Khabarovsk
Last-modified: 2018-04-11 (水) 15:36:27
ハバロフスク(装甲嚮導駆逐艦) 
性能諸元 
編集時 ver.0.6.8
・基本性能
Tier | 10 | 種別 | ツリー艦艇 |
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艦種 | 駆逐艦 | 派生元 | Tashkent |
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国家 | ソ連 | 派生先 | - |
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生存性 | 継戦能力 | 22,500 |
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装甲 | 16mm-50mm ・艦首/艦尾 19mm ・砲郭 16mm-50mm ・装甲甲板 19mm-25mm |
対水雷防御 | ダメージ低減 | |
機動性 | 最大速力 | 43.0ノット[kt] |
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旋回半径 | 760m |
転舵所要時間 | 11.1秒 |
隠蔽性 | | 通常 | 副砲 | 主砲 | 火災 | 煙幕 |
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海面発見距離 | 10.0km | - | - | 0.0km | 4.06 km |
航空発見距離 | 4.9km | 0.0km | 0.0km | 0.0km | - |
射撃管制装置 | 船体 | モジュール | 主砲射程 | 最大散布界 |
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A-C | mod.1 | 11.2km | |
・兵装
主兵装 | 口径,搭載基数×門数 | 最大ダメージ(火災率) | 発射速度 | 180度旋回 | 最大範囲 |
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130mm/55 B-2-U, 4基×2門 | HE弾 1900(8%) AP弾 2600 | 12.0発/分 | 9.0秒 | 99m |
魚雷 | 口径,搭載基数×門数(片舷指向門数) | 射程 | 雷速 | 最大ダメージ | 装填時間 | 180度旋回 | 発見距離 |
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533mm ET-46, 2基×5門(10門) | 6.0km | 53kt | 19500 | 127秒 | 7.2秒 | 0.6km |
対空砲 | 口径,搭載基数×門数 | 秒間平均ダメージ | 射程 |
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12.7mm DshK, 4基×1門 37mm V-11, 2基×2門 37mm 46-K, 4基×4門 130mm/55 B-2-U, 4基×2門 | 14 18 49 49 | 1.2km 3.5km 3.5km 5.2km |
・アップグレード
スロットA | スロットB | スロットC | スロットD | スロットE | スロットF |
○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
・消耗品
ゲーム内説明 
嚮導駆逐艦として設計されたこのハバロフスクは、速力においては世界中のあらゆる駆逐艦を凌駕しており、そしてその装甲と砲力は軽巡洋艦に匹敵するものでした。主砲に両用砲を採用すると共に対空機関砲も備えており、優れた対空防御力を備えていました。
解説 
ソ連Tier10巡洋艦駆逐艦。ソ連駆逐艦ツリーの最終到達点にして、もはや駆逐艦の枠を超えてしまった艦。
「装甲嚮導駆逐艦」という説明が全てを言い表している。史実欄に詳しい説明があるので必見。
「火力においては弱点なし」(ver.0.6.8パッチノートより)と言われており、それだけに(ゲームバランスの難しさから)加えられた調整も多い。
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| | 主な性能調整
