新時代の御料牧場プレイ

Last-modified: 2022-06-05 (日) 11:44:19

新時代の御料牧場プレイ

Winning Postプレイレポより独立

プロローグ

1969年、新東京国際空港(現・成田国際空港)用地確保のため、下総御料牧場は栃木県塩谷郡高根沢町に移転し、高根沢御料牧場となった。
そして1970年代に入ると、中央競馬では国際化の流れが生まれだした。
それと同時に宮内庁の極々一部でこのような声が挙がるようになる。
「御料牧場でも戦前のようにサラブレッド生産を再開して、その生産馬を陛下に所有していただき、世界の大レースを目指すことで国内生産界に刺激を与え、ひいては皇室外交の一環としても利用できるのではないか」
普段なら言ってみただけ…として没にされるはずだったこの提案…しかしこれがどういうわけか陛下の耳に入ってしまい、挙句陛下も乗り気になってしまい、宮内庁内での新たなポスト設置となることから管理部管理課と車馬課の官僚の一部が熱り立ったり、その他農水省や外務省も絡む主導権争い、それを嗅ぎつけた左派系政党による横槍など擦ったもんだの挙句、それでもなんだかんだあって話をまとめ、1976年1月に皇室の所有する競走馬の生産を目的として北海道新冠町に『宮内庁高根沢御料牧場新冠支場』、通称『新冠御料牧場』が設立され、管理は宮内庁管理部管理課と車馬課から人員を抽出して新設された優駿課によって行われる事となった。競走馬の名義上の所有者は陛下であるが実際の運用も基本的にこの優駿課が行うこととされた。
そして牧場落成の際、陛下からはいくつかの「ご意向」を受ける。
・かつて御料牧場が誇ったトウルヌソルや月友の父系もいまや風前の灯でとても悲しいことだ、これが息を吹き返して海外でも勝つようになったらどれほど素晴らしく、喜ばしい事だろうか
・御料牧場所縁の牝系、散逸した種や星の一族は今でも活躍しているが、せっかくならば自分達の手でも勝たせたいものだ
・流行血統の追求は民間に任せて官営の私達は零細血統をこそ保護すべきだと思う
砕いて言えばこんな感じの事を仰せになった。
実態はどうあれオーナーは陛下である以上そのご意向は無視できない。
こうして新時代の御料牧場の挑戦が始まったのであった。

方針

目標
史実期間内(2022年までに)
・トウルヌソル(メイヂヒカリ)の父系子孫で凱旋門賞優勝
・月友(オートキツ)の父系子孫でBCクラシック優勝
・下総御料牧場基礎牝馬を牝系として確立(努力目標)
・自力種牡馬入りでの全父系の保護(努力目標)
の達成
難易度SPECIAL
史実馬原則禁止(10月の繁殖セリと年末引退種牡馬のプライベート入りのみ可能、セリ入手の繁殖牝馬から史実馬が出た場合は子を売却すること)
種牡馬は内国産種牡馬のみ使用可能(持込馬も不可)
繁殖牝馬は全て以下の牝系子孫のみ使用可能
クレイグダーロッチ(新冠御料牧場導入)
種正・種道・星旗・星若・星友・星濱・星谷・星富(下総御料牧場導入)
その時代に存在しない重賞は出走禁止(ただし朝日杯3歳ステークス→朝日杯FSのような名前が違うだけで位置付けが同じものは可とする、高松宮杯→高松宮記念のような条件が大きく異なるものは禁止)
交流重賞は交流元年(1995)まで出走禁止、解禁後もその時代に存在しない競走は出走禁止
海外GIは以下のレースとその前哨戦(中3週内)のみ出走可能、こちらもその時代に存在しない場合は出走不可
英国3冠、米国3冠、サウジカップ、ドバイシーマクラシック、ドバイターフ、ドバイワールドカップ、BCクラシック、BCターフ、凱旋門賞、ジャック・ル・マロワ賞、ムーラン・ド・ロンシャン賞、KGVI、チャンピオンステークス、サセックスステークス、QEIIステークス、コックスプレート、メルボルンカップ

開始時設定

引き継ぎ有
エディットは実名化のみ
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導入種牡馬はザテトラーク復活のためにボストニアンのみ
あと繁殖でスターロッチ
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馬主名義は宮内庁に*1
勝負服は黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)をイメージして葡萄茶一色
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牧場長は民間より牧野氏を招聘
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いつもの無敗三冠女
多分今回はやれないけど
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開場~1980年

1969年
下総御料牧場、栃木県塩谷郡高根沢町に移転。
以後高根沢御料牧場と改称。
1974年
皇室による競走馬所有とそのための生産機能の復活案が宮内庁で議論に。その後陛下の希望もあり国会提出。
1975年
高根沢御料牧場分場案閣議決定、新冠町に用地買収ならびに牧場建設始まる。
1976年
高根沢御料牧場新冠分場完成。以後新冠御料牧場と通称されるようになる。
15頭の繁殖牝馬を導入。
オートキツ号をプライベート種牡馬として導入。
1977年
第一世代15頭無事誕生。
1978年
第二世代13頭無事誕生。*2
1979年
第三世代12頭無事誕生。
この年から第一世代が続々とデビュー。
素質馬パレスワルツの77ことハクメイ(薄明)号(父メイヂヒカリ)が新馬戦勝利を挙げ御料牧場生産馬による初の新馬戦勝利。
オートキツ号種牡馬引退。
1980年
第四世代12頭無事誕生。
ハクメイ号クラシック皆勤(皐月賞2着、ダービー7着、菊花賞5着)。
素質馬パレスワルツの78ことロクメイカン(鹿鳴館)号(父ナオキ)が阪神3歳ステークス*3で2着。

