戦車のいろいろ

Last-modified: 2020-04-28 (火) 17:21:51


概要

ここでは戦車に関するトリビアや、脚光を浴びていない計画、試作車両を紹介し、より戦車への理解を深める為のページです。


日本駆逐ツリー戦車群(予想)まとめ

未実装戦車群の中でもとりわけ期待が大きいのは日本駆逐戦車ツリーであろう。日本には砲戦車という区分があり、これが実質的な駆逐戦車にあたるが、実は戦時の日本には多くの試作砲戦車、対戦車自走砲が存在した。
ここではそれらをまとめて紹介していこう。

試製五式四十七粍自走砲 ホル

九五式軽戦車(ハ号)にオープントップの戦闘室を作り、試製四十七粍戦車砲を搭載した対戦車自走砲である。正面装甲は30mmとなかなかで、さらに小型低車高である。試作車についてはよくわかっていない。
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試製七糎半自走砲 クセ

五式軽戦車(ケホ)にオープントップの戦闘室を作り、九九式七糎半戦車砲を積んだ戦車である。試作はされていないとされる。
車体のおかげで快速が予想される。

一式砲戦車 ホニ I

九七式中戦車(チハ)にオープントップの戦闘室を設け、九〇式野砲を積んだ砲戦車である。俯角が15度とれる。
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二式砲戦車 ホニ ⅠⅠ

九七式中戦車(チハ)にオープントップの戦闘室を設け、九一式十糎榴弾砲を積んだ砲戦車である。
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三式砲戦車 ホニ III

九七式中戦車(チハ)に密閉式の戦闘室を設け、三式七糎半戦車砲を積んだ砲戦車である。
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試製七糎半対戦車自走砲 ナト

四式中型装軌貨車にオープントップの戦闘室を設け、五式七糎半対戦車砲を搭載した対戦車自走砲である。主砲は限定旋回し、更に俯角10度を取ることが出来た。出力がたった165hpではあるが、車体は小型軽量で13.7tしかないため、40kmを発揮できた。
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試製十糎対戦車自走砲 カト

四式中戦車(チト)の車体を延長させた新型シャーシにオープントップの戦闘室を設け試製10cm対戦車砲を搭載した対戦車自走砲である。ナトの独特なデザインを拡大したような戦車であった。砲は限定旋回し、なんと左右45度ずつも回すことが可能であった。さらに俯角も10度とれる。
重さは30tにまで増えたが、エンジンも450hpにまで出力が向上なされ、良好な機動力が発揮される予定であった。
試作戦車の製造中に終戦を迎えた。
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試製四式十二糎自走砲 ホト

九五式軽戦車(ハ号)の砲塔と車台上部前半を取り除き、三八式十二糎榴弾砲を改造して搭載した車両である。夕弾こと成形炸薬弾の開発もされていて、140mm程度の貫通力が期待できたと言われている。
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四式十五糎自走砲 ホロ

九七式中戦車(チハ)にオープントップの戦闘室を設け三八式十五糎榴弾砲を搭載した車両である。俯角は1度とれる。砲そのものは旧式化したものであったが、実は直接射撃で対戦車戦闘を目論んだ自走砲であり、夕弾によって150mm程度の貫通力を持っていた。実際にフィリピンに投入されM4中戦車を撃破している。
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試製五式十五糎自走砲 ホチ

九七式中戦車(チハ)にオープントップの戦闘室を設け九六式十五糎榴弾砲を搭載した戦車である。試作されたかについては諸説ある。
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ジロ車

九五式重戦車(ロ号)に密閉戦闘室を設け、九二式十糎加農砲か、九六式十五糎榴弾砲を搭載出来るようにした対戦車自走砲である。九二式十加を装備したものが試作された。
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試製五式砲戦車 ホリ I・ホリII

五式中戦車(チリ)をベースに密閉型の固定戦闘室を設け、試製十糎戦車砲を搭載していた。日本戦車としては装甲が厚く、125mmの正面装甲を備えていた。さらに砲は俯角10度取れ、特筆すべきは自動装填装置を備えていた。日本戦車の集大成といえる存在である。
本車は形状の違う車両が様々存在し、おおまかにわけると、フェルディナントに似た形状のホリと、ヤークトティーガーに似たホリが存在した。さらにそれぞれ傾斜装甲を取り入れたものも存在し、ホリの傾斜装甲型は、木製のモックアップが写真として残っている。
終戦時には5両の試作車が完成を待っている状況であった。
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九五式重戦車 自走砲

詳細がよくわかっていないのだが、ジロ車とは別に九五式重戦車(ロ号)に砲を搭載した戦車があった。搭載した砲は写真から斯加式十二糎速射加と見られる。
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日本海軍長12cm自走砲

日本海軍が対戦車戦闘を目的に、九七式戦車(チハ)にあの睦月型駆逐艦の主砲とほぼ同じ45口径12cm砲を搭載してしまった対戦車自走砲である。全周旋回の砲で、俯角10度を取れる。一部の人にはキングティーガーをもじってかキングチーハーと呼ばれている。思わずヴァッフェントレーガーかと突っ込んであげたくなる見た目である。
ちなみに搭載する砲から考えると弾種は榴弾のみで、しかも携行弾薬もかなり少ないため、弾薬輸送はリヤカーで行うとの証言がある。
唯一の戦果(?)は砲身をぶつけて壊した民家の塀。
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十二糎砲戦車

短12センチ自走砲とも呼ばれる。
九七式中戦車の47ミリ砲型砲塔に、特設艦船に搭載する簡易急造高角砲を改造したものを搭載した。
原型の砲の榴弾、車内に残っていた演習弾の存在は分かっているが、成形炸薬弾(HEATのような)対戦車弾の存在は不明。
横須賀第十六特別陸戦隊に配備され、実戦経験はない。
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試製56式105mm自走砲

米軍から供与されたM24軽戦車(Chaffee)の車体を改造して製作された。計画では、105mm榴弾砲M2A1をM24軽戦車の車体に搭載し、ディーゼルエンジンへの換装や新型変速機の採用によって、M24と同等の機動性を確保することを目指していた。
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60式自走無反動砲

車体は1.38mと車高が低く、車体右側に主砲として60式106mm無反動砲を2門搭載する。2門の主砲には油圧で垂直に昇降する機能があり、待ち伏せ攻撃時に遮蔽物から主砲だけを覗かせて射撃できる。(ただし本物は弾を4発しか載せられない!)また64式対戦車誘導弾(MAT)を試験的に装備した車両も試作している。
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60式装甲車(MAT装備)

60式装甲車に64式対戦車誘導弾(MAT)を試験的に装備した車両。
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Eシリーズ

Eシリーズとは、第二次世界大戦中にドイツが計画、開発したプロジェクトの総称である。
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【概要】
ドイツ兵器局は、1942年5月にH・E・クニープカンプ博士から提出されていた新型装甲車輌の開発計画を一年かけて検討し、1943年4月にこの計画を実行した。
この計画では、煩雑であったドイツ戦車の各部品の共通化による生産コスト低下、重量による戦車の規格化を目指した。これには、まだ装甲車輌の生産を行ってきていない自動車産業も参加させる目的も含まれる。その他、火力や装甲強化による車体の大型化や車体重量の増加を抑える為、エンジン及びトランスミッションを小型化し車体後部に配置(パワーパック化)する事に加え、ドライブシャフトを省略し戦闘室拡大を達成しようとするなど多くの新機軸が盛り込まれた。この計画に沿って開発された各戦車は、これまでのドイツ戦車設計とは一線を画すものであり、ドイツに多大な恩恵をもたらすものだったが、ほとんどが完成前に終戦を迎える。
各戦車はEntwicklungstypen(エントヴィックルングストゥーペン)(開発タイプ)計画の頭文字を取り、重量ごとにE-5~E‐100まで計画、開発された。開発された車両は以下の通りである。
なお、E-100以外は車体すら完成していない。

E-5

5t級
このシリーズの中では最小戦車である。計画されたかどうか定かでなく、アウト-ウニオン社が1944年に開発した全軌走式小型装甲兵員輸送車や、無線操縦車、偵察車など様々な説がある。

E-10

10t級 開発担当:KHD社
無砲塔密閉式の駆逐戦車。駆逐戦車以外に装甲兵員輸送車、武器運搬車の運用も考えられていた様である。外見はヘッツァー似。
武装はラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39を前面に装備。
装甲は前面上部が60mm、前面下部が30mm、その他の部分は20mm。車体前面は避弾経始が考慮されていたが、側面や後面の角度は垂直に近く、避弾経始に優れていない。
乗員は3名。
サスペンションは、転輪装着アームの基部にコイルスプリングを内蔵し、片側4個の転輪がオーバーラップ式で取り付けられた。
特徴的な装備は機械式車高調整機能と流体式無段階変速機である。エンジン等の開発に手間取り、同時期に開発されていた38D駆逐戦車の方が実用性などに優れると判断され、1945年1月末に開発中止。

 

主な参考文献:Wikipedia 戦車研究室 2次戦ドイツのEシリーズ戦車

E-25
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画像はWikipediaより

E 25 開発担当:アルグス社

詳しくはこちらのページを参照。
無砲塔密閉式の駆逐戦車。こちらも外見はヘッツァー似。
主砲は、70口径75mm対戦車砲。また、車体上部に2cm機関砲の小型砲塔を装備。
装甲厚は不明だが、全方位にわたって避弾径始を入れている。
乗員は4名。
変速・操向機は前進8段/後進8段の遊星歯車式変速機と流体式操向機が組み合わされた。

 

主な参考文献:Wikipedia 戦車研究室 2次戦ドイツのEシリーズ戦車

60t級 開発担当:アドラー社

詳しくはこちらのページを参照。
パンターを代替し主力戦車となる予定であった。E75と車体を共通化したことが最大の特徴であり、武装や足回り、装甲厚などの違いはあるが、同製造ラインで生産することができ、生産コストの大幅な低下が可能であった。

 

主な参考文献:2次戦ドイツのEシリーズ戦車

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画像は戦車研究室より
足回りがE-50と酷似しているのがわかる

80t級 開発担当:アドラー社、ヴェーザー精錬所

詳しくはこちらのページを参照。
ティーガーIIを代替する予定であった。ティーガーIIから装甲などの強化が図られた。特徴はE-50と車体の共通化が図られている点である。武装や足回り、装甲厚が異なるが、同製造ラインで生産することができ、生産コストの大幅な削減が可能であった。

 

主な参考文献:Wikipedia 戦車研究室 2次戦ドイツのEシリーズ戦車

140t級 開発担当:アドラー社

詳しくはこちらのページを参照。
このシリーズの中で唯一写真が残る。ティーガーIIを参考に開発された。開発にあたって、武装の搭載には様々な火器が計画されたようである。
車体側面の装甲スカートは輸送時を考慮し着脱式。
新型エンジンの開発が間に合わずティーガーIIと同様の物を搭載。
総じて、E-50やE-75の新機軸を多数採用したものと比べ、やや堅実な設計だったようである。
終戦後はアメリカやイギリスが興味を示し、組み立てを続行したが後に興味を失い、スクラップにされたようである。
他の写真 

 

主な参考文献:Wikipedia 戦車研究室 2次戦ドイツのEシリーズ戦車


Waffentragerシリーズまとめ

Waffentrager、日本語に訳せば武器運搬車である。
Waffentragerには非常に多くの計画案が存在する。何両かは既にPC版WoTに実装済みであるが、実はこの他には多く案や試作車が存在し、実際に生産されたがゲーム内に登場しない車輌もある。この項ではそれらをまとめて紹介していく。

Waffentragerについての詳細

1つは1942年型である。今ゲームに実装されているのは多くがこれにあたる。様々な車体を元に計画されていた。ドイツがまだ余裕の時期であったため、豪華な計画が多い。実はこれらは手間やお金がかかりすぎる事で、全く成熟しない計画であった。BlitzのWaffentragerは全てここに準ずる。
2つ目は1944年型である。1942年に通達されてから、上記の様に良好な計画案が生まれなかったために、戦況が切迫してる状況になって、もっと要項をまとめて統一した部品を元に安価な生産が可能なWaffentragerを製作しようとした。これらは1942年型のWaffentragerと比較してEinheitswaffentragerと呼ばれる。これは統制式武器運搬車の意味である。この型の共通点として、足回りや走行装置はPz.38tやHetzerから流用された。しかしシャーシは殆どが全く新しく開発されている。これらWaffentragerには、さらに8.8cm砲、10.5cm砲を搭載する軽型、12.7cm、15cmを搭載する予定であった中型の二種類が存在し、それぞれLeichte Einheitswaffemtrager、Mitler Einheitswaffentragerと呼ばれている。(ここから略称LWT、MWTを用いる)
この統制式武器運搬車は実際に多くの型が試作なされており、Ardelt社が生産した事でも有名である。
ここから1942年型、対する1944年型の2つに分けて紹介していこう。

参考→https://youtu.be/eGm-2iME6zY

1944年型

Ardert WT

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恐らく最も有名なWaffentragerである。
戦車開発のノウハウを持ち合わせて居なかったアルデルト社の計画案が、非常に手軽であったためヒトラーに大いに気に入られ、唯一生産がされたWaffentragerでもある。
詳細はRhm.-Borsig Waffentragerの歴史背景の項を参照されたし。

Krupp-Steyr WT

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Ardelt-Rheinmetall WT

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Krupp I

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Krupp II (Krupp-Ardelt WT)

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1942年型

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ソ連のスターリン戦車とその派生まとめ

かの有名なスターリン重戦車、WoTをプレーしている者であればIS-1から8までは誰もが知っているだろう。しかしそれ以外にも多くのボツ案や、試作車、派生型が存在する。そしてこのWoTにもそういった派生車輌が数多く登場しているのである。これらをできる限り時系列でまとめて、重戦車計画の一連の流れを理解できるように記してみるのがこのコーナーである。「IS-5って何?」「PC版にObject 260とかいう重戦車来てるけどナニソレ」というようなソ連重戦車に関する疑問があれば項目を見てみると解決するかもしれない。

最初のIS戦車とその派生

「重装甲で高火力だけど軽くて機動性の高い戦車を作れ」
という要求からスタートしたISシリーズの開発について各車両を元に説明していきたいと思う。

IS-1 (Object 237)

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ソ連は戦争序盤にもKVやT-34などの優秀な戦車を配備していたが、重戦車のKVは重装甲なのはともかくあまりにも鈍重であることが指摘されていた。さらにドイツ軍がV号戦車,VI号戦車などより優秀な戦車を投入するようになるとその装甲も頼りなくなりソ連でもこれらに匹敵する優秀な重戦車を開発することが求められた。その基本要求こそが今後のソ連重戦車の系譜の基本となっていった。
「重装甲で高火力だけど軽くて機動性の高い戦車を作れ」
この要求に従ってZh.Ya.コーチン技師を長とする第100チェリャビンスク・キーロフ工場の第2特別設計局(SKB-2)は1943年半ばまでに、試作重戦車Object 237を完成させた。
このObject 237の試作車は以前SKB-2が開発して試作の段階まで行きながら、ソ連軍に採用されること無く終わったKV-13試作重戦車(Object 233)の鋳造車体をベースとして各部に改良を加えたものが用いられ、変速・操向機も新型のものを採用して足回りの性能向上が図られていた。
車体そのものは全体的にコンパクトにまとめ体積を減らし曲面装甲を多用することで単純な装甲厚以上の防御性能を確保することで装甲と機動性をある程度両立させることに成功。さらに砲に採用された85mm戦車砲D-5Tは55口径85mm高射砲M1939(52K)を基に、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の第9ウラル重機械工場(UZTM)設計局のF.F.ペトロフ技師が設計したもので、弾薬は高射砲と共通のものを用いその弾道特性も全く同様のものであり、当時としては威力の高い砲であった。これがIS-1(イーエース・アジーン)である。1943年10月より量産が開始されたが、下記の理由によって1944年1月までに107両で打ち切られている。

KV-13 (Object 233)

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上に述べた様にISの母なる存在である。
KV-1の様な重戦車が鈍足で状況対応力が低い事はソ連の悩みであった。この様なKVに対する批判を受け、SKB-2(KV戦車の設計開発チーム)が開発したのがKV-1S重戦車である。KV-1SはT-34に追従できる機動性と機械的信頼性を有していたが、KV重戦車の性能の要である装甲を削ったためにかえってその存在価値があいまいになってしまった。SKB-2もKV-1Sに満足していたわけではなく、KV-1Sの量産準備中だった1942年春にはすでに「中戦車の機動性と重戦車の装甲防御力を併せ持つ汎用戦車」の開発を開始していた。これによって開発されたのがKV-13試作戦車である。
KV-13は軽量化と十分な装甲防御力を両立させることを設計の主題としており、溶接部品を多用して可能なかぎり小さな車体と無駄のない車内空間の利用を追及していた。このため乗員は3名(操縦手・砲手・車長。装填手は車長が兼ねる)に切り詰められた。装甲厚は車体前面100~120mm、砲塔最厚部85mmで、武装はKV-1と同じ76.2mm砲ZiS-5であった。重量は31.7tとKV-1の3分の2程度にまで抑えられた。
KV-13の開発はわずか数ヶ月で行なわれ、1942年5月には試作車両の試験が始まった。ところが、足回りのトラブルが頻発し、速度性能こそT-34に匹敵することが確かめられたものの、実戦投入が可能なレベルにするには多くの改良が必要であることが判明した。さらに主任設計士ツェイツの病死などによって開発が鈍化し、軍もKV-13には興味を示さなくなった。
そのような中で、KV批判が重戦車不要論(すなわちSKB-2の存在意義の否定)にまで発展し始めたため、SKB-2の責任者であるコーチン技師は「赤軍最強の戦車を作り出し、その戦車に同志ヨシフ・スターリンの名を冠する」という宣言を行なった。(当人が直接言ったわけではなく、SKB-2に付属する工場の代表委員会による採択という形だった。)
こうして、KV-13の開発はそのまま新型戦車ISの開発へとシフトすることになった。

Object 244 (IS-3)

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Object 244戦車は、Object 237の武装強化版として、第100工場によって試作された。より長砲身な85mm砲D-5T-85BMを搭載している。さらに戦闘室に多少の変更が加えられ、主な変更点は弾薬庫や外部視認装置の光学機器の取り付け部の変更、また無線機は砲塔下部に移され、新製の改良型換気装置も取り付けられた。大型輪転の搭載が見た目の大きな特徴となっている。
しかし、テストによって砲身の強度不足という問題が明らかになり、後に砲がD-30に取り替えられる事となった。
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この写真ではD-30を搭載している。
ちなみに当時IS-3という名を貰ったが、勿論普通にIS-3と言えば、有名なObject 703の方を指すので、混同しないように注意しよう。

Object 245 (IS-4)

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100 mm D-10Tを搭載したISの改良型。IS-4という名を持つが、よく知られているObject 701-6の方のIS-4とは全く違う戦車であり、こちらがIS-4と呼ばれる事の方が珍しいので、注意されたし。

Object 248(IS-5)

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S-34100mm砲を装備したISの改良型で、D-25T122mm砲を装備したObject 240と共に試験された。こちらの100mm砲の方が新型で装甲貫徹力も高かったが、新型故に早期の生産開始が困難であったため、結局Object 240がIS-2となりこちらは正式採用はなされなかった。IS-5との名を授かっているが、その大分後に試作されたObject 730もIS-5と呼ばれており、現在もIS-5と言えばObject 730を指す事が多い。ゲーム中のIS-5もObject 730なので、注意されたし。

IS-2 (Object 240)

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IS-1には重大な問題が発生した。それはT-34も同じく85mm砲を搭載したT-34/85として量産されることが決定し中戦車と同程度の火力しか持たないことになってしまったのである。さらに敵のVI号戦車がつかう88mm砲に対して射程で劣り勝利を得ることは難しいとされてしまった。というわけでさらに強力な122mm砲D-25Tを搭載し機動性はそのままに大口径砲の巨大な火力で圧倒するよう生まれ変わることとなった。これがIS-2(イーエース・ドヴァー)である。しかし元々85mm砲を搭載する予定の砲塔に無理やり122mm砲を搭載したためわずか28発の砲弾しか搭載できなくなってしまった。だがそれを補って余りある大火力は直撃すればドイツ軍の誇るVI号戦車を粉砕し対歩兵戦闘でも絶大な威力を発揮した。
このD-25Tだが、元々はA-19 122mmカノン砲という野砲を戦車砲にしたもので、その際にマズルブレーキを装着した。
上の画像のObject 240は、開発途中のT字型のマズルブレーキを着けているが、これは失敗作であり、この後にドイツの8.8cmをコピーしたデザイン(下画像)に変更され、最終的には有名な独特の形状となっている。
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IS-2後期型(1944年型)

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1944年4月には車体形状などを改良することにより、避弾経始の向上を図った改良型のIS-2重戦車が登場した。
この結果として、ほぼ垂直となっていた戦闘室前面の形状がなだらかなスロープを描くことになった。また照準機の搭載位置が悪いため、主砲の防盾の幅が左側に延長されて照準機の位置が改められ、ペリスコープも新型に換装されている。
これらの改修を行って生産されたIS-2重戦車は、ロシア語で「改良」を意味する「modifikatsiya」の頭文字”m”が加えられて「IS-2m」と改称されることになった。一部の車両では、従来のIS-2重戦車の車体に新型の砲塔を搭載して完成したが、これは車体より先に砲塔の方が生産体制が整ったことを意味している。
IS-2重戦車とIS-2m重戦車の正確な生産数は不明だが、1943年にIS-2重戦車が102両、1944年にはIS-2重戦車とIS-2m重戦車合わせて2,250両が完成し、1945年1~5月にかけてIS-2m重戦車が1,150両生産されている。

ISU-152 (Object 241)

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KV-1S重戦車をベースとしたSU-152が、その火力で敵の重防御拠点や重戦車を破壊可能な成功作となったことから、KV-1Sの後継車でも、そのシャーシを流用した自走砲の開発が求められた。新型自走砲の開発は、ベースとなる戦車のObject 237と併行して行われ、Object 241の名で試作車が完成した。これは1943年夏にGKO(国防委員会)に提示され、ISU-152として採用された。(写真は戦後改修型(戦後生産?)のISU-152Mで現在も戦勝イベントに使用されている車両)

ISU-122 (Object 242)

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ISU-152自走砲の152 mm榴弾砲ML-20の砲身の生産が遅れていたため、砲と砲弾の供給に余裕があり同型の砲架を用いる122 mm A-19を代わりに搭載したものである。また、戦車兵よりも自走砲兵の方が訓練期間が短くて済み、いずれにせよ早急な戦力化を求めて、1943年12月より量産が開始された。本車の前期型は、砲本体を除けばISU-152自走砲とはほとんど同じ車輌である。

ISU-122BM (Object 243)

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新開発の60口径122mm加農砲BL-7を搭載した試作型。不採用。

ISU-152-1 (Object 246)

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長砲身の152mm試作砲BL-8を搭載した試作型。不採用。

ISU-152-2 (Object 247)

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152mm試作砲BL-10を搭載した型。不採用。

ISU-122S (Object 249)

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砲をD-25Sに換装した型である。生産数は大戦中にISU-122合わせて1735両。終戦に伴って一度生産は終了したが、1947年~1952年に約3130輌のISU-122Sが追加生産された。

ISU-130 (Object 250)

A7654D09-0C4C-4692-9AE0-F6CD8A3F225B-4247-00000559130F264E.jpeg
DC7ADE5E-F882-4BF8-ACE9-0FF0C0ABD582-5158-0000063CAE398A52.jpeg
海軍砲の130mm加農砲S-26を搭載した型。不採用。

ISU-122-3 (Object 251)

3F1B76AD-E8D4-4274-B859-2CDAD34276BB-4247-000005598CB70129.jpeg
当時標準的であった122mm砲弾を使用するために、130mm加農砲S-26を122mm口径にしたS-26-1を搭載した試作型。不採用。

名車IS-2の後継達

IS-2以降の後継車両には避弾経始が強く意識された楔形装甲が採用されている。

IS-3

大戦末期にこの先進的な車輌は完成した。お椀型砲塔、楔形装甲と徹底した避弾経始の取り入れはベルリンの戦勝パレードで初披露された際、西側諸国を震撼させた話は有名である。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。

Kirovets-1

Object 703 (IS-3)

Object 704

IS-3 auto

IS-4

1944年初め、SKB-2の主任技師Zh.Ya.コーチンはIS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「Object 701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
その内の1つがM.F.バルジ技師が進めた「Kirovets-1」であり、これは後にIS-3重戦車に発展することになる。

もう1つが、L.S.トロヤーノフ技師が中心になって進めた「Object 701-1~6」である。
Object 701は、砲塔や車体のデザインの基本部分においてIS-2重戦車のものを踏襲するものだったが、武装面や戦闘室での操作性の面で新たな試みや工夫を展開しようとしていた。
Object 701は1947年までの間に6種類のプランが検討され、その内の3種が試作された。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。

Object 701-2

Object 701-5

Object 701-6(IS-4)

ST-I

ST-II

第100戦車試作工場の重戦車

IS-6

IS-6には複数の計画案があった。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。

Object 252(IS-6)

Object 252U

Object 253

IS-7

IS-7の開発には少なくとも7つの車輌が関係し、その内の3つはObject 260と呼ばれた。第100戦車試作工場で秘密裏に作られたため、この戦車の生い立ちは謎に包まれていた。最近になって資料が発見されたおかげで、現在我々はIS-7がまだObject 257だった頃、つまり初期の段階でどう発展していったのか知ることが出来る。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。

Object 257

Object 258

Object 259

Object 260(1945年型、最終型(IS-7))

Object 261

Object 263

最後の重戦車T-10の競合車

T10(IS-8)とはライバル関係にあり、惜しくも破れてしまった戦車達。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。
Object 777

Object 730(IS-5)

T-10の後継戦車

T-10の採用後も後継車輌として様々な戦車が検討されていた。しかし結果としてT-10が最後に採用された重戦車であることは周知の通りである。
時代的にWoT実装は厳しいと思われがちだが、これらの車輌より後に開発された戦車も数多くWoTに実装されているので可能性は捨て切れない。首を長くして待ちたいものである。
なお、以下の車輌の詳細は下記のobjectシリーズ総まとめを参照されたし。

Object 266

Object 277

Object 770

Object 279


objectシリーズ総まとめ

object(ロシア語表記Объект(オブイェークト))これは試作戦車を意味する。ソ連の試作戦車はОбъектの後に開発番号が割り振られるのが習慣で、Объектが付く名前の戦車は星の数ほどある。採用試験後、軍に採用されると新たに型式番号が与えられることになる。
 ひとつの例として【Объект172】という試作戦車は正式採用されて【T72】という名前になった。
逆に珍妙なシルエットで有名な【Объект279】のように、Tから始まる型式番号(IS、KV、SUは例外)が与えられていない戦車は試作品として終わったということになる。
 blitzに実装されているリンク作成済み。()内は正式名。資料がなく詳細不明とさせてもらっている所もあるがご了承願いたい。objectシリーズの中にはblitzにも実装されてない戦車も山ほどあるが魅力的なシリーズなので是非ご高覧いただきたい。

