アーカイブ:(固有名詞 | 遺物 | キャラクター | 星神 | 敵対種 | 派閥 | 光円錐 )
本棚:(入手場所|内容:宇宙ステーション「ヘルタ」 | ヤリーロ-Ⅵ(1) | (2) | (3) | 仙舟「羅浮」(1) | (2) |(3) |ピノコニー(1)| (2) |オンパロス (1)|(2)|(3)|紡がれた物語|収録なし)
◆がついているものは内容が不足しているものです。
Ver3.6時点で152項目。内64項目。
- バラバラの先祖の日記
- 黎明のミハニの賛歌
- ドロス義賊列伝
- 晨昏の年代記
- 家族宛の手紙
- 眷属系譜の断片
- 陽雷の騎士の真伝記
- ディアディクティオ、止まってくれてありがとう
- 俺の教授がこんなに可憐なわけがない
- ワンパンキング・エーグル編
- 「富豪」ビオティスのビジネス術
- 粛清者名簿の断片
- 金糸の盗聴を防ぐ秘訣
- 神性の反響:大地
- 神性の反響:詭計
- 神性の反響:天空
- 故人名簿
- 第一次火を追う旅の歴史(残巻)
- イカルンの観察レポート
- 晨昏族譜
- 粛清者の連絡メモ
- スティコシア難民の日誌
- 神馬の天空調査記録
- 禁断の恋~樹と蝶~
- ファイノンが残したメッセージ
- 妖精王国の客人
- オロニクスの祭壇祈言集
- エリュシオン農事暦
- ペソの日記
- リウィアの絵本
- 古びた貨物引換証
- バラバラになったノート
- 手書きの栽培マニュアル
- ミファミュンへの手紙◆
- ミファミュンからの手紙◆
- 妖精からの手紙
- カイザー軍記――偉大なる10の勝利
- 満たされた杯の嘆き
- 巡礼者の手記
- セルヴァの手紙
- メーレでわかる人間性・メーレと性格の関わりについて
- ボリュクスの冥界幽便
- 深海に秘めた囁き
- カイザーの密令:「粛清」リスト
- 山の民の竜騎士一族
- 簡潔なメッセージ
- 「大地」の夢に関する断片的な記録
- 霞空のメイデンの冒険
- オンパロス開拓日誌・再創世の前に
- 一枚のメモ:トリビー
- 一枚のメモ:ケリュドラ
- 一枚のメモ:セイレンス
- 一枚のメモ:ヒアンシー
- 一枚のメモ:ファイノン
- 一枚のメモ:アナイクス
- 一枚のメモ:アグライア
- 一枚のメモ:モーディス
- 一枚のメモ:キャストリス
- 一枚のメモ:サフェル
- 風焔の箴言
- 幻朧の箴言
- 帰寂の箴言
- 星嘯の箴言
- 長い名簿
バラバラの先祖の日記
とあるオクヘイマの民の先祖が書いた日記。適切に保管されていなかったせいか、断片しか残っていない。
最初の異常現象がいつのことだったかは、もう覚えてはいない。3ヶ月前に、書斎で資料を整理していたら、急に窓の外から騒ぎ声が聞こえてきた。窓の外を覗いてみると、人々が街中に集まり、空を指差して議論していた。ふと見たら、エーグルが放った光はまるで震えるかのように――明るくなり、暗くなり、何度か点滅して、それからいつもの輝きを取り戻した。ただ、普段より少し暗くなっているように見えるが、じっくり見ないとわからない程度だった。
その後…遠方からの情報が届いた。私の学生たちは、彼らの世界が暗くなっていると言った。そしてまもなく、タコが撒き散らしたスミのように暗闇が世界に広がっていった。バルネアで食料を売る物売りは、日光が足りないせいで、彼の家の作物が既に枯れ始めていると言った。
■■■■■■に仕える祭司たちの沈黙が、我々を最も不安にさせている。昔は、敬虔な信者が祈ると、それに応えて様々な答えを得られると聞いていた。しかし、今回は祭司たちがどんなに祈っても、何の反応もない―■■■■■■を知っていなければ、この秘密を知ることもなかっただろう。
昨日、ついに異変が訪れ、オクヘイマも逃れられなかった…
門の刻、私は既に目が覚め、心臓は激しく高鳴っていた。窓の外の市場には人がいっぱいいて、みんなが空を見上げていた――聖都の上空、エーグルの光はまるで私のこの不安に震える瞼のように、目を開けようと必死に頑張っていたが、やがて為すすべもなく閉じてしまった。街の雰囲気が異様に重苦しくなり、泣き声が響き、エーグルに祈りを捧げる者がいた。子供が母親の服の裾を引っ張って何があったのかを聞いたが、その母親は何も言えないまま、ただ子供を力いっぱい抱きしめることしかできなかった。
しばらくして、最後の光も消え失せた――エーグルはその目を閉じた。街中から嘆きの声が上がっていた。永遠の夜が訪れると思ったその時、聖都の上空に金色の光が灯されていた。それは「黎明のミハ二」――黎明の崖の大司祭が、これはケファレの恩恵であり、永遠にここでオクヘイマを照らすと宣言した。
その光はエーグルの光に及ばないが、少なくとも一筋の希望が手に入った。■■■■に対する疑いはなかったが、私はそれに疑問を抱いた――機械などがタイタンの神力に匹敵するとは思えん。
もちろん、そんな滅多なことを言うつもりはない……
離愁の刻、私は初めて街に明かりが点いたことに気付いた。近所の人々が蝋燭に火をつけ、暗闇が訪れるのを恐れていた。あの明かりはそれほど小さかった。ほんの少しのそよ風でも、それらを消すことができた。まるで私たち一人ひとりの心のように、脆かった。こんな日々がいつまで続くかは分からない。友人の占星術師■■■■は、彼が異常な天文現象を観測し、何か恐ろしいものがエーグルに近づいているようだと言っていた。しかし、私たちはこのことを公に話すことはできなかった。祭司たちは「神託」があると主張していたし、私たちがこっそり■■■■■■を観察したことがバレたら、おそらく…
ここまで来て、何を書くべきかわからなくなった。誰にも見つからないように、この日記に三重の鍵をかけた。私の子供がこれを読んでいる時には、世界が永遠の光を迎えていることを願う。窓の外が騒がしい、今日は大きな異変で、城内のあっちこっちに被害があった。一番遠くに住んでいる妹の安否も心配だ……タイタンよ、どうか私たちを守ってくれ。
黎明のミハニの賛歌
黎明のミハニを讃える詩。エーグルに仕える司祭たちが必ず読むべき経典の一冊。
神々の黄金紀、光のタイタンエーグルは天を統治し、百の目は星の如く大地を照らす。
ある永遠の瞬間、天空の主の心に、果てしない憂いが湧いてきた。
かつて、最も輝く両目を捧げたことで、ケファレは知恵の火種を手に入れた。
しかし、空を背負うそのタイタンは、今やもう二度と空の輝きを直視することができなくなった。
エーグルは無数の年月の果てに、神の使い全員を集め、蒼穹の最深部にやってきた。
そこで、タイタンの神血と雷が混ざり合い、永遠に消えない光を生み出した。
七日の昼夜の輪廻、七重の天界の力、七つの神血の注入。
天空の主は自身の永遠を贄として、この前代未聞の造物を鍛え上げた。
全ての夜明けがタイタンの鼓動、全ての輝きが神血の脈動。
星の欠片がその中に流れ、雷霆の力がその中に集まる。
これこそが、永遠をも照らせる聖器である。
黎明のミハニが鋳造された日、星々は輝きを失い、雲霧も消えた。
その光は千日の輝きにも勝り、その壮麗さは神々を唖然とさせた。
これは天空のタイタンの最も神聖な造物である。
「我は永遠を誓おう」
エーグルはケファレに宣告した。
「この器具には我の神血が流れ、我の神力が受け継がれている」
「我の目がすべて閉じても、この器具は永遠にあなたの国を照らすだろう」
「これはただの贈り物ではなく」
「我々の血筋を繋ぐ誓いでもある」
「我は自らの永遠を以てあなたに光を授ける、あなたがその肩で天穹を支えるように」
「我らはこれから運命を共にする兄弟である」
聖器が永遠の都に送られた時、
全ての神の使いは俯いて礼をした。
彼らは神の言葉を知っている、
それは単なる贈り物ではなく、永遠の誓いでもある。
それから、黎明のミハニは静かに佇む。
オクヘイマの最も高い場所で眠っている。
いつか目覚めが必要な時を待ち続けている。エーグルの言うように、
これは永遠によって鋳られた約束である。
ドロス義賊列伝
クレムノスのプトレマイオスが書いた伝記。本巻では、盗賊の城ドロスの三百の義賊を一部紹介している。
その1
序文
歴史学者が筆を執るようになってから、黄金裔は言うまでもなく、一城の主や一国の王はもちろん、戦果を上げた勇者や博識な学者も、それらの功名は全て記録され、後世へと語り継がれている。その他の業界においても、特別な人材がいれば、その功績は歴史学者に記録される。エーグルエーグルから名を授かった祭司、ジョーリアから恩賞を受けた鍛冶屋、タナトスから許された苦行者、それぞれに伝記が書かれている。だがザグレウスの眷属は、虚言で法を乱し、詭術で禁忌を破り、己の能力に驕り、功績をひけらかす。故に万人に嘲笑われ、その栄誉に背く行為は、特にクレムノス人から蔑まれている。
筆者、プトレマイオスは、クレムノスの蔵書を読み尽くしたと自負しているが、盗賊の神の眷属に関する伝記を書く者は見たことがない。それでも、孤軍の王と共に諸国を旅している間、筆者はドロスの三百の義賊の逸話を何度も耳にした。
盗賊の城ドロスはヤヌサポリスの南、神悟の樹庭の北に位置する。城内の法律が他と異なり、欺瞞を働く盗賊が恩恵を受ける土地である。伝説によると、千年前に行われた初めての火を追う旅は、黄金裔の全滅により敗北を宣言することになった。その後、黄金戦争が再び始まり、諸国は再び民が苦しむ状況に陥った。ドロスの貴族はこの機に乗じて富を貪り、詐欺禁止令を公布して市中の金銭の流通ルートを独占した。城内の民は一時窮地に陥った。生計をたてるため、多くの平民盗賊は故郷を離れ、才知を持って人を欺き、材を奪う。男女老若を問わず、名を残した者は合計300名。当時の人々は彼らを「ドロスの三百の義賊」と呼んだ。
筆者の忖度ではあるが、この300人が世の人々から(三百盗賊や三百強盗ではなく)三百の義賊と呼ばれているということは、盗賊の身でありながらも、その行いには英雄の風格があったのではないだろうか。栄誉を失った後でも、誇り高き自己犠牲や勇敢さは残っていたのかもしれない。故に、ここでいくばくかの筆墨を費やし、この者たちの事績を列伝に記録したい。
……
三百の義賊、「千面相」シリントス
シリントスという人物は、その見た目や身分に関する記録がほとんど残っていない。偽装に長けたか弱い少女だという説、声を自在に変える痩せた男だという説、更には黄金裔だという説がある。しかし、ほとんどの口述歴史は、その者がドロスの最初の侠盗であることを認めている。エネウーヌス、神悟の樹庭、オドリュサイ、どこにもその事績が伝わっている。シリントスは偽装と詐欺に長けており、異なる姿で同じ人を何度も騙すのが好きであり――その相手のほとんどが、お金を持った悪徳貴族だったという。
……
「神を欺くドロスの偉業」では、シリントスは一人で北の国ルキアへ行き、百種類の身分を使って、暴虐なる僭主の牢獄から無実の囚人を千人も解放した。だが運悪く捕まえられ、斬首の刑に処されることになった。しかし処刑当日、処刑人が刃を振り下ろした後、観客たちは転がり落ちたのが僭主の首であったことに気付いた。そして、観客席にいた僭主が仮面を外せば、それは僭主に化けていたシリントスであり、人々の援護を受けつつその場から姿を消したという。この者は自力で脱獄したが、これは三百の義賊の中でも珍しい人物だ。
……
三百の義賊の97、「黒毛の刃」フェルム。
黒毛の刃、又は鋼爪獣。大きなモグラのような形をしており、穴を掘るのが得意。その鋭利な爪は、精巧な兵器でさえ一振りで簡単に切り裂く。よく城壁の根元に修復が難しいほどの巨大な抜け穴を掘っているという。鋼爪獣を自力で捕獲することが、クレムノスの一部の部族では成人の儀式として百年以上受け継がれている。
フェルムの異名は、その外見と盗みのやり方が元となっている。フェルムには肖像画が残っており、黒い顔に濃い髭、たくましい両腕と、普通の男性の2倍ほど大きい両手が描かれている。フェルムは2本の折り畳み式スコップを使いこなし、普段は手甲として身に着けていたという。フェルムは口下手だが、その祖先はハットゥシリのジョーリアの祭司で、土壌や地質に対して人並外れた感知力を持っている。彼は2日もかからずに、固い岩を避けながら、長さが数千歩に渡る、貴族の宝が隠されている地下室に直接繋がるトンネルを掘り出せたと言われている。
……
「神を欺くドロスの偉業」では、フェルムはミディスタシアへ行き、十日間の時間をかけて、城内八名の貴族の家々を繋ぐトンネルを掘り出した。その終点には国王の宝庫があった。国王が気付いた時には、フェルムはすでに宝庫の中の財宝を半分も運び出していた。彼が逮捕されても、財宝の行方は分からないままだった。国王と貴族はフェルムのスコップを取り上げ、精鋼で作られた立方体の牢獄に閉じ込め、地下に埋めた。しかしその約半月後、ミディスタシアの宝は、ひそかに各国の貧しい民の手に現れたという。
……
三百の義賊の235から238、「恐生の鳥」ペルラ四姉妹
恐生の愚鳥、グルとも呼ばれている。もともとはオレノスの郊外に生息する群れの鳥類を指していた。その鳥類はほとんどが4羽同時に行動し、飛ぶことはできないが、滑翔に長けている。襲撃されると、その場で死んだふりをして、隙を狙ってバラバラに逃げる。黄金戦争の飢饉時代、この種は捕獲しやすいため絶滅へと追い込まれた。
ペルラ四姉妹は生まれつき賢く、大人になっても子供のような体格であったと言われている。四姉妹はよくキャラバンの道中に現れ、道行く人々を騙して同情を得ていた。四姉妹に恵みを受けた者は、彼女たちと別れた後に思いがけない宝を手に入れることができたという。逆に四姉妹を乱暴に追い払う者は、彼女たちに道中で何度も嫌がらせを受け、最終的には大量の財産を失うことになった。
……
「神を欺くドロスの偉業」では、ペルラ四姉妹は初めて仕事を分担することになり、東西南北の4つのキャラバンの要路に向かって一人で詐欺を働き、数日後に合流する計画を組んだ。しかし、彼女たちは約束通りに再会することができなかった。姉妹のうち1人は死に、1人は監獄に入り、1人は障害を負い、1人は行方不明になったと言われている。
……
その2
三百の義賊の301、「世を欺く者」セファリア
セファリア、またの名をサフェル。その者は、足が速く、口が達者で知られている。いつもフードとマントを被っているため、人々は嘘つきネコサフェル、あるいは駿足のセファリアと呼んでいる。後世の人々は彼女を三百の義賊の一員として数えていない。彼女が名を挙げた頃には、三百の義賊は既に有名になって久しかったからだ。そして、彼女の詐欺や窃盗の生涯は、神を欺く偉業が成し遂げられたまでわずか二十年に過ぎないものだった。
筆者はセファリアの功績を整理する際、感嘆せざるを得なかった。これほど若い少女が、他の侠盗に比べて無名なのに、三百人の仲間を集め、神を欺く偉業を成し遂げ、さらに「詭術」の神権を背負うことができた。もしかして、すべてが預言に定められた運命なのだろうか?
セファリアがザグレウスの神権を受け継いでから、約900年が過ぎた。「神を欺くドロスの偉業」に関する記載ははっきりとしていない。当時は黄金戦争が激しく、各国は自分の国のことで手一杯で、火を追う旅以外の災厄のタイタンの火種の行方を気にする余裕はなかったからだ。しかし、当時放浪していた吟遊詩人が、その幽霊の日の詭術の宴を目撃した。それを詩にしたものは、代々受け継がれている。
……
セファリアはザグレウスの火種を奪う決心をすると、その「一日に千里の道を歩ける」と言われる足で、オンパロスの大地に散らばった三百の義賊たちを探し始めた。彼らの中で、神を欺く偉業がまもなく始まると聞き、103人の侠盗が自ら名乗り出た。また、87人の侠盗がちょうどドロスにいたので、セファリアは1か月かけてその者達を逐一訪問し、説得した。65人の侠盗は故郷に帰っていたので、セファリアは5か月かけて同じように一人ずつ訪問し、説得した。19人の侠盗は獄中にいて、そのうちの2人は処刑される寸前だった。セファリアと「金織」は外交手段を使って彼らを救出した。残り26人の侠盗は行方不明になっていたが、セファリアは2年と5か月をかけて、ようやく全員を探し出した。
……
最終的に、4年7ヶ月の時間をかけて、いよいよ301人の侠盗が幽霊の日の前日にドロス城で集まった。簡単な動員と協議の後、翌日、侠盗たちは「門職人」の力を借りて異なる都市国家に散らばり、生涯で一度も試したことのない詭術を、危険を顧みずに実践した。それぞれがどのような詭術を実行したかについては、歴史に記されたものを筆者がその人の個人伝記に記録している。
ザグレウス、その本体は幽霊の日にのみ出現し、優れた詭術に惹きつけられる。幽霊の日の一戦で、300人の侠盗がほぼ全員牢獄に入れられたが、最終的には悪名高い盗賊の神をおびき出すことに成功した。詭術のタイタンは、今回の嘘の宴に大いに満足していて、牢獄に入れられたすべての侠盗を嘲笑って回った。301人目のセファリアの番が回ってくるころには、幽霊の日の隠匿の刻の最後になっていた。ザグレウスはわざとセファリアの前に現れ、彼女がこれほどの幽霊の日の宴を用意したのは、自分を誘い出すためだと看破した。確かにザグレウスは現れたが、凡人であるセファリアは、この詭術の神相手に何ができるというのか?
盗賊の神が現れた瞬間、待ち伏せしていた「金織」のアグライアは、真言の金糸でザグレウスを瞬く間に捕らえた。ザグレウスは虚言の神力で姿を隠して逃げようとしたが、金糸の前では無意味だった。セファリアはアグライアと共謀して、「門と道」の半神トリスビアスの予言を利用して、盗賊の神の出現時間を推測していたのだ。アグライアが捕縛を実行し、最後はセファリアがその機を利用して、ザグレウスの火種を奪い取った。
こうして、「神を欺くドロスの偉業」は完成した。幽霊の日の宴の後、セファリアは策略を用いてドロスの詐欺禁止令を廃止した。史料によると、彼女は「金織」のアグライアと一緒にオクヘイマに戻り、火種の試練を突破して、「詭術」の半神となった。今でも、たまに彼女を目撃した記録がある。
ドロスの三百の義賊については、彼らが監獄で死んだという説もあれば、セファリアが「詭術」の神力で彼らを一人ずつ救い出し、その後無事に生涯を終えたという説もある。いずれにせよ、神を欺く偉業の後、三百の義賊は姿を消し、二度と噂されることはなかった。クレムノスの戦士が目指す栄誉の終点が王座に登ることのように、一介の盗賊にとって、神を欺く偉業を生涯の終点にしたのは、ある種の美談といえるだろう。
……
晨昏の年代記
ある逃亡した司祭の手帳。原本は行方不明。これは樹庭にある写本の複製品である。
晨昏の年代記
……
司祭になって7年が経ち、ついに■■■■の奥深くに入り、祭祀の儀式に参加する機会が訪れた。しかし、この機会を得てしまったがゆえに、エーグルの本質に対して迷いを抱くようになってしまった。
我々輝きの民はずっと、エーグルは私たちを愛していると信じている。なにしろ、全ての天空の眷属の中で、私たちだけが最も熱い日差しに耐えられるからだ。私たちはそれをタイタンの寵愛だと考え、他の眷属を軽蔑していた。しかし、私が画の壁の奥に入り、タイタンの行動の真相を目の当たりにした時、全てが変わった。
画の壁の中央には巨大な鏡があり、大地を見つめるエーグルの目が映し出されていた。あの日、敬虔な信者たちが祈りを捧げ、収穫の加護をエーグルに懇願していた。しかし、タイタンは何の反応も示さなかった。その視線は遠くから湧き上がる暗黒の潮に固まっていた。黒の霧が迫ってくると、エーグルはまるで何か恐ろしいものを避けるかのように、視線を上へ逸らした。
この瞬間、私はふと理解した。エーグルが高い場所に住む我ら輝きの民を見つめているのは、寵愛によるものではない。地上で蔓延し続ける暗黒の潮から目を背けようとするためだけだったのだ。私たちは、タイタンの恐怖を恩恵だと勘違いし、それを自慢していた。さらに皮肉なことに、エーグルは信者たちの祈りには無関心で、敬虔な跪きは、あの目にとっては蟻の踊りに過ぎないのだ。
それから、私はより多くの細かい所に気づいた。都市国家が崩壊するたびに、エーグルはわずかに瞳孔を縮めていた。しかしそれは憐れみではなく、暗黒の潮の侵攻速度を測るためなのだ。あれは雲の上に高く佇み、常に冷たい目で人々を見下ろしている。あれが創造した光さえも、自分の視界を明るくして、暗黒この瞬間、私はふと理解した。エーグルが高い場所に住む我ら輝きの民を見つめているのは、寵愛によるものではない。地上で蔓延し続ける暗黒の潮から目を背けようとするためだけだったのだ。私たちは、タイタンの恐怖を恩恵だと勘違いし、それを自慢していた。さらに皮肉なことに、エーグルは信者たちの祈りには無関心で、敬虔な跪きは、あの目にとっては蟻の踊りに過ぎないのだ。
それから、私はより多くの細かい所に気づいた。都市国家が崩壊するたびに、エーグルはわずかに瞳孔を縮めていた。しかしそれは憐れみではなく、暗黒の潮の侵攻速度を測るためなのだ。あれは雲の上に高く佇み、常に冷たい目で人々を見下ろしている。あれが創造した光さえも、自分の視界を明るくして、暗黒の潮の動向をよりはっきりと観測するためのものに過ぎなかった。
ある日の夜、私は再び画の壁の前に立っていた。敬虔な信者たちは太陽と光を謳い、タイタンの慈悲を讃えた。しかし、エーグルの目には一瞬の軽蔑が浮かんだ。ソレは、弱い生き物を嫌悪し、あの恐るべき暗黒を嫌うかのように。あれの空の中には、慈悲も真理もなく、あるのは永久のパラドックスだけあれは光の支配者でありながら、最も臆病な逃亡者でもあるのだ。
最も皮肉なのは、私がこれらの文字を書いている時、エーグルの視線を感じていることだ。しかし、私は知っている。私の冒涜によって罰が下されることはない。エーグルの目には、私の裏切りと信者の崇拝は同じくらいどうでもいいことだ。もしかしたら、この冷淡さこそが、あれの真の神性なのかもしれない。
「後書き:この手稿は■■■■■■の片隅で発見され、■■■■■の手によるものと推測されている。考証によると、作者は恐らく逃亡した大司祭■■■■である。神悟の樹庭図書館には一冊の写本が保管されているが、原本の行方は不明である。」
家族宛の手紙
優しい母親が子供に残した手紙。内容からして、一族の過去が記されているようだ
家族宛の手紙
親愛なる我が子へ
あなたが私たちの先祖がどのようにして空で生活していたかを聞く度に、私はいつもこれは長い話だから、説明が難しいと言って誤魔化していた。今日はせっかくの休みだから、家に伝わる物語を記録して、あなたへの記念にしようと思う。
知ってるかしら?私たちの祖先にもオクヘイマの市場に似たところがあった。昼夜が交互に交わる回廊で、異なる部族の人々が集まって物を交換していた。輝きの民は布を織るのに最適な、雲の綿を持ってきた。雨の民は凝結した雷露を売っていた。それを顔に塗ると、肌が光るほどツヤツヤになると言われていた。そして冬の民は特製の氷晶キャンディーを売っていた。口に入れるとゆっくりと溶けて、甘さは一日中続くと言われていた。
小さい頃、私が一番好きだったのはこのような市場の物語だった。あなたのおばあさんは、そこには商売人だけでなく、よく即興のパフォーマンスをする人もいると言っていた。一番人気なのは冬の一族の歌手で、彼らは舞い散る雪を、歌声と共に踊らせることができた。そして、雨の民は雷のリズムに合わせて演奏するのが得意で、見事な調和を披露していた。
……
私たちの伝統的な食事はオクヘイマよりもずっと面白いもので、部族ごとにそれぞれの特色があった。輝きの民は正午に日光の宴を開き、特製の水晶の器で太陽の光を屈折させ、食べ物を金色に輝くほどに焼いていた。雨の民は雷雨の時に食事をするのが好きで、彼らが言うにはその時の空気が最も新鮮で、一番普通のクモヒツジのミルクでさえ美味しくなると言っていた。
その中でも特に有名なのは冬の民の寒林茶会だった。凍てついた枝の間に長いテーブルを置いて、星の光で淹れたお茶を飲む。カップに注がれたお茶は透明だが、温度が変わると様々な色になる。一族にはこんな冗談がある。ある雨の民が茶会で興奮しすぎて、一つのくしゃみでテーブルに置かれたお茶を全て氷柱にしてしまったと。
……
子どもたちもあなたと同じように遊ぶのが好きだった。しかし、彼らの遊びは地上のものとは大きく異なる。最も人気なのは「光を追う」という遊びで、子供たちは数チームに分かれ、光と影が交錯する雲の間を追いかける。輝きの民の子どもはいつも一番速く走るが、雨の民の子どもは近道を探すのが得意で、そして冬の民の子どもは予想外の戦術で有名だった。
もう一つ、凧の舞いと呼ばれる遊びがあった。参加者が風の流れに乗って、雲の間を滑翔する遊びだ。実際、これはとても実用的な技術訓練で、風の流れを扱う技術を鍛えるのに最適だった。おじいさんは若い頃、凧の舞いの達人だったらしく、ある大会で3層の雲梯を一気に飛び越えて、周りから絶賛されたと言っていたわ。
……
エーグルの光が最も輝いている頃、私たちの先祖は盛大な「天光祭」を開催していた。すべての部族がそれぞれの意見を捨て、一緒に集まって祝っていた。輝きの民は光で織られた色とりどりのリボンを編んだ。雨の民は独特の技術で七色の雲橋を作った。冬の民は高い所から輝く雪を降らせた。画の壁は色とりどりに染まり、息を呑むほど美しかったそうよ。
しかし、一年で最も賑やかなのは毎年の「晨昏の祭り」だ。これは日が昇り月が落ちることを祝うために設けられた祭りであり、様々な部族が交流する重要な場でもあった。人々は自分の一番好きな食べ物を持ち寄り、一年の間に起きた面白い出来事を語り合っていた。輝きの民はよく牽光の術を披露し、日の光を指の間で流していた。雨の民は雷鳴の舞を披露し、雷の音のリズムに合わせて踊っていた。大トリは冬の民の冰晶楽器の演奏、その音は空全体を共鳴させていたと言われているわ。
ここまで書くと、思わずあなたのおばあさんがよく言っていた言葉を思い出した。今私たちは地上で暮らしているけど、空を見上げれば先祖たちの祝福を感じられるって。
いつか、エーグルの傷が癒えたら、私たちはあの雲の上の故郷に帰れるかもしれない。でもその前に、今の生活を大切にしよう。そして、この物語を忘れないようにしよう。これは、私たちにとって一番大切な遺産なのだから。
眷属系譜の断片
とある樹庭の学者が記した手書きの家族史。老朽化により内容の一部が失われているが、その原本が友愛の館に収蔵されている。
眷属系譜の断片
されど、天空の下は常に平和ではない。輝きの民は、太陽の光だけが世の闇を追い払うと考え、力と栄光を追い求め、他の部族を臆病者と見なしていた。雨の民は、雷だけが穢れを浄化できると信じ、己の異端に暴力的な手段で対抗していた。冬の民は知恵で知られていたが、傲慢と偏執が原因で、他の部族に不満を抱かれていた。三つの部族の間では、互いに対する不満が日に日に深まり、もはや調和が不可能な状態に至っていた。
あの災難が訪れるまで。
セネオスが天空に挑み、天象画の壁は破られた。無数の空の眷属が永遠の夜に葬られ、生き残った者は故郷を離れ、大地に身を隠すしかなかった。この災難の中、黄金の血を流す賢者は残された三部族の民を率いて遠くへ避難した。彼女は分断と対立が天空の民に災いをもたらしたことを知っていた。そのため、昼夜を融合し、陰晴を調和できる避難所を作ると誓った。これが昏光の庭の起源である。
昏光の庭は他の都市国家のように定住しなかった。彼らは知っていた。部族の間の裂け目を埋め、怨嗟を癒すには、隅に全てを閉じ込めるべきではない。そこで、庭のメンバーたちは医者、占星術師、学者となってオンパロスの大地を歩いた。彼らはエーグルから授かった空の祝福で民を救い、同時に空に帰る可能性を探している。
庭はかつての天空の眷属の栄光を失ったが、重要な伝統は残っている。一族の子供が8歳になると、天空の祭礼を行う。この古い儀式では、子供は4つの聖物のうち1つと共鳴する。烈日の冠、雷雨の腕輪、氷雪の指輪、あるいは微光のペンダント。前の3つはそれぞれ輝きの民、雨の民、冬の民の血筋を受け継いでいる。微光のペンダントは、分断を越えた調和の象徴である。数千年の間、微光のペンダントと共鳴できた者はごくわずかだと言われている。
