大僧正

Last-modified: 2024-02-05 (月) 08:46:08



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岡部君…? (「ルドルフの背」裏表紙の画像より)

ルドルフの背

最近、ものすごい値上がりをしているらしくて「買えない」「図書館に行っても貸し出し中だった」「地元の図書館になかった」などの声があるようなので
(違う自治体の図書館同士で「相互貸し出し制度」を設けていることもあるので地元に無かった、という人は調べてみるといいかも)
よくネタにされがちな物の元ネタであろう一部を抜粋

37度の体温

馬にまたがったとき、騎手が馬を直接感じるのは内股と膝、ふくらはぎ、くるぶしなどの内側だ。乗馬ズボンの比較的厚目の生地を通して37度の体温も伝わってくる。ルドルフの場合も、そこらあたりは毎年またがる3歳馬*1と同じだった。だけれど何かが違う。雰囲気と言ったら一番正確に違いない。この雰囲気というやつが、例年またがる他の馬に比べて半年分は成熟しているな、と感じた。

ルドルフは英語が分かる

「ルドルフくん……よ」
ボクは彼の背から声をかける。
「レースだけど、気楽に行こうぜ。クリス(マッキャロン)じゃないけど、テイク・イット・イージーだぜ。君の頭なら、この程度の英語はわかるだろう………そうだ、気楽にだ。そうだ、そうだ、その調子だ」

スキンシップ

スキンシップは手のひらでする。右手で、時には左手で、ルドルフの首すじ、腰から尻にかけたあたりを優しくさする。このタッチングのねらいは、馬の気を落ちつけること、その一点にしかない。必要とあらばボクはそれを何度もくり返す。ルドルフの心に大きな落ち着きがあらわれるまで、やめない。

ルドルフの汗

ルドルフの皮膚はじつにキメが細かい。そしてよく汗をかく。皮膚のいい馬は必ずコンスタントに汗をかく。冬でも同じだ。そのかわりに汗の乾きも早い。そういういい汗はズボンの布地を通してボクたち騎手の下肢にしみこんでくることはない。

ルドルフの皮膚の美しさ

ルドルフは、おそらく日本でもとびきりの手入れを受けて、現在の皮膚の美しさをものにしたと言っていい。

肌ざわり

ボクはルドルフの体をなでた。最高級のベルベットに触れたように、その表面はやさしかった。

夢みたい

ボクはルドルフと出会うまで、サラブレッドがこんな動物だとはまったく考えもしなかった。こんな夢みたいなことがあるのか、とボクは自分の感覚を疑った。だが、それは実際にボクの目の前で起こっていることだった。

舌を巻くほど賢い(弥生賞後)

ルドルフは負けなかった。土つかずの四連勝を果たした。この燦然と輝く成績と、まだ果てしない可能性を秘めているとしか思えない雰囲気が、和田氏や野平氏やボクを奮い立たせた。つまり、ルドルフを囲む人間たちは、この馬が示し始めた限りない飛躍への意志の前で、喜びに浸るだけでいることを許されなかったのである。
ルドルフは、ボクたちにサラブレッド・レースの奥深さ、恐しさ、そしてそのかなたにある喜びを教えようとしていた、とボクは思う。
舌を巻くほど賢い馬だ。競馬の恐しさのさ中で生きながら、ルドルフだからこそ勝利の後の恍惚と、いつか奈落の底に落ちるかもしれない不安を二つ、その頭脳で感じていたはずだから。

好きなタイプの馬

ボクの好きなタイプの馬は、と言えば、顔のちっちゃな馬である。そして耳が敏感な馬。目は瞳が大きくて、澄んだ明るい目。白目をむき出してギョロギョロあたりを見回しているのは好きではない。被毛の色でいうなら鹿毛。
(中略)
ルドルフの顔は大きすぎず、小さすぎず、体全体とのバランスがとてもよい。しかも顔が引き締まって見える。ボクはそんなわけで、ルドルフと会った時、まだ彼の背にまたがる前から「走る!」と思ったものだ。
耳の敏感さについてはあとで書く。
目の表情、被毛の色については、あくまでもボクの好みである。ルドルフみたいな鹿毛が好きだ。

大僧正、ウマ娘のルドルフの脚質に疑問「ルドルフは大逃げも追い込みもできる」(出典を尋ねている私がいたので横からですが抜粋しておきます、ルドルフの背の114~115Pです)

マスコミ陣の分析によれば、三頭の馬は実に対照的なほど、この日に至るまでの戦法が分かれるということだった。カツラギの典型的な先行逃げ切り型、シービーの最後方(待機)強襲型、ルドルフの好位抜出型である。
この分析は、ボクには異論がある。ルドルフは必ずしも好位抜出ばかりで戦っていない。ダービーのときのようなゴール直前での差し切り、九月三十日中山のセントライト記念のような先行抜け出しなど、両極端な戦い方もしている。
平均的な勝ちパターンとすれば、確かによく言われるように第四コーナーあたりからの好位抜出型だ。ゴール直前でギリギリに差し勝つレースはしない。けれどルドルフは自在性も多様性も持っている。その気にさえなればテンからの大逃げも、最後方からのゴボウ抜きもできるんだ。けれども、欧州競馬に心酔している和田氏や野平氏の考えに沿って、ルドルフは欧州型の好位抜出のパターンをとっている。