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主な性能調整
- ver.0.5.12
主砲の射程が減少
- ver.0.6.2
HE威力が向上
参考:reddit記事Sub_Octavian Q&A (3rd March 2017) 内の質問(意訳):
Q「何故RUDDのHE弾を強化するのか?ソ連駆逐艦はダメージを充分出しているように見えるが。」
A「戦艦(BB)をバーベキュー(BBQ)にするのに忙しいので絶対的なダメージ量は良く見えましたが、相対的なダメージは良くなかったからです。」
- ver0.6.4(2017/4/20)
転舵速度が5秒悪化し11.1秒とされた。
主に接近戦での行動を制限する意図の調整とされている。
- ver0.6.8(2017/7/20)
10km射程の魚雷を削除
|
- 抗堪性
継戦能力22,500に加えて、側面主要部に50mm、中央部甲板に25mm装甲を張った、まさに「装甲嚮導駆逐艦」である。特に50mm装甲は多くの巡洋艦のHE弾や戦艦のHE副砲を防ぐため、HPの数値以上に持ちこたえることができる。独巡の特性HE弾には注意*1。
一方で、上がりすぎた装甲が仇となり、AP弾から大ダメージを受ける可能性が上がってしまったために注意が必要だ。戦艦や巡洋艦はもちろん、駆逐艦のAP弾も状況次第では危険である。
また、HE弾の命中はノーダメージであっても爆風によるモジュール破壊判定はある。主砲の装甲は薄いので喰らいすぎは良くない。
本艦は煙幕と引き換えに修理班をもつことができる。どちらが良いかは要検証。
- 主砲
130mm55口径連装砲4基8門、12.0発/分という高い投射量、HE弾の発火率8%を誇る主砲が強み。
主砲最大射程は11.2kmで、スロットCに射程延長アップグレードが無い。上級射撃スキル込みの射程が13.4kmとなっている。
180度旋回の所要時間は9.0秒と十分な性能であり、駆逐艦との機動戦や砲撃を掻い潜りながらの砲戦に向いている。
高威力が特徴のAP弾は横を向いた相手には戦艦含めて充分に刺さる。直撃させれば一斉射あたり5,000以上を叩き出せるので、機会があれば狙ってみよう。流石にバイタルパート貫通が可能になるまで巡洋艦に接近するのは危険。
- 魚雷
2基×5門の計10本。装填は約2分。v0.6.8より、魚雷は射程6kmのET-46のみになった。この魚雷は威力・被発見性においては特筆すべき性能を持つものの、問題はその射程が6kmしかないと言うことである。隠蔽雷撃は不可能であり、魚雷を活かした戦術というのは全くできない。もしもの時の保険と考えた方がいい。
- 機動性
現在実装されている艦では最速の43.0Ktという最高速度を持ち、戦域を縦横無尽に駆け巡ることができる。相手のスキを突いたエリア制圧、敵駆逐艦追撃や撤退には大きなアドバンテージを有している。
もし本艦に捕捉されたが最後、他国の駆逐艦では逃げきれない。味方の援護を得られる位置に誘い込むか、魚雷で迎撃してその隙に逃げ延びるか、いずれにしても厳しい立ち回りを強いることができるだろう。
一方で転舵性能は旋回半径760m、特に転舵応答時間は11.1秒と非常に重い。転舵での魚雷・砲撃回避は大型の船体とも相俟って難しい。早めの転舵を心掛けながら持前の高速を生かしてストップ&ゴーを繰り返すのが正解か。
- 隠蔽
大型化した船体のためか被発見距離10.0Kmという凄まじさであり、このままでは隠蔽に特化した一部巡洋艦にも負ける値である。まずもって序盤の偵察やcapには向いていない。(味方の罵声なんて気にしない)
しかもスロットFは隠蔽と舵が同時に選択できないため、隠蔽と機動性を同時に解決、ということができない。
用法にもよるが、隠蔽はUGとスキルのどちらか片方を妥協して他の能力にリソースを割り振っても良い。両方非採用では一部の巡洋艦に発見距離で劣るリスクが生じる。
- 総評
良くも悪くも究極のソ連駆逐艦と言える。最早巡洋艦と化した艦であるため、偵察や占領と言った駆逐の仕事は後手に回ることが常である。だがここまでソ連駆逐艦を乗って来た者にとってはそんなことは百も承知であろう。
乗り始めは色々と苦労するだろうが、その圧倒的な砲力は敵駆逐艦どころか格下巡洋艦をもねじ伏せることが可能だ。他の追随を許さない速力は戦略的・戦術的にも有用であるため、戦場の火消し役として縦横無尽に暴れ回れば勝利を力尽くでもぎ取ることができるだろう。
偉大なる祖国の艦をここまで進めてきた同志艦長たちには、ぜひとも使いこなして欲しいものである。
同志艦長諸君の健闘を祈る!