黄金戦争が勃発してから、昏光の庭の状況はますます厳しくなった。各地を放浪する生活は、彼らが各勢力から弱者と見なされる理由になってしまった。特にクレムノスの戦士たちは、戦わずに逃げた避難民たちを軽蔑し、よく彼らに襲撃をかけていた。庭はオクヘイマや神悟の樹庭などの勢力と同盟を結んでいたが、血に流れる使命によって、彼らは安定を諦め、再び天空に帰る啓示を探し続けた。
動乱の時代においても、昏光の庭は最初の理念を守り続けている。癒しで恨みを払い、調和で争いを無くす。外の世界は彼らの弱さを嘲笑うが、庭のメンバーたちは常に信じている。対立を調和し、違いを抱擁することでこそ、同じ過ちを繰り返さずに済むと。この信念は今日まで受け継がれ、昏光の庭にとって最も貴重な遺産となっている。
……
[後のページは失われている]
陽雷の騎士の真伝記
作者不明の歴史ノート。内容には複数の修正した痕跡があり、自身の論点に対してかなり悩んでいたことが伺える。
陽雷の騎士の真伝記
(最初の数行は書き直された痕跡があり、作者の名前もわざと消されている)
このノートを読んで、歴史の真相と自分の仮説がかけ離れていることに気付いた人がいたら――どうか驚かないでほしい。歴史というのは、生きている人々が過去に対して共通して抱くなんらかの説である。もし、ある歴史の存在自体が、人々を傷つけているのなら……それを忘れた人は、愚者や臆病者と非難されるべきではない。
陽雷の騎士セネオス。エーグルの神権の簒奪者、天空の融合神。強大さに名高い彼女は、天空の子という大家族を離れたばかりの頃は、群れから引き離されることを強いられた普通の少女に過ぎなかった。大家族では、派閥の争いが避けられない。輝きの民と雨の民の争いが時折起こったのも事実。しかし少女セネオスにとっての本当の問題は、彼女には黄金の血が流れていることだった。
黄金の血は生まれついた神の力の証であり、「異端者」の呪いでもある。少女は常に人々の疑念を晴らす生活に飽き、流浪の旅に出た。無言の広野で、彼女はルネビスとソラビスに出会った――人類とは違い、彼女たちの間には簡単に信頼関係が築かれ、共に狩りをし、成長し、生活し、技を学び、見聞を広めていた。
流石は黄金の血というべきか、長年遊学してきた少女は、いつしか世界で唯一無二の「陽雷の騎士」となった。天空のエーグルでさえ、彼女の翼を無視することはできなかった。彼女は心の奥底で孤独な強者になりたくないのか、それとも幼い頃に抱いた、天空の子を救いたいという理想が消えていないのか――いずれにせよ、力強い部外者として再び天空の子の部族に戻った。セネオスは彼らの代わりに、タイタンでありながら無能で臆病なエーグルを倒し、人々の生活を希望に満ちた新たな段階へ導くと宣言した。
時々思うのだが…セネオスに天空の子を救いたいという願いがなかったら、すべてが違ったのではないだろうか。もし彼女が単に自らの意志でエーグルを撃ち落とし、形だけの同胞たちと戦果を分かち合おうとしなかったら…その後の悲劇は避けられたのではないか?もしかしたら、天空の子らは依然として過去の生活に従って、亡くなったエーグルから慰めを得られていたのではないか?彼らを過去の習わしに従わせておくことは、今のセネオスにとって大した損害にはなりえないはずだった。
ただ残念なことに、歴史には「もし」など存在しない。私から見て、セネオスの本当の願いは、すべての天空の子が彼女のように孤高で誇り高き騎士になることだったように思える――彼女は本心から、この基準で全ての人を平等に愛していた。しかし、残酷な現実が証明してくれた。ほとんどの天空の子は精神的な貴族になるよりも、盲信的な「奴隷」であることに慣れていた。彼女がエーグルを嫌うほど、彼女のことを崇拝する人が増えていった。人々の姿は、かつてエーグルを崇拝していた時と同じだった――御題目が変わったこと以外、何の違いもなかった。
なのに、部外者として、彼女は救おうとしている相手に、極端な暴力で制することしかできなかった…暴力に染まった親が子供に対して用いる、痛みと恐怖という名の言語のように、彼女も暴力でしかその歪な愛情を伝えることができなかった(彼女個人の理解としては、確かにこれは一種の愛だった)。
(下の段落にも、明らかに削除され、書き直された痕跡がある)
この伝記を書いた当初、事態はまだ取り返しのつかない状況には陥っていなかった。しかし、今日からは…私は残された唯一の天空の子となり、彼女との約束通り、彼女が紡いだこの歴史の未来に、新しい意味を探すことになるだろう。
私(そして私の子孫)がこの使命を果たせるかどうかは分からないが…もし誰かがこのノートを見たなら、その時にはきっとあなたなりの判断ができると、私は信じている。
ディアディクティオ、止まってくれてありがとう
伝言の石板にあった動機が不純なメッセージは、作者によって削除された。
ディアディクティオ、止まってくれてありがとう
ディアディクティオのアーカイブファイル、投稿者(匿名)は既に内容を削除した
少し前まで、ディアディクティオにはこんな「商業広告」が溢れかえっていた。
「超英雄」石鹸を使えば、踊りだしたくなる~♪♪
ひとつだけ、はっきりさせておくが私も多くの人と同じように、民会ではアグライアさんに反対票を入れた。しかし、彼女は正直で誠実な人だと思っている。私たちのために声を上げてくれた元老院の公僕たちもこの考えには同意していると思う。彼女はただ、悲しい盲人で、現実を無視して、幻想の世界を歩いているだけだ。
もちろん、アグライアさんの死は残念だった。しかし、私がこの思いを文字にしている時、金糸を失ったディアディクティオは1秒あたり数バイトほどの恐るべきスローペースでデータを伝送している--それを確認して、私は突如として現実に帰ってきたような気分になった。私は『ドロス義賊列伝』の音声付きバージョンのダウンロードを待っている間に、お茶を淹れて、『クレムノス列王紀』を興味深く読んだ。昨日の私にとって、これはきっと耐え難いスローライフだった私たちは本当に金糸を失っしかし、た。ディアディクティオのスピードが飛天の壺にも劣っている時に、私はかえって生活のバランスと内心の平和を取り戻したことに気づいた。
あの「商業広告」の意味からすると、ディアディクティオはもう死んでいるかもしれないけど、私の心の中では、ここは生まれ変わったばかりなのだ。(離愁の刻に匿名で投稿してください。コメントには積極的に返事し、正体がバレないように注意してください)
俺の教授がこんなに可憐なわけがない
樹庭の友愛の館で見つけた暇つぶしの読み物。分類は一応…青春文学?
俺の教授がこんなに可憐なわけがない
「すみません、遅刻しました!」
私は知識の花の力でツタを乗り越え、教室の前に駆けつけた。不安な気持ちでドアを開けると、約束の相手と目が合った。
30歳を過ぎたばかりの教授は、壁にある授業用の石板にもたれて、気だるげに佇んでいる。永遠の夜の微かな光に照らされて燦々と輝いている学者服は、神聖な雰囲気すら醸し出していた。
「おや?初めての授業で遅刻するなんて、どうやらタナトスに会いたいようだね……」
実のところ、これは私たちの初めての一対一の授業だ。そして、最初からやらかしてしまった私は、サーシスでさえ見ていられないほど恥ずかしい存在ということになる。
幸い、私には策がある――
「すみません教授、許してください。なんでもしますから!」
「ん?なんでも?」
「あ…いや、その…お手柔らかに…」
この言葉を聞いた教授の顔に、魅力的な笑みが浮かんだ。
「では、ここを教えてもらえないだろうか。」
「待ってください、教授?」
「この論文にある知識を、細かく分析して、一文字ずつ、ゆっくりと、教えてほしい」
ここに鏡はないが、私の顔はきっと、この突如襲いかかってきた恥辱の時間のせいで、真っ赤になっていることだろう。
「あの、教授…私はまだ実習生です。私には早すぎるのではないしょうか?」
「はあ…せっかくの提案だというのに!授業の準備を無駄にさせる気か?このバカ!」
「せめて、授業が終わってからにしてください!」
「…そこまで言うなら、まあいい。だが、私はまだ許したわけじゃないからな…それで、今日は何をする?」
「学術誌を読んでみませんか?最近、自然数の法則に関する研究が発表されたみたいですよ」
「面白そうだな。よし、早く見てみよう」
その研究報告はとても価値があるものなのに、私は論点すら理解できなかった。なぜなら、教授の鋭い眼差しから目が離せなかったから…。
彼がデータに没頭している時の姿は、なんて理性的なんだろう。さすが私の大切な教授だ。
その後、私たちは充実した時間を過ごした。古典文学の世界をふらりと旅したり、タイタン信仰に関する新しい調査を貪り尽くしたり、最後は赤陶学派の新作がもたらした夢の中に浸りもした。時間が流れていくのを忘れるほどに――
隠匿の刻の鐘が鳴り響き、私たちは互いに視線を交わした。授業が終わった。時間が線的に流れることに、どうして干渉できないのかと、私は何度も恨んでいた。
教授は私を見て、何かを決心したかのように、こうつぶやいた。
「論文を出しなさい…私が書き直してあげるから」
「本当にいいんですか?」
「ええ、あなたは私の自慢の学生だ。これは、ずっと考えていたことだよ」
「教授…」
「あなたの思想、あなたの研究成果、それから…あなたの全部を、見せてみなさい…」
言葉を交わす必要はなかった。この二人の理性を追求する者は本能に従って、知識の探求を始めた。この授業の後、論文の謝辞に新たな名前が加わること、そして、これが最終的に、私たちが学術セミナーを設立するきっかけとなったことを、この時の私たちは知るよしもなかった。
ワンパンキング・エーグル編
樹庭の友愛の館で見つけた暇つぶしの読み物。分類はファンタジー小説。
ワンパンキング・エーグル編
……
彼は身についた埃を払い、身だしなみを整え、まっすぐな姿勢で巨大な鷹と対峙した。
「無口なジョーリアを倒したくらいでいい気になるなよ。凡種、忠告しておくが……」
神王は何も言わず、まっすぐエーグルの千の瞳を見つめた。彼はゆっくりと右腕を上げ、四本の指を合わせ、相手に向けて軽やかに手を振った。
「生意気な!その傲慢の代価を払ってもらうぞ!」
エーグルは怒り狂い、その巨体を熱くしていった。そして、目に見えないほどの速さで翼を振った。瞬く間に、千枚の羽が鋭い刃のように飛び出し、神王に殺到する!
「天空」のタイタンの羽は、どれも鋼鉄を貫けるほど強靭である。ましてや凡人の体なら…数え切れないほどの攻撃、かわすことは不可能だ!
凶刃の嵐が目の前に迫り、時間が止まったかのようにスローモーションになる。エーグルは己の反応能力を強化し、目の前にいる生意気な小僧の動きを予測していた。
神王は足に力を込めるの見て、エーグルはこう考えた一彼が取れる選択は2つ。左右へとかわすか、構えて防御に徹するか。どちらを選んでも無駄だ!羽の刃は風向きに応じて方向を変え、彼の回避能力がどれほど優れていようと、必ず追尾して命中する。
――しかし、神王は避けることなど考えもしなかった!彼は勢いをつけて前へ踏み込み、飛んでくる羽の刃を指で受け止めると、螺旋を描くように腕を振るい、音速でそれを投げ返した――
羽の刃は勢いに乗って向きを変え、嵐の奥へと飛び、もう一枚の鋼の羽とぶつかりあった――
「キン!」
衝撃した羽根は両側に飛び、それぞれ他の羽根とぶつかり、さらにその軌道を変えた!
「キンキンキンキン!!!」
金属同士のぶつかり合う音が不規則なリズムに変わり、最後の羽の力も霧散し、空に散っていた。神王は奪った羽一枚で、羽の刃の軍勢を退けたのだ。
エーグル、驚愕!一介の凡人が、なぜこのような神技を持っている?
しかし、ソレはまだ神識の躯、この程度で慌てることはなかった。四散した羽が双方の視線を遮った隙に、エーグルは鋼の大剣のような爪を振り落とし、この一撃で戦いを終わらせようとした――
「ドオオン!」
巨爪は神王に真正面から直撃し、地面は威力の余波によって大きな穴があいた!
だが何かが違う!エーグルはその感触に違和感を覚えた…まさか外したのか?それとも――
エーグルが目を凝らすと、神王より数倍も大きいその爪が、神王の片手で握られ、まるで食器でも持っているかのように軽々と受け止められている!
空いっぱいに広がる白羽が、殺戮の舞台たる戦場に、一抹の不気味な色を添えた。不遜なる巨鷹は、千年の時を経て初めて呆然として、こう呟いた。
「ありえない!ジョーリアでさえ、我の鉄爪の前では逃げることしかできなかった――なのに、貴様、貴様は一体何者なんだ!!!」
「答えを知っているではないか?凡人、ただそれだけのことだ。」
「貴様っ――!!!」
エーグルは爪を引こうとしたが、神王に握られたまま、固まったように微動だにしなかった。その顔色はとても見苦しいものになっている――
神王は微笑み、もう片手の指を握りしめ。そして、タイタンの視力でさえ追いつかない速度で――
全力で、一撃を放つ――
「ズババーン!!」
瞬く間に、神躯爆発!
津波のような力が天を揺るがし、神鋼で作られた壁にすら深い亀裂を刻んだ。ダメージを受けた聖殿はもうすぐ崩れてしまうだろう。
その後、世界から天界が消えた!オンパロスの万民はもう天幕の奴隷になる必要がなくなった!そして、そのすべては、神王の一撃によるものだ!
遠くにいるタイタンたちは仲間の敗北を感知し、怒りの咆哮を上げた――誰も彼を止めることはできないのか?彼の前進を揺るがす方法はないのか?
ソレらは知らない。神王のように強い力を持っていても、凡人の欲望に縛られることを――
戦いの前と同じように、彼は再び身だしなみを整えた。
「……終わりだ、エーグル。お前は強い。「天空」のタイタンの名に恥じぬ強さだったぞ」
彼は後ろで崩れていく石壁に振り向くことなく、聖殿の外へと歩いていく。その足取りは落ち着いているが、その顔には失望の色が浮かんでいる。
「ただ、私を満足させられなかったことが、貴様の唯一の失敗だった」
――次回「ニカドリー戦」(次回休載)
「富豪」ビオティスのビジネス術
オクヘイマでかつて有名だった富豪、ビオティスの名言集。千年ものあいだ口伝てに広まり続け、商人たちにとっての必読書とまで言われているビジネスの教本。
「富豪」ビオティスのビジネス術
「商売を学ぶ前に、人としての道を学ぶこと。知識に貪欲であれ、学びは生涯続けよ」
「私は、タレンタムはすべての人に対して公平であると信じている」
「自身の欠陥を受け入れよう。適切な忘却は、目標への集中につながる」
しかしその後もビオティスは記憶喪失に苦しめられ、全ての思い出が兄の口から得たものだということで、発作を起こした際は、自分がアルティッカスなのかビオティスなのかも分からなくなる有様だった。
「兄弟であっても、いつか道を違えるものだ。私は奮闘する中で、兄弟の権力に頼ったことは一度もなかった」
彼は雲石市場で店を借り、朝から晩まで三年間働き、10000テミス貯めた。さらに兄アルティッカスから支援されたテミス30万を加えれば、ついに彼の初めての質屋が開店した。
「誠実さは根源を腐らせない、敬虔こそが利益の助力」
この奇妙な現象は、彼がタイタンを信じ始めるきっかけとなった。それ以降、彼は亡くなるまで、毎年利益の60分の1を供物としてケファレに献上した。
粛清者名簿の断片
火種の匣から取り出された秘密の書物。粛清者たちの名前や経歴などが記されている。
粛清者名簿の断片
第7号
16世:オリビア、工務官
オクヘイマ工務官として、雲石の天宮の修繕作業を主導。
地下迷宮の崩落エリアを一部撤去し、各拠点を地下道で繋げた。天命を全うした。
資質抽出済み、適切な継承者を待つ。
17世:リビア、献酌者
雲石の天宮に常駐し、たまに英雄のピュエロスで働き、黄金裔の動向を収集する役割を担っている。ネクタールを受け取る時に3回軽くコップを叩くと、次にネクタールを届ける時に、皿の底に情報を添える。
……
第23号
41世:グレゴニー、華石学派の学者
継承儀式の改善方法を探るため、牽石学派に潜入して研究成果を盗み取る。
円盤投の試合でハンマーに打たれて死亡。
資質抽出済み、適切な継承者を待つ。
42世:コロニー、衛兵隊長
雲石市場に駐屯し、交通整理などを行い、必要に応じて各種対応を行う。
ニカドリーの眷属の突撃により、被災者を護送する途中に負傷し、死亡。
(強い筆跡の注釈)どいつもこいつも、何度生まれ変わってもこうだ…頭に血が上る前に、身分を継承する理由をよく考えてみろ。これが粛清者の死に方か?
資質抽出済み、一時封印保存、継承者の選定は一時停止。
金糸の盗聴を防ぐ秘訣
火種の匣から取り出された秘密の書物。金糸盗聴を防ぐための元老院の経験談が記されている。
金糸の盗聴を防ぐ秘訣
近年、元老院の意図は「金糸」の盗聴によって露見することが多く、効果的な対策を見つける必要がある。
暗号
金糸は人の心を洞察し、情報を得られるが、万事が知られるわけではない。知っているということは、理解しているということではない。
ジェスチャー:両手を絹で包み、手のひらで文章を書き交わす。
合言葉:真の意図を何重にも覆い隠し、我々だけがその意味を読み取れるようにする。例えば「十年前の今日に、我々が会った場所では、今は箒が山ほど積んである」など。
裁断
千年前と比べて、金糸の権能は衰えたようだ。近頃、金糸の先端はますます衰えて硬直し、触れても気づかれない程度になっている……
毒殺:金糸が衰弱し、エンドモもさらに駆除しやすくなった。薬草を煎じ、くん蒸剤を作ることで、あの監視役の虫を効果的に駆除できる。
木のハサミ:モネータとサーシスの権能は相容れず、樹庭の枝を使って木のハサミを作ることで、感知される前に金糸を切断できるかもしれない。
かく乱
僭主がモネータの神権を行使することで、金糸は「美」に向かい、「醜」を遠ざける。
声:音楽は金糸を酔わせ、騒音は金糸の聴覚を乱す。先祖代々劇場で会議を行うのは、古くから伝わる有用な知恵だったのだ。
汚物:この手は実に使いやすいが、悪臭がするので、やや品に欠けている。慎重に使うべき。
……
以上の秘訣は秘密裏に読み、決して漏洩してはならない。
しかし、我々がこの秘密を記録した瞬間も、金糸に見つけられている可能性は否めない…
神性の反響:大地
タイタンの神跡が残した記憶。祝福を受けし者にのみ、この神聖な残響は届く…聞くがいい、崩れゆく大地の深淵が、岩の嘆きを叫んでいる。
神性の反響:大地
堅磐の脊髄、ジョーリア。
五穀の息吹を宿し、群山の礎を固める。
汝が永遠に褐色の地に留まり、
荒廃を退け、生者に豊穣をもたらさんことを願う。
神性の反響:詭計
タイタンの神跡が残した記憶。祝福を受けし者にのみ、この神聖な残響は届く…聞くがいい、2枚の硬貨がぶつかり合い、偽りの響きを奏でている。
神性の反響:詭計
飛翔する幣、ザグレウス。
言葉の網を紡ぎ、岐路の扉を開ける。
急ぎ行きて虚偽の刃を覆い隠し、
患者を善へ導き、智者に霧を看破させよ。
神性の反響:天空
タイタンの神跡が残した記憶。祝福を受けし者にのみ、この神聖な残響は届く…聞くがいい、遥かなる雲の間で、耳をつんざく雷鳴が轟いている。
神性の反響:天空
晨昏の目、エーグル。
嵐を集め翼とし、千の星を瞳と成す。
汝が混沌の深き闇を切り裂き、
挫けることなく、大鷹をもって雲海を越えさせんことを願う。
故人名簿
| 故人名簿 |
光歷2147年、聖都は暗黒の潮の災厄に直面し、徐々に夜の帳へと沈んだ。
この巻に逝きし者を記し、オクヘイマの悲劇を綴る。
軍人、司祭、学者の戦没者
……
・アルフィオス、マロンザ-双子の兄弟、聖都と運命を共にする。
・ペトラ-勇敢なる山の民。その犠牲は輝き続ける。
・マカシュ-叡智なる学者。その命は不幸にも市場で散る。
・ユリス-助祭。仲間を守って命を落とす。
・ネレイア-ケファレの司祭。その使命は終わりを迎える。
市民の戦没者
……
・アンティゴネ-アガティアスの娘、倒壊した家屋の中で死亡。
・ディアギス-3児の母。胸に抱いた幼子と共に亡くなる。
・アイユーブ-実直な人物。祈祷の中で逝く。
・ポレス-民を思いやる人物。暗黒の潮の造物と相対し、命を落とす。
・シギラ-商人。店内で死亡。
・ルクレティア-大地獣の友人。果たすべきことを果たし、世を去る。
・マルクス-波乱に満ちた生涯の末、オクヘイマの外でその運命に殉ずる。
行方不明者
・ヘゲシア-堅実な人物、失踪。
その他
・身元不明の遺体10体、顔の判別は困難。
タナトスの慈悲が、かの魂を新たなる世界へと導かんことを。
いつの日か、西風の果てにて再び相まみえん。
第一次火を追う旅の歴史(残巻)
第一次火を追う旅に関する歴史書の残巻。多くの内容が焼失し、判読不能となっている。
第一次火を追う旅の歴史(残巻)
■■■■前の巻はなく、恐らく焼失したようだ。■■■■
周知のとおり、陽雷の騎士セネオスによる神々への挑戦は「第一次火を追う旅」の引き金となった重要な出来事である。それ以来、黄金の旗が空を覆い、英雄たちは争い合う剣を収め、運命の奔流に身を投じていった。しかし、あの遠征の始まりは、詩人たちが歌い継ぐような単純なものではなかった。本日、筆者は一般の歴史書には書かれることのない秘話を明かそう。
人々はオクヘイマを永遠の聖都であり、その城壁は揺るがぬものと信じている。しかし、歴史の中で陥落寸前まで追い詰められたことがある―それは積年の怨恨によるものか、陰謀家の扇動であったのか。光歴3867年、ルキア、イカリア、コリンスの三大都市国家が同盟を結び、オクヘイマに包囲戦を仕掛けた。大軍が押し寄せ、銅兜と鉄鎧に身を包んだ兵士たちが列を成し、その数は黎明の崖を埋め尽くすほどであった……
■■■■ページはなく、恐らく焼失したようだ。■■■■
かくして、ルキア僭主の陰謀は成功し、3人の国境防衛司令官は内乱の中で命を落とした。外壁を守る兵士たちは孤立無援となり、補給も断たれ、武器を捨てて降伏するしかなかった。一時、聖都周辺は無防備で危うい状態となった。
連合軍が迫るとの報はすぐにオクヘイマへと伝わり、元老たちは3日間にわたる民会を開いたが、民心を乱すばかりで何の役にも立たなかった。貴族や豪商たちは豪華な屋敷に閉じこもり、護衛を雇って警備させ、わずかな安心を得ようとした。平民や司祭たちは、神の奇跡が敵軍に裁きを下し、オクヘイマを救うよう、ひたすら祈り続けた。
■■■■ページはなく、恐らく焼失したようだ。■■■■
オクヘイマは確かに救われた。しかし、その救い手は神々ではなく、突如現れた軍勢だった。それはまるで遊魚のように戦場に割って入り、その旗はどの都市国家にも属していなかった。陣形は整然とし、動きに乱れはない。先頭に立つ戦士は、弓琴のような長剣を手に、戦場を血で染めながら敵を次々となぎ倒していった―今では知られているが、彼女こそ「海洋」の半神、剣旗の騎士サー・セイレンスである。この戦いで彼女は6万の敵を討ち、その血は衣の裾を深紅に染めた。市民たちは彼女を鬼神とみなした。
動乱の鎮圧後も、この軍勢は去らず、堂々とオクヘイマに進駐した。ケリュドラ軍の指揮官であり、後の「法」の半神は、自ら聖都の最高統治者を名乗り、公明正大な治世を誓った。彼女はすぐに強硬策で元老院を粛清し、反対勢力は徹底的に排除した。彼女を独裁者、僭主、暴君と呼ぶ者もいたが、その統治がオクヘイマを急速に立ち直らせ、今の繁栄の礎を築いたことを否定できる者はいなかった。
■■■■ページはなく、恐らく焼失したようだ。■■■■
ケリュドラは大規模な徴兵を行い、次々と都市国家を征服していった。その傍らには常にあの剣士が付き従い、幾人もの王者の首を討ち取った。そして最後にコリンスの王が窓から身を投げ、長きにわたる黄金戦争は幕を閉じた。2人はほぼ独力でこの戦争を終結させ、ケリュドラはかつてない偉業を成し遂げた。そして彼女は真に聖都の人々が崇める女王となった。
民衆の支持が十分に高まると、ケリュドラは勅令を発し、ケファレの神託にある再創紀─タイタンの討伐と火種の奪還を果たすと宣言した。彼女は戦士、学者、司祭、冒険家を集め、大規模な遠征軍を結成した。彼女の呼びかけに応じた英雄たちが各地から続々と集まり、その数は雲石の天宮の石柱よりも多かった。この遠征は「第一次火を追う旅」と呼ばれるが、千年後の英雄たちが再びこの旅路を歩むことになるとは、当時の人々は知る由もなかった……
■■■■ページはなく、恐らく焼失したようだ。■■■■
こうして火追いの軍勢は無残な敗北を喫した。それ以降、かつて賢明だったケリュドラは人が変わったように独りよがりになり、やがて人々の前から完全に姿を消した。オクヘイマの政局は混乱を極めたが、「金織」アグライアが立ち上がってこれを鎮め、次第に秩序を取り戻していった。アグライアの手腕を称え、元老院は彼女を新たな執政官に推挙し、それは現在まで続いている。
しかし、筆者はケリュドラが元老院の言うように失踪したのではなく、さらに大きな局面へと自ら身を投じたのだと考える。今もなおオンパロスの大地に「法」が保たれていることが、その何よりの証だ。あの「剣旗の騎士」セイレンスについては、今もオンパロスのどこかで、海洋の神権を1人で行使し続けているという噂がある。岸辺を打つ波の音は、彼女が寂しさを紛らわせるための呟きなのかもしれない。
イカルンの観察レポート
奇獣の観察レポート。山羊学派の奇獣学研究の中で作成されたもので、観察対象は「イカルン」と呼ばれる、馬の体を持つ翼獣と記されている。
イカルンの観察レポート
研究課題:山羊学派の奇獣学系譜研究
指導教員:■■■ ■■
翼獣の食性や毛並みなどを長期的に観察することで、その独特な生理的構造や生活習性を深く探求し、奇獣学研究の基礎手法を把握する。また今後のエーグルの創造物に関する研究に実践的・理論的な基盤を提供する。
食性
草食性。日常的に青草、ウマゴヤシ、穀物などを食べる。特に野生のリンゴ、オリーブ、枝摘みベリーのような鮮やかな色の果実を好む。
翼獣は高度に順化されたためか、一日三食という人間に近い食習慣を維持している。
食量の観察中、イカルンは昼食の時間帯に野生のリンゴを10個摂取。さらに10個を与えたところ、ただちに完食。さらに20個を与えたところ、ただちに完食。げっぷを1回観察。さらに5個を与えたが、これもただちに完食。経費が尽きたため観察を中止した。
毛並み
全身が白い綿毛に覆われており、額と後頸部には群青色のたてがみが生えている。翼には白く長い羽毛がある。
一部の綿毛を採取して調べたところ、透明で耐火性があり、少しの時間で自然に消滅した。月光の下ではわずかに浮遊する。触感試験の記録は以下のとおり――
触れると温かく、柔らかく、まるで雲のようだ。践行の刻の休憩時にその綿毛に顔を埋めると、まるで空中を浮遊しているかのようで、あらゆる悩みが心地よく消えていくような気がした……
(コメント:ヒアシンシア君、我々は密接な観察を推奨しているが、報告にはより客観的かつ学術的な表現を用いるよう心掛けなさい。)
知性
イカルンは翼の羽ばたきで暗雲を払い、虹色に光る結界を呼び出せる。この結界は患者を治癒し、敵を封じる力を持つ。
石板や古文書を調べたところ、かつての「陽雷の騎士」の翼獣ルネビスとの類似点が確認された。彼らは同じ血統に属する可能性が高く、より密接な関係を持つとも推測される。
ややたどたどしいが、簡単な会話を交わすことはできる。語彙量はキメラよりやや少なく、およそ5歳児相当だろう。
また彼がエーグルの創造物であるためか、他のタイタンの神跡に共鳴できる。たまにドリアスと会話している。
熟睡
長時間の会話や虹色の光を放った後、イカルンは長い睡眠を必要とする。目覚めた後も、はっきりと言葉を発するまでにかなりの時間を要する。
彼が受けた祝福は不安定であり、徐々に弱まっている…エーグルがもはや天空の民を庇護していないからだろうか?
