
概要
南 井 克 巳
ナリタブライアンで三冠達成した騎手
この活躍がきっかけでブライアンが三冠した年の紅白歌合戦の審査員になったこともある
調教師としては446勝重賞16勝。また、開業初年にウイングアローでジャパンカップダートを制したため、不振気味の1000勝特典ジョッキーの中では健闘しているといえる
タマモクロス騎乗前と騎乗後
恐らく世間的に一番有名なのはナリタブライアンの主戦騎手であるということだが、それ以前はGⅠをデビューから17年戦っても勝ちきれなかった過去がある。それゆえか一時期は大舞台に恵まれず、勝利数も上積みがないことからスランプに陥り引退も考えたことがあった程
この状況を見かねた宇 田 明 彦調教師に声をかけられ、1978年に同厩舎所属となる。これを恩に感じたのか宇 田調教師が亡くなって厩舎が解散になりフリーになっても調教服は以前のまま宇田厩舎の黄色い服を着続け、その服はミナイ厩舎の調教服となっている
とはいえミナイ自身の腕が下手というわけではなく、事実新人時代の70年には20勝(平地15勝、障害5勝)を挙げ新人賞を獲っており、84年には61勝、85年には74勝、86年には73勝と勝ち数だけならそれなりに多く、GⅠ勝ちこそないが重賞もそれなりに勝ってはいる*1
と、ここまでは隠れた実力者的な存在だったのではなかろうか
そして、この評価が変わったのはタマモクロスに騎乗して勝ち続けたことからである*2全盛期には宝塚記念と史上初の天皇賞春秋制覇を含む重賞6連勝。ジャパンカップとラストランの有馬記念も2着を死守するなど健闘
こうして関西の一騎手であったミナイがタマモクロスとの活躍により一気に全国区になり、有力馬の騎乗依頼が多くなった
ナリタブライアンは言うまでもなく、サイレンススズカ、マーベラスクラウン、ハクタイセイ*3、マチカネフクキタルなどの有力馬が回ってくるようになった程である
主な騎乗バ
ウマ娘
- タマモクロス(1988年天皇賞(春)、1988年宝塚記念、1988年天皇賞(秋))
- オグリキャップ(1989年マイルCS、1989年天皇賞(秋)2着、1989年ジャパンカップ2着)
- ケイエスミラクル(1991年スワンS、1991年マイルCS3着)
- ナリタブライアン(1994年クラシック三冠、1993年朝日杯3歳S、1994年有馬記念)
- マチカネフクキタル(1997年神戸新聞杯、1997年京都新聞杯、1997年菊花賞)
- サイレンススズカ(1998年宝塚記念*4)
非ウマ娘
- マーベラスクラウン(1994年ジャパンカップ)
- ハクタイセイ(1990年皐月賞)
主な管理馬
- ウイングアロー(2000-2001年ブリーダーズゴールドカップ、2000年ジャパンカップダート)
- タマモホットプレイ(2004年スワンステークス、2006年シルクロードステークス)
- タマモベストプレイ(2013年きさらぎ賞、2013年有馬記念5着)