 
1~99

object3
m02013110100050.jpg
シベリアや北極圏などで使用するために幅広履帯を装備したMT-LB。

object3,4
ENC6bUuWwAYT0pa.jpg
700馬力のガスタービンエンジンを装備したobject432。object3は1966年から1968年までテストされた。object4は950馬力のエンジンを横向きに搭載する案だったが制作はされなかった。

object6
2560px-Soviet_MT-LB.JPEG
1964年に量産が開始された汎用装甲輸送・牽引車MT-LBは転輪が、PT-76水陸両用軽戦車、およびファミリー車であるBTR-50装甲兵員輸送車と同じものを同じ数だけ使っているため(しかも上部支持輪が無いところも同じ)、以前はこれらをベースにした車両であると解説されることが多かった。

しかしMT-LB装甲輸送・牽引車は、PT-76水陸両用軽戦車とそのファミリー車両を開発したボルゴグラード・トラクター工場(VTZ)ではなく、ハリコフ・トラクター工場(KhTZ)が独自に開発した車両であり、転輪など足周りの一部にPT-76水陸両用軽戦車と同一のコンポーネントを使用したに過ぎない。
MT-LB装甲輸送・牽引車は当初、核戦争時代に対応する中型野砲用牽引車として開発されたものと見られる。

従ってNBC防護システムを備えると共に、7.62mm機関銃PKTを持つ小型銃塔(TKB-01)を搭載し、最小限の自衛火力を備えている。
車内には2名の乗員(車長と操縦手)の他、11名の操砲要員または砲弾などの貨物2tを搭載することができる。

機関室は車体左側の操縦手席後方に位置し、駆動はフロント・ドライブ式の起動輪で、ダブルガイド式のPT-76水陸両用軽戦車に比べてやや幅広の履帯に動力を伝達する。
要員・貨物室は車体右側および後部に位置し、このため車体後面に乗降と荷物積み下ろしのための観音開き式の大型ドアが配置されている。

このように、貨物と人員輸送という平凡な任務に似合った単純な構造を持っているが、それがかえって使い勝手の良さに繋がり、旧ソ連・ロシアはもとより供給された東欧諸国、中東諸国などでも装甲兵員輸送車として使用されたり、指揮官用車両や各種支援車両(対空部隊や工兵等)のベースとして用いられる等、今日に至るまで広く使用されている。

特に装甲兵員輸送車として使用した際には、車体後面に乗降用ドアがあることが同じ装軌式装甲兵員輸送車であるBTR-50シリーズや、装輪式装甲兵員輸送車のBTR-60シリーズと比べても大変に都合が良かった(BTR-50、BTR-60の両シリーズとも車体後部に機関室があるため、搭乗歩兵の出入りは車体側面ハッチや車体上面から行った)。

本車の生産は現在は行われていないが少なくとも1970年代いっぱいまでは量産が続けられ、1980年代まで大量に輸出が継続されたと思われる。
国際紛争の現場では、今日も必ず顔を出す旧ソ連製AFVの1つである。
派生型としては、寒冷積雪地および沼地踏破用の超幅広履帯を備えたMT-LBVがある他、低空・短距離用対空ミサイル・システム9K35「ストレラ(矢)10」の自走発射機(9A34、9A35)に使われている。

object12
gt-l1526038910_thumb250_.jpg
別名装甲人員輸送車GT-Lとも呼ばれる。1954年4月2日のソ連大臣評議会及び1959年1月24日のソ連評議会で製作が決定された。この輸送車は兵員、負傷者、ライフルや銃及びその弾薬、重砲の運搬などを目的にした水陸両用車だった。開発を受け持ったのはアルトタイラー工場で、完成した試作車は1961年1月から3月まで実地テストなどを受けた。しかし結果はあまり良くなく結局は不採用になってしまった。

object19
large_181017_half_09.jpg
ソ連が1965年に試作したハーフトラック。現在は廃品同様で廃棄されている模様。

object21
gt_t.jpg
1950年代にソ連北部地域向けの全地形型砲兵トラクターとして設計された。軍隊、武器、弾薬、および他の軍事貨物を遠隔地の困難な地形上で運ぶことができる。1962年に少数生産、1963年から本格生産が始まった。軍だけでなく民間にも幅広く普及し、今でも活躍している。

object26
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2S3と並ぶソビエト連邦軍初の本格的な自走榴弾砲である。1960年代半ばに開発が始められ、1971年に配備が開始された。1974年のポーランドでの軍事パレードで初めて公式に公開され、西側諸国では確認された年から取って「M1974 SPG」の名称で呼ばれ、後に判明した軍の装備名[1]からSO-122の名称が与えられている。

機甲部隊に随伴して迅速に支援火力を与えることを主目的として開発され、水上浮航能力を初めとして高い機動性能を持つ車両となっている。反面、高度な射撃統制装置は持たず、主砲も牽引砲をほぼそのまま搭載したに等しいもので、最大射程、発射速度共に特に秀でた点はない。車体、砲塔共に幅が広い代わりに背の低いデザインは自走砲としては車内高が足りず、装填作業に支障がある上に砲が大きな仰角を取れないために長距離射程を確保できない、という問題点があったという。しかし、構造が単純で信頼性は高く、機甲部隊の支援火力を一挙に自走化する、という目的には充分なものであった。

1990年頃までに約1万両が生産され、ポーランドやブルガリアではライセンス生産が行われた他、本車をベースとした派生車両が開発されている。

ソビエト本国以外にも旧ワルシャワ条約機構諸国や中東諸国などに広く輸出されており、旧式化が進んでいるが未だに多数の国で現役である。

object32
D5g4heTWAAEzWk2.jpg
IMR-2の無線制御修正版。

object33
D5g4iQKWwAQ9D_X.jpg
T-72の車体に追加装甲(鉛)を施し、瓦礫等を除去する。

object49
gaz-49-011526038905_thumb_medium250_0.jpg
別名GAZ-49とも呼ばれる。object49は1958年秋にGAZ設計局によって開発された。歩兵を輸送する手段として(BTR-152Vの代わり)そして特殊車両用のベースシャーシとして開発された。全部で二つの試作車が製作され、1959年前半に実地試験に合格した。7.62mm AK-47アサルトライフル、RPG-7対戦車手榴弾発射装置、26mm信号ピストル、9つのF-1手榴弾を装備していた。実地試験にも合格し、このように重武装のはずなのになぜか不採用になってしまった。

100~199

object101
DnT9dotXsAI02uh.jpg
1949年に試作された水陸両用戦車。

object103
7ab5e64417387e640978ccc8f70bdde2.jpg
ソ連が計画していた重戦車。

object105
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別名SU-100Pと呼ばれている戦車。大祖国戦争で得た経験を元に、1947年からズヴェルドロフスクのウラル重機械製作工場(第9工場/UZTM)で開発が始まり1949年から1957年の間に合計24両が生産された。
開発名称はObject-105。プロトタイプは1949年に完成し1952年に試験を受け、数点の欠陥を指摘されるが試験自体は合格。1953年には欠陥を修正し、名称がSU-100PMとなる。1952年から限定的な任務に投入されていたとされる。

object108
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別名SU-152Gと呼ばれる車両。1948年12月31日に第9工場によって作られたSU-152Gは工場試験を受けるよう指示された。結果は良好なものだったが金属製ヒンジに欠陥があることが発覚した。工場試験の後、今度は州の試験を受けるよう指示され、SU-152GはSU-100PとSU-152Pと州の試験に参加することになった。結果はSU-152Gと共に州試験に参加したSU-100Pのシャーシに問題があることが発覚した。1955年6月まで基本的なシャーシの改良と発見された欠陥の除去は続き、その後SU-100PとSU-152Gはソビエト軍によって使用されるようになる。だがフルシチョフによってSU-152Gは数輌の試作車が作られただけで終わってしまった。

object111
f14900f996d46394bb619e55884e9992.jpg
別名T-111、T-46-5と呼ばれる車両。
1936年頃からソ連において、中戦車、重戦車の開発が本格的に始まるに至り、レニングラードのキーロフ第185工場で1938年4月に本車の試作品が製造された。
世界初の電気溶接による複合装甲が砲塔に使用され、45mm主砲(もしくは37mm)による高い攻撃力、30tクラスで最高60mmという重装甲でありながら、最高時速が辛うじて30km台であるなど、当時としては優秀な性能を誇った。
この時点で労農赤軍の主力中戦車であったT-26(T-26は軽戦車だが、当時のソ連の中戦車はT-28のような多砲塔戦車であり、第二次世界大戦中末期の中戦車とはニュアンスが異なると思われる)に代わる主力戦車として期待され、搭乗員は3人で、主砲の砲弾は121発収容可能であった。しかしこのように優秀な性能を持っていた一方で構造が複雑で量産に適さないとして、本車自体は試作の域を出ることは出来ず、生産はされていない。
本車の設計思想はその後のソ連の中戦車開発において重視され、また設計に携わったコーシュキン技師(後にT-34を製作)ら開発スタッフは顕彰されている。

object112
Object_112_in_the_Kubinka_Tank_Museum.jpg
1953年に開発を開始した兵員輸送車。

object115
latest?cb=20151124011200.jpg
T-28の改良、新型と思われる。詳細は不明。

object116
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別名SU-152Pと呼ばれる車両。上の写真はよくSU-100Pと間違えられるから気を付けよう。SU-100Pの主砲を152mmM-53に換装したもの。
ちなみにこれとは別にもう一つのobject116があったとされる。それがこの軽戦車である。
object_116_no_185-81760.jpg
こっちは本当に情報が無く一切合切が不明である。

object117
Object_117_in_the_Kubinka_Tank_Museum.jpg
object120の車体を流用した投光車と思われる。詳細は不明。

object119
DoCJ7kAXkAIMIsO.jpg
37mm機関砲2A11を2門搭載した対空自走砲。シルカと同時期に開発され、当初はどちらも採用される予定だったが最終的にZSU-23-4のみ採用された。

object120(SU-152 taran)
abzeLvE_700b.jpg
ソ連で制作されたSU-152"タラン"の設計段階での名称(大戦中のSU-152ではない)。
IT-1やラケーテンパンツァーのミサイルを超える射程を有していた。1957年5月8日に3000mの距離から西側の主力戦車を撃破できる性能を有した対戦車自走砲として開発が開始されたが1960年5月30日に125㎜滑腔砲の採用メドが立ったため開発が中止された。クビンカ戦車博物館にて展示中。

object123(2K11 Krug)
2P24_Krug_spb.jpg
1957年から開発が開始され、1964年5月のモスクワでの軍事パレードで存在が明らかになった。1965年には部隊配備が開始されている。

なお、2K11をもとに長射程の艦対空ミサイルを開発する計画があった。この長射程艦対空ミサイルはM-31と呼ばれ、原子力推進の1126型巡洋艦に搭載される計画であった。しかしながら、技術的に達成不可能な能力を要求されたために、1126型巡洋艦の計画は中止され、これに伴ってM-31の開発も中止された。

ソビエト/ロシアを始め大半の装備国より1990年代に段階的に退役したが、改良された型が2000年代でも一部の国で装備されている他、ロシアではミサイルを実弾標的に改装したものが9M316M Virazhの名称で訓練弾射撃システムとして現在でも用いられている。

object127
DpKwcagXgAEARj0.jpg
何両かにまとまった戦車を一気に破壊するために作られたミサイル戦車。射程は120㎞だった。

object135(T-34-85
AbaT34-85A2L.jpg
T-34の新型では砲塔を嵌め込む穴の径を1,425 mm から1,600 mm に広げ、より大きな砲塔を取り付けられるようにした。T-43の砲塔の設計をクラスノヤ・ソロモフ工場の V.ケリチェフ技師が急遽やり直して、T-34に合うようにした(Zaloga 1984:166)。こうして完成した新型のT-34-85は以前よりはるかに優れた砲を持ち、遂に無線付きの三人式の砲塔となった(無線機はそれまで車体の方にあった)。これにより車長は砲手や装填手の役割を兼務する事から解放され、戦車の指揮に集中できるようになった。また、もう一つ重要な点は、イギリスやポーランドで戦前に設計されたものをコピーしたヴィッカース 戦車用ペリスコープ MK.IV(戦車用の潜望鏡)が砲塔の屋根に取り付けられた事で、これにより車長は全方向の視野を得る事ができるようになった。
新型の戦車の生産が始まってからしばらくの間は生産の速度がいくらか低下した。T-34-85は依然としてパンター戦車には敵わなかったが、火力が増したことによりそれまでよりは戦いやすくなった。ソビエト側は最新型の武装を追い求めず、既存の設計を発展させるという決断をした。この事によって、ソビエトは性能の差が問題にならなくなる程の、大多数の戦車を製造する事が出来た。1944年5月、ドイツ国防軍は東部戦線で304輌のパンターを持っていただけであったのに対し、ソビエトは月産1,200輌というスピードでT-34-85の数を増やしていったのである。

object136(T-44
t44_31.jpg
別名〈T-44〉とも呼ばれる戦車。T-44(ロシア語:Т-44テー・ソーラク・チトィーリェ)は、第二次世界大戦末期に開発され、冷戦時代初期にかけてソ連軍で使用された中戦車である。設計は、A.モロゾフの指導の下、ウラル戦車工場設計局によって行われた。
 T-34設計の主任技師であるA・モロゾフは1943年3月、T-34の発展型であるT-43の試作を完成した。T-43はT-34/43年型と78.5%の部品を共有しながら、砲搭装甲を前面90mm、側面75mmに強化し、T-34で不評だった2名用砲塔を新型の3名用砲塔に変更した。装甲の強化で増えた重量の分、最大速度は48km/hに低下したが、サスペンションを従来のコイルスプリングを使ったクリスティー式ではなく、KV戦車と同じトーションバー式に変更された事により、走行性能もT-34以上の性能になった。しかし、主砲はT-34の物をそのまま流用していたため、1943年に一旦正式採用されることで内定したが、すでに陳腐化していた武装の新型戦車を正式採用することに異論が出たり、T-34の生産に支障が出る恐れがあることから、正式採用は見送られ、再設計が行われることになった。その代わりに、T-43の砲塔をベースに改良し85mm戦車砲D-5Tを載せ、T-34に載せかえることで武装を強化した戦車こそ、T-34-85である。
 モロゾフは車体を再設計し、車体は履帯の上にスポンソン(張り出し)を設けない完全な箱型とし、傾斜した前面装甲は90mmもの厚さになった。また、エンジンもT-34のV-2ディーゼルエンジンを改良したV-44を搭載した。エンジン出力も向上し、横置きにすることで車体もコンパクトにまとめられ、重量も31.8tに抑え込まれた。砲塔はT-43に似てはいるが前後に長く装甲も厚い新型となり、主砲は85mm戦車砲ZIS-S-53を搭載した。車重がT-34-85より軽量で、車高も低いこととから、機動力も良好で路上では最大50km/hを出すことができた。また車体前方機銃は固定式となり、前面装甲に空けられた穴から発砲され、これはT-54に受け継がれる。
 こうして完成した戦車は1943年7月、T-44として正式採用され、ドイツ軍から奪い返したハリコフ機関車工場で生産が行われた。大戦終了までに965輌が生産されたと言う。
 T-44は時代を先取りする優れた車体構造にもかかわらず、登場した時点ですぐに陳腐化するのが確実な85mm砲を装備していた。その為、登場と同時に武装強化型であるT-54の配備までの繋ぎに甘んじることを宿命づけられていた。しかし、以降のソ連軍の主力戦車の車体はT-44の発展型であり、戦車開発史上では非常に重要な位置を占める戦車である。また、ごく最近のロシア映画やヒストリカルイベントにも姿を現すことから、未だに稼動状態を保っている車両が残っているようである。

object137-1(T-54
latest?cb=20151124011934.jpg
別名〈T-54〉、T-54-1とも呼ばれる。 T-54(ロシア語:Т-54テー・ピヂスャート・チトィーリェ)は、ソビエト連邦で開発された中戦車である。1946年にソビエト連邦軍に「中戦車T-54」(«средний танк Т-54»)という制式名称でして採用され、1947年に量産型が完成した。当初はT-44Vと呼ばれたが、すぐにT-54に改称された。
 被弾を極力回避するための低い姿勢、避弾経始を突き詰めて生まれたドーム型砲塔、西側中戦車を大きく凌ぐ100ミリ砲といった西側の戦車技術水準をはるかに越えた設計と、圧倒的な生産量で東西冷戦初期の西側陣営を恐怖のどん底に陥れた画期的戦車である。ソ連軍のみならず東側主要国や第三世界諸国で供与・ライセンス生産が行われ、東西代理戦争の前線でも頻繁に姿を見かける兵器となった。
 しかし、俯角をとりづらく複雑な地形での死角が広くなり、人間工学を無視した無理な小型化は乗員の動きを阻害して戦闘行動に支障が発生。100ミリ砲も口径こそ大きいものの、実力は当時の西側主力戦車の90ミリ砲と同等レベル、おまけに照準能力の立ち遅れで(電子機器関係はこの後もソ連戦車の弱点になって行く)と第二次大戦時の教訓からあえて重視されなかったため長距離砲戦能力はほとんどないという有様であった。~ルノーFTの成功後、戦車開発が遅れたフランスのように第二世代のT-62が遠距離戦で完膚なきまでに叩きのめされて信用を失うまでこの欠点は改良されなかった。
 だが、最も驚異的なのはその生産数で、T-54/55シリーズの総生産数はなんと10万両以上である。これは、M4シャーマンシリーズの5万両弱、T-34シリーズの4万両弱といった記録をぶちぬいた、文句なく人類史上最多量産された戦車である。
1951(1953)年型は砲塔後部に残っていたショットトラップを引き起こす部分を無くし、完全なお椀型にしたものである。このお椀を逆さまに被せた様な砲塔形状は、これ以降の砲塔形状のベースになった(T-90や最新のT-14はちょっと違うが)。煙幕発生装置と照準器が新型の物に換装され、特に照準器は3.5~7倍までの望遠が可能になった。
なお、北朝鮮では未だ現役である。走る骨董品。

object138
latest?cb=20151124225400.jpg
SU-100の試作車。

object139
DF6Cl-xV0AAmcr8.jpg
T-54の近代化改修型。

object140
64a45d23e50613e7a9761e166a1725b8.jpg
Object 140はT-54の後継車両として開発された試作の中戦車である。
ニジニ・タギルにおいて1953年から1958年にかけて開発が続けられ、2両の試作車両が製造されたものの、Object 430が支持されていた為、本計画は中止になってしまった。

object141
latest?cb=20151124012306.jpg
object141の開発は1952年9月12日に開始された。1953年7月に実物大模型が完成したが、この戦車に搭載予定の100mm D-54戦車砲が完成せず1955年一月にやっとD-54のプロトタイプの試射が行われた。実際言ってしまうと本来の目的は新型砲であるD-54を戦車に実験的に搭載させることが目的でobject141の車体はT-54と変わらず変わっていることと言えば砲と砲を搭載する砲塔の僅かなサイズ変更だけだった。D-54は1000mで240mmの装甲を貫通することができた。このobject141は増加燃料タンクを追加する案が出たが、却下された。(試作はされた)object141はT-62に進化し、1970年まで生産された。

object142
0Xo1Oxu.jpg
object142は1958年秋に試作車両が一台試作された。搭載砲は100mm D-25TSを搭載し、装弾数は50発だったがこのobject142は砲弾の薬莢を排出する穴がなかった。(普通の戦車(例外あり)には砲塔側後面に薬莢を排出する穴がある。object142は車体後部に位置する580hp B-55エンジンによって最高速度50㎞を出すことが出来た。object142はエンジン部分などの電気系統はヒーターと燃料タンク以外はobject140の流用で、航続距離は500㎞だった。しかしT-55の改良型の生産に伴なりobject142の量産はキャンセルされ、試作に終わってしまった。

object148(T-14)
EAQbaW-XUAIJk3m.jpg
T-14(テー・チェティールナッツァチ、オブイェークト148、ロシア語: Т-14 Объект 148)とは、ロシアの戦車である。
ロシア連邦軍(以下ロシア軍)の次世代装甲戦闘車両シリーズ、「アルマータ」(Армата)共通戦闘プラットフォームを構成する車輛のひとつで、第4世代主力戦車に分類される(「第5世代主力戦車」とすることもある等諸説あり)。無人砲塔を採用し、乗員の生残性や市街戦を考慮した構造となっている。2015年モスクワ戦勝記念日パレードにおいて初めて公開された。2017-18年に量産を開始予定で、2020年までにロシア軍はT-14を2,300輌取得する計画である。近い将来遠隔操作が可能になるとされている。
なお、「アルマータ」とは前述のようにT-14をはじめとする装甲戦闘車両シリーズの総称なので、T-14自体を指す名称が「アルマータ」というわけではない点には注意が必要である。

object149(T-15)
p1728186_main.jpg
T-15 アルマータ (ロシア語: T-15 Армата)は、ロシア連邦の重歩兵戦闘車である。企業側の呼称は「オブイェークト149(Т-14 Объект 149)」で、最初に公開されたのはアラビノ演習場における2015年モスクワ戦勝日パレードのリハーサル中であり、当初砲塔は覆い隠されていた。
T-15はロシア連邦軍の次世代装甲戦闘車輛シリーズ、「アルマータ(Армата)」共通戦闘プラットフォームを利用した派生車輛のひとつで、ロシア陸軍の基礎プラットフォームであるBMP-2とMT-LBを更新することが予定されている[3]。

object150(IT-1)
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別名IT-1と呼ばれている戦車。IT-1(ロシア語:ИТ-1イーテー・アヂーン)は、ソビエト連邦軍の対戦車ミサイルを主武装とする駆逐戦車である。ロシア語では誘導式のミサイルでも「ロケット」と呼ぶため、「ロケット戦車」とも呼ばれる。
1960年代、誘導式のロケット兵器(ミサイル)の発達に従い、西側諸国では対戦車ミサイルを搭載した戦車駆逐車や、戦車の主砲からミサイルを発射できるガンランチャーシステムが開発されたが、ソビエト連邦でも同様のことが行われていた。
ガンランチャーシステムを用いた主砲を装備する砲塔を持つ車両が開発される一方、T-54/55などの戦車を用いた実験では、砲塔後部にラックを設けてロケット(ミサイル)ランチャーを外部装備する試験が行われていたが、より本格的なロケット搭載戦車であるIT-1は、専用に開発された3M7ドラコーン対戦車ロケットを主兵装とし、専用の砲塔に隠匿式に搭載した本格的な駆逐戦車である。

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これともう一つ別にT-150重戦車もobject150と呼ぶ。
KV-1からの派生試作車両の内のひとつ、KV-1の改良型で装甲やエンジンの強化の他各部を手直ししたもので、文献によっては本車がKV-3と呼称されている場合もある。
特にこの時期はソ連内でのスターリン独裁体制の為の権力闘争などもあって開発に混乱が生じており、火力支援戦車としてのKV-2や、ISへとの直接の関連性があるKV-1Sとその派生KV-85はKV-1から独立した車両として分類されているが、T-150やKV-220はKV-1がベースとなっており、その混乱期に試行錯誤された車両として文献ではKV-1の試作派生車両として取り扱われている。
WoTではKV-1に85㎜砲を乗せたりT-150に(史実の)KV-220の砲塔を搭載したり、KV-220をイレギュラーなタイプの76mm砲仕様にしたりと、史実の計画と異なる所が多いため、本来計画された車両とは異なっている点で注意が必要である。

object152
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アルマータファミリーの内の一つの重装甲回収車両。2019年に4つのユニットが注文された。

object155(T-55)
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T-55は、ソビエト連邦で開発された中戦車である。戦後第一世代の主力戦車とも分類される。
史上最も生産台数が多い戦車といわれており、ほぼ同じ形状のT-54も含めると、その数は10万輌を超えるといわれている。1958年に登場し、1970年代後半まで生産された。冷戦時代に他国へ供与・輸出された数も多く、未だに多くの国で使用されている。T-54とひとまとめにされてT-54/55と表記されることも多い。ハリコフ設計局により作られたT-44をベースに、100mm砲を無理なく搭載できる新型砲塔を装備したものがT-54である。
試作に終わったT-43以来の大直径転輪+トーションバーサスペンションの足回りと、前作T-44同様の車体上部とシャシが一体の箱型車体を持つ。1946年に完成した試作車の砲塔はそろばんの弾がゆがんだような形状で、砲塔下部に被弾すると弱い砲塔リングや車体上部に命中弾を導く「ショットトラップ」となる点が問題だった。
先行生産型の1948年型では砲塔が大きくなり、後の量産型のようなお椀形に近づいたが、まだ後部にせり上がったショットトラップを残していた。1950年型よりよく知られる量産型の砲塔となり、以後T-55A、B、M(以上、NATOでの分類)と改良され、主力戦車の座についた。

object160
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PT-76を基にしたミサイルシステム。3R9ミサイルを搭載し、最大射程は45㎞だった。10ktの核弾頭を搭載したタイプもあり、どちらともPT-76をシャシーにしている為水陸両用が可能だった。
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ガスマスクをしている乗員が見える他弾頭が少し膨らんでいるのも見える。

object165(T-62A
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50年代のソ連中戦車の主砲は100mm砲であったが、西側でロイヤルオードナンスL7が広まり始めると、それに対抗できる新型砲の開発が始まった。まず100mmD-54が開発されたが、問題点が多かったためさらに改設計されて115mmU-5TS滑腔砲として完成した。
 一方、ウラル車両工場のOKB-520設計局で、L.N.カルツェフ技師が新型戦車案となるオブイェークト140(D-54TS砲搭載)を設計していた。これは複雑すぎるとして却下されたが、その砲塔を改良しT-55を延長した車体に乗せたオブイェークト165、主砲を115mm滑腔砲に換装したオブイェークト166を完成させた。
 60年代初め、「アメリカの新型戦車(M60)はロイヤルオードナンスL7を搭載する」「イギリスは120mm砲搭載の新型戦車(後のチーフテン)を開発している」という情報が入ってくると、115mm砲搭載の戦車がすぐに求められることになった。しかし本命だったオブイェークト430に対核生存性などの改良が必要とされたため、すでに完成していたオブイェークト166を採用し、T-62と命名した。
このときオブイェークト165もごく少数がT-62Aとして配備された。ゲーム中に登場するのはこの車両である。
NATOコードネームではT-62の機銃が追加された後期型をT-62Aとしているが、実際は別の車両である
なお余談ではあるがロシア軍からは2013年に全車退役が決定された。そのためロシアでは本車を見ることはできない(スクラップ状態では保管されている可能性あり)。しかし北朝鮮の軍事パレードでは動く本車を見ることができる。(北朝鮮では天馬号/天馬虎(チョンマホ)と呼ばれている)

object166(T-62)
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1950年代に入るとソ連は新型対戦車砲の滑腔砲、及びその砲で使用する新型砲弾APFSDS(APDS-FS)の開発を始めた。滑腔砲、APFSDSの双方の開発は順調に進み、T-55にこのシステムを搭載した改良型の開発計画が建てられた。
もともとはT-55の改良したものに搭載する予定だったが後に変更され車体から設計しなおし1957年には最初の試作車である、100mmライフル砲を備えた「Obj165」が完成。1961年にはU-5TS 115mm滑腔砲を搭載した試作車「Obj166」が完成した。この車両は正式名称T-62として量産に入ることが決定。そして「対独戦勝20周年祝典パレード」で始めて公開された。それがこの車両である。
T-62はT-54/55ほど世界に広く供与されることは無かったが初期は「カタログスペック上」コストパフォーマンスや性能面で高かったため世界に輸出された。1970年代末には生産終了し、T-72に主力戦車の座を譲っているが、一部の国では近代改修を施され今でも現役である。
なおあくまで基本はT-54/55の思想を受け継いでいたため遠距離戦がすこぶる弱く、当時光学機器が高度に発達し始めていたのも相まって実戦での評価はあまり良くなかった...