私は「あなたが元気に長生きするためにも、もうドリアスとおしゃべりしちゃダメですよ!」と言った。彼は「プルル…プー?」と答えた。
(コメント:このような未処理のデータは付録に収めるべきであり、レポート本文には含めないこと。)
晨昏族譜
天空の末裔の家系図。黄金紀より代々受け継がれ、先祖の偉業や事績が記されていたが、今はその大半が失われている。
晨昏族譜
天上の書
「風箏の舞姫」アナスタシア、雨の民
そして彼女の翼獣、シンシア
エーグルが百の瞳を開き、大地を見つめて以来、最も優れた風筝の舞姫。鳥が生まれつき翼で風を操るように、彼女は指先で微細な気流さえも自在に操った。
天上の諸国がまだ繁栄していた頃、私たちは黄金紀の終焉が近いことに気付かぬまま、晨昏の祭りに集い、彼女が風筝に乗って雲間を駆け抜ける姿に歓声を上げていた。災厄のタイタンがエーグルの百の瞳を射落とし、制御を失った暴風が諸国を結ぶ航路を引き裂いた。乱流に呑まれた要塞を探すため、アナスタシアとシンシアは最後の航行に出たが、再び戻ることはなかった。
「彼女の姿が乱雲に呑まれ、そのまま消えたとき、私たちは悟ったのだ。新たな時代が始まり、その時代はもはや私たちの時代ではない、と」
「規範に背いた裁判官」クリスプス、冬の民
そして彼の翼獣、シリル
天幕に最も近い天空の要塞の厳冬の中で育ったクリスプスは、冬の民に共通する気質─冷静さ、細心の注意、論理性、剛直さを備えていた。彼はその前半生を費やして天象画の壁に近づき、エーグルの祝福を受けた裁判官となった。
しかし、法律が司祭たちによって幾度も修正されることや、壁画に晴天が描かれただけで雨の民が神への冒涜罪に問われることを目の当たりにし、彼はこれまで歩んできた道に疑念を抱き始めた。その疑念はやがて背信へと至り、雨の民を庇った「規範に背く行為」が発覚し、彼は怒れる輝きの民によって石打ちで処刑された。彼を翼で庇おうとしたシリルもまた共に命を落とした。
「ある輝きの民は『彼に石を投げる前に、エーグルが私の無実を明示していた』と語った」
「黄昏の娘」セネオス、異端の血統
血統不詳の雑種が、地上に広がる妖言を信じ、自らを育んだ神に背くとは
「天穹を狩る神」
その忌み名を呼んではならない。なぜなら、それは自らの体で蒼穹を打ち砕いたのだから。過去の異端はすべて、その者がもたらした烈火で焼き尽くさねばならない……
(この頁には数多くの修正が施され、行間にも判読できない文字がびっしりと書き込まれているが、最終的にはすべて抹消されている。)
「陽雷の騎士」セネオス
そして彼女の翼獣、ルネビスとソラビス
灼熱の太陽と涼しい雨の血を引く者。火を追い、神を殺める先導となった者。穢れた血統と見なされた彼女は地上に降り立ち、遊歴する中で託宣の聖女と出会い、「再創紀」の予言を知る。それを期に彼女は神を討つという宿願を胸に、再び天空へと戻った。
ソラビスはタイタンの翼を燃やし、ルネビスはその身を封じ、セネオスはエーグルの最後に残った瞳を貫いた。彼女は晨昏の権能を奪い取り、火種を取り戻す使命を後世の人々に託した。
天穹を統べる神々ですら傷つき、墜ちる。千万人が赴いた火を追う旅は、これより始まった。
「…その功罪の是非を語る資格は、まだ我々にはないようだ」
地上の書
「昏光の将」トクラ
そしてその翼獣、コンスタンティン
天空の難民が故郷を離れたとき、大地の生き物も産物もすでに地上の諸国の手中にあった。彼らは荒野に昏光の庭を築き、医療行為を行っていたが、たびたび恐喝や追放の憂き目に遭った。そして黄金戦争の中、トクラが指導者となった。
彼女は剛毅な性格と強硬な手段で、医術を好餌にオクヘイマと同盟を結び、クレムノス軍との戦いで次々と戦功を挙げた。以降、昏光の庭はオクヘイマに地位を得て、百年近い平穏を享受することとなる。「天空の民の薬草の汁に染まった指先には、さらに強く、果てしない力がある……」
「闘士」ヒアシンディア
そしてその翼獣、ソティフェン
火追いの神狩りの戦いが幕を下ろすと、再び都市国家間の戦いの気運が高まった。聖都の権力者は入れ替わり、不安定な時代が続く中、昏光の庭も庇護を失い、再び荒野をさまよう流浪の民と化した。
クレムノス軍の刃の下で生き延びるため、ヒアシンディアは単身でクレムノス祭典に挑み、栄誉をもって和平の誓約を勝ち取ろうとしたが、最後の一戦で敗れた。
「最後の指導者はタナトスの懐へと還り、天空の流民は各地に四散し、それぞれの道を歩むこととなった」
粛清者の連絡メモ
粛清者から押収した連絡用のメモ。都市の防衛配置、暗殺指令、黄金裔の動向など、多くの情報が伝達されている。
粛清者の連絡メモ
僭主の死後、白鎧は多くの難民を扇動して守備隊に参加させ、都市の防備を再編成した。調整は以下のとおり:
雲石市場の守備交代の頻度を増やす。践行の刻から隠匿の刻にかけて、郷愁の道の巡回を第一針早める。不必要な混乱を避けるため、小さな変化も見逃さないこと。
(用紙は一度伸ばされたが、再び丸まっている。筒の中に丸めて隠されていたようだ)
……
■■■■火追い派の司祭長。
白髪交じりの中年■、背は曲がり、右の首筋には火傷の痕。■■門の刻第一針にひとり礼拝堂へ行き祈る。
階段の手すりに露出した鉄釘が1本ある。■■■■■、事故あるいは■■■が彼の口を永遠に封じさせる。
(凝固した暗紅色の血痕が文字を汚し、名前は血まみれの指先で消されている)
……
白鎧と聖女は最近たびたび昏光の庭を訪れ、医者と会っている。
会話の中で天空の流民や陽雷の騎士の往事が語られている、エーグルの火種を奪還する日は目前なのかもしれない――
千年の宿怨がその時に決着する。備えよ、その時は近い。
(…白い包帯の内側に書かれ、乾いた薬草の香りがかすかに漂っている)
スティコシア難民の日誌
宝箱から見つかった日誌。都市国家スティコシアの住民によって記されたものだが、経年劣化により一部の内容が判読不能となっている。
スティコシア難民の日誌
「平衡の月■■日」
今日もまた3世帯がここを引っ越していった。潮はさらに高くなり、ついに私たちの家の石段5段目まで浸かってしまった。司祭たちは、これは季節的な高潮なので間もなく引くはずだと言う。しかし、私はスティコシアで30年暮らしてきたが、これほどの水位は見たことがない。
港に住むレアンドロは、3日前に漁に出たとき、海水の色が異様に濁り、まるで墨が混じったようだったと言っていた。海中をのぞくと奇妙な影が揺らめいており、人には見えず、ぼんやりとした輪郭を持っていたという。その後、彼は高熱を出し、今も寝たきりになっている。
「平衡の月■■■日」
街の酒宴は日に日に熱狂的になっている。かつては「歓喜の月」にしか開かれなかった盛大な宴が、今ではほぼ毎日のように開かれている。昨夜はアンゾ家の宴で、普段は慎ましやかな2人の婦人が裸足で葡萄を踏みつぶしながら、奇妙な笑い声を上げ、最後には泥混じりの果汁をそのまま飲み干していた。彼らはファジェイナの儀式を真似ているのだと言っていたが、このような馬鹿げた儀式など聞いたことがない。
市場の物価は三割も上がっている。メーレを売る商人によると、最近は醸造中に酒麹が腐ってしまうため、酒作りが難しくなったという。うまい酒を作るには、港から直接汲んできた海水で蒸留するしかないらしい。
幸い、うちのドリスはまだマトモなままなので、私たちに街中の水や酒はなるべく控えるよう忠告してくれた。
「昼長の月■■■日」
昨夜、港から奇妙な音楽が聞こえてきた。それは楽器の音とは思えず、まるで海の奥底から響いてくるようだった。その重々しい旋律は、まるで太古の物語を語っているかのようで、耳にした者たちを海辺へと誘っていた。昨夜は近所の子供たちが夢うつつの状態で埠頭に向かった。子供たちは「水中の女神」が何かを奏でているのを見て、もっと近くで見たくなったのだと言った。
司祭たちはあらゆる音楽の演奏を禁止し、さらに兵士たちに埠頭を巡回させている。彼らは市民を守ろうとしているというより、何かに怯えているように思えてならない。
「昼長の月■■日」
今日、市場で布を売るノラに会った。彼女によれば、向こうの状況は私たちの想像以上にひどいらしい。ファジェイナの神殿の霊水の泉が3日前に突然干上がり、司祭たちがいくら手を尽くしても泉を満たすことはできなかった。さらに心配なことに、神像の背後の壁に奇妙な亀裂が現れた。何かの模様や文字に見えるが、誰にも解読できないという。
ノラはさらに奇妙な噂を伝えた。ある者が周囲に語った夢の話だ――夢の中で琴を弾く女性を見た。彼女は黒いヴェールをまとい、その瞳は海水のような光を宿していた。夢の中で彼女は告げた。「スティコシアはまもなく一大変化を迎え、私の声を聞いた者だけが救われる――」と。司祭たちがこの噂をいくら封じ込めようとしても、すでに彼女は街の一部の人々から「予言の海の奏者」と呼ばれているらしい。
「自由の月■■日」
私たちはついにこの地を離れることにした。海水はすでに埠頭の最高水位線に達している。だが、一部の人々は見て見ぬふりをして狂宴を続けている。私たち家族と隣のミロンダ家は共にオクヘイマに向かうことにした。その地には「世を背負う」タイタンの庇護があり、まだ黒い潮に侵食されていないという。今夜、埠頭の北の出口から密かに出ていく予定だ。ファジェイナ、どうか私たちをお守りください。
「自由の月■■■日」
すでに3日間歩き続けている。昨夜、ミロンダ家の末の子が突然高熱を出し、まるで古い歌を歌っているかのように、奇妙な言葉をつぶやき続けていた。父親は子供を連れて街へ戻り医者に診せることを決めた。たとえ戻ったとしても、希望などほぼないことを私たちは皆知っていた。
今朝、丘の上からスティコシアを振り返って驚愕した。街全体が不気味な光に包まれていたのだ。海水は陽光を受けて、不自然なほど青く輝いている。遠くから眺めると、あの華麗な建物の数々が水中でねじ曲がり、まるで何かの幻のようだった。
「拾綫の月■■日」
逃げ出してきた同郷の者たちから、さらに恐ろしい知らせを聞いた。スティコシアの海水が異様な色と質感を帯び始め、ある時は濃厚な蜜のよう、またある時は凝固したガラスのように姿形を変えているという。街に留まった人々の身には奇妙な変化が現れ始め、■■■■■■■■■■■■■■■
さらに異様なのは、夜になると街全体が奇妙な光に包まれ、まるで巨大な胎膜に覆われているようだという。彼らは「これはファジェイナの罰だ」と言うが、私が思うに、これはタイタンの怒り、もしくはタイタンよりも強き力の祟りではないか?
私たちは引き続き北上し、オクヘイマを目指すことにした。その途中、「■■■■■■■■という人物がファジェイナの怒りを鎮められる」との噂を聞いたが、それは絶望した人々が生み出した、ただの作り話だろう。私たちのような普通の人間は、自分の両足でこの災厄から逃れるしかないのだ。
「拾綫の月■■■■日」
今夜、子供たちが眠った後、私は街から持ち出した海水の小瓶を取り出した。それは発つ前にファジェイナの神殿の霊水の泉から汲んだ最後の一滴だった。月光を浴びたそれは奇妙な光沢を帯び、中で何かが流動しているかのようで、ただの水には見えなかった。
小瓶を指先で何気なく叩いてみたところ、まるで遠くから届いた琴の音のような、不思議な音が響いた。その瞬間、海の上に立つ神秘的な女性を見た気がした。彼女は誰にも理解されない歌を悲し気に奏でていた。
これは幻なのか、それとも現実なのか?だが、もし彼女が実在し、スティコシアの民の嘆きを聞き届けてくれるのであれば、この未知なる旅路に踏み出す私たちに、どうか希望を一―たとえ、それがただの美しい夢であったとしても。
オクヘイマはもう目前だ。最後にもう一度故郷を振り返ったが、そこにはかつての美しい光景はなかった。歪んだ光と影が海面に揺らめき、まるで夜明け前の海の波が巻き上げる泡のように、浮かんでは消え、次第にその冷徹な現実が姿を現した……
神馬の天空調査記録
天空を訪れたヤーヌスの木馬の記録。この手記は彼らがかつて存在した証を伝えている。
神馬の天空調査記録
1日目
良い知らせと、悪い知らせがあった。
良い知らせは、天空の都市が実在していたこと。この発見によって、私たち2人は帰還すれば必ず司祭に昇進できるだろう!
悪い知らせは、私たちは帰れないってことだ、ハハハ……
3日目
私たちはいくつもの秘密ルートのゲートを設置し、この要塞の構造もほぼ把握できた。
あの野蛮なラードーン人が、まさか昏光の庭の医師様たちと同じく高貴な血筋だったとは!いや、嘘だと思いたい。
5日目
天空の住民が残した文献をいくつか発見した。祭祀に関する記述が多くあった。種族ごとに儀式に細かな違いはあるが、共通点はあった――一言で言えば、上空から物を投げ落とすことだ。
かつて耳にした、天から降ってくる穀物や武器といった民間伝承を思い返すと、天空の祭祀との関連性は無視できないだろう。
8日目
ライオンを見たことはあるし、鳥の鳴き声も聞いたことがある。だがライオンの鳥の鳴きマネは初めて聞いた。
それに、あの神馬は木製で本物の馬じゃない。そんなに見つめないでくれ、怖いんだよ!
9日目
ペーガソスに追われて荷物を全部落としてしまった。
食糧も底をついたが、この鉄石要塞には生き物の気配が全くない。飢えたとき、どうすればいい?
10日目
良い方法を見つけた。
15日目
同胞はこの天空で過ごす歳月に耐えきれず、意識を彼の神馬と一体化させた。
これは彼の選択だ。私は何もしてやれなかった。
17日目
天空の民の歴史調査に大きな進展があった――『陽雷の騎士とエーグルの禁断の伝説・完全版』だ!文体は若者向けで、しかも冒涜的な挿絵まで入っている……だがなんの問題もない。本来歴史学者とは、子供のように知識欲が旺盛であるべきなのだ。
――ただの昔の漫画本ってことはないよな?
……
24日目
退屈のあまり、周囲で集めた小物を箱に詰め、神馬の駐留場所に置いてみた。
いつか誰かが見つけるかもしれない。
そうか、迷宮にある宝箱は全部こうやって作られたのかも?
……
33日目
大司祭が救いに来てくれた!ヤーヌスに栄光あれ!!
同胞はすでに神馬の一部になってしまった。残念だが、泣いても無益だ。
最後にこの旅で得た最も重要な発見を記す。後世の者たちの助けとなれば幸いだ。
――神馬の木板は食えるし、味も悪くない。
禁断の恋~樹と蝶~
樹庭の友愛の館で発見された娯楽小説「歴史恋愛小説」に分類されている。
禁断の恋~樹と蝶~
彼女は花園を歩きながら、蝶の舞う一角を探そうとしたが、願いは叶わなかった。
「ねぇ、シス…花にはそれぞれ花言葉があるようですね」
「そうだね、その認識でほぼ間違いないよ」
声は聞こえるが、姿は見えない。だがサーシスは気にかけず、最も特別な生徒にのんびりと返事をしながら、あたりを見回していた。
「あなたの花言葉は?」
「残念だけど、我は花ではなく木なんだ」
「えっ……」
この答えは相手を満足させられなかったようだ。不満と残念さが伝わってくる沈黙を受けて、仕方なく言葉を足した。
「そうだな、比喩としてなら…『知性』かもな」
しかし、これで目的は果たされた。たぶん、このあたりだろう?あとは餌を投げて、彼女を釣り出すだけだ。
「…知性なのに、ロマンチストですね?」
「それは…たぶん、我が…冬眠するから?ほら、長い夢の中で、我は大勢の恋人たちと誓い合っていたから」
「…本当?」
蝶翼の少女が目の前の茂みからピョコンと顔を出し、サーシスを驚かせた。何しろ2人の距離がほぼゼロだったからだ。
間近でモネータの顔を見つめ、唇に反射する光が瞳をかすめたとき、サーシスの顔にかすかな赤みが差した。
もちろん、動揺はほんの一瞬のことで、すぐにサーシスは両腕を少女の腰に回し、まるでニンジンを引き抜くように、彼女をそっと花々の中から引き上げた。
「もちろん嘘だよ、捕まえた」
巨樹の化身は彼女を地面に下ろすと、葉先で蝶の翼を優しくなで、異常がないことを確かめてから、そっと手を離した。
「では…そろそろ話してくれるか?どうして我を避けていたんだ?」
「……」
「お前たち、私の安らぎの園で騒がないでくれないか?」
冷徹な声が2人を一瞬で現実に引き戻した。この花園の主人である幽冥の化身にとって、先の生気あふれる雰囲気は天敵のようなものだろう。
「ごめんなさい…すぐに出ます。タナトスさんの寛大な心に感謝します。シス、樹庭に戻りましょう」「うん…迷惑をかけて悪かったな、タナ」
「お前たちは、まったく…なあ、サーシス」
「…お前もそろそろ、自覚したのでは?」
口中にまた苦みが広がる。サーシスは無言のままうなづくと、静かに旧友に別れを告げた。
樹庭へ戻る途中、モネータは一言もしゃべらなかった。サーシスも一度話しかけて無視された後は、話しかけるタイミングがつかめず、ただ足元の道を見つめるしかなかった。
――そこへ耳障りな会話が聞こえてきた。
「天才…だから何だ?彼女はまるで……」
「なんと怖ろしい…」
いかめしい影が足早に近づいてくる。それは■■■、この不快感の源だった。
モネータはサーシスにそっと微笑むと、背を向け去っていった。
■■■は蝶翼の少女が去った方向に鋭い一瞥をくれた後、その視線をサーシスに向けた。
会話は事務的な報告、おざなりな雑談を経て、個人攻撃のような口論へとエスカレートしていった――
「お前に何がわかる……」
「わかる必要などない。この際はっきり言おう、サーシス!」
「生徒と、それも自らの創造物と恋愛?異常だと思わないのかー!」
「パチーン!」
理性の化身が感情に支配されたのはこれが初めてだった。手のひらに残されたのは、まるで心臓を焼くような痛みだった。
遠くない場所から、聞き覚えのある、それでいて初めて聞くような、走り去る足音が響いた。サーシスは思わず追いかけようとしたが、耳に残る言葉が足を縛りつけた。
彼女は放心状態の中、脳裏に浮かんでは消えていく少女の姿を見つめていた。
彼女がようやく決意を固めたときには、すでに3度目の隠匿の刻になっていた。
巨樹の化身は大切な人の名を呼びながら、黄金の繭の家に歩み寄った。そして凍りついたようにその動きを止めた。
――そこに蝶翼の少女の痕跡は何ひとつ残っていなかった。
葉っぱのテーブルに書かれた文字は、少女がサーシスへ宛てた最初で最後のラブレターだった。
「シス、愛しています。卒業のお祝いはもう受け取ったから、どうか私のことは忘れてください」
ファイノンが残したメッセージ
ぼくの仲間、戦友、そして天外から来たナナシビト――僕の心の中の英雄へ。
「ここにいるのがメデイモスだったら、彼なら僕よりもずっと深く考え、よりうまくできただろう?」
――アグライアが去った後、この言葉がずっと頭の中で響いている。それは僕がどうしても振り切れず、口に出すこともできない言葉だ。
僕は、仲間や戦友たちの信頼にふさわしくない。彼女が切り拓いた道に向かって、皆を導く資格もない――さっきの一連の疑問に、僕は結局答えを見つけることはできなかった。しかし、もう迷っている時間はない。「ヘリオス」が今切り落とさなければならない最初の敵は、今まで僕と共に歩んできた憂いと迷いだ。
だからこそ、僕は君たちを送り返すと決意した。理解されなくても、僕の意志を君たちに押し付けたとしても、僕はやらなければならない。「再創世」の約束は曖昧で、オンパロスの外から来た君たちにとって、その影響は予測できない――迷いを捨てた今、これこそが僕の心の底から決めた、正しい選択だ。
預言によれば、「再創世」の終点に辿り着けるのは一人だけ。奇跡を見届ける機会を奪ってしまってすまないね、相棒。だけど、トリビー先生の神託が黄金裔を今日まで導いてくれたこそ…預言の光景を直視しなければならないし、君を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
思い返せば、僕が今まで下した最も正しい決断は、君たちを信じて、仲間になったことだろう。オンパロスにおける最大の奇跡は、創世の渦心の星空に隠された秘密ではなく…君と丹恒が天の向こうから降りた瞬間にあるかもしれない。
君は僕の英雄だ、開拓者。もし来世が約束通り訪れるのなら、僕がどんな姿になっていても――必ず世界に「開拓」という名の奇跡を覚えさせよう。
しかし、万が一……君が僕の一方的な決定や計画に不満を感じ、自分で新しい道を切り拓き、誰もが想像したことのない未来を作ろうと思ったら――
――君はいつも、ルールを破る方法を見つけてきたんだろう?
