ベイベ

Last-modified: 2024-03-31 (日) 16:28:58
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概要

後 藤 浩 輝(ご と う ひ ろ き)
べーたなが来る前の美浦のお祭り要員
「ファンサービス委員会委員長」を自称し、ファン向けのイベントやトークショーを主催するなどいろいろやってた人
また勝利騎手インタビューに結構な頻度でパフォーマンスを取り入れ笑いを取ろうとするそして大体スベるのが特徴の騎手でもあった

競馬学校第8期生 同期にはヨコギ*1、よーこー*2、きくざわ弟など
「ベイベ」は03年クイーンCの勝利騎手インタビューが元ネタで付いたアダ名だが、後述する事件の影響から「木刀」というアダ名でも知られてしまっている

師匠との関係

92年、美浦・伊 藤 正 徳厩舎よりデビュー
この伊 藤調教師、調教師としては5年目とまだまだ駆け出し*3であったが、騎手時代は『大尾形』こと尾 形 藤 吉調教師の直属の弟子にして「馬事公苑花の15期生」の一員であり、日本ダービー*4や天皇賞秋*5の勝利経験もある大ベテランであった

トップ騎手の1人として競馬界の裏も表も見てきた伊 藤調教師*6と、「根無し草*7から鞭1本でここまで登ってきた」という若者特有の謎の自信があったベイベ
そんな2人の考えが噛み合うはずも無く、また両方とも思った事を率直に言ってしまう性格だったのも災いし、あっという間に関係は悪化
最終的に伊 藤調教師は「ウチの厩舎の勝てる馬には乗せない」とベイベに事実上のソデ宣言を突き付け、ベイベもそれに応えるように減量特典の無くなった95年に速攻でフリー騎手に転向、翌96年には米国へ武者修行へ旅立つという喧嘩別れの結末となった

木刀事件~師匠との和解~騎手としての躍進

武者修行から帰国後は順調に活躍し、98年には美浦リーディングTOP10に入るなど成績を伸ばしていた

しかしその矢先の99年8月、後輩の東の豊とちょっとしたことからトラブルを起こし*8彼を近くの公園に呼び付けて木刀でブン殴るという事件を起こしてしまう
このことで4ヶ月の騎乗停止を食らう羽目になったが、その際に元師匠の伊 藤調教師がベイベの減刑嘆願のため謝罪行脚をしてくれていたという事を知り両者は和解*9 その後はお互いの家を訪問して一緒に食事をするほどの関係にまで修復された
またこの時、ベイベが米国武者修行の準備として通っていた英会話塾の費用を負担していたのが他ならぬ伊 藤調教師だったことも同時に知れ、2人の関係が実は完全には切れていなかったことも明らかになった

かくして師匠との和解も成り、00年に入るとMCS南部杯(ゴールドティアラ)でGⅠ級初勝利、それ以降も安田記念(アドマイヤコジーン)やJCダート(アロンダイト)などGⅠや重賞における常連騎手となっていく
「ファンサービス委員会委員長」を名乗って色々やり出したのもこの頃からである

相次ぐ首のケガ、そして.....

12年のNHKマイルC(シゲルスダチ騎乗)において、イワータ父が乗っていたマウントシャスタが急激に斜行した煽りを受けて落馬。頸椎骨折&頚髄不全損傷と診断される

同年9月に復帰したが、復帰当日中山第3Rの返し馬でまた落馬、第1・第2頸椎骨折&頭蓋骨亀裂骨折と診断され1年もの間休養
この頃から芸能事務所に所属し、競馬番組でゲスト解説に出演するなどテレビでの活動が多くなっていった

13年10月に復帰すると、その1週間後にMCS南部杯(エスポワールシチー)を制覇し2年ぶりのGⅠ級レース勝利を挙げた
しかし14年4月27日の府中第10Rでまたも他馬の斜行*10の煽りで落馬し頸椎を骨折 一時は引退も囁かれたが、7ヶ月後の11月に復帰しファンからは拍手で迎えられた

15年2月21日、ダイヤモンドSで前の馬に接触してしまい落馬。4回目の頸椎負傷となってしまう
幸いにも骨折ではなく軽い捻挫だったため、22日までの騎乗をきちんとこなし*11た上で翌23日よりリハビリ施設で治療を行うことになった

その4日後.....