object167
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ソ連軍機甲局は、期待通りに開発作業の進まないT-64戦車の行く末に大きな不安を感じていた。
ソ連軍の次期MBT(後のT-64戦車シリーズ)の開発チームには、第2次世界大戦以来の伝統ある中戦車設計局=A.A.モロゾフ技師率いるハリコフのV.A.マールィシェフ工場の第60設計局を選定していたのに対し、一種の保険としてL.N.カルツェフ技師率いるニジニ・タギルのウラル貨車工場(UVZ)の第520設計局に1961年頃、T-62中戦車のさらなる改造による新型MBTの試作を発注した。
第520設計局は早くも1957年に、次期MBT開発を巡る第60設計局の対抗馬として滑腔砲搭載試作MBTオブイェークト140の開発を手掛け、その後もT-55中戦車を改修した暫定的な滑腔砲搭載MBTであるT-62中戦車の開発を担当してきた実績があったのである。
第520設計局はT-62中戦車の基本車体を用いながら足周りとエンジン、動力伝達機構等の改変を行った新型MBTの設計を開始し、1963年までに少なくとも3種類の車両が試作された。
1961年に製作された最初の試作車であるオブイェークト167は、砲塔や基本車体はT-62中戦車と同一であったが足周りに大幅な変更が加えられていた。
オブイェークト167の足周りは従来のソ連軍中戦車に用いられてきた片側5個の大直径転輪に代えて、後にT-72戦車シリーズに採用される片側6個のアルミニウム製中直径転輪と、片側3個の上部支持輪を組み合わせたものが採用されていた。
履帯はT-55中戦車やT-62中戦車と同じドライピン連結式のものが用いられており、エンジンは大戦中のT-34中戦車以降名を上げたV型ディーゼル・エンジンの出力向上型である、V-26 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力700hp)を搭載していた。
全体として、既存の技術に裏付けられた堅実な設計であるといえた。
続いて1961年に製作されたのが、オブイェークト167の砲塔後部に9M14「マリュートカ」(赤ん坊)対戦車ミサイルの発射機を3基装備したオブイェークト167sPTURである。
さらに1963年には、オブイェークト167にガスタービン・エンジンを搭載したオブイェークト167T(別名:オブイェークト167sGTD)が試作された。
搭載されたエンジンはGTD-3T(GTD-800とする資料もある)ガスタービン・エンジンで、出力800hpを発揮した。
その他の諸元は、オブイェークト167と変わるところは無い。
しかしオブイェークト167シリーズはソ連軍機甲局を満足させるものではなく、T-72戦車シリーズに至るまでの習作の域に留まった。

object172(T-72)
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本車の開発は1967年にスタートしたが、始まるに至った原因は、当時ソ連が配備を進めていたT-64がある。T-64はソ連が威信をかけて開発したMBTで、自動装填装置や大口径で強力な125mm砲、ディーゼルエンジンや複合装甲といった革新的な装備を持ってデビューし、その登場は西側に大きなショックを与えた。しかし、決していい所だらけの戦車とは言えず、初期型は装填装置による乗員の死亡事故を引き起こし、それを改良したT-64Aをもってしても整備性の悪さは付きまとい、最大の欠点として高いコストという問題を抱えていた。その為、T-64の配備は中々進まず、T-62やT-55といった旧式戦車の置き換えも十分に行えずにいた。
そこでソ連は、T-64より信頼性が高くコストも低い車両を作るべく、T-64をベースにObject172を制作した。このObject172は2種類が制作されており、一つは車体はT-64だが自動装填装置を6ETs15"カセートカ"に変更し、エンジンもV-45(780hp)に換装した車両(エンジン冷却装置はT-64のもの)。もう一つは、Object167の足回りを流用しているが冷却装置を別のものに変更した車両である(エンジンはV-45)。後者は愛称として"ウラル"という名を与えられ、1968年にクビンカ試験場で試験が開始され、1年後には砂漠地帯でも試験を実施した。試験結果には問題ないとされたが、エンジンのパワー不足が問題化したため、エンジンを新型のV-46に換装した。そして、このV-46エンジンを搭載した量産型としてObject172Mが製造され、1970年にザバイカルで寒冷地試験を実施し満足な結果を残した。
Object172Mは試験だけではなく、実際に運用する部隊からも歓迎され、1973年には遂に"T-72"として制式採用された。

object176(T-72A)
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登場当初こそ強力な射撃装置を持っていたT-72だったが、西側も新たなFCSを備えたMBTを次々に登場させ、ソ連としてもこれを黙って見過ごすわけにはいかなかった。そこで、T-72に新型レンジファインダーを搭載したObject176を試作し、結果が良好だったためこれを"T-72A"として制式採用した。量産開始は1979年。外見上の違いとして、ステレオ式測距儀を装備していないため、砲塔上面左右の測距儀の出っ張りが無くなっている。主砲も2A26M2ではなく、2A46に変更しており、搭載弾薬数も44発までになった。砲手用夜間サイト(TPN-3-49)や操縦手用夜間装置(TVNB-4)の更新もされている。1982年からはスタビライザーも新型に換装している。
基本的に車体などは"ウラル1"と同様ではあるが、展開式エラ型補助装甲を廃し合成ゴム製のサイドスカートを当初から装備している。また、従来のソ連戦車同様に煙幕発生装置(エンジンの排気と燃料を混ぜて煙幕を発生させる)は残しつつ、後期生産型からは発煙弾発射機(902A)を装備し始めた。エンジンもB-46-6に換装している。
製造期間は1979年から1985年の6年間で、主にワルシャワ条約機構加盟国に駐在するソ連戦車師団に配備された。
T-72Aの派生型
T-72AK 指揮官向け。偵察機能を付与した他、指揮系通信機や通信アンテナの増設等を行った。電源装置装備。
T-72M 輸出向け。
T-72M1 輸出向け。
T-72M1M 輸出向け。T-72M1を更に近代化した。
T-72AV 爆発反応装甲を装備したT-72A。

object183(BMP-T)
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BMP-Tは、第一次チェチェン紛争の戦訓から、戦車に随伴して敵歩兵による対戦車攻撃から戦車を援護するための車両として開発され、旧式化に伴って予備兵器とされたT-72の車体を流用して砲塔を換装し、幾つかの装備を追加したものである。
機関砲および機銃による制圧射撃のほか、自動擲弾発射機を用いた近接制圧によって敵歩兵を掃討し、堅固な建造物や掩蔽陣地に立て篭もる敵に対しては誘導ミサイルによる長距離からの正確な攻撃を可能としている。なお、車体内に歩兵を収容する能力はなく、「装甲兵員輸送車」もしくは「歩兵戦闘車」としての運用は不可能である。
ロシア連邦軍では機甲部隊にT-90と混成して装備する主力戦闘車両の一つとして、2005年から配備を開始した。
当初、ロシアも批准している「ヨーロッパ通常戦力条約」により、BMP-Tの予定数調達は不可能とされたが、ロシア国防省は「BMP-Tは戦車でも兵員輸送車でもなく、条約締結の時点で存在しなかった新カテゴリの兵器なので、同条約には規定されず、報告の義務も保有数の制限も無い」として予定通りの数を装備することを公言していた。しかし、ロシア連邦軍の機甲装備に対する方針の変化と予算面の問題から、2010年をもって調達は終了した。
その後、砲塔や車体の設計に改正を加えた同コンセプトの後継車両が開発されており、兵器操作の自動化をさらに進め、乗員が5名から3名に削減され、車体重量を47tから44tに軽量化された"BMPT-72 Terminator 2"の名称で発表されている。さらに、アルマータの車体を利用した"Terminator 3"を開発中である。

object184(T-72B)
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1978年に125mm滑腔砲の砲腔内から発射するレーザー誘導式対戦車ミサイル・システムを持つT-80B戦車が出現した後、T-72戦車に同じミサイルの運用能力を与える計画が提起された。
最初の試作車は「オブイェークト182」と呼ばれたが、エンジンを出力向上型のV-84ディーゼル・エンジン(出力840hp)に換装した試作車は「オブイェークト184」と名称が変更された。
試験の結果が良好だったため、オブイェークト184は「T-72B」の名称でソ連軍に制式採用されることになり、1985年から部隊配備が開始された。
T-72B戦車は主砲が新型の51口径125mm滑腔砲2A46Mに換装され、主砲の砲腔内から対戦車ミサイルを発射できるようになった。
125mm滑腔砲より発射される対戦車ミサイルは9M119「レフレークス」(反射)または改良型の9M119M「レフレークスM」で、最大有効射程は9M119が4,000m、9M119Mが5,000m、成形炸薬による装甲穿孔力は700~750mmに達し、今日でもロシア兵器輸出公団は「M1エイブラムズ戦車を撃破できる」と豪語している。
対戦車ミサイルはレーザー測遠機兼誘導装置1K13-49により、目標まで半自動で誘導される。
またこのミサイルは車両だけでなく、対ヘリコプター用にも有効であるとされている。
このように良いこと尽くめのような対戦車ミサイル・システムだが、9M119対戦車ミサイルの輸出価格は1発45,000ドルと高額で、30発分の金額でT-72戦車の輸出型1両が購入できる計算になる。
ロシア製兵器としては高価なものだが、一応本国軍のT-72B戦車等は1両当たり4発の9M119対戦車ミサイルを搭載することにはなっている。
T-72B戦車は装甲防御力についても強化が図られており、車体前面には20mm厚の増加装甲板が追加され、砲塔前半部の複合装甲は厚みが顕著に増加している。
この装甲防御力の強化に伴って重量が増加したため、T-72B戦車は出力向上型のV-84-1ディーゼル・エンジン(出力840hp)を搭載するようになり機動力の維持を図っている。
またT-72B戦車は、予算不足のために対戦車ミサイル・システム関連機器を搭載しない本国軍向け廉価版タイプも並行生産されており、こちらは「T-72B1」と称する。

object187
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ソビエトの謎多き中戦車。1980年代から1990年代に実験的に試作された戦車。このプロジェクトは当時は機密だったがために情報が少ない。object187はobject188/T-90と平行に開発されていた。改良されたT-72の砲塔を備え、車体は新しく設計された。車高が低く操縦手の座席は低くなり、光学装置等は砲塔天板に取り付けられていた。搭載砲は125mm 2A66滑空砲、同軸機銃に7.62mmPKT機銃を、砲塔天板に12.7mm NSVT重機関銃を装備していた。砲塔、車体に、爆発反応装甲を備え、様々な改良の末、object187は物理的最大装甲950mmに達していた。しかし、この戦車に載っている125mm 2A66滑空砲はT-90などに載っている2A46と弾の互換性がなく、2A46の弾を使えなかったので結局不採用となった。

object188(T-90)
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1980年代半ばのソ連軍は高性能だが製造・運用コストの高いT-80戦車シリーズと、性能的にやや劣るがよりコストの安いT-72戦車シリーズの2系統のMBTをハイ・ロー・ミックスで運用していたが、当時のソ連政府は深刻な財政難に陥っており、このまま2系統のMBTを運用し続けるのは非効率であるということで、これをT-72戦車の改良型で一本化しようという構想が浮上した。
そしてソ連閣僚会議は1986年6月19日に、T-72戦車シリーズの開発元であるニジニ・タギルのウラル貨車工場(UVZ)の第520設計局に対して、T-72戦車の性能を大幅に向上させる改良型を開発するよう命じた。
そこで第520設計局は当時のT-72戦車最新型であるT-72B戦車(オブイェークト184)をベースに、2種類の改良型を並行して開発を進めることにした。
その1つはT-72戦車の基本設計を大幅に変更して、T-80戦車の最新型であるT-80U戦車と同等の性能に引き上げることを目指した「オブイェークト187」と呼ばれる大規模改良型で、もう1つはT-72戦車の基本設計には手を加えず、FCS(射撃統制システム)の新型化やERA(爆発反応装甲)の装着によって性能向上を図ろうという簡易改良型の「オブイェークト188」である。
オブイェークト187は従来のソ連製MBTに採用されてきた半球形の一体鋳造の砲塔に代えて、西側MBTのような角張った溶接製の「ウラジーミル」と呼ばれる新型砲塔を採用しており(設計主任のウラジーミル・ポトキン技師に因む)、従来のT-72戦車シリーズに比べて大幅に防御力が強化されていた。
さらに砲塔前面には、T-80U戦車に用いられている「コンタークト5」ERAよりも新しい「レリークト」ERAがびっしり装着されていた上、新開発の「シトーラ1」アクティブ防御システムも装備していた。
またオブイェークト187には、新開発のA-85-2 X型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力1,200hp)を搭載することが予定されており、機動力もT-80U戦車と同等に向上していた。
このようにオブイェークト187は従来のT-72戦車シリーズに比べて大幅に性能が向上していたが、それに比例して製造コストも高騰してしまった。
当時ゴルバチョフ政権下で軍事費が大幅に削減されつつあったことに加え、1991年末にはソ連そのものが崩壊してしまったため、結局オブイェークト187は試作のみに終わりロシア軍には採用されなかった。
一方、簡易改良型のオブイェークト188はT-72戦車の基本設計はそのままに、T-80U戦車の1A45 FCSの改良型である1A45T FCS、「コンタークト5」ERA、「シトーラ1」アクティブ防御システム等を導入したもので、総合性能ではオブイェークト187に及ばないものの、そこそこ高性能で製造コストも比較的安いのが特長であった。
最終的にオブイェークト188はこの製造コストの安さが評価され、ソ連末期の1991年3月に「T-90主力戦車」(Osnovnoy Tank T-90)としてソ連軍に制式採用される運びとなった。
その後同年12月にソ連が崩壊したことで本車の採用は一旦宙に浮いた形となったが、1992年10月5日にあらためてT-90戦車をロシア軍の制式装備として採用することが決定され、同年9月30日には最初の生産型が工場をロールアウトしている。

object195(T-95)
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この戦車はソ連が試作していた中戦車で2010年5月にキャンセルされるまでその全貌は明らかにされなかった。この戦車の存在は1995年に最初に報告され2000年にロシアの公式サイトにてその存在を示唆する内容が発表され、2009年には採用されロシア軍に入ることになっていたが、繰り返し延期され結局はキャンセルされてしまった。

object199(BMP-T72 terminator2)
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このBMP-T72 terminator2歩兵支援戦闘車は2013年9月、ロシアにて行われたRussian Arms Expo 2013の展示会で発表された。BMP-Tの後継として作られた戦闘車で、見た目にこれと言った差異はない。前任者と同じようにT-72の車体を基にしており擲弾発射装置や対戦車兵器などを使用して敵の抑制などを行うことが出来た。

200~299

object209
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民間向けに再設計されたBTR-50。

object210
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北方艦隊用に設計されたBTR-50。

object211(T-50-2)
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1941年初頭、歩兵支援戦車として開発されたT-50が量産準備に入る一方、KV重戦車を開発したコーチン技師も加わりその改良型の設計が開始された。それがT-50バリアント2(T-50-2)である。T-50-2は装甲の傾斜が減少してよりKV-1重戦車に近い外見となり、装甲の増加や変速・操向装置の改良などが行われた。主砲は45mm 20Kのままだったが、同軸機銃が連装となっていた。
T-50-2は試作車が完成した段階で独ソ戦が勃発して開発は中断、制式採用されなかった。

object211
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gtd-350タービンエンジンを搭載したbtr-50。

object211
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1940年に始まったT-26の代替戦車のプロジェクト。2つの計画案が出され、一つは鋳造装甲に45mm戦車砲を備えたタイプ。もう一つはDT機関銃3丁を備えたタイプ。だが両車とも重量が重すぎるためT-26の後継はT-50となった。

object211,212,220
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T-10に基づく地雷除去車両。テストは1959年から始まり1963年にT-10の生産が終了するまで続けられた。

object212
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SMKをベースに密閉戦闘室を設け、152mm BR-2や203mm B-4を搭載した自走砲。直接支援射撃を考慮しており戦車並みの装甲を有していた。計画のみ。

object216(2S7)
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1967年12月から射程距離が25km以上の自走砲として開発が開始され、1975年に部隊配備が始まった。
2S7ピオンの搭載する2A44カノン砲は、射程距離は通常弾(ZOF-40榴弾)使用の時最大で37.5 km、RAP弾(ロケット推進弾)(主にZOF-43榴弾)使用の時47.5~55.5 kmで、この距離は野砲の中では最大級である。この長大な射程距離を生かして敵を射程外から攻撃出来るうえ、敵が攻撃に気づく前に移動の準備をすることも出来る。砲口初速は最大960m/s、砲身寿命は約450発である。
車内には4発の砲弾しか搭載されていない。弾薬輸送にあたり専用に開発された給弾車はなく、随行するトラックなどが輸送する。
通常の榴弾の他にもクラスター弾、対コンクリート砲弾、化学砲弾も発射可能である。計画通り核砲弾も発射可能で原子砲の役割も果たすことが出来る。また、与圧式NBC防護装置を搭載しており、NBC汚染環境下でも行動は可能だが、砲撃準備は外で作業しなければならないため、汚染環境下での操砲は不可能である。
1,000門超が生産され、各国において現役で使用されている。

object217
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フィンランドとの冬戦争で損害をだした歩兵隊の輸送(ソリに乗せて牽引)と火力支援用の軽戦車。移動中は背面カバーを開いて運転し、戦闘中はカバーを閉じて2名が寝そべって機関銃を撃つ。開発中に冬戦争が終わり、量産されず。

object218
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車体前端に立てたアンテナから誘導電流を発振し、前方の地雷を爆破処理する装置。1940年2月にT-28を用いて試験が行われ、良好な結果を示したが大祖国戦争の開戦により開発中止。

object219(T-80)
object-219-1.jpg
精鋭部隊を中心に配備されたT-64は期待に反して欠陥が多かったため、これを改良発展した戦車としてT-80が開発された。そのため、普及型戦車であるT-72とは別に開発された車輌である。
T-80の開発は、T-64にガスタービンエンジンを搭載したSKB-2の開発から始まった。レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のキーロフ工場で開発されたSKB-2は、改修を経てT-80として量産され1976年にソビエト連邦軍に採用された。

object219 sp1
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1969年にキーロフ工場で試作されたタービンエンジンを備えたT-64。

object220(KV-220)
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別名KV-220とも呼ばれる。開戦前、ソ連は独軍戦車を実際より装甲火力ともに強化されていると誤認し、重戦車の強化を図った。
まず完成したのがT-150である。T-150はKV-1の装甲を75㎜から90㎜に強化し車長用キューポラを設けたもので、1940年12月に試作車が完成し翌41年1月15日~2月14日にかけて試験が行われたがエンジンの信頼性や車載機銃の使いにくさを指摘され不満足な結果のまま終わった。
しかし計画が中止されたわけではなく改良型のKV-3(オブイェークト222)も試作された。
そしてT-150と同時に開発が始まったのがこのKV-220(KV-4/オブイェークト220)である。KV-220は85㎜戦車砲F-30を搭載し車体装甲を全周100㎜に強化、砲塔上に対空機銃塔を搭載したものである。
KV-220は予定より数か月遅れの1941年1月中旬に走行試験を行った(この時工場試験はスキップされていた)がエンジンが故障し3月に計画が中止された。
計画が中止されたKV-220であるが試作車は新型のエンジンや転輪の試験に使われ、レニングラードのキーロフ工場で独ソ戦の開戦を迎えた。
キーロフ工場は人員などの疎開が行われたが計画が中止されたKV-220は疎開の対象外であり包囲下のレニングラードに取り残された。そこで試作車2輌にF-32を装備したKV-1の砲塔を搭載し試作車1号(KV-220-1)は1941年10月5日、2号車(KV-220-2)は16日に第124戦車旅団に配備され、ドイツ軍への反撃に使用された。1号車がどうなったかは不明だが2号車は12月に撃破されてしまった。通常炎上撃破された戦車は回収されないのだが緊急時ということで回収され(第124戦車旅団は最終的に17輌を回収した)、1942年冬に修理されたのちに1944年まで乗員訓練に使われた。
なお、本来搭載する予定だった85㎜砲塔は第22カレリア要塞地帯に「85㎜砲装備装甲火点(KV)『勝利』」と名付けられて設置された。

object222(KV-220 Beta-Test)
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KV-220にKV-1の砲塔を載せたもの。詳細は不明。

object223(KV-3)
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別名KV-3とも呼ばれる戦車。1940年春に行われた、ナチスドイツによるフランス・低地諸国攻撃とそれらの迅速な占領は、その年の初頭にフィンランド相手に大打撃を受け、スターリンの粛清による戦闘能力低下を痛感していたソ連に大きなショックを与えた。
こうした状況下で、ドイツ軍が重装甲のルノーB1を保有するフランス軍相手に勝利できたのはそれ以上の重装甲、高火力を有する戦車を保有しているためであるという観測に基づき、当時量産が軌道に乗りつつあったKV-1重戦車の改良が開始された。計画車両の呼称はObject-222である。
この改良は最大90mmへの装甲増厚、司令塔をもつ新型砲塔、エンジン馬力の向上、武装の76mm ZiS-5への強化などを含み、1941年春に制式化されてKV-3となり、KV-1にかわって生産される予定であったが、ドイツの侵攻により置き換えは中止された。しかしKV-3で計画されていた改良のうち、装甲の強化と76mm ZiS-5の搭載はKV-1に反映された。このとき試作されたKV-3は実戦に投入されたようである。
ところが同時期、もう一つのKV-3が開発されつつあった。
当時赤軍中央砲兵局総監のI.クリーク元帥は断片的な情報をもとにドイツ戦車の武装と装甲をさらに過大評価し、ドイツ戦車の武装が100mm以上の口径を持つ主砲に換装され、装甲も当時開発中だった57mm Zis-2(57mm Zis-4の原型)や76mm F-32では貫通不可能なレベルに強化されていると主張した。(実際には4号戦車の後継として当時まだ開発中だったVK 30.01 (H)やVK 30.01 (P)ですら主砲は7.5cm KwK37 L/24または10.5cm KwK42 L/28を搭載予定という段階で、10.5cm KwK42 L/28を搭載した砲塔は結局試作すらされなかった。さらに装甲は最大でも垂直50mmで、上述した火砲でも十分貫通可能だった。)
そしてそのようなドイツ戦車に対抗するためには、より高威力な107mm ZiS-6の開発を最優先で進め、装甲も強化した新型戦車を開発するべきだと主張したのである。
彼のこのような主張に対し、さらなる新型火砲の優先開発はいたずらに開発・生産現場の混乱を招き、次第に雲行きが怪しくなっていたドイツとの戦争に備えることができなくなる、現状の火砲より強力なものが必要ならば既存の高射砲を改造する85mm砲で十分である、と軍人や産業界は反発し、1941年初頭に論争が繰り広げられたが、スターリンに取り入ったクリーク元帥の主張が通り、107mm F-39を搭載し、より強固な防御力をもつ戦車の開発が開始されるとともに、107mm ZiS-6の開発を最優先とし、前述の2火砲とその砲弾の開発を抑制するという重大な決定がなされた。
Object-220(あるいはKV-220)と呼ばれたこの戦車は、KV-2の大型砲塔を縦に縮め、キューポラを取り付けたような砲塔に、107mm ZiS-6を搭載することを予定していた。装甲は最大100mmで、62.7tに達した重量を支える850馬力のエンジンを搭載するために車体はKVから延長されていた。しかし41年春に試作車が完成した時点では107mm ZiS-6の開発が完了していなかったため、高射砲を改造した85mm F-30が搭載された。なお、武装に関しては当初より85mm F-30を搭載予定であり、途中107mm ZiS-6搭載が検討されたが最終的に元に戻ったとする説も存在する。
さらに砲塔をより傾斜したものに変更したObject-223と呼ばれる案も検討された。このObject-223をKV-3と呼ぶ場合もあり、ゲームに登場する改良型砲塔はこちらである。
このほか、独ソ戦前にはこれを上回る陸上戦艦のような超重戦車(KV-5など)もいくつか計画されていた。しかし、ドイツの侵攻により彼らの戦車が喧伝されていたようなものでないことも判明し、Object-220とObject-223の開発は中止された。85mm F-30を搭載したObject-220の試作車は、レニングラード攻防戦に投入されて失われたようである。
107mm ZiS-6やKV-3を含む超重戦車の開発作業を他のものより優先させるという決定は、生産がまだ十分軌道に乗っておらず、量産・運用により判明した不具合を改良していく必要があったKV-1やT-34の生産と改良、さらにそれらに搭載される予定の57mm Zis-2や76mm F-32、76mm F-34の開発、生産を遅延させた。
そしてその遅延は、ドイツによる侵攻時に重大な問題となって赤軍戦車隊にのしかかった。まず戦車の生産量自体が十分ではなく、加えて予備部品や弾薬の備蓄も不十分で、一説によれば開戦時、76.2mm砲用の弾薬は必要量の12%程度しか存在しなかったという。そのため砲弾をごく少数のみ搭載、あるいは搭載せずに出撃し、対戦車砲を踏みつぶして回っていた戦車も存在した。
しかし一方で、長砲身85mm砲を搭載し、車体・砲塔とも100mmの装甲厚、砲塔にはキューポラ付きという性能は、翌年秋に戦場に登場するティーガーIとほぼ同等であり、同時期のドイツ軍がVK3001(H)やVK3001(P)を開発していたのと比較すれば、Object-220やObject-223はそれなりに強力で先進的な戦車であったことは否定できない。戦争遂行のため既存の戦車の量産と必要最低限の改良に注力し、戦前に開発されていた計画戦車の大半を中止したことは、1年後の「ティーガーショック」をより酷いものにすることにもなった。

object224(KV-4)
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別名KV-4とも呼ばれる。数あるKV-4の計画の中の一つである。ドイツ軍がフランスを占領した1940年5月の戦いののち、当時赤軍中央砲兵局総監のI.クリーク元帥は断片的な情報をもとにドイツ戦車の武装と装甲を過剰に評価し、現在生産中のKV-1やT-34を上回る強力な火力と装甲を有する戦車が必要であると主張した。彼の主張は反対派を押しのけてスターリンに採用され、107mm砲を搭載するKV-3の開発が開始されたが、その裏ではさらなる超重戦車の開発が計画されていた。それがKV-4とKV-5である。
多くの戦車関係者は、仮に実用化したとしても、この戦車の運用が極めて困難であることを認識していた。それ以前に開発されていた55t~60t級の多砲塔重戦車であるSMKとT-100ですら、1939年から1940年のフィンランドとの冬戦争において運用に大変な困難を生じていたのである。その2倍弱の重量を持つ怪物戦車を、KV-1すら移動が困難なソ連のインフラで運用するのは無理な相談だった。
このような形で設計案が提出されたKV-4とKV-5だったが、1941年6月に独ソ戦が始まり、それに伴って設計局や工場がウラルに疎開する中で、ドイツ軍の保有する戦車が喧伝されていたほど強力ではなかったこともあり、現有戦車の生産・改良が最優先で行われることとなったため、1941年8月までに、二つの超重戦車は試作すらされずに開発が中止された。

object225(KV-5)
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別名KV-5とも呼ばれる戦車。ドイツ軍がフランスを占領した1940年5月の戦いののち、当時赤軍中央砲兵局総監のI.クリーク元帥は断片的な情報をもとにドイツ戦車の武装と装甲を過剰に評価し、現在生産中のKV-1やT-34を上回る強力な火力と装甲を有する戦車が必要であると主張した。彼の主張は反対派を押しのけてスターリンに採用され、107mm砲を搭載するKV-3の開発が開始されたが、その裏ではさらなる超重戦車の開発が計画されていた。それがKV-4とKV-5である。
KV-4とKV-5はいずれも107mm砲F-39(107mm ZiS-6の車載型)を装備する点では同一だったが、KV-4が最大装甲厚130mm程度を想定していたのに対し、KV-5はKV-4より大型の車体を持ち、最大装甲厚は180mmに達する予定だった。
この二つの戦車に対しては第2特別設計局から22もの設計案が提案されたが、ゲーム中に登場するKV-5に近いものはM.ツェイツ技師が設計したものである。
このプランでは巨大な砲塔に107mm砲F-39を搭載し、車体銃塔と車体前面、そして砲塔上部銃塔にそれぞれ機関銃を装備していた。砲塔はそれだけで人の背の高さほどもある非常に巨大なもので、その周囲と砲塔直下の車体に弾薬を収納していた。装甲は車体前面で170mm、砲塔前面で180mmに達し、側面ですら150mmが確保されていた。その巨大な砲と重厚な車体によって、重量は100tの大台に乗っていた。エンジンなどの詳細は不明であるが、この大重量を支えるため、おおよそ1200馬力が想定されており、転輪は片側8個だった。
多くの戦車関係者は、仮に実用化したとしても、この戦車の運用が極めて困難であることを認識していた。それ以前に開発されていた55t~60t級の多砲塔重戦車であるSMKとT-100ですら、1939年から1940年のフィンランドとの冬戦争において運用に大変な困難を生じていたのである。その2倍弱の重量を持つ怪物戦車を、KV-1すら移動が困難なソ連のインフラで運用するのは無理な相談だった。
このような形で設計案が提出されたKV-4とKV-5だったが、1941年6月に独ソ戦が始まり、それに伴って設計局や工場がウラルに疎開する中で、ドイツ軍の保有する戦車が喧伝されていたほど強力ではなかったこともあり、現有戦車の生産・改良が最優先で行われることとなったため、1941年8月までに、二つの超重戦車は試作すらされずに開発が中止された。

