはカナダに回せるほどの戦車がなく、アメリカも同じような状況で、カナダは自国で戦車を調達する必要があった。そのため、カナダはケベック州のMLW社を通じて親会社のアメリカ・ニューヨーク州スケネクタディのALCO社に支援を要請した。当時ALCO社はM3中戦車を生産していたので、ライセンス生産が真っ先に考えられたが運用などに問題があるため、M3中戦車をベースとして新たな戦車を開発することとなった。それが、「M4A5(ラム巡航戦車)」である。エンジンや駆動系はM3中戦車のものを使用、主砲は当初6ポンド砲を予定していたがイギリス側が渋ったため、Ram Mk.Iは2ポンド砲を搭載している。他に、7.62mm機関銃も搭載している。1941年6月にはラム巡航戦車の走行試験車が完成し、アバディーン試験場で試験を行っている。製作自体はカナダで行っていたものの、上部車体と砲塔の生産はアメリカ・ペンシルヴェニア州エディストーンのGSC社(General Steel Castings:総合鋼鋳物製作所)で行われ、カナダに送られていた。これは、この大きさの砲塔や車体を鋳造で製作するのはカナダ国内のメーカーでは不可能であったからである。2ポンド砲を搭載したM4A5(ラム巡航戦車)は「Ram Mk.I」と命名され、1941年11月から1942年2月までに50両が生産された。M4A5(ラム巡航戦車)はMk.II型(6ポンド砲を搭載したRam)と合わせて1949両が生産されたが、M4シャーマンと比べ装甲や武装が劣っていたためにその必要性は薄れ、大半がイギリスに送られて訓練に使用された。画像は2ポンド砲搭載の前期型。

出典・参考元・画像引用元
日本語版WIkipedia
WIkipedia
戦車研究室

バリエーション

Ram Mk.II

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前期型
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後期型
ジャイロスタビライザーを搭載した6ポンド砲を搭載したラム巡航戦車。カナダとしてはこれが完成形であった。Ram Mk.IIは前期型と後期型があり、前期型はRam Mk.Iと同じように機銃塔、車体側面にドアがあったが、後期型では、機銃塔を廃止しボールタレットに置換した他、車体側面のドアも生産工程を複雑にする上に弱点となるという理由で廃止された。1942年2月から1943年7月までに1899両が生産された。

出典・参考元・画像引用元
戦車研究室
日本語版WIkipedia

派生型

Ram OP/Command

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Ram Mk.IIをベースとして制作された弾着観測/指揮戦車。砲塔の旋回範囲が左右45°になった他、動力やバスケットを撤去、また主砲もダミーに置き換えられた。観測装置に加え、車体と砲塔にNo.19無線機を一つづつ搭載し、また、Wireless Set No. 58(カナダがライセンス生産したNo.18無線機)も一つ搭載し、乗員も6名に増えた。1943年に84両が生産?改造?された。

出典・参考元・画像引用元
日本語版WIkipedia
WIkipedia

25pdr SP SextonI

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イギリス軍向けにカナダが製造した自走砲。歴史についてはM4A1の項の「25pdr SP SextonII」を参照のこと。セクストン自走砲はほとんどがグリズリー巡行戦車の車体を用いて生産されたが、初期生産車の125両だけはラム巡航戦車の車体を用いて生産されていた。

出典・参考元・画像引用元
日本語版Wikipedia

Ram Ammunition Carrier(Wallaby)

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Ram Kangaroo(下の共通の改造を参照されたし)をベースとした弾薬運搬車。砲塔を撤去し、そこにハッチ付きのプレートを搭載した。セクストン自走砲用の25ポンド砲弾の運搬を主目的とし、セクストン自走砲を装備する部隊に配備された。

出典・参考元・画像引用元
日本語版Wikipedia
WIkipedia

Ram Kangaroo 40-inch searchlight

写真はないが、1944年に40インチのサーチライトがいくつかのRam Kangarooに搭載されたようだ。これらは主に夜間に使用されている飛行場に照明を提供したという。

出典・参考元・画像引用元
FRAMES OF WAR

Ram Badger

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Ram Mk.IIをベースとした火炎放射戦車。カナダが制作したWasp IIC火炎放射器を搭載したユニバーサル・キャリアは歩兵の援護という役目に対して大成功を収めたが、対戦車火器や、小銃に対しても装甲の保護が足りず、その結果1945年に第5カナダ機甲旅団によってRam Kangarooをベースとした火炎放射戦車が制作された。火炎放射器はWasp IICを使用し、車体前部のボールタレットに変わって装備することになった。この際、砲塔は撤去され、火炎放射器用の燃料タンクに置き換えられた。砲塔のあった場所には装甲板がはられ、後に車長用の対歩兵用7.62mm機関銃を搭載したハッチも装備された。これが実戦で使用されたかどうかは不明である。

出典・参考元・画像引用元
FRAMES OF WAR

Ram gun tower

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17ポンド砲牽引用に改造されたRam Mk.II。17ポンド砲の弾薬と17ポンド砲の操作員の運搬も同時に行っており、弾薬を搭載するスペースを確保するために砲塔は撤去されている。また、後部に牽引用フック、前部にピントル・フックも増設されている。実際に使用されたかは不明である。

出典・参考元・画像引用元
日本語版WIkipedia
FRAMES OF WAR

Ram QF 3.7inch Self-propelled Gun

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QF 3.7inch高射砲を搭載したRam Mk.II。QF3.7inch高射砲をラム巡航戦車に搭載して自走高射砲とし、必要であれば対戦車戦闘も可能にすると言うコンセプトで開発され、1943年に試作車が完成した。試作車は、上部が大きく開いたオープントップで、防盾は正面のみに取り付けられている。砲は正面と上方のみ向けられたが車体側面の装甲板を倒すことにより主砲を側面に向けさせることも可能だった。1943年5月に試験が行われたが、重心が高く発砲時に非常に不安定になるほか、反動が強く、発砲の際に砲架にひび割れの兆候が出たため試験は中止、量産もされずに終わった。

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FRAMES OF WAR

Ram BARV(Beach Armoured Recovery Vehicle)