互いに吸収し合う最高の関係

あの敗戦はルドルフの力ではない。騎手岡部の力量不足だったんだ。カツラギに文句ない雪辱をすることで、それをファンにアピールしたかった。カツラギエース、そしてミスターシービーを完璧に破ることは、ボクに手綱のとり方を教えてくれ、三冠馬騎手の栄光を与えてくれたルドルフへのお返しだと思っていた。
ルドルフとボク。互いに吸収し合う最高の関係にあった、とボクは考える。ボクから彼に与えたものは、彼がボクにくれたものよりはるかに少ないかもしれない。

ボクの騎乗でなかったら…

4歳*2になってからのルドルフの快進撃は、残念ながらボクの力のためではない。彼はどんな騎手を背に乗せても三冠、五冠、七冠とG1レースを奪い続けたに違いない。ボクの騎乗でなかったら、彼が現役生活で喫した三つの負けもなかったかもしれない、とさえ思っている。
一方ルドルフがボクにくれたものは何だったか……。ボクたちが一緒になって体験した第29回有馬記念レースを振り返りながら話したいと思う。

その他、優駿などの発言

優駿1985年1月号60Pより

インタビュアー:ルドルフは賢い馬ですから、レース前の岡部さんの言葉を理解してくれるのではないですか。
岡部:ええ、分かり合っていると思いますね。

マカオダービー

1994年のマカオダービー優勝時のことを振り返った高橋源一郎氏のコラム(週刊ギャロップ臨時増刊号 岡部幸雄全史 より)

ダービー前夜、わたしたちは、岡部幸雄と遅い夕食をとった。その夕食の席の話題は、つい先日まで、岡部幸雄が参加していたドバイ・インターナショナル・ジョッキーズ・チャレンジのことだった。そのレーシングプログラムに載った馬たちの、目も眩むような血統について話しながら、日本競馬が追いつくのはいつのことになるだろうとため息をつき、そして、なぜかみんな笑っていた。
目を瞑れば、その岡部幸雄をドバイまで追いかけていた、いまは亡きカメラマン長濱永於人の笑顔が蘇ってくる。そう、あの時、わたしたちは、どうしてあんなに楽しそうに笑ってばかりいたのだろう。おそらく、マスコミもいない、しがらみもない、自由な場所にいることが、岡部幸雄を幸福な気分にさせ、その岡部幸雄の気分が、わたしたち全員に感染していたのだ。
食事が終わりレストランを出ると、ほろ酔い加減のわたしは、岡部幸雄にこう言った。
「岡部さん。明日は、全員が岡部さんに賭けますよ。ビッグマネーをね。だから、我々のために、ビッグ・ウィンを!」
「いや、騎手にそんなにプレッシャーをかけていいの?」
岡部幸雄は、ほんとうに、見たことのないほど楽しそうに笑い、それからホテルの部屋へと消えていった。
翌日、昼過ぎ、ホテルのロビーに集合したわたしたちの前に、岡部幸雄が、鞍を入れた鞄と鞭を持って現れた。表情は一変していた。わたしたちが見たのは、厳しく、意識を集中した「勝負師」の顔だった。
コーディネーターのハリー・チャンがみんなに声をかけた。
「アー・ユー・レディ?」
「イエス」とわたしたちはいった。
「オーケイ、レッツ・ゴー!」
それから数時間して、アジアの片隅のまだ新しい競馬場で、わたしは、1つの奇蹟を見たのだった。
岡部幸雄の乗った馬は、どれも、有力な(人気のある)馬ではなかった。けれど、どの馬も、まるで魔法にかけられたように、有力な(人気のある)馬を負かしてしまうのだった。11年前の、その日の行動を記録した手帳には29、52、41、14という数字が、小さく記されている。それは、岡部幸雄の馬券を買って、当たった馬券のオッズだ。わたしは、毎レース、払戻し窓口に並びながら、不思議だとさえ思わなかった。
不思議なのは、競馬場の雰囲気だった。最初のうち、「日本という同じアジアの、経済は発展しているが、それ以外はよく知らない国からやって来たオカベユキオという騎手」に、ほとんど興味を示さなかったスタンドのファンたちは、やがて、目の前で、なにか異様なことが起こっていることに気づきはじめたのだ。
そして、6レース。ダービー。
岡部幸雄が乗るのは「無敵寶(メディパル)」という馬だった。「無敵寶(メディパル)」は快速だが、競られるともろい馬である、と地元の新聞には書いてあった。同厩で一番人気となった「龍精猛虎(スマートドラゴン)」を勝たせるためのラビットとしての出走とさえ考えられていたのだ。コーディネーターのハリー・チャンの推薦で、岡部幸雄が乗ることになったが、日本の「無名」騎手を乗せることに、トレーナーは不満を漏らしている、とまことしやかに囁く者もいた。
メディパルは、大方の予想通り、先頭に立った。予想と違ったのは、いつものように、大きく離しての逃げではなかったことだ。3コーナー、動きの鈍い(?)メディパルに、他の馬たちが一気に詰め寄っていく。だが、鞍上の岡部幸雄の腕はまったく動いてはいなかった。
満員のスタンドに不安と不満の悲鳴が渦巻いた。
「どうして差を広げない?」
「あんな乗り方じゃダメだ」
4コーナーの入口に、メディパルは2頭の馬に左右から挟まれたまま、入ってきた。その差は僅か半馬身。メディパルは、一気に馬群に呑み込まれるだろう。いつものメディパルを見ているファンたちは、おそらく、全員がそう思ったに違いない。
だが、メディパルが直線入り口でつけていた半馬身の差は、400メートルの直線が終わり、ゴールするまで、まったく変わらなかったのである。
わたしは数えきれないほど、競馬場に通っている。けれども、その日のマカオ競馬場の観客ほど、ショックを受けた観客を見たことがない。誰もが、目の前で起こった「奇蹟」に仰天していた。いや、彼らは、その日、ずっとありえぬシーンをずっと見続けていたことに、ようやく気づいたのである。
スタンドにいたわたしたちは、オカベの知人であるというだけで、握手を求められ、拍手を受けた。
「あの騎手は?」とファンの1人が(いや、1人だけではなかった)、興奮したように訊ねた。「魔法使いなのか?」
「イエス」とわたしは答えた。競馬の世界における魔法使いなんです。