史実 
本艦はソビエトが革命直後から冷戦が勃発する頃まで延々練り続けた「装甲嚮導駆逐艦」という構想を具現化させたものである。
基本的にはゲーム内解説に「設計年:1936」と記述されている通り、1936年度に設計された24号計画艦が元ネタとなっている。
しかし、実際の24号計画艦決定稿に比べると速度が大変「おとなしい」数値に下方修正されており、その補填……というわけでもないのかもしれないが、主砲が後年(1939~1940年)の設計案である47号計画艦に搭載予定だったB-2-U両用砲になっている。
これまでのソ連駆逐艦と違ってゲーム内解説で「ハバロフスク = 24号計画艦」と明言されていないのは、恐らくこういった「ハバロフスクは厳密に言うと24号計画艦とはちょっと違う」という事情が原因……なのかもしれない。
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| | 詳細(現在工事中)
|
- 思想的源流(帝政期)
1917年、ロシア帝国海軍は大戦前にドイツへ発注した(そして、大戦が勃発して入手できなくなった)「ムラヴィヨフ=アムールスキー」と「アドミラル・ネヴェリスコイ」をタイプシップとする高速・小型の巡洋艦を新規に設計しようとしていた。しかし、「戦訓に基づいて考えれば同種の艦艇の必要性はない」という反対意見によってこの方針が却下され、それと併せて『装甲巡洋艦「リューリク」をタイプシップとしつつ、300-350発の機雷と投下軌条を装備した艦艇を建造する』という代替案が提案された。さらに、建造時間および費用の面でより有利な代替案として『バルト海戦域向けの強力な砲火力と十分な機雷搭載量を併せ持った駆逐艦を建造する』という案も同時に提出された。
このうち後者の案を支持する側に立つP.A.マトローソフ大佐の主導で設計された、一つの大型駆逐艦設計案が存在する。
その設計案は
「敵の駆逐艦を撃破しつつ味方駆逐艦を先導し、主力艦隊のために索敵を行い、敵性海域において攻撃的機雷敷設活動を行う、砲火力と雷撃能力に優れた多目的小型高速戦闘艦兼高速敷設艦」
というコンセプトの大型駆逐艦であった。
基本的にはガブリール級駆逐艦をより大型化・重武装化させたものであり、2100tの船体に130mm砲8門と76.2mm対空砲2門に450mm3連装魚雷発射管を3基装備するものであった。(艦尾側主砲を1基降ろして魚雷発射管を1基増設するオプション有)
ここまでであれば、同時期の他国も同じような状況であった。
イギリスはとうに何隻もの嚮導駆逐艦を建造していたし、「お隣さん」であるドイツやオーストリア=ハンガリーも2000tを超える船体に15cm砲を積んだ大型駆逐艦をそれぞれ設計しつつあった。
大戦が終わり1920年代に入ると、フランスやイタリアも2000tを超える大型・重武装の駆逐艦を整備し始めた。
駆逐艦の大型化・重武装化はWW1終盤から戦後にかけて、世界のトレンドであった。
もちろん、ロシア海軍のアカい後輩たちも白い先輩たち同様、この流れに乗ろうとしていた。
しかし、彼らの匙加減は世界に比べていささか独特であった……
- 「装甲嚮導駆逐艦」のはじまり(1920年代)
赤軍の海軍再建に向けた動きは意外に早い。
白軍が全ロシアから放逐されてから半年も経たない1921年2~3月には党と国家の方針が定まり、海軍再建に向けた具体的な作業の始業ベルが鳴らされている。
では駆逐艦に関する動きはどうかと言えば、1921年10月に定められた新型駆逐艦の性能要件が最初の一歩である。
ここでは「130mm砲を6門、魚雷発射管を1~2基搭載すること」であるとか、「速度向上を目的とするノヴィーク級の改良はもはや限界である。しかしながら、海外の高速巡洋艦部隊への対抗を考えると5ノットの優速は前提条件であり、したがって最高速度が40ノット未満であってはならない」などといったことが要求された。
このおぼろげな(しかし、その後実際に建造された一連のソ連嚮導駆逐艦たちの土台となった)要求に基く具体的な設計案が作成されたのは、それからおよそ2年後の1923年11月である。
「type1922」とだけ命名された設計案は4000t近くに達する大型艦であり、130mm砲を連装3基/単装2基の計8門(ただし全て露天)も搭載し、4~5門の「アエロプーシュカ」(帝政時代の1914年から延々使っていた「レンダー砲」こと76.2mm対空砲に替わる『何か新しいもの』を積む予定だったので、このような口径すら指定されないフワッとした表記になっている)も搭載する重武装艦であった。
さらに2年後の1925年、当時の海軍士官学校校長であったミハイル・アレクサンドロヴィチ・ペトロフ(1885~1938)から
「甲板を装甲によって保護し、152mm砲を搭載し、強力な機雷・水雷戦用装備を備え、最高速度が40ノットに達する『駆逐艦』を設計すべきである」
というかなり前衛的な提案が提出された。