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Ram Mk.IIをベースとしたBARV(ビーチ装甲回収車)。試作までされたが、Ramの左右非対称の車体を防水することは困難で、またBARVはシャーマンベースのもので事足りるとして量産はされなかった。

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FRAMES OF WAR

Ram ARV(Armoured Recovery Vehicle)

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Ram ARV Mk.I
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Ram ARV Mk.II
Ram Mk.IIをベースとしたARV(装甲回収車)。Mk.IとMk.IIの2両が試作された。各種装備品はSherman ARV Mk.I、IIと同様である。配備された部隊では好評であったと言う。

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WIkipedia
FRAMES OF WAR

M4A6

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RD-1820星形空冷9気筒ディーゼルエンジンを搭載したシャーマン。1943年後半に兵器委員会はRD-1820エンジンの1000基の増産を命令し、この内775基がM4A6に搭載される計画だった。このエンジンはM4A6に搭載される前にM4E1という実験車に搭載されており、M4A6はこのエンジンを搭載した完成系であった。車体はコンポジットシャーマンのように前部が鋳造、中部から後部にかけて溶接で、またRD-1820エンジンを搭載するためにエンジンデッキに細部の改良が加えられた。生産会社はクライスラーで、デトロイト戦車工廠から1943年10月28日に最初のM4A6が出荷された。M4A6は従来のシャーマンシリーズと比べて高レベルな性能と燃費を実現することができたが、1944年2月、急遽M4A6は「限定標準(アメリカ陸軍内で用いられる用語で、特定の要求は満たしているものの、全体で見た時に不備が見られるもの)」とされ、生産は75台目のところで中止された。これは、アメリカ陸軍の使用エンジンがガソリンエンジンに転換されたことに起因している。生産された75台のM4A6は第777戦車大隊に配備され、訓練車両として使用された。

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Tank Encyclopedia

シャーマンに共通する改造

shreman DD

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DDは第二次世界大戦中に開発された浮航装置。DDとは「Duplex Drive(複合駆動)」の略。戦車用の水陸両用装置は元々はイギリス軍が考案したのが始まりで、DD自体はハンガリー出身のニコラス・ストラウスラーが考案した。DDは、防水生地を用いた折りたたみ式のスクリーン型の防水装置で、シャーマン用のものはそれに加えて車体下部の隙間を埋め、プロペラ駆動装置、車体を一周するストラウスラー式防水スクリーンとそれの膨張装置を追加した。また、シャーマンはバレンタイン DDなどと違い砲塔を前に向けたまま防水スクリーンを装着することが可能で、これにより防水スクリーンを下げてから瞬時に発砲が可能だった。推進力は後部に装着された1対のプロペラで、このプロペラの動力はスプロケット(軸の回転をローラーチェーンに伝達したり、ローラーチェーンの回転を軸に伝達するための歯車のこと)を介して履帯から伝えられた。航行速度は7kmで、プロペラの操縦を担当するのは操縦士と車長である。スクリーンは15分で膨張でき、海岸に到着後15分でシボませることができた。また、シボませた浮航装置は戦闘中は消耗品とみなされ、破棄することが想定された。シャーマン DDはM4、M4A1、M4A3、M4A4などで使用され、主にノルマンディー上陸作戦やユタ・ビーチ、ジュノー・ビーチなどで使用された。

出典・参考元・画像引用元
日本語版Wikiepedia

機動性などの向上を目的とした改造
E9キット
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M4の車体とサスペンションの間に4 1/2 inches(11.43cm)間隔を開け、拡張エンドコネクターを履帯の両端に装備したもの。M4の機動性や走破性の改善を意図して制作された。エンドコネクターの生産は1944年の夏に開始され、630台用の10万個のコネクターが10月初旬までに生産された。更に翌年45年4月までには130万のコネクターが生産され、アメリカ陸軍に渡されたほか、その内60万個のエンドコネクターはイギリス軍にレンドリースされた。生産されたE9は「E9改造キット」として前線に送られた。E9が装備されたM4は16 9/16インチ(約42cm)まで履帯幅が増加した。M4以外にも、M36、M36B2、M32B1 TRV、M7B1などに装着されている。しかし、1944年8月にはVVSSサスペンションの機動性や走破性の向上を目的としたHVSSサスペンション装備車が増えつつあったため、HVSSサスペンションと互換性がないE9キットは徐々に需要が減少し、またE9キットはM4に装着するのに非常に手間が入り時間もかかるため、1945年5月には生産が終了した。また、すでにE9に改造済みのM4A1(M4A1E9)を生産し配備する予定でもあったが、終戦を迎えてしまったため、すでに生産済みだったM4A1E9はMDAPにより諸外国に輸出された。オランダに渡った50両のM4A1E9の内、1両がオランダ国立軍事博物館に展示されている。

    出典・参考元・画像引用元
    ・SHERMAN MINUTIA WEBSITE
    ・Surviving Allied WW2 Tanks

M4 Composite 37inch Track
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M4 Compositeに37inch(約93.98cm)幅の履帯を履かせた型。車体とサスペンションの間に間隔を置き、履帯に拡張エンドコネクターを装備した。1944年後半にデトロイト戦車工廠の試験場とアバディーン性能試験場の両方の泥濘地のコースで走行試験が行われた。結果は良好で、 HVSSサスペンションに装備されているHVSS T80履帯より接地圧も下がっていた。1945年2月に1000キットの生産が認可されたが、この履帯を履いてるM4シリーズの写真がほとんど無いため、戦争の終わりが近づいてきたのでこの1000キットの生産は削減か終了、中止された可能性が高いと思われる。
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また、37inch以外に32.5インチ(82.55cm)幅の履帯を備えたM4A3もあることがわかっている。こちらも試験のみで終わった可能性が高い。