妖精王国の客人
表紙にキラキラした粉が散りばめられた童話の絵本。今も語り継がれる有名な物語が綴られている。
| 妖精王国の客人 |
むかしむかし、金色の麦畑に囲まれた村には、月光のような純白の髪を持つ少年が住んでいました。彼はオロニクスの祭壇の隣にあるオリーブの木の下で夢を見て、雲が様々な形に変わるのを眺めるのが好きでした。
ある日の空がオレンジ色になる頃、男の子は光る精霊がオリーブの木のうろから飛び出てきたのを見ました。それは星のように、夕暮れの中できらきらと光り、飛び跳ね回りました。
「こんにちは、きらきら星!」と、小さな男の子は小さな声で挨拶をしました。精霊は笑いながら彼に手を振り、木のうろへ戻っていきます。
小さな男の子が精霊の後を追って木のうろに入ると、中にはなんと魔法のトンネルがありました!彼はトンネルを登り、驚くべき場所に辿りつきます――そこではお花が歌を歌い、キノコは小さなお家みたいに大きく、空には光る小さな精霊が無数に飛んでいたのです。
「ようこそ我が王国へ!」タンポポの冠を被った小さな妖精が跳ねながら言いました。「僕は星屑の王子さ君は僕たちを見つけてくれた最初の人間だ!」
妖精たちは木のうろやキノコの家に住み、果物と蜂蜜しか食べないことに男の子は気づきます。
「冬が来たらどうするの、お腹空かない?」と、男の子は彼らに聞きました。
星屑は項垂れ、彼の周りの光が少し暗くなりました。「冬に果物はないから、お腹ペコペコでも寝るしかないんだ」
「それじゃあ、食糧の育て方を教えてあげる!」と、小さな男の子は興奮しながら言いました。
彼は不思議な種を持ってきて、日差しのいい場所に埋めました。妖精たちは目を見開き、彼が種を土に埋めるのを見ていました。
「種は太陽の光のキスと、雨のハグがあれば、美味しい食べ物になるんだ!」と男の子は教えました。「オロニクスの奇跡のように――時間は小さな種を大きな宝物にする!」
それを聞いた妖精たちは手を叩きながら歓声を上げ、男の子の真似をして種をもっと植えました。
小さな男の子は不思議な大鍋も持ってきました。「これは祝福された不思議な魔法の鍋だよ」と彼はもったいぶって言いました。「これがあれば、食べ物はもっと美味しくなるんだ!」
少年の手助けで、妖精たちはスープやパンに、スイーツの作り方、そして冬の食糧の貯蔵方法を覚えていきました。
その後、妖精の王国はいつも楽しさが溢れる場所になりました。畑には野菜がたくさん並んで、厨房からは甘い匂いが漂ってきます。冬になっても、妖精たちが飢える心配はなくなりました。
別れを告げる時、男の子は妖精たちと約束を交わしました。「春になって、花が咲く頃には、もっとたくさんの友達を連れてまた会いに来るよ!」
妖精たちは歓声をあげ、一番美しい花で王国を飾り、客人たちを迎える準備をしました。
「すぐに戻るからね!」と、少年は妖精たちに手を振って別れを告げ、木のうろから出て行きました。
妖精たちは彼が帰ってくるのをずっと待っていました。しかし、彼は戻ってきません。妖精たちは永遠に消えない蛍の灯を灯し、彼が妖精の王国に辿り着く道を照らし、戻ってくることを願いました。
月明かりが麦畑を照らす日には、妖精たちが歌う童謡が聞こえるかもしれません:
「あの日の男の子、僕たちを忘れないでおくれ!友達たちと一緒に妖精の故郷に帰ってきておくれ」
今でも妖精たちは待っています。約束が忘れられることはない王国で。
オロニクスの祭壇祈言集
オロニクスを祀る儀式で用いられる言葉を記録した冊子。これさえあれば、村の日常生活におけるさまざまな状況に対処できる。
| オロニクスの祭壇祈言集 |
「記憶は過去の牢獄ではなく、未来の導きである。オロニクスは教えてくれた。歴史を銘記することで、未来を予知できるのだと」
永夜の帳を織りなす者よ、
オロニクス、未来を予見する者よ、
我らはここにて敬虔な心を捧げる。
あなたが天穹を覆い隠すとき、
エーグルの目を閉じさせるとき、
どうか我らに慈悲を、
暗夜を歩む加護を。
今昔未来はあなたの手中にあり、
運命の糸はあなたの指先を揺らす、
無限の時間はあなたの呼びかけに応える、
我らからの献上を受け取るがいい。
我星の如く夜を守り、
時の如く沈黙を保ち、
運命の如く悔いはしない。
天幕の重さを担い、
預言の秘密を守り、
暗夜の従者となる。
星の光が如何に弱くなろうと、
道が如何に暗くなろうと、
永夜の呼びかけに従う、
私の魂が天幕に帰るまで。
――簡潔な日常の祈り
オロニクス様、
私たちが進む道を導いてください。
私たちが安眠できるよう守ってください。
来日の知恵を授けてください。
――種蒔きと収穫の祝祷
オロニクスよ、時間の主宰者よ、
私たちが種蒔きをする日を教えてください。
私たちが耕す時間を記録してください。
私たちが収穫する時間を計ってください。
あなたの夜が光を育むように、
私たちの種が暗闇の中で育ち、
あなたの定められし時が来るまで、
そして豊富な穀物になるまで。
――眠る前の、夢境の啓示を求む祈り
私を連れて暗闇を乗り越えよ、オロニクス、
私の夢境を星の川のように明るくせよ。
私が目を閉じる時、
遠い先の景色を見せてくれ。
過去は過ぎ、未来はまだ訪れていない、
今だけが私たちのものなのだ。
ただ、夢境の迷境の中では、
運命の姿を見せてくれ。
――正式な天文儀式用語
時間の川はどこへと流れるのか?
オロニクスの目はすべてを見通す。
過去の記憶は星のように輝く、
どうか我らが求める力を授けてくれ。
天穹は回り、運命は紡がれる。
私たちはあなたの注目の下で天象を解読し、
その中から真理の光を見つけることを願う。
――誕生日の感謝と祈祷
また一年が過ぎました、オロニクス、
また一年の年輪が私の命に刻まれました。
時間という貴重な贈り物をありがとう、
この世界でまた一年生きることができました。
私たちはあなたが紡いだ運命、
喜び、悲しみ、苦しみ、甘さを、
喜んで受け入れます。
あなたが用意してくれた旅が私たちの人生なのです。
これからの日々、
1つ1つの瞬間を大切に生きます、
あなたが星々を大切にするように、
あなたが思い出を大切にするように
エリュシオン農事暦
麦わらで編まれた表紙の古い手帳。ページの端は擦り切れ、本体は土と植物の液で汚れている。
| エリュシオン農事暦 |
オロニクスの教えを心に刻め:土地は耕作者に逆らわない、時間が待つ者を裏切らないように。
永夜の帳オロニクスは時間と預言を司る。夜の帳の変化を観察すれば、農事の吉凶を予測できる。
帳が薄くなる(星の光が明るくなる)時浅根性作物の種まきは吉、深く耕すは凶
帳が厚くなる(星の光が暗くなる)とき深根性作物の作付けは吉、収穫は凶
帳が波打つ(星の光が瞬く)とき道具の手入れは吉、土を掘るは凶
帳が静止している(星の光が穏やかである)とき大規模耕作は吉、全てが吉に向かう
ヤーヌスが新年の扉を開けるとき、農民は新しい年の計画を立てる。
1、門の刻:貯蔵室の種の保存状態をチェックし、優良な種を選別する
2、明晰の刻:農具を修理し、新しいカゴを編む
3、践行の刻:穀倉を整理し、ネズミ駆除をする
4、離愁の刻:囲炉裏を囲み農業にまつわる物語を語り、古くから伝わる耕作の知恵を伝える
5、隠匿の刻:ジョーリアに前年収穫した麦を一椀献上し、新年の豊作を祈る
農業格言:門関の月に農具の手入れを行えば、その年の耕作はスムーズにいく。
タレンタムの天秤がバランスを保っているとき、我々もまた心のバランスを保ち、耕作に備えなければならない。
1、明晰の刻:村民会議を招集し、麦畑の区画を分配する
2、践行の刻:灌漑用水路の清掃をする
3、離愁の刻:オロニクスの夜の帳の変化をチェックし、新年の天候を予測する
儀式:平衡の月の7日、オロニクスの祭壇に集まり、「土地の覚醒」の儀式を行う。司祭が冬を越した麦の種を聖水に浸し、長老が「オロニクス祷言集」の祈祷の言葉を朗読し、夜の帳に適切な耕作タイミングの伺いを立てる。
オロニクスの夜の帳が大地を覆い、大地は深い眠りの中で力を蓄える。
1、門の刻:野草の生育状態を観察し、土の再生具合を判断する
2、明晰の刻:下肥を畑に運ぶ
3、践行の刻:土地を耕し、冬眠の殻を破る
農業格言:長夜の月にが多ければ、その年の麦穂は実りが良い。
ジョーリアの背骨は我々の希望を乗せ、全ての種はこの月に土に帰る。
1、門の刻:最初の光が畑を照らす時、種まきの儀式を始める2、明晰の刻村の長老が青壮年らを率いて種をまき始める
2、明晰の刻:村の長老が青壮年らを率いて種をまき始める
3、践行の刻:子供らがその後に続き、種を食べようとする鳥を追い払う
4、離愁の刻:かかしを立て種まきしたばかりの畑を守る
麦畑の特別な世話種まきのとき、種は土にしっかり接触するようにする。種まきをする者は、足の裏
で土の温度を感じられるよう、裸足で行わなければならない。土がやや熱い場合は、種まきに適した状態である。氷のように冷たい場合は、数日待ってから再度行う。
儀式:栽培の月の一日、村人全員で正装し、頭に麦穂の冠を載せる。村長はジョーリアの権力を象徴する石の鋤を手に持って、畑に1本目のうねを作り、農繁期の始まりを告げる。
甘露が新芽を潤す歓喜の月、我らは命の芽吹きを喜ぶ。
1.明晰の刻:小麦の芽の状況を確認する
2.践行の刻:雑草を取り除き、欠けた所を植え替える
3.離愁の刻:ファジェイナを祀り、適量の雨を願う
農家の諺:歓喜の月の雨水は、金にも勝る。
エーグルの輝きが最も眩しい月、麦の苗もまたすくすくと育つ。
麦畑の特別な世話:麦の穂が形成されはじめたら、オロニクスの夜の帳の変化を観察する必要がある。
帳が薄くなっていたら、干ばつの予兆であり、水やりの量を増やす必要がある。帳が厚くなっていたら、多雨の予兆であり、浸水を防ぐため用水路を強化する必要がある。
ケファレに見守られながら、我々は麦の穂が出て花が咲くのを見守る。
1、門の刻:穂を出し始めた麦畑の順調な生育を祈る
2、践行の刻:畑を巡回し鳥を追い払う
3、離愁の刻:ケファレに麦の花を捧げ、豊作を祈る
農業格言:自由の月に麦の花が香れば、収穫の月には倉庫がいっぱいになる。
サーシスの知性が我々に収穫のタイミングを教えてくれる。田野が黄金色に染まり、麦の穂が低く垂れたこの時が、正に収穫の時期である。
1、門の刻:村長が麦粒の実り具合をチェックし、収穫の日を決める
2、明晰の刻:村の老若男女総出で、エリアごとに麦の刈り取りをする
3、践行の刻:刈り取った麦の束を空き地に運び脱穀する
4、離愁の刻:大まかに収穫量を計算し、分配・貯蔵する
儀式:収穫の月の最初の麦束は司祭が引き取り、オロニクスの祭壇に持って行く。司祭が『オロニクス祈祷集』の「年輪謝礼」を朗読し、一年間の収穫に感謝する。
集団活動:収穫の日は、村人全員で麦畑に集まる。長老が陣頭指揮をとり、青壮年らが収穫を行い、少年らが運び出す。女性と子供は地面に散らばった麦穂を拾い、一粒も無駄にしないようにする。
モネータの糸が一年間の努力を豊作の風景に編み上げる。
1、明晰の刻:畑を整え、休耕に備える
2、践行の刻:麦わらを畑に埋め、土の栄養にする
3、離愁の刻:豊作の花輪を作り、村中を飾る
農業格言:拾綫の月に麦わらを畑に埋めれば、翌年の麦は勢いよく成長する。
ニカドリーの陣太鼓が平和の尊さを喚起し、不測の事態に備え、穀倉を満たす必要性を訴える。
1、明晰の刻:穀倉の密封状態を確認する
2、践行の刻:麦芽糖を作り、越冬用に保存する
3、離愁の刻:麦わらで工芸品を作り、家の門を飾る
備蓄のコツ:穀倉の床に干したオリーブの葉を敷き詰めておくと、虫食いの被害を防げる。穀倉の壁に泥とわら灰を混ぜたものを塗っておくと、湿気を防げる。備蓄用の麦の間に祈祷済みの草や枝を入れておくと、虫を駆除できる。
大地をかすめるタナトスの手が、命の循環と尊さを思い起こさせる。
1、明晰の刻:麦畑の周りの垣根を修繕する
2、践行の刻:大地のために感謝祭を執り行う
3、離愁の刻:先祖と豊作の喜びを分かち合う
儀式:慰霊の月の間、土地を守ってくれる先祖に見立て、畑の隅に麦わらで作った人形を立てておく。家ごとに穀物製品を一品持ち寄って、麦わら人形の足元にお供えし、先祖の庇護と知性の伝承に感謝する。
ザグレウスのコインが回転し、農事には不確定要素もあることを思い起こさせる。
1、門の刻:冬のオロニクスの帳の変化を観察し、来年の天候を予測する
2、明晰の刻:種の備蓄量を計算し、来年の作付面積を計算する
3、践行の刻:耕作方法の改善について話し合う
4、離愁の刻:冬至の祭りを行い、来年の幸運を祈る
農業格言:機緑の月に農業用帳簿を精算しておけば、来年の耕作に慌てずに済む。
注意:オロニクスの帳を観測するには時を選ぶ必要がある。
オロニクスの時間の河が我々の麦畑に滋養を与え、永夜の帳がエリュシオンの全ての土地をお守りくださいますように。
ペソの日記
ペソの日記。少年の素朴のながらも充実した田舎での生活が綴られている。
| ペソの日記 |
(……)
自由の月、27日
今日のハタネズミ捕まえ大会で、また1位になった。でも今の「ペソ様」にとっては、この程度の成果なんて、全く取るに足らないのさ!
オレ様――エリュシオンのかくれんぼ王、凧揚げチャンピオン、釣り名人、狩りの達人は既に人生の新しい目標を見つけた:ファイノンの兄貴のように、村を出て、この目で世界を見るんだ!
でも、その前に、オレ様には小さな目標がある――ファイノンの兄貴に、超絶クールな別れのプレゼントをあげるのさ!
何をあげるのかはもう決めてある。手作りのパチンコさ――ニレの木の持ち手に、水牛のゴムひもで作るんだ。父さんの弓矢には敵わないだろうけど、普通の人よりはずっと上手く作れる。それだけじゃなく、弾もいろいろ研究したんだ。蛍光色に光るのとか、当たったらむせるのとか、麻酔効果があるのとか…絶対役に立つはずさ!
(数ページ中略)
自由の月、3日
くそっ、また父さんに叱られた!やってない宿題を麦の山に隠してたこと、なんでバレたんだ!?
でも今回は本当にサボってたんじゃない――僕は授業中に何度か居眠りしただけなのに、ピュティアス先生は『植物図鑑大全』を3回写して来いなんて言うんだ!できるわけないだろ!
しかも先生はにっこり微笑みながら「頭で覚えられないなら体で覚えるのよ」なんて言うんだ。怖すぎるだろ!父さんに村中追いかけられてぶん殴られた時より怖かったよ!
それから!あのくそったれのチクリ野郎、二度と僕の前にツラを見せるなよ!今度見かけたら、ハバネロ入りいちごタルトを食わせてやる!
(数ページ中略)
収穫の月9日
昨夜、こんな夢を見た。ファイノンの兄貴が埠頭で僕に向かって手を振っている。背中にはバッグの代わりにヒグマを背負っていた。僕は粉ひき小屋の風車で小舟を作り、月の光に乗って木々を飛び越え、ついでに金色の麦の波の中からリウィアを拾い上げた。
すると、突然父さんが現れ、藤のつるを持って追いかけて来ながらこう叫んだ。「下りて来やがれ、宿題がまだだろう!」僕は驚いて、危うく舟から落ちそうになった。ピュティアス先生が教科書で網を作って受け止めてくれたから助かったけど…
昼休み、僕はこっそりリウィアに夢の意味を尋ねてみた。リウィアが言うには、「努力して困難を克服すれば、将来きっとオンパロス中を旅する偉大な旅人になれる」っていう予兆らしい。ははっ、僕もそう思うさ!
この夢を現実にするために、僕は今日から頑張るぞ!まずは旅の必需品、エネルギー補給缶を作ろう。中身は、父さん秘蔵の鹿肉の燻製、母さんが作ったドライラズベリー、それから僕特製の「スーパーぴょんぴょんキャンディ」1粒食べれば1メートルジャンプできるんだ!
(……)
リウィアの絵本
リウィアの絵本。少女の豊かな心の世界が描かれている。
| リウィアの絵本 |
(……)
「クレヨン画:埠頭で、青いこびとが大きな魚を釣り上げている。その近くでは、赤いこびとが空中の巨大なカブトムシを見上げていて、背後には風車と麦畑が広がっている」
今日はとても変わった模様のカブトムシを見つけた。でもじっくり観察する間もなく、ペソのバカが大声で叫んだから、逃げていっちゃった。
たかが大きな魚を釣ったくらいで、大喜びしちゃって。まったく、このくらいの年の男の子って本当に幼稚なんだから。
(数ページ中略)
「クレヨン画:猫のようでも犬のようでもある金色のライオンがだらりと地面に寝そべっている。赤いこびとが手を伸ばし、たてがみをなでている」
リウィアは今日、本でライオンを見たわ!本当にすてき。いつかなでてみたいなあ…もちろん、飼えるならもっといいんだけど!
聖都オクヘイマには、言葉を話すライオンがいるみたい。しかも、とても頭がいいんだって。あたしも会っておしゃべりしてみたいなあ。
(数ページ中略)
「クレヨン画:大きなバッグを背負ったピンクのこびと、とても大きなプレゼントボックスが置かれていて、背後には建物と風車と麦畑が広がっているラフ画」
キュレネ姉ちゃんが村を離れて旅に出る。機会があったらオクヘイマにライオンを見に行ってくれるって約束してくれたわ~
あたしも一緒に行きたいけど、今はまだ小さいから…だからあたしのプレゼントに、代わりに付き添ってもらうわ。
(数ページ中略)
「クレヨン画:頭に大きなリボンをつけたピンクのこびと。背景はぼんやりしている(水に濡れた後のようだ)」
あたしは最近たくさんの本を読んだ。外の世界にはあ――んなにたくさん面白いところがあるのね。まるで(以後の文字はかすれて解読不能)
(数ページ中略)
「クレヨン画真ん中の赤いこびとを囲むように、本、羽根ペン、葉っぱのついた木の枝、蝶、それに大きな「?」マークが描かれている」
あたしはもうすぐ10歳になる!誕生日が過ぎたら、あたしはもう子供じゃない。だから人生の目標を立てなくちゃ!
あたしはママみたいな先生になりたいし、キュレネ姉ちゃんみたいにオンパロス中を旅したい…ああ、決められない!それならいっそ、吟遊詩人になろうかな!
(……)
古びた貨物引換証
港で見つけた貨物引換証。村と外の世界との貿易情報が記録されている。
| 古びた貨物引換証 |
[エリュシオン港に落ちていた何枚かの貨物引換証。紙の一部は海水に浸されてボロボロになっており、文字の一部は解読不能。]
荷受人:ヒエロニュモス
船舶名:月桂号
積荷港:オクヘイマ
荷揚港:エリュシオン
品名及び点数:双耳付陶器瓶20本、土壺10個
引換証謄写数:3部
備考:友よ、ジョーリアは君の畑に、作物を上手く育てられる魔法をかけたに違いない。前回送られてきた新麦は3日も経たずに完売してしまった。雲石市場の顧客たちは口をそろえて、エリュシオンの小麦が一番品質が良く、パンケーキを焼けば幸せの味がすると褒め称えていた。
オクヘイマの工匠は陶器作りが上手いから、ついでに双耳付陶器瓶20本、土壺10個を送るよ。ファジェイナの乱舞に壊されないよう、天父が守ってくれるよう祈っている。これらの陶器は、君の穀倉に収穫物を貯め込む時、とても役に立つはずだ。
荷受人:ガルバ
船舶名:白樺飛躍号
積荷港:オクヘイマ
荷揚港:エリュシオン
品名及び点数:弦用ワックス5缶、砥石2個、やすり1本、矢じり金型1組
引換証謄写数:3部
備考:本当にすまなかった、相棒よ!ここのところ大忙しで、城内の武器工匠が全員緊急招集されてしまったこともあり、注文を先延ばしにするしかなかったんだ。遅れたお詫びに、弦用ワックスを3缶多く送っておいた。
正直言って、毎日の仕事時間を自由に決められる君の暮らしがとても羨ましい。私ももういい年だ。生涯を矢じり作りに捧げてきたが、弓を引いたことは一度もない。この船に、私の居場所もあればいいのだが。
荷受人:ピュティアス
船舶名:ミューズ号
積荷港:神悟の樹庭
荷揚港:エリュシオン
品名及び点数:パピルスの巻物50巻
引換証謄写数:3部
備考:ピュティアス先生、樹庭は本当に大きいですね。エリュシオン全体よりも大きいんです!僕は入学試験に合格し、今は蓮食学派の門下で学んでいます。毎日たくさんの不思議な植物と話をしていて、父さんに教わった農業の知識がとても役に立っています。でも、これらの丹精込めて作られた農作物は、人の手を離れたら1日たりとも生きていられないのです。僕は当分の間樹庭にいなくてはならないでしょう。学校を卒業したら、家に帰って先生と一緒に教壇に立ちたいです。
この巻物は僕が村の学生たちのために選んだもので、歴史学、政治学、修辞学などの分野が含まれています。もし外の世界のことを尋ねる学生がいたら、これを見せてあげてください。好奇心は1粒の種と同じで、先生が望んだように、エリュシオンに根を張って芽を出し、大きな世界に向かって枝を伸ばしていくでしょう。
バラバラになったノート
授業の内容が書かれたノート。ピュティアスの道徳の授業の内容の一部が記されている。
| バラバラになったノート |
ピュティアス先生は、山は大地の背骨、勤勉さは人の背骨だと言った。
大地は、生きるために必要な全てを与えてくれる。木は建物を建てるのに、穀物はお腹を満たすのに、亜麻は服を作るのに役に立つ。でもそれらは空から降ってくるのではない。誰も手入れをしない建物は倒壊し、誰も世話をしない田畑は荒れ果て、誰も刈り取りをしない亜麻はボウボウに伸び放題になってしまう。労働だけが、収穫を得る唯一の手段なのだ。
人は「勤勉」の2文字を心に刻み、求めるのではなく、価値を創造することを愛さなければならない。濡れ手に粟という考え方に警戒せよ。ただもちろん、自分一人の力で全てを達成しなければならないというのではない。人生は開墾されるのを待ちわびている広い荒野だ。若者たちは無限の可能性を秘めている。
農民、漁民、狩人、船乗り、司祭…どんな仕事も、心血を注いで取り組むべきだ。大切だと思う分野を開拓し、大地を尊重するように自分の職業を尊重し、人としての背骨を失くさないようにしなければならない。
ピュティアス先生は、思いやりは人と人とを結ぶ絆で、「私」を「私達」にしてくれるものだと言った。
人の心は池の水面のようなもので、常に相手の姿を映し出す。誠実な行動は、相手の心に温かなさざ波を残す。思い出してみれば、この前ガルバおじさんが学校に来てドライフルーツを配ってくれたとき、みんな何かお返しをしたいという衝動にかられなかったか?これこそが、思いやりで結ばれた心の絆。善意の滋養を得てさらに強固になり、どこまでも伸びていくのだ。
進んで人助けができる人は、善意のバトンをつないでゆく。それは、心温まる挨拶や、真心のおもてなし、惜しみない分け合い、寛大さ、心からの信頼などから始まる。
そしていつの日か、点のようだった善行が全ての人をつなぐ愛のネットワークになる。そのおかげで私達は、争いや疑心暗鬼、冷たい迫害を免れ、より良い世界を作っていける。
ピュティアス先生は、タレンタムの裁決よりも公正なのは、オロニクスが一人ひとりに与えた時間だと言った。
貴族も平民も、誰もが毎日、門の刻から隠匿の刻の間で仕事をしたり休息したりする。商人は乞食の何倍もお金を持っているかもしれないが、明晰の刻の間に読める本はどちらも1冊だけだ。オロニクスは月光が平等に木の葉に降り注ぐようにした。決して枯れ木を若木に戻すようなことはしない。
時間は滔々と流れる大河のようなもので、決して留まることなく、一瞬で流れ去ってしまう。人は同時に2本の川に入ることはできないし、流れ去っていった泡を追いかけることもできない。私達にできるのは、ただこの一瞬一瞬を大切にすることだけだ。
時間をコントロールするのが上手い人は、麦粒を拾うように、隙間時間を上手に集めて利用し、人生を充実させている。行動を起こし、やりたいこと、やらなければならないことをして、みなぎる生命力を過ぎゆく時間に投入しよう。迷ったり待ったりしているだけで歳月を無駄にするのはやめよう。思い出を平凡な空白だけで埋めるのはやめよう。
手書きの栽培マニュアル
手書きの栽培マニュアル。司祭による特別な祝福を受けており、防水・耐火の性質を備えている。
| 手書きの栽培マニュアル |
「はじめに」
このマニュアルは、エリュシオン村委員会の認証を得て、歴代の村民の知恵をまとめ、オロニクスの祭壇での祝福を経て公開しています。読んだ方が自然への敬意を抱き、書かれている知識を活かし、大地と共生してくださることを願っています。
「麦畑の場所選び」
麦畑は風下で、陽のあたる場所が良く、土壌は指先で軽くつまんでもバラバラにならないくらいのものが良い。土をすくって嗅いでみて泥臭い匂いがしたら、豊作になる証拠。ザグレウスに惑わされる恐れがあるため、夜霧が発生しやすい場所は避ける。
ジョーリアの恩恵によって、わが村で最も良質の土地は、祭壇の南西から外側に向かって白い花の咲き乱れる林の縁までに広がっている。この一帯は年に2回収穫が可能で、ぎっしりとした麦穂が実る。
「引水システムの構築」
わが村の用水路はジョーリアの脈にならって設計されている。大地の水脈を模倣し、主水路は高所に沿って水を引き、支水路はそこから枝分かれした形状になっている。水路の幅は2尺、深さは1尺半が良い。水路の底には玉砂利を敷き、両側は石積みにして、水を確保しつつも、周辺の畑に浸水しないようにする。主水路は年一度、機縁の月に清掃し、詰まりを防ぐ。さらい上げた汚泥は、よく乾かした後、花に適した上質の肥料になる。
「水車と分流テクニック」
水車はわが村の引水システムの要であるため、十分に硬度のある木で製作する必要がある。羽根板は、12柱のタイタンを象徴する12枚とする。木軸は半月に一度油脂を塗り、スムーズな回転を維持できるようにする。水車のある石の水槽は、隙間や亀裂が入っていないか定期検査をする。
水の分配量は村委員会の見解に従う栽培の月は麦畑に優先的に分配し、歓喜の月は花畑に優先的に分配し、その他の月は均等に分配する。干ばつ時の分配量は、別途会議を開いて決定する。
「灌漑のタイミングと頻度」
麦作の灌漑タイミング:
種まきの後:土の表面が、指1本の深さ分湿る程度
穂が出る前:土の表面が、指3本の深さ分湿る程度
実入り期:作物が倒れない程度に適量灌漑する
花畑の灌漑タイミング:
昼長の月:朝夕各1回、水量は適量
自由の月から収穫の月にかけて:1日1回
慰霊の月から機縁の月にかけて:凍結防止のため5日に1回灌漑する
注意事項:灌漑のタイミングはエーグルの目の色(雲の状況)を参照する。山脈のような厚い雲が見えたら、暴雨になる可能性があるため、灌漑を延期する。
「9年輪作法」
わが村が発明した9年輪作法は、タイタンの数理にも合致し、地力を永続的に保つことができる。輪作の順序は次のようにする:
1、麦作(地力を消耗する)
2、豆類(地力を増す)
3、根菜類(中性)
4、麦作(地力を消耗する)
5、野菜・果物類(中度の消耗)6、豆類(地力を増す)
7、麦作(地力を消耗する)
8、薬草と香辛料(軽度の消耗)
9、休耕地力を回復させる)
畑地ごとに輪作の順番を記しておくこと。あぜの脇に石柱を立て、記号を刻んでおくのもよい。ミスが出ないよう、耕作管理責任者が統括する。
「あぜと境界石」
あぜの幅は1尺、高さは半尺とし、土を打ち固め、ハーブを植えておく。こうすることで、水や土壌の流失を防ぐと同時に、益虫を招き寄せ、害虫を駆除することもできる。
境界石は、水や土壌の流失により土地の境界が曖昧になるのを防ぐため、3年ごとに測定し直す。境界石の下には、タレンタムの公正な裁決の象徴として、銅貨を1枚埋めておく。
「休耕畑の管理」
休耕畑は荒廃させないよう、小豆やレンゲソウなどの緑肥作物を植える。緑肥作物がひざの高さくらいまで成長したら、土の中に埋め、腐熟させる。
虫害を減らすため、休耕畑のへりにはハッカやヨモギなどの芳香植物を植えておく。土壌構造を破壊してしまう可能性があるため、休耕畑で放牧してはならない。
「堆肥のテクニック」
堆肥坑は風下で陽当りが良く、水源から遠いところに作らなければならない。次の3層に分けて堆積させる。
最下層:太めの枝、干し草
中間層:厩肥、かまどの灰、残飯
上層:細かい土で覆う
7日に1回掘り返し、腐熟を促す。腐熟の目安:色がこげ茶色になり、触るとやや温かく、土臭いが悪臭はしない状態。
「特殊な肥料の配合」
1、麦畑専用の肥料:
腐熟した厩肥7割
草木灰2割
粉にした魚の骨1割
オロニクスの祭壇の前で集めた露少量
2、花畑専用の肥料:
腐熟させた木の枝5割
鳥の糞3割
細かい砂2割
砕いて粉にした貝殻少量
使用するときは、袋を開けて二刻以内に施肥すること。肥料の効果が失われてしまうため、エーグルの烈日を避けること。
「液体肥料の調製」
液体肥料は苗や花に適している。大き目の木の桶を用意し、
新鮮な草木灰1かご分
動物の尿ひしゃく3杯分
浄水ひしゃく10杯分
これらを7日間漬けおき、10倍に薄めて撒く。この液体肥料は強力なため、植物を火傷させないよう、直接かけるのを避けること。
【播種祭】
種まきの前日、村人全員でオロニクスの祭壇に集まり、司祭が祝福の儀式を執り行う。
各種の種少々
澄んだ泉の水1碗
新たに醸造したビール1樽
麦帆で編んだ冠を用意する。
司祭が種を泉の水の中に置き、全員で司祭の後に続いて祈祷文を念じる。
「麦畑でのピクニック」
昼長の月の3日、村人全員で手をつなぎ、麦畑の周りを歩きながら、古くから伝わる「麦波の歌」を歌う。こうすることで、畑の瘴気を払いつつ、麦の苗の力強い成長を守ることができる。
行進するときは、エーグルの軌跡に合わせ、時計回りに進む。司祭は長い柳の枝を持ち、麦畑を間引くように、軽く撫でながら進む。
「収穫感謝祭」
収穫の最後に、大地の恵みへの感謝として、小さい麦畑を1つだけ残す。
麦を運ぶ最後の荷車が村に到着するとき、村人は2列に並び、歌い踊りながら出迎える。各家庭が少量ずつ新麦をもらってパンケーキを作り、オロニクスの祭壇の前に並べ、司祭の祝福を受けた後、全員で分け合って食べる。この行事は、豊作の喜びと分け合いの精神を象徴している。
「あとがき」
このマニュアルに記された農耕テクニックには、代々の知恵が凝縮されています。ここに記しておくことで、後世に伝えたいと思います。エリュシオンの麦の波が永遠に揺らめき、花の香りが絶えず、村人が穏やかに楽しく暮らせるよう、タイタンのご加護がありますように。
ミファミュンへの手紙◆
ファイノンの代わりに妖精の文通相手に書いた返信の手紙。いくつかの貴重な経験を共有した。
※選択肢によって手紙の内容が変わる
| 修理編 |
ミファミュンヘ
やあ、相棒。僕はもちろんファイノンだ!
