P26/40

Last-modified: 2021-03-04 (木) 23:27:40

Tier 4 イタリア 中戦車 ( 読み:ペサンテ・ヴェンティセーイ・クワランタ )


↑ P26/40 mod. 41 + Cannone da 47/40
初期状態。P26/40の初期設計時の装備構成。


↑ P26/40 mod. 43 + Cannone da 75/32
中間状態。P26/40の試作車輌の史実装備。


↑ P26/40 mod. 43 + Cannone da 75/34
最終状態。P26/40の量産型の史実装備。

スペック(v1.10.0)

車体

耐久値510⇒540
車体装甲厚(mm)50/40/40
最高速度(前/後)(km/h)40/15
重量(初期/最終)(t)25.04/25.34
実用出力重量比(hp/t)15.79
本体価格(Cr)148,000
修理費(Cr)
超信地旋回不可
 

武装

名称発射速度(rpm)弾種平均貫通力(mm)平均攻撃力AP弾DPM精度(m)照準時間(s)弾速(m/s)総弾数弾薬費(Cr)重量(kg)俯仰角
Cannone da 47/4027.27
⇒30
AP
HEAT
HE
70
95
45
50
50
70
1,364⇒
1,500
0.38⇒
0.36
1.8⇒
1.7
830
650
400
21020
1,600
30
400-10°/+23°
Cannone da 75/3213.64
⇒15
AP
HEAT
HE
92
120
60
110
110
175
1,500⇒
1,650
0.42
⇒0.41
2.3⇒
2.2
610
540
540
10066
3,200
114
350
Cannone da 75/3414.29AP
HEAT
HE
97
130
70
110
110
175
1,5710.412.2637
557
557
10066
3,200
147
400
 

砲塔

名称装甲厚(mm)旋回速度(°/s)視界範囲(m)重量(kg)
P26/40 mod. 4150/40/40363202,800
P26/40 mod. 4350/40/40383303,000
 

エンジン

名称馬力(hp)引火確率(%)重量(kg)
Maybach HL 12030020920
SPA 342330151,662
Maybach HL 120 evoluzione400201,000
 

履帯

名称積載量(t)旋回速度(°/s)重量(kg)
P26/40 mod. 4225.5427,000
P26/40 mod. 4328467,000
 

無線機

名称通信範囲(m)重量(kg)
R.F. 1 C.A.31017
R.F. 2 C.A.41535
 

乗員

1Commander(Gunner)2Driver3Radio Operator4Loader
 

拡張パーツ

Class3××××Class3
×××Class3×
 

隠蔽性

非発砲発砲時
静止時14.65%3.81%
移動時11.00%2.86%
 

派生車両

派生元M15/42(MT/4,160)
派生先P.43(MT/11,850)
 

開発ツリー

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Cannone da 47/40
(初期/4,650)
Cannone da 75/32
(1,800/23,500)
P26/40 mod. 43
(1,150/4,900)
Cannone da 75/34
(2,200/29,000)
P.43
(11,850/375,000)
P26/40 mod. 41
(初期/2,200)
R.F. 1 C.A.
(初期/620)
R.F. 2 C.A.
(1,400/8,200)
Maybach HL 120
(初期/9,600)
SPA 342
(830/11,400)
Maybach HL 120 evoluzione
(1,440/16,100)
P26/40 mod. 42
(初期/2,000)
P26/40 mod. 43
(1,080/4,850)
 

車両に関する変更履歴

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v1.0.1新規実装
v1.9.0Cannone da 47/40の総弾数を120発から210発に変更
Cannone da 75/32の総弾数を68発から100発に変更
Cannone da 75/34の総弾数を68発から100発に変更
修理費用を35%ダウン
収益性を11%ダウン
P26/40 mod. 41砲塔時のHPを320から510に変更
P26/40 mod. 43砲塔時を搭載した場合のHPを350から540に変更

解説(v1.0.1)

  • 概要
    v1.0.1で追加されたTier4のイタリア中戦車
    大戦後期、フィアット社及びアンサルド社が開発・量産した26トン級戦車*1である。
     
  • 火力
    俯角は-10°と十分であるため地形対応力は高い。
    • Cannone da 47/40
      初期砲。Tier6ともマッチングするようになり貫通力が不足するため、早めに中間砲・最終砲に換装したい。
       
