コレクション/コレクション/ビスマルク追撃戦

Last-modified: 2017-08-31 (木) 11:18:40

コレクション/ビスマルク追撃戦

アップデート 0.6.5 では、『ビスマルク追撃戦』コレクションが登場します。本コレクションはキャンペーン終了時まで収集することができます。キャンペーン期間終了後は、 1 個以上バッジを取得したプレイヤーのみコレクションを閲覧できます。
今回登場する初のコレクションは『ビスマルク追撃戦』となります。このコレクションでは、第二次世界大戦中の重大な貢献をモチーフにしたバッジを集めることになります。本コレクションには全部で 24 種類のバッジが登場し、これらは特別なコンテナから全て同じ確率で取得することができます。本コレクションを完成させたプレイヤーには、ビスマルク専用の特別迷彩『海底から』と『最後の作戦』が与えられます。

ビスマルク追撃戦は、北大西洋における最も大掛かりな海上作戦のひとつでした。巡洋戦艦フッドの喪失はイギリス軍を激怒させ、イギリス軍は持てる限りの軍艦と多数の航空機を動員してビスマルクを追撃したのでした。この追撃には、様々な巡洋艦および戦艦に加え、1 隻の航空母艦と驚くほどの数の駆逐艦が参加していました。

 

コレクション「ビスマルク追撃戦」には、ドイツ海軍最強の戦艦を仕留めることを狙ったこの壮大な海上作戦に参加した、全ての主要な役者たちのバッジが含まれています。

Bismarck
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Bismarck
ドイツ戦艦ビスマルクは、1940 年に就役しました。艦名は、鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクに因んでおり、本艦のバッジは彼の家紋に基づいています。

ビスマルクは、最初で最後の海上作戦において、重巡洋艦プリンツ・オイゲンと共に大西洋へと抜け出て連合軍の船団を攻撃することを目指しましたが、この極秘の出撃はイギリス軍によって把握されており、位置を発見された後、イギリス軍による迎撃を受けました。5 月 24 日のデンマーク海峡海戦においては、本艦が放った主砲弾のうちの 1 発がイギリスの巡洋戦艦フッドに直撃し、弾薬庫の誘爆を招いて轟沈させました。しかしながら本艦の損害も大きく、通商破壊任務を放棄して修理に向かわざるを得ませんでした。5 月 26 日から 27 日にかけての戦いにおいて、ビスマルクは航空隊による支援を伴ったイギリス海軍の複合艦隊の猛攻を受け、航行不能に陥った後、撃沈されました。

Prinz Eugen
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Prinz Eugen
プリンツ・オイゲンは、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦であり、1940 年に就役しました。艦名は、17 世紀終盤から 18 世紀序盤にかけてオーストリアの司令官として活躍した高名なオイゲン・フォン・ザヴォイエンに因んでおり、本艦のバッジには彼の徽章の要素が含まれています。

1941 年 5 月のライン演習作戦において、本艦はビスマルクと共に大西洋へと抜け出て連合軍の船団を攻撃することを目指していました。本艦は、5 月 24 日のデンマーク海峡海戦においてビスマルクと共にイギリス艦隊と交戦した後、ビスマルクと別れて単艦での通商破壊作戦に臨みましたが、戦果を得ることはできませんでした。

Gotland
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Gotland
スウェーデン海軍の航空巡洋艦ゴトランドは、1934 年に就役しました。艦名は、歴史的な地方として知られるゴトランドに因んだものであり、本艦のバッジにはその紋章の要素が取り入れられています。

1941 年 5 月 20 日、中立国であったスウェーデンの巡洋艦ゴトランドは、バルト海を出たドイツの戦艦ビスマルクを最初に発見し、情報をスウェーデン海軍の司令部に報告しました。イギリスの情報網もこの情報を掴み、ロンドンのイギリス海軍本部へと報告した結果、ビスマルク迎撃作戦が開始されました。