山本一生さんは、トッド・スローンがはじめてイギリスの競馬ファンの前に姿を現し、誰も見たことのなかったモンキー乗りを披露して、人気のない馬を次々、勝たせていった時の、ファンの反応について、こんな風に書いている。
「スローンは期待にたがわず、着外を繰り返していたクィブルにまたがると、スタートから先頭を奪い、そのまま6馬身の差をつけて圧勝した。翌日も、人気薄の牝馬ジフィーに騎乗してオールドノーサリー・ステークスに出走し、これまた楽勝する。
しかしどちらのレースでも、ゴールポストを駆け抜けたとき、スタンドからは、驚きや歓声ではなく、嘲るような笑い声があがった。スローンの騎乗スタイルが、当時のイギリス人たちの目には、あまりに珍妙に映ったからだろう。……中略……。
スローンはだが、笑い声など気にもかけなかった。伝統のハンデ戦、ケンブリッジシャーでは2着に敗れたものの、2日後に行われたフリー・ハンデキャップでは、のちにダービー馬となるジェダーをくだして優勝する。続いてリンカーン競馬場に舞台を移し、ここでも人気薄の馬で勝ち、さらにマンチェスターでも好成績をおさめる。そのころになるとスタンドの笑い声も消え、かわりに驚嘆の声があがるようになっていた。最終日も5回騎乗して4勝、2着1回と絶好調で、着替えて出てきたときには、『トッディ、トッディ』と歓声をあげる熱狂的なファンに取り囲まれ、警官に保護してもらったという」
スローンはなぜ、桁違いの成績をおさめたのか。山本一生は、モンキー乗りとは、重心を馬の方に移すことであり、そのことによって馬そのものに近づいたからだ、と書いている。おそらく、優れた騎手とは、馬に近づくことができる騎手、サラブレッドという、競争に精神と肉体のすべてを捧げる動物と一体化できる騎手のことなのだ。
そして、そんな特権的な瞬間を持つことのできた騎手だけが、奇蹟を起こすことができるのである。
それは、そこに競馬というものがあると思い起こさせてくれるという奇蹟だ。いつも見ていたはずなのに、十分知っていたはずなのに、まるで初めてみるもののように新鮮で、深い魅力のあるものに競馬を変えてしまう奇蹟だ。
彼は、なにか異常なことをしたのではない。ただ、馬に乗り、ただ、競馬を見せてくれただけなのだ。ただそれだけで、競馬というものが、如何に素晴らしいかを教えてくれたのだ。

引退

岡部幸雄全史の発刊に寄せて

すべての馬に感謝して

2005年2月20日。東京競馬での騎乗を終えた時点で、ボクはムチを置くことを決めた。迷いはなかった。自分が思っていることができなくなったら騎手をやめると決めていたから。その前日のことだった。土曜日の騎乗で、ボクは自分の体がまったく動かず、自分のイメージした騎乗が全然できないことにショックを受けた。日曜日も同じようならジョッキーをやめよう。そんな決意を胸のうちに秘めながら臨んだ日曜の競馬だったが、ボクの体は前日とほとんど変わらず、イメージとは程遠い騎乗しかできなかった。
自分が思っていることができない。これは勝てる馬を勝たせることができないことを意味する。それでは馬に迷惑がかかる。ボクに乗せてくれる厩舎スタッフやオーナー、ボクが乗っている馬を応援するファンの方々にも迷惑がかかる。自分ができないことを隠してまで騎手を続けるのは納得できない。ボクは馬に乗ることが好きで、そのほかにできることなんてない。その”馬乗り”を「もういいや」と思うまでやった。そう思えるからこそ、迷いはなかった。40代は「オレには騎手をやめる日なんてこない。永遠にジョッキーをやるもんだ」と本気で信じていたが、現実として訪れるとまったく冷静に受け入れることができた。免許を返上した3月10日には特別な感慨はなかった。引退セレモニーの日、中山に向かう朝も「ジョッキーとして終わったんだな」と淡々と思うだけだった。
38年間も騎手を続けられたのは、何よりも自然体でやってきたからだろう。この38年間は、自分のできることをやってきただけ。無理をしていたら、こんなに長い間、騎手はできなかったと思う。
いまは、騎手でない"別人"の岡部幸雄を楽しんでいる。その間に、創刊当初から深い付き合いのある週刊Gallopが『岡部幸雄全史』という増刊を出してくれた。JRAが自分の名前の付いた引退記念レースをやってくれたときも思ったものだが、「こんなボクなんかに」と正直びっくりしている。40年以上前、馬事公苑で最初に"花の15期生"と呼ばれることになる同期がみんなで集まったとき、「だれが最初にやめる?」という話になった。その際、真っ先に手を挙げたボクが、最後まで騎手をやり続けたおかげでこのようなことをしてもらえるとは、何やら不思議な気がする。
これも、ボクが騎手という職業に就き、数々の馬たちと出会えたからこそだろう。だから、ボクは騎乗してきたすべての馬たちに感謝したい。馬がいたからボクの人生があった。
本当にありがとうございます。