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DsXswxtUcAE3oax.jpg
KV-5とは別にもう一つのobject225があった。
将来の戦車に関する作業の中間段階に関する別の検討は、1972年5月25日、ソ連国防産業省とソ連のズヴェレフ国防産業大臣で行われた。新戦車object225、226のプロジェクトに加え、委員会はobject450、object780も調査した。D-89T 125mm砲かLP-36V 130mm砲を装備、1000hpのガスタービンで最高時速70キロで走行、巡航範囲は600kmを計画。だが、大した利点も無く、重量の問題で計画は無くなった。

object227
kv7-6.jpg
76㎜砲2門ver
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76mm砲一門、45mm砲二門ver
別名KV-7とも呼ばれる戦車。ケースメート式戦闘室に76mm砲一門、45mm砲二門か76mm砲二門を搭載した自走砲。
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内部と後部。
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object227が第百工場の保管場所に放棄されている写真。最後に撮られた写真である。

object228
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別名KV-8とも呼ばれる。KV-1 1941年型か1942年型に45mm砲もしくは76㎜砲と火炎放射器を搭載したもの。

object229
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別名KV-9とも呼ばれる。KV-1の76.2mm砲を122mm榴弾砲にしたもの。10輌のみ生産。

object230(KV-1K)
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1942年型の砲塔側面にカチューシャロケットを二発装備したもの。試作のみ。一枚目の写真をみるとそのカチューシャロケットが装備してある箱のまた後ろにカチューシャロケットを装備できそうな箱があるがこれに装備できたかは不明である。なにしろ装備した写真が無いもので...。

object232
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別名KV-12とも呼ばれる戦車。毒ガス散布装置を搭載した試作車輌。

object233(KV-13)
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別名KV-13と呼ばれる戦車。中戦車、重戦車の枠を越えた汎用戦車として、1942年に試作された。目指したのは中戦車なみの機動性と重戦車なみの防御力で、片側転輪5つの、小型の車体が新設計された。この車体形状、特に鋳造の車体前部のデザインは、後にKVの発展型であるISに活かされた。上記に詳しく書いてある。

object234
FirstIS004.jpg
IS-1の車体を縮小し、KV-9の砲塔を載せたもの。

object236(SU-152)
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別名KV-14、SU-152とも呼ばれる。SU-152(ロシア語:СУ-152 スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、KV-1Sのシャーシに固定戦闘室を設け、152mm ML-20S榴弾砲を装備した自走砲である。1943年3月より量産が開始され、ドイツのティーガー・パンターといった新型重戦車をクルスク戦において撃破したことにより「野獣ハンター」を意味する「ズヴェロボーイ」(«Зверобой» ズヴィラボーイ)と呼ばれるようになった(ただし、「ズヴェロボーイ」には「弟切草」という意味もあり、その後のソ連自走砲が草花の愛称で呼ばれたことを考慮すれば、SU-152の愛称もこちらの意味であった可能性もある)。その後、後継車両の出揃う1950年代までソ連軍で運用された。

object237(IS)
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1943年末から短期間生産されたソ連の重戦車である。「IS/JS」とは、当時のソ連の指導者ヨシフ・スターリン(Iossif Stalin/Joseph Stalin)の頭文字であり、失脚した「KV」(ロシア語でКВ(カーヴェー)国防人民委員クリメント・ヴォロシーロフに代わる、政治的な意味とソ連最強の戦車であることを強調し命名された。

object238
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別名KV-1S-85、KV-85Gとも呼ばれる。85mmS-31を載せたKV-1S。KV-85と違い砲塔はKV-1Sそのままである。しかし1Sの砲塔はそのまま85mm砲を搭載するには小さく、試作のみに終わった。この戦車、現存していることが確認されている。

object239(KV-85)
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ティーガーに対抗する為IS-1の砲塔をKV-1Sに搭載したもの。IS-1の配備とともに生産終了。前線での評判はかなり良かった。

object240(IS-2)
KVIS_09.jpg
ソビエト連邦で開発され、1943年12月から生産が開始された第二次世界大戦後期に赤軍が使用した重戦車。 日本語文献においても英語やドイツ語の表記に従ってJS-2と書かれることも多い。「IS/JS」とは第二次世界大戦時のソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(Iossif Stalin/Joseph Stalin)のイニシャルであり、そのためスターリン重戦車などとも書かれることがある。

object241(ISU-152)
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IS-2のシャーシを利用し、ケースメート(砲郭)式にML-20 152mm榴弾砲 を装備した自走砲である。生産の終了するSU-152自走砲の後継として、1943年12月より量産が開始された。戦闘室はSU-152と類似した構造で、砲を122mmに変更したISU-122自走砲とは、ほとんど同じ車輌である。
本車の生産は戦後の1955年まで継続し、後に近代改修型として1956年にISU-152Kに、1959年にその一部がISU-152Mとなった。また大戦中にポーランド人民軍にも供与され、1960年代にエジプトに輸出もされている。生産数は、大戦中にISU-122系と合わせて約4075輌、大戦後にISU-152が約2450輌であった。

object242(ISU-122)
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IS-2のシャーシを利用し、当初A-19 122mmカノン砲、後にはD-25T 122 mm軍団砲(カノン砲)をケースメート(砲郭)式に搭載した自走砲である。ソ連の重自走砲の主砲を152mm砲に一本化することが決まり、残ったISU-122は主砲の入っていた穴をふさいで戦車回収車となった。

object243
isu122-1_2.jpg
別名ISU-122BM、ISU-122-1とも呼ばれる。122mm BL-9を装備し、675台製作された。

object244
Untitled-1_003.jpg
IS-1のプロトタイプの一つ。object237をさらに発展させたもので砲が85mm D5-Tに進化している。だが耐久性が不十分で車体に使われているクリスティサスペンションも車体の重さに耐えきれなかったので計画は破棄された。その後、object237は数度のアップグレードを受けて、IS-1になった。

object245
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別名IS-4と呼ばれる戦車。(後のIS-4と混同しない様)様々な砲を搭載するISシリーズが作られた。これはその内の一つ。主砲に100mm D-10Tを搭載し、正面装甲は120mm+傾斜に達した。

object246
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別名ISU-152-1とも呼ばれる車両。ISU-152の車体に152mm BL-8を搭載した試作車。

object247
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別名ISU-152-2とも呼ばれる戦車。ISU-152の車体に152㎜ BL-10を装備した試作車。

object248
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別名IS-5とも呼ばれる。(後のIS-5と混合注意)1943年に開発されたIS-2の改良型重戦車。85mm戦車砲S-34-1Bか100mm戦車砲S-34か85mm ZIS-1 PMを装備していた。試作のみ。

object250
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別名ISU-130とも呼ばれる。この重自走砲は、1944年にISU-122Sをベースとして 1944 年に開発され、その年の10月に試作車が1両製造された。艦載砲であるB-13砲をベースとしたS-26 54口径130mm砲(IS-7と同じ砲)がISU-122Sに搭載され、1945年まで走行試験と射撃試験が続けられましたが、しかしその貫通力は122mm砲に劣っており、また終戦が近づきつつあったため、配備は見送られた。
37604670691_a0cb612ea7_b.jpg

object251(ISU-122S)
isu122bm_1.jpg
122mm S-26-1を搭載したver
isu122_7.jpg
122mm D-25Sを搭載したver
別名ISU-122-3とも呼ばれる。これには2台のISU-122-3がある。ISU-122-3はISU-122の拡張。一両は122mm D-25Sを搭載し、もう一両は122mm S-26-1を搭載している。D-25SverはISU-122Sとして採用され、S-26-1verは不採用だった。

object252(IS-6)
IS-6_Pic-3.jpg
object252.jpg
別名IS-6と呼ばれる戦車。1944年の夏、チェリャビンスク・キーロフ工場の第2特別設計局(SKB-2)のA・S・イェルモラーエフ技師が、第100戦車試作工場において、同設計局の前作であるIS-2をベースに開発を始め、二輌が作られたものである。
武装は48口径の新型122mm砲であるD-30Tで、IS-2のD-25Tより高初速で威力に優れていた。車体の装甲形状も見直され、全周に渡って傾斜装甲が取り入れられ、脚周りも片側六個ずつの大型転輪となり、KVやIS-2のような上部の小型転輪は使われていない。
駆動系はドイツのポルシェ博士がフェルディナント重駆逐戦車に用いていた物を参考に、B-12UディーゼルエンジンでDK-305A発電機を回し、発生した電力でモーターを駆動させるハイブリッド式であった。しかしこれは冷却能力不足が原因で試験中に大爆発を起こし、試作車が失われこの駆動方式での開発は中止となった。残った一輌は、IS-4用の機械式トランスミッションの試験に用いられた。

object252U
IS-6M.jpg
IS-4に対する優位を確保するために1944年11月末にObject 252の再設計が行われた。楔形装甲を採用しており、Object 252とは車体の形状が大きく異なっている。これを元にしたObject 257を経て、Object 260(IS-7)の開発が進められることとなる。

object253
24806366123_2ae8559fe5_b.jpg
この戦車はIS-6と混同されやすいが、少し別物。この戦車はIS-6の最初の試作型。1943年に試作され、トーションバー方式を採用している。

object257
object257-2.jpg
object257-1.jpg
object257wot.jpg
IS-7計画の中の試作車の内の一つである。要求を満たせなかったために計画は破棄され、第百工場はobject257を土台に新しく作る羽目になった。

object260
1945型
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object260-1.jpg
object260-2.jpg
オブイェークト(Object) 260重戦車の計画案のひとつ。1945年9月に設計案がまとまったものの、試作はされなかった。

 

最終型(IS-7)
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別名IS-7と呼ばれる戦車。1944年から1948年にかけて開発された、ソ連の重戦車である。本車の重量68トンは、ソビエトの開発・製造した戦車の中では最も重いものである。搭載砲はISU-130と同じS-26 54口径130mm砲を装備しています。IS-7はドイツのティーガーIIに対抗するべく構想された重戦車である。1945年初頭、ニコライ・シャシムーリン技師の設計チームによりオブイェークト260として開発が開始された。
本車の開発にあたっての特徴としては、主砲や機関に海軍関連の技術が転用されていることで、これは独ソ戦の劈頭からドイツ軍に包囲されていたレニングラードが1944年1月に解囲されたため、レニングラードにあった海軍研究所の各種技術資料を利用することが可能となったためである。まず1945年に車体が設計され、これに基づいて木製の実物大模型を試作した。1946年夏に車体と砲塔が製作され、9月には試作1号車が完成した。
試作車は1948年夏までに4輌が生産され、工場でのテストでは優秀な成績を収めた。火力・防御力は優秀であり、またテスト段階での機動性も高かったが、70トン近い大重量は駆動系統に掛かる負荷が大きく、試験中にエンジン火災の事故を起こした。また足周りの構造が脆く、転輪内部の緩衝用ゴムの摩耗が激しく、転輪が1、2組破損するだけで行動不能となった。これらの欠点から重量を50トン程度に軽減するよう、設計の見直しが命じられた。更に、大きな車体と砲塔のわりには車内が狭く、主砲の装填作業が困難であり、多数が搭載された外装式機銃は戦闘中の予備弾装填が難しい、という問題が指摘された。これを受けて実用化のための改良と試験が続けられたが問題点の改善は達成できず、IS-7の実用化計画は放棄された。
IS-7は現在でも試作車のうち1両がモスクワ郊外のクビンカ軍事博物館に展示されている。

object261
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別名object261-1とも。Object261は、IS-7の車体を利用して開発が行われた重自走砲である。
本車はIS-7の車体を前後逆にし、後方の半密閉式戦闘室に152mm BR-2を大幅に改良した152mm砲M-31を搭載していた。
本車に搭載予定だった152mm砲M-31は完成し、試験を通過したものの、ベースであるIS-7が機械的トラブルなどのため制式採用されず、本車の計画も中止された。
また、本ゲームにおいてこの車両に搭載されている砲、180 mm B-1-Pの元ネタはマクシム・ゴーリキー級巡洋艦等の主砲である「B-1-P Pattern 1932年型 18cm(57口径)速射砲」だと思われ、重量97.5 kgの砲弾を仰角45度で37,800mまで届かせることが出来た。この海軍の艦砲はその後、列車砲にも転用され「TM-1-180 180mm列車砲」として、レニングラード攻防戦にも参加した。

object262
%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2016-10-08-23.33.04-705x460.png
別名object261-2とも。(計画初期はこの名称。後にobject262に改称)object261と同じレイアウトを踏襲しながら車体後方の戦闘区画に長砲身の152mm加農砲M-48を限定旋回式に搭載し、オブイェークト261-1と同形態の固定戦闘室を配した自走砲。

object261-3
%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2016-10-08-23.33.04-705x460.png
object261,262と同じレイアウトを採用していたが、主砲は57口径180mm艦艇砲B-1-Pを車載化したMU-1に換装されて打撃力のさらなる強化が図られていた。
object261-3は装甲も強化されており、装甲厚は戦闘室前面で215mm、車体前面で150mmという自走砲としては異例のものであった。

object263
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object263-1.jpg
IS-7の車体をベースに130mm戦車砲S-70を搭載した重駆逐戦車。IS-7が大量生産されなかった為計画のみ。

object266
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object266.jpg
1957年に制作された戦車。実験的にハイドロメカニカルトランスミッションを搭載している。試作で終わり、生産には入らなかった。object266は現在クビンカ戦車博物館に保管されている。

object267
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スタビライザーを備えたT-10のプロトタイプ。

object268
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Object268は1952年の夏、ソ連のレニングラードにあるキロフ戦車工場にて、ジョセフ・コーチン技師の監督のもと開発が始まった。T-10Mをもとに設計され試作車両は1956に完成し性能試験は通過したものの量産には至らなかった。

object270
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将来、PT-76でウォータージェットを使用するにあたっての実験車。

object271(2A3 コンデンサトール 2P)
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2A3 コンデンサトール 2Pは、冷戦の初期に開発された車輛である。これはアメリカ合衆国が、新規な戦術ドクトリンに基づき、ペントミック師団と呼ばれる、核砲兵部隊を含む核兵器を重点的に運用する部隊を創設したことが原因であった。核砲弾を運用するM65 280mmカノン砲は1952年に開発され、1953年には西ドイツに配備展開された。この対応として、ソビエト連邦は、核砲弾を発射可能な406mm自走砲を開発する独自の計画を開始した。この計画によって開発された大口径自走砲の開発計画およびそれによって開発された車両は「オブイェークト271」(ロシア語: Объект 271)と呼称された。
グラビン設計局では1955年に砲本体とその運用システムを完成させた。その後すぐ、IS重戦車シリーズの走行装置を流用して設計されたオブイェークト271の車体が、レニングラードに所在するコトリン設計局にて完成された。砲と車体を結合したものには軍事工業呼称“2A3”が与えられ、1956年、レニングラードのキーロフ工場にて完成した。総生産数はわずか4輌である。
西側のオブザーバーは、1957年、赤の広場において行われた軍事パレードでこの新兵器を最初に目撃することとなった。当初オブザーバーたちは この兵器は抑止効果のためのモックアップとして作られたものであると考えた。
コンデンサトールは1956年から実用試験が開始されたが、その期間は例外的に短いものとなった。開始後ほどなくニキータ・フルシチョフの軍改革がおこなわれ、軍の改革は、陸上発射式の核兵器の運用には、スターリン時代に形成された超重砲兵および重戦車部隊に代わり、より効果的なロケット(ミサイル)システムを選ぶものであった。コンデンサトールは兵装の広汎な試験が行われた後、高度司令部砲兵隊の予備兵器に任命された。
全4輌のコンデンサトール自走砲は1960年代中ごろに退役した。1輌は2010年代においてもモスクワに所在する中央兵器軍事力博物館にて展示されている。

object272(IS-8,T-10)
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ソ連が開発・生産した重戦車。重戦車としては世界最多の生産量を誇っている。と、いうのは真っ赤な嘘で近年の資料によると実際はIS-2やIS-3より少ない各型含め合計1539両だった。
オブイェークト730の名で開発がスタート。新技術を取り入れ結果的に失敗作となったIS-6とIS-7を踏まえ、あえて新技術を採用せず、IS-3の拡大発展型として進められた。採用時にはIS-8と名付けられ、1951年からの生産を予定していたが、肝心のエンジンが遅れ、結局翌年になって生産された。主にソ連地上軍での使用がメインで、衛星国などに付与や譲渡は行われなかった。本車は大火力と重装甲を生かした陣地突破用戦車として期待されたが、重戦車のカテゴリ陳腐化に伴い、存在意義が薄れていった。
なお、1960年に砲塔にロケットを載せた試作車が製作された模様。

object273(2B1oka420mm自走迫撃砲)
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420mm砲を搭載した世界最大の自走迫撃砲。核砲弾も発射可能な砲身の長さは20mもあり、砲弾重量は750kg、最大射程は45kmに及んだ。試作のみ。

object277
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1950年代後期にソ連で開発された試作重戦車である。この戦車は1955年にT-10重戦車*1の後継として開発が始まった。
主任設計技師はソ連重戦車を語る上で欠かせないコーチン技師(1908~1978)であった。
新型戦車のディーゼルエンジン型はObject 277、ガスタービンエンジン型はObject 278と命名された。ガスタービンエンジン型が提案されたのは、ガスタービンエンジンが小型かつ高出力なので「20年後には戦車のエンジンの主流になり得る」との考えからであった。
主砲は130mm M-65戦車砲。これは設計要件を基にして搭載されたものだった。他に無線機、夜間視察装置、立体視認距離計という豪華な装備だった。1957年に試作車2両が完成したが結局は不採用に終わり、試作車の内一両はクビンカ戦車博物館に保管されている。

object278
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1,000馬力のガスタービンエンジンを搭載したObject 277の開発計画。計画で終わった。

object279
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1950年代、ソ連軍の装備する重戦車としてはT-10が大量生産されていたが、ソ連軍内では更なる新型戦車の開発プランが進行していた。
T-10の改良型(オブイェークト266)
IS-7とT-10の長所を掛け合わせた重戦車(オブイェークト277)
130mm砲とハイドロマティック自動変速機を備えた高速重戦車(オブイェークト770)
核戦争下での活動を考慮した重戦車などである。
これらのうち「核戦争下での活動を考慮した重戦車」として開発されたものが本車輌である。
1957年(1955年説もあり)より開発が開始され、IS-4を設計したL.S.トロヤーノフ技師のチームにより設計された。1959年には試作車が完成し、各種の試験が行われた。試験結果はいずれも良好で、特に1,000馬力を発揮できるエンジンと、本車の最大の特徴でもある、並列2組、計4基の走行装置の組み合わせは、60トンに達する車重を持つ“重戦車”に対する従来の想像を覆す機動性を示した。
しかし、構造が複雑でコストが高すぎることと、スターリンに代わりソビエトの指導者となったフルシチョフが戦力整備に対する方針を転換したため、1960年には計画が中止され、結局本車は採用されなかった。車両自体の機動性は高いものの、水陸両用性能はなく(本車は舟形の車体外観を持つが、後述のようにこれは爆風対策であり、浮航性はない)特に高い渡河能力があるわけでもないため、大河に隔てられた地形での行動能力に疑問が持たれたことも、不採用の大きな理由である。
量産は行われなかったものの、製作された試作車1輌が2010年代でもクビンオブイェークト279の形状はユニークである。履帯は左右2本ずつ、計4本もある。まるで円盤のような流体曲面の車体をもち、核爆発時の爆風や衝撃波を受け流して車体が横転しないようにした設計となっている。砲塔は普通の鋳造製だが、車体は鋳造製の本体の上に、薄手の増加装甲を被せた作りとなっている。シャーシは縦に伸びた燃料タンクを兼ねる梁に乗せられていた。
エンジンはH型16気筒ディーゼル、トランスミッションはハイドロマチック自動変速、サスペンションは車高変更可能な油圧式と、従来のソ連製戦車に比べ大変高度な作りになっていた。四本の履帯により分散された接地圧は0.6kgf/cm²と軽戦車並であり、エンジン出力の大きさとあいまって悪路での機動性も高く、記録映像では泥沼化した道にはまり込んだT-10を牽引する姿が見られる。
武装は戦前の海軍向けのものから発展し、IS-7などに使われているものと同系列の130mm砲で、重い砲弾を扱うための装填補助装置や、縦横方向の砲安定装置、上下像合致式光学ステレオレンジファインダー照準器、圧搾空気を用いた砲身内部洗浄装置をもつ。クビンカ戦車博物館に現存している。

object282
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T-10の車体を改造し、車体後部にTRS-152ミサイルを装備した戦車で三人の乗員が付いていた。この車両は1959年にクビンカで試験を開始し良好な結果を示した。基がT-10なだけに一見遅そうだが、搭載された1000hp V12エンジンがそれを防いだ。このエンジンのおかげで最高速度55kmを示すことができた。3人の乗組員は中央に配置され燃料タンクを保護するために車体前面は30mmの隔壁になっている。だが、このobject282Tに搭載されているFCS、Topol FCSは問題があるとされ生産には至らず、結局試作に終わってしまった。そしてこの戦車を改良したobject282Kも計画され、object282Tより車高が10cm低いが、車重が46.5tと重く二つのTRS-132ランチャーを外側に装備していた。ですが282Kも282Tと同じTopol FCSを流用していたので計画だけになった。

object287
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「Typhoon」ランチャーver
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ポップアップランチャーPG-15 V Spearxを73 mm 2A25グロメット二つ搭載ver
年代は不明だが試作された「Typhoon」ランチャーもしくはポップアップランチャーPG-15 V Spearxを73 mm 2A25グロメット二つ搭載したバージョンがある。エンジンは車体前面に置かれ、車長は砲塔右側に座り、砲手を兼ね、運転手は砲塔の左側に座った。最高時速は66㎞、時速20~30kmで走行しながらATGMを射撃できる。

object288
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将来ミサイルを搭載するに辺り、ミサイル戦車の基礎を製作することが決定された。それで出来たのがこれである。これはいわゆる実験車みたいなもの。この実験車の上部に置かれた円形の物体は実際の砲塔替わりでこれの基礎を用い、ソ連のミサイル戦車はすべてが車高が低く出来ている。

object291(T-80U)
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ソ連が1955年から開発に着手し、T-64への搭載を目論んだものの、果たすことはできなかったガスタービンエンジンの装備を目的として、1968年からレニングラード・キーロフスキー工場設計局(KB-LKZ)がオブイェークト219(Ob219)の開発に取り組んだ。Ob219はその後T-80として制式化が行なわれ、ソ連は念頭のガスタービンエンジン実用化に成功したものの、その耐用命数は僅か500時間と短く、さらには初期故障と燃費の悪さも問題であったため、1982年に改良型ガスタービンエンジンGTD-1000M(1,200馬力)を搭載したT-80Aが開発された。そして、この開発で得られたノウハウを元として、1983年から生産されたのがT-80Bである。
T-80は最新鋭戦車として申し分の無い攻撃力・機動力を有していたが、複雑な構造で、かつ燃費の悪いガスタービンエンジンを装備したことにより整備性・経済性が著しく劣った主力戦車となってしまった。また、1980年代になって新たに登場した西側諸国の主力戦車に対抗すべく、T-80Bの更なる改良が求められた。こうした要求から、KB-LKZでは1980年代半ばからT-80Aを基に改良型ガスタービンや爆発反応装甲を搭載した試作戦車オブイェークト219ASを製作。これがT-80Uとして制式採用され、1985年から生産に入った。

object292
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T80に実験的に152mm砲を装備した戦車。1990年に戦車が試作され1991年にテストを受けた。結果は良好で砲の安全性の高さや機動力の高さを示したが、しかし当時はロシア崩壊に伴い、資金が絶望的に無く更なる改良は中止になってしまいました。

object299
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152mm滑腔砲と無人砲塔を搭載した戦車。試作のみに終わったが開発の成果はT-14に引き継がれた。