イギリス空軍 第 209 中隊
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イギリス空軍 第 209 中隊
イギリス空軍 第 209 中隊の公式バッジです。墜落する鷲が描かれていますが、これは、この中隊に所属するパイロットが、通称レッド・バロンとして知られるドイツ軍の伝説的なパイロット、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン (参戦期間: 1914 - 1918 年) を撃墜したことを表しています。

イギリス軍が 1 日前から見失っていたビスマルクをついに再発見したのが、この第 209 中隊所属のデニス・ブリッグスおよびレナード "タック" スミスが搭乗する PBY カタリナ飛行艇だったのです。このおかげでイギリス海軍は、艦隊を集結させてビスマルクを撃沈することができたのでした。"

イギリス空軍 第 1 写真偵察部隊
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イギリス空軍 第 1 写真偵察部隊
イギリス空軍の特別飛行部隊である第 1 写真偵察部隊のバッジです。この部隊の主要任務のひとつが、ドイツ海軍艦艇の動きを追跡することでした。

1941 年 5 月 21 日、マイケル・F・サクリングが操縦するスピットファイア PR Mk.VI がノルウェーのコールスフィヨルドにおいてドイツの戦艦ビスマルクおよび重巡洋艦プリンツ・オイゲンを発見し、写真を撮影しました。その結果としてこれらの艦が出撃した事実がはっきりと確認され、イギリス本国艦隊はこのドイツ艦隊を迎撃すべく艦隊編成を整え始めました。

第 825 海軍飛行隊
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第 825 海軍飛行隊
艦載機を運用するイギリス海軍航空隊のひとつとして 1934 年に編成された第 825 海軍飛行隊のバッジです。鷲 (イーグル) とマルタ十字架は、編成当初にこの飛行隊が配備されていた航空母艦イーグルおよびマルタ島を表しています。

1941 年 5 月には、この飛行隊は航空母艦ヴィクトリアスに配備されていました。5 月 24 日から 25 日にかけての夜に、ヴィクトリアスは複葉雷撃機フェアリー・ソードフィッシュ 8 機を出撃させ、ビスマルクに魚雷 1 本を命中させてその速度を低下させました。この攻撃においては、撃墜された機は 1 機もなく、さらには、夜間における発艦・着艦の経験がなかったにも関わらず、全機が夜間着艦に成功しました。

HMS Ark Royal
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HMS Ark Royal
アーク・ロイヤルは、イギリス初の新世代航空母艦であり、1938 年に就役しました。本艦は、イギリス海軍における航空母艦開発に大きなインパクトを与えたことで知られています。

1941 年 5 月 23 日、H 部隊の 1 隻としてジブラルタルから出撃し、ビスマルク追撃戦に加わった本艦は、この作戦において重要な役割を果たしました。5 月 26 日に、本艦から出撃した雷撃隊が、ビスマルクの操舵装置を破壊する決定打を与えたのです。これによってイギリス艦隊はビスマルクを捕捉し、撃沈することができました。

HMS Hood
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HMS Hood
1920 年に就役したフッドは、世界最大の巡洋戦艦として有名でした。その艦名は、18 世紀から 20 世紀にかけて高名な提督を輩出してきたフッド家に因んだものです。本艦のバッジには、フッド家の紋章の要素、およびフッドの名が冠された最初の艦の就役年が取り入れられています。

1941 年 5 月 22 日、ランスロット・アーネスト・ホランドの中将が座乗した巡洋戦艦フッドは、大西洋へと向かいつつあった戦艦ビスマルクの迎撃作戦に投入されました。ホランドの艦隊とドイツ艦隊は、5 月 24 日の明け方にデンマーク海峡の入り口で接触し、砲戦が開始されました。その数分後、ビスマルクが放った主砲弾のうちの 1 発が本艦の弱点であった薄い甲板装甲を撃ち抜き、主砲弾薬庫の誘爆を招いた結果、本艦は轟沈し、搭乗員のほぼ全員が失われました。