当時のソ連海軍において理論家としての地位を確固たるものにしていた彼の構想する『駆逐艦』は、攻撃に赴く味方駆逐艦(当時の主力である「ノヴィーク」級が想定された)の支援だけでなく、長距離偵察のような小型巡洋艦の行う任務も担当できる汎用艦としての特性も持っていた。
これは1917年にマトローソフ大佐が打ち出したコンセプトに近いものがあり、実質的な後継案と見ることもできるものであった。
(マトローソフとペトロフは1917年当時共にバルト艦隊に配属されており、何らかの間接的ないし直接的な交流があった可能性もある……かもしれないし、ないかもしれない)
しかし、まだまだ内戦の傷が深い革命直後のソ連にこうした大型艦艇を新規建造する体力は全くなく、できることと言えばせいぜい革命前に建造された艦艇の修理と、帝政海軍が作業途上で放置していった艦艇の建造作業を引き継ぐことぐらいであった。(が、それすらも思うに任せないのが実情だった。)
そしてこの後、具体的な作業に入れないまま40ノット級の大型駆逐艦構想を「現実的」な規模へと落とし込む作業が延々繰り返され、最終的にこれが「1型嚮導駆逐艦(レニングラード級)」として結実することになる。
ここまでの諸案は「レニングラード級へと至る過程で出てきた数々のアイディアの一つ」として書庫の片隅で埃を被っているような、そんなもの……に、なるハズであった。
……ハズであったのだが、どうもペトロフの提唱した「装甲で保護された強力な駆逐艦」という構想は同僚や後輩たちの琴線にクリティカルヒットしていたらしく、これだけは書庫の隅へと追いやられることがなかったのである。
- 幕間:胡乱な話(1934)
1934年2月、一部(の、珍兵器クラスタ)には存在の知られる「クルチェフスキー技師謹製305mm無反動砲」を6門も搭載して最高速度42ノットを発揮する嚮導駆逐艦が、クルチェフスキー技師本人も出席する会議でトハチェフスキー(『あの』トハチェフスキー本人である)から提案されたそうである。(会議には海軍から参謀も参加していたが、「ネズミのように静かに座っていた」とのこと)
同年中に4000tで500mm無反動砲4門を搭載する艦艇の設計案も提出された……らしい。(ただ、この「500mm無反動砲」は「軽巡洋艦用」であるという話もあるため、この設計案は嚮導駆逐艦の流れと無関係かもしれない)
どちらも大変「面白い」話ではあるのだが、どうにもクルチェフスキーの無反動砲(と、クルチェフスキー本人の末路)に関する話はまだ完全に解明されていない部分があるようなので、「胡乱な話」として記すに止めておくこととする。
- 24号計画艦(1935~1936)
閑話休題。
1930年代前半、ソ連は26型軽巡洋艦(キーロフ級)の建造にあたって、OTOやアンサルドといったイタリア企業との提携に成功していた。
これを契機に得られたイタリア艦艇の設計材料や研究データは、今まで沈滞しきっていたソ連造船業界に大きな活力を与えるものであった。
この状況を好機到来と見た偉い人が指示を下したのか、はたまた虎視眈々と機が熟するを待っていた造船官のグループが同時に行動を起こしたのか、それはよく分からない。
ともあれ1935年、海軍造船中央研究所と中央設計局から立て続けに「装甲で保護された強力な嚮導駆逐艦」の予備設計案が提出された。
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| | 両予備設計案の諸元
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| 海軍造船中央研究所案 | 中央設計局案(5種類の案を提出した) | 基準排水量 | 3750t | 2850~3850t |
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全長 | データなし | 133~146m |
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全幅 | データなし | 12.3~13.6m |
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喫水 | データなし | 3.9~4.3m |
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機関出力 | 186000hp | 140000hp(100000hp説もある) |
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最高速度 | 50ノット | 41.5~45.5ノット |
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航続距離 | 2100浬 | 2500浬 |
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甲板装甲 | 40mm | 20mm/25mm/35mm/40mm |
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船体装甲 | 50mm | 20mm/45mm/50mm/60mm |