    出典・参考元・画像引用元
    ・SHERMAN MINUTIA WEBSITE

Platypus Grousers
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直訳で「カモノハシグラウザー」。グラウザーとは雪上や土上を走行する際に、接地圧などを下げより走行しやすくするためのもの。このプラティパスグラウザーはどちらかといえば牽引力の向上を目的として開発された。プラティパスは牽引力の向上だけでなく不整地や泥濘地での走破性も改善してくれたが、反面市街地や道路など整備が行き届いている場所では邪魔で、重量も嵩み、また障害物にぶつかるとすぐ壊れてしまった。プラティパスグラウザーは耐用年数を約400マイル(約644km)と指定され、少数が配備、M4に装着され運用された。
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    出典・参考元・画像引用元
    ・WARSPOT

Suggested Design to Increase Floatation
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終戦直前の1945年1月11日に提出されたシャーマンの接地圧を極限まで下げるための案。これはシャーマンの既存の履帯及び転輪の隣にもう一つ履帯と転輪を装備するという策であった。結局これはシャーマンではなくT95駆逐戦車にて実現されることとなる。

    出典・参考元・画像引用元
    ・SHERMAN MINUTIA WEBSITE

ドーザー

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ドーザーブレードを戦車に装着するという試みは1940年から41年にかけて北アフリカのイギリス陸軍によって行われた。ドーザーブレードは戦車の進路上にある障害物や地雷を排除するのに有効とされ、実際活躍していた。アメリカ軍はそれに影響され、ドーザーブレードをアメリカ軍にも用いようと考えた。ブレードの製作は技術者委員会機械設備部門を監督したカールF.エクルンド少佐と、エンジニアのウィリアム・J・マーウィが行った。彼らは、キャタピラー・トラクター・カンパニーと、ドーザーブレードの生産会社であるレトゥーノー社とラ・プランテ・チョート・カンパニーの合計3社と協力し、さまざまなブレードを戦車に取り付ける実験を行った。これらのデータから戦車に装備でき地雷除去に最適なブレードの開発を行なった。エクルンドはこれらの作業を自主制作という形で、米国には費用などを求めず作成することを各社に求めた。彼らは様々なバリエーションを制作し、戦車に搭載しての実験を繰り返した。1943年6月、フロリダはフォートピアスのビーチ障害物コースでドーザーの実験を行い、レトゥーノー社の開発したドーザーと、ラ・プランテ・チョート・カンパニーの開発したドーザーが実験に成功した。その後、両方のドーザーがアメリカ陸軍によって承認され、M4シャーマン用に正式に「ブルドーザー、戦車取り付け用M4A1、M4A2、M4A3戦車」として購入された。レトゥーノー社のドーザーはケーブルで操作でき、ラ・プランテ・チョート・カンパニーのドーザーは油圧によって操作された。これらブルドーザーの大量生産が始まったのは1943年12月で、イタリアの部隊に最初に配備された。これらドーザーはVVSSサスペンション用のM1ドーザーと、HVSSサスペンション用のM1A1ドーザーが製作され、M1A1ドーザーはM1と比べて14インチ(36cm)幅が広くなっていた。

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M1ドーザー
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M1A1ドーザー

その後ドーザーはイタリアで初めて使用され、その効果を発揮した。そのため、ノルマンディー上陸作戦からVEデーまでの間、ヨーロッパ戦域(ETO)での需要が急激に上がり、アイゼンハワー将軍もこれらドーざーなどの供給を増やすことに個人的関心を示した。が、現場での供給に生産は追いつかなかった。ノルマンディー上陸作戦の場合、1944年5月9日より前に合計393基のドーザーが米軍用に、さらに100基がイギリス軍用に、24基がフランス軍用に要求された。しかし、実際にアメリカ軍が受け取ったのは1944年4月に24基、5月に81基で、予定より大幅に少なかった。しかしそれでも、ドーザーは重要視され、ビーチの障害物を除去し、車両がビーチから移動するのに不可欠であった。

出典・参考元・画像引用元
PANZERSERRA BUNKER

M4に装備された対地雷処理ローラー・対地雷処理用器具・対地雷処置
アメリカ

T1E1
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M32戦車回収車用に製作された対地雷処理ローラー。それぞれ直径1mの6枚のディスクを備えた3つのローラーが車体の変速機部に固定されて置かれ、それらはワイヤーで支えられていた。T1E1を搭載した場合のM32戦車回収車の最高速度は16km/hにまで低下した。また、地雷を除去する際の速度は5km/hであった。T1E1はガーウッド・インダストリーズ社によって75基が生産され、1944年4月から6月にかけて50基がヨーロッパ戦線に送られたが、実戦での使用にはあまり適しておらず、その後全てが前線から引き上げられた。

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Strijdbewijs

T1E2
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T1E2はT1E1の改良型で、T1E1では3つであったローラーが2つに減少した。その代わりディスクの直径が1.8mに拡大し、重量を680kg以内に抑えるためにそれぞれに穴が開けられていており、枚数も7枚に増えた。少数が生産された。

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Strijdbewijs

T1E3
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T1E3はT1E2の改良型で、それぞれ直径244cmの10枚のディスクを備えた対地雷処理ローラーである。ディスクは一枚当たり2.086tの重量を超えないように穴が開けられ、5枚づつにまとめられて2つ配置され、両方が独立して動けるようになっていた。どうも本車はローラーを自由可動式とするのではなく起動輪から動力を得ているらしく、ローラーチェーンが巻かれている。また、このT1E3を装備したシャーマンには後部にプレートが装備されているが、これはT1E3のディスクが重量過大の為、泥濘地などでハマってしまった際に押して助けてもらえるようにする為である。1944年3月から12月にかけて200基のT1E3が製造され、5月に2基がイタリアに、2基がイギリス将校の見学のためイギリスに送られた。また27基のT1E3が7月中旬に第一軍に配備され、7月29日にはフランスのレセ近郊に2基のT1E3が配備された。他にもフランスのメッスとナンシーの間に配備され、しばらくの間使用された。

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Strijdbewijs

T1E4
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クライスラーによって1944年に開発された直径1.2mのディスクを16枚横並びに配置した対地雷処理ローラー。ローラーが戦車の全面を覆うように配置されている。鋸歯状のディスクであるが、この写真では全てが鋸歯状であるものの、中には6枚のみだったり8枚のみだったりさまざまなバージョンがあるようだ。
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6枚バージョン
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8枚バージョン
T1E3よりさまざまな面で優れていたが、終戦により少数の生産にとどまった。