300~399

obejct303(2S3アカーツィヤ 152mm自走榴弾砲)
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2S3「アカーツィヤ」(Akatsiya:アカシヤ)152mm自走榴弾砲は、2S1「グヴォジーカ」122mm自走榴弾砲と同じく1971年にソ連軍で制式採用されたが、開発はずっと以前の1950年頃から着手されていた。
当時ウラル運輸車両工場(ウラルトランスマシュ)は、同一シャシーを用いた各種車両をシリーズ化しようと様々な試作車を製作しており、その中に152mm榴弾砲を搭載した試作自走砲SU-152Pなど2種類があった。
このファミリー車両シリーズで最も早く実用化されたのが、2K11「クルーグ」(NATOコードネーム:SA-4「ガネフ」)対空ミサイル・システム用の自走発射機2P24で1961年には実用化されたが、後は2S3自走榴弾砲にやや遅れて採用された2S5「ギアツィントS」152mm自走加農砲くらいで、なかなか陽の目を見なかった。
1950年代に試作された2種の152mm自走砲は一方が榴弾砲、もう一方が長砲身で長射程を狙った加農砲であったが、前者についてはようやく1960年代末に、25口径152mm榴弾砲D-20を改修した34口径152mm榴弾砲2A33を、360度旋回可能な完全密閉式砲塔に搭載するタイプとして形態がまとまった。
車内レイアウトは車体前部右側が機関室、前部左側が操縦室、車体後部が砲塔を搭載した戦闘室と、自走砲としては一般的であり乗員は4名である。
主砲の性能は重量43.5kgの高性能榴弾(OF-546)を使用して最大射程17.3km、ロケット補助榴弾を使用して最大射程24kmである。
152mm砲弾の搭載数は46発で装填補助装置が用意されており、最大発射速度は3発/分、継続で1時間に60発程度である。
なお徹甲弾や成形炸薬弾も用意されており、限定的ながら直接戦闘能力を有する。
1971年に制式採用された2S3 152mm自走榴弾砲は1個大隊当たり18両が配備され、牽引式の152mm榴弾砲D-1を装備していた自動車化狙撃師団の榴弾砲大隊に取って代わることになった。
また後に、戦車師団に配備されていた2S1 122mm自走榴弾砲とも交換されていった。
1975年には自動装填装置やパワーユニットの改良が図られ、以降はこの改良型「2S3M 152mm自走榴弾砲」に生産が移行した。
2S3Mと2S1両自走砲の実用化・配備により、ソ連地上軍は初めて本格的な自走榴弾砲を持つことになったが、装備化されてすぐに性能面(特に射程と発射速度)で西側自走砲に水を開けられてしまった。
このため後継車両の開発が模索され、2S3M 152mm自走榴弾砲については1989年に2S19「ムスタS」152mm自走榴弾砲が完成されたが、すでに軍は未曾有の財政難に陥っており装備改編は今日に至るもなかなか進んでいない。
2S3M自走榴弾砲はロシア軍で使用され続けている他、ポーランドやイラク、リビアに供与されて使用されている。

object307(2S5ギアツィントS 152mm自走加農砲)
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2S3と車体を共用にしており、152mm加農砲2A37を搭載した自走砲。西側は1981年まではっきりと存在を確認できていなかった。ギアツィントはヒヤシンスという意味。

object312(1k11 Stiletto)
[添付]
1979年、政治的支援のおかげで、レーザー搭載車両の開発はソヴィエトで長く続けられた。
object312は、敵の光学センサーを盲目にするために設計されたレーダーダズラーのプロトタイプでした。

object316(2S19ムスタS 152mm自走榴弾砲)
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2S19「ムスタ(Msta:ロシア北西部を流れる河川名)S」152mm自走榴弾砲は、それまで旧ソ連陸軍が装備していた2S1「グヴォジーカ」122mm自走榴弾砲、2S3「アカーツィヤ」152mm自走榴弾砲、2S5「ギアツィントS」152mm自走加農砲の3車種を更新するために開発された新型の自走砲で、ソヴィエト連邦末期の1989年に旧ソ連陸軍に制式採用された。
本車の開発は2S3、2S5自走砲と同じく、エカテリンブルク(旧スヴェルドロフスク)のUTM(Uraltransmash:ウラル輸送機械工場)が担当した。
2S19自走榴弾砲の最大の特徴は整備や部品の調達を容易にするために、旧ソ連陸軍の主力戦車であるT-80戦車やT-72戦車とコンポーネントの共通化が図られていた点である。車体の基本的デザインと足周りは、T-80戦車のものを流用している。これはリブの無いディスク式のアルミ製転輪と、ダブルピンの湿式履帯にその特徴を見て取れる。またエンジンについては、T-80戦車に搭載されながらも信頼性の低さと燃費の悪さで不評だったガスタービン・エンジンを搭載せず、機関室を拡大してV-84A V型12気筒多燃料液冷スーパーチャージド・ディーゼル・エンジン(出力840hp)を搭載した。
このV-84Aディーゼル・エンジンは、大戦中のT-34中戦車に搭載されたV-2ディーゼル・エンジンの流れを汲むもので信頼性が高く、T-72戦車の改良型であるT-72B戦車やT-90戦車にも搭載されている。
2S19自走榴弾砲の砲塔は従来の自走砲より巨大な完全密閉式のもので、全周旋回が可能である。
主砲は新規開発の48口径152mm榴弾砲2A64が搭載されており、俯仰角は-3~+68度となっている。
152mm榴弾砲2A64は重量43.56kgの通常型榴弾OF-45を最大射程24.7kmで、重量42.86kgの噴射ブースター付き榴弾OF-61を同28.9kmで発射できる他、それまでに実用化された戦後型の152mm砲弾は全て使用できるようになっている。
さらにこの砲からは、レーザー誘導砲弾ZOF-39「クラスノポール」(重量50kg、最大射程20km)が発射可能である。
クラスノポールは前線観測班が照射するNd-YAGレーザーにホーミングして目標を撃破する誘導砲弾で、これによって対戦車射撃も可能となる。
砲塔後部には出力21.6hpのガスタービン補助エンジンが搭載されており、主エンジンを止めた状態でも射撃が継続できるようになっている。
砲塔内の弾薬庫には50発分の砲弾と発射装薬(プラスチック・カートリッジ入り)が準備され、弾薬の装填は自動装填装置により完全自動で行われるようになっており、発射速度は7~8発/分となっている。
また外部からの給弾による射撃も可能で、この場合は砲塔後部から装填コンベアを引き出し、操砲要員がここに砲弾と発射装薬を載せて半自動的に装填されるようになっている。外部給弾方式による発射速度は、6~7発/分となっている。
2S19自走榴弾砲は射撃時に車体を固定するための駐鋤は備えておらず、射撃時には第1、第2、第6転輪に取り付けられたショック・アブソーバーをロックすることで車体を固定するようになっている。また2S19自走榴弾砲は2S5自走加農砲と同様に自走式と牽引式のハイ・ロー・ミックス配備が考えられており、ほぼ同一仕様の牽引式152mm榴弾砲2A65「ムスタB」が同時開発されて量産化されている。
2S19自走榴弾砲の初公開は1993年にアブダビで開催された兵器展示会「IDEX'93」においてで、この時はレーザー誘導砲弾クラスノポールの発射デモンストレイションが行われ、15km先に置かれた標的38個に命中弾を浴びせて見せたという。
2S1、2S3、2S5の3自走砲を統合できる車両として登場した2S19自走榴弾砲だが、財政難のロシアではこれらを完全に更新することなど不可能な話で、生産数は2010年時点で800両程度と見られている。

object327
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1987年に試作された対空&対戦車に使うことを目的とした戦車。乗員は4人で、重量は41t。航続距離は30㎞。その他詳細は不明。

400~499

object401
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ソヴィエトで最も人気があったトラクターと言っても過言ではない。T-54をベースにし、前部にエンジン、後部に貨物ボックスを備えている。
重砲などの牽引に重宝した。

object416
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Object 416 はソ連の対戦車自走砲である。
限定的重量に可能な限りの火力と装甲を与える方針のもと、75番工場の建設局で、1949年秋より開発が始まり、設計案は、1950年3月までに提出された。
主砲には当時の主力戦車T-54と同じ100mm対戦車砲D-10を採用。
車体高を抑えるために採用された水平対向12気筒エンジンを含むパワーパックは車体前部に設置された。
4名の乗員は全て砲塔内に収められ、特に操縦手は砲塔中心に位置し、特殊な機構により砲塔旋回と関係なく常に前方を向いていた。
また砲塔内に搭乗員を収める事により車体及び砲塔の高さを低くする事に成功したものの、低い天井は装填手の作業を困難なものとしてしまった。
この砲塔の問題により、試作車は1952年4月まで準備できなかった。
1953年の夏には改良が行われ試作車も完成したが、砲塔などの斬新な機構がかえって作動や信頼性の低下をもたらし開発中止となってしまった。

object421
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T-54に基づいた架橋戦車。乗組員は車外に出ることなく橋を架けることができた。

object430
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T-54の後継車両として1953年から1957年にかけて開発され、数輌が試作された。後にソ連当局は優れた対核生存性を有する戦車を求めたため、1961年に本計画を中止してObject432を開発することが決定された。発展型のObject432は西側の105mmライフル砲に対抗する火力増強も求められ、115mm滑腔砲を装備、複合装甲も採用され、後にT-64戦車となった。
object430u
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object430uは、1950年代中期に提案されたObject 430の火力・装甲強化案である。
"U"はUluchennij(改良)またはUsilenij(強化)の意味だとされている。
Object 430は、1950初期~中期におけるT-54よりも優れた後継戦車の開発計画の一環であり、ハリコフ設計局のモロゾフ技師によって設計・試作された。
1954年、ハリコフ工場ではObject 430Uとして独自の予備計画を開始した。
正面装甲はベースのObject 430の120mmから160mmへ強化し、主砲を重戦車級の122 mm D-25Tまたは130 mm 戦車砲への換装するべく、砲塔およびサスペンションも改造され、車重は35.5トンから42トンに増加する見込みだった。
出力重量比や総弾数といった面において、Object 430UはIS-3やIS-4、Object 730よりも優れており、中戦車であっても重戦車を上回る性能が達成できるとされた。
しかし、この段階でObject 430Uの開発は中止になった。なぜなら各種性能の強化によりObject 430Uは事実上の重戦車となっており、既にソ連重戦車の中核として内定していたT-10と役割が重複してしまう事が原因だった。
object430 version2
Obj.%20430%202_0-min.PNG
第73工場の製造局で1953年の初頭に開発されました。1953年3月8日から3月10日にかけ、運輸・重工業省が、より伝統的な設計の別案と本案との比較検討を行いましたが、最終的には本計画は中止されました。(ゲーム内解説より)

object431
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1957年5月8日付のソ連閣僚理事会令「新しい戦車、自走式駆逐戦車、対戦車兵器、誘導ミサイル兵器の作成について」に基づき、対戦車システムを備えた国内の自走式戦車戦闘機の開発が開始されました。ハリコフの工場No. 75(トピックNo. 1)、ニジニ・タギルの工場No.183(トピックNo. 2)、およびMytishchi Engineering Plant(トピックNo. 6)が関与しました。Gorky Automobile Plantは、対戦車システムを配置するための車輪付き戦闘車両を提供しました。同じ決議により、最初の国内ATGM「バンブルビー」(トピック番号7)と「ファランクス」(トピック番号8)の作成が規定されました。ソ連での対戦車誘導兵器の作成作業は、捕獲されたドイツのATGM X-7「リトルレッドライディングフード」のテスト結果を考慮して行われました。

1959年以来、すべての国内ATGMは誘導ミサイル複合体にちなんで命名されました。1957年5月8日のソ連閣僚理事会令、ハリコフの第75プラントの設計局(LAが率いる)に従って、モロゾフは、対戦車システムを備えた駆逐戦車の自走式設置のための技術プロジェクトの開発を指示されました。この作品には「Topic No. 1」という名前が付けられました。プロトタイプのテストは1959年の最後の四半期に行われる予定でした。1958年6月に多くのレイアウトと構造スキームが開発された後、駆逐戦車Object 431の予備設計が完了しました。このプロジェクトの基礎は、独立した小型戦闘コンパートメントでした。このコンパートメントには、閉じたランチャーとミサイルの敷設、配送、発射、および制御のための一連の機構と機器が含まれていました。戦闘室は機械の統一されたコンポーネントであり、さまざまな戦車で使用することができました。ドルフィン誘導ミサイル、制御システム、および武器安定装置の開発は、V.G。が率いるTsNII-58に委ねられました。

Object 431駆逐戦車の技術設計はObject 430実験戦車に基づいて開発されましたが、Plant 75設計局の提案に関する作業を促進するため、実験プロトタイプはT-54シリアル戦車に基づいて作成されました。プロジェクトによると、高さの低い装甲キャビンが車体の屋根に溶接されました。機械の全高は1950 mmでした。戦闘コンパートメントは、高さ1220 mm、外径1480 mmの吊り下げられたキャビンの形で設計され、キャビンルーフのボールサポート上で回転しました。環状コンベヤーがキャビンの外径に沿って設置され、垂直方向に配置された17個のミサイルを収容しました。別の12個のミサイルが機械化されていない設置場所に垂直に配置され、コンベアの乗組員によって再配置されました。誘導ミサイル「ドルフィン」の口径は180 mmでしたが、長さ-1200 mmおよび重量-40 kg。ロケットの行進速度は230 m / sで、走行位置から戦闘位置への移動時間は1.5~2秒でした。累積弾頭を持つ誘導ミサイルの装甲貫通力は通常500 mmでした。

戦闘室の最大直径はわずか1940 mmでした。キャビン内には、左側に砲手のワークステーションがあり、右側に車の司令官がいました。カタパルトは、oc上の隔離されたコンパートメントでそれらの間に設置され、ロケットを操舵室の屋根のハッチから外側に発射するために設置されました。キャビンは水平面で安定化され、ランチャーと制御装置は垂直面で安定化されました。無線チャンネルの半自動ミサイル誘導システムは、300から3000 mの範囲で射撃を行いました。ロケット安定化および制御装置は、戦闘室の乗組員の自由な配置と作業の容易さを確保するために、砲手と指揮官の座席の下に配置されました。車の乗組員は3人で構成されていました。駆逐戦車の自走砲は、ランチャーに加えて、7.62 mm SGM機関銃で武装しており、塔の屋根にあり、安定していませんでした。車の推定最大速度は55 km / hで、高速道路の範囲は450 kmでした。Object Fighter 431戦車戦闘機の戦闘重量は30トンを超えないようにする必要がありますが、ヒートファインダーの寸法図が不足しているため、技術プロジェクトの完了が遅れました。1959年7月4日のソ連閣僚理事会令により、トピック1の作業は中止されました。

object432(T-64)
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T-64は、T-55に続いてソビエト陸軍及びソビエトの同盟国の主力戦車となるべく開発された車両である。一般的にソビエト製兵器は大規模に供給するための高生産性と、前線での運用を容易にするために簡潔で堅実な構造で取り扱いが容易なことが求められるが、例外的に複合装甲、滑腔砲、自動装填装置などの新機軸を積極的に盛り込んでいるのが本車の大きな特徴である。

西側諸国に先駆けて近代戦車の技術的条件を備えた、非常に先進的な戦車であったが、それが開発と運用の難しさを招いたともいわれる。冷戦下のNATOに対する第一線正面装備として、旧東ドイツ駐留ソ連軍集団やハンガリー駐留の南部軍集団などに秘密裏に配備されていた。また、ソビエトの戦車としては例外的に、同盟国や友好国に輸出・供給されたこともなかった。

長らく「正体不明の新型戦車」とされていたT-64が西側報道関係者の場に姿を現したのは、実に1985年の「対独戦勝40周年パレード」の時であり、このため長い間本車は「T-72の先行生産型」もしくは「開発に失敗し、そのデータを基に開発された改良型がT-72である」と思われていた。実際には、T-64の不調とコスト高を補うために、T-62など旧来の技術とT-64のスタイルを併せた『普及型』がT-72である。

T-62とT-72がそれぞれ20,000両ずつ生産されたのと比べるとT-64の生産数は限定的で、各型合わせて12,500両程度が1964年から1987年にかけて量産された。ソ連崩壊後もロシア連邦軍とウクライナ軍とで多数が使用され、ウズベキスタン軍でも少数が運用されているとされる。ウクライナのV・O・マールィシェウ記念工場では大幅な近代化改修型としてT-64BM ブラートが開発されており、2005年に17輌が納入されている。オプロートともにウクライナの新しい主力戦車として配備される目算である。

object434(T-64A)
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ソ連が1960年代に製造した第二世代戦車である。ハリコフ機械設計局にて設計され、1969年からT-55やT-62と合わせて製造されていた。自動装填装置にレーザー測距儀、世界初の複合装甲に加え大口径の125mm砲を搭載し、エンジンにはガスタービンエンジンを採用し、西側諸国の戦車を圧倒するはずだった。
まず、自動装填装置は可動範囲が広く、搭乗員が腕を巻き込まれ、最悪死亡した(これはT-64搭載の自動装填装置6ETs10での話であり、本車、T-64A搭載の自動装填装置6ETs15では改善されている。)。また、ガスタービンエンジンもうまくいかず、試作車止まりとなった。しょうがないのでディーゼルエンジンを搭載したが、このディーゼルエンジンも整備が面倒だった。

object435
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object435は、高火力でアップグレード当業者タンク「オブジェクト430」です。1960年にハリコフ工場の設計局で開発された B、A チーフデザイナーA.A.の指導の下でマリシェフ 1960年4月9日の注文GKSMOT N9141に基づいたモロゾフ。工場は、1960年12月に主要な武器を設置せずに機械のプロトタイプを作成しました。車はレニングラード近くの砲兵隊に送られ、6月22日まで射撃によってテストされました。Object 435タンクのさらなる作業は、部分的に燃焼したスリーブを備えた個別の装填ラウンド用の115 mmの滑らかな口径のタンクガンD-68の作成により中止されました。

object436
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object432にV-45エンジンを搭載したタイプ。

object439
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T-64にV-46エンジンを載せたタイプ。

object440
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煙幕発電機が装備されているT-54。

object441,442
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440および441は、核攻撃に対する保護に焦点を合わせた。PAZシステムは、500m離れた場所で爆発した場合に乗組員およびその他の壊れやすい機器の生存を保証した。

object447(T-64B)
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1970年代前半にソ連が新型高性能MBTを開発したという認識を西側、NATO諸国に広げたことで、T-64戦車シリーズはそれなりの軍事的プレゼンスを発揮するようになったといえたが、整備の煩雑さと信頼性の低さのため運用部隊での評判はその後も芳しくないままだった。

また製造・整備の両面で高コストを免れなかったT-64戦車シリーズを補う意味で、ソ連軍機甲局がハリコフ機械製造設計局(KhKBM/1966年に第60設計局から改組)のライバルであるニジニ・タギルの第520設計局に、既存技術を基盤にした廉価版新型MBT「オブイェークト172」(後のT-72戦車)の開発を発注したことから、KhKBMは危機感に迫られてT-64戦車シリーズを一層強力なMBTに仕上げる努力を傾注することとなった。

T-64戦車に精鋭MBTに相応しい性能を付与するには火力面での能力強化が近道と考えられ、1960年代初頭からソ連戦車開発陣にとって懸案であった、戦車砲の砲腔内から発射する対戦車誘導ミサイル(成形炸薬弾頭)の実現が図られることとなった。

対戦車誘導ミサイルをMBTの武装にする試みは、ミサイル万能論者であったフルシチョフ首相の後押しを受けて1960年頃から取り組まれ、1962年にはT-64戦車の試作車であったオブイェークト430をベースにした試作ロケットMBTオブイェークト772、オブイェークト775が製作されている。
特にオブイェークト775は125mm口径の低圧砲から有線誘導式対戦車ミサイルを発射するもので、125mm滑腔砲用のミサイルのベースと成り得るものであった。

1975年、KhKBMはT-64A戦車に無線式半自動誘導対戦車ミサイル9M112「コーブラ」(コブラ)を搭載する試作MBT「オブイェークト447」の製作に着手し、併せてレーザー測遠・照準機1G42の導入も図った。
9M112「コーブラ」は照準装置で目標を捉えていれば無線電波で半自動的に誘導されるタイプの対戦車ミサイルで、誘導用アンテナ・ボックスが車長用キューポラの前面に取り付けられていた。
ミサイルは弾頭とロケットモーター部分に分かれており、装填過程で自動的に結合された。

有効射程は100~4,000mで最大射程までの飛翔時間は約10秒、装甲穿孔力は距離に関わらずRHA換算で600mmとなっていた。
対戦車用としてはもちろん、飛翔速度から考えれば限定的ではあるが対ヘリコプター用としても使用は可能であった。

この「コーブラ」対戦車誘導ミサイルの導入によって対戦車戦闘の有効交戦距離が4,000mまで伸びたことは、T-64戦車シリーズの火力増強にとって大きな進歩といえた。
当時のソ連の精密加工技術ならびに弾頭設計技術で作り出された125mmAPFSDSは有効射程が2,250m程度しかなかったので、これよりも大幅に射程の長い砲腔内発射式対戦車誘導ミサイルの実用化は画期的といえた。

1970年代半ば頃には、4,000mの距離で相手MBTを確実に撃破できるという能力を持つMBTは東西を問わず存在しなかったのである。
この「コーブラ」対戦車誘導ミサイルの導入に伴い、レーザー測遠機等からのデータもリンクした弾道計算機をも組み込んだ総合FCS 1A33もオブイェークト447に導入された。

これにより目標選定から各種弾薬の選定、射撃諸元のセットまで自動化されることになり、オブイェークト447は当時としては世界で最も進んだ内部機構を持つMBTとなった。
その他にも、個別車両用航法装置GPK-59も装備された。
こうした各種機器の充実の反面、限られた車内スペースにより主砲同軸の7.62mm機関銃PKTの弾薬搭載数を1,250発に減らさざるを得なかった。

併せてこの頃、レオパルト2戦車やチーフテン戦車等の120mm砲搭載MBTが西側で大きな比重を占めるようになりつつあったことから装甲厚の増加等による防御力増強措置が採られ、オブイェークト447の戦闘重量は39tに増加した。
オブイェークト447は1976年にソ連軍への制式採用が決定し、「T-64B主力戦車」(オブイェークト447A)として量産が開始されることになった。

以上のような経過で開発されたT-64B戦車は、盛り込まれた機能と性能面でいうなら出現した1976年当時、世界最強のMBTといっても良いものだった。
しかしながら時はすでにブレジネフ政権の末期に入りかかっており、軍事偏重で半世紀を経てきたソ連経済の疲弊も激しくなり、いわば背伸びして実現した高性能MBTの高いコストに軍も社会も耐え切れない状況になりつつあった。

またT-64戦車シリーズと並行してT-72戦車シリーズの量産が行われたこと、さらに1976年にはT-64戦車をベースに新たに開発されたガスタービン・エンジンを搭載したT-80戦車シリーズの量産が始まったことも、戦車量産面での混乱状況を示すものである。
どう考えても機能面でそれほど違いの無いMBTを3種類も開発し量産することは、経済的な悪影響をもたらすことが明白といえた。

object450
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T-64Aのシャーシを流用した車体に125mm滑腔砲と無人砲塔を装備した戦車。計画のみ。

object476
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詳細不明

object477
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152mm滑腔砲と無人砲塔を搭載した試作戦車。

object478
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T-80UDのプロトタイプ。

object480
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詳細不明

object481
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T-54に火炎放射器を搭載したもの。

object482
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T-55に火炎放射器を搭載したもの。

object483
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T-54の車体にOM-250火炎放射器を搭載したもの。これは焼夷剤による制約の限界にまで放射能力を高める事を目指し、1発で100Lの焼夷剤を最大250~270mまで放射するという途方もない代物になった。

object454(T-80UDK)
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T-80UDの指揮戦車型。

object485(PST-54)
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最初のタイプは1951年に開発が始まった。
T-54用の最初のサンプルは1952年に造られオカ河でテストされた後、1953~54年にかけて予備的な洋上試験が行われた。
そして1957年にPTS-54として配備された。

1機械化歩兵師団あたり187基の浮航装置が配備されるのが目標とされた。
1959年、浮航装置の量産がナヴァシノ(Навашино:ニジニ・ノヴゴロド州)の第342工場と第174工場、キーロフの第75戦車工場に割り当てられた。

object486(OPVT-54)
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水中駆動用の機器を備えたプロトタイプT-54。セットは、取り外し可能なシュノーケルとパーマメントゴムシールで構成されている。1958年に大量生産が開始され、その後設計されたすべての戦車に対して同様の装置が製造された。

object488
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詳細不明

object490
object490はハリコフで設計された152mm 2a73滑腔砲を搭載し、次期主力戦車となりうる戦車を開発するがためにスタートした計画である。
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車体後部にある燃料タンクのせいで後方の敵を狙うことが難しかった。
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これを見ればわかるだろう。
乗員は二人と少ないがナビゲーションシステム、層状装甲、油圧空気圧式サスペンション等々により車内に配置することは困難となり高価格だったことも災いして結局はお釈迦になってしまった。

Object490A Rebel
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この戦車は、ソビエト連邦の将来のMBTプログラムの一環としてハリコフで設計された。砲塔屋根に外付けされた152mm砲で武装し、砲手と車長は車体中央部に位置する。通常の光学系の代わりに、TVカメラなどを使用するなど斬新ではあったが結局計画はポシャってしまった。

object490 molot
この戦車は実を言うとobject477であり、なぜobject番号477が付されたかは分からないがobject477はobject490 molotであってobject490計画進行中にmolotだけ何故か477として独立したと思われる。

object490
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SFの域に達しているが列記とした戦車である。これは連結戦車ではなくちゃんと前後ろくっ付いている。
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これを見ればわかると思うが前部は厚くキツく傾斜がかかっていて自動装填式なのがわかる。

だがやはりこの戦車たちは値段が高すぎるがゆえに計画はお流れになってしまった。

500~599

object500(ZSU-57-2)
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戦車部隊に同伴して対空支援を行うための自走砲として1951年に開発が始められ、1955年より生産が開始されたのがZSU-57-2対空自走砲(オブイェークト500)である。
この略号の”ZSU”はロシア語で「高射自走砲」という意味であり、”57”は砲の口径を、”2”は装備砲数を表している。
本車が西側の目に初めて確認されたのは、1957年11月の革命40周年記念日のパレードの時であった。

本車は当時の主力MBTであるT-54中戦車のコンポーネントを使用し、牽引式の57mm対空機関砲S-60を車載式とした57mm対空機関砲S-68を、360度旋回可能なオープントップ式砲塔に連装で搭載したもので、戦車部隊と同等の機動力を発揮できる。
車体はT-54中戦車から発展したものであるが、全体的に装甲が削られた上車体長も短縮されている。
このため転輪も片側4個に減らされており、かなり印象は異なる。