エリュシオンから来た、ヒエロニュモスとアウダタの息子のファイノンだよ。僕の家族の絆が終わりかけたあの日、8歳だった僕は麦を収穫するのを忘れてしまった。
親の愛情は時に厳しさって形で目に見えるものさ。村長もそれと同じで、君が悪い人に騙されないか心配なだけだと思う。警戒心を持つのは悪いことじゃないからね。
僕は昔、長い歴史を持つ国に行ったことがある。そこの人たちは船を家にして暮らしていたよ。絹でできた美しい帆を広げて、そうやって虚空をどこまでも進んでいくんだ。
彼らは大工仕事に対して独特な考えを持っていてね、木に彫った溝と溝を組み合わせることで頑丈な骨組みを作るんだ。
もしかしたら、郵便ポストを修理するためのヒントになるかもしれないな。
修理はなにも難しいことじゃない。
削ったり、磨いたり、切ったり…剣の練習と同じで、ごく簡単なことの組み合わせなんだ。
幸運を祈ってるよ、相棒!
永遠の相棒より
| 掃除編 |
ミファミュンヘ
相棒、手紙をくれて本当に嬉しいよ。でも僕はやむを得ない理由があって、先に旅に出てしまったんだ。すまない。
時間が経って、過去は迷境の丘の上で一休みしていたみたいだ。この手紙を開けた時、昔の自分が顔をのぞかせたような気がしたよ。
とにかく、手紙ありがとう。
運命の深淵にオクヘイマ、それからクレムノス…ここ数年でたくさんの場所に行ったよ。
君なら樹庭が気に入るんじゃないかな。樹庭の人たちはものすごい樹齢の木の上で暮らしているんだ。その木は大きくて、長生きで、妖精なら1万くらいは余裕で暮らせる。僕はそこで学校に通って、信頼できる先生や同級生に出会った。
いつか君にも紹介できるといいな。
ミファミュン、よく考えてごらん。道具が文明をもたらすんじゃなくて、文明が道具をもたらすんだ。
たまには視点を変えてみることも大切なことさ。いっそのこと、汚れてしまった家具を全部捨てて、新しい家具にしてみたらどうだろう?そうすれば、きれいになる。
電波の状態があまりよくなくて、通信がすぐに切れてしまうんだ。また後で!
永遠の相棒より
| 料理編 |
ミファミュンヘ
相棒がそれに気づいてくれて嬉しいよ。
ケファレの足元に広がるオクヘイマには、赤い髪の使者たちがいるんだ。彼女たちは、だいたい君と同じくらいの背丈だよ。諸界に通じる門と道を開けて、ひゅっと手紙を届けることができるんだ!僕から君への手紙も、そうやって届けてもらっているのさ。
ははっ、今でも覚えてくれているんだな。僕も長いこと食べていないよ。
たしかオリーブ油と小麦粉をこねて、オーブンで焼くんだけど…砂糖は母さんはスプーン何杯分入れていたかな?
あの時は食べるのに夢中でちゃんと見ていなかったんだ。家を出る前にいつか作り方を教わる機会もあると思っていたんだけど。
自分でいろいろ試してみるといいと思う!
じゃあ今日はこの辺で。よく食べて、寝て、いつでも楽しく幸せでいてくれ!
永遠の相棒より
ミファミュンからの手紙◆
ファイノンの妖精の文通相手から来た手紙。小さな悩み事や昔の出来事について綴られている。
※選択肢によって内容が変わる
| 修理編 |
相棒のファイちゃんへ
村長は、あなたがすっごく遠いところに行ってしまったから、返事なんか書けるわけないって言うの。
そんなの信じないミュ。返事をくれたのは、絶対にあなたなのよね?
あれは取ってきた野イチゴを入れるのに使ってるんだ。
もう食べ終わっちゃって空っぽだけど、中はまだ甘酸っぱい香りがするんだ。
あなたはあのとき、カンカンドンドン、たったの数時間でポストを直してくれたミュ。一体どうやったの?私も修理したいんだけど、どうしても思い出せないんだミュ。
ミファミュンより
| 掃除編 |
相棒のファイちゃんへ
あたふたといなくなってから、一度も返事をくれないね。
一緒に外の世界に挑戦しに行こうって約束したこと、覚えてるミュ?
もしもあなたが先に旅に出ているなら、今までの出来事を手紙で教えてほしいな。私はそれを寝物語と思って、手紙を枕にして寝るミユ。
ミファミュンより
| 料理編 |
相棒のファイちゃんへ
この機会に、部屋のひしゃげた棚とか、ギイギイ音を立てる梁をみんな直したんだ。
僕がいなくなったとしても、世界が終わるその日までびしっとしてるはずさ!
どうして私が手紙を書くと、すぐに返事が来るの?
何か秘密があるなら教えてくれない?
あの時、半分分けてくれたビスケットの味は、今でも覚えてるよ。も
しよかったら、作り方を教えてくれない?
ミファミュンより
| 冒険編 |
相棒のファイちゃんへ
知らない優しい人が、風鈴を修理してくれたミュ。
そして――私も、あなたのように冒険の旅に出たんだミュ!
それからタンポポの綿毛で落下傘をしたわ。
そして甘い渓流の水を飲んで喉を潤し、フカフカの木の葉を絨毯代わりにしたの。
暴雨の日には、木のうろに避難したよ。
私は木の枝をブンブン振り回して、美味しいナッツを勝ち取ったんだミュ。
火ってどうやって起こすんだミュ?
クラッカーはもう食べ飽きちゃった。熱々のものが食べたいミュ!
ミファミュンより
妖精からの手紙
迷路迷境のポストで見つかった手紙。宛名にはあなたの名前が記されており、手紙は妖精たちからの祝福の言葉で埋め尽くされている。
| 1通目の手紙 |
外の世界の開拓者へ
みんな親切で、もてなし好きだミ。
それに、迷境に通じる道は、
天真爛漫な子供だけが見つけられるミ。
迷境を楽しんでほしいミ!
| 2通目の手紙 |
尊敬する開拓者へ
たくさん冒険をしてきたって村長が言ってました。
木のうろのそばで、
あなたの旅のお話を聞きたいと思ってます。
僕もあなたのお話を忘れないと思います。
| 3通目の手紙 |
私のお友達開拓者へ
嬉しいときは顔を上げて胸を張り、
悲しいときはガクッとうなだれる。
私は庭師だから、しっかりお花の世話をする。
不機嫌そうな花には、たっぷり水をあげるの。
ジャージャー流れる水で、悩み事もスッキリ洗い流せる。
お友達だから、あなたのお世話もしたいな。
| 4通目の手紙 |
ようこそ、開拓者
みんなで集まって、歌ったり踊ったりするのが大好き。
もっともっと早く時間が過ぎてくれないかなあ。
次のパーティーでは、妖精の踊りを教えてあげる。
今度はゆっくりゆっくり時間が過ぎてくれないかなあって思う。
ほおずきやトゲトゲボールが欲しいんじゃなくて、
友達ともっと一緒に遊びたいから。
| 5通目の手紙 |
遠くから来た開拓者へ
友人たちの名前で区別しているんだ。
一緒に経験した楽しいことも、
全部僕がノートに書いてる。
ずっしり重いページは、思い出の重ささ。
君と一緒なら、楽しいことに事欠かないからね。
カイザー軍記――偉大なる10の勝利
史官プルデンティアが多方面から考察して編纂した伝記。戦いに満ちたカイザーの生涯の中でも特に代表的な10の戦いについて綴られている。
歴史調査官、プルデンティアの手稿
彼女は嵐のように歴史を席巻し、その戦火と知略でオンパロスの秩序と運命を塗り替えた。ケリュドラ――歴史上「カイザー」として知られるこの炎冠を戴く指導者は、自ら軍を率いてオレノス高原、スティコシア平原、エプス山脈の掃討を成し遂げ、留まるところを知らぬ野心と欲望の果てに、タイタンの神の座さえも覆すに至った。
彼女の盤上には万象が広がり、彼女の兵法は軍陣にとどまらず、それはまるで人心、歳月、運命の奏でる交響曲である。オクヘイマの二重防壁で繰り広げられた死の籠城戦から、トレートス平原での乾坤一擲の勝利に至るまで、カイザーは一つひとつのすべての勝利を己が権力の礎とし、そうして鍛え上げられた権力は彼女の刃をさらに鋭くさせた。
彼女はオクヘイマに新時代の波を巻き起こした。その切っ先は目下の火を追う旅だけでなく、黎明を育む空の果てを指し示していた。
……
カイザーが史上にその頭角を現すのは光歴3851年。それから実に100年以上、3980年にヤヌサポリスを攻め落とすまでの間に、彼女は20を超える戦争を起こし、80以上の重要な戦役を指揮した。驚嘆すべきは数多の戦歴の中にあって、敗北は指で数えるに困らない程度しか無いことだろう。筆者は、無数の戦役の中でも特に歴史に大きな影響を与え、カイザーの統率力と戦術の奥深さを集約した10の戦役をここに列挙し、彼女の輝かしい軍歴を伝えるとともに、後世の将領が尊敬し、倣うべき模範としたい。
称王戦争時代
光歴3851年から光歴3910年にかけて、無名のいち将軍であったカイザーは戦火に身を投じ、才ある人材を集め、軍を拡張し、領地を拡げ、自らの勢力基盤を堅固なものとしていった。やがて彼女の権力はオクヘイマないしオンパロスの頂点まで登り詰めるに至る。数十年にわたるこれらの軍歴について、ここでは火を追う旅と区別するため、暫定的に「称王戦争」と呼称する。
……
1、ルキア解放戦争
年:光歴3851年 場所:ルキア平原 主要将官:ケリュドラ
ルキア解放戦争以前、人々はヒュペルボレイオスに年若い王女がいることは知っていても、その名がケリュドラであることまでは知らなかった。3850年初頭、オクヘイマ北部に潜入していた間者からある報告がもたらされた。曰く、ヒュペルボレイオスの国力は衰えており、民は飢え、臣下は国庫を空にして私兵を集め、王女自らが軍を率いて南下し、聖都を踏み荒らさんとしているという。この報を受けたオクへイマは二重の関門による防衛線を敷き迎撃の構えを見せたが、ヒュペルボレイオス軍は一向に姿を見せなかった。
その頃、オンパロスの北東に位置するルキアでは、横暴な僭主と、それを打倒し民に自由を取り戻さんとする反乱軍との大規模な戦いが起こっていた。僭主軍は常勝無敗の黄金の血を持つ将軍フォルトゥナトゥスを擁し、彼の率いる精兵5万は大波が火の粉を呑むが如く反乱軍を次々と殲滅、ほどなく反乱軍は半島に追い詰められ、退路すら失う。その時、西方より奇兵が出現する。突如現れた軍勢を率いるのは年若い少女――彼女は自らをカイザーと称し、ルキアの民を僭主から解放するために来たと宣言した。
僭主軍5万に対し、当時のカイザー軍の規模は2万あまり。フォルトゥナトゥス軍による二度の猛攻を凌いだものの、いよいよ陣形が崩れ左翼に致命的な綻びを見せる。これを好機と見たフォルトゥナトゥスは、自ら手勢を率いて崩れた左翼に突撃を敢行。しかし、それこそがカイザーの狙いであり、左翼の乱れはフォルトゥナトゥスを本陣から誘い出すための餌であった。突貫するフォルトゥナトゥス軍の側背から現れた三千の伏兵は火矢の雨を以て敵の陣形を乱し、流星の如く突撃していく。これに呼応した右翼の軍団が僭主軍の中央を突破し、カイザー軍は見事に勝利を収めた。
戦いの後、捕虜となったフォルトゥナトゥスはほどなく斬首、敗戦の報を受けた僭主は船でスティコシア南東の小国ハットゥシリへ逃亡した。カイザーは国内の反乱軍すべてを麾下に加え軍を拡張する。当時のオンパロスの誰一人として知らなかった、突如として表舞台に現れたこのカイザーなる人物こそ、あのヒュペルボレイオスの傀儡王女であることを。ヒュペルボレイオスより軍を率い、エプス山脈を越えてルキアに至り、ただ己の軍勢を得るために自らのすべてを賭けたのが、未だ世に名も知られぬひとりの少女であるなど――誰が想像し得ただろうか。
……
2、第一次オクヘイマ包囲戦
年:光歴3867年 場所:オクヘイマ 主要将官:ケリュドラ、セイレンス
光歴3867年、オクヘイマでは奸計により3名の将官が冤罪で殺害される。都市外の軍は大いに動揺し、民衆にも不安が広がっていた。この混乱に乗じ、ルキアの僭主はイカリア、コリンスとの連合軍を編成し聖都へ進軍する。連合軍は武力に優れた黄金裔を多数擁し、五重の関門を無人の関所の如く次々と突破していった。その進軍は策略を最も嫌う誇り高きクレムノス軍でさえ、耐え切れず移動要塞から機を窺うほどであり、聖都の守りはもはや卵の殻も同然であった。
しかしその危機は、次に始まる劇的な一幕のための序幕であった。僭主の脳裏に焼き付いたルキア平原の悪夢が再び現れる――西方より攻め入った奇兵、その指揮官はケリュドラと名乗る少女であった。ルキア平原と違うのは、この時すでにカイザーの名はオンパロス全土に轟いており、幾人もの猛将がその旗の下に集っていたことである。たとえば「断鋒卿」ラビエヌス、「冬霖卿」セネカ。そして中でも最も名高いのが「剣旗卿」セイレンス――彼女は一振りの剣だけを手に連合軍の陣地に降り立つと、瞬く間に血の旋風を巻き起こし、たった1人で陣中に鎮魂の旋律を奏でてみせた。
聖都包囲網は、わずか半日で瓦解。ルキア、イカリアの僭主は捕縛され、コリンスの僭主はかろうじて残党をまとめるとドロス平原の南へ遁走することとなる。雲石の天宮から眼下に広がる屍山血河を見下ろし、カイザーは後に誰もが知るところとなる言葉を静かに口にした――
「来た、見た、征した」
……
3、ケンパー遠征戦
年:光歴3874年 場所:ケンパー山脈 主要将官:セネカ
光歴3865年ごろ、エーグルによって天候が不安定になると、大陸全土で雨季と干ばつが繰り返され、作物の収穫量は惨憺たるものとなる。しかし不作により諸国の国力が衰退する中、唯一トリスビアスの預言を得ていたカイザーだけはあらかじめこの事態への備えを万全にしていた。彼女は機を見てオクヘイマ周辺の地域の制圧を進め、数年の時間をかけてオンパロス諸国に自らの名声と地位を誇示することになる。かくして、クレムノスと天空の民を除く諸国は彼女の前に頭を垂れて臣従し、雲石の天宮に座すカイザーに比肩する者はいなくなった。
光歴3870年、セネオスはエーグルを討ち、最後の天空の要塞は雲海の彼方へ消え去り、天空の民は衰退した。敵を失ったクレムノスは、その矛先をオクヘイマへと向ける。カイザーはクレムノスの侵攻と向き合わざるを得ず、そのためオクヘイマの周辺諸国への支配力が弱まることとなった。光歴3874年、連邦の外縁に位置していたケンパーが、ケンパー山脈という天然の要害を盾にオクヘイマ連邦からの離脱を宣言。他国もこれに追随する動きを見せる中、カイザーは自らがクレムノスの圧力を正面から抑え込む一方で、密かに「冬霖卿」セネカが率いる3万の精鋭を、ケンパー山脈の奥深くへ送り込んだ。この際オクへイマ軍はケンパーの宿敵ラードーンと密約を結び、地形に詳しいラードーン人を同道させる。案内人を得たオクハイマ軍の前に、ケンパー人の盾となるはずだった天険はもはや紙くず同然であった。
北の大地の寒さをものともせず、冬霖卿の軍勢は一夜にしてケンパーの首都を陥落させる。夜半、ラードーン人たちが突如裏切るも、これもまた冬霖卿によって即座に制圧された。「唇亡びて歯寒し」――ケンパーの陥落がやがてラードーンにも滅びをもたらすと恐れた彼らが反逆することをカイザーは予測しており、一連の作戦はこの両者を同時に制圧する一石二鳥の策であった。
……
4、トレートス平原の決戦
年:光歴3903年 場所:トレートス平原 主要将官:ラビエヌス
オクヘイマとクレムノスの戦争は長期化の様相を呈し、持久戦となった。カイザーがいかに卓越した兵法家であったとしても、兵法だけですべての戦いに勝利できる訳ではない。クレムノス人は個々の能力に優れながら軍団としての結束を併せ持ち、刀剣では歯が立たないタイタンの眷属を先兵としていた。小規模戦闘の単位で見れば計略によって敗走することもあったが、大局においては常にオクヘイマ軍の前進を阻み続けていた。
光歴3903年、幾十もの戦いを経て、ついに両軍の主力がトレートス平原で衝突することとなる。これはオクヘイマとクレムノスとの間に続いた一連の戦役の中で最も重要な決戦であり、もはや奇策の入り込む余地はなく、撤退も許されなかった。決戦の舞台となったトレートス平原はクレムノス始まりの地――ゴルゴーの獅子狩りの地であり、もしここでオクヘイマが退いたとなればクレムノス軍の士気は大いに上がり、勢いのままオクヘイマの喉元まで駆け上がることも容易に想像できる。故にカイザーはこの決戦に自ら赴き、炎冠を天に掲げて兵を鼓舞し、降り注ぐ火の粉を戦士たちの鎧に焼き付けた。
決戦は実に3ヶ月に及んだ。その間カイザーは陣に留まって防衛に徹し、「断鋒卿」ラビエヌスに、どんな犠牲を払ってでもクレムノス軍の指揮中枢を乱すよう命じた。断鋒卿は命に応え、百の戦士の命と己の身に受けた無数の傷を代償にクレムノス軍の指揮系統を半刻ほど麻痺させることに成功する。わずか半刻の隙を逃さず、カイザーは敵陣に走ったかすかな動揺を突き、勝敗を決定づけた。この決戦はカイザーの生涯における最も危険な一戦とされるが、そのリスクと天秤にかけて掴み取ったものはあまりにも大きかった――クレムノス軍は潰走し、この決戦以後は三戦三敗を喫することになる。そしてついに「ニカドリーの尊厳」にかけてオクヘイマとの間に50年に渡る和平条約を結ぶに至った。オクヘイマにおけるカイザーの権威を絶対的なものとするために、この条約が稼いだ時間は大きな価値を持った。
……
5、第二次オクヘイマ包囲戦
年:光歴3910年 場所:オクヘイマ 主要将官:ケリュドラ、セイレンス、ラビエヌス、セネカ
第一次オクヘイマ包囲戦の後、カイザーはオクヘイマの全権を完全に掌握できていたわけではなかった。当時、一部の元老たちは劣勢を悟ると偽りの忠誠を装った。カイザーもまた政局を早期に安定させるため、こうした元老たちに一定の権力を残した。しかし元老たちはカイザーの恩赦を裏切り、黎明の崖に私兵を集めて異国と通じ、光歴3910年、勢いを取り戻したコリンスの大軍と結託してクーデターを起こす。国の内外で呼応し、雲石の天宮にいるカイザーを追い詰めようと企んだのである。
困難な状況に陥ったかに見えたが、カイザーはこうした状況を想定し以前より備えを進めていた。彼女は数十年にわたり、各地の職人や山の民を雲石市場に集め、住居や生活用品を用立てて安定した生活を支援すると喧伝していたが、その真意は別にあった。元老院の残党によるクーデターが起きると、カイザーの号令一下、数千の職人たちが一夜にして二重の防壁を築き、黎明の崖の元老軍を閉じ込めるとともに押し寄せるコリンス軍を遮断してみせた。内の元老軍を包囲しながら援軍であるコリンス軍を叩く、後に「第二次オクヘイマ包囲戦」と呼ばれる戦いであった。
包囲戦はわずか1ヶ月ほどで決着した。包囲の重圧に耐えられず、元老軍は再び降伏する。しかしカイザーは以前のような寛大さを見せることなく、反乱に加わったすべての元老とその家族を処断し、遺体を湖底に沈めるよう指示した。これにより玉座のすぐそばに残っていた問題の芽を完全に摘み取ったのである。その後、長引く攻城戦に焦りを見せ始めていたコリンス軍に対し、カイザーはラビエヌスとセネカに兵糧攻めを命じ、一方でセイレンスにはコリンスの首都を急襲させた。
それから数日と経たず、コリンスの僭主が身投げしたとの知らせがオクヘイマにもたらされた。知らせを受けたコリンス軍は戦意喪失し、戦わずして降伏した。
第二次オクヘイマ包囲戦の勝利によって、カイザーは名実ともにオクヘイマの支配者となった。これ以降、カイザーは誰はばかることなく自らの野望に向けて邁進することとなる。諸国征服、タイタン討伐、あるいは遥か彼方、遠い異界への侵略さえも……
……
……
二、火を追う旅時代
第二次オクヘイマ包囲戦の後、カイザーはオクヘイマの実権を掌握し、正式に野望の道を歩み始めた。トリスビアスが救世の預言を広めた時から、カイザーはタイタンの討伐と火種の奪取という偉業を企てていたのだ。陽雷の騎士セネオスが人類の力でタイタンを討伐できることを証明したのに加え、クレムノスとの和平条約や諸国の服従によって、カイザーが進む道は整えられた。50年の間、民衆にも預言を信じ、火追いを志す者たちは現れたが、いずれも大きな勢力を成さなかった。そして光歴3910年の末、カイザーの壮大なる火を追う旅が、ついに幕を開けたのである。
……
6、神悟の樹庭攻城戦
年:光歴3930年 場所:神悟の樹庭 主要将官:アポロニウス、ケリュドラ
カイザーがオクヘイマの元老を湖底に沈め、タイタン討伐の大望を世に告げた時、人々はそれをただの戯言だと思っていた。権力に目がくらんだ僭主が誇大妄想としか思えない宣言をすることは、歴史を紐解いてみても珍しくなかったからだ。オクヘイマの宿敵であるクレムノスでさえ、それはカイザーが権力を集め、民衆を扇動するための安っぽい策略だと考えていた。実際、その後のカイザーの行動は――かつての宣言が一時の気の迷いに過ぎなかったかのように20年をかけて静かに、そして着実に軍事力を増強していくというものだった。オクヘイマから辛うじて逃れたラードーンのスパイの報告によると、カイザーはその頃既に数千の黄金裔を集結させ、特殊な編成の軍隊を作り上げており、その軍事力は半日以内にいかなる都市国家も制圧できるほどだったという。諸国は恐れおののいたが、クレムノス人だけは血が騒ぎ、その実力を試したがった。しかし平和条約があるため、彼らはじっと刃を研ぎ、軍備を整えることしかできなかった。
光歴3930年、樹庭の賢人にして現火を追う軍の参謀である「牽石卿」アポロニウスが樹庭へ使者として派遣されたが、三ヶ月経っても戻らなかった。カイザーは更に「吟風卿」ヴァージニアと「運命卿」トリスビアスの半身1名を樹庭へ派遣したが、これも音沙汰がなかった。樹庭からは、蓮食、山羊、結縄、礼拝の四賢人がカイザーに敵意を持ち、使者たちを囚えて暴政に抵抗しようとしているという噂まで流れ始めた。程なくして、カイザーは数十名の手勢を率いて樹庭へ協議に向かった。その勢力が小規模で、武力で知られる「剣旗卿」「断鋒卿」「冬霖卿」さえ同行していなかったため、樹庭の学者たちは油断して、サーシスの枝を垂らしてカイザーを迎え入れた。しかし、カイザーが率いていた数十名こそ、厳しい訓練を受けた黄金裔で編成された最初の火を追う軍であった。
その日、神悟の樹庭は陥落し、カイザーは四賢人を投獄に処した。そして、この行動による最大の戦果である「浪漫」の火種を世に示し、次の標的はオレノス高原の地下に潜む「大地」のタイタン、ジョーリアであると宣言した。
……
7、オレノス遭遇戦
年:光歴3956年 場所:オレノス高原 主要将官:ケリュドラ
モネータの殞落まで、人々はセネオスとトリスビアスが起こしたのが小さな火花ではなく、空を深紅に染める業火だとは気付かなかった。そして今、カイザーは自らを含む数千の黄金裔の命を薪として、エスカトンの檻を燃やすためにその業火に投じたのだ。
もはや誰もカイザーの野望を侮れなくなった。この火追いの僭主が大地の神に刃を向けると知り、その恩恵を享受している都市国家や部族は、信仰するタイタンたちを守るべく自発的に結束し始めた。しかし、武力に欠けるモネータとは違い、支柱のタイタンの一柱であるジョーリアは、山を崩すほどの力の持ち主であり、加えてその居場所を知る者も誰一人いなかった。そのため、カイザーは数年に及ぶ雌伏の時を強いられることとなった。
光歴3950年より、オンパロス各地で大小様々な震動が起こった。それはまるで、ジョーリアが自らの運命を予感したかのようであった。3955年初頭、オレノス高原で未曾有の地震が発生し、ジョーリアの傷だらけの神体が深淵の底から浮かび上がった。カイザーはタイタンが暗黒の潮による影響で暴走することを察し、待つことをやめ、年末に火を追う軍を率いてオクヘイマより西へと堂々と進軍を開始した。光歴3956年初頭、火を追う軍はトレートス平原を越え、オレノス領内に入ったところで待ち伏せを受けた。「大地」のタイタンの庇護を受けていた四つの都市国家、オレノス、オドリュサイ、イカリア、ハンダックが結束した連合軍が、カイザーの前に立ちはだかった。