引退セレモニー当日

昼休みにはメディアホールで行われたメモリアルトークは大勢のファンが集まった。ファン投票による岡部騎手優勝レースベスト10が発表され、それぞれについて本人がコメント。1位に選ばれたのは平成4年ジャパンカップのトウカイテイオー。
「この時は他の馬をまったく気にせず、自分の競馬に徹して結果が出た」と会心のレースを振り返った。テイオーについては「(父)ルドルフのフットワークの良さをそのまま受け継いだ馬」と評価。このランキングに対し「ルドルフが1位(実際は4位)だと思っていたので意外です」とも話した。最後に司会の鈴木淑子さんから「これからは何をしますか」と聞かれると、「ハローワークに通います」と答え、場内の大爆笑を誘った。

最後は後輩ジョッキーたちが担ぐおみこしに乗ってパレード。「長い間お疲れ様です。本当に数々の記録を抜いてすいません」と武豊騎手が挨拶すると「これからもどんどん抜いていって下さい」とエールを送った。"おみこし"を考案した横山典弘騎手は「56歳の騎乗記録を抜けるように頑張ります」と誓った。
岡部騎手は「こんなにも人が集まってびっくりした。夢にも思わなかった」と感激の表情ながら、悔いのない騎手人生を象徴するように晴れやかな笑顔で競馬場を後にした。

引退によせての座談会

写真家の今井寿恵さん、競馬パーソナリティーの鈴木淑子さん、番記者のサンケイスポーツ・西島大和、栗原純一、の両記者の合計4人による大僧正の思い出を語る座談会の模様。

淑子:引退セレモニーの日に『岡部幸雄騎手引退記念競走』が最終レースに組まれて、JRAも英断をされたなと思いましたけれど、武騎手はどうしてもあのレースに乗りたかったそうなんですね。
今井:ユタカさんは私も聞きました。「騎乗馬は決まっていないんですが、中山に行きます」って。わたしもすごくうれしくて、「騎乗馬いなくても来てよ」と言うと、「もちろんですよ」と言ってくださって。
淑子:もちろん武騎手に限ったことではないんですが、なんとか都合をつけて駆けつけたかたも本当に多くいらっしゃいました。あの『引退記念レース』にしましても、かなり長い審議になりましたでしょう。その後、司会者としての"大役"が控えていた立場としては冷や冷やしていたところもありましたが(笑)、それだけ際どいレースをしてまで、皆さん本当に勝ちたかったんだなと感じました。
栗原:あの時、四位騎手が一番悔しがって、怒っていたんですよ。最も大きな不利を受けていたのも確かですが、一番、勝ちたかったんじゃないかなあ。四位騎手があそこまで怒るって、めずらしいですよ。
淑子:四位騎手は、岡部騎手があこがれで、Gallopでも岡部さんと対談もされ、「すごく感激した」とおっしゃっていたそうですものね。

西島:今回の岡部さんの引退にあたっては、競馬会も記者会見から気を使っていましたよ。やっぱりそれだけのジョッキーなんだなって、知ってもらえたことはよかった。あれだけのセレモニーをしたって裏には岡部さんが調教師として(JRAに)残らないということもあるのかもしれませんが…。個人的には「なんで調教師にならないのかな」って思うこともあるんだけど。
淑子:ご本人は、本当にずっと調教師になられるおつもりはなかったのでしょうか。
栗原:僕は実は疑いがあったんです。だから本人にしつこく聞きましたよ。
淑子:すごい記者魂(笑)。
栗原:やっぱり、アメリカの競馬なんかを見てるとわかるんですよ。シューメーカーさんは成功してますけど、向こうの騎手は、ほとんど調教師として大成してません。「結局、(騎手と調教師は)資質が違うんだ」って本人、はっきりと言いましたものね。
今井:実はタイキシャトルがジャックルマロワ賞を勝ったころ、大樹ファームの赤沢芳樹社長と藤沢和雄調教師とお話する機会があって、そこで2人から「岡部ジョッキーに調教師になるよう聞いてくれないか」と…。特に藤沢先生は「"岡部厩舎"を支えるためにウチから調教助手でも厩務員でもスタッフを出す。今ならそれができるから」っておっしゃったの。藤沢先生はシャトルで海外のG1をお獲りになって、(お互い)ひとつの区切りができたって考えたんじゃなかったかしら。…結局、岡部さんは「ずっと馬に乗っていたい」って、「うん」とは言わなかったけれど…。
淑子:まさに「地上より馬の上がいい」ですね。"生涯現役、生涯一ジョッキー"の心理は本当に強いものだったんですね。