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兵装 | 130mm連装砲 6基 | 130mm連装砲 4基 |
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45mm単装半自動対空砲 6基 | 45mm単装半自動対空砲 10基 | 12.7mm単装機銃 4基 | - | 533mm三連装発射管 2基 | 533mm四連装発射管 2基 |
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どちらの予備設計案も排水量の割には非常に、非常に強力な機関出力が特徴であった。
両グループが提出した諸設計案のうち、中央設計局の第三案(排水量3350~3500t/全長140n/全幅13m/喫水4.1m/船体装甲45mm/甲板装甲25mm)がさらなる設計案の叩き台として最適であると判断された。
そして1935年12月、中央設計局の設計する艦艇を大規模艦隊整備計画である「『大艦隊』計画」の一部へと組み込むことが承認され、翌1936年2月10日には「予備設計および装甲嚮導偵察艦の全体設計を作成すること」が正式に中央設計局へ命じられ、この計画案に「24号計画艦」という番号が割り当てられた。
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| | この際に策定された装甲嚮導駆逐艦の戦術運用思想
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- I:艦艇の用途
- 1.長距離偵察
a)駆逐艦や他の嚮導艦が撃破可能な、より弱い敵艦の捜索
b)敵巡洋艦からの逃避
- 2.単独行動と単艦襲撃
a)奇襲的な沿岸砲撃
b)嚮導艦、駆逐艦、掃海艇、その他艦艇の撃破
- 3.戦闘への参加
a)敵駆逐隊の雷撃阻止
b)味方が防御していない領域の戦術的偵察
- 4.巡航任務
a)通商破壊
b)独航船の撃破
c)防護が手薄な輸送船団の撃破
d)輸送船団への強襲
- 5.短期的な敵即背面への襲撃
- II:艦艇の主な運用と戦術的要件
- 1.最大戦速……あらゆる駆逐艦へ迅速に追い付き、あらゆる巡洋艦から迅速に逃亡することが可能な速度。すなわち、少なくとも45ノットの最大戦速
- 2.兵装……あらゆる嚮導駆逐艦/駆逐艦および武装商船を撃破するのに十分な砲火力であること。すなわち、最低でも口径130mm、最低でも搭載数6~8門(これは沿岸砲撃にも必要十分な口径である)
- 3.巡航任務を考慮した余裕ある弾薬搭載量
- 4.敵駆逐艦の中距離(70~100鏈 *注:だいたい12.8-9km~18.2-5km)からの砲撃と、行動中の敵軽巡洋艦からの砲撃に耐えうる装甲を持つこと
- 5.機雷源を生成するための装備を保有すること
- 6.不期遭遇戦(夜間や霧中)において魚雷攻撃を行うための装備を保有すること
- 7.航空機や魚雷艇から自艦を防衛するための対空兵装を備えること
- 8.自艦を偽装するための科学兵器を所有すること(=煙幕展開装置の類を指すと思われる)
- 9.5000から6000浬に及ぶ大航続距離を持つこと
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ここにペトロフの提唱した概念がとうとう「装甲嚮導駆逐艦」として具現化したのである。
24号計画艦の設計は速やかに進められ、2月18日に予備設計の決定稿が提出された。
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| | 24号計画艦の諸元
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基準排水量 | 3450~3600t |
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全長 | 140m |
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全幅 | 13m |
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喫水 | 4.1m |
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機関出力 | 140000hp(100000hp説もあり) |
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最高速度 | 47ノット |
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燃料搭載量 | 950t |