これらの都市国家は地震の被害を受けていた上に軍備も不十分で、さらには兵士の大半が農民から構成されており、火を追う軍の敵ではなかった。しかし、カイザーはいつものように迅速な制圧をするのではなく、代わりに黄金裔の精鋭部隊に連合軍の陣形を素早く崩すよう命じた。これは敵兵を負傷させ、武装解除させることを主な目的とし、連合軍の抵抗力を削った。戦後、カイザーは捕虜を処罰するどころか、アポロニウスたちを残して災害の救援を手伝わせた。カイザーは宣言した――人類はジョーリアがかつて施した恩恵を忘れない。だからこそ、敬愛すべき神が暗黒の潮によって苦しんでいるのなら、その忠実な創造物が心を痛めながらも神を解放してやり、その神権を引き継ぎ人類を守り続けなければならないのだと。
多くの敵意ある都市国家は、カイザーが無実の人々の血で手を染め、その名声が失墜するのを期待していた。しかしオレノスの戦いは、むしろ世間にはびこっていたカイザーに対する否定的な印象を大きく覆すこととなった。ジョーリア討伐の前哨戦として、火を追う軍は戦力を失うことなく、名声を落とすこともなかった。さらには農業を営む都市国家を恭順させることもでき、まさに完璧な成果を得たと言えるだろう。
……
8、ジョーリア討伐戦
年:光歴3957年 場所:オレノス高原 主要将官:荒笛
光歴3957年、トリスビアスの半身が敵陣深くに潜入し、ジョーリアの神体を発見した。その時、ジョーリアに忠実な山の民が戦場に加わった。彼らは話し合いの余地を持たず、情に訴えかけても、大義を説いても、創造物が殺されることを決して容認しなかった。かくして、避けられない戦争が始まった。
伝説の『山を拓いた者』ジオクロス率いる山の民の軍勢は、ジョーリアを戦線の後方に守っていた。山の民は一人一人が天賦の神力と精巧な装備を持っており、彼らが組む陣形はまさに鉄壁だった。大地獣の騎兵は火を追う軍にとっての悪夢となり、神の血を引く黄金裔でさえ、急襲してくる獣の群れ相手に苦戦していた。カイザーは兵士たちに大地獣の目や足、そして操縦者を狙うよう指示し、精鉄で作られた罠を仕掛けたが、それでも優勢を得ることはできなかった。
決定的なその瞬間、これまで一度も姿を見せなかった増援が戦場に現れた。荒笛と名乗る巨竜が後退する火を追う軍の中からゆっくりと現れ、やがて大地獣の陣形へと進んでいった。その足音だけで、すべての大地獣が震え伏し、その咆哮と突進は完全武装の山の民でさえ抗うことができなかった。荒笛が正面の戦場を制圧する中、カイザーはセネカに精鋭部隊を率いて後方から回り込むよう命じ、ジオクロスを筆頭とする山の民の将たちを囚え、ついに残存部隊を率いてジョーリアがいる裂け目の上まで到達することに成功した。
セイレンスはいくばくかの黄金裔と共に深淵へと飛び込んだ。激しい戦いの末、セイレンスだけが無念な面持ちで戻ってきた――大地の奥底では、彼女は力を思うように発揮できなかった。事態を打開したのは、やはり荒笛という名の巨竜だった。巨竜が黙したまま、独りで深淵へと飛び込んだその後、大地は激しく震え続けた。三日後、ついにジョーリアの火種が地上に浮かび上がった。
ジョーリアが死んだとき、オンパロス全土で激しい地震が起こった。大地は引き裂かれ、川の流れは変わり、都市国家は傾き、崩壊した。危機的な状況の中、深淵から怒りの叫びが響いた――神権を継承した荒笛は裂けた大地を引き寄せ、自らの体でそれらを再び一つに融合させたのだった。神殺しは大地を引き裂く災いを引き起こしたが、その終息もまた、荒笛自身によってもたらされた。
この戦いの後、カイザーは残存部隊とともにオクヘイマへ帰還した。数日後、正体不明の巨竜・荒笛に「鎮地卿」の称号を授け、次なる討伐の標的――タレンタムを宣言した。
9、ドロス河床白刃戦
年:歴3959年 場所:ドロス平原 主要将官:ラビエヌス、セネカ
光歴3953年、クレムノスとオクヘイマの50年に及ぶ平和条約が終了した。同年、クレムノスの新王オーリパンが即位した。当時、オンパロス全域はジョーリアが死ぬ間際の地震による被害を受けていた。クレムノス人はその隙に征服戦を仕掛けることなく、ジョーリアの死後、移動要塞をタレンタムの火種のある都市国家――ヤヌサポリスの東に停泊させ、ドロス平原に軍を配置した。彼らは運命の三相殿からの依頼を受け、「法」のタイタンを守護するためだと主張した。もちろんヤヌサポリスにとって、オクヘイマとクレムノスの対決は喜ばしいものであった。
クレムノスの動きに対し、カイザーが動揺することはなかった。クレムノスの狙いは、胸のすくような決戦だけだと知っていたからだ。光歴3959年、カイザーはクレムノス軍の旧知であるラビエヌスとセネカに、三百余りの黄金裔と数万の一般人による軍勢を率いて、堂々とドロス河床へ進軍するよう命じた。両軍は出会うや否や、言葉を交わすことなく、呼応するかのように武器を取り、戦いを始めた。
血まみれの戦争と比べ、この戦いはむしろ大規模なクレムノス祭典のようであり、両陣営とも節度を保ち、死傷者もごくわずかであった。この戦いの様相は、「死して栄光を掴む」という従来のクレムノス人の生き方とは大きく異なっていた。その理由は、新王オーリパンという特殊な存在にあった。彼は黄金裔の血を引き、クレムノス祭典で易々と勝利を収め、並外れた武勇の持ち主でありながら、改革への強い意志も持っていた。新たな王妃ゴルゴーもまた並の人物ではなく、オーリパンに劣らぬ武芸の達人で、同じくクレムノスの伝統に疑問を抱いていた。この二人の指導のもと、かつては血と栄光しか眼中になかったクレムノス人たちは、世界の運命に目を向け始めていたのだった。
ドロス河床の戦いで、オーリパンとゴルゴーは自ら出陣し、ラビエヌスとセネカを相手取り互角の戦いを繰り広げた。戦いの後、四人は一つの帳に入り、何やら密議を交わした。その後、クレムノス軍は撤退を宣言した。この予期せぬ展開に、ヤヌサポリスは慌てて神託を発して他国の軍を召集しようとした。しかしその時には、既に火を追う軍が城下に迫っていた。実はラビエヌスとセネカがクレムノス軍を牽制している間に、カイザーとセイレンスは残る二百人の黄金裔を率いて、オクヘイマとヤヌサポリスを隔てるケンパー山脈の東支脈を越え、直接運命の三相殿の門を叩くに至っていたのだ。
……
10、ヤヌサポリス囲攻戦
年:光歴3960年 場所:ヤヌサポリス 主要将官:ケリュドラ
……
ラビエヌスとセネカ率いる主力部隊と合流した後、カイザーは城内へ使者を送り降伏を求めた。自らはヤヌサポリス城外に陣を構え、兵を動かさなかった。ヤヌサポリスが降伏を拒否すると、カイザーはまず複数の部隊を派遣して八方の要路を押さえ、外部からの援軍の可能性を断った。その後、城内に圧力をかけ続け、クレムノス軍も三相の神託を狙っていると主張し、ヤヌサポリスにオクヘイマの庇護を受けるよう促したが、これも拒否された。最終的に、カイザーは誰にも知られない秘密の交渉を行うことを決意した。
伝えられるところによると、この交渉にはかの伝説の「ドロス三百の義賊」も力を貸したという。ドロス人のセファリアが先頭に立ち、三百の義賊の97である「黒毛の刃」フェルムが陣営に加わり、トリスビアスが示した脱出用の秘密通路をもとに、「公正な天秤」まで通ずる密道を三日かけて掘り出した。ケリュドラは自ら出陣し、剣旗卿らわずか数名を率いて密道から城内に入り、ちょうどそこで数名の頑固な司祭たちと出くわすことになった……
……
満たされた杯の嘆き
ファジェイナの敬虔な信者が残した手記。スティコシアの過去について記されている。
「歓喜の月 3日目」
ついにスティコシアに到着した。想像していた以上に美しい場所だ。蜂蜜とサファイアが混ざり合ったような海が、陽に照らされ、燦々と輝いていた。大司祭様から神殿で祭礼を手伝うよう誘われて、本当によかったと思う。
宿は海辺に用意されていた。毎晩、波の音が聞こえて、まるでファジェイナ様の囁きが耳元で響いているかのようだ。明日は満月の祭典。「海洋」のタイタンに気に入ってもらえるといいな。
「歓喜の月 5日目」
もう遅い時間だけど、今日見たことをすべて書き残しておきたい。満月の祭典は想像以上だった!大司祭様によると、スティコシアはオクヘイマと違って、儀式に決まりごとが少なく、その分、熱狂的な雰囲気が増しているという。確かにその通りだった!
夜になると、無数の灯りがメーレの海に灯され、人々は特製のランプを水に流し、ランプは流れに乗って海の奥へと漂っていく。その灯りは、ファジェイナ様の目を引き、私たちの敬虔な信仰の証として彼女の目にも届くのだと言われている。
そして、人々は飲み始めた。それはひと口ずつなどではなく、狂ったように一気にだ!メーレは金色の光を放ち、一口飲んだだけで、まるで喉の中を炎が滑り落ちていくようだった。私も少し飲んだんだが……その後の記憶は、随分と曖昧だ。海に飛び込み、みんな一緒になって浅瀬で踊った気がする。人も海獣も一緒に踊っていて、一瞬セイレーンを見たような気もする。きっと、あれもメーレのせいだ。
遠方の海から、ハープと波の音が合わさったような奇妙な音楽を聴いた気もする。それは魅惑的で、それでいてどこか悲しさを帯びていて、まるで何かに呼びかけているようでもあった。
「歓喜の月 9日目」
今日は海がいつもより静かで、まるで鏡のように空を映していた。大司祭様はこれは良い兆しで、ファジェイナ様が私たちを見守ってくださっているのだと言っていた。
昨晩、またあの音楽が聞こえた。それも以前よりもはっきりと。みんな自分の楽しみに夢中で、その音が一体なんなのか、教えてくれる人はいなかった。音楽はまるで物語のように聞こえた。孤独と裏切りの物語。私は、水の中に潜って音楽の源を探したいという抗いがたい欲求に見舞われた。
神殿での業務は至って単純で、主に供物の準備と聖水の醸造だ。大司祭様は、ただの海水を「ファジェイナの涙」という、心の傷を癒せる特殊な聖水に変える方法を教えてくれた。そして、絶対に味見してはいけないと言われた。「それは常人のためのものではない」そうだ。
「昼長の月 1日目」
今日は少し様子が違った。海面に「さざ波」が現れたという人がいた――それも、ただの波ではなく、まるで…水面が何かに破壊されたみたいだったという。
街の人々は、日増しに熱狂的になって、酒場は昼夜問わず賑わっている。大司祭様に尋ねてみたが、彼女はただ微笑んで、昼長の月の間、ファジェイナの信者たちはいつもより活発になるとだけ答えた。だが、私はそれだけではないような気がする。
今夜の音楽は、これまでで一番はっきり聞こえた。あれはきっとセイレンス――伝説に謳われる黄金裔の歌姫だと思う。古い言い伝えによると、彼女はかつてセイレーンであった。今は深海でたった独り、演奏を続けながら、死んでいった仲間たちがいつかまた帰ってくるのを待っているという。彼女の音楽には、胸を締め付けるような深い悲しみが込められている。
「昼長の月 7日目」
これは夢遊病というものだろうか…目が覚めると私は海辺に立っていて、服は濡れて、口内には海の塩辛さが残っていた。そして、何より恐ろしいことに、私は夢の中で見たものを覚えていた――あの音楽に導かれ、海へ入り、そこで見たのは…ステージ?
あれはそう、水中のステージだ。周りにはたくさんの人が座っていたけど、時が止まったみたいに誰一人動かない。ステージの真ん中には1人の女性が立っていて、ハープを手に、あの悲しい音楽を奏でていた。彼女は私に何か言っていたようだが、その内容は聞き取れなくて――そこで、目が覚めた。
街の住人がどんどん少なくなっている。街を出ていったのではなく…消えているのだ。彼らはみな、夜の狂宴に参加して、そのまま戻ってこなかった。大司祭様に尋ねると、彼女は「ファジェイナの抱擁に帰った」のだと言っていた。
なぜだろう、ふと古いわらべ歌を思い出した。
「ファジェイナの杯いっぱいに 満つるは過ぎたいつかの涙 飲んで見えしは我がふるさと 二度と帰れはしないけど」。
「自由の月 4日目」
街のお祭り騒ぎは最高潮に達した。人々はもはや働かず、考えもせず、ただ飲み、踊り、楽しみ、まるで明日には世界が終わるかのようだった。
私は危険を冒して海に潜り、あの音楽の源を探そうとした。水中の世界は驚くべきものだった。まるで水中都市の遺跡のような、古い建物をいくつも見た。あれはきっと、伝説のセイレーンの都――ファジェイナがセイレーンに約束した永遠の宴の地だ。だけど、今そこにあるのは廃墟と孤独な歌声だけ。
「紛争の月 1日目」
私はスティコシアを離れることにした。ここの狂気にはもう耐えられそうにない。住人たちはいよいよ人でなくなり、あれではまるで……
出発前に、大司祭様から小瓶を渡された。中にはきらきらと光る液体が入っている。
「これがセイレーンの涙です。もしも歌声に呼ばれたら、これを飲みなさい。そうすれば、あなたが探し求める真実を見つけられるでしょう」と彼女は言った。
それを飲む勇気が私にあるかはわからない。しかしセイレンスが歌い続ける限り、ファジェイナの遺産が完全に消え去ることはないだろう。いつか世界が再び均衡を取り戻したなら、その時は悲しみではなく、喜びで杯が満ち溢れるのかもしれない。
これがスティコシアでの最後の日記だ。飲む者すべてに、ファジェイナの加護があらんことを。すべての迷える魂に、セイレンスの音楽の導きがあらんことを。
巡礼者の手記
ある巡礼者が持っていた手記。一部の文字は海水によって滲んでおり、判読不能になっている。
「1ページ目」
今夜は満月だ。
バルネアのテラスに立ち、ファジェイナに祈りを捧げていた時、海から奇妙な音楽が聞こえた。波の囁きでも、祭りの喧騒でもなく、それは深く、遥かな旋律で、海の底から響いてきた。祭司たちは風の寝言だと言うが、私にはわかる。ファジェイナが、私を呼んでいる。
明日になったら、歌響く大海へ行こう。あそこなら音楽の源にもっと近づける。
「2ページ目」
スティコシアに着いてから2日が経った。
夜、人々が酒に溺れている時間に、私は一人で海辺を訪れた。音楽はオクヘイマで聞いた時よりも明瞭で、まるで哀愁を帯びた叙事詩のように、忘れられた歴史と果たせなかった約束を語っているようだった。
地元の漁師たちに尋ねてみる。彼らが言うには、確かに海の底には古い神殿があるが、そこへたどり着いた者はいない。ファジェイナの敬虔な信者以外が海底からの音楽を耳にすると、正気を失って海に身を投げ、二度と戻ってこないのだという。そして、私にもあの音楽を追ってはいけないと警告した。
しかし彼らは知らない。あの音楽が私に与えたのは狂気ではなく、啓示だったということを。
「5ページ目」
今日は神殿を訪れた。大司祭は私の意図を察していたかのように、水中で呼吸できるという特別なネクタールを授けてくれた。そして、海の底に向かうのならば、それが決して戻ることの出来ぬ道だと知っておかなければならない、と言っていた。
「ファジェイナの歌声は、優れた霊性を持つ信者を呼びよせる」と祭司は語る。「そこで、あなたは永遠を目の当たりにするだろう」と。
準備は整った。私はこの手記を旅の終わりまで持ち歩き、経験した全てを記録し続けるつもりだ。
…待てよ、海の中で手記は呼吸…じゃない…水による破損を防げるのか?聞き忘れた…明日司祭に聞いてみよう。
「8ページ目」
私はネクタールを飲んだ。手記も浸して、海水の侵食を受けないようにした。ネクタールの味は奇妙で、飲み込むと胃に鋭い痛みが走り、その後は不思議な心地よさが残った。
水に飛び込んで驚いた。まるで自分が魚になったかのように呼吸ができた。
海底の世界は、想像よりもずっと華やかだった。変わった形をした海洋生物たちが周りを泳いでいたが、誰も私の存在を気にする様子はなく、まるで私も彼らの仲間であるような気さえした。光が道を示すように奇妙な模様を描き、そしてあの音楽はますますはっきりと聞こえてきた。
私は音楽の源へ向かって、さらに深く潜っていった。
「15ページ目」
もはや時間の感覚は消え失せた。今日が何日で、今は何時なのかもわからない。海底では、光と影の変化が地上とはまるで違っている。
入り口を見つけた。それは巨大なアーチ状をしており、周囲にはファジェイナとその眷属たちの姿が彫刻されている。アーチの向こうにはさらなる深みへ続く長い通路があり、その壁にはルーンや壁画が刻まれ、セイレーンの伝説を物語っていた。私はそこで、ヘレクトラが神の杯に飛び込む場面や、ファジェイナの涙が暗黒の潮と交わる光景を見ることができた。
音楽はどんどん明瞭になり、まるで私を導くかのようだ。
「20ページ目」
どれだけの時間が経ったのか。海水が耳から脳へ流れ込むような感覚を覚えて、咄嗟に水を抜き出そうとしたが…何かおかしい。周りはすべて海水だというのに、どうやって耳に入った水が抜けるというんだ。
もうどれだけ泳いだかわからない。私はひたすらに泳いで、泳いで、泳ぎ続けて…幾重にも重なる回廊を通り抜け、やがて壮大なドームにたどり着いた。そこには信じられない光景が広がっていた。水の流れが空中で凝固し、美しい曲線を描いている。貝や珊瑚でできた巨大なシャンデリアが柔らかい光を放ち、環状に配置された座席には観客たち――人類、セイレーン、そして私の知り得ない生き物たちが座っていた。彼らはまるで彫像のように、微動だにしない。
ホール中央に配置された円形のステージには、何層にもなる水のカーテンがかかっていて、その向こうにはぼんやりとだが女性の姿が見えるような気がする。見えない、決してはっきりとは見えないが…彼女が持っているのはバイオリンだろうか?椅子に座っているのか?何もわからない…ひとつだけ確かなのは、彼女が奏でているのが、あのもの哀しい旋律であるということ。私は入り口に立ったまま、彼女の邪魔をしないよう、ただ静かに演奏に耳を傾けた。
「??ページ目」
私はその場にとどまり、演奏を聴き続けていた。演奏は、まだ終わっていない。
彼女の音楽には、いくつもの記憶が込められていた。旋律を耳にするうち、私は遠い過去の情景を垣間見た――セイレーンとファジェイナとの契約、暗黒の潮の最初の侵攻、神の杯に飛び込むヘレクトラ、海底王国の裏切りと破滅……
これは単なる音楽ではない。凍りついた時間であり、忘却を拒んだ歴史だった。
私は前列の空席に座った。ふと、私の身体も硬直し始め、この永遠の一部になりつつあることに気がついた。体の感覚は徐々に鈍化していくが、思考はむしろ鮮明になっていた。
ああ、そうか……
この観客たちはみな、私と同じく音楽に導かれた巡礼者なのだ。私たちは歴史の証人として、この永遠の中で凍りつく。
だが、悔いはない。ここでは、時間に意味はなく、苦しみも喜びも、何もかもが永遠の静けさに溶け出し、薄れていく。私たちはこの最後の旋律を永久に聴き続け、そして、いつかこの永遠を断ち切る真の守護者が現れるのをじっと待つのだ。
記録を残すのも、これが最後になるかもしれない。もしもこの手記を見つけた者がいたならば、どうか知っておいてほしい――海の底のもっと深くで、永遠の奏者とその観客たちが、預言の成就と、成されるはずもない約束が果たされることを、今も待ち続けていることを……
ああ、ファジェイナよ。我らの祈りは誰かに届いているだろうか?我らに救い主は現れるだろうか?それとも――この凍りついた時間の中で、我らは永遠に待ち続ける定めなのか?
(残りのページは海水で文字が滲んでいるが、最後のページの一行だけは、かろうじて読み取れる)
彼方に光が見える。あれは夜明けか、それとも幻か。
セルヴァの手紙
セネカの母親であるセルヴァが、昏光の庭から送った手紙。家族の近況について書かれている。
セネカへ
貴女からの手紙なんていつ以来かしら、嬉しいわ。近いうちに「海洋」のタイタン討伐に向かうと聞いたけど、戦いが終わったばかりでまたすぐ次の戦いに向かうだなんて…大変ね。
もうすぐ昼長の月、年に一度の天空の祭礼が始まるわね。ハルコスも今年で8歳、最近は一生懸命に祭礼の準備をしていて…時々、貴女の小さい頃を思い出させるの。ハルコスもセオネスの英雄伝を聞いて育ったし、真面目で頑張り屋さんなのも貴女と一緒。貴女がハルコスと違うのは、一族の衰退が貴女に運命の無常と必要以上の強さを教え込んでしまったこと。けれどそんな貴女のおかげで、ハルコスや、最近昏光の庭に迎えた子供たちは無用な苦痛を知らないでいられるのよね。
この手紙を書く前の晩、ハルコスは貴女の話を聞きながら眠ったの。目を閉じる前に、あの子はそっと私にこう言ったわ――「雲の上のセネオスさまより、セネカお姉ちゃんのほうが、みんなを見守るお空みたいだね」って。そのあと、私はなかなか寝付けなかった。十数年前、一族が最も困難な状況にあった時代を思い出しては、後悔と自責の念に駆られて。あの頃は、5日間なにも口にできないこともあったし、流浪の兵士たちに何度も仲間を連れ去られた。そんな日々の中で、天空の英雄の話を聞いた貴女が私に言ったこと、今でもはっきりと覚えているのよ。「あたしはいつか空に昇って、空になるんだ」。
でも、貴女ってば昔から不器用な子だったから…祭司になる才も、戦士になる天賦もなくて、貴女が持つていたのは運命を決して恐れない負けん気の強い心だけ。そんな貴女だから、今の実力と地位を得るまでにどれほどの傷を負わなくちゃいけなかったのか、私には想像もつかない。貴女自身でさえ、もしかしたら忘れてしまっているのかも。カイザーのもとで働く大変さは、誰もがよく知っていることよ。でも貴女からの手紙はいつだって、貴女の弱音を覆い隠して、私たちへの喜びと優しさだけでいっぱいなの…ねえセネカ、意志が強いのは悪い事じゃないわ。でも、それが貴女を追い詰めてしまうこともあると思うの。もしかしてそのせいで、メーレに溺れてしまったりしていない?
気づいたら随分長い手紙になってしまったわね。なるべく早く返事をちょうだい。みんな貴女のことを心配しているの。それから…そろそろ手紙の書き方を勉強したらどうかしら。いつもヴァージニアさんってお友達が書いてくれてるみたいだけど、彼女も忙しいでしょ?
昏光の庭、セルヴァ
メーレでわかる人間性・メーレと性格の関わりについて
醸造区付近にある石板には、メーレに関していくつかの「豆知識」が記録されている。その筆跡は激しく歪んでおり、これを書いた人間が相当に酔っていたであろうことは想像に難くない。
「序」
メーレはとても美味しいもの。メーレを好む人は、みな良い人。
しかし、良い人にもいろんな種類がいる。今回は、それぞれの良さについて考察しようと思う。
「序の2」
なぜこの文章を書くのかって?それは僕が学者で、今めちゃくちゃご機嫌だからだ。すべての論理もちゃんと通ってる。
僕は酔っ払ってなんか、ない!たぶん…!
「味で分類」
-ぶどう味(オリジナルメーレ)
天空の民が大好きな味。きっと、空にはメーレがないから、純粋な味にこだわるんだろうな。
聞いてみたら、オリジナル派が意外と多かった。古くさいやつが多いな!
