Contents |
研究領域
- wikipedia 道徳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3道徳(どうとく)や倫理(りんり) 、モラルとはいくつかの意味を持つ。例えば
* 道徳的規範:社会や共同体において構成員全員が守るべき、あるいは特定の状況で行うべきと考えられている規範、行動の指針のこと。
ウソをつくことは悪いことだというように構成員の多くから是認されている規範もあれば、動物を殺して食べるべきではないというような少数の人々が従う規範もある。
* 道徳性:良い行いと悪い行いを区別し、規範にしたがう心、能力、判断のこと。道徳心。
(中略)
それでも、様々な社会のあいだに共通した特性を発見することができる。
例えば互恵関係、忠誠、権威の尊重、身体的な危害の制限、性的関係や食べ物の規制などである。
(中略)
ジョン・ロールズやピーター・シンガーは人の道徳判断に生得性に基づく偏りがあることを認めた上で、それでも社会規範としての道徳は合理性と論理に依拠しなければならないと提唱した。
普遍性と多様性 [編集]
道徳的規範には、どの文化にも共通の部分と、習慣や慣習的規範のように文化によって大きく異なる部分とがある。
通常、共同体の構成員に対する危害:殺人、盗み、騙し、強姦などは、どの文化でも不道徳視されている。
一方で、例えばインドのバラモンの間では、息子が叔父の死後10日以内に肉を食べるか髪を切ることは不道徳とみなされるが、これは他の国ではそうではない。
アメリカでは子供と同じベッドで寝ることは幼児虐待とみなされることがあるが、アジア諸国ではそうではない。
道徳判断に用いられる特性(権利、義務、世話、神聖さなど)の強さも社会によって異なる。
多くの文化では、道徳的規範と慣習的規範が意識して区別されることが少ないが、幼い子供でも道徳的規範と慣習的規範の区別が付くようである[3]。
例えば盗むことは悪いことだと教えられると、子供は「常に盗むことは悪いことだ」と理解するが、静かにしていなさいと注意されると、注意されたとき、あるいは特定の状況でだけ「静かにしているべきだ」と判断する。
また宗教的に育てられた子供でも宗教的規範(他の教徒は従わなくても良い)と道徳的規範(全ての人が従うべきだ)をあるていど区別するようである。
心理学者エリオット・テュリエルのような道徳普遍主義者は、多様性を表面上のものと考え、より深層の共通性を捜した。
人類学者リチャード・シュウェーダーは、この一見すると多様に見える道徳性を三つの領域に分けた。
自立性(自由、権利、危害、正義に関する)、集団性(義務や集団全体に関わる)、神聖さ(純粋さや高潔さ、個人の霊性に関わる)[4]。
ジョナサン・ハイトは、それを元に基本的な道徳の根源を5つに分け、ブラジルと北アメリカの上流社会と下流社会の人々の間で、無害だが不愉快な行為を評価する際に、この特性が異なる用いられ方をしていることを発見した[5]。
* 親切さ: 他人に親切にすること、害を加えないこと
* 公正さ: 公正さを保ち、不公平な扱いを気に掛け罰する
* 集団性: 家族、集団への忠誠
* 権威: 伝統や権威への服従
* 純粋さ: 純粋さや清潔さを好み、汚れた物や不純な物を嫌う
- ヒース「ルールに従う」イントロダクション P5
道徳は、何らかの報酬を予想するからでなく、それ自身のために遂行されなければならない行為という形で義務を課するものである。
- ヒース「ルールに従う」イントロダクション P15
私は、「道徳的」問題と「倫理的」問題との間の、ますます標準的となりつつある用語上の区別に従うことにする。
すなわち、「道徳」は何が正しく(right)、間違っている(wrong)か、許され、許されないのかという問題(すなわち、義務論的形式を帯びた規範的判断)に関連するのに対して、「倫理」は価値、善の概念(いわゆる価値倫理学的問題)に関連するものである。
道徳とは義務論的形式を帯びた規範的判断である。
道徳は一般的に互恵関係、忠誠、権威の尊重、身体的な危害の制限、性的関係や食べ物の規制などの特性を持ち、合理性を持つ。
また、親切さ・公正さ・集団性・権威・純粋さという根拠を持つ。
前提となる学問・研究領域
規範・義務・選択
道徳とは義務であるような規範に関する選択である。
過去に位置する学問・研究領域
原因となる学問・研究領域
解決すべき問題となる学問・研究領域
目的となる学問・研究領域
属する全体である学問・研究領域
本質的な部分である学問・研究領域
血縁・同情・徳・同調性・模倣