HMS Dorsetshire
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HMS Dorsetshire
イギリス海軍のカウンティ級重巡洋艦ドーセットシャーは、1930 年に就役しました。艦名はイングランドのドーセットシャーに因んでおり、本艦のバッジにはドーセットシャーの紋章の主要素のひとつであるライオンが描かれています。

1941 年 5 月 26 日、船団護衛にあたっていたドーセットシャーは、護衛任務を中止して戦艦ビスマルクの迎撃コースへと急行しました。そして 5 月 27 日の海戦に参加し、その終盤において戦艦ビスマルクに複数の魚雷を命中させ、とどめを刺しました。本艦はその後、沈没したビスマルクの生存者のうちの大半を救出しています。

HMS Zulu
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HMS Zulu
トライバル級駆逐艦ズールーは、1938 年に就役しました。艦名は南アフリカのズールー族に因んでおり、バッジにはズールー族の伝統的武器の要素が取り入れられています。

1941 年 5 月下旬、第 4 駆逐隊の僚艦と共に船団護衛にあたっていたズールーは、護衛任務を中止してビスマルク追撃戦に参加。そして 5 月 26 日から 27 日にかけての夜にビスマルクと交戦し、魚雷攻撃を行ったものの、ビスマルクの反撃を受け損傷しました。

HMS Norfolk
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HMS Norfolk
カウンティ級重巡洋艦ノーフォークは、1930 年に就役しました。艦名はイングランドのノーフォーク・カウンティに因んでおり、バッジにはその紋章の要素が取り入れられています。

ノーフォークは、作戦の序盤に巡洋艦サフォークと共にデンマーク海峡の警戒にあたりました。そして 5 月 23 日、本艦がドイツ艦隊を発見し、ホランド中将の艦隊にその位置を伝達しました。その後、5 月 25 日までドイツ艦隊を追跡し、ビスマルクを仕留めた 5 月 27 日の戦いにも参加しました。

HMS Mashona
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HMS Mashona
トライバル級駆逐艦マシオナは、1939 年に就役しました。艦名は南アフリカのマシオナ族に因んでおり、バッジにはマシオナ族の伝説的なトーテムであるジンバブエの鳥が描かれています。

1941 年 5 月、大西洋において船団護衛任務にあたっていたマシオナは、5 月 24 日から護衛任務を中止して戦艦ビスマルク追撃戦に参加しました。そして本艦は戦艦ロドニーと共に 5 月 27 日までビスマルクを追跡したものの、燃料不足により基地に戻らざるを得ませんでした。その翌日、本艦はビスマルクを支援するために飛来したドイツの急降下爆撃隊の攻撃を受け、撃沈されました。

HMS Cossack
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HMS Cossack
トライバル級駆逐艦コサックは、1938 年に就役しました。本艦は、ノルウェー領海でドイツ補給船アルトマルクへの乗り込み作戦を敢行し、約 300 名のイギリス人捕虜を救出したことで有名です。艦名は、ロシアの草原地帯のコサック族に因んだものであり、イギリス海軍においては 19 世紀中盤からの伝統的な艦名でした。

1941 年 5 月、本艦はヴァイアン大佐率いる第 4 駆逐隊の旗艦としてイギリス戦艦隊の護衛にあたっていました。そして 5 月 26 日にビスマルクが発見されると、ヴァイアン大佐はビスマルクを迎撃すべく自分自身の判断で駆逐隊を急行させました。5 月 26 日から 27 日にかけての夜、コサックは他の駆逐艦と共にビスマルクへの魚雷攻撃を数回敢行した後、追跡を続け、主力部隊をビスマルクへと誘導しました。