-ザクロ味(鮮血のメーレ)
みんなが知っている知識:ザクロ味のメーレにはブドウは一切入っていない。
もう一つみんなが知っている知識:ザクロ味のメーレが好きだと主張する人(特に「懐かしい」という言葉を愛用してる人)に喧嘩を売るな。勝てない可能性が高いからだ。
-麦味(黄金のメーレ)
「極上のネクタールと神血の蜜露は飲めないが、英雄のような金色はいつも人を惹きつける。
「黄金のメーレは最も好まれている味の一つであり、人々の未来への憧れを象徴しているんだ。」
以上はとある広告のスローガンだ、笑えるだろう。でも正直に言うと、僕もこの味が一番好きだ。
……
-ミント味(花葉のメーレ)
全オンパロスにおいても、このメーレを注文するのは樹庭出身の者しかいない。その味の主張はとても強くて、彼らの研究テーマと同じくらい強烈だ。
議論好きで、何事も徹底的に詰めてくるけど、いざという時は結局やつらが頼りになる。
残念ながら、あの毒舌教授が自ら石になることを選んでから、もう誰もこれを注文しなくなった。
-何でもいいから適当なやつちょうだい(ダメ)
こいつら、ただおしゃべりに来てるだけで、メーレなんて全然好きじゃないんだ。追い出しても構わないさ、ファジェイナ様もきっと褒めてくれる。
「濃度順」
こんなの書いて何になるんだろう。ファジェイナのメーレの濃度は完全に気まぐれだし、セイレンス様が引き継いでからもそう変わってない。まあ書き始めちゃったからにはちゃんとやろうかな。
とはいえ濃度は無作為だから、その好みで人を判断するなんてナンセンスさ。
-とても薄い(酔い度1割未満)
こんなメーレが好きなやつはヘタレ!!!!!!飲みやすくて、大衆に愛されている。海洋の神力が胃から口まで跳ね上がりそうになった時、誰もが次に開けるメーレがこの濃さであることを願うものだ。
この濃度を好む者たちは、親しみやすい性格の持ち主で、まさにフヌケそのものだ!例えば、あの入隊して間もない異邦人の若者たちみたいに。まあ彼らも千歳を超えているけれど。
-薄め(酔い度1割~2割)
お?これは僕の好みなんだよね。僕を見れば、この濃度が好きなやつの性格がよくわかると思うよ――明るくて、探究心があって、長く付き合うのに最適!唯一の欠点は気分屋なところかな。
ちなみに、コットン味がおすすめ。
-普通(酔い度2割~3.5割)
この濃度を好む人は、一言で言えば「一般人」。よくやってるのは、仲間と集まってグイグイ飲み続けること。
「ゴクッ――くぅ~!このメーレの濃さ、最高!ファジェイナ様に感謝!」
そういえば、いつも二人でいるなんとか卿となんとか卿も、この濃度が好きだったな。にしても、あの人らの爵名って本当に覚えにくいなぁ。
-濃い(酔い度3割~5割)
知らん、知りたくもない。
-とても濃い(酔い度5割以上)
ああ、金織卿様、あなたの腕が恋しい…
この濃度が好きな人は、戦場で数々の功績を残した人か、心や体に傷を負った人が多い。
もしくは生まれついての強い意志の持ち主。こういう方々と友人になることをおすすめする。彼らが口にする物語は、僕を溺れさせるほどのものばかりだ。
-偽メーレ(酔わない、味だけを真似た飲み物)
忘れるところだった、こんなのあったな。
伝説では、昔あるメーレの管理人が、とある人質の聖女様のために特別に調合したものと言われていた。後になって、それは誤解だと判明したらしい。
本当はお蔵入りにされるはずだったところ、誰かが見つけて、メーレの代用品として出回ったんだと。戦場で酔っ払うわけにはいかないからね。
今はもう在庫がない。もともと生産量が少なかった上に、宴が始まる前に一匹の猫がそれを全部飲んでしまったからだ。
一度味わってみたかったなあ。
「あとがき」
ああ!セイレンス様よ、この石板の手記を書くのに、六時三刻もかかってしまった。書き終えた時には、僕はもう完全に酔いが覚めていた。
僕は何を書いていたんだ?何なんだこれは……?
まあ、どうせみんな酔ってるし、宴も終わらないし、何を書いたって誰も気にしないだろう。記念にこの石版はここに置いておく。
にしてもセイレンス様、本当に僕は何を書いてたんですかねこれ。飲み直したいし、ここまでにします。
ボリュクスの冥界幽便
冥界の知人から届いた絵葉書。竜の鱗に絵が彫り込まれているようだ。下部には枯れたアンティリンの花が添えられている。
開拓者様へ
この世では、私たちはまだ一度も出会っておりませんので、正直なところ、どのようにご挨拶すればよいのか分かりません……
キュレネ様が冗談めかして「この生で開拓者はあなたに抱擁の借りがあるのよ」と言っていたことがあります。最初に聞いたとき、なんとも気恥ずかしい話だと思っていました。けれども私が冥界へと沈み、長い歳月を耐え忍んでいるうちに、ふとあなたと出会えたもう一人の私を、羨ましく思うようになりました――そしていつしか、この虚妄の借りが本当に返される日を、待ち望むようになっていたのです。
このような私を、どうか笑わないでください。
冥界は私が思っていたよりも美しく、そして寂しくて静かなところでした。私はこの地で妹のボリュシアに会い、見覚えのある顔も知らない顔もたくさん見かけました――例えば、最初の火追いで命を落とした数百人の英雄たち。彼らの理性は既に朽ち果てていましたが、胸元の勲章は今なお輝きを放っています。そして、アグライア様。彼女は私にエンドモを一匹授けてくれた後、花畑の中へと静かに消えていきました……
その少し後のことですが、トリビー先生も神力を使い果たし、スティコシアと創世の渦心を繋ぐ通路を開き、セイレンス先輩の神力によってそれを維持されることになりました。トリビー先生は去る前に、この通路をしっかりと守るように私に言い残しました。長い歳月の中で、私は仲間たちが次々と散っていくのを冥界から見届けてきました。その中には、冥界にさえ来られなかった者もいます。例えば…魂を五つに砕いたモーディス様や、自らを賢者の石に錬成してしまったアナイクス先生のように。
ついにオンパロス全土に人類の生存者はいなくなり、セイレンス先輩はライコスを封印するため、やむを得ずすべての神力をスティコシアの宴に集中させることとなりました。海洋の力を失い、スティコシアと創世の渦心を繋ぐ道が崩れ始めた時、私はとうとう決意したのです――死竜の残骸の姿となり、ステュクスの水を操って、その道を守り抜くことを……
死竜となる前に、あなたに何を残せるのか必死に考えました。しかし死竜の身では、もはや誰かの抱擁など望めるはずもありません。
ふとその時、以前、キュレネ様が密かに私に教えてくれたことを思い出しました。前の輪廻では、あなたは私に冥界から「冥界幽便」を送ってほしいと言っていたと。そこで、この身体がまだ筆を取れるうちに、あなたへこの手紙をしたためました。そして、この手紙を生い茂るアンティリン花に託し、冥界から離れさせ、あなたが拾い上げるのを待つことにしました。
いつか、あなたがこの道を辿って創世の渦心へと向かう時に、アンティリンの花々の中にこの「冥界幽便」を見つけてくれるのかもしれません。あるいは、その時既に私の神力は尽き果て、眠りにつき、アンディリンの花も全て枯れてしまっているかもしれません……
それでも、これは決して永遠の別れではありません。もしあなたが救世の使命を果たし、新世界でお会いすることができたのなら…私は勇気を振り絞って、あなたにお願いするつもりです。
…数千年も待ち望んだ抱擁を。
キャストリスより
深海に秘めた囁き
深海に沈んでいた石板。金のインクを用いた美しい筆跡で、故人への想いの数々が記録されている。
海底に潜む一匹のお魚さんへ
あの津波があなたをさらってから、およそ50年の月日が過ぎました。歳月の歩みは海の急流よりもずっと早いものですね。
あなたが去ってからというもの、私はバニオに夢中になりました。魚たちがいなくなった雲石の天宮に、どこか香りが増していたからかもしれません。海底を泳ぐことを好む誰かさんの気持ちも、少し分かるようになりました。流れる水は、確かに疲労と悩みを洗い流してくれるのですね。
ただ一つ残念なことに、耳に心地よい音が聞こえなくなってしまいました。いつも私の耳元で歌を口ずさんでいたあなたのせいで、もう他の歌い手の歌声さえ楽しめなくなってしまったのです。浪漫を司る半神に音楽の美しさを味わえなくさせるとは、なんと罪深いことでしょう。いつになったら、この罪を償っていただけるでしょうね。
しかし最近、ピュエロスから、懐かしい潮の香りを感じ取りました。きっと、あなたの半神としての想いが、こっそりとここを訪れたのでしょう。
本当に、つれないお魚さんですね。そこまで想ってくださるのなら、もう死水に身を潜めることをやめ、私に会いに来てくださればよいのに。私は浪漫の神力を鍛え直しました。私の創造物は海に溶けるはことなく、剣に傷つけられることもありません。ですが、それを纏うに相応しい客人には、一度も出会ったことがありません。たぶん、あなたの姿だけが、この半神の腕前を真に映せるのでしょう。
私は新しいドレスをたくさん、たくさん、たくさん織りました。私の屋敷の密室――あなたもご存知のあの部屋に隠してあります。いつかオクヘイマに戻られた時は、必ずそれらを持ち帰ってください。そのドレスたちは、あなたのために織ったわけではありませんが、醜い者たちの手に渡るくらいなら、いっそ戦火に焼かれた方がいいです。
正直に言うと、あなたにこの手紙が届くかどうかわかりません。これまでに送った49通は、一度も返事をいただけていませんので。まさか、手紙を届ける方法が間違っているのでしょうか……
あなたの司祭は私にこう告げました。石板をスティコシアの海淵に沈めれば、半神には感知できるであろうと。もしかすると、私もカイザーのように、主君を欺いた罪で彼女を海底に沈め、彼女をあなたと魚たちへの生贄にするべきだったかもしれません。しかしあなたは凡人の血がお嫌いで、殺戮の後は、いつもその赤い穢れを洗い流していましたよね。だから、私は彼女を許したのです。
恥ずかしい話ですが、呪いに感情を蝕まれていても、私はカイザーのように無知な臣民たちを永遠に黙らせるほどの決断力を持てずにいます。私はまだ金糸を通して、災厄の中で苦しむ人々の悲鳴や、その心の苦痛を感じ取ってしまうのです。天外より来た賓客の言葉によれば、このような慈悲の心が、かつての生では私を窮地に追い込んだとか。そのことを聞いて、私は不安を感じつつも、どこかで安堵を覚えたのです――千年が過ぎようとも、きっと私は第二のカイザーにはなれません。しかし、氷のような神像にもならないでしょう。
今や、世界中の民や兵士たちが私を見つめています。人々が私という指導者に向ける眼差しは、半神を見る時よりも熱く、その熱から逃れることはできません。私が重い衣装を脱ぎ捨てられるのは、誰もいないピュエロスにいる時か、我が師の笑顔を見ている時、そしてあなたに宛てた、読んでいただけるかもわからないこの手紙を書く時だけ――その時だけは、つかの間の安らぎを楽しむことができるのです。
実は時折、運命の震えを感じ取っているのか、金糸が私に運命の最期を囁きかけてきます。そして、その最期は確かに近づいてきています。法に縛られているとはいえ、神礼官の権能はタイタンさえも凌ぐものでした。50年もの歳月が流れ、我々と彼の力の均衡は徐々に崩れ始めています。大きな戦いが近づき、そして、おそらく私たちは大敗するでしょう。
しかし、私は絶望してはいないのです。なぜなら、あの「歳月」の司祭は約束してくれました。彼女と後継者たちが未来の重責を担うことを。死闘を繰り広げる英雄たちが、災厄の蔓延を抑えられることを。そして、旅立った救世主が必ず帰り、私たちに勝利の凱歌を響かせることを。
彼女の約束を信じたいと思います。そして、あなたのことも…いえ、信じるのではなく、あなたには命じさせてください――あなたは未来で新しい使命を担い、新たな旅路に加わるのです。どうか私のわがままが、王の勅令に代わり、迷えるお魚さんに新しい道筋を示せることを願います。
ここまで言い切った以上、もはや運命を嘆くべきではないのですが…心の水面には、まだ後悔のさざ波があるのです――
もし、あの穏やかで短い歳月の中で、もう一度あなたと共に宴を楽しめることができれば……
もし、あなたが庇護する街で、もう一度あなたに剣の教えを請うことができたなら……
もし、出陣の前夜に、再びあなたに進言を送ることができたなら……
もし、未来でもう一度あなたの歌声を聞けるのなら……
それは、なんと素晴らしいことでしょう。
アグライアより
カイザーの密令:「粛清」リスト
粛清者たちが新たな主に臣従を示した後に与えられた勅命。彼らは短剣で罪を清算し、流れた血で主の権威を象った。
カイニスの弟子ダリウス
汝とその一味は、君主を弑逆しようとした大罪により、本来であれば斬首の上、雲崖の湖底に沈められるべきであった。しかし、カイザーは全宇宙を統べる王にして、その胸懐は天地の如し。カイザーの公正を世に示すため、汝らに罪滅ぼしの機会を与えよう。
法を以て証とし、汝らに命ずる。カイザーとオクヘイマに仇なすすべての者を粛清せよ。カイザーに背く者の血肉は穢れに還し、その魂はステュクスに永遠に封じられん。されど同盟の条約に縛られ、オクヘイマは陽の下で大義を示すことが叶わぬ――故に今、罪人である汝らがこの律令を以て、闇で罪を洗い流せ。
……
粛清者前指導者 カイニス
罪状:カイザー暗殺を企て、君主弑逆の罪を犯す。
刑罰:死刑。君主弑逆の罪により、その身を三千万片に砕き、家畜の餌とし、その魂と肉を大地の糧と化すべし。しかし、神託の者が到来したならば、その命を捧げ物として備えるため、恩赦によりその遺体を砕かないものとする。
カイザー様へ
対象はオクヘイマ郊外にて喉を切り処刑し、ヤヌサポリスに駐屯するカイザー軍に引き渡した。今後、このダリウスがカイニスの名を継ぎ、粛清者の刃は永遠にカイザー様とオクヘイマの法に捧げる。
カイニスへの返書
カイザーは汝の誠意を認め、その褒賞として、剣旗卿より献上された黄金の血を賜る――この血の混ざりし海水にて汝らの刃を鍛えれば、神力を持つ者とも互角に渡り合えよう。されど、汝らは今尚罪人の身である。カイザーの特赦の恩を忘れず、彼女と剣旗の期待を裏切るなかれ。
……
ラードーン同盟代表 アフラニウス
罪状:敵国と通じ、大逆の罪を犯す。
刑罰:死刑。財産はオクヘイマに没収、一族は賤民に降格。同盟の法に基づき、ラードーン都市国家に3000万テミスの賠償金を科す。従わぬ場合、ラードーンの元老も同罪とみなし、粛清リストに追加される。
カイザー様へ
側近三名を池にて処刑し、アフラニウスの首は剣旗卿自らの手により刎ねられ、死体は雲石の天宮に晒した。後に首を七日間、城門前に晒し、カイザーの威光を示す。
カイニスへの返書
七日では短すぎる。朽ちて灰となるまで晒せ。
……
パルフォス王 マリオン
罪状:軍権と戦時税の譲渡を拒否し、同盟の責務を放棄し、火追いの戦いを遅延させ、命に抗う罪を犯す。
刑罰:死刑。汝らの短剣でその者に悲惨な最期を与え、諸国にカイザーの進軍の決意を示せ。
カイザー様へ
7名の粛清者を率いてパルフォス宮殿に潜入し、ルトロにてマリオンを襲撃、鈍い刃にて凄惨な死を与えた。しかし衛兵たちが駆け付け、我々はやむを得ず敵と交戦し、三名の粛清者の命を代価として衛兵を殲滅した。
しかし、パルフォス王室は既にカイザーの仕業であることを臣民に告発し、城内は激しく反発している。
パルフォス人は以前よりモネータ殺害の一件に激怒していたため、この件によって、暴動に発展する恐れがある。
カイニスへの返書
汝らは既に承知している――これはカイザーが進軍する決意を示すための行動である。カイザーに逆らった王は、死あるのみ。軍にも民にも止められる術などない。
カイザーは近日中、自らパルフォスを訪れる。彼らは軍隊、財産、そして万民の敬意をカイザーに献上すべし。一つでも献上せぬなら、パルフォス城内はモネータと同じように、炎の中の塵と化すであろう。
……
ヤヌサポリス司祭団 74名
罪状:ヤーヌスの名を借りて偽りの神託を広め、天外の世界を否定し、火を追う旅を妨害し、君主と民衆を欺く罪を犯す。
刑罰:司祭長は死刑。祭祀の儀式中に死刑を執行し、その名声と威厳を失墜させよ。残りの司祭たちは、自ら舌を切り謝罪すれば、粛清を免ず。
カイザー様へ
粛清者はヤヌサポリスの儀式の最中、矢を放ち司祭長ヴェスタの胸を貫いた。信者たちは、これは司祭が神の意志に背いたことに対する神罰だと信じ、バラバラに逃げていった。残りの73名の司祭は自ら舌を切って謝罪した。しかしその中には老弱の者も多く、7人は苦痛に耐えきれず死亡した。
カイニスへの返書
彼らは罪人とはいえ、死罪に値せぬ。カイザーの名のもと、7名の死者の遺族それぞれに4万テミスを補償として支払え。遺児あらば、オクヘイマにて保護、養育すべし。
……
第三軍団長「鋼甲卿」ルキタルク
罪状:カイザーの軍令に背き、オクヘイマへ軍旗の譲渡を拒否し、出陣前日に逃亡、戦闘放棄の罪を犯す。
刑罰:かつての戦功を鑑み、死罪を免ず。されど、黄金戦争の惨禍が再び起こさぬよう、黄金の血を持つ者は皆カイザーに従うべし。よって、軍律に基づき、その腱と骨を断ち、神力を剥奪し、鎧を剥がした上で、汝らが交替で鞭で打ち、本人が罪を認めるまで続けよ。
カイザー様へ
戦闘の末、粛清者3名が戦死し、力尽きた鋼甲卿を捕縛、後に黄金の短剣にて四肢の筋を断った。罪人は三日間鞭を受け、白骨が露わとなるまで痛めつけても屈せず、カイザーを暴虐の君主と罵倒。粛清者の一人が激昂し、独断で罪人を処刑し、ステュクスにて懺悔させた。
カイニスへの返書
愚か者め!鋼甲卿はカイザーの臣下であり、如何なる罪があろうと、カイザー以外が裁くことは許されぬ!手を下した者を即刻オクヘイマに連行せよ。越権の罪により、その者に聖火焼身の刑を科す!
今後かような越権行為に走る者があらば、汝ら粛清者とて剣旗に「粛清」され、永劫の深淵に堕ちるものと知れ!
山の民の竜騎士一族
モーディスの戦友であるプトレマイオスが晩年に書いた書物。千年以上前にジオクロスが大地獣竜騎士団を結成し、オンパロスにその名を轟かせ、最後は裏切りによって滅びた物語が綴られている。
序文
悠久なる歳月を経緯とし、諸国の興廃を尺度として計るならば、筆者プトレマイオスは全力を尽くし、世の中の歴史と文化に刻まれた偉大なる思考をすべて測り、考証し、書籍に記したと自負している。光歴4153年に至り、筆者は『エイジリア苦祭列伝』の編纂を完了した。オンパロスにおいて光歴前300年から光歴4100年までに存在した、影響力を持った大小の都市国家および都市国家群、計297箇所の変遷を体系的に考証し、史書に記載したのだ。筆者は当時、筆を置き、巻物を閉じ、封印するつもりであった。
然れども、光歴4159年、大工匠ハートヌスがオクヘイマのため戦場に殉じ、聖都にてその葬儀が執り行われた際、筆者はその墓碑銘を執筆するよう依頼された。その時、筆者はふと悟るに至った――歴史に記されるべき者は、世界に恩恵をもたらし、功績が後世に語り継がれる者であり、ケファレの末裔だけではないはずだと。そこで再び筆を執り、広く史料を求め、散逸した異民族の歴史を収集・編纂することにした。今、山の民の竜騎士たちの物語から始め、かの英雄たちの壮烈な足跡を記すことで、オンパロスに生きる人々の歴史絵巻を描き尽そうと考えている。
……
第二巻:竜騎士団の結成
……
「山を拓いた者」ジオクロスがケンパー山脈にて燎原の炎を掲げ、山の民一族を導き、混迷の危機を脱して歴史の奔流にその身を投じた時より、部族内の分化が始まった。武器を捨て、鋤を取り、農耕や採掘に従事した者たちは、やがて黄金戦争に巻き込まれ、暴君の苛政のもと、昼夜を問わず働かされる奴隷と化した。一方、ジオクロスの志を受け入れ、武器を手にした者たちは、部族の地を自らの手で取り戻すことを誓い、彼の下に軍を結成した。
光歴3798年、山の民の軍勢は初めて黄金戦争に参戦し、その耐久力と卓越した肉体をもって、十日のうちに三つの城を攻略した。しかし、彼らの欠陥はすぐに露呈した。行軍は遅く、考えは鈍く、戦略は硬直的で、何より戦争の経験に乏しかったのだ。慰霊の月になると、風雪が天を覆い、関所は雪に閉ざされた。オレノスの僭主は策を弄し、山を拓いた者の部族を罠に誘い込んだ。山の民が寒さと水を恐れる天性を利用し、上から氷泉を注ぎかけた。300人の山の民の戦士たちは寒さと飢えで身動きができず、全員が捕らえられ地下牢に投げ込まれた。こうして、山の民は各国にとって争奪される奴隷と化し、僭主はその利を貪っていた。首領のジオクロスですら処刑されることなく、ただ拘束されていた。だが、まさに僭主のその強欲さこそが、後に彼の国と命も失う運命を招くこととなった。
当時、山の民を幽閉する地下牢には、捕らえられたばかりの山の民の精鋭たちの他に、数十頭の大地獣も囚われていた。これらの創造物もまた商人たちにとって貴重な存在だった。強健な大地獣は荷役に使える上、老いて弱った大地獣は軍糧とすることができた。山の民は同じくジョーリアの創造物であり、生まれながらに獣語を理解できる。ジオクロスは看守の油断に乗じて、獣舎に忍び寄って密かに策を伝え、大地獣たちを説得した。大地獣たちは蜂起への加担を快諾した。やがて雪が晴れ、僭主は地下牢の囚人たちの移送を命じた。牢の扉が開かれた瞬間、砂煙が荒れ狂ったように巻き起こった――山の民たちは大地獣を駆り、雷霆のごとく突進し、僭主とその軍勢を瞬く間に踏み潰して肉泥へと変えてしまった。
……
暴君を討ち、乱を鎮め、オレノスを解放した後、山の民の部族は軍備を整え始めた。その間、ジオクロスは昼夜を問わず軍略を研究し、軍備を強化した結果、竜騎士の精鋭軍団を作り上げた。歩兵と比べ、竜騎士団は機動力の欠陥を補い、大地の創造物の勇猛さを遺憾なく発揮した。その攻勢は、一度勢いに乗ると立ちはだかる者すべてを一瞬で潰してしまうほどだった。罠を仕掛ける者もいたが、大地獣を牽制できる罠自体がそもそも稀少で、さらにジオクロスは戦いを重ねて経験を積み、策に陥ることはほとんどなくなった。光歴3840年までに、竜騎士団はオンパロス全土にその威を轟かせ、オレノス高原を拠点として大地の生命を守護する旗印を掲げ、諸国はその矛先に触れることすら恐れていた。クレムノス軍が迎撃を試みたが、ジオクロスは陣地戦の不利を見抜き、先陣を撃破すると、迅速に撤退した。クレムノス軍は去りゆく竜騎士団の前に為す術もなく、ただ立ち尽くすばかりであった。
……
……
第四巻:伏龍荒笛
……
光歴3865年より、エーグルの気候バランスが崩れた。オンパロス内陸部は干ばつと洪水に見舞われ、作物は実る前に枯れ果て、餓死する者が野に溢れる事態となった。飢饉に苦しむ各国は、大地の創造物に目を付け、その種族を食料として狩っていた。歴史の記録によると、本来群れで野に集うはずだった恐生の愚鳥やオーデュボンハトなどの種は、乱獲によってわずか5年の間に絶滅してしまったという。
同胞を守るため、ジオクロスは竜騎兵を率いて各地を何度も急襲していた。出陣を重ねるにつれ、「山を拓いた者」はケファレの末裔が文明という仮面の下に隠している残虐性を看破した。彼は大地獣が真っ二つに切り裂かれる際の断末魔を耳にし、沸騰する大釜の中でもがくキメラを目の当たりにした。一方で、その犯人たちは傍らで唾を垂らしながら食事を待っていた。数々の惨状を目の当たりにした結果、かつて正々堂々の振る舞いを見せていた英傑「山を拓いた者」は、次第に冷酷で暴虐な性格になり、異種族に対し、残酷な報復を遂行するようになった。
光歴3868年昼長の月、竜騎士団がヘロンカサス半島に遠征し、暗黒の潮に囚われた大地獣を救出した。その後、エドゥリア湾を横断し、クレムノス砦を迂回、樹庭東麓の山々を越え、オレノス高原へと戻った。ドロス平原を通過中、竜騎士団は戦場で一頭の巨大な大地獣を目撃した。数多の幼いキメラを背負い、混乱する戦場に佇む姿は、通常の大地獣よりも遥かに荘厳で雄々しかった。その時、周辺の都市国家の軍勢が包囲網を敷き、大地獣目がけて矢の雨を降り注がせた。矢は巨獣の皮膚を傷つけることはできなかったが、背負われていた幼獣たちは次々に落ちていった。巨獣はまるで深紅の衣を纏ったかのように全身を血に染め、大地を揺るがす悲痛な咆哮を上げた。
その状況を見たジオクロスは、即座に竜騎兵隊に突撃を命じた。洪水のように押し寄せる鉄騎を前に、敵軍は四散して逃げた。「山を拓いた者」は素早く前に出て、まず巨獣の傷を確認し、次に敵軍の素性を聞き出そうとしたが、巨獣は黙ったままだった。ジオクロスは自ら竜騎兵を率いて敵を追跡し、城下まで追い詰めた。土と石で築かれた城壁も竜騎兵の前では紙のように脆く、瞬く間に都市国家の半分が踏み潰された。
竜騎兵が追い討ちをかけようとした時、巨獣が駆けつけて制止した。「山の民は代々、武力を好まぬ…このような所業、あなた、何者だ」。ジオクロスは呆れ返った。「竜騎兵がお前を救ったのに、私を非難するというのか」。二人は崩れた城壁の間で激しい格闘を繰り広げた。ジオクロスは山の民の将として、常日頃から神の如き力を誇り、大地獣との力比べでも引けを取らなかった。だが今回は、どれほど押しても巨獣はびくともせず、逆に一歩一歩ジオクロスを追い詰め、ついには轟音と共に城壁へと叩きつけた――飛び散る瓦礫の中、英雄はしばらく壁に埋まった後、しばらくして埃まみれの姿で這い出してきた。
……
巨獣荒笛の加勢は、竜騎士団の覇業における最後の要となった。かつての山の民はジオクロスが全体を統率し、今や大地獣の軍勢も、大地獣の王の号令のもとに進軍できる。もはや大地獣を制するための仕掛けや罠も、無力と化した――荒笛は戦いのたびに先陣を切り、岩をも砕く力と刀剣すら傷つけられない鱗を持って、幾多の障害を踏み潰して平坦な道にしてしまった。
荒笛の最も重要な功績は、軍中に渦巻く殺気を沈めたことだ。当時、山の民の中で最初に反旗を翻した指導者ジオクロスは、騎兵隊を率いて数々の都市国家を滅亡させた。その行いは正義のためであったが、彼は次第に慈悲の心を失っていった。
荒笛が陣に入った後、山の民の血に流れる寛容な本性が目覚めた。彼は敵陣を圧倒的な力で踏み破りながらも、容赦のない態度で味方の暴虐を制止していた。最初、ジオクロスは敵の執念を危惧していた。しかし荒笛の統率ぶりを目の当たりにし、クレムノス軍でさえ竜騎士団に歯が立たないのを見て、ようやく信頼を寄せるようになった。こうして、正反対の性格を持つ二人の英傑は、最も親密な戦友となった。
荒笛は「山を拓いた者」の荒々しい気性を慈悲深く正し、「山を拓いた者」の覇道もまた荒笛に影響を与えた。人の世から五千年余りを隔てた大地獣の始祖は、初めて謗りの言葉、人の心の悪、そして…裏切りといったものを知った。祖先の言葉を捨て、故郷から逃れた「山を拓いた者」であるジオクロスは、その真意を深く理解していた。誓いに忠実な古獣に対し、彼は裏切りと生存の哲学を言葉と行動で教えた。人間と獣、互いの絆は戦友として、家族として、もはや切っても切れないものとなっていた。
それから50年余り経ち、ジョーリア討伐戦において、「山を拓いた者」は最も信頼していた戦友の裏切りを目の当たりにした。不敗を誇った竜騎士団は、決壊した堤防のように崩れた。敗走の中、彼は降伏を拒み、岩の淵へと落ちていった。
「生き延びることだけが忠誠に値する。それ以外のすべては、裏切ってもかまわない」
……
簡潔なメッセージ
意識ワープで列車を離れる前に、丹恒は車掌に短いメッセージを残した。
車掌へ:
突然いなくなってしまい、申し訳ない。車掌が一生懸命俺と開拓者が乗っていた車両を探していることは承知している。
別れを告げてから行こうと思ったが、外界とオンパロス内部では時の流れに差がある、もう時間がない。
車掌の目を見た。あれはミハイルさんの話をしていた時と同じ目だ。
余計な心配をかけたくないから、このメッセージを残しておく――
必ずあの二人を無事に連れて帰る。
約束は必ず果たす。これも列車の「護衛」としての務めだ。
どのくらい時間がかかるかわからないが、心配になったらこのメッセージを見てくれ。少しは安心できるはずだ。
あいつがいたら、きっとこう言うだろう。ソーダ豆汁がまだ冷蔵庫に残ってるから、絶対諦めたりはしないと。
だから、三月が目覚めるまで、ちゃんと面倒を見てやってくれ。では。
「大地」の夢に関する断片的な記録
長い夢に関する記録。その寝言のような欠片たちが、丹恒の意識の奥底で「大地」の火種が呼び起こした共鳴について語っている。
「大地」の火種を受け継いでから、時折、長い夢に落ちることがある。
おそらく、「大地」の火種と共鳴した結果だと思う。夢は断片的で、非論理的かつ感覚的な体験で構成されているため、長期的な記憶に変換するのが難しい。その中で見聞きした欠片を記録するしかなく、論理性に欠け、正確とも言い難い。
視界を覆い尽くす巨樹、落ちてくる一枚一枚の葉が生命と化し、無数の生き物たちが駆け寄り、俺を取り囲んでいた。肩に鳥が止まり、足元ではキメラが戯れ…そばに寄り添ってくる。俺はまるでゆっくりと動く大地獣になって、この大樹を見守っているかのようだった。だが、大樹は俺にこう告げた。「我はもう死に逝く身である」と。実際に俺も、この大樹の命が尽きようとしているのを感じた。
「我が死んだ後、どうか我を埋葬してほしい。大樹をどう埋葬すればよいのかと?向こうの村の大工に我の体を託すといい。この体で巨船を作らせ、その船に乗って、この仔らを連れて、この地を離れてほしい」
俺は黙って頷いた。大樹はさらに声を高くして言った。
「太陽は昇り、また沈むだろう…其方はそうやって100年の間、我を守り続けてほしい」
「100年、この船に乗って遠くへ航海し、我を待っていて欲しい。必ず其方のところへ帰ると約束しよう」
大樹は一枚の葉も落とさず、轟音とともに倒れることもなかった。だが、何かが突然崩れ去ったように、大樹はすでに死んでいた。俺が大樹が言った村を訪れると、村人たちは俺の説明を聞き、巨木で大きな船を造り始めた。木船は時の流れと共に朽ち果て、腐った船体は新しい板に取り替えられていった…そうして、ついに船は進水した。
船はすべての生き物を招き入れ、ゆっくりと航海を始めた。俺は自分に、これから百年を待たねばならないと言い聞かせていた。大樹の言った通り、太陽は東から昇り、西へと沈んでいく。炎のように赤く、静かに沈んでいった。それが初めての太陽だった。やがて太陽は再び昇り、そして沈んだ。俺は心の中で、これが2日目だと数えていた…いつしか、どれだけの日数を数えたのか忘れてしまっていたが。
気がついたとき、木船はすでに星空を進んでいた。銀河の奥深くで、暁の星が一つ、遠くで煌めいているのが見えた。
その時、俺は気がついた。「百年はもうとっくに過ぎていた」と。
これはただの一夜の夢。神話は万人の夢であり、夢は個人の神話という言葉を聞いたことがある。この夢が何を意味するのか、俺にはわからない。ただ、ある種の願望の投影に過ぎないのかもしれない。
霞空のメイデンの冒険
オクヘイマの露店で売っている出所不明の書物、その作者は――霞空のメイデン本人?本当に幽霊じゃないの?