2月27日、自宅の脱衣所で首を吊っているのを奥さんが発見、その場で死亡が確認された 享年40という若さであった
前々日の25日には演歌歌手のコンサートに行き、その様子をに投稿するなどいつもと変わらぬ調子であったことから競馬界に激震が走った
4月5日には中山レース場で「メモリアルセレモニー」を開催 通常の引退式と同じく、騎手の胴上げ*12をしたうえでゴトウコールの斉唱も行われた

主な騎乗馬

  • 主戦騎乗馬は太字、GⅠ級勝鞍は赤字、未勝利レースは銀字

ウマ娘

馬名騎乗数主な騎乗レース備考
ロイスアンドロイス4 / 28◆93年4歳未勝利
◆94年むらさき賞
彼が騎乗したときは2勝と2着1回と相性が良かった。
もしかしたら、主戦だったら重賞は勝てたかも?
シンコウウインディ1 / 17◆99年安田記念(13着)
デアリングハート4 / 26◆06年NHKマイルC(2着)、府中牝馬S
スマートファルコン1 / 34◆07年2歳500万下
ワンダーアキュート1 / 48◆09年青葉賞(10着)
エスポワールシチー3 / 40◆13年MCS南部杯JBCスプリントJCダート(7着)
キタサンブラック1 / 20◆15年新馬戦

非ウマ娘

馬名騎乗数主な騎乗レース備考
シルクグレイッシュ2 / 16◆94年福島記念
◆97年バレンタインS(9着)
ユーセイトップラン3 / 43◆00年ダイヤモンドS伝説の3角捲りは有名
ステイゴールド5 / 50◆00年オールカマー(5着)ジャパンC(8着)有馬記念(7着)
◆01年宝塚記念(4着)京都大賞典(失格)
ゴールドティアラ5 / 32◆00年エルムS(6着)MCS南部杯
◆01年フェブラリーS(5着)京王杯SC(7着)
ベイベのGⅠ級初勝利
アドマイヤコジーン8 / 23◆02年東京新聞杯、阪急杯、安田記念02年1月~11月まで主戦
クラシック期の00年にも2回乗っている
チューニー5 / 13◆03年クイーンC、オークス(2着)クイーンCでの勝利騎手インタビューにて「ベイベ」発言
ローエングリン11 / 48◆03年中山記念、マイラーズC、ムーラン・ド・ロンシャン賞(2着)
◆07年中山記念
正 徳師の管理馬
マイネルレコルト10 / 19◆04年新潟2歳S、京王杯2歳S(5着)朝日杯FSデビュー~05年10月まで主戦
アロンダイト12 / 16◆06年魚沼特別、銀蹄S、JCダート06年7月以降主戦
ショウワモダン12 / 47◆10年ダービー卿CT、メイS、安田記念
エリンコート5 / 18◆11年忘れな草賞、オークス
シゲルスダチ4 / 34◆12年マーガレットS、NHKマイルC(中止)

コメント


*1 りゅーとのパパで主に障害で活躍した たけしかずおノリさんと血縁関係はない
*2 でした。に乗り代る前のサイレンススズカ、クラシック期前半のマチカネフクキタル等で主戦騎手も務めた
その後スリープレスナイトでスプリンターズSを制覇し、2018年に調教師となってから2023年にベラジオオペラで大阪杯を制覇、騎手調教師両方でのG1勝利を達成している

*3 後に空中聖戦えあじ君でGIトレーナーとなる
*4 激マブと同世代で女帝の馬主の父親の所有馬でもあるラッキールーラに騎乗
*5 マックちゃん父のメジロティターンに騎乗
*6 父親も騎手・調教師で騎手時代にはダービーを制している。ただし伊 藤調教師も、78年に行われた大僧正の500勝記念パーティで主役である大僧正を煽り散らかすスピーチをするなど騎手時代からやや気性難な面はあった
*7 ベイベは親族に競馬関係者がいない根無し草タイプの騎手
*8 はっきりした原因は今でも分かっていないが、当時の東の豊はメジロドーベルの主戦騎手としてGⅠ街道をバクシンしていた時期でもあり、やや調子に乗っていた面があったという事を付け加えておく。無論実際に暴力行為に及んでしまった時点で悪いのはベイベの方だが
*9 2人の仲を取り持ったのは藤 澤 和調教師であった
*10 なんの因果か、この時の加害馬の鞍上もイワータ父であった
*11 ついでに22日には2勝を挙げている
*12 もちろんベイベ本人はいないので遺影(10年安田記念の時の写真)を胴上げした