浦和

Last-modified: 2022-11-10 (木) 01:24:20

フォーマットは作るので適当に更新してください

騎手  

ピンクさん

ピンクの勝負服とパドックでの流し目で有名
南関二大目線くれるジョッキーは川崎のせーじと浦和のピンクさん
その競馬人生を語るととんでもない長さになるが...

1978年に宇都宮競馬でデビューする
栃木のトップクラスの一角でありベラミロードやブライアンズロマンといった栃木の名馬たちとともに宇都宮を盛り上げ栃木時代に3000勝を超えた大ジョッキー
この間中央競馬でもラジオたんぱ賞(ラジオNIKKEI賞G3)を制している
しかし2005年に宇都宮競馬が廃止されてしまう
ピンクさんは競馬場の移籍を模索したが当時ほとんどの競馬場には騎手の移籍の年齢制限や移籍人数の制限があり
宇都宮廃止の時点で45歳だったピンクさんは移籍が不可能な状況にあった*1
そこで、彼は現役続行のため固定の所属がない事実上のフリー騎手としての活動を求めていく
当時ちほー競馬にはフリーの騎手は存在せず必ずどこかの競馬場・厩舎に所属しなければならなかったが、この働きかけに応じた岩手競馬が「勝鞍1000勝以上の騎手に限り年1回2か月以内連続4開催まで」乗れるという期間限定騎乗のルールを作りピンクさんを受入れた
今でこそ他場に若手が修行に行ったり北海道の騎手が冬に脱北したり吉原さんが南関にくるのは普通だが、この期間限定騎乗の制度は宇都宮廃止後のピンクさんの働きかけがきっかけとなったもの*2
この期間限定騎乗制度を使って、ピンクさんは所属競馬場のないフリーの騎手として岩手→笠松→浦和→兵庫→佐賀→高知と各地の競馬場を渡り歩き騎手を続けた
のちに日本だけでなくマカオや韓国にまで鞭一本で足を伸ばし、海外通算100勝を達成している
特に韓国ではKRAカップマイル(韓国GII)*3をメイセイオペラ産駒のSoseuldaemunで優勝しておりこれが韓国での重賞初制覇となった

さすらいの終わりは2012年
荒尾競馬が廃止されたのをきっかけに、南関四場に「廃止された競馬場の騎手を一場につきひとり受け入れる」というルールができた
教養センター同期の見澤さんのすすめもあり、その廃止競馬場ジョッキーの受け入れルールを利用して浦和競馬場に腰を落ち着けることになった

還暦を超え流石に騎乗数は少なくなったが今でも南関四場どこでも姿を見かける騎手の一人
同じ内田姓のウチパクとは血縁関係はないがお互いアニキ⇔弟と呼び合う仲
北関東ライン特に栃木勢はいまでも仲がよい

おかださん 

「」ペたちの間ではあまり話題にならない浦和のカイチョー
元益田所属で廃止された競馬場からの移籍組
どうでもいいが元益田の騎手は浦和におおい*4

7月7日

かわいい

まいちゃん

かわいい

調教師

こくぼせんせー

南関の王。

しげた

近年の浦和所属騎手のなかで重賞でバチバチに他場所属騎手とやり合ってたほぼ唯一の存在
戸崎タイツの半期下でみかぽんの半期先輩

ふじわらせんせー

スピーディーキックちゃんのせんせー
祖父も父も益田競馬の調教師で生粋の益田っこ
みかぽんと仲良し
自分が厩務員をしていた父の厩舎ドキュメンタリーがドキュメンタリー大賞候補に選ばれていたりする


*1 同じく宇都宮所属でも、当時新人だったタイツやふじえさんは年齢が若かったため南関に移籍することができた
*2 のちにすべての競馬場で正式に制度化された
*3 韓国のクラシック皐月賞の立ち位置
*4 浦和が年齢制限がゆるく比較的移籍しやすいよう 実はみかぽんが大井に移籍したのは特例も特例の措置である