砲塔は車体に比べて異様に大柄で、この中に車長、砲手2名、装填手2名の計5名が収容される。
砲塔の旋回、俯仰は油圧で行われる。
搭載された73口径57mm対空機関砲S-68の実用発射速度は1門当たり70発/分(2門で140発/分)で、+85度までの仰角を取ることが可能となっており、有効制圧高度は仰角+45度において2,835m、同+65度においては4,237mである。

砲弾は5発ずつ装填クリップにまとめられて、計316発が搭載されている。
今日においても実用の地上用機関砲としては最大口径で、砲口初速が1,000m/秒に達するこの57mm対空機関砲S-68は、APC(被帽徹甲弾)による装甲貫徹力が射距離1,000mで96mmもあり、榴弾の連射威力もあることから対地上目標射撃でも大きな効果を期待できた。
ただし車体や砲塔の装甲厚は13.5~15mm程度しかなく、地上目標射撃では充分な掩蔽が必要である。

1950年代のソ連陸軍はZSU-57-2対空自走砲と、14.5mmや23mm口径の各種対空機関砲を搭載した対空装甲車で戦車師団、自動車化狙撃師団の上空に濃密な対空火網を展開することを構想していた。
しかし、本車は砲塔がオープントップのためNBC防護システムが付けられないこと、また第2次世界大戦以来の目視照準のため、ジェット時代の航空機に対しては威力が限定されることなどから、レーダー照準装置を装備する後継のZSU-23-4「シルカ」対空自走砲に席を譲ることとなり、1960年には生産を打ち切られている。

それでも旧ワルシャワ条約機構諸国などに多数が供与された他、1960年代初頭に勃発したヴェトナム戦争で北ヴェトナム軍がホーチミン・ルート防空作戦や、最終段階でのサイゴン周辺の地上戦闘に投入したことや、最近でも湾岸戦争においてイラク軍が対空任務に使ったり、ユーゴスラヴィア紛争にも顔を出すなど数々の戦場に登場している。

そして中国では今日も、80式戦車の車体をベースにして本車をコピーした80式対空自走砲の生産を継続中で輸出もされている。
こうした状況の下、今日でもロシア陸軍に700両以上が在籍しているのを始め、十数カ国で約1,800両以上のZSU-57-2対空自走砲が使用されている。

object501(BRM-3K)
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BRM-3K「ルィス」(Rys:山猫)装甲偵察車は、「オブイェークト501」の開発番号でクルガン機械工場とルブツォフ機械工場が1990年代初めにBMP-3歩兵戦闘車をベースに共同開発した汎用偵察車両である。
本車はこれまでロシア陸軍で運用されてきたBMP-1歩兵戦闘車ベースのBRM-1K装甲偵察車や、PRP-4砲兵観測車の役割を統合する車両として開発されたものである。

80.5口径30mm機関砲2A72と7.62mm機関銃PKTを同軸装備した2名用の全周旋回式砲塔には各種観測用機材(1PN71光量増幅式暗視サイト、1PN61赤外線暗視サイト、1D14レーザー測遠機等)も積み込み、また車体側にも1RL-133-1対砲レーダー(対車両探知距離7km、対人探知距離2km)や多重式無線・衛星通信システム、衛星ナビゲイション機材等を搭載し、乗員はこれらを操作する要員を含め6名である。
本車は今日若干数がロシア陸軍に装備された他は、輸出商談待ちで生産が準備されている模様である。

object502
D1T0KHrXQAAbYos.jpg
詳細不明

object507
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BMP-1のシャーシを流用した戦車回収車と'思われる'。クレーンと溶接機を備えている。

object510(PST-U)
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object485と並行してT-55およびZSU-57-2対空自走砲用の浮航装置(それぞれPST-55、PSTと呼ばれた)の開発も始まった。
1959年にこの二つを統一したモデルの第342工場と第174工場での生産が決定された。
この浮航装置はPST-U(Universal)として配備された。

PST-Uは、発泡樹脂で満たされた5つの浮揚函から成り、装置の全重量は10トン、余剰浮力は(T-54装着時重量の)40%。
装置を装着した戦車の最高速度は陸上で19km/h、洋上で12km/hだった。
水上浮航は波高5レベルまで可能だが射撃は波高1.5(ZSU-57-2の場合は波高2)までとされた。
戦車と一緒に25人の歩兵も搭乗可能(ZSU-57-2の場合は40人)だったがその場合の砲の使用は禁止された。

装置の取り付けは35分以内、一方、パージは瞬間的に行なえた。
また、PST-Uは、500リットルの燃料タンクを内蔵しており、戦車の予備燃料タンク(60~80km分)としても機能した。

object515
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「Vityaz」シリーズの一部である全地形輸送車。車両全体の重量は10トンで、容量は4.5トン。2013年、武装したDT-3pbが発表された。

object520
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SV-68ガンとDesna電波光学ターゲット取得デバイスを備えたZSU-57-2の改良版。合計六つのプロトタイプが制作されたが、プロジェクトは1959年には閉鎖された。

object520
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詳細不明

object521
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6tの容量を備えたトラクター。

object530
ris-09.jpg
レーダー誘導57mm OKA-1を装備したZSU-57-2の後継者。ガスタービンを備えたフルサイズのT-54車体を利用していた。だがZSU-23-4が支持されていたために計画は放棄された。

object536
D2IlVUpW0AINmNf.jpg
詳細不明

object560
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1950年代後半に制作された装甲車。その他詳細不明

object560
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こちらはobject127と並行して開発されたミサイル発射装置。だがこの(object127含む)プロジェクトは1958年後半には放棄されてしまった。

object561、563、565
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T-20コムソモーレツの後継。プロトタイプは1952年に制作され、テストに合格し、1954年から生産が開始された。

object562
D2kIe0KXgAACdyP.jpg
詳細不明

object563
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24のミサイルを搭載しており、遠隔操作のクレーンも搭載している。

object564
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負傷者を戦場から避難させ、小火器や迫撃砲、弾薬、食料などを輸送することを目的とした輸送車両。1957年4月17日のソビエト連邦閣僚理事会令により、N.A.の指揮の下、Mytishchi機械製造工場の設計局に決定された。走行試験などを行ったが結局は不採用になってしまった。
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こちらはT-72のシャーシを用いて制作された重装甲兵員輸送車。

object567(9S18)
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これは戦車というより監視レーダーで、目標の高度・方位・目標からの距離などの情報を収集し、最大85kmの探知距離を持っている、100mの高度で低空飛行をする目標を35kmの範囲内で探知でき、それよりさらに低空飛行をする目標をも10-20kmの範囲内で探知できる。

object568
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s91レーダーステーション用のシャーシ。
本車は、地上部隊を敵航空機の攻撃から守る中・低高度を目標とする自走防空システムとして1958年に開発が始まった。

車体は、ASU-85空挺戦車のコンポーネントを流用した装軌式の2P25(ロシア語版)(2П25)と呼ばれるもので、ここに3発の3M9地対空ミサイルを横一列に搭載したミサイルランチャーを搭載する。2P25は、同時代の対空戦車であるZSU-23-4 シルカでも使用される。

3M9地対空ミサイルは、一段式の固体ロケット・ラムジェット統合推進を搭載しており、機体後部に操縦翼、機体中ほどに大きめの安定翼を持ち、その隙間を埋めるように4基の空気取り入れ口が斜めに突き出している。弾頭は59kgの高性能火薬で、最大有効射程は24,000メートル、最大速度はM2.8に達する。最大有効高度は12,000メートルで、それ以上の高度は2K11 クルーク(SA-4 ガネフ)自走地対空ミサイルシステムなどが担当する。

また、航空機搭載ECMによるジャミング(電磁妨害)への対策として、ある程度のECM耐性を備えると共に、レーダー波が届かなくなった時のために画像誘導を可能にしている。

object569(GM-569)
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GM-569は、Buk-M1-2 SAMシステムの一部であるTELAR 9A38を乗せるために使用するシャーシ。

objectt570
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空挺部隊のためにソビエトが最初に特別に開発した空挺戦車。

object572(ASU-57)
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ASU-57は、ソビエト連邦で開発された空挺対戦車自走砲。空挺戦車としての運用を念頭に、1947年に開発がスタートして、1950年代-1970年代にかけて使用された。これでも実は戦後戦車なのである。
ソビエト連邦軍は、第二次世界大戦前から空挺戦車に興味を持ち、その種の車両をいくつか試作した。中には戦車に飛行翼を付け、爆撃機に牽引してもらう奇抜な飛行戦車「アントノフ KT-40」のような車両も含まれていた。ただし、ソ連軍は独ソ戦を通じこの種の車両を量産、配備することはなかった。
終戦から2年たった1947年、軍は空挺部隊向けの対戦車自走砲の開発を決定した。計画案には76.2mm対戦車砲を搭載した型と57mm対戦車砲を搭載した型が提示され、それぞれアストロフ設計局、クラフチェフ設計局が担当した。 クラフチェフ案は水陸両用性能を持たせ、また、派生型の開発を見越した設計となっていたが、性能が軍の要求したものに届かず、対照的にアストロフ案は堅実な設計で、エンジンや足回りを既存の車両と共有化することで機械的信頼性を高めていた。
最終的にアストロフ案が採用され、この車台に76.2mm対戦車砲より威力のあるCh-51 73口径57mm対戦車砲を搭載することになり、1950年にASU-57として制式化された。

object573(ASU-85)
ASU-85-1.jpg
ASU-57は空挺戦車としては優れた性能を持ってはいたが、空挺部隊はもっと強力な車両が欲しかった。そこで開発されたのがこのASU-85である。ASU-57は開発された当初、輸送機の性能があまり良くは無かったため、極力軽量化が進められた。その為、装甲は機銃程度しか防げず、オープントップもNBC兵器が使用された状況下では戦闘員に被害が出てしまう。だがしかし、本車の開発が始まったころには高い不整地着陸性能を持つ新型輸送機"An-12"や大型輸送ヘリコプターの"Mi-6""Mi-14"が出現しており、無理にパラシュート降下をさせる必要性が無くなった。そのため、本車は完全密閉式の戦闘室を持ち、装甲も大幅に強化され、主砲も85mmにパワーアップした。車体はPT-76の物が流用されたが、水上航行機能は不要と判断され、オミットされた。しかし、僅か20年あまりで本車は生産が止められた。というのも、この頃に空挺戦車(歩兵装甲車)として新たにBMD-1が開発されたためである。
本車の車体はZSU-23-4の車体として活躍している。余談だが、現在でもベトナムが運用をしており、走行距離とパワーパックの強化、速度の向上を行うアップグレードパーツに関心を示した(2016年)。

object574(ASU-57P)
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前身のASU-57に少しの改良と水上を8km程度で航行できる性能を付けたもの。
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水上を航行中の写真。

object575
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ZSU-23-4 SPAAGのシャーシ。ASU-85空挺戦車に由来し、それ自体はPT-76戦車に基づいている。

object577
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トランスポーター、リローダー、ランチャー用シャーシ。8個の9M38ミサイルを輸送しており、4個は発射レールに、さらに4個はリロードクレーンとともに、下に収納されています。

object578
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ZSU-23-4のシャーシに基づく2P25 TEL用のObject 578シャーシ。これは、長距離2k11 Krugを補完するように設計されたKub SAMコンプレックスの一部。テストは1959年に開始され、1967年に終了した。ランチャーに誘導レーダーを追加するというアイデアは、9k37の作成につながった。

object579
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9S470バッテリーコマンド車両用シャーシ、Buk SAMシステムの一部。

600~699

object600(SU-122-54)
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ソビエト連邦軍がSU-100の後継として開発した対戦車自走砲。1949年より「オブィエクト600(ロシア語: Объект 600)」の名称で開発され、西側諸国ではかつてIT-122と呼称されていた。第二次世界大戦時のT-34/85中戦車に対するSU-100と同様のコンセプトで、大戦後主力戦車となったT-54の車体をベースに固定式戦闘室を設け、より大口径な主砲を搭載したものである。
1954年より少数が生産されて配備されたが、配備部隊と運用状況については資料が少なく、現在でも不明点が多い。遅くとも1970年代前半には退役し、大半は戦車回収車に改造されて支援車両として運用された。それらのうち、戦闘工兵車に転用された車両は2000年代でも少数が使用されている。
車長用キューポラにはソビエトの自走砲では初めてステレオ・レンジファインダー式の測照儀を装備し、ソビエト軍車両としては異例の長距離高精度射撃能力を備えている。

object601
D4EDWkbXoAcoibu.png
半自動トランスミッションを備えた無線制御T-54タンクターゲット。

object602(MTU-20)
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T-54を改造した架橋戦車。

object604
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T-55の車体に出力6120kgのジェットエンジンを2基搭載した地雷処理戦車。試作のみ。

object608(BREM-1)
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T-72のシャーシを利用した戦車回収車。最大75tの戦車を牽引することができ、野外でも戦車やその他装甲車両を最低限修理することができた。

object609(BMP-3)
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1987年に採用された歩兵戦闘車。主砲の100mm低圧砲に、30mm機関砲と7.62mm機関銃を同軸で装備しており、さらに2丁の7.62mm機関銃を持つ。また、主砲からは対戦車ミサイルも発射できる。

object609
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ソビエト国防省が発行する将来のBMPの要件への対応として設計された車輪付きIFVのプロジェクト。Object19と同様に、過酷な地形で展開可能な補助トラックがありました。目標を達成できず、プロジェクトは1962年に閉鎖された。

object610
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この自走砲はT-54の車体を利用し、SU-122に基づいて制作された自走砲だったがsu-122-54の生産終了後、更なる作業は中止された。

object614,625
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3基の9M14 Malyutka ATGMランチャーを砲塔後部に装備したT-54/T-55。ランチャーが非常に軟弱で止まらないと撃てず動いてる途中に撃つと壊れてしまうためボツ。

object616(IMR-1)
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T-55をベースにドーザーブレード、伸縮式ショベルアームを装備した戦闘工兵車。T-55同様NBC防護能力を持つ。チェルノブイリ原子力発電事故では本車が唯一原子炉近くで稼働できる車輌で、障害除去等を行ったのち付近に放棄された。

object618
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T-64のプロトタイプコマンドバリアント。

object619/A/B/V(PST-63)
1963年にPST-54の改良型としてPST-63が採用された。アルミ製なのは変わらないがさらに軽量化が図られた。
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更に1966年にT-55A用にPST-63M(Object 619A)が開発され、1969年に配備された。
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PST-63MはT-62、T-64用の物も存在し、それぞれ(生産現場では?)Object 619B、Object 619Vと呼ばれた。
1964年から75年の間に162セットが生産された。
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object632
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専用のシャシーを備えた架橋戦車。

object634(TOS-1)
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T-72のシャーシに220mmロケットと熱圧兵器を備えた物。主に要塞や軽装甲車両を破壊する用途に使われる。

object637(IMR-2)
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T-72をベースにドーザーブレード、伸縮式ショベルアームを装備した戦闘工兵車。チェチェン紛争やアフガニスタン紛争等に参加し、現在も運用されている。NBC防護能力を持っていたためチェルノブイリ原発事故の救助活動にも投入された。

object640(チョールヌィ・オリョール)
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1990年代に開発され、ロシア連邦軍を始めとして多方面に売り込みが図られていたが、開発元の国営公社オムスク戦車工場の経営状況の悪化により開発中止となった。

object650
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BMP-1の生産が始まるまで生産されたトラクター。

object668
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1961年に生産が開始され、これもBMP-1が生産されるまでの1966年まで生産が続いた。ポーランドでは80年代後半まで生産されていたという。

object673
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1970年代後半に試作された視覚妨害装置(レーダーダズラー)を備えたBMP-1。だが設置したためにただでさえ少ない乗員が二人になってしまった。

object675(BMP-2)
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BMP-1によく似ているが、砲塔が大型化しているのが特徴で、主武装に初期は30mm機関砲2A42と半自動有線誘導式の9M111 ファゴット(NATOコードネーム:AT-4 スピゴット)対戦車ミサイル、後期には30mm機関砲と半自動有線誘導式の9M113 コンクールス(NATOコードネーム:AT-5 スパンドレル)が採用されている。機関砲は、軸安定装置と二系統の給弾装置を備える。弾薬には徹甲弾・曳光榴弾・通常榴弾の3種類があり、車両だけではなくヘリコプターなどの航空機も攻撃でき、発射速度は200-300発、500発/分を選択できる。その他、防御のために煙幕発射装置を取りつけることもできる。

乗員は3名で、7名の兵員を輸送することができる。6名の兵士は後部の兵員室に搭乗する構造で、3人がけの座席2列に背中合わせに座る。残る1名は砲塔の左前、操縦士の後ろの座席に搭乗する。ここは本来は分隊長の席だったが、後部兵員室と隔離されており、兵士たちを指揮するのに不便なことから、分隊長は後部兵員室に座り、前席には機関銃手などが座るケースが多くなった。この点に関しては後部兵員室に下車戦闘班8名全員が搭乗できるBMP-1よりも劣っている。一方、乗員3名はそれぞれ、操縦手と砲塔に乗る砲手および車長で、砲塔に砲手だけが乗るBMP-1とは構造が異なっている。車長が砲手と共に砲塔に乗ることで全周視界を得られるようになり、また戦闘時に砲手と意思疎通しやすくなったのは大きな進歩である。

近代化型の砲塔には、2連装9M113対戦車ミサイルのランチャーが両側面に搭載され、計4発の9M113対戦車ミサイルを装備している(この砲塔はBTR-90にも使われている)。

エンジンなどを含め車体はBMP-1と似通っているため、航続距離などの変化はほとんどなく、重量増加のため一時期水上航行機能は取り外されたが程なく復活し、BMP-1と同じく水陸両用で走ることができるようになった。

object680
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BMP-2のプロトタイプ。

object681
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同様にBMP-2のプロトタイプ。

object685
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1975年に開発された水陸両用戦車。100mm砲を備え、水上を10㎞で航行できた。

object688
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BMP-3のプロトタイプ。

object691(BREM-L)
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BMP-3のシャーシを流用した戦車回収車。

object693(KURGANEC-25)B-10
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下に同じ。

object695(KURGANEC-25)B-11
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クルガネツはBMPシリーズを製造するクルガン機械工場によって開発され、2015年にアラビノ射撃場における戦勝記念パレード訓練で初公開された。同時期に開発されたアルマータやブーメランク、タイフーンと同様に、コンポーネントを共通化することで開発・製造・整備にかかるコストを低減しており、特にアルマータとは多くの部品を共有している。ロシアの北極重視の方針に従い、アルマータやブーメランクなどとともに氷点下60℃でも活動が可能とされ、既存のBMPシリーズなどの装軌式装甲車を置き換える計画である。

object699
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Kornet-S自走ミサイルシステムを積んだBMP-3。

700~799

object701(IS-4)
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 第二次世界大戦末期にL.S.トロヤーノフ技師の設計チームにより開発された「オブイェークト701-2」と「オブイェークト701-5」から発展した「オブイェークト701-6」は、1947年にIS-4として制式採用された。これはIS-2重戦車を大型化・重装甲化し、V型12気筒にスーパーチャージャーを付けて出力強化したエンジンを搭載したもので、その冷却機構はドイツ軍のパンターを参考にしたもので、グリルの形状が類似している。

 それまでの多くのソ連重戦車に課せられた「重量46t以下」という制限は撤廃されており、車内容積はそれまでのソ連戦車と比べて非常に余裕があり、居住性や操作性が改善されている。大型の砲弾を装填する際の難点であった主砲弾薬庫の位置も全て砲塔後部に収納され、装甲厚も増している。

 だが、重武装・重装甲の代償として重量があるため扱いやすい戦車にはなり得ず、IS-3の2.84倍というコストの高さと、続くT-10(IS-8)の採用もあって比較的少数生産に終わった。1949年までに250輌が量産されたが、コスト高と大重量による扱いの難しさのため、比較的短期の運用の後、退役した。

 

object 701-2
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最初の試作車であり、56口径100mm戦車砲S-34 I若しくはS-34 IIを装備し、100mm砲弾30発を搭載できた。
マズルブレーキを付けてない上の画像はS-34 Iでマズルブレーキをつけてる下の画像がS-34 IIであり、区別は容易である。
装甲厚は車体前面で160mmもあり、圧延防弾鋼板の溶接構造による傾斜装甲であるためIS-2重戦車に比べてはるかに高い防御力を期待できた。
またエンジンには従来のV型ディーゼル・エンジンを750hpまでパワーアップしたV-12 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンを採用し、面白いことに機関室と冷却機構のデザインをドイツ軍のパンター戦車と同様なものとしたため、機関室上面グリルがパンター戦車とそっくりなものとなった。
またこうした機構を採用したために車体が延長され、転輪数もIS-2重戦車の片側6個から7個に増やされた。
戦闘重量は55.9 tと、IS-2重戦車より約10tも重くなった。

 

object 701-5
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主砲をIS-2重戦車と同じ43口径122mm戦車砲D-25Tとしたもの。
砲口径が100mmから122mmに改められた理由としては、1944年後期の戦闘を通じてソ連軍戦車隊内で122mm戦車砲の質量効果に対する絶大な信頼があったことが挙げられる。
また副武装として対空用の他に主砲防盾の同軸機関銃も、威力の高い12.7mm重機関銃DShKとされた。
これは、歩兵などの防御陣地に大口径機関銃弾が大変有効だった独ソ戦での戦訓によって採られた措置である。
また装甲厚を砲塔周りを中心にさらに増加させたため(砲塔前面で250mmに達した)、戦闘重量は58.5tまで増加した。
それでも、出力750hpのV-12ディーゼル・エンジンのおかげで路上最大速度43km/hの機動性能を発揮できた。
余談であるが戦車道に参加できる最強格の戦車はObject 701-5であろう。

 

object 701-6(IS-4)
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結局、Object 701-5をベースに一層リファインしたObject 701-6が「IS-4重戦車」としてソ連軍に制式採用されることになったが、IS-4重戦車の戦闘重量はIS-2重戦車より14tも重い60tに達した。
これは、KV重戦車以降の新型重戦車開発にあたってスターリンや運用者側が提示してきた重量上限46t(それを超えると兵站路を破壊するなど運用上の問題が多いと指摘されていた)を大きく超えるものであった。
しかしこの制限値を超えることを承知であえてObject 701の開発が続けられたのは、このプランに戦車工業人民委員のV.A.マールィシェフと、その配下にあったソ連共産党チェリャビンスク州委員会第一書記のN.S.パトリチェフの後押しがあったからである。
それでも重い戦車を導入することに対して運用者側の反発があったようで、IS-4重戦車のソ連軍への制式採用は1947年までずれ込んだ。
こうして運用者側の反発を押し切る形でソ連軍に導入されたIS-4重戦車は、重量上限などの制限をあえて超えることによって得られた設計上の余裕を活かして、戦闘室内配置に充分な考慮が払われたものとなった。
例えば砲塔はIS-2重戦車のものをさらに大型化したようなデザインとなり、搭載弾頭は全て後部バスルに配置されていた。
各弾頭は水平方向に向いた収納ケースに収められ、止め金を外すと底部のバネの力で押し出されてくるよう工夫された。
また発射装薬が収められた薬莢も、砲塔リング径よりも広げられた車体袖部(履帯の上に掛かった部分)の取り出し易い位置や、広い戦闘室床部の中央(砲塔がどちらを向いても砲尾部の真下にあたり操作上邪魔にならない)に配置された。
恐らくソ連軍戦車でこのように操作性の改善を追求したのは初めてのことで、これはトロヤーノフがドイツ軍戦車の構造を充分研究した結果だと思われる。
IS-4重戦車は1947年から量産が開始されたが、重い戦車に対する運用者側の不満は払拭できなかったようで、1949年までに250両が完成した時点で生産は中止されてしまった。
生産中止のもう1つの理由はIS-4重戦車の生産コストがあまりに高過ぎたことで、IS-3重戦車が1両当たり35万ルーブリであったのに対しIS-4重戦車は1両当たり99万4千ルーブリであったという。
朝鮮戦争が勃発した1950年の時点においてソ連軍MBTの中で最強の存在であったIS-4重戦車は、殆どが極東方面に移される事となるが、結局ソ連は参戦しなかったため実戦経験は無い。
IS-4重戦車は極東軍管区に1950年代後半まで残され、IS-3M重戦車のように近代化改修が施されて1960年代いっぱいまで部隊に留まった後、スクラップや標的にされてしまったようである。

 

ST-I

ZiS-5の開発・量産を行っていた92番工場の技術者、A.GaninとA.S.Chasovnikovにより開発されたもので、当時の重戦車の後継として計画されていた。
ST-Iは主力重戦車であるIS-2や、配備が始まったばかりの新鋭IS-3共通の欠点である
・低車高と傾斜装甲を追及した為内部容積が狭く搭載弾薬が過少
・劣悪な居住性、それに伴う迅速な装填作業の難しさ
・中遠距離射撃や行進間射撃の命中精度の悪さ
を改善すべく大戦末期の1945年1月~5月に開発が始められた。
車体は試作IS-4の物が使用された。
砲塔は大きく後方に延長したことにより弾薬搭載量が増加した。これは弾薬の大半が車体底部にあり、砲塔後部の即応弾薬が少なくこれを打ち切ると発射速度が著しく低下する、ソ連戦車共通の弱点を解消するものである。また装填手を二名に増やし、発射速度の改善を図った。
遠距離射撃の改善については可変倍率が可能な新型照準器を装備することで改善が図られた。同時にスタビライザー(砲安定装置)「STP-1ゴリゾーント(地平線)」装備も計画されていたが後のIS-4に装備されず、10年後のT-10、T-54両改良型で量産されたことを考えると、まだ実用性は疑わしいものだったと考えられる。
その他電動砲塔旋回装置や空気圧を防水に利用した川底渡渉装置、新型換気装置等が計画されていた。
意欲的な機構を多く盛り込んだ車両であったが、それ故に予想される開発期間が長すぎるとの軍部の判断で、開発は中止された。しかし開発によって培われた技術は後の戦車に生かされることになる。

 

ST-II

ST-IIは発射速度の早い大口径砲を搭載した重装甲型の車輌として設計された。この車輌の設計はST-Iの開発を引き継いだものであるが、砲精度と発射速度の改善を狙って、砲塔には2門の砲を搭載する予定であった。