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Strijdbewijs

T1E5
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T1E3の後継として開発されたディスクが5枚づつ2つにわけられて配置された対地雷処理ローラー。全てのディスクが地面へのグリップを高めるために鋸歯状になっていた。直径はT1E3に比べて小さくなっている。試作のみ。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs

T1E6
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T1E3のディスクを鋸歯状にしたもの。それ以外に変更はない。試作のみ。

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Strijdbewijs

T3
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画像ではチェーンが巻かれていないが、実戦では巻いて使用する。
T3はイギリスのクラブ(後述)に影響を受け、アメリカによって開発されたM4用の地雷処理用ローター。ローターは車体右側に新設されたエンジンで駆動し、M4A4を使用してアメリカで試験が行われた。試験の後プレスド・スチール・カー車によって41基が生産され、そのうちの30基がM4に装備され1943年5月に北アフリカに送られたが爆発の衝撃に弱く、地雷の爆発の衝撃で故障してしまうことがしばしばあった。その後すぐにT3は前線から戻された。

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Strijdbewijs

T3E1
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画像ではチェーンが巻かれていないが、実戦では巻いて使用する。
T3E1はT3の改良型で、右側にあった専用エンジンを取っ払い、M4に装備されている独自のエンジンを使用してローターを駆動させた。これにより重量もT3より減少し、2540kgとなった。またローターの回転数もT3では75rpmであったが、T3E1では178rpmと上昇した。しかし、ローター機器やローターを駆動させた際の砂塵や埃によって乗組員の視界が奪われるため、T3E1は試作のみに終わった。

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Strijdbewijs

T3E2
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側面に専用のエンジンを配置し、ドラム状のスチール製穴あき大直径ローターに置き換えたもの。第二次世界大戦終戦により試作のみに終わった。

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Strijdbewijs

T5・T5E1・T5E2・T5E3
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画像はT5E2
地雷除去用ブレード。ブレードはV字型で、それを使い地雷を道端に追いやり、道路の舗装を行う。またブレードは除去した地雷がブレードを乗り越えて戦車の走行経路に落ちないようにするために丈夫に湾曲したエッジがあった。その後に幾らかの改良が行われたT5E1と同コンセプトで開発された別のモデルであるT6を合体させT5E2が完成し、その後に僅かな調整が行われて量産型のT5E3が完成した。LaPlant-Choate社によって1945年3月から5月にかけて100基のT5E3が生産され、太平洋戦線にそのうちの一部が輸出された。

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Strijdbewijs

T8
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地雷処理用ハンマー。シャーマンの起動輪が動くたびにハンマーが地面に打ち付けられ、地中に埋まっている地雷を爆破させて除去するというものである。M4A4に装備されて試験が行われたが、爆発の衝撃に弱いこと、悪路や荒れた場所での使用に問題があることがわかった。試験中にハンマーが故障したため、前述の理由も加えて不採用となった。

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Strijdbewijs

T8E1
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A.R. Williams中佐によって考案された地雷処理器具。シャーマンの起動輪を動力として、動くごとに前部に装着された3本のシリンダーから発射体が射出される。しかし、このT8E1も爆破の衝撃に弱いことが指摘され、不採用となった。

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Strijdbewijs

T9
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平坦な地面での使用を意図した対地雷処理用ローラー。2.5cmの釘で覆われたローラーが変速機部からのびたブームと接続されている。また、ブームは長さの調節が可能であった。しかし、ローラー自体の重量がかなり重いために操縦が困難であり、不採用に終わった。

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Strijdbewijs

T9E1
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T9はT9E1の改良型。ローラーの壁を薄くするなどの改良を加え、重量を削減させた。また、ブームは236インチ(5.9m)~314インチ(7.9m)の長さに調整が可能であった。しかし、T9E1も操縦性が劣悪であったために、それ以上の開発は中止された。

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Strijdbewijs

T10
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M4A2に装備された対地雷処理用ローラー。M4A2に装着されていたVVSSサスペンションを撤去し、車体側面の張り出しの前部を削ってスペースを作り、そこに96インチ(約2m)の車輪を装備した。後部も車体下部を少し削り、スペースを作って72インチ(約1.8m)の車輪を装着した。また、車体下部には地雷の爆発に耐えるため、25mmの装甲がプラスされた。地上高は55インチ(約1.3m)で、車体幅は153インチ、(約3.5m)だった。元々、小型エンジンを前輪に組み込むコンセプトであったが(M4A2のGM 6046エンジンなしでも動けるようにするため)試作車でそれが行われたかどうかは不明である。T10はフィッシャーボディによって製作され、1944年6月にアバディーン性能試験場で試験が行われた。不整地で3km、整地では10kmの速度が出ることなどがわかったが、大重量が災いし、T10は採用には至らなかった。

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Strijdbewijs

T11
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M4A4に地雷除去用に装備されたスピゴット(前装式)迫撃砲。地雷が埋まっているとされるポイントに迫撃砲を発射し、その衝撃や爆風で地雷を爆破させようと考えた。他に障害物に対しての使用も考えられていたようだ。1943年4月にクライスラーによって改造され、昇降可能なスピゴット迫撃砲が前面装甲部に全部で6門が装備された(5門は正面へ向けられており、一門は空を見ている)。防水装置が施されているのも見える。試験の結果などは不明であるが、おそらく不採用であったのだろう。ちなみにこのT11、現存しており、戦後すぐはアバディーン試験場にあったが、その後海兵空地任務局に移管され、その後バージニア州クワンティコに移された後にパットン戦車博物館に移され、最終的にフォートべニング駐屯地に置かれている。
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1983年夏・クワンティコ
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2009年2月・パットン戦車博物館?