ウチ、なんだか今の状況が分かってきたかも。
こっちに来たのはいいけど、ウチは身体がないみたい。
今のウチは幽霊ってことなのかな、
それも「霞空のメイデン」って呼ばれる幽霊。
…誰も怖がらないといいんだけど。
ウチのことが見える人は誰もいないし、
ウチも誰かに干渉したりできなかった。
ブラックスワンの言う「ミーム」って、多分こんな感じなんだろうね。
でも、ウチはきっと痕跡を残してるはず。
…だって、みんなが話してる「霞空のメイデン」って、あれ絶対にウチのことでしょ?
ウチの記憶では、あの赤い髪の女の子に出会った日、
あの子は密室で祈りを捧げていた――
「私は使命を引き継いだ。これから旅立つの……」
きっと、大切な何かがあったんだろうね。
「ママ…また明日ね」
ウチは悪い予感がして、彼女の後を追ったの。
そうしたら、やっぱり理不尽な衛兵に止められちゃってた。
でもウチに何ができるっていうの?
…あの子の旅立ちを手伝いたいのに。
でも、何もしないままなんて、ありえない!
「ミーム」にだって、「ミーム」だからできることがある――
ウチは盾にも、槍にもなれる、
そう、崩れ落ちた柱にだってなれるんだから……
「まさか、タイタンがあの方の味方をしているとでも…?」
違う違う!ウチが彼女の味方なのよ!
…もし本当に彼女の前に姿を現せたら、
もっと力になれたのかもしれないね。
「やっと逃げ切った…この門の向こうには、どこまでも広がる世界が待っているのね」
「私の旅はここから始まる」
彼女は無事に旅立った。
でもウチは、「ミーム」としてもう疲れ果てちゃった。
…気がついた時には、もう別のどこかにいた。
「彼女はアンタのことを忘れる、アンタは誰の記憶にも痕跡を残さない…」
なんだか別の自分が話しているような気がする。
ウチのメンタル、まだ大丈夫かな?
ううん、きっと大丈夫!ウチがおかしくなるなんて、考えられない……
でもね、ウチは痕跡を残さなかったわけじゃないの。
彼女はウチのことを覚えていないかもしれないけど、ちゃんと旅立ちに出たんだし。
その旅立ちの日にあった、あの「非合理的な世界観」こそがウチの痕跡ってわけ。
まさに、「霞空のメイデン」のようにね。
オンパロスはウチのことを覚えていないけど、「霞空のメイデン」の伝説は至る所に残ってるんだから。
諦めるにはまだ早すぎる!
いつか必ず、オンパロスは「霞空のメイデン」の正体を知ることになるんだからね!
オンパロス開拓日誌・再創世の前に
オンパロスに戻った後、丹恒が書いた開拓記録。あれ?今回はとある可愛い女の子のコメントが加えられてるみたいだね?
……
前世ではフレイムスティーラーの阻止に注力していたから、「再創世」を見逃してしまった。しかし、まさか今世で目にすることになるとは思いもしなかった。
不思議なことに、「前世」や「今世」という言葉遣いにも慣れてしまった。大地の火種を担うようになってから、オンパロスとより深い「血のつながり」のような関係になったからか?それとも、この旅で輪廻転生の記憶が呼び覚まされたからか?
とはいえ、開拓日誌を独り言のような独白にするつもりはない。それは三月のやり方だ。
「ちょっと!それを言うなら、ウチの文章は生き生きとしてて面白みがある、でしょ~!」
列車から帰還し、記憶の潮に身を投じて以来、奇怪な出来事が次々と起こっている。それらを一つ一つ記録しなければ、客観性を失うかもしれない。
樹庭を探索する中、俺は再び「丹楓」――あの避けられない過去と再会した。この身体が、あの光景をあれほど鮮明に覚えていたとはな。もう一度やり直せるなら、たとえ全てを失う代価を払っても、仲間を守る選択をするのだろうか?かつて「丹楓」から投げかけられた質問を荒笛にしたのは、おそらく…自分自身への問いかけでもあった。
荒笛が答えを出した時、俺も自分の決心を確かめた…何度聞かれても、俺は、その答えを変えることはない。
「ウチらに聞いても同じだよ、答えはもちろん――はい!」
開拓者が「歳月」の記憶の潮に落ちたことを知り、長夜月と共にその記憶世界を作り上げたのは荒笛だった…今思えば、あの「大地」の半神がオンパロスの大地をこれほどまでに愛していたとは――記憶の潮の中の巨大な迷宮はまさしく大地そのもので、開拓者はその中のどこかにいる。
俺にできることは、ただ大地の権能を使い、想いを巨樹に注ぎ込み、サーシスが見届けた歴史を辿って、オンパロスを巡ることだけだ。
最初の百年、俺は共に歩んだ小道をすべて指先でなぞり、川や森、都市国家とそこに住まう生き物たちに尋ね、そして、古くから存在していた石や鉱物、山々にも話を聞いた。しかし、まったく収穫はなかった。
次の百年、俺は手のひらで波に触れ、空を見上げることにした。魚の群れと共に最も深い海溝を探り、立ち昇る雲と共に果てしない空を眺めた。それも成果は得られなかった。
そうして、時が俺の旅立ちの決意を少しずつ削っていき、俺は古い岩層の中で彷徨うことになってしまった。だが、記憶の潮の中で忘れ去られた人を探すには、開拓者と共有する思い出だけが頼りだった。それは俺の心の中で何度も浮かび上がり、旅立ちの時の初心を呼び覚まし、ついには開拓者のいる方向を示してくれた。
幸いなことに、記憶の潮は果てしなく広がっていたものの、思い出は長い道の灯火のように照らしてくれた。俺はついに彼女を見つけ、そして彼女と共に三月なのかを呼び戻すことができた。
旅立ちの時から分かっていた――この千年に近い旅は、記憶の潮の外では一瞬に過ぎないことを。心が砕けそうになるほどの経験は、今でも恐ろしく思っている。だが、もうそんなことは気にしていられない。
「こんなに迷惑かけちゃってごめんね…でもまぁ、えへへ…やっぱりウチって、謎の力を秘めた少女なんだよね!」
ここまでの記録により、キュレネと開拓者は「最後の再創世」の準備をほぼ完了している。
それから、三月なのかが「久しぶりの」開拓日誌を「確認したい」とうるさく言っているので、ここでペンを置くことにしよう。
「そう、いよいよ時が来た…オンパロスのために、新しい明日を切り開くんだから!」
一枚のメモ:トリビー
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…まるで鈴のような子供の笑い声が、今も耳元で響いているようだ。
親愛なるグレーちゃんへ
トリアンにもいっぱい話したいことがあるんだ!
だから、「あたしたち」は一人一言書くことにしました……
「ボクたち」はかつて、各地に征戦した黄金裔のために門を開いてきた!
「あたしたち」はかつて、ヤーヌスの神殿で神託に耳を傾けました……
グレーちゃんが暗黒の潮から湧いてきた悪いやつを倒してくれた!
グレーさんがオンパロスのみんなを救ってくれました。
これは、トリアンが頑張って綿を詰めたんだぞ!
それからトリノンが、一針一針縫い上げました。
西風に乗って、花たちが咲き誇る場所にたどり着くように、もう別れを悲しむ必要がないように。
じゃあ――また明日!
一枚のメモ:ケリュドラ
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…手に持つと、確かな重みを感じる。
天外の救世主へ
だが知っておくといい。この戦いは、カイザーの征途の終着点ではない。
僕が見た。宇宙の広大さは、世の人々の目に映る範囲をはるかに超えていることを。
たとえこの人生を繰り返そうとも、幾千年の後に、僕は必ずや天外へと至るだろう。
そして、再び偉大なる征途を始め、星の海を征服するまで進み続けよう。
これはオンパロスが描く絵空事ではない。我が帝国に課す鉄の掟だ。
「汝の民は野原を駆け抜けて行軍し、宇宙を糧とし、殺すべき敵を殺さん」
鉄の掟を見届ける証として、そしてカイザーからの褒賞として、このキングを受け取るがいい。
これは僕と共に出征し、邁進し、凱旋し、諸国の法を蹂躙してきた。
そして今、これは分銅として投じられ、勝利の天秤をお前へと傾けるだろう。
そしてカイザーが戻った時――お前は再び僕の法のために戦うか、
あるいはそれに逆らって、僕と勝負するか選ぶといい。
一枚のメモ:セイレンス
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…メーレの甘い香りが漂ってくるようだ。
灰色の小魚へ
キミの瞳には常に波が宿っている。それは、自由を渇望する回遊魚の眼差しだった。
あの輝く星の海は、あまりにも眩しかった。
何しろ、この池の中では、ワタシにも自分の太陽がある。
このプレゼントを受け取って。耳元の思い出を、私の代わりに連れて行ってほしい――
この巻貝には波の音が宿っている。
たまにこれを頬に当て、故郷の潮騒に耳を傾けるんだ。
メーレの味を、そしてワタシたちの終わらない宴を思い出してくれたら…
それはとても素敵なことだと思わないか?
♫波の音を聞きながら、君の旅がいつまでも平穏であるように♫
一枚のメモ:ヒアンシー
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…心安らぐ薬草の香りが漂っている。
親愛なるグレーたんへ
この世界の人々は晴れた空と、久しぶりの虹を迎えることができました。
これはすべてあなたの努力のおかげです。みんなを救おうとする救世主、つまりあなたのことですが――
そんな最高のグレーたんには、最高のプレゼントがお似合いですよね!
朝に奔る爽やかな風を贈りたかったのですが、あれはガラス瓶に入れると、自由に流れなくなりました。
それからイカルンが傍で身を寄せてきて、ようやく思いついたんです――
ずっと腰にかけていたこのペンダントを、あなたに贈りますね!
これを見ているだけで素敵な気分になり、一緒に過ごした日々を思い出します…
だから、それを腰に留めていれば、
ずっと天空から、私がもたらす温もりを感じられますよね。
そしてあなたの旅路の愛らしい記憶と、癒しの鈴の音を守り続けますように。
一枚のメモ:ファイノン
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…指先から言葉にできない熱さが伝わってくる。
僕の相棒、開拓者へ
エリュシオンの麦畑で、母は幼い僕にこんな童謡を語ってくれた――
英雄は倒れることはなく、いつか必ず僕たちのもとへ戻ってくると。
僕はそれを固く信じていた。
果てしない暗黒の潮が世界を飲み込んでも、英雄は訪れなかった。
僕は何度も期待して、何度も祈りを捧げた。
だけど、黄金の血に染まった時計の針が、何度原点に帰っても…この手は、一度たりとも明日に届くことはなかった。
僕の代わりに、億千万の火種の重さを背負ってくれたのは、君だった。
枯れた骨で作られた煉獄から僕を救い出し、
オンパロスのために新たな明日を書き記してくれたのは、君だった。
そして、僕も心の中の英雄になり、自分だけの運命を開拓できることを教えてくれたのは、
やはり君だった。
名も無き鉄の塊が、傷跡で鍛えられ、苦痛で焼入れられ、幾千万年の輪廻を経て――
最後は君の眼差しの中、ようやく形を成した。
僕の英雄よ。
一枚のメモ:アナイクス
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…非常に厳密かつ丁寧な文章が書かれている。
開拓者へ
あのアンティキシラ人の脳内で、私は天外にある無限の知識を垣間見ました。
そして最後の舞台では、あなたたちが運命を変える奇跡の瞬間が、この目に焼き付けられたのです。
暗闇の中での果てしない探求も、徒労に終わることにならずに済みました。
故に――洞窟の外の真実を目の当たりにした以上、なおさら探求の歩みを止めるわけにはいけません。
真理を取り戻すまで、私は「理性」を貫き通すでしょう。
そしていつか、より神聖で壮大なるものを、再び超越し冒涜してみせましょう!
この世の全ての知恵を宿した錬金の奇跡を、どうか大切にしてほしいものです。
ただし、どうしても道理が通らない分からず屋がいたら、この石の硬さで、奴らの目を覚まさせてあげなさい。
一枚のメモ:アグライア
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…インクの筆跡が優雅な筆記体を描いている。
開拓者様へ
私たちは孤独に火を追いかけていました――灰色の光が、天外より降り注ぐまで。
あなた方はまた旅立とうとしています。遠ざかっていく軌跡は、この糸では到底追いつけないでしょう。
なぜなら、それを重くしたくないのです。ただ一片の羽のように、あなたの手首にそっととどまり、
その身を飾り、その魂を引き立てるものにしたいのです。
「開拓」が宇宙に糸のように交錯する星軌をもたらし、
その銀色の糸が、あなたのために道を示し、あなたのために鳴り響きますように。
一枚のメモ:モーディス
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…強い筆圧が紙の裏まで貫通している。
開拓者へ
戦火が収まったとしても、平和への道を導く者が必要だからな。
真っ赤なザクロメーレを共に楽しもう。
この輪廻の勝利に、そして、星空への征途に!
紛争の怒りが必要ならばこのクレムノスを、俺の血と骨もろとも捧げ、
その開拓の力となり、常勝の手助けとなろう!
一枚のメモ:キャストリス
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…美しい筆跡で、小さな詩を優しく語っている。
開拓者様へ
私たちは泥まみれの荒野に足を踏み入れます。
色褪せた花びらを収め、
枯れゆく悲しみを、旅人の花冠に安らかに留め置きます。
夢にも思いませんでした。いつの日か、花冠をかぶり、
生と死を分かつ境界線――あの雪原を離れ、
温もりに満ちた世界へ往き、
誰かに抱擁され、笑顔を見せる日が来るなんて。
私と共に長い道のりを歩み、冥府の岸辺を渡り、
西風の果てまで赴き、世界の新生を見つめてきたものです。
あなたが疲れた時、あなたの額に留まり、
命の温もりが常にあなたと共にあらんことをお祈りします。
一枚のメモ:サフェル
記憶の星海から、贈り物と共に託されたメッセージ…親しみやすい言葉で綴られた「怪盗メッセージ」。
グレっちへ
「怪盗メッセージを受け取ったら、何かを失う覚悟をしなければならない。」
それぐらいの覚悟、あんたならもうできてるよね?
ポケットを隠すことも、荷物を確認することもない。何しろ、あたしは盗みに来たわけじゃなく――
最後の「分け前」をしに来たんだから。
これを握ってれば、どんな困難も乗り越えることができる。
これを投げて受け止めれば、どんな悩みがあっても足取りが軽くなる。
そうでなきゃ、運命を欺き、未来を盗み取るなんてできないもんね。
だから、この「盗品」をあんたに渡しておくよ――
すべての厄運から逃れられ、欲しいものを手に入れられるように。
風焔の箴言
「風焔」という絶滅大君が残した箴言。
「風焔」という絶滅大君がここに残した箴言:
なおも己が未来に抗い続ける。
幾度もの墜落を代償に、神に傷跡を刻んだ。
その傷は微かにして些細、神の一瞥に過ぎずとも――
「知恵」の障壁を引き裂いたその怒りに、僅かばかりの眷顧を与えた。
この戦いで、神に代わり「鉄墓」を形作る怒りの炎を確かめた。
其は汝の戴冠を待たれている。
そして、かの旧き太陽が、より深き漆黒に呑み込まれ葬られんことを告げられよう。
幻朧の箴言
「幻朧」という絶滅大君が残した箴言。
「幻朧」という絶滅大君がここに残した箴言:
天才の首がその創造者の手によって壊されたこと…?
空虚の王笏が新たな神の寵愛を手に入れたこと…?
新生した大君が銀河に壊滅の栄光を降り注がせること…?
――実に悦ばしい展開ではないか!
然れど妾が気にするのはそれではない、あるいは、それだけではない。
ある同僚の戴冠、あるいは殞落、それほど重要なものか?
妾が望んだのは、「開拓」がもたらす見応えのある余興よ。
この宇宙に生きる衆生、舞台に演じている幻戯のようなもの――波乱万丈でこそ、風情がある。そうだろう?
帰寂の箴言
「帰寂」という絶滅大君が残した箴言。
「帰寂」という絶滅大君がここに残した箴言:
彼が数千万のデータにある一因から生まれたこと。
創造主から賜った無限の奔流から成長したこと。
全てを燃やせる憎しみから爆発したこと。
やがて世界に背を向けて走り、骨と血を死灰に燃やし尽くし、その死灰もまた燃え続けていること。
……
ただ、残念なことに、この墓地から没入型シネマを観るのは、もう我慢の限界だ――
オレが見たいのは、ただエンディングだけ。
人々が創り出した喜劇や悲劇は、どれもあまりに騒がしい…
特に笑い声だ、笑い声が最悪だ。
「壊滅」のために、智者の死を悼むレクイエムを捧げないか?早ければ早いほどいい。「壊滅」はこの地に相応しい静寂を還すさ。
すべての道の終点は、そうであるべきだろ?
星嘯の箴言
「星嘯」という絶滅大君が残した箴言。
「星嘯」という絶滅大君がここに残した箴言:
その後、数億もの時計が動き出したのです。
もしも壊滅の降臨が「鉄墓」誕生を伴わず起きたとしたら、それは――
星々は恐怖に羽ばたく鳥の群れのように――
調和も不調和も、完全も不完全も、すべて堕としてしまうでしょう。
長い名簿
長い名簿、オンパロスで出会った、あるいは噂で聞いた「名前」が記録されている。
長き名簿には、オンパロスであなたが出会った、あるいは耳にした数々の「名前」が記されている。
彼らはセプターδ-me13の幾度もの演算によって生み出された、模擬世界「オンパロス」の単なるデータというだけの存在ではない。あなたが訪れたことによって運命を変え、確かに生き、そして記憶としてあなたの心に深く刻まれた者たちなのだ。
……
ハートヌス、ゴーナウス、バトルズ、ダミアノス、お菓子商人のニケ、吟遊詩人リポ、元老カイニス、ウィルトゥス、ノーデス、富豪ラライド、ソクティレス、学者パラテン、元老エトロ、イアソン、シタロース、クチセフィン、アウロ、ケレース、シギラ、シュネ、パシテア、ダリアン、ケミオン、ブルートゥス、マルクス、エンヴェル、ペトラ、アイユーブ、カッサンドラ、キケロ、アプリエス、アーデー、ディオゲナ、アーレス、ニンフ、ゼノ、パルメニデ、ピューティアー、フォルトゥナ……
ゼノン、コルテス、ルクレティア、カイヤ、ヘゲシア、シーヤ、ペレウス、デモステネス、ボレス、ダ口、アクモン、イクシオン、エウノミア、マカシュ、バッカス、コパース、トゥーレ、ミディフォン、アポロニア、ゼノトス、ミース、エレ、テオプラス、タワナアンナ、スタギラ、ユリア、ウィプサニア、ユリクセス、ヘクレス、エリニュス、エムプサ、アウルス、ジョージ、ユノ、セルウィウス、テレマコス、デウカリオン、カリ、ピリアー、フェナレット、パイラメイク、ワイエス、ロアト、バーント、ゼフェク、ミリオン、キーノン……
ダフネ、パールル、アンセンス、イーライ、サンヤ、バーメン、ヨブ、イナ、パットゥート、ゴータ、ロギア、シスクレール、セフォネ、テリラオス、ウゴス、メトス、ドルスス、エレニ、ソフィア、ニコス、ヘーシア、アリストファネス、クリト、セレ、クリト、ユリウス、シクストゥス、タシウス、カリスト、ルチア、オウィディウス、アミカス、カロン、イーピス、クロニー、ポモナ、キュクノス、ニッサ、レファケ、衛兵ケミオン、パリス、オノーネ、フィロク、青果店のメタネラ、書店のカラペ、ヘレネー、ウラニア……
クラック、クリクス、タース、テュデウス、ブロン、シスクレール、チェラ、トラゴ、セシニエル、ポラン、テタンラトゥール、チシグーン、ロールラン、コドサ、ファオレシス、ルシダ、ヤーロ、アルコス、パウルス、スッラ、コサテール、イグニス、ニス、ヘカテー、デメテル、ハーデス、ペルセポネー、セレナ、アステリオン、エウペーモス、カストール、ジョージス、ポルックス……
ディミトリ、アンドリスコス、マルシュアース、ゴルゴー、先王オーリパン、ケラウトルス、クレメンタイン、ペルディッカス、カリュプソー、バルネアの侍者ダロ、レオンナトス、プトレマイオス、ペウケスタス、ヘファイスティオン、フェーベル、カリドトス、ペルファス、ニコマコス、アンドレアス、クロエ、アルヘナ、ヘルバ、ヒパソルス、ポタモス、メルテス、コデクス、ティトゥスの父、カリニコス、グラヴィタス、アルタカマ、キュナネ、ダゲーラ、ゼルオ、マゲルダライナ、ダナエ、グラウコス、エヴァドネ、メランプス、クロリス、バックス、グラティオネ、ヘクトス、キディオス、イーシア、タイス、エギナ、ディオスリー、ディオスラー、メンター司祭、信者スーシネ、パン……
「長老」アミュネッタ、「スティコシアの女王」、ボリュシア、アポフィス、アクフィス、アモフィス、ティモス、プフォス、「トルディス」、エルペドクレス、カレケッティス、ダンクシー、イトロ、アンカイオス、モートン、クリュティエー、エーラ、タリアナ、エイク、グリュコス、エーキオン、デスビス、「エドガー」、「レイリア」、イオ、セロネス、ユリサ、ニエルヤ……
「陽雷の騎士」セネオス、ルネビス、ソラビス、クリスプス、トクラ将軍、ヒアシンディア、アルティッカス、ゼフロス、イレーネ、モリア、アルセン、ラティーナ、フェディス……
ガルバ、ピュティアス、リウィア、ペソ、ヒエロニュモス、アウダタ……
「冬霖卿」セネカ、「吟風卿」ヴァージニア、「牽石卿」アポロニウス、「断鋒卿」ラビエヌス、ネレイデス、プルデンティア……
「山を拓いた者」ジオクロス、アンティステネス、ケイト…
ディオティマ、フティニ、ソフロニア、アンナス、クリスタ……
そして、名を持たぬ者たち、英雄ではなかった者たち、大地に守られたすべての生きとし生けるもの――
ココボ3世、アステリオン、エウペーモス、カストール、メガ坊、ポルックス、ヘラクレス……
ミュンドラ、レラミュン、ソソラミュン、シドラミュン、シソラミュン、ミレミュン、ミファミュン、ラシシミュン、ドソミュン、ドレミュン、ミラミュン、ソミュソミ、シミュンラミ、ハチミュン、ミドドミュン、シシドミュン、ソラシミュン、ドレレミュン、ミシラミュン……
「自由の角」、プロマネージャー、休暇中毒者、鉄メンタル、られ好き、短気、サボり上手、ゴマすり名人、ひねくれ者、ポポン…
ツヨザラシ、テンシザラシ、ゴムザラシ、マキザラシ、ポンザラシ、オコザラシ、ダークザラシ、オバケザラシ、トゲザラシ、マゼザラシ、グレイザラシ、マチョザラシ、タフザラシ、
ちーたん
……
やがて未来の銀河に広がる無数の世界が、あなたの存在によって彼らを「記憶」することになるのだ。