HMS Suffolk
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HMS Suffolk
カウンティ級重巡洋艦サフォークは、1928 年に就役しました。本艦のバッジに描かれた城と鍵は、サフォーク連隊の徽章の要素であり、これはこの連隊が 18 世紀末のジブラルタル防衛戦において卓越した貢献を果たしたという栄誉に由来したモチーフです。

1941 年 5 月、サフォークは巡洋艦ノーフォークと共にデンマーク海峡の警戒にあたっていました。ノーフォークが先にビスマルクを発見し、レーダーによる捕捉を継続しつつ、その位置をホランド中将の艦隊に連絡し続けました。デンマーク海峡海戦に参加した後、5 月 25 日までビスマルク追撃戦に臨みました。

HMS Renown
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HMS Renown
イギリス海軍の巡洋戦艦レナウンは 1916 年に就役しました。艦名は「高名」という意味であり、バッジに描かれた伝統的なシンボルである月桂冠と栄光のトーチは、本艦の艦名を象徴するものです。

1941 年 5 月 23 日、サマーヴィル中将が座乗したレナウンは、戦艦ビスマルク追撃戦に参加しました。5 月 26 日の段階では、ビスマルクのフランス行きを阻止し得るのは本艦を旗艦とした H 部隊だけであると考えられており、本艦の主任務は航空母艦アーク・ロイヤルの護衛でした。そしてアーク・ロイヤルの艦載機がビスマルクに痛打を与えたのでした。

HMS Sheffield
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HMS Sheffield
タウン級軽巡洋艦シェフィールドは、1937 年に就役しました。艦名はイングランドのシェフィールド市に因んでおり、バッジのデザインはシェフィールド市の紋章に基づいています。

1941 年 5 月 23 日、シェフィールドは H 部隊の 1 隻としてジブラルタルから出撃し、ビスマルク追撃戦に参加しました。5 月 26 日、サマーヴィル中将が座乗する旗艦からの命令を受けた本艦がビスマルクをレーダーで捕捉することに成功し、その位置を航空母艦アーク・ロイヤルの雷撃隊へと伝達しました。そしてこの雷撃隊が、ビスマルクに痛打を与えることに成功したのでした。

HMS Tartar
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HMS Tartar
イギリス海軍トライバル級駆逐艦ターターは、1939 年に就役しました。艦名はロシアに住むタタール人に因んだものであり、イギリス海軍においては 19 世紀中盤からの伝統的な艦名でした。バッジは、この艦名を反映したものとなっています。

1941 年 5 月、ターターは戦艦ロドニー、駆逐艦ソマリおよびマシオナと共に大西洋において船団護衛任務にあたっていましたが、5 月 24 日から護衛任務を中止し、ビスマルク追撃戦に参加しました。そしてターターはビスマルクの後方に位置取り、5 月 27 日にビスマルクが撃沈されるまで追跡を続けました。任務を終えて基地に戻る途中にドイツの急降下爆撃隊の攻撃を受け、本艦は無事だったものの僚艦のマシオナが撃沈されたため、その搭乗員を救出しました。

HMS Rodney
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HMS Rodney
イギリス海軍ネルソン級戦艦ロドニーは、1927 年に就役しました。艦名は、18 世紀の高名なイギリス海軍提督、ジョージ・ロドニーに因んだものであり、本艦のバッジに描かれた鷲は、彼の紋章に描かれていた要素のひとつでした。

デンマーク海峡海戦においてフッドが爆沈した後、1941 年 5 月 24 日にロドニーはアメリカに向かっていた船団から離れてビスマルクを追撃するように命令を受けました。ロドニーは 3 日間にわたりビスマルクの捜索および追撃に従事し、5 月 27 日の海戦においては、ビスマルクの撃沈に重要な貢献を果たしました。

HMS King George V
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HMS King George V
戦艦キング・ジョージ 5 世は、キング・ジョージ 5 世級戦艦のネームシップとして 1940 年に就役しました。艦名はキング・ジョージ 5 世 (1865 - 1936 年) に因んだものであり、バッジには彼のモノグラムが描かれています。