西島:(岡部さんは)料理もうまい。釣ってきた魚だって自分でさばいちゃうし。板前さんでも成功しちゃうよ(笑)。
今井:そうそう。何度もお家に食事に呼んでいただいていますけれど、岡部さんが一人で料理の仕込みをすることもあるんです。わたしはぼーっと座って見てるだけなんだけど(笑)。
西島:「ニシさん、うまい焼き鳥ができるから来なよ」って電話がかかってきて、行くと岡部さんが自分で鳥をさばいて串に刺してるわけ。全部一人でやっちゃう。ヘタな焼き鳥屋顔負けだよ。
栗原:自分で作ってみんなに食べさせてっていうことももちろん好きなんですが、岡部さんって基本的にすごく気を使いますよね。例えば、関西から新幹線で一緒に帰ってくるときなんかでも、僕が「弁当買ってきましょうか」って立とうとすると、「いいよ、オレが行って来る、何がいい?」って買ってきちゃう。僕なんかにすら気を使ってくれる。
西島:料理にしても、作ってあげた相手が「おいしい」って喜ぶことがうれしいと思う人だから。
淑子:そうなんですよねえ。

淑子:なんといってもジャックルマロワ賞は勝った後、涙した岡部さんを見たのは、今井先生とわたしだけ。
今井:そうなのよね。淑子ちゃんとはタイキブリザードがブリーダーズCに挑戦したときも印象深いシーンを見てるわよね。
淑子:そう!カナダのウッドバイン競馬場のレースを終えた厩舎で…。
今井:岡部さん、惨敗したタイキブリザードの前でじーっと1時間くらい動かないの…。
淑子:だんだん日も暮れてくるんですよね。まるで馬にあやまっているみたいで…。あのシーンはすごく切なかった。

栗原:ジーンズで調教といえば、お尻のポケットに財布入れたまま坂路に上がって…。
今井:ああ、あれ!(笑)
栗原:財布落として、トレセンの坂路に札が舞ったことがあって(笑)。
今井:あのお財布拾ってあげたのわたしなの。「岡部さん落としたわよ」って言うと「預かっておいて」だって(笑)。
西島:岡部さんらしいよね。
栗原:でもホント、そういうところも含めて素晴らしい人柄ですよ。だから同期のかたともいまだに固い結束があるし、藤沢調教師にしても一時は不仲説なんかも流れましたけど、それもお互いにわかっているからこそのことでね。また、向上心もすごい。
西島:英語だって、わざわざ家庭教師を付けて勉強してるし。
淑子:かなり以前からだそうですね。
西島:そうそう。それが岡部幸雄なんだよ。

淑子:まだまだお話はつきませんが、最後に、皆さんにとって岡部幸雄とはどんな存在ですか。
西島:最初にも言いましたけど…岡部ジョッキーとの付き合いがあったから、自分もここまで無事にやって来られたというのが一番ですからね。これにつきます。
今井:わたしはなんと言っても競馬により踏み込めるきっかけをつくってくれたのがシンボリルドルフと岡部さんということ。知的・文化的な競馬を教えてくれたのが岡部さんなんです。例えば新馬戦で短期免許で来日した英国の騎手が、日本ではムチをたくさん使える、と目いっぱいに叩いてレースを終えた後にね、コースを戻りながら岡部騎手が大声でその騎手に注意していたシーンですとか…。デビューしたての馬が競馬を嫌いにならないようにということですが、あれは忘れられません。とにかく、たくさんのことを教わりました。感謝しています。
栗原:僕は、ちょっとずうずうしい言い方をさせてもらいますが、岡部さんはライバルだと思ってます。この人を上回る記事を書きたいと思ってやってきましたからね。その一方では、岡部さんにサンスポでコラムを持ってもらうことができた。これはオーバーな話ではなく、2人で競馬マスコミを変えたという自負もあります。やっぱりいろんな意味で感謝しています。
西島:淑子ちゃんは?
淑子:わたしは騎手のかたへのインタビューの心得を教わったとでもいうんでしょうか。とにかく岡部さんからひと言をもらえると、ほかのかたとはまた違った喜びがありました。引退は確かに残念ですが、岡部さんから教わったことを心に、これからも競馬の魅力を広く伝えていきたいと思います。
今井:わたしたちが岡部さんのことを次の代にしっかりと伝えていかないとね。
西島・栗原:頑張りましょう。

その他

優駿2011年11月号「追悼シンボリルドルフ 皇帝よ永遠なれ」の特集での杉本清さんとの対談

杉本:岡部さんはルドルフは人生の一部だったとおっしゃっていましたね。
岡部:彼と出会わなければ、自分なんか何をしていたのかわからないし、騎手もそんなに長くやってなかった。結局、彼との出会いがあったからこそ、56歳まで騎手をやっていたし、今の自分がいるんです。

岡部:(ルドルフに)乗ったことがあるのは騎手ではふたりだけなんです。柴田政人くんと自分だけ。あとは助手だった藤沢和雄さんとかで、野平先生がずっと乗っていました、もう離さなかったですよ(笑)。
杉本:祐ちゃん先生が、自分で(笑)。
岡部:そう。野平先生は、稽古に乗ったら「もう降りたくない」って言っていました。「先生、競馬に乗りたいんじゃないんですか」って言ったら、「ほんとはな、現役のときにほしかった」って(笑)。あの馬の背中を知っているのは数人しかいないんです。牧場に帰ったときには牧場の人が乗ってましたから。

旭日小綬章叙勲時のコメント

「このたびの秋の叙勲において、旭日小綬章を受章することとなり、大変光栄に感じております。連絡をいただいた当初は、正直、叙勲の栄に浴することに戸惑いもありましたが、競馬は人馬一体であり、さらに馬に関わる多くの人々の支えがあって成し得ることが出来たことだと考えると、これは私個人に与えられた栄誉であるとは到底考えられず、特に先日の菊花賞で無敗の三冠を達成したコントレイルと同じく無敗の三冠馬であり、私を育ててくれたシンボリルドルフをはじめとした多くの馬たちや、関係者にこそ与えられたものであると考え、お受けすることといたしました。