    • Cannone da 75/32
      中間砲。最終砲とそれほどスペックの差はなく最終砲までの繋ぎとしては十分。
      しかし、貫通力はもちろん弾速や砲塔旋回時の拡散についてもやや最終砲が勝る。
       
    • Cannone da 75/34
      最終砲。単発火力に優れ、貫通力やDPMもそれなり。課金弾のHEATは傾斜装甲や空間装甲に弱い点には注意しよう。
      また、M15/42から引き継ぐ特徴としてHEの貫通力が70mmと高い(通常の130mm砲相当)。紙装甲車輌のみならずTier5中戦車程度なら弱点を狙えば十分貫通を見込むことができるので、多めに携行して活用したい。ただし、傾斜/空間装甲を貫通させにくいのはHEATと同様だ。そして価格がAP弾の倍以上するので使いすぎには注意。
      最大の欠点は弾速でいずれの弾種も最低レベル。精度も良くはないため遠距離射撃には向かず、偏差射撃は距離が遠くなくても当てるのに慣れが必要となる。
       
  • 装甲
    全体的に満遍なく装甲があるおかげで低貫通の砲であれば十分弾けるが、所詮中戦車レベルなので過信は禁物。
    • 砲塔
      正面50mmで防盾と二重になっている部分も無いので、比較的貫通しやすい。
       
    • 車体
      正面は50mm+傾斜で70mm前後の防御力がある。ハルダウンや昼飯でさらに固くなる。
      一方側面は40mmで、車体後半は傾斜も無いので貫通させやすい。背面も側面と同等の装甲で、下部はそれなりの傾斜が付いているので注意。
       
  • 機動性
    車体の旋回は速い(中戦車ではトップクラス)ものの、最高速度は中戦車としては遅めで出力重量比も並といったところ。
    登り坂ではやや減速しやすい。
     
  • その他
    次車両のP.43へ移行する際、乗員構成が変更になる点に注意。本車は車長兼砲手、操縦手、無線手、装填手に対し、P.43は車長兼無線手、砲手、操縦手、装填手になる(以降はHTルートのRinoceronteを除きTier10まで変更なし)。500G払って無線手を砲手に職能変更させるより、新たに砲手を雇う方が手っ取り早いだろう。
     
  • 総論
    中戦車として最低限の足とそれなりの装甲、そして高貫通のHEを含め十分な火力を併せ持ったバランスの良い車輌。
    HEと装甲を有効活用できれば、格下の軽装甲相手には滅法強い。(当然だが格上の重装甲相手にはどちらも無力)
    弱点はやはり弾速であり、Tier7までは弾速が遅い傾向が続くのでしっかり慣れていこう。
     

史実

詳細

 

 

経緯
1940年初頭、第二次世界大戦へ参戦直前のイタリア陸軍は3個機甲師団を有し、快速師団や騎兵連隊も機械化が進んでいたが、その内実は2000輌を超える数の貧弱なL3豆戦車で大半を占めていた。新配備のM11/39中戦車はわずか100輌しかなく、新開発されたL6/40軽戦車とM13/40中戦車も本格量産はまだ先の事だった。

 

この様な自国の装甲戦力の弱体さを鑑みたムッソリーニは、イタリア陸軍へ重戦車の開発を強く要請した。こうしてイタリアに於ける初めての重戦車の開発が1940年より着手され、名称も重量が20tを上回る事から、中(M)戦車とは別規格の重(P)戦車とされた(それでも他国からすれば中戦車サイズだったが)。

 
 

設計
最初期案では20~25tの重量で47mm砲を装備し、搭乗員は6~8名、最大速度は32km/h、3mの塹壕を超える能力を要求された。しかしこれは第一次大戦後に作られた塹壕戦用戦車の域を出るものではなかった為、すぐにプランは変更となった。次いで第二次大戦参戦後の1940年7月に機械化中央研究所(CSM)が二種類の設計図を提出した。これらは主砲としてアンサルド社製の75mm山砲を元に開発された短砲身18口径75mm榴弾砲を搭載する事から、P75の名称がつけられていた。だが設計図の一つはドイツのIII号戦車を大型化した様な超重戦車で、もう一つに至ってはドイツのNbFzに似た形状の多砲塔戦車だった。この為陸軍参謀本部はこれらの設計案を一蹴してしまう。

(初期の設計案の一つ。砲塔後部の右側に副砲塔があるのが分かる)

 