1941 年 5 月、キング・ジョージ 5 世は、イギリス本国艦隊の司令長官であり、ビスマルク追撃戦の責任者だったトーヴィー大将の旗艦でした。ビスマルク追撃戦に参加し、5 月 27 日の海戦でビスマルクの撃沈に貢献を果たしました。

HMS Victorious
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HMS Victorious
1941 年に就役したヴィクトリアスは、イラストリアス級航空母艦の 1 隻であり、本級は、初めて飛行甲板に装甲を施した革新的な航空母艦でした。本艦のバッジには、古代ローマの勝利の女神、ヴィクトリアが描かれています。

1941 年 5 月、就役したばかりだった航空母艦ヴィクトリアスは、イギリス本国艦隊の主力部隊の 1 隻としてドイツ戦艦ビスマルクの追撃戦に参加しました。5 月 24 日 - 25 日にかけての夜、荒れた天候の中で本艦から出撃した第 825 海軍飛行隊の雷撃隊は、ビスマルクに魚雷 1 本を命中させ、いくつかの区画を浸水させました。

HMS Maori
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HMS Maori
トライバル級駆逐艦マオリは、1939 年に就役しました。艦名はニュージーランドの好戦的な先住民族であるマオリ族に因んだものであり、バッジの主要素として、マオリ族の伝統的なシンボルのひとつが用いられています。

1941 年 5 月には、マオリはヴァイアン大佐率いる第 4 駆逐隊に所属していました。5 月 26 日からビスマルク追撃戦に参加し、27 日にかけての夜には僚艦と共にビスマルクへの魚雷攻撃を敢行し、27 日には、撃沈されたビスマルクの生存者の一部を救出しました。

HMS Prince of Wales
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HMS Prince of Wales
イギリス海軍キング・ジョージ 5 世級戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、1941 年に就役しました。本艦のバッジには、イングランドの守護聖人である聖ジョージの十字を背景としてプリンス・オブ・ウェールズ (ウェールズ公) の紋章の要素が描かれています。

1941 年 5 月 22 日、戦艦プリンス・オブ・ウェールズはホランド中将の複合艦隊の 1 隻としてドイツ戦艦ビスマルクの迎撃に臨みました。5 月 24 日のデンマーク海峡海戦では、本艦は最終的には損害が大きくなったために退避せざるを得ませんでしたが、それまでの間にビスマルクに複数の命中弾を与え、ビスマルクの通商破壊任務を中止に追い込みました。

HMS Sikh
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HMS Sikh
イギリス海軍トライバル級駆逐艦シークは、1938 年に就役しました。艦名は、インド北部に住むシーク族に因んだものであり、バッジの主要素として、シーク族の文化的シンボルであるライオン (現地語でシング) が描かれています。

1941 年 5 月には、シークはイギリス海軍第 4 駆逐隊に所属していました。5 月 26 日、本艦は僚艦と共にドイツ戦艦ビスマルクの追撃戦に参加し、27 日にかけての夜に魚雷攻撃を敢行した後、イギリス本国艦隊の主力部隊が到着するまでビスマルクを追跡し続けました。

ORP Piorun
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ORP Piorun
本艦は、N 級駆逐艦ネリッサとしてイングランドで起工され、1940 年、竣工と同時にポーランドに貸与され、ピオルンへと改名されました。ポーランド海軍の艦首旗には、17 世紀の伝統的な戦闘旗のデザインである攻撃態勢のシミター (三日月刀) が描かれています。

ピオルンは、イギリス海軍の第 4 駆逐隊の 1 隻としてビスマルク追撃戦に参加しました。5 月 26 日から 27 日にかけての夜に初めてビスマルクを視認したのが本艦であり、単独で襲撃を敢行してビスマルクと砲火を交えたものの、互いに命中弾はありませんでした。