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Strijdbewijs

T12
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スピゴット迫撃砲で地雷を除去するのはいいが、6門では流石に不十分と考えたアメリカ陸軍。そのため、M4 Compositeをベースに変速機部に5門のスピゴット迫撃砲と、砲塔を撤去しそこに1.5ポンドの弾頭を備えたヘッジホッグ対潜迫撃砲おそらく24門を装備した。しかし、試験結果は芳しくなく、そのまま不採用となった。

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Strijdbewijs

T15
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シャーマン用に開発された対地雷用履帯。鋼鉄製で通常のものより頑丈なものになった。これを地雷原に押し込み、地雷を起動させて爆発させる仕組みだった。また、爆発に耐えられるよう車体底板の装甲を増し、また、履帯とサスペンションにもカバーが取り付けられた。転輪の上には転輪の爆発の衝撃を吸収するためにゴムでできた緩衝装置が取り付けられていた。試作車はM4 Compositeをベースとしてクライスラー社で製作された。また、地雷除去専用の車両であったため、砲塔を撤去し、25mmの装甲板が穴を覆った。また、その上には楕円形のハッチと車長用のキューポラも増設された。このT15の重量は約32tで、通常のM4シャーマンより2t重かった。

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Strijdbewijs

T15E1
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T15E1はT15の改良型で、車体の方に変更はほぼなかったが、履帯には突起がつけられた。こちらもクライスラーで製作され、また砲塔が撤去されてハッチが二つあるのはT15と同様であるが、T15E1は車長用のハッチ内に12.7mm機関銃が装備された。試作車はおそらくM4A2をベースに製作され、T15とともにアバディーン試験場で試験が行われたが不採用となった。T15E2、T15E3の製作も考えられたが、結局キャンセルされた。

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Strijdbewijs

イギリス

Sherman Lulu
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地雷を検知する木製バーレルを備えたM4A2。電気コイルを内蔵した3つの木製バーレルがアームを介して前部に2つ、後部に1つ装着されていて、これで地雷を検知する。地雷が検知された際はライトが点灯し、車内に音声信号が発せられた。地雷の除去は本車は行えず、地雷除去チームがおこなった。また、輸送時などは画像2枚目にあるようにバーレルを上方に収納できた。しかし、このLuluは非常に壊れやすく、また収納時の動作が非常に遅かったために、Luluが試験段階を越えることはなかった。

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Strijdbewijs

Sherman AMRCR(Anti-Mine Reconnaissance Castor Roller)
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AMRCRのローラー
イギリスの開発した地雷処理用ローラー。アメリカもやったように、イギリスもローラーを使用した地雷処理を考えていた。AMRCRは各ローラーが18枚の鋼板で製作されていて、内14枚が幅49.5cm、厚さ25.5mm、内4枚が幅66cm、厚さ12.7mmだった。AMRCRのフレームはシャーマンのサスペンション部分に取り付けられており、また各ローラーの取り付け部には個別にサスペンションが取り付けられていたため、悪路の走破性能も悪くなかったであろう。また、このAMRCRは車内から取り外しを行うことができ、戦闘時などでも取り外しのために乗員が車外に出る必要がなかった。しかし、AMRCRを装備した場合、操作が非常に困難になるためにこれ以上AMRCRが発展することはなかった。(イギリス陸軍第79機甲師団に配備されたこともあったようだが、詳細は不明である。)

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Strijdbewijs

Sherman CIRD(Canadian Indestructible Roller Device)
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イギリスの開発した地雷処理用ローラー。フレームは車体に取り付けられており、ローラーを2つ備えている。ローラーは鋼鉄でできており、サスペンション付きの車軸を介してローラーに接続されている。ローラーは全高が39.4cmと45.7cmのものがあり、画像は45.7cmのものである。また、このCIRDは地雷が爆発した際、まずローラーが上に跳ね、その後に前進し、その後フレームも上にはね、その後また通常の姿勢に戻る。ローラーに爆発のほとんどの衝撃を吸収させるのではなく、ローラー、フレームの先についているサスペンション、フレーム全体を使い、上記の流れで爆発の衝撃を吸収する仕組みになっていた。CIRDはおそらく12個程度が製作され、1944年に第79機甲師団の3個連隊に配備された。が、これらCIRDが実戦で使用されたかは不明で、その後の1944年末には全てのCIRDが前線から引き上げられてしまった。CIRDは1945年2月と12月にもテストを受けたが、その後の運命は不明である。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs

Sherman scorpion
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対地雷ローターを装備したシャーマン。車体前部にアームを介してチェーンを巻いたローターを装備した。これが周り、地雷に当たるかもしくは衝撃を与えて爆発させた。動力は車体後部上に取り付けられた専用エンジンで、4台から5台のM4A4に装備された。うち一両がシャーマン クラブとの比較試験のために使用されたが、不採用となった。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs

Sherman Marquis
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対地雷ローターを装備したシャーマン。スコーピオンの改良として、車体後部上に取り付けられていた専用エンジンを砲塔に移し、装甲板で覆った。しかし、不採用となった。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs
鳥飼行研究室

Sherman Pram Scorpion
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対地雷ローター。以前のスコーピオンとは打って変わってローターの動力をM4のエンジンから抽出し、また、ローターを接続しているアームの下にローラーも追加装備した。実験用のため採用はされていない。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs

Sherman Crab I
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対地雷ローター。イギリス軍に最初に採用されたシャーマン用の地雷処理用ローターで、動力は車体右側を走るドライブシャフトを使用してM4のエンジンから抽出しており、ローターには43本のチェーンが巻かれていた。ローターは油圧で上下させることが可能で、また毎分142回の回転数を誇った。シャーマンにクラブを搭載させた際は重量が2t増えた。シャーマンクラブは北西ヨーロッパではヨーマンリー連隊のロージアンとボーダーホース部隊、同じくヨーマンリー連隊のウェストミンスター竜騎兵隊、また第22機甲旅団、イタリアでは、第51王立戦車連隊によって使用された。D-Dayなどにも投入されて、その真価を発揮したクラブであったが、ローターを稼働させている際は砂塵が砲身内に入るのを考慮して砲塔を後ろに向けていたため、例え車長や砲手が敵戦車を発見してもすぐに戦闘に移行するのが難しいという欠点もあった。配備されたクラブたちは、その後終戦まで使用された。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs
Wikipedia

Sherman lobster
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正面の視界の改善を意図して制作された地雷処理器具。アームが延長され、視界改善のため処理器具もスッカスカである。結局試作のみに終わった。