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航続距離(16ノットでの巡航時) | 6000浬 |
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兵装 | 130mm連装砲 4基 |
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37mm四連装機関砲 2基 | 533mm五連装発射管 2基 | 機雷50個(積載量超過状態で) |
- 装甲
- 装甲は70~80鏈(だいたい12.8-9km~14.6-8km)の距離から発射される152mm砲弾に耐えうる厚さが設定された
- 船体:50mm
- 甲板:25mm
- 司令塔及び主砲塔:35~60mm
- 機関
- 主機は45型駆逐艦(オピトヌイ)で試験中の新型高温高圧缶を搭載する予定であった
- 兵装
- 主砲は「130mm連装砲」が指定されたが、この当時利用可能な130mm連装砲は存在していなかった(1934年の末から「B-31」の名称でB-13ベースの連装砲塔を開発する作業が始まってはいたが、これは予備設計の段階で開発中止の憂き目に遭っていた。そして、後に「B-2-LM」となるB-13ベースの連装砲塔の開発計画が浮上するのはこれより数ヶ月先の話である)
|
しかし、これ以降24号計画艦の設計作業が進められることはなかった。
造船業界が「大艦隊」計画に必要とされる戦艦や重巡洋艦の設計作業に忙殺されるようになったのが原因であるらしい。
こうして、24号計画艦は『いつの間にやら』雲散霧消してしまった。
しかし、「装甲嚮導駆逐艦」という構想だけはしぶとく、ひたすらしぶとく生き残り続けるのである……
- 47号計画艦:前期(1939~1941)
1939年9月8日、セルゲイ・ペトロヴィッチ・スタヴィスキ中将を委員長とする、新型装甲嚮導駆逐艦(これには47号の番号が与えられた)の要求仕様策定を目的とする特別委員会が設立された。
24号計画艦が雲散霧消して以来、およそ3年半ぶりの装甲嚮導駆逐艦再始動である。
翌年の1月17日、この「スタヴィスキ委員会」からWW2緒戦の海上における戦闘の分析結果に基づく報告書と、それに基づいた47号計画艦の要求仕様が提出された。
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| | 報告書の内容
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- 1.駆逐艦を攻撃開始から離脱まで嚮導する艦艇として、大型駆逐艦は不適な艦種である(装甲が施されておらず、良いマトになる)
- 2.なので、装甲化された艦艇が必要である(軽巡洋艦を恐れる必要がない程度には)
- 3.したがって、大型駆逐艦をさらに拡大し、甲板と舷側に装甲を施すべきであり云々……(中略)近距離において駆逐艦へ打撃を与え、軽巡洋艦を拘束するにあたって、10門の130mm砲は6門の152mm砲よりも有用である(これはモンテビデオの戦いの結果に基づく)
- 速度は嚮導される駆逐艦よりやや控えめでも問題はなく、その分装甲の強化に傾注すべきであり云々……(以下省略)
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この時期のソ連海軍における装甲嚮導駆逐艦の主目的は、「大艦隊」において建造される駆逐艦たちの嚮導(すなわち、雷撃戦における突入および撤退の支援)であり、加えて索敵であったり、バルト海や黒海といった閉じられた戦場における他艦種との協働(戦艦のための対空/対潜支援、巡洋艦隊の一部としての行動、敷設艦との機雷原形成等)であった。
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| | 「スタヴィスキ委員会」が作成した47号計画艦の要求仕様
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基準排水量 | 4500t以下 |
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最大速力 | 36ノット |
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航続距離 | 8000浬 |
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装甲 | 舷側70mm(バイタルパート部のみ/45度傾斜) |
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甲板25mm | 艦首部70mm | 兵装 | 130mm両用砲10門 |
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37mm対空機関砲8門 | 533mm五連装発射管2基 | 偵察機(カタパルトは搭載せず) |