- ヒース「ルールに従う」第7章 超越論的必然性 7.1 懐疑論的解決 P351-353
進化的なパースペクティブからは、われわれが「道徳性」と呼ぶものが複雑な内部構造を持つことは驚くに値しない。
実際、利他主義を維持することができる3つの進化的メカニズム(血縁選択、互恵性、規範同調性)のそれぞれが、異なる性向の集合と関連づけられており、そのそれぞれが主体を異なる形態の「向社会的」行動へと仕向ける力を持っているはずだと期待すべきである。たとえば、しばしば注目されてきたのは、自然な共感はその範囲が極端に限られており、困っている人が何らかの仕方でわれわれと似ていたり、幼生的な(neoteneous)特徴を示したりしているときに、より容易に助長される傾向があることである。このことは、明らかに血縁選択の遺産であるように思われる。
(中略)
実際、徳倫理の基本概念はすべて、互恵的利他主義によって構造化された社会的インタラクションのシステムの中にその行動上の相関物(behavioral correlate)を見いだすことができる。
このレベルでは、向社会的行動は本質的に特定の諸個人と協力する性向――それは交換の繰り返しを通して時間をかけて構築されたものである――に支えられている。
徳と悪徳の概念は本質的には、これらの交換の経過を追うための「得点表」として生じたものだと想像することができるのである。
(中略)
このことは、われわれの規範的コントロール・システムが根本的に同調的模倣(comformit imitation)の性向であり、内容に関しては完全に空虚であるという事実の反映として理解することが可能である。
(中略)
しかし、数世紀にわたり道徳心理学を支配してきた3つの概念――共感、徳、義務――が、利他的行動を説明するために提出されてきた3つの進化論的メカニズムにきわめてうまく対応していることは注目に値することである。
道徳は、血縁選択・互恵性・規範同調性と、それと対応する道徳心理学上の概念である共感(感情的なものであるため同情とみなす)・徳・義務から成り立つ。
ただし後述する理由で義務は除く。
超社会性・社会化・内面化
同情・徳と区別される人間固有の利他主義として、同調性と文化から生じた超社会性がある。
これは文化であり、同情・徳と違い生得的なものではないため、社会化・内面化が必要となる。
互恵的利他主義・互酬・権威・暴力・攻撃・危害・攻撃・危害・セクシュアリティ・エロス・生活
道徳は一般的に互恵関係・権威・身体的な危害・性・食べ物の規制を含む。どれか一つあれば倫理であると言える。
よって、道徳は互恵的利他主義・互酬・権威・暴力・攻撃・危害・攻撃・危害・セクシュアリティ・エロス・生活を要素とすると言えるのではないだろうか。
利他主義・利他的行動・均衡・公平・内集団・伝統・清潔
道徳は親切さ・公正さ・集団性・権威・純粋さという根拠を持つ。
よって、道徳は利他主義・利他的行動・均衡・公平・内集団・伝統・清潔を要素とすると言えるのではないだろうか。
集団が道徳等規範の要素といえるのではないかという考えもあるが、そもそも内集団が規範等によって統合されたものを集団と呼ぶため、規範こそが集団の要素といえる。
内集団への帰属意識が規範の要素となり、その規範が集団の要素となると考えるべきである。
非本質的な部分である学問・研究領域
前提となる学問・研究領域(疑いあり)
法学・法
道徳は外面的な法が内面化したものと考えられる。
よって、道徳は法を前提とすると言えるのではないだろうか。
ただし、民族学などによると裁判規範性を持つ法は倫理より後に出てきている。
医学・医療
人類は医療倫理を持つが、これは人類に限ったものである。
自然界の薬草利用などの自己治療は、社会性がなく、ルールがあるとは認めがたい。
生産・労働
人類は労働倫理を持つが、これは人類に限ったものである。
アリの労働については、働きアリには怠け者がいて、それらに対する制裁や裏切者検知が働いているわけではなく、倫理が機能していない。
外交
- wikipedia 縄張り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E5%BC%B5%E3%82%8A縄張り(なわばり)あるいはテリトリーとは、動物個体あるいはグループが、直接に防衛するかあるいは信号を通じて他個体を排斥し、排他的に占有する地域のことである[1]。
人類は国際法を持つが、これは人類に限ったものである。
動物の内集団間における問題解決の政治は、防衛や威嚇という形でなされるのであって、ルールがあるとは認めがたい。