Contents |
研究領域
- wikipedia 互恵的利他主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%81%B5%E7%9A%84%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9互恵的利他主義(ごけいてきりたしゅぎ)とは、あとで見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動の一種である。
互恵的利他主義とは、あとで見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動の一種である。
前提となる学問・研究領域
記憶・合同行為・協力・弁済・交換・利害・計算
- ヒース「ルールに従う」第7章 超越論的必然性 7.1 懐疑論的解決 P352
血縁選択とは異なり、互恵的利他主義はその発達のためにずっと高いレベルの認知的洗練が必要となるメカニズムである。
とりわけ、それは過去に協力した人々をそうしなかった人々から区別する能力と、多くのケースでは協力の交換がどれだけ釣り合いが取れているかに関する「現在の勘定」を把握する能力とを必要とする。
協力者を記憶することと、協力の弁済が利害の計算上釣り合っているような交換が、互恵的利他主義においては必要とされる。
興味・関心・期待・探索行動・好奇心・展望的記憶
互恵的利他主義は、あとで見返りがあると期待されるため行われる。
過去に位置する学問・研究領域
原因となる学問・研究領域
解決すべき問題となる学問・研究領域
目的となる学問・研究領域
属する全体である学問・研究領域
利他主義・利他的行動
互恵的利他主義は利他的行動の一種である。
本質的な部分である学問・研究領域
非本質的な部分である学問・研究領域
前提となる学問・研究領域(疑いあり)
友情・教育・暴力・攻撃・危害・絶縁・追放・同情・罪悪感・信頼
- wikipedia 互恵的利他主義 3 統制システム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%81%B5%E7%9A%84%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9#.E7.B5.B1.E5.88.B6.E3.82.B7.E3.82.B9.E3.83.86.E3.83.A0・感情:他者を好む傾向、友情、好感の持てる知人に対する利他的行動の動機付けとなる。
・道徳的攻撃性:「いかさま師」は互恵主義者のこのようなポジティブな感情を利用するため、いかさま師を見つけ排除するシステムは自然選択によって対抗適応として選択されやすい。
利他主義者は違反者に献身的な行為を続けるのではなくて、違反者の態度を変えさせようとする。
このメカニズムは非互恵的個体を教育したり、極端なケースでは隔離したり、傷付けたり、追放する。
・感謝と同情:感謝は利他行為への返報を動機づける。
同時にコスト/利益比への敏感さも統制するだろう。
同情は受益者の状態に応じて、行為者の利他的行為の動機付けとなる。
・罪の意識:いかさまを発見されれば友好的な関係は終わり、違反者にとっては大きなコストとなる。
したがって選択圧は違反者に不正行為の償いをし、それを繰り返さないと他の個体に納得させるような心的メカニズムを形成するよう働く。
罪の意識は違反の埋め合わせと将来の互恵関係の再開の動機付けとなる。
落ち込みのような特定の精神的メカニズムは誠実さや和解を強化し、促すメカニズムと見なせるかも知れない。
(中略)
・信用:選択は道徳的攻撃性を感知する能力を支持する。
感情的な基盤(寛容さや罪の意識)無しで利他的行為を行う人々はたとえ利他主義的であっても将来的には信頼できないかも知れない。
・協力:利他行為は(感謝の感情がある他の個体に)友好的な感情を引き起こす。
それは相互関係のきっかけとなる。
「あなたがして欲しいことを他人にし、他人からして欲しいことをして貰う」という戦略は従って選択的な有利さをもたらす。
赤の他人や敵への親切は新たな友好関係を引き起こすかも知れない。
互恵的利他主義の統制システムには、友情、教育、攻撃、絶縁、追放、同情、罪悪感、信頼、協力などがある。
これらは協力を除きすべて互恵的利他主義の産物ないし手段である。
罰
- ヒース「ルールに従う」第2章 社会秩序 2.1 道具的アプローチ P77-79
このように、もっとも一般的な形態におけるフォーク定理は、裏切りに対する反応として、すべての協力の完全な崩壊か(「ナッシュ均衡回帰(Nash reversion)」)、あるいは、人々がルールを破った人々を罰しないことに対して罰される、ルールを破った人々を罰さない人々を罰さないことに対して罰される等々というように、高階のサンクションのエスカレートする列を必要としているのである12)。
前者は非常に単純であるが、社会学的な説得力を持たない(それは、どのような犯罪に対しても、社会のすべてを自然状態に回帰させることで法を実効化するようなものである)。
後者は非常に微妙である。
諸個人が協力しなかった人々への協力をとりやめ、協力をとりやめなかった人々に対する協力をとりやめる等々というモデルを構築することは可能である。
しかしながら、このようなモデルは比較的に頑健ではないことが判明する。
これもまた社会学的説得力に欠けるのである13)。
全員が協力するであろうという、参加者間に存在する信頼を基礎として集合行為が維持される状況は多くある。
こうしたケースでは、参加者たち自身がしばしば信憑性のある懲罰の脅しが存在していないことを認めており、全員が裏切りのインセンティブを持っている14)。
(中略)
将来に協力がないことを所与とすれば、有限回繰り返しゲームの最終回には協力のインセンティブがないので、全員が最後から2番目のゲームで裏切るだろうことを全員が予測することができる。
何をしようとも最終回では「罰を受ける」だろうからである。
このことは、最後から3番目のゲームにおいても協力のインセンティブがないことを意味している。
というのは、何をしようとも最後から2番目のゲームで「罰を受ける」だろうからである等々。
後方帰納法(あるいは「逐次的合理性」)によって、最初の回に至るまで協力が崩壊することになる。
(中略)
最後に注意すべきことは、互恵性のこれらのモデルが、2人ゲームの結果が容易にn人ゲームの場合に一般化されないケースの格好の例となっていることである16)。
協力のとりやめは、協力を実効化する道具としては非常に切れ味が悪いものである。
それは、諸個人が1人の裏切り者にターゲットを定めて懲罰を実施することを許さないからである(通常はそうすることを可能にする報復的懲罰とは異なっている)。
したがって、大規模な集合行為問題の繰り返しであは、懲罰を実行する唯一の方法は、全員が全体的な協力計画から離脱すること――それは、裏切った者だけでなく、関与している全員にダメージを与える反応である――だけである。
したがって、理想的に合理的な主体間で協力を維持することが可能であったとしても、ほんの小さな確率で不合理な行為や間違いが発生するだけで、大規模な協力的計画が崩壊する確率が非常に高くなってしまう17)。
ヒースは、単なる協力の取りやめは、被害を蒙る者の範囲が広く、いかさま師個人への罰としては不適切であり、また協力の取りやめを念頭においた互恵的利他主義はインセンティブを損なうので、互恵的利他主義の持続を脅かすものであるとしている。
すなわち、いかさま師個人に対する懲罰が必要になり、これ自体にコストもかかるが、これは人間にしか見られないものである。