I-58

伊号第五十八潜水艦(以下「伊58」)は横須賀海軍工廠で1942年12月に起工され、翌年10月に進水する。更に翌年の9月に竣工し呉鎮守府所属の第六艦隊第11潜水戦隊に編入される。伊58は特攻兵器である人間魚雷「回天」の母艦として建造された潜水艦であるが水上偵察機も搭載出来る設計でもあった*1。
日本海軍に編入された伊58は1944年12月末頃になると橋本艦長を乗せてグアムやマリアナ諸島等の前線へと投入される。先の戦地では少なくとも3回に渡って回天による攻撃が行われたが目立った戦果を上げる事は出来なかった。
翌1945年になると硫黄島に上陸するアメリカ軍艦艇に対して伊58を含めた回天特別攻撃隊(千早隊)を編成して投入されるも同軍の対潜警戒網は厳しく伊58は作戦を中止して帰投している*2。そして水上特攻を行うことになった戦艦大和の菊水作戦に合流せよとの指令を受けるが悪天候により大和に追いつく事が出来なかった。こうして伊58は目立った戦果を上げる事が出来ず出撃と帰投を繰り返していた。

戦果を上げる事が出来ない伊58だったが転機が訪れる。
1945年7月18日、山口県の平生基地から出撃した伊58はフィリピン東方海域へ向かった。同月29日午後11時35分頃、パラオ島北方250海里付近を哨戒任務中、水平線上に戦艦クラスの敵大型艦を電探で発見した。橋本艦長は直ちに魚雷戦と回天の発進準備の命令を下したが、夜間であった事と回天の視界は劣悪な事を考えると通常の魚雷攻撃で十分と判断したため回天の発進準備は中止した。*3。
一方、発見された艦はチャールズ・B・マクベイ3世大佐が指揮するアメリカ海軍重巡洋艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35)であった。当艦はテニアン島に原子爆弾を運搬する極秘任務を果たし、次の任務の為フィリピンへ移動中であった。Indianapolisはその輸送する荷物が極秘中の極秘故に単艦で行動せねばならず、対潜警戒が緩んでいる隙を突かれる形となった。　

12ノットで直進していると判断した橋本艦長は伊58をIndianapolisから右舷側60度、約1500mの射撃位置に着けた。そして3門づつ2秒の間隔で合計6本の魚雷を発射。このうち3本の魚雷がIndianapolisに命中する*4。時差による攻撃を行った事で1本目で空けた穴に偶然にも2本目が入り込み、船体内部で爆発を引き起こした。この爆発は第二砲塔の弾薬庫を誘爆させ大きな火柱を上げたようで、これを確認した橋本艦長は「これ以上の攻撃は不要」と判断し魚雷攻撃を中止させている。*5。橋本は「アイダホ型戦艦撃沈確実」と報告したが、撃沈した相手がIndianapolisである事と原子爆弾を運搬していたのは戦後のことであった。
一方で被雷したIndianapolisは地獄そのものであった。被雷して間もなく同艦の通信士がSOS信号を打電するが、急速な浸水によって電気系統が水没し1回しか送信する事が出来なかった。アメリカ海軍はこのたった1回のSOSを受信しながらも規則上の欠陥により司令部に連絡が伝わらなかった。この事が結果的に乗員を地獄へと追いやる結果となる。3発の魚雷と第二砲塔に大爆発によって艦の前半部が海に沈み、Indianapolisは僅か12分後に転覆、沈没した。乗員1,199名の内、魚雷攻撃で300名を失い残りの900名が海に投げ出されたとされている。救助されるまでの間、乗員は救命ボートも無くただ海に浮かんでいた状態であり水や食糧も無く、熱帯の高い海水温であったが徐々に低体温症を発症し、また鮫への恐怖に晒され続けた。沈没から3日後の8月2日に付近を捜索していた観測機から海に浮かぶ乗員が発見され、航空機による救助艇の投下等が行われたが、艦隊が派遣され全員が救出されるまでに更に5日も要した。最終的に生存したのは僅か316名であった。

Indianapolisの艦長であるマクベイは不運にも生き残ってしまう。
Indianapolisは長らく第5艦隊を務めた歴戦の重巡だった。また、戦争も終盤に差し掛かかり米軍が制海権を保持した海域で大量の遭難死を出した事から米軍内で犯人捜しが始まる。そしてそれはマクベイ大佐に押し付けられる形となる。戦後、本件について軍法会議をかけられたマクベイ艦長は「魚雷の回避に有効といわれるジグザグ航行を怠った罪」と「退艦命令を出す時期を逸した罪」で問われる事となる。この軍法会議はマクベイ艦長の有罪ありきで進められたとされ、その有罪を確かなものするために橋本艦長を予備審問に呼び出し証言を得ようとした*6。このような形で呼ばれた橋本艦長であったが艦長は「あのような状況ならたとえ対潜航行していても確実に撃沈できる」と断言したという。橋本艦長の家族は広島に住んでおり例の運搬された原爆によって家族を失っている。言うなればマクベイ艦長は家族を殺した原爆投下の一端を担った仇であるにも関わらず橋本艦長はマクベイ大佐を擁護したのである。しかし、軍法会議ではこの証言は採用される事なくマクベイ大佐は有罪判決を受け、事情を知るニミッツ提督などの介入により実刑は免れたものの、キャリアに傷のついたマクベイ大佐は海軍を去る(退役に伴う昇進で少将)。
　
その後、マクベイ大佐は長年に渡って遺族の非難に晒され続け、自身を支えてくれた妻に先立たれるなどの不孝が重なり1968年に拳銃自殺を図る。その時のマクベイ大佐は自宅の揺り椅子に腰かけた姿で、片手にはピストル、もう片手には大佐と同じく厳格な海軍士官であった父から幼い頃にもらった、水兵の人形を握りしめていたという。

伊58と撃沈したIndianapolisを語る上でしばしば論議されるのが「原子爆弾を運搬中のIndianapolisを沈めていれば原子爆弾の投下を防げたのか」という話が出てくる事がある。歴史を考証する上でたられば的な話しは妄想の域を出ない時間を無駄にする行為であるが、あえて結論から言えば「8月6日の広島への投下は防げたが、スケジュールの遅延か更なる投下を招いた可能性がある」である。
理由としてはIndianapolisが運搬していた原子爆弾は広島に投下されたモノであり、長崎に投下された原子爆弾とは異なる。また、第三第四の原子爆弾投下を計画していた事から原子爆弾の投下スケジュールは遅延するだろうが、投下自体は避けられなかったという見解が多数を占めている*7。史実では2発の原子爆弾が投下された末に日本が降伏したわけだが、運搬中のIndianapolisを撃沈してスケジュールが遅延した事で日本の降伏が遅れ、それがソ連の対日侵攻を更に進む事となり、日本の降伏を急がせたい米政府が2発以上の原子爆弾を投下させていた可能性もある。