 

object703(IS-3)
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1944年8月12日、T-34-85中戦車によって撃破されたドイツ軍の新型重戦車ティーガーIIを調査したソ連軍は、ティーガーI重戦車登場以来のショックを受けることになった。
取り急ぎこのティーガーII重戦車に対処するための対策が練られ、現行のIS-2重戦車と共通のコンポーネントを多用するが、SKB-2が企画中の新型重戦車プランの中では最も早期に完成が期待できるものと見なされ、政府から直ちに開発作業を進めるよう裁可された。
SKB-2のN.L.ドゥホフ技師とA.S.イェルモラエフ技師は、バルジ技師のデザインを採り入れた試作重戦車「Object 703」を1944年10月31日に完成させている。
避弾経始の向上を図って車体側面、後面共に適度な傾斜角が与えられており、特に車体側面は、成形炸薬弾などから身を守るために外壁と内壁の間に空間を設けた空間装甲を採用していた。
重装甲と122mm砲を持っているにもかかわらず、重さはわずか45tとパンター並みの重量しかないという、まさに化け物というべき戦車である。しかし、これは内部容積を犠牲にした結果であり、分離式薬莢の影響も重なって、主砲の発射速度などに悪い影響を与えてしまう結果となった。
ドイツ軍戦車の増加装甲にも空間装甲の思想が盛り込まれていたものもあったが、ここまで大胆に用いた車両は他に例を見なかった。
砲塔は極端に背の低い鋳造製のものが用いられ、その円錐形をした独特の形状は以後のソ連の戦車開発において多くの影響を残している。
このObject 703重戦車は早速工場の試験場に送られ、性能調査が実施されている。
性能調査の結果、良好であると判断されたObject 703重戦車はその後ソ連軍に制式採用され、名称も「IS-3」と改められた。
1945年初めからIS-3重戦車の生産開始までに改良点を明確にするため、クビンカ兵器試験場において国家試験が実施された。
この試験はおよそ1945年4月頃まで継続され、車体前面装甲形状の変更を中心に幾つかの改修が必要であると結論付けた。
IS-3重戦車の車体前面は、試作車では圧延鋼板2枚を上下部分で組み合わせて溶接したものであったが、クビンカでの試験を経て、さらに避弾経始を改善するため前面上部の装甲板を2枚組みにし、車体前端部が三角錐の頂点になるようなデザインに変更されることになった。
そして早くも1945年5月には部隊への引き渡しが始まった。
(初期生産品は溶接の不良で振動で装甲が剥離してドライバーがСалют!・・・するトラブルが発生したのは内緒だぞ。)
しかし、5月9日のドイツ降伏までに完成したIS-3重戦車はわずかに29両に過ぎなかった。

大戦にこそ参加はできなかったが、ベルリンにおける戦勝パレードで初披露された時、その先鋭的なシルエットと巨大な砲に他の連合軍首脳は度肝を抜かれ、これに対抗するためアメリカはM103ファイティングモンスター、イギリスはコンカラーといった重戦車を開発することとなる。(が、時代の変化で重戦車というカテゴリーの有効性が失われていき、まともな戦闘すら行われずに全て退役していった。)

 

Kirovets-1
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1944年初め、チェリャビンスク・キーロフ工場第2特別設計局(SKB-2)の主任技師Zh.Ya.コーチンは、IS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「Object 701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
その内の1つが、M.F.バルジ技師のチームが進めた「Kirovets-1」である。
Kirovets-1の基本構想は1944年夏にはまとまり、SKB-2で集団的検討に付された。
バルジ技師が本車の設計にあたって何よりも念頭に置いたのは、限られた重量や装甲厚の限界の中で、最大効率で防御力を発揮し得る砲塔と車体のデザインであった。
バルジ技師はまず、被弾確率があらゆる角度で最も高い砲塔のデザインについて、角度の深い円錐形にすることにした。
また、砲塔上面に突き出た形の車長用キューポラについては廃止することとし、代わりに旋回式の視察ペリスコープ・マウントを採用した。
また、車体前面と共に斜め方向からの被弾確率が高い車体側面上部については、下側に切れ込む形の傾斜装甲を採り入れ全高を2.45mまで抑えた。
装甲厚は砲塔下部全周囲が220mm、砲塔上部と車体前面が110mmで、車体側面でも90mmもあったが、全体的にコンパクトにまとめられたデザインのおかげで戦闘重量はIS-2重戦車と同じ46tに収まった。

 

IS-3 auto
1956年から1957年にかけて、BTV軍学校の学生がIS-3およびT-10用の新型装填システムの設計案を開発した。IS-3版は自動装填機構を備えた2列式の弾薬庫を採用する案であり、砲塔は再設計されていた。また、搭乗員は装填手を省き、3名に削減される予定であった。本計画は製図段階に留まった。

 

object 704
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KV-1SベースのSU-152、ISベースのISU-152とソ連重自走砲を開発してきたキーロフ工場第2特別設計局は、1945年にIS-3をベースとした、ISU-152のさらなる改良に着手した。これがObject 704(ISU-152 1945年型)である。
Object704はIS-3の車体をベースに152mm ML-20を搭載したもので、IS-3の車体を上に延長したような段差のない車体前面装甲と、傾斜しつつ車内スペースを確保するため複雑な形状をした側面装甲を有していた。152mm ML-20は球状防循を持ち、マズルブレーキは装着されていなかった。
1945年中に完成した本車の傾斜した前面装甲120mmは強力な防御力を提供し、ソ連重自走砲の1つの完成形であったが、ISU-152と比較して優れている点がこの防御力のみであったこと、またマズルブレーキがないため発砲の衝撃が車体に激しく伝わり乗員の戦闘効率が低下するといった点が問題視され、制式採用されたものの量産はされなかった。
なおその後、1956年にT-10をベースに152mm砲を搭載する重自走砲であるObject 268が試作されたが、制式採用には至っていない。

object705
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Object 705(オブイェークト スィムソートゥ ピャーチ)は、Object 260と同時期に設計された後部砲塔の65トン級重戦車の計画案である。
主砲には122mm BL-13が予定されたが、より拡大発展させたObject 705Aともども設計段階を出る事はなかった。

object709
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1951年に試作されたトランスミッションを改善したT-10B。1959年にはクビンカのテストで2500㎞を走りぬき3年後の1962年にT-10M改造の一部になった。

object710(S-64)
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第二次大戦終結後、農業省は新たなトラクターの設計を命じた。引き受けたのはチェリャビンスクの工場だったがプロトタイプか図面のまま終わってしまった。だがシャシーは引き継がれた。

object711(T-140)
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1958年から1965年まで生産されたブリャンスク自動車工場(BAZ)の民間トラクター。最初の製品の1つ。

object712(AT-S)
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AT-Sは1940年代後期に開発された車両で、16トンの牽引力と3トンの積載能力を持っていた[1]。これは、同時期に開発された重砲兵トラクター"AT-T" (25トンの牽引力と5トンの積載能力) および、軽砲兵トラクター"AT-L"(6トンの牽引力と2トンの積載能力)の中間に位置するもので、AT-Sは口径100mm・152mmの榴弾砲や、KS-19 100mm高射砲の牽引に用いられた。

AT-Sはカーゴトラックのような車体上部に装軌式の走行装置を持っており、キャブ部分はAT-TやAT-Lとは異なり角ばった形状で前後に長く、片側2箇所の昇降ドアを持ち、乗員7名が搭乗可能なものとなっている[1]。

AT-Sは1950年代後半まで生産され、多くのソ連友好国に輸出された。1959年以降は後継車種として開発されたATS-59の生産に切り替えられた。

object718
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object279の試作車。

object726
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新たな構成スキームを採用し、高い走破性を誇る重戦車の開発プロジェクトの初期案であり、1947年から1948年にかけてL.S.トロヤノフによって開発されました。
本案では、エンジンが低い位置に配置され、燃料タンクを兼ねた縦桁に4本の履帯が取り付けられており、これによって火災発生のリスクを大幅に低減していました。こういったソリューションによって高い走破性と生存性を実現し、履帯が破損した状態でも走行可能となるはずでした。
サスペンションの上部に車体を配置したことにより、戦闘室を大型化することができたため、豊富な弾薬搭載量と、高い射撃速度を発揮する自動装填メカニズムの採用が実現されていました。
1948年に動作可能な試作車輌が1両製造されています。
(ゲーム内説明より)

object728
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PT-76の初期プロトタイプ。

object730(IS-5)
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Object730は、IS-8(またはT-10)の元になった重戦車である。
IS-5は2種類存在し、1つはIS-2の改良型(Object248)、もう1つがこのObject730だった。

1948年、IS-4の性能を向上させる為の近代化が計画された。
チェリャビンスク工場は、多くの内部コンポーネントを交換し、車両全体の重量を軽くする事を提案した。
その内容はIS-4の重量を60トンから50トンに削減し、近代化されたエンジンに換装する事とした。
Object730の初期型は、コーチン技師が率いるチームによってチャリャビンスク工場で1949年春に設計された。
それは元のIS-4とは全く異なり、IS-3とIS-7の開発時の教訓を活かし、砲塔を改造した。
トランスミッション、サスペンションなど全体的なモジュールが更新された。
この設計案をモスクワへ提出した結果、いくつかの改良を要求されつつ、1949年5月に承認された。
さらに1949年8月までに試作車両を製作する事が求められ、とりあえずIS-4の試作車両を流用する事になり、更新された各種モジュールの試験にはIS-7の試作車両が用いられた。
Object730の1輌目の車体は1949年7月30日に完成し、2輌目の車体は8月9日に完成した。
しかし、各種モジュールの開発が遅れた為、実際に試作車両として完成したのは9月になってからだった。
1949年9月の試験ではトランスミッションの問題が指摘され、同年末までに改良を行った。
1950年3月に改良された3輌の試作車両が製作され、4月の試験では良好な結果を出した。
1950年夏頃に試作車両は10輌へ増産され、様々な軍事試験が行われた。
優秀な結果を修めたObject730だったが、国交省などから新しい要求が出され、そのままでは採用はされなかった。
その後、エンジンの生産に手間取った不手際を隠したり、スターリンの死後の名称問題など、紆余曲折を経てIS-8(改名してT-10)として量産される事になった。

object734(IS-8,T-10M)
D8zdFXqWsAA4kMj.png
object272はレーニングラード工場製でターボ付きのV-12-6Bエンジンと渡河装置を備えている。object734はチェリャビンスク工場製でV-12-6エンジンを搭載し、渡河装置を装備していない。要はobject272もobject734も同一(少しの差異はあれど)の車両であり、生産工場の違いでobject番号が変わっただけなのである。1957年から生産が開始され、object272は1966年、object734は1962年まで生産された。全体の7/3をobject734が占めていた。

object739
D84wErnXkAAraNT.png
D84wFAvXsAApcJ8.jpg
T-10やPT-76やT-62等に搭載された消防システム。

object740(PT-76)
PT_76_7_DOW_TBiU_12.jpg
PT-76はソ連が開発した水陸両用戦車であり、後継機が資金難や開発中止にされたことから後継機のめどが立たず、今でも運用されている。量産は1951年から。火力が第二次世界大戦レベルであるが、先述した通り後継機がいないため、ずっと76mm砲のままである。
装甲が薄く雑魚キャラに見られがちだが、その軽い車体がインフラの整っていない土地の悪路や泥濘地帯での高機動性を生み出しており、軽戦車に求められる偵察、対装甲車戦闘以上の役割を果たしてきた。
なお、軽戦車自体の後継車両は開発されていないが、別枠で空挺戦車というジャンルが未だにロシア連邦では生きており、実質的な後継車両として2S25スプルート-SDとBMD-4があげられる。この二つのうち、BMD-4は100mm滑腔砲と30mm機関砲、対戦車ミサイルを装備した強力な歩兵戦闘車としての役割が強いが、スプルートに関しては125mm対戦車滑腔砲2A75と言う、かの有名なT72やT80、T90に搭載されている2A46戦車砲を基にしたものを搭載しており、使用砲弾も共有されている。またBMDシリーズからの派生ながら、乗員は車両要員のみであり対戦車・装甲車両に重点を置いているとわかる。

object750(BTR-50P)
D9IV_XuXsAAMmQE.jpg
BTR-50は、1952年に開発され1954年にソ連地上軍に制式採用された。BTR-50は、PT-76と同様に滑らかな形状の車体をしており、水上走行時には車体左右の浮き袋を膨らませて浮力を得て車体後部両側のハイドロジェット推進で推進力を得る。

object752
Object-752-1.jpg
1952年、50tの重量制限の基戦車開発が行われた。重量制限が無かったT-10は車内スペースを広く取り、重装甲にすることができたがこちらはそうはいかない。object752は制限を下回ったまま乗員の保護等を念頭に置き設計された。だが競争相手のobject777に負け、object752は放棄された。

object753
24695120371_a08247e6f5_b.jpg
ASU-85の初期プロトタイプ。

object757
d6b373007b90c90876a3b34235321b84.jpg
T-10の車体を改良したものにロケット砲を搭載したもの。

object760
jfr10gyk7kyz.jpg
1961年に試作された軍用ホバークラフト。PT-76の性能を凌駕していた。

object761(BRDM-VPK)
D9h33vQWsAAaqka.png
object760の成功を受け、計画した戦車。だがBMP-1の方に計画が流れてしまった為にボツ。

object764
90bb11d0b07750d33e5aba440f4c242a.jpg
BMP-1のプロトタイプ。

object765(BMP-1)
Soviet_BMP-1_IFV.JPEG
1950年代の終わり、BTR-50装甲兵員輸送車に強力な武装を施すアイデアが出され、これを基に(BTR-50を流用したわけではない)チェリャビンスク・トラクター工場で開発が進められた。66年に試作車オブイェークト765がBMP-1として正式採用され、生産が始まった。低く抑えた車体の上面中央に73mm低圧滑腔砲と対戦車ミサイルを備える砲塔を載せ、後部の密閉式キャビンに兵員8名を収容する。88年までにインド、中国などの生産分も含めて25800輌以上が生産された。それまでの兵士を戦場へ輸送して、降車するまでの間敵の砲火から防御するだけの装甲兵員輸送車と違い、敵戦車を直接攻撃できるだけの武装を持ち、歩兵を乗車させた状態で戦闘を行える
本車の登場は、従来の装甲輸送車輌に比べ非常に画期的とされ、いわゆる「BMPショック」を西側諸国にもたらした。

object767(PRP-3)
2376_1.jpg
「ヴァル(堡塁の意)」の愛称で呼ばれる砲兵/偵察部隊用観測車両で、ソビエト(ロシア)軍での分類名称は「機動戦場観測システム搭載車」。BRM-1Kと同じ大型砲塔に各種光学精密観測機器と方位指示機を搭載し、弾道探知レーダーを砲塔後部に搭載している。武装は、7.62mm機関銃PKTのみを装備し、73mm低圧砲2A28は撤去している。

object768
latest?cb=20151222024840.jpg
BMP-2のプロトタイプ。

object769
Object_769_in_Kubinka_Museum.jpg
BMP-2のプロトタイプ。

object770
T2xEn4H.png
770-3.jpg
770.jpg
1957年に試作された重戦車。ハイドロマティック自動変速機、130mm砲を備え最高速度55㎞を記録した。

object772
90984f75z4u01.jpg
対戦者誘導ロケット「ロータス」と73mm滑腔砲のベルト弾倉式自動装填版との連装になっている。そして球体鋳込み複合装甲をもっている。

object773
D-BTOAoXsAMwzgp.jpg
BRM-1のプロトタイプ。

object774(BMP-1KSh)
自動車化狙撃兵(機械化歩兵)師団の移動司令部用として使用される野戦指揮所車両。武装は、7.62mm機関銃PKTを1挺装備するのみだが、通信設備を大幅に強化しており、各種有線野戦電話や、軍用/民間用有線電信回線との接続装置も搭載している。また、伸縮式アンテナマストを装備し、車体後部には発電機を搭載している。操縦士の他、指揮官や参謀6-7名を搭乗させることが可能。

object775
D18yav_VAAE3J6c.jpg
T-64ベースに開発された車体に125mmライフリング付ロケット砲D-126を搭載した戦車。視界の悪さとミサイルの誘導性能の低さが指摘され試作のみ。

object777
object777-3.jpg
T-10のライバルであり、あらゆる点でT-10を凌駕していたが、重戦車の有用性が疑問視され、高価格だったことも災いしてT-10にやぶれてしまった。

object780
400?cb=20151222010945.jpg
Object775を基に、125mmライフリング付ロケット砲D-126に15発のルビー対戦車誘導ミサイルと22発のボル無誘導ミサイルを搭載した戦車。

object781
latest?cb=20151222202141.jpg
BMPTターミネーターの試作車。

object782
558f0cf91544da1d52e26206ab388fa5.jpg
同じくBMPTターミネータの試作車。

object785
785.jpg
1970年代後半に試作された戦車。T-80Bの改良型で、7つの転輪が付いていた。この戦車は新世代の125mm 2A82滑空砲を搭載しており、50発の弾薬を搭載することができた。

object787
latest?cb=20151222202422.jpg
チェチェン独立紛争時に独立を防ごうとしたロシア側が開発したIFV。T-72AVの車体と砲塔の大部分を流用し、125mm砲の代わりに、砲塔側面に12.7mm機関銃や30mmロケットを装備している。

object788
latest?cb=20151223215231.jpg
object788はチェリャビンスクで設計された戦車。object934とobject685の競合相手だったが、図面上で条件が満たせない事を指摘されボツ。

800~899

object801、802、805、809
EGsz0csXUAIOhlt.jpg
EGsz0c0X4AEuoxW.jpg
EGsz0csW4AUatt7.jpg
R-2及びR-5ロケットの発射をサポートする車両。
このうちobject809はリローダーであり、他は燃料補給に徹する。

object803
EGx-7zPWsAE8NhY.jpg
ISU-152の車体に基づくミサイル発射装置。

object804
EGx-7zxWoAEynL1.jpg
ISU-152の車体に基づくミサイル発射装置。

object807
EG8jOKgXUAUHraT.jpg
詳細不明

object810(2P19)
2P19_9K72.jpg
IS-2の車体を利用したロケットシステム。

object815
3a440f2a556f.jpg
RT-15中距離弾道ミサイルの発射装置。IS-2の代わりにT-10のシャーシを利用していた。だが試作におわった。

object816,817
EHKOWfhW4AATYm5.jpg
object810の改良型。object817には独自のリロードクレーンが付いていた。

object821
117996cf16a806d3b67d9624d6c2bc3d.jpg
詳細不明

object825
EHpjhZqXkAA2ZJT.jpg
詳細不明

object829
EH1TluXX4AEgRUd.jpg
15Zh42大陸間弾道ミサイルの運搬車のプロトタイプ。T-64、2両がせっせと運んでいる。その後履帯式トレーラーなどが検討されるも量産型ではMAZ-547に落ち着いた。この運搬車はなんと映像が残されている。
https://www.youtube.com/watch?v=vKjBH8TR2qc

object830
000-9A83-1.jpg
詳細不明

object831
S-300V_-_9A82_TELAR.jpg
詳細不明

object834
obekt-830_2.jpg
詳細不明

object835
i-img768x576-1556478505z42r5z1226650.jpg
詳細不明

object851(ZIL-153)
zil-153-12.jpg
BTR-152の後継として試作された歩兵戦闘車。1960年にテストに合格したが、安価なBTR-60が大量生産に入りそちらの方が優先されたためボツ。

900~999

object904
EI9XiGHWoAA98xr.jpg
PT-76に基づいた試作ホバークラフト。

object905(BTR-50PN)
EJcyHy-WsAIdqAD.jpg
1958年に試作された指揮統制車。

object906
906_02-L.jpg
1961年から1962年に、ボルゴグラードトラクター工場にて試作された水陸両用戦車である。
車体はアルミニウム合金でできており、300馬力のエンジンは、地上で最大75km/h,水上で12~15km/hで走行する性能があった。
主砲には85mm D-58砲を用い、従来のAPCBC,HEに加え、装甲貫徹力300mmを誇るHEATFSの発射もできた。
1963年にクビンカのBT研究所でテストには合格したが、採用されることはなかった。

object906
EJMcwDOXYAAHd2V.jpg
125mm砲を備えたSPGと思われる。モックアップだけ作られた。

object907
object-907-2.jpg
1953年7月13日、新世代の中戦車の開発開始が決定され、第100研究所により開発が行なわれた。計画案は 1954年3月に提出され、1955年の初めには新車両の車体の防弾性試験が実施された。しかしながらその後、計画は中止された。

object907(PT-76M)
EJSGTeYW4AMPY4Y.jpg
エンジンの出力を強化、車体先端の形状を鋭角的な船型とし、側面がより膨らんだ形状とした改良型。試作のみ。

object910
EJw6kMJXsAATeSg.png
object160の改良型。車体はコンパクトになったが代わりに水陸両用性能が失われた。軍のテストなどを受け合格したが軍の方針変更で車輪付きミサイル、ランチャー等を利用することになり、不採用になってしまった。

object911
object-911-01.jpg
1963年にIV Gavalovの指揮の下、VGTZ設計局によってヴォルゴグラードで開発された。同年には試作車が完成し、翌年に実施されたテストでは肯定的な評価を受けた。だがBMP-1が優先されてしまい結局不採用になった。この戦車にはいくつか面白い機構がありまず一つ目が車高制御装置。
EEQVLHkUcAEU-eR.jpg
74式の様に上下左右縦横斜めには出来ないが一応上下に稼働する。
そしてもう一つが水陸両用機構。
EEQVLHhU8AEztYH.jpg
これはこの手の戦車にとっては普通だが特筆すべきは車輪が出るところである。この車輪はIL-14のものを流用し、主に高速道路を走行するときに使うことが考えられていた。

object914
41f478f9f716b9d30c2dce6c17a491e1.jpg
BMP-1の競争相手。競争に負けた後、ロシア空挺軍に採用されロシア空挺軍用のobject914bも作られた。

object915(BMD-1)
latest?cb=20151223203551.jpg
BMD-1-vbci-Russie-004.jpg
BMD-1の試作車、もしくはBMD-1。BMD-1(БМД-1;Объект 915)は、ソビエト連邦の歩兵戦闘車(IFV)。BMDとはロシア語で空挺戦闘車(Боевая машина десанта)を意味し、空中投下が可能なように設計された装甲車両である。従来、ソ連空挺軍(現 ロシア空挺軍)にはASU-57などの自走砲が配備されていた。しかし、こうした空挺車両は既存の装甲車両を流用した車体に過ぎず、また兵員の輸送が考慮されていなかった。
また、1962年のキューバ危機ではアメリカ軍がカリブ海に迅速に戦力を展開できたのに対し、ソビエト連邦軍は緊急展開に時間を要したため、ソ連は外交的に優位な立場に立つことができず、キューバからのミサイル基地撤去という結末を迎えた。
こうした事態から空挺軍の装備を抜本的に見直す必要が生じ、1965年にヴォルゴグラード・トラクター工場で空挺部隊専用の装甲車両の設計が始まり、1968年に試作車両が完成。翌1969年にはBMD-1として制式化され、量産と配備が開始された。

object916(BMD-2)
EKPu_NzWoAEdEBY.jpg
1979年12月のアフガニスタン侵攻作戦と、その後のムジャヒディン(回教徒ゲリラ)との戦闘に投入された経験から、BMD-1空挺戦闘車の主砲である30口径73mm低圧滑腔砲2A28「グロム」(Grom:雷鳴)は、対ゲリラ制圧戦闘ではその短い有効射程と低い命中精度、擲弾の低い威力が問題とされた。
そこでBMP-2歩兵戦闘車の登場に倣って、これと同じ80.5口径30mm機関砲2A42を搭載する空挺戦闘車の開発が1983年よりヴォルゴグラード・トラクター工場で始められ、1985年から量産に入った。

30mm機関砲を装備する新型砲塔をBMD-1空挺戦闘車とほぼ同じ車体に搭載した本車は、「BMD-2」(オブイェークト916)と称された。
BMD-2空挺戦闘車の砲塔はBMP-2歩兵戦闘車とは違って1名用のものであるが、武装の2軸安定化装置が装備され、走行間にも30mm機関砲や同軸の7.62mm機関銃PKTをもって目標に有効弾を集中できる。

主砲の30mm機関砲2A42は550発/分の発射能力を有しているが、BMD-2空挺戦闘車に搭載している弾薬数はスペースの関係から300発となっている。
30mm機関砲弾は弾種毎に2つの装弾トレイに区別して充填され、発射弾種の切り替えは機関砲装填口へのトレイの継ぎ替えで行われる。
通常、徹甲弾180発と高性能榴弾120発の組み合わせで砲弾は搭載されている。

また砲塔上面には9M111/9M113半自動誘導対戦車ミサイルの発射機を取り付けることができ、3発のミサイルを車内に搭載する。
BMD-1空挺戦闘車では車体前端両側に7.62mm機関銃PKTが固定装備されていたが、BMD-2空挺戦闘車では左側の機関銃が廃止され右側1挺のみとなっている。
固有の乗員は操縦手、車長兼砲手の2名で、その他に5名の空挺隊員を搭乗させることができる。

車体最後部は機関室となっており、5D20 V型6気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力240hp)を縦置きに搭載している。
BMD-2空挺戦闘車は、BMD-1空挺戦闘車に比べて戦闘重量が約700kg増加したため路上最大速度がBMD-1空挺戦闘車の70km/hから60km/hに低下しているが、逆に路上航続距離はBMD-1空挺戦闘車の320kmから500kmに大きく延伸している。

BMD-2空挺戦闘車はロケット・ブースター式着地緩衝システム付きパラシュート降下装置PRSM925を用いて、Il-76またはAn-22大型輸送機より高度500~1,500mからパラシュート投下できる。
乗員は別途パラシュート降下し、着地点で本車に乗り込むようになっている。
BMD-2空挺戦闘車は現在は生産が停止されているが、BMD-1空挺戦闘車等と共に空挺部隊での配備と運用は現在も続いている。

object924
2S2_Prototype.jpg
3019c9a17060c6ba0fdfa741dd401f93.jpg
BMDベースの車体に122mm 榴弾砲を搭載した駆逐戦車。反動に弱いことが指摘されボツ。

object925(BTR-D)
Vdvcompetition10.jpg
BTR-D(ロシア語:БТР-Д)は、ソビエト連邦で開発された装甲兵員輸送車(Бронетранспортёр;略称:БТР)。BMD-1から砲塔を取り外し、車体を延長して乗員数を増加させた型である。BMDと同様に、空中投下が可能なように設計されている。1974年採用。2013年以降、後継のBTR-MDに順次置き換わっていく予定。
BTR-Dは、BMD-1の車体を元に設計されているが、全長が483mm延長されている。操縦席は車体前方の中央に位置し、その両側には機関銃手各1人が位置し、PKT7.62mm機関銃を操作する。弾薬搭載数は、機関銃弾×2,000発である。
兵員室には完全武装の空挺兵1個分隊(10人)を搭乗させて輸送できる。兵員の乗降は、天井の2ヶ所のハッチと後部の大ハッチを通して行われる。車体には2ヶ所の銃眼が存在する。
他車両との通信用に、R-123M無線機が設置されている。煙幕展開用に、熱煙幕発生器と発煙弾発射機902V×4基が設置されている。消火装置とNBC防護システムも設備されている。

object926(BMD-1 KSh)
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BTR-Dをシャーシに使った大隊級の指揮・幕僚車。R-123無線機×2台を搭載。

object932(BREM-D)
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BTR-Dをシャーシに使った修理兼回収車。クレーン、牽引機、鋤、溶接機を搭載していた。

object934
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PT-76の後継として開発された100mm滑腔砲2A48を搭載した水陸両用軽戦車。

object937
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空挺部隊向けのBMP-2に対応する計画。object934のシャーシを流用していたがモックアップだけに留まり、最終的にプロジェクトはBMD-3に進化した。

object940
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空挺部隊用に1976年に開発された戦車。水陸両用で水上で10㎞を出すことができたが不採用に終わった。

object950(BMD-3)
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BMD-3は、1980年代中盤、A.シャバリン主任設計師により開発され、1990年にソビエト連邦軍の装備として採用された。BMD-3では、空挺兵を内部に収容したまま空中投下が可能なように設計されている。

object952(2S25 SPRUT-SD 125mm SPG)
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2S25は、1990年代初めに開発が開始され、設計と開発作業はエカテリンブルクの第9砲兵工場で行われた。当初はIl-76 キャンディッド輸送機から搭乗員を乗せたまま投下することを目的とした空挺軍向けの装備であったが、水上浮航能力を標準で備えていることもあり、PT-76に替わる軽戦車として、また、2S1および2S9自走砲に替わる上陸作戦時の対戦車・火力支援用に海軍歩兵(ソ連・ロシアの海軍陸戦隊)部隊での運用も検討されていた。