これからも、このたびの受章を励みに、競馬発展のために少しでもお役に立てるよう、微力ながら尽くしてまいる所存です」
https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=178957

聞く岡部君。
名馬〝シンボリルドルフ〟の騎乗秘話をJRA元トップジョッキー岡部幸雄さんが語る!<東京サンスポ発刊60周年特別企画>

「七冠馬 漆黒のS ウマ娘 シンボリクリスエス 限定醸造」発売記念のコメント

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岡部君。

トウカイテイオー

岡部君の著書の「馬、優先主義」に載ってるテイオーへの評価
ナンナノサー!モウー!

トウカイテイオーにルドルフ譲りの精神力
先週、最も注目されたレースの皐月賞指定オープン、若葉Sが行われた。トウカイテイオーの評判通りの強さを、ボクはシンボリダンサー(6着)に乗って一緒にレースをしてみて肌身で感じた。トウカイテイオーにはクラシック候補としてだけでなく、シンボリルドルフ産駒という点でよけい関心が強くなる。
まずシンボリダンサーのことに触れよう。なかなかの素質馬で、休養中に落ち着きも出て、若葉Sでは脈があると思って臨んだ。ところが、他馬がゲート内で暴れて発走が大幅に(17分)延びてしまい、仕切り直しの時にはすっかり気が抜けてしまっていた。まだまだ精神力が甘いと思う。と同時に、しっかり力を出したトウカイテイオーのたくましさを実感したのである。このあたりは父シンボリルドルフをほうふつさせる。
雰囲気もルドルフを思わせるものがある。ルドルフの馬体は非常にきれいだったが、外面からは迫力は感じられなかった。ところが、走るとものすごくパワフルにみせたものだった。トウカイテイオーも同じだ。決してたくましくみせない馬体から、力強いフットワークが繰り出されるのだ。
どんなレースでもできそうに感じた。その点も緩急自在だったルドルフの特徴が受け継がれたのだろう。種牡馬になって初年度からこれほど優秀な産駒を出すとは、さすがルドルフで、主戦騎手だったボクとしては本当にうれしいかぎりである。

トウカイテイオーの素晴らしさは、前走の若葉S当時に書いたとおり、ボク自身、肌身で感じていた。それでも、大レースの時、とくに最近は異様なほどの熱気に競馬場は包まれるだけに、ボクはテイオーの精神力に少しばかり疑問が残り、観察してみた。
しかし、それはばかげた疑問だった。パドックでも、馬場入場の時でも、トウカイテイオーは実に堂々としていた。大歓声にもまったく動じることがなかった。父シンボリルドルフとうりふたつのしたたかさである。
走りっぷりもルドルフそっくりだった。ルドルフはデビューした頃、軽快なスピードで勝負していたが、キャリアを積んでいくうちに、重量感が加わっていった。トウカイテイオーにも同じことがいえると思う。
ボクがシンボリルドルフに乗っていた時、他のジョッキーからよく「調教で一度でいいから乗ってみたい」といわれたものである。ルドルフは乗る者をハイな気分にさせた。真の名馬というのは、そういうものなのだ。トウカイテイオーに対する今のボクの気持ちは、ルドルフの現役時代の他のジョッキーと同じである。



岡部君の著書の「チャンピオンのステッキ」に載ってる「トウカイテイオーを語る」の項目から抜粋

森本:どうですか、岡部さん。トウカイテイオーの乗り心地は。
岡部:思っていたとおりですね。よく似てますよ。
森本:似てますか。
岡部:親より楽っていういいかたはおかしいんですけど、親ほど気が上がんない(緊張感が高じて興奮気味になること)みたいです。親は結構そういうところがありましたからね。木曜日の調教が終わると、金曜日、土曜日と、レースが近づくにつれて気分が上がってくるんです。とくに、調子良くなってくると触れないっていう感じでした。怖いくらいのときもありました。乗れっていわれても、乗りたくないぐらいに集中しちゃうんですね、親は。
森本:ほう。
岡部:はい、親は。その点、テイオーは、レースが近くなっても普段と変わらない感じですね。
森本:テイオーの方がのんびり屋なんですかねぇ。
岡部:気持ちがおおらかっていうか。
森本:僕ね、初めてトウカイテイオーをテレビで見たときに、なんか他の馬と全然顔つきが違うなって思ったんですけど、岡部さん、どうですか、馬の顔って、僕は気になるんですけど。
岡部:もちろん、顔は大事です。
森本:大事ですよね(笑い)。
岡部:やっぱりバランスがあるんですよ。賢い馬っていうのは非常にバランスが取れていますね。いわゆる馬面じゃないですけど(笑い)、顔の悪い馬はダメですね。耳とか目とか、いろんなバランスがとれた馬が一番いいですよね。ルドルフなんかは、やっぱり顔に品があるというか、きれいな顔してました。精悍な目と耳のバランス……。目の輝き、耳の使い方っていうのが、非常に賢そうな馬でしたね。
森本:テイオーもそんな感じありますよね。
岡部:ありますね。

オグリキャップ

岡部君の著書の「馬、優先主義」に載ってるオグリパイセンへの評価
やめてほしいんだが?