出典・参考元・画像引用元
Strijdbewijs

T34 Caliope

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砲塔上部に多連装ロケット「T34 Caliope」を搭載したM4。主にM4とM4A3をベースとして制作されている。ロケットは砲塔側面に設けられた支柱に支えられ、ロケット自体は60の発射管を持っている。砲塔の動きと連動しており主砲を上下することによって仰角、俯角の調整も可能である。これらの発射管はプラスチック製で、全体の重量は835kgだった。このロケットは命中精度自体は酷いものだったが、弾幕兵器、飽和攻撃としては非常に有効だった。また、非常時などにはロケットを投棄することも可能だった。詳細な生産数や生産会社は不明だが、1944年から1945年にかけて少数が製造されたようである。また、ヨーロッパ戦線に投入された当初、ロケットの支柱が砲身に取り付けられている間は主砲を発射できないという理由で乗員たちからは好かれていなかったが、現地改造で主砲に取り付けられていた支柱を防盾に移動させたことで主砲の発射を可能にした車両もあった。ノルマンディー上陸作戦での使用も考えられたが、カリオペは重心が高く不安定なため結局取りやめにされた。その後、ドイツ方面に展開する第743戦車大隊に配属されたが、ここでも1発もロケットを発射することなく終戦を迎えた。ちなみに、「Caliope」の語源はパイプが多数並べられているのがミュージカル用楽器「カリオペ」(別名:蒸気オルガン)に似ていることからつけられた。派生型に、T34E1 Caliope、T34E2 Caliopeなどがあり、T34E1 Caliopeは通常のT34の下にある各12門のロケットを各14門にしたもので、T34E2はT40 Whizbangである。
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いくつかのサイトでT34E1と紹介されていた写真...なのだが、ロケットランチャーがT72 Rocket launcherのように短縮されている。T72 Rocket launcherがT34E1なのかどうかはわからないが、砲身が長いものでT34E1と思われる写真はなかったため、T72とT34E1は同一のものか、もしくは別でT34E1は存在しているがまだ写真が見つかっていない可能性が高いと思われる。

出典・参考元・画像引用元
Tank-Encyclopedia

Hedge low cutter / Rhino tank / Sherman Prong

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ヘッジ・ロウ・カッターはアメリカ軍によって開発されたノルマンディー侵攻の障害となる生垣などを切断するための装置。これらが装備された戦車はアメリカでは「ライノ・タンク」と呼ばれ、イギリスでは「プロング」と呼ばれた。ノルマンディーの田園地帯を侵攻するためには、その生垣を切除しながら侵攻する必要があった。そのため、戦車が滞りなく侵攻できるように生垣を切除できる装置が第2機甲師団の第102騎兵偵察隊のカーチス・G・キュリン軍曹によって考案された。これが「ヘッジ・ロウ・カッター」である。

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実際の例

アメリカでは500基が製作され、コブラ作戦に備えて米国第2機甲師団のシャーマンやスチュアート、M10などに装備された。イギリスでは英国王立電気機械工兵隊(REME)によって「プロング」と命名され、イギリスでの生産を開始、M4A4装備用にマークIプロングが600基、シャーマン全般とM10などに装備するためにマークIIプロングが1000基、クロムウェル装備用にマークIIIプロングが500基生産された。また、少数のチャーチルにも装備されていた。これらはコブラ作戦、ブルーコート作戦で効果的に使用されたとされるが、最近ではこのヘッジ・ロウ・カッター及びプロングを「(作戦中は)基本的に生垣ではなく道路を進んだため、士気高揚として使用する場合を除いて、戦術的価値は全くなかった」とする記述も見られる。

出典・参考元・画像引用元
Wikipedia

対日本兵対策

これは、主にアメリカ海兵隊(USMC)所属のM4A2とM4A3に施された改造である。第二次世界大戦中頃から日本軍は徐々に連合軍に押されていき、日本軍が占領していた南太平洋の島々にもついにその手が忍びつつあった。海兵隊が上陸に使用する戦車は主にM4A2やM4A3だった。これら戦車は日本軍にとって重大な脅威であり、日本軍側は対戦車対策に様々な兵器を開発した。

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アメリカオスプレイ社が作成した図

日本軍が主に使用した対戦車火器は

九九式破甲爆雷

九三式戦車地雷

刺突爆雷

二式擲弾器

などで、他にも手榴弾なども使用していた(リンク先はWikipedia)。これらは戦車を一撃で破壊できる威力こそないものの、足回りやサスペンションを破壊することなら容易であった。

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九三式戦車地雷を踏んで足回りを破壊されたアメリカ海兵隊第4戦車大体所属のM4A2シャーマン‘Jenny Lee’。爆発の衝撃によって操縦手の左足が衝撃によって押しつぶされ、パニックになってしまった機関銃手がハッチを開けて外に出ようとしたところを左足が潰れてまともに動けない操縦手がなんとか機関銃手のズボンのベルトをつかんで車内に戻した。その後、車長が車体底部にある脱出用ハッチから全員を脱出させようとしたが、車体底部の下の地面に魚雷の不発弾頭があるのを確認した。これもおそらく日本軍が用意したもので、魚雷の不発弾頭の近くに地雷を置き、地雷の爆発の衝撃で魚雷も誘爆させ、敵戦車を破壊しようと企んだものと思われる。しかし、日本軍にとっては運悪く、乗員にとっては運良く魚雷が誘爆することはなく、その後、魚雷を刺激しないよう気を付けて彼らは全員が戦車から脱出することに成功し、座礁したM4A2シャーマンは敵に使用されることを防ぐために海兵隊によって爆破処理された。

1943年11月のタラワの戦いでは多くの海兵隊所属のM4シャーマンが日本軍の対戦車火器によって座礁に追い込まれた。しかし、海兵隊もやられてばっかりではなく、1944年2月に開始予定のクェゼリンの戦いでは海兵隊はタラワでの戦いに学んで日本軍の対戦車火器対策に熱心になった。ここからは、実際にシャーマンに装備された対日本軍対策を紹介していく。

木板

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第22海兵隊所属のM4A2‘El Toro’。側面に木製の板が装備されているのがわかる。二つの弾痕は47mm砲弾のものである。