ロシア連邦軍では2015年までに58両を導入する予定であったが、2010年4月9日、ロシア国防省国防次官であるウラジーミル・ポポフキン上級大将は、2S25についてオブイェークト195(T-95)・BMD-4などと共に調達計画を断念する、と発表した。

これは後に修正され、2012年1月25日、海軍歩兵向けに2S9自走砲の更新として、2S25を今年までに10両配備する方針が発表された。

object955(BTR-MD)
ELiUUpVXYAIA-zK.jpg
BMD-3のシャーシに基づいた歩兵戦闘車。砲塔はないが、13人の兵士を輸送できる。

object958
ELvdkbMWsAEWDKV.jpg
BMD-3の車体に基づくNBC偵察車。線量計などが搭載されていた。

object960(BMD-4)
EL8BmRwXsAIQU2M.jpg
BMD-4空挺戦闘車はBMD-3空挺戦闘車の火力を強化するために、BMP-3歩兵戦闘車と同じ武装を装備するトゥーラの制御システム開発設計局(KBP)製の「バフチャー(Bakhcha:スイカ)U」砲塔を搭載したタイプであり、「BMD-3M」とも呼ばれる。
本車の開発は、一連のBMD空挺戦闘車シリーズの開発を担当したヴォルゴグラード・トラクター工場(VTZ)設計局が手掛けており、1990年代後期に設計が完了したものと見られている。

BMD-4空挺戦闘車は旧式化したBMD-1/BMD-2空挺戦闘車を置き換える目的で開発されたもので、2004年の終わりから部隊配備が開始されているが、ロシア政府の財政難等で2010年に一旦調達が中止された。
しかし2012年末に調達が再開されることになり、2020年までに最低1,000両が生産される予定になっている。
なお2005年にVTZが経営破綻したため、クルガン機械工場(KMZ)設計局の手で2008年に改良型のBMD-4M空挺戦闘車が開発されており、現在はこちらのタイプに生産が移行している。

object975
latest?cb=20151222204009.jpg
T-100兵装を用いた軽戦車の計画案であり、1960年代中盤に、第100研究所とGSKB-47 (国立特殊設計局)によって共同開発されていました。
本案には素晴らしい装甲が施されており、正面に被弾した場合であれば、距離を問わず 90mm砲弾に耐え得るレベルでした。
(ゲーム内解説より)

1000~1200

object1015
object-1015-image01.jpg
object-1015-image05.jpg
1958年にクタイシの自動車メーカーで試作された装甲車。BTR-60の競合相手だったが負け不採用。

object1020
1524583997_obekt-1020.jpg
1524584007_obekt-1020v.jpg
object1015が不採用だったのにもかかわらずプロジェクトは放棄されずいくつかのアイデアの開発が続けられた。作業を簡素化及び高速化するためにobject1015のアイデア等を利用することが提案された。基礎はobject1015なものの大部分は作り直した。全体的なレイアウト、一部の機能などを保持しつつ計画は進んだ。軍の要請によりobject1020は輸送機に搭載できる能力も求められた。開発作業は1963年の数か月間続いたが同年末にはプロジェクトは中止されてしまった。

object1040
abe38ae35179113bdb8934a718c10eed.jpg
object1020の開発は中止になったが戦闘車両の開発は終わっていない。object1040は対空ミサイルシステムまたはその他軍事機器の基礎となることが提案された。object1015やobject1020は試験場へ到達することは出来なかったがobject1040は試験場へ赴きその能力を発揮する事ができた。だが不採用。

object1200
f6de1c2de2373f55eff287045dec2a6c.jpg
object-1200-02.jpg
1964年に試作された装甲車。73mm砲、同軸に7.62mm機関銃、9K111を搭載する予定だった。BMP-1の競合相手だったが雪上だと大きく行動が制限されてしまい不採用に。

 

主な引用
引用:https://wikiwiki.jp/warthunder/
引用:https://wikiwiki.jp/wotanks/
引用:https://twitter.com/project1144
引用:http://combat1.sakura.ne.jp/


T110重戦車計画に関する新説

アメリカのT110重戦車群の史実に関して一部資料では従来の参考元と異なる見解が与えられている。

TS-31 / T110E1

1954年のデトロイトの新型重戦車会議では、(鉄道トンネルの世界基準である)ベルントンネルの通過できるサイズに収める事、2年以内に試作車両が製造できる事が必要条件とされた。
会議ではTS-2、TS-5、TS-6、およびTS-31などが提示され、その中で開発継続が決定されたのがTS-31であった。
TS-31は車高の低い戦車ではあったが、狭いベルントンネルに収まるサイズでは無かった。
T110_history01.jpg

T110E2

クライスラー社から提案されTS-31より僅かに小型化した改修案。
こちらの案では車長はエンジンの上に座るような搭乗員配置となっており、車長が高温に悩まされた可能性がある。
しかもこれでもベルントンネルの通過にはサイズが大きすぎた上に、製造担当のデトロイト・アーセナルから操縦手席の確保が困難であるとして却下された。
T110_history02.jpg

T110E3

TS-31への回帰したようなデザインの改修案。
ただし、この案では射撃時の主砲の反動で車長が圧殺される可能性があり、それを避けるためには車長に窮屈な座り方を強制する事になったので却下された。この案でも、副砲塔の天辺がベルントンネルの天井に当たってしまい、横幅も広すぎる。
T110_history03.jpg

T110E4

製造担当のデトロイト・アーセナルが提案した改修案。この案では、トランスミッションが後部に配置されている。
しかし、操縦手を囲むように車体正面が大型燃料タンクで埋め尽くされており、もちろん却下された。また、高さ、幅ともに基準を満たしていない。
T110_history04.jpg

T110E5

本ゲームにおけるE3(とE4)と同じデザインの案。こちらも、トランスミッションが後部に配置されている。
この改修案ではエンジンのメンテナンス性の向上を図ろうとしたが、車長席に干渉しないようにすると剛性に欠ける事が判明し、車長席下から車体後部をまたぐ形でエンジンを配置した。
車高はぎりぎり目標を達成したものの、横幅がベルントンネルの基準をクリアできず、この案は却下された。
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T110E6 / The definitive version of the T110

本ゲームにおけるE5と同じデザインの案。
無砲塔に固執する必要性が無い事にようやく気付いたクライスラー社の提案であり、装填手を1人降ろして搭乗員を4人とし、大幅に戦闘室内を圧縮する予定だったようだ。
M103とターレットリングのサイズを合わせて互換性を持たせたが、やはり横幅がベルントンネルが通過できるようなサイズに収めきれず、計画は中止となった。
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参考:World of Tanks Wiki - T110E5


R35とその愉快な足回りたち

 フランスが戦間期に開発した戦車。鈍足で砲も弱いという乗っていいことあるのか疑問な戦車ですが、そんなR35にも足回りを改善した試作車が何両かありました。1935年4月25日にフランス軍によって採用された軽戦車(?)Char léger Modèle 1935 Rは多くの点が妥協で作成されていました。ルノーFTの代替として作られたこの戦車はルノーFTと速度の点でほとんど変わっておらず軍備の点でも同様でした。ルノーFTより強固な装甲は持っていたものの兵はFCM36をより好みました。FCM36は高価ですがより歩兵戦車の役割に適していました。R35は遅すぎて歩兵の進軍に追いついていけなかったのです。その為にフランス軍は足回り、シャーシをグレードアップした車両を作りました。

最高の足回りを探して
R35は部分的に装甲を増やしうっかり撃破されるようなことを減らそうとしました。その結果、重量は6tを超え開発の終わりには10tクラスにまで行ってしまいました。この場合速度は重要なパラメータではありませんでした。フランスの歩兵の観点からは、高速移動が最優先事項ではなかったということです。結局、R35の主な任務は前進している歩兵の戦闘編成を支援することでした。しかし重量過大などから馬の進軍に追いつけず結局独りぼっち取り残されてしまいました。

ロレーヌ社

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ロレーヌによって開発されたシャーシを履いたR35。R35のシャーシの近代化をロレーヌは図ろうとしました。1939年に量産が開始されたLorraine 37Lのシャーシを換装させたのです。ですが結果は近代化には程遠く換装するには車体に新しく118個の穴を開けなければならず重量も元のR35より1.5tも増えるということが判明しました。軍がロレーヌの提案を拒否したのは言うまでもありません。

ルノー社その1

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一見何の違いもありませんが転輪が5つだったのが10個に増えています。ルノーは問題のある足回りを簡単に現代化することを考えました。近代化の最初のバージョンは、各トラックローラーの場所が2つの小さい転輪に変更されているという点でした。ですが、これによりシャーシの設計がはるかに困難になり実用的ではないとバッサリ切られてしましました。

ルノー社その2

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ルノーR35近代化計画のprototype2型です。どういうわけか彼ら(ルノー)はR35のシャシーの根本的な問題がシャシーの不十分な長さにあると考えました。
素晴らしい!君たちは正しいよ。こうしてルノー社から怠惰なデザイナーたちが出ていくんです。この「改良」は重量を700キログラム増加させました。しかもシャシーの問題も解決しませんでした。

結局はルノーR35近代化計画のprototype3型に落ち着きましたが結局その後、R40が生産に入り、R35の需要はなくなってしまいました。

R35の愉快な仲間たち

 ここでは各国に輸出、鹵獲され、改造されたR35達を見ていこう。

ドイツ

Panzerkampfwagen 35R 731(f)

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(改造を施す前のR35)
標準の戦車型。まったくの無改造である場合もあるが、多くは、砲塔上面にハッチを付ける改造が行われていた。これは本来のキューポラを基部のみ残して切断して付ける場合と、キューポラ自体を撤去して砲塔上面に直接ハッチを付ける場合とがあった。無線機も搭載され、左フェンダー上にアンテナが設けられた。フランス駐留の歩兵部隊などに警備用に分散配備されたほか、1943年に再編成された第21戦車師団の第100戦車旅団にも配備されたが、後者はほぼ訓練用途で、数ヶ月後に兵站部に返却されている。ほか、装甲列車に積載されたものもあり、列車上から射撃するか下車して機動戦闘を行った。この種の装甲列車は主にレジスタンス/パルチザンの破壊工作から鉄道線を守るために運用された。

4.7cm Pak(t) auf PzKpfw 35R(f)

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I号対戦車自走砲の生産終了に伴い、これに代わる車両として、R35ベースの同種車両の開発命令が1940年12月末に出された。アルケット社の設計により、1941年5月から10月にかけ、計200輌が改装された。これは、その後ドイツ軍で多用された戦車車台利用の対戦車自走砲としては、I号対戦車自走砲に続く2番目のものだった。搭載砲はI号対戦車自走砲と同じチェコ製4.7cm対戦車砲だが、新設された上部戦闘室は上面を除いて四周が防御されており、I号対戦車自走砲よりも防御力は向上していた。2線級の対戦車大隊で使用され、1942年、一部が重砲牽引車に再改装されたが、1944年になってもまだ110輌がフランス駐留の部隊で使用されており、ノルマンディーの戦いでも、非力ながら連合軍を迎え撃つために使われている。

5.0cm Pak38 auf PzKpfw 35R (f)

4.7cm砲搭載自走砲の能力向上型として、5cm砲搭載型が1941年に試作された。搭載砲を除き、戦闘室形状は4.7cm砲型とほぼ同じである。試作1輌のみに終わった。

Befehlspanzer 35R (f)

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4.7cm砲搭載自走砲の随伴指揮用車両として26輌が製作された。基本形状は4.7cm砲搭載自走砲と同じで、主砲の代わりにMG34機銃1丁を戦闘室前面に装備するタイプの写真が残されているが、通常の戦車型ベースの指揮車両が用いられたと記述する資料もあり、26輌の生産台数がどちらを指すのかはっきりしない。

Munitionspanzer 35R 731(f)

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弾薬運搬車。通常の戦車型をベースに砲塔を撤去したもの。

Bergeschlepper 35R 731(f)

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回収車。弾薬運搬車同様、通常の戦車型をベースに砲塔を撤去したものが用いられた。弾薬運搬車や回収車の一部は、砲塔用開口部を塞いだもの、あるいはこの部分に防盾付きMG34機銃を装備したものもある。

Mörserzugmittel 35R (f)

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弾薬運搬車や回収車と同様、砲塔を撤去したR35が重砲牽引車として使用された。15cm重榴弾砲、21cm重臼砲などの牽引に用いられた。

ルーマニア

Vânătorul De Care R35

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ルーマニア軍はドイツのポーランド侵攻から国内に逃れてきたR-35戦車73両を入手。旧式化は避けられず、1944年7月までに30両がターレットリングの拡張、ソ連の45mm 20-K戦車砲の搭載する改修を受けた。一部は後の対独戦にも投入された。

R35/T-26

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このR35/T-26については一切が不明で、ドイツの現地改修車という説が一番濃厚である。だがこれも「説」であり2枚目の写真に写っている二人の男性もいづれも国籍不明である。だが一枚目の写真にはドイツ陸軍の黒十字のマークが見えるのでドイツ戦車と思われる。

レバノン

名称不明

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この戦車も上記のR35/T-26のように全く資料がなくここで分かっていることだけを述べる。レバノン軍が戦後入手し、(どのような経緯で入手したかは不明)オードナンス QF 2ポンド砲に換装したもの。この戦車は現在、フランスのある団体にて修復中である。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC_R35
引用:http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/romania/vanatorul-de-care-r35/#comment-2027
引用:http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/france/Renault_R-35.php

WGによって生み出された戦車達

WoTには数多くの車両が実装されているが、中にはツリーをTier10まで埋めるために、WGが無理矢理考え出した戦車や、史実での装甲を一部過大評価して実装した戦車がある。ここではそれらを紹介していこう。
また、PC版WoTと異なり、BlitzにはTankensteinを始めとして、浪漫ある架空戦車も数多く実装されている。これらについても紹介する。

計画としては確かに存在していた戦車なのだが、実は元々T23の車体に90mm砲を搭載しようと開発された駆逐戦車なのである。何故名前がT25 ATとなっているのかは謎。ちなみにT25という名の戦車は別に存在し、T20開発計画の流れの中で、90mm砲を回転砲塔で搭載しようとした中戦車である。これはパーシングの前身に当たるのであるが、この戦車の登場によりT23の駆逐戦車化計画は無意味となってしまった経緯がある。

こちらはT23車体にJacksonの砲塔を積んでいた戦車である。砲塔の径は同じであったようなので、たしかに物理的には可能との事だが、実際は全くもってその様な計画は無かった。これはツリーを埋めるためにWGが考えた戦車という説が濃厚である。

この戦車は、T28超重戦車を作るにあたって最初に構想された戦車だとされる。よく調べてみるとこの初期の構想というのは一枚の絵に行き着く。それが下の絵である。
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WGはこの絵一枚から3Dモデルを作成しゲームで戦わせているのだから全く恐れ入る。

 

因みに本家ではHD化がなされて天板がついた。上の絵から天板がついてるのかどうかはわからなくて当然である。
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T28とはT95戦車駆逐車の初期の呼称である。即ち本来T28はT95と同一の車輌を指すのであって、このゲームに登場するT28はTier8相応に弱点を設定し火力を向上させたWGの架空戦車となる。
純粋にT95の外側履帯を外した戦車だと勘違いしている人が多いが、上で述べた弱点、すなわち車体下部の構造物によって史実通りとはいかない戦車が出来上がっているのだ。
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▲比較してみるとよくわかる。左がT28
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▲PC版でHD化されたT28。より史実に近い造形となっている

T110E4
T110計画で砲塔を旋回出来た戦車はT110E5だけである。
じゃあ史実においてT110E4は何者かと言うと、実はゲーム中のT110E3そのものである。
つまりゲーム中のT110E4はWGの創造物。そしてゲーム中のT110E3は命名ミスを食らってしまったという訳である。

E50計画で変速機を車体後部に移動させようとする考え方自体は検討されたのであるが、結局はTigerIIの発展型のような考えに落ち着いたため、この造形自体はWGによってデザインされた。ナチスドイツの夢をWGが形作ったと言ったところだろうか。
何より面白い事にこの戦車のデザインはWGが特許を取っている。
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183mm浪漫砲を積んだ駆逐戦車は計画されたものの、これに120mm砲を積もうとした記録は全く残っていない。FV215b(183)が本来ならFV215bとなるのだが、WGの捏造により(183)を付けさせられるはめに。

些細な問題ではあるが、史実の車高とWoT通常モデルの車高は大きく違う。本家PC版ではHD化とともに修正された。
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▲左が史実サイズで右がBlitzのサイズである

この2両はどちらも史実では正面装甲80mmである。ツリーを埋める為に装甲を水増しした上で実装したと考えられる。

史実では三突よりひと周り大きく、正面80mmに傾斜となかなかな防御力をもつ戦車のはずであった。
ゲーム中では目を疑う程の小ささに設定されているのだが、これはかなり大胆で明らかなWGのミスである。
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▲史実サイズとの比較アニメーションである
サイズの適正化はかなりの弱体化となってしまう。課金戦車のNerfは出来ない故に一生これは治らないだろう。
更に付け足すと史実では前進と後退で同じ速度を発揮する画期的な変速システムを搭載する事が予定されていた。こちらも実装されてないようだ。

Panzer V/IV (Bergepanther mit Pz. IV Turm)

ベルゲパンターの現地改造車両として知られて居るこの車両であるが、史実では砲塔はボルトで固定されていた。ゲームでは砲塔旋回可であるのだが、そのような車両は存在しない。

E-100の駆逐戦車化は実際に検討されていたものの、図面も無いため戦闘室の形状はWGが考えたものであるというのが定説である。
砲は実際に存在している!よってE-100駆逐戦車案は実在する!…とする資料もあるが、実はこれ、Waffenträger Grille17というティーガー2の車体をベースとした自走砲(本家ではティア9自走砲 G.W. Tigerとして実装されている )のものであるのでただの勘違いである。
まあ車体は実際に試作されたE-100そのものであり、なおかつヤークトパンターや4号駆逐戦車などの、前方に重量が集中してしまうノーズヘビーが問題視されていたことを考えると、17センチ砲を搭載する計画としては現実的な形状ではある。

装甲厚と主砲が実際のものと大きく違う。イギリスTier10MTの枠を埋める為に本来の性能を調整したものと思われる。
本家ではCenturion Action XにTier10MTの席を譲り、史実に沿った装甲、砲をもってTier8課金戦車に置き換えられた。Blitzでの置き換えについては全くの未定である。


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2015年ハロウィンイベントにて特別ミッションの達成者に配布されたオリジナル戦車である。所属国家はドイツであるが、車体はTiger(P)、砲塔はKV-4、砲はSU-100Y又はT29のものから選択という、各国のゲテモノ戦車のパーツを集めた浪漫の塊である。
名前はFrankensteinとTank(戦車)を掛け合わせた造語であり、見た目は名前の通りフランケンシュタインの怪物を意識したデザインである。

 

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▲砲をT29のものに変えると特徴的な大きな防盾までついてくるのでわかりやすい
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▲主砲塔と副砲塔がパイプで繋がれていたり、禍々しいつぎはぎ等があったり中々凝ったデザインである。かぼちゃのマークのお隣には工具ではなく鎌がとめられている。何に使うのだろうか。
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▲後部左側にはマフラーが付いていて、戦闘中はここから火が吹く。

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Tankensteinの実装から一年。2016年ハロウィンにて、昨年に引き続いて2両のオリジナル戦車が登場した。その1つがHelsingである。
所属国家はその他枠の多国籍として実装され、車種は駆逐戦車となっている。見た目はかなり派手な装飾と形状にTankensteinもビックリな奇抜さを誇っている。何よりも特筆すべきなのは、本車の主砲である。最初に見た人は度肝を抜かれただろう。何と、WoTB初の2連装砲となっている。発射ボタンを押すと0.25秒間隔で2発飛び出るという形で、今までの例になかった連装砲を上手く再現している。

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上記のHelsingと共に実装されたハロウィンイベント限定戦車。フランス中戦車AMX CDCを元にドラキュラ風の装飾を施したものとなっている。また車体のサイズや各種性能に変更が加えられている。

 

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▲CDCとドラキュラの比較画像

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2017年の春節イベントににあわせて実装されたWGオリジナルの駆逐戦車。
多国籍でこそあるが、春節イベントであるために強く中国を意識した戦車である。まず、WZ-13○の名前は、中国の軽戦車につく名称である。さらに"G FT"は、中国の対戦車自走砲化された車両に付く名称である。WZ-135という戦車は存在しないのでそこがWGのオリジナルとなっている。設定上の搭載エンジンはWZ-132に搭載される計画があったディーゼルエンジンであり、砲もD-25Tを意識したものになっている。


コメント

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最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • なんかバグった...? -- 2019-11-23 (土) 16:45:48
    • >obj関連を編集している方 編集の都合なのか、(項目的に)同じ内容が繰り返されていたため、行数オーバーになっていました。前半の内容はそのまま、後半の内容を予備ページ?に逃がしてあるので、編集が終わり次第予備ページの方は削除してください。 -- 副管理人 2019-11-24 (日) 15:47:15
      • 有難うございます。 -- 2019-11-27 (水) 12:48:43
    • 11/22に編集した者です(詳しくは2つ上の木を参照)。その時点では"object シリーズ総まとめ"より下は表示されていたので異変が起こったのはそれより後のはずです。ちなみに私はそれ以降編集しておりません。 -- 2019-11-25 (月) 01:00:58
      • その後起こったのは間違いありません。object777を編集し、一度更新した際に起こりました。 -- 2019-11-27 (水) 12:50:13
  • isシリーズいる? -- 2019-11-24 (日) 18:58:09
    • いる(即答) -- 2019-11-25 (月) 08:34:58
    • もう投票で結論は出てるから"いる"、"いらない"という質問は愚問。 -- 2019-11-25 (月) 08:37:44
      • これ多分だけど、重複してるから聞いたのでは?objシリーズが全部まとめられてる以上、わざわざ項目分けて書く必要は無い気がするけど。 -- 2019-11-25 (月) 10:43:22
      • 言葉足らずで正直すまんです、葉1の通りobjシリーズとの重複が気になります。 -- ? 2019-11-25 (月) 11:56:46
      • isシリーズではゲーム内のブランチのように系譜だけ解説して…というようにすればよろしいかと(どのようにすればいいかはわかりません…) -- ? 2019-11-25 (月) 11:59:24
      • ページ後半の内容8割方objと被っちゃうしな...。なんか上手いまとめ方できないかな?(思い付かない -- 葉1? 2019-11-25 (月) 12:17:34
  • ただ今、IS系統の説明がObject シリーズ総まとめの部分と重複しているとの指摘を受け、IS系統の車輌名(object ~)だけ残し、説明文は全て削除、画像や写真はこちらにあるものだけ総まとめへ移動しております。そして、IS系統の説明文の最後に詳細は総まとめを参照するように促しております。 -- 2019-11-26 (火) 15:52:08
    • IS4のところのST-ⅠとST-Ⅱはobjectですとどれにあたりますかね? -- 木主? 2019-11-27 (水) 15:27:53
      • is4に追加する形にすればよろしいのではないですかね、objectの名称もないみたいなので… -- 2019-11-27 (水) 19:35:00
      • わかりました。情報提供ありがとうございます。 -- 木主? 2019-11-28 (木) 08:09:21
  • objectシリーズ総まとめの予備ページっていりますかね?バックアップがありますし、紛らわしいだけだと思うのですが。 -- 2019-11-30 (土) 13:59:27
  • objectシリーズ総まとめ一応完結です!。もし変なところや順序の乱れ、「わしの知ってる情報と違うぞ!」という事がありましたらお願いします。これまで経過を見てくれていた皆様ありがとうございました。途中、「ソ連のスターリン戦車とその派生まとめ」との統合や、投票まで行われるなど予想外のことも起こりましたがまぁ無事終わってよかったです...。 -- object総編集? 2019-12-13 (金) 15:05:22
    • 編集お疲れ様です!完成するか心配しながら見てましたがほっとしました( ・∇・) -- objectまとめ編集開始から見守っていた人? 2019-12-13 (金) 15:55:09
      • 有難うございます。「一応」完成なのでこっからも見落としてるOBJECT等を細々追加していくつもりです! -- 2019-12-13 (金) 16:23:34
  • 表示崩れてるやんけ...と思って総まとめのところ弄ろうとしたら行数オーバーってマジ?コメントページですらそうそうならないのにすごいな... -- 2019-12-28 (土) 11:51:55
    • いやぁそれほどでも...///再編集の所からやると反映されるで。そこで更新するとまた行数オーバーって出るけど無視! -- 2019-12-28 (土) 13:41:46
      • それが出てるってことは反映されてないと思うで... -- 2019-12-28 (土) 15:31:45
      • あっしが編集して更新して別タブで開いていた洗車のいろいろを再読み込みした時は反映されてたけどなぁ...。 -- 2019-12-28 (土) 18:42:01
  • 折り入って皆様にご相談があるのですが。 -- 2019-12-29 (日) 12:25:46
  • object830-835はS-300V SAMでしょうか...? -- 2019-12-30 (月) 22:42:48
    • 私自身object800から899などの間は得意ではなくて戦中戦車などが管轄なんですがもしそれが正式名なのであれば付け足しますが…。 -- Obje総編集? 2019-12-31 (火) 21:25:55
    • 私自身object800から899などの間は得意ではなくて戦中戦車などが管轄なんですがもしそれが正式名なのであれば付け足しますが…。 -- Obje総編集? 2019-12-31 (火) 21:25:56
    • あれ?なんか二個送信されてしまった。 -- 2019-12-31 (火) 21:26:52
  • object830は9A83 S-300VM防空システムランチャーに酷似していると考えた次第です -- 2020-01-12 (日) 18:22:02
    • まあ確かに似てはいますね....というか完全にそれですね。 -- 2020-01-14 (火) 13:04:16
  • ビッカース軽戦車の系譜とかもあっていいんじゃないかなと -- 2020-04-28 (火) 17:21:50
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