1981年~1990年まで

1981年
第五世代10頭無事誕生。
ロクメイカン号がクイーンCを勝利し重賞初制覇。御料牧場生産馬によるものもこれが初となる。また宮内庁としても初勝利。
ロクメイカン号が桜花賞を勝利し八大競走初制覇。御料牧場生産馬初。
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ロクメイカン号が優駿牝馬を勝利し二冠達成。
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ハクメイ号が目黒記念で重賞初勝利。
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ロクメイカン号がエリザベス女王杯を勝利。
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中央競馬史上初となる牝馬三冠を達成。陛下からお褒めの言葉と関係各者に恩賜のたばこが配られた。
第一回ジャパンカップ開催。当場生産馬からはハクメイ号とロクメイカン号が出走。
陛下が観覧を希望され戦後初となる天覧競馬に。ロクメイカン号が2着に入り牝馬ながらに日本馬の意地を見せた。*4
ロクメイカン号が優駿賞*5最優秀4歳牝馬*6に選定される。
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1982年
第六世代13頭無事誕生。
ロクメイカン号が安田記念、宝塚記念を制覇。宝塚記念は父ナオキとの親子制覇。
最優秀5歳以上牝馬並びに年度代表馬を受賞。
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素質馬バイオストレングスの80ことシンゲツ(新月)号(父オートキツ)が新馬戦を快勝。
そのまま4戦無敗で朝日杯3歳ステークスを制し当年の最優秀3歳牡馬を受賞。
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1983年
第七世代15頭無事誕生。
シンゲツ号クラシック挑戦。しかし遅れてきた怪物ミスターシービーの前に皐月賞2着、東京優駿2着、菊花賞は距離が長かったか4着と涙を飲む結果に。ミスターシービー3冠達成を見届けた。
年末の有馬記念にも出走し3着。
ロクメイカン号が前年に続き安田記念、宝塚記念を連覇。昨年に続き最優秀5歳以上牝馬を受賞。
現役引退し繁殖へ。
ハクメイ号引退、プライベート種牡馬として御料牧場にて繁養。
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御料牧場名馬列伝

ここでは御料牧場生産馬の中でも特に傑出した活躍を見せた馬を紹介します

ハクメイ

ハクメイ 牡
父メイヂヒカリ(ゲインズボロー系)
母パレスワルツ(星若系)
母の父キノー(ハイペリオン系)
主な勝ち鞍
・目黒記念
馬名由来-大気光学現象の「薄明」より

新冠御料牧場第一世代の生産馬。
この世代を最後にメイヂヒカリは種牡馬を引退したためメイヂヒカリのラストクロップとなる。
デビューは旧3歳の12月末と遅くなったもののこの新馬戦を9馬身差で圧勝、遅れてきた大器として皇室所有であることも併せて一部で話題となる。
年明けの条件戦で2着、次走のOP戦は勝利し安定感のある戦績でクラシック皐月賞へ。
ここでは14番人気と低評価だったもののイン突きが炸裂し2着に激走。
ダービーでは6番人気まで浮上するも7着と案外な結果に。
一夏を越して秋は神戸新聞杯から始動し5着。
迎えた菊花賞は5着とそれぞれ掲示板まで。
その後ダートのOP戦に出てあっさり勝って年明けの金杯(東)では5番人気ながら2着に入り古馬戦でもやれる事を示した。
春の天皇賞を目指すべく試金石として日経賞に出走するも4着。
この結果を受け春天は時期尚早と判断され再びダートのOP戦でもうひと叩きされて春の目黒記念へ。
ここを直線一気の末脚でまとめて差し切り重賞初制覇。
これ以降重賞制覇こそ無かったもののOP戦を3勝した他82年のアメリカジョッキークラブカップ、天皇賞春で3着、83年の目黒記念で2着、阪神大賞典で3着と重賞戦線でも度々好走を見せた。
83年一杯で現役引退し、御料牧場プライベートで種牡馬入り。戦前から繋がる父系を未来へ繋ぐ事になる予定
血統表
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父は中山グランプリ(第一回有馬記念)など八大競走を3勝し年度代表馬にも選ばれたメイヂヒカリ。
半妹に三冠牝馬ロクメイカン。
祖母丘高は現役時代クモワカという馬名で走り桜花賞2着。
曽祖母月丘は現役時代エレギヤラトマスという馬名で走り帝室御賞典など46戦13勝。
近親にテンポイント、ワカオライデンなど。


*1 やはり陛下が皇室財産使って直接競走馬を持つのはまずいということになり宮内庁が愛馬会法人(一口馬主クラブ)を作り陛下がそこに全口分出資するという形をとることになった…という設定
*2 ここまでにも庭先取引で入手した架空馬を走らせたが特筆するような戦績でもなかったので割愛
*3 阪神JF
*4 ハクメイ号は10着なお優勝は日本馬ホウヨウボーイ
*5 当時のJRA賞に相当
*6 旧年齢表記