これは九九式破甲爆雷または九三式戦車地雷、刺突爆雷や47mm砲弾等の対策に木製の板を取り付けたもの。木板の厚さは車両によってまちまちで、木板は車体側面の形に合うように綺麗に削られていた。しかし、側面だけだと日本兵が足回りに攻撃をするため、後に足回りにも木板を装着した物も登場している。
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海兵隊第4戦車大隊所属のM4A3‘Davy Jones’。サスペンションなどに木板が装備されているのがわかる。

コンクリート

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海兵隊第4戦車大隊所属のM4A2‘Joker’。木板と車体の隙間にコンクリートが注がれている。

コンクリートは上述の木板と合わせて使用されることが多かった。側面に木板を装着しただけだとまだ47mm砲弾に貫通されてしまう可能性があるため、木板とシャーマンの車体の隙間にコンクリートを注ぎ、より耐弾性を高めた。

金網

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海兵隊第4戦車大隊所属のM4A3R3‘Comet’。砲塔ハッチにあるケージ状の金網が見える。

九九式破甲爆雷対策にケージ状の金網を設けたもの。日本兵は装甲の中でも特に薄い天板にあるハッチに登って九九式破甲爆雷などを設置し、爆破させることで戦車を戦闘不能、行動不能などにさせることがあった。そのため、穴が開いていて凹凸のあるケージ状の金網を取り付けることで、破甲爆雷を設置できないようにした。

土嚢

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沖縄戦での海兵隊所属ではなく米陸軍第711戦車大隊所属のM4A2‘Crusader’。車体前面からエンジンデッキまでが土嚢で覆われている。

手榴弾対策で、エンジンデッキなどに手榴弾が落とされてもその威力を軽減し、エンジンなどに直接被害が行かないようにしたもの。土嚢はワイヤーなどで固定されている。これは対日本軍対策のみならず、ヨーロッパ戦線などでも使用された。

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海兵隊第5戦車大隊所属のM4A3‘Tokyo Express’。潜望鏡やハッチが上向きの釘で覆われているのがわかる。

戦車に登ってくる日本兵対策に上向きの釘をハッチなどに溶接したもの。日本兵は戦車に登り弱点であるハッチなどに九九式破甲爆雷などを設置してくるため、その対策で取られ、非常に効果的ではあったが、その反面手榴弾や爆発物がひっかりやすくなるデメリットもあった。また、釘はハッチだけでなくハッチの周りにも溶接されていたため、乗員も出るときにできるだけ手に釘が刺さらないよう気を付けて出る必要があった。

トタン・金属板

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海兵隊第2戦車大隊所属の‘Boots’。金属板がリベット留めされているのがわかる。当初こそリベット留めされていたが、工程に時間がかかるため、後に溶接に置き換えられた。

これも木板とセットで使用されることが多かった。木板を貼った上にさらに金属メッキやトタンを貼り付けることで耐弾性を向上させ、また場合によっては波型金属(トタン)も使用された。

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海兵隊第6戦車大隊所属のM4A3。

海兵隊第6戦車大隊所属のM4A3には金属板を地面から30cmのところまで下ろしたものもあり、確かに爆発物がサスペンションに入るのを防げるが、しかし機動性を著しく下げ、舗装されていない地を通れば装甲板は地面にめり込んだり剥がれたりしてしまったであろう。

履帯

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海兵隊第6戦車大隊所属のM4A3。車体側面にVVSSシャーマンのT54E2履帯、砲塔側面に名称不詳の(おそらくT56履帯かT47E1履帯かT49履帯であると思われる)履帯を装備している。

装甲としての履帯の使用は、太平洋戦域固有のものではなかったかが、沖縄戦においてはよく使用された。これらは主に車体の前面、側面、砲塔後面などに装備されていた。履帯は溶接、ボルト留め、もしくは実際の予備履帯の装備場所に装着されていた。


これら装備品は、日本軍が所有していた37mm砲や47mm砲、対戦車火器に対して効果的に働いた...が、やはり重量増加は深刻な問題で、非舗装地がほとんであった沖縄などでは重くて沈むわ装備品が岩や木に引っかかるわで、酷い有り様であった。しかし、こう言った装備品は戦車の装甲を増加させるだけでなく、乗組員の士気を上げる効果もあり、これらを士気も含めて考えればこう言った付属品、装備品が成功であったのは間違いないだろう。

出典・参考元・画像引用元
Tank-Encyclopedia

kangaroo APC

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第二次世界大戦中、連合諸国は戦車の砲塔を撤去し、兵員輸送車として使用した。シャーマンやラムも例外でなく、砲塔を撤去して兵員輸送に努めた車両があった。初期にはM3スチュアートやM5スチュアート軽戦車を使用したものもあり、これらはカナダ軍にも供給されていたが、アメリカ軍自身の必要性のため供給は少なかった。そのため、1944年7月、カナダ軍の第3カナダ歩兵師団は余分に余っていたM7プリースト自走砲の武装と弾薬を外し、「カンガルー」のコードネームの元、兵員輸送車にするための改造を行なった。これにより72台の「プリースト・カンガルー」が製作された。カンガルーの定員は操縦士など含め12名であったが、それ以上の人数が乗ることもあった。プリースト・カンガルーは1944年8月8日、トータライズ作戦中に最初に使用された。そして、1944年9月にはラム巡航戦車改造の「ラム・カンガルー」も製作され使用された。ラム・カンガルーはアストニア作戦などで使用された。また同時期の1944年8月にアメリカ軍もM4シャーマンをベースとしたM4・カンガルーを開発しており、こちらはファレーズ・ポケットにて使用され、その有用性を示した。これらカンガルーシリーズは戦後も少数が使用されたが、装甲兵員輸送車や歩兵戦闘車の普及により姿を消していった。

出典・参考元・画像引用元
Tank-Encyclopedia
Wikipedia
日本語版Wikipedia

【おまけ】必見!シャーマンシリーズの見分け方講座!