STAYERの"STAY"とは、耐えるという意味である。ステイヤーは、肉体的なスタミナもさることながら、それ以上に精神的なスタミナも要求されるのだ。
馬場が軽かろうと重かろうと、4分近くも長い時間走ることに変わりはない。シンボリルドルフやオグリキャップのように、レースを楽しんで走るような馬はきわめて少ない。ほとんどの馬にとって、レースは"我慢比べ"なのだ。そして、その度合いは距離が長くなればなるほど強くなる。

(オグリキャップ3歳時の有馬記念について)
シンボリルドルフの菊花賞の時にボクは「眠っていても勝てる」といったことがある。さすがにオグリに対してそこまではいえないが、信頼できる能力があるのはこのうえなく心強い。

それでは彼の素質に触れよう。一番評価しているのは、ずいぶん大人びた精神力を持っているということ。4歳(現代では3歳)の今頃は、ある程度キャリアを積んだ馬でも、知らない所へ行ったりすると、どこかオドオドした面があるものだ。ところがオグリキャップはスクーリングを兼ねて初めて中山に行った時(15日)にも、まったくそんなそぶりをみせなかった。忍耐力が強すぎて、逆にストレスがたまらないかと心配してしまうくらいの素晴らしさだ。
中山で乗った時にボクは、「同世代より半年先、大げさにいえば一年先を行っている」といったが、シンボリルドルフがそんなタイプだった。
ルドルフはパーソロン産駒だが、オグリキャップからもパーソロン的な感覚が伝わってくる。
オグリと同じダンシングキャップの産駒には、もう名前は忘れたが、何頭か乗って特徴は覚えている。実戦でも調教でも単調でガーッと行ってしまい、意のままに操縦できないのだ。
オグリにはそんなことはない。パーソロン産駒を説明すると、例えば、ゲート練習でモサーッとしていてもレースに行くとびっくりするくらいのいいスタートを切る。ひところでいえば実戦に行っていいタイプ。そんな雰囲気をオグリは持っているのだ。パーソロン産駒は意のままに操縦しやすい面も持ち合わせている。だから、ダンシングキャップでなくパーソロン的なオグリは、これまでと違い、もっと前の位置で競馬できる可能性もあるのではないか。

ボクは一流馬に騎手が乗るのは、特別な事情がない限り、追い切りだけにした方がいいと思っている。もちろん例外はあるが、一流馬というのはたいてい鋭敏でクレバーなものだ。追い切り時に騎手が乗ることにより、馬はふだんとちがう微妙な部分を感じ取り、レースが近づいていることを察知する。極論すれば"一流馬は自分で体をつくる"のだ。
シンボリルドルフがまったくそうだった。レースと追い切り以外で彼に騎乗したことはほとんどない。ボクがたまに乗ると、エキサイトし気合を表に出したものだ。ルドルフが偉大な功績を残したのは、こうした調教法が少なからずプラスになっていたのではないか。
オグリキャップにもこの日、気分の高揚をはっきり感じ取ることができた。ついでにいえば、着けていた覆面をコース入り前にはずしてしまった。音に驚かないように耳を覆うのだろうが、三半規管を覆うのはいいことではない。

サンケイスポーツ紙上でこの1週間、ボクは今年の有馬記念に対する思いをつづってきた。表現したオグリキャップの強さが読者に伝わっていたとすれば幸いだ。残念ながら騎手の立場ではいろいろな制限があるので、他の馬のことははっきり述べられなかったが、本当は最後に"勝つのはオグリキャップ。2着にはタマモクロスがきてほしい"くらいのことを書いてみたかった。25日付で触れた通り、1ホースマンとして、こうした大レースでは真に強い馬が持てる力をすべて出して戦ってほしいと考えているからだ。
実際、2着に偉大な成績を残してきたタマモクロスが入ってくれて、本当に良かったと思うし、ファンの方も満足してくれた人が多かったのではないだろうか。こうした喜びをボクが有馬記念で味わうのは、1着ルドルフ、2着ミホシンザン以来のことである。

ぶっちゃけ初期PVの会長とオグリのスケートって岡部君のこの本のせいだと私は前々から思ってるんですけど実際の所はどうなんですかね…

2133日間のオグリキャップ―誕生から引退までの軌跡を追うに載ってるオグリパイセンへの評価

(オグリキャップ3歳時の有馬記念について)
「オグリキャップは同じ世代の馬より、半年、いや一年大人びている」と評した。これはシンボリルドルフの時にも聞かれたセリフだ。辛口の岡部だけに最大級の賛辞といえるだろう。
しかし、二頭の名馬にははっきりと差があるという。
「ことばは悪いけど、ルドルフは手を抜いてもかまわない時はそうした。レースには必ずそういう場面がある。これができるとできないでは大違い。力を出す必要がない時に手を抜いて走ることができれば、勝負どころで温存していた力を目一杯出せるんだ。オグリキャップの場合は、他の馬よりはそれができるけど、ルドルフと比べるとまじめ過ぎる感じだね。ただ、ルドルフは千葉のシンボリ牧場という、競馬会のトレセンの枠にしばられずに、自由に鍛錬できる場所に恵まれていたのが幸いしたと思う。その点、オグリキャップはかわいそうな気がしないでもない」

二頭のベスト距離について
「ルドルフは二千から二千二百メートル。オグリは最大限に能力を発揮するのは千六百メートルだろう。」

オグリキャップの守備範囲、千六百メートルでルドルフと戦わせてみたらという質問について
「もしそういう状況になれば、ルドルフはスプリント主体の調教を行う事によって短距離のレースに慣れて、勝つだろう」