白紙に戻された設計案は、開発を担当するフィアットとアンサルドの両社によって現実的にスケールダウンした物が新たに設計され、1940年12月に軍部へ二種の設計案が提出された。一つは車体前部の左右にブレダM38車載機関銃を1門ずつ装備し、正面から見ると多砲塔戦車の様にも見える形状が特徴的な物だった。もう一つはM13系列の戦車をそのまま拡大した様なデザインであり、車体前部右側に連装機関銃としてブレダM38が2門装備されている点も共通していた。砲塔形状に関しては前者がこれまでにP75案として提出されていた設計図の物に近く、後者が車体と同じくM13系列の戦車の物に近いデザインであった。主砲に短砲身18口径の75mm榴弾砲を、副武装として20mmブレダM35機関砲を同軸装備している点はどちらも同じであった。この二つのプランは共に原寸大の木製モックアップが製作されたが、最終的に選定され試作まで進んでいったのは後者であった。

(試作案二種の木製モックアップ。右側の物が後のP26/40の原型となっていく)

 

M13系列戦車の拡大版という事で、足回りの構造は履帯の幅こそ倍近くなったものの、M11/39から続く二組の小型ボギーをリーフスプリングで懸架する旧式な構造である事は変わりなかったが、これにより重量も26t想定となり量産化が現実的になった。このタイプから計画中の戦車はP40(または重量からP26)と称された。

 
 

試作
選定された設計図を元に試作1号車の製作が始まった1941年、東部戦線派遣軍の技術調査班より、ソ連軍のT-34中戦車の避弾経始の実態や、ドイツ軍の戦車が搭載する様な短砲身75mm砲ではソ連戦車の装甲を貫通出来ないという情報が伝えられてきており、武装の強化が求められた。それに伴い試作1号車では短砲身18口径75mm榴弾砲だった主砲が、試作2号車からは高初速のカノン砲を原型とする32口径75mm戦車砲に変更されている。また副武装として装備が予定されていた20mmブレダM35機関砲は廃止され、代わりに8mmブレダM38機関銃が砲塔防盾に同軸装備された。その他にも装甲強化等の各部の改修を加えながら試作3号車を経て、最終試作車でもあり本命でもあった試作4号車が1942年までに製作された。

(左が18口径75mm榴弾砲を搭載した試作1号車。右はM14/41)

 


(32口径75mm戦車砲を搭載した試作車。まだ装甲は傾斜していない)

 


(諸々の改修を終えた生産型)

 

試作4号車はソ連軍のT-34を参考に再設計された物であり、避弾経始を考慮した傾斜装甲を車体前面と側面に採用していた。試作3号車までの車体に装備されていた連装機関銃も車体形状の変更に伴い廃止され、履帯を保護するサイドスカートも増設された。主砲も34口径75mm砲に変更され、これは約700m/sの砲口初速と、500mで70~80mm、1000mで60~70mm厚の装甲貫徹力を有しており、中距離なら当時の大抵の連合軍戦車を一撃で撃破する威力があった。

 

しかしこうした改修によって全ての問題点が解決出来ていた訳では無かった。
まず装甲だが、当時のイタリアは依然として電気溶接技術が未熟であり、装甲の接合には相変わらずリベット留めを全面的に用いていた。即ち搭乗員はこれまでのイタリア戦車同様に被弾した際は装甲を貫通していなくても、衝撃によって内部で剥離・飛散したリベットによって殺傷されるリスクを背負う事になった。搭乗員の人数は同格とされたドイツ軍IV号戦車やV号戦車パンターの搭乗員5名と比べて一人少ない4名で、車長が砲手を兼ねる役割の為、砲塔旋回や照準速度等の戦闘能力でやや劣る懸念が残った。

 

更に車体形状が試作4号車で傾斜装甲を採用した事で大幅に変化した反面、足回りの改修は試作4号車の段階でも特に行われておらず、こちらは変化のないままだった。確かにリーフスプリング式のサスペンションは走行時の衝撃を受け止める点では良好な信頼性を持っていたが、旧来のこの機構は他の懸架方式、例えばT-34のクリスティー式サスペンションと比較すると発揮できる最高速度が低かった。

 