さて、M4シャーマンというのはバリエーションの多さが取り上げられることが多いが、各型の識別もまた困難である。理由として、シャーマンの各型というのは基本的に大元となるM4のエンジンを載せ替えたものであるため、見た目に差異があるものが少ないからである。ここでは、各型の正面、側面、後面、上面の図面と、写真を織り交ぜながらなるだけわかりやすく解説していこうと思う。

正面
M4M4A1M4A2M4A3M4A4M4A6
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M4
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これといって特徴はない。標準的なシャーマンである。赤丸で囲った変速機部のボルト留め接合部は、ある車両とない車両がある。
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ない車両とある車両の写真
M4A1
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M4A1はシャーマンシリーズの中で唯一、一体鋳造の車体であるため判別がしやすい。赤丸で囲った部分と赤線の部分は鋳造のため滑らかに湾曲している。また、M4A1も変速機部のボルト留め接合部は、ある車両とない車両がある。
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ない車両とある車両の写真
M4A2
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M4A2もこれといって特徴はない。図面は1000両のみ生産された後期型であることに留意する必要がある。また、M4A2も変速機部のボルト留め接合部は、ある車両とない車両がある。
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ない車両とある車両の写真
M4A3
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M4A3は変速機部のボルト留め接合部が初期型から無く、最初から完全鋳造である。
M4A4
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M4A4もこれといって特徴はない。また、M4A4も変速機部のボルト留め接合部は、ある車両とない車両がある。
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ない車両とある車両の写真
M4A6
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M4A6は車体が車体前面鋳造、真ん中~後部が溶接のコンポジット型であるため、車体正面両脇に滑らかな曲線を描いている。また、変速機部のボルト留め接合部無く、完全鋳造である。
側面
M4M4A1M4A2M4A3M4A4M4A6
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M4
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これといって特徴はない。
M4A1
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M4A1はやはり鋳造車体ならではの曲線が特徴的である。
M4A2
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M4A2はこれといって特徴はない。
M4A3
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M4A3もこれといった特徴はない。
M4A4
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M4A4はわかりやすい。(赤丸)サスペンション部が他の車両と比べてスペースがあり、側面から見た際の識別に大いに助けとなろう。また、細かいが砲塔付け根部分に小さいプレートのようなものが溶接されている車両があるが、それもM4A4である。しかしこのプレートは元からついているものとついてないものがある。
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赤丸部分がプレートである。               ズーム写真。溶接されているのがわかる。
M4A6
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M4A6はM4A4ベースのM4E1をベースにしているためM4A4同様スペンション部が他の車両と比べてスペースがある。これも側面から見た際の識別に大いに助けとなろう。まあ、もっともM4A6を識別するなんと言うことはあまりないだろうが...。
後面
M4M4A1M4A2M4A3M4A4M4A6
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M4
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エンジン部が上方に窪んでいる。
M4A1
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こちらも上方に窪んでいるが、M4と比べ鋳造ということもあり付け根が緩やかな曲線を描いているので見分けられるだろう。76mm砲搭載型などでは窪みが埋められている車両もある。
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76mm砲搭載型の後部。
M4A2
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M4A2は上2両と違い下に引き伸ばされた形になっている。下についている横長の排気デフレクターは前期型と後期型に分けられる。
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板金でできた前期型。                   改良された後期型。1944年1月1日から工場での設置が義務付けられた。
M4A3
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M4A3はM4A2と非常に似通った形をしている。ただ、赤線部の縦の長さは気持ちM4A3の方が短いだろうか...?M4A3は下についている横長の排気デフレクターは3種類に分けられる。ただ、どれが前期だとか後期だとかは不明である。
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M4A4
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こちらはM4A2、M4A3と比べ縦の長さ明らかに短くなっている。
M4A6
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M4A6もM4A4同様短くなっている。
上面
M4M4A1M4A2M4A3M4A4M4A6
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M4
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緑色で囲われている部分は吸気口カバー、青色ラインは弾丸の飛沫などが飛ばないための仕切り、黄色丸は当時のM4やM4A1、M4A4は燃料タンク付近の高温(はんだ接合部の溶融やその他の火災の危険))に悩まされていたために、燃料の熱を下げるために設置された吸気口である。赤丸はデッキの中央部分で、ヒンジで固定されているが、整備時などには開けてエンジンのメンテナンスを行うことができる。
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実際のエンジンデッキの写真
M4A1
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M4A1もM4と同様、緑色で囲われている部分は吸気口カバー、青色ラインは弾丸の飛沫などが飛ばないための仕切り、黄色丸は当時の燃料の熱を下げるために設置された吸気口、赤丸はデッキの中央部分で、ヒンジで固定されているが、整備時などには開けてエンジンのメンテナンスを行うことができる。
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実際のエンジンデッキの写真
M4A2
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M4A2は中央(赤丸部分)に格子状の換気口があり、そこはドアになっている。整備時などに開けてメンテナンスを行うことができる。黄色丸はM4、M4A1では吸気口であるが、M4A2は液冷エンジンになったためなくなっている。青丸部分は燃料タンクの給油口。緑色で埋められているところは潤滑油給油口。紫色で埋められているのは給水口である。
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実際のエンジンデッキの写真
M4A3
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M4A3も中央(赤丸部分)に格子状の換気口があり、そこはドアになっている。M4A3もM4A2同様吸気口は埋められている。青丸と緑色で埋められている部分は燃料タンクの給油口である。
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実際のエンジンデッキの写真                M4A3の燃料タンクの配置。縦に配置されたものと横に配置されたものがある。
M4A4
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緑で囲われた部分は吸気口で、青で囲われた部分はラジエーターキャップ、黄色で囲われた部分はM4で先述した通り燃料の熱を下げるために設置された吸気口である。M4A2、M4A3ではなくなっていたが、M4A4で復活した。
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実際のエンジンデッキの写真
M4A6
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緑で囲われた部分は吸気口で、青で囲われた部分はエンジン内のスペース確保のために設けられたバルジである。またM4A6にも燃料の熱を下げるための吸気口が設置されている。
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実際のエンジンデッキの写真

シャーマンの見分け方についてわかっただろうか。これから生きていく中でシャーマンを識別する機会はそこまでないと思うが、何かの役に立てば幸いである。