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しかし、今回の要求仕様に対する反応はあまり芳しいものではなかった
労農赤色海軍造船局からは「側面装甲を50mmまで削減し、魚雷発射管を五連装から三連装に換装して最大速力を40ノットまで増大させて欲しい」という要望が寄せられ、海軍参謀本部からは「最大速力を向上させることには需要が認められる。魚雷兵装を『忘れる』ことで達成してはどうか」という意見とともに、「主砲を6門の6インチ砲にすること」(これはは必然的に主砲が両用砲でなくなることを意味した)や「対空火器の口径を45mmまで増大させること」が要求された。
とりわけ参謀本部は本気であり、要求仕様の提出に先立つ1940年1月11日には、海軍参謀本部のトップであるレフ・ミハイロヴィッチ・ハラーから労農赤色海軍造船局局長に宛てて装甲嚮導駆逐艦の仕様策定に関する書簡が送られるほどであった。
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| | ハラーが書簡の中で提案した装甲嚮導駆逐艦の仕様
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- a)武装:152mm連装砲塔3基で計6門。艦首に2基、艦尾に1基配置;45mm半自動砲を8門と12.7mm機銃12門
- b)最大速力:40ノットを下回ってはならない
- c)装甲は以下の三種を区画ごとに分けて考慮すべきである 1)弾片防御 2)想定される交戦距離での130mm砲弾に対する防御 3)80~100鏈(だいたい14.6-8km~18.2-5km)から放たれた152mm砲弾に対する防御(バイタルパート限定)
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こうした関係各方面からの「ご意見・ご要望」を受け取った上で作成された、海軍造船局長であるアナトリー・アレクセーエヴィチ・ジューコフの署名が付いた要求仕様は下記の通りである
『主砲:8~10門の130mm砲 対空砲:37mm機関砲を8門 魚雷:三連装発射管3基 最大速力:38ノット 航続距離:8000浬 舷側装甲50mm、甲板装甲25mm 基準排水量4000t以下』
「ご要望」の大半は無視された。見事なまでの無視っぷりである。
参謀本部の意見がこうも見事に却下されたのは、海軍人民委員部第一副委員であるイワン・ステパノヴィチ・イサコフが原因である。
イサコフは1939年にソ連向け駆逐艦の建造交渉使節団を率いてアメリカへと渡っており、そこで米国の「destroyer(駆逐艦)」を見聞した経験から、「Эскадренный миноносец(直訳すると『艦隊水雷艇』だが、駆逐艦を指す)」にも迅速に両用砲を導入すべきであるとの立場を取るようになっていた。
しかも駆逐艦の主砲を130mm以上の口径に引き上げる必要性はないとも考えているのだから、参謀本部とハラーの意見が通るはずもなかったのである。
一方敗れたハラーであるが、こちらはモロトフ=リッベントロップ協定の締結による独ソの接近(と、米ソ関係の冷却化。イサコフが米国で行ってきた交渉はこれでご破算になった)に伴って編成された「テヴォシアン委員会(イワン・フョードルヴィチ・テヴォシアン率いる技術視察団。グラーフ・ツェッペリンの視察、リュッツォウの購入などを行った)」の一員としてドイツ海軍を視察した経験を持っている。そして、当時のドイツの最新鋭駆逐艦は高温高圧缶と15cm砲を装備する大型駆逐艦であった。
つまり、今回のやり取りは『アメリカ帰り』と『ドイツ帰り』がそれぞれに「自分たちの目で見てきたものこそ次世代駆逐艦のあるべき姿である」と考えた結果起こったものであった。
(と、ロシア人たちは考えているようなのだが、個人的には『15cm砲閥』は単にペトロフの提唱した大本の概念に忠実であろうとしただけであるようにも思えるが……どうなんだろう?)
ともあれ、こうして大口径の非両用砲路線を考慮外となった。その上で47号計画艦の予備設計作業は開始されたのである。
とはいえ、労農赤色海軍造船局には設計作業に携われるような熟練した専門家が不足しているという問題(原因は言わずもがな。シベリアへ送りすぎた)があったため、実際の設計作業は中央設計局改め第17設計局に委託されることとなった。
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小ネタ 
いまひとつ射程が頼りない本艦の魚雷「ЭТ-46(ET-46)」であるが、これは46年から量産が始まった電池式魚雷である。(炸薬量450kg)
「Электрическая Торпеда(電動魚雷)」の頭文字を取って「ЭТ」、46年から量産開始なので「46」……ということなんじゃないだろうか、多分、おそらく、きっと
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