そして最大の問題は搭載するエンジンであった。これは設計当初の時点から大いに難航しており、フィアット等の開発メーカー側はガソリンエンジンの搭載を支持し、一方でイタリア軍側はディーゼルエンジンを要求した。交渉の結果、当初は鹵獲したT-34を参考に開発した330馬力のフィアットSPA社製ディーゼルエンジンを搭載する予定であったが、当時のイタリアの技術力では大型ディーゼルエンジンの開発がなかなか上手くいかず、特に燃料噴射と着火に関連するトラブルが多発し、その開発が著しく遅延してしまっていた。結局このエンジンの開発は不調のままだった為、暫定策としてドイツ・マイバッハ製の液冷V型12気筒ガソリンエンジンをフィアットSPAでライセンス生産する事になった。このエンジンの問題はP26/40の開発遅延の大きな理由の1つとなった。

 
 

生産
どうにか主だった改良を終えた後も、工場内の作業環境をP26/40用に改めたり治具を揃えると言った生産準備に手間取った為、ようやく生産開始に漕ぎ着けたのは1943年に入ってからであった。元々試作車を開発していた1942年の段階で既に500輌の先行発注が行われていたが、これに追加する形で1943年1月に更に500輌の正式発注を受けた。しかしこの頃になると連合軍の爆撃による工場の被害も深刻の一途を辿り、生産は更に遅延、本格的な生産は1943年6月までずれ込んだ。そして同年9月にはイタリアが降伏。完成したP26/40はわずか21輌だった。

 

イタリア降伏後は他のイタリア製軍用車輌と同様、P26/40もまたドイツ軍に接収された。工場も接収され、そこには完成車の5輌に加えて、203輌分に相当する部品類や中途段階の未完成車があった。ドイツ軍はPanzerkampfwagen P40 737(i)の鹵獲兵器番号をP26/40に付与すると共に、北イタリアのRSI政権の下で引き続きP26/40の生産を行わせた。完成した車輌はRSIではなくドイツ軍に配備され、1945年3月までに65輌が引き渡された。この43年9月以降に生産された後期型ではフィアットが苦戦していた新開発の出力330馬力の液冷V型12気筒ディーゼルエンジンが搭載されていたが、不調が多いのは変わらずだった。ドイツ・マイバッハ製のエンジンに換装する計画もあったが戦争末期だった為充分な数のエンジンが行き渡らず、大半は元のエンジンのまま使用された。

 

また余談ながら、1943年10月に東プロイセンでJagdtigerの木製モックアップと共にP26/40も展示され、ヒトラーの審査を受けている。

 
 

運用
P26/40を運用した部隊としてはユーゴスラビア国境に配備された第24SS山岳猟兵旅団が有名であり、1944年10月に14輌を受領した後、連合軍やパルチザンを相手に戦った。しかしその稼働率が50%を超える事はなかった。戦闘での喪失は稀であり、主要因は燃料や修理部品の不足だった。その他、イタリア人で編成された山岳治安警察部隊でも3個中隊40輌が配備された記録があり、一部は終戦間際にパルチザンに鹵獲利用された例も確認されている。

 

また、逼迫した戦況下という事もあり、未完成状態のP26/40もそのまま戦線に投入された。エンジン未搭載の状態の40輌と、砲塔だけが完成した物が約100基程存在していたが、これらは全てドイツ軍によって1944年のアンツィオ防衛戦やグスタフ・ラインの固定砲台陣地として使用された。

 

現在P26/40は、イタリアのレッチェ騎兵学校に実働可能な車輌が1輌存在している。
また、ローマ郊外のチェキニョーラ博物館にも非稼働の物が1輌展示されている。

 

 

参考資料
『Viva!知られざるイタリア軍』吉川和篤著 イカロス出版
参考サイト
https://it.wikipedia.org/wiki/P26/40
http://combat1.sakura.ne.jp/P40.htm
http://ftr.wot-news.com/2013/08/01/p-2640-italys-finest-tank-of-ww2/
http://www.maquetland.com/article-phototheque/244-p-40-rome
https://forums.totalwar.com/discussion/35251/italian-p26-40-heavy-tank-or-panzerkampfwagen-p40-737-i-lots-of-pictures

情報提供

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マスター(M)バッジ報告専用スレができましたのでそちらへお願いします
使用感や装備など、アーカイブスペック解説に表記されています。

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※実装または車両性能変更アップデートから3か月以上経過した車両であるため、管理人の提案に基づき新規コメント欄を非表示にします。本車両について語りたい方は外部掲示板を利用してください。


*1 イタリア基準では重戦車、他国基準では中戦車