オグリキャップのアメリカ遠征について
「彼はアメリカでも通用する。芝、ダートどちらでも大丈夫なタイプだし、アメリカには二千メートル以下のG1がいくらでもある。環境の変化にもすぐなじめるタフな精神力を備えているのも強みだ。腰を据えて長期滞在すけばG1を勝てるだろう。まだ成長する余地がある今こそ行くべきだ」

オグリキャップ4歳春時に大阪杯→春天→安田記念→宝塚記念のローテーションで行くとオーナーが言った事について
「有馬記念に勝ったとはいえ、決して余裕は残ってなかった。オグリキャップは二千五百がギリギリだろう。三千二百メートルではきつい。かりに相手に恵まれて勝てたところで、その後、反動が出る可能性がある」

乗り替わりの多さに対して
「ジョンヘンリーをはじめ、アメリカは一流馬でも乗り替わりが多い。いいジョッキーが乗るのなら、乗り替わりは問題ないだろう。むしろ、名馬に乗って勝つことによってジョッキーは自信をつけることがあるので、ジョッキーにとっては歓迎できることだと思う」

マイルCS→ジャパンCの連闘について
「ルドルフのローテーションを聞かされた時、びっくりしたが、彼ならやってくれると信じることができた。菊花賞の前にセントライト記念一回しか出ていなかったしね。でもオグリはどうだろう。"全部"使うことになるわけだろう。今年アメリカの三冠レースでイージーゴーアーとサンデーサイレンスの対決が話題を呼んだけど、大事なところはサンデーサイレンスがものにしている。イージーゴーアーの方が強いと思うけど、出られるレース全部使った感じだったのに対し、サンデーサイレンスはアメリカにしてはゆったりと使われていた。ローテーションの差じゃないかな。ただ、アメリカ競馬はタフに多く勝ち続けるのが名馬の条件といった一面があるけどね」

主な騎乗馬

太字は主戦

ウマ娘

  • シンボリルドルフ(1984年クラシック三冠(無敗)、1984-1985年有馬記念、1985年天皇賞(春)、ジャパンカップ)
  • オグリキャップ(1988年有馬記念)
  • トウカイテイオー(1992年ジャパンカップ)
  • マチカネタンホイザ(1993年ダイヤモンドS、目黒記念)
  • ビワハヤヒデ(1993年菊花賞、1994年天皇賞(春)、宝塚記念)
  • シンコウウインディ(1997年フェブラリーS)
  • タイキシャトル(1998年マイルCS*3、1997年スプリンターズS、1998年安田記念、ジャックルマロワ賞)
  • シンボリクリスエス(2002年天皇賞(秋))

非ウマ娘

  • ダイナカール(1983年優駿牝馬)
  • シンコウラブリイ(1993年マイルCS)
  • ジェニュイン(1995年皐月賞、1996年マイルCS)
  • タイキブリザード(1997年安田記念)
  • バブルガムフェロー(1995年朝日杯3歳S)

など

コメント

netkeibaか壺に生息してそうな人の、大僧正に対する「あいつヤバイ」レベルのコメントがあったのでこちらのコメントタイプに変更させていただきました。
お客様向け案内に書いてあるやっちゃダメな事は守りましょう。

  • 正直kmi…っス -- 2021-11-02 (火) 08:31:22
  • kmiというよりomi…ノリさんとホクトベガもomi… -- 2021-11-03 (水) 08:08:32
    • でもまぁ、例のCMじゃないが「人生を変えた出会い」に対して、しかもその馬が競馬史に燦然と輝く七冠馬だったら脳を焼かれるどころじゃ無いだろうなと。愛とか執着とかそんなレベルじゃ収まらないんだろな。知らんけど -- 2022-08-28 (日) 16:20:47
  • 会長の重さは大僧正由来だと思ってる。ダジャレは藤沢先生 -- 2021-12-07 (火) 11:22:41
  • ウワーッ!気づいたらめっちゃ充実してる!? -- 2022-01-28 (金) 22:44:15
  • 意外ですが、桜花賞と秋華賞は獲った事がなかったんですね。秋華賞はできたのが遅かったのもありますが、桜花賞はもっとチャンスはあったはずなんですが…。 -- 2022-05-22 (日) 23:08:00
    • 桜花賞は確か他の騎手や記者さんから「岡部騎手は馬に対して優し過ぎるので桜花賞は取れないと思ってた」って言われた的な記事があった気がします。折を見て探し出したら追加してみます。 -- 2022-05-26 (木) 04:06:26
  • 出家する前の大僧正が日本各地の馬たちを尋ねる番組たまにやってますね!出家してからもたまには下界におりてきてほしいものです -- 2022-06-17 (金) 09:59:54
  • 正直丸太小屋構文に匹敵かそれ以上のkwさがある -- 2023-04-07 (金) 18:30:32
  • たぬきの方でもとうとう取り上げられたけど、やっぱりとんでもない破壊力だし…… -- 2023-04-10 (月) 17:37:20
  • 口を開けばカイチョーのことしか言わないおじさん -- 2023-11-17 (金) 16:40:32
  • この前のボリクリへのコメントまでもう上がってて笑う -- 2024-02-05 (月) 08:46:08

*1 現代換算だと2歳馬
*2 現代換算だと3歳
*3 1997年はシンコウキングを選んだためノリさんが騎乗