Last-modified: 2016-02-10 (水) 04:50:30
 

研究領域

  • wikipedia 徳
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3

    徳(とく、希: ἀρετή アレテー, 羅: virtūs, 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。

徳は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。

前提となる学問・研究領域

気質・手続き記憶・スキル

徳は、人間の持つ気質や能力である。

過去に位置する学問・研究領域

原因となる学問・研究領域

解決すべき問題となる学問・研究領域

目的となる学問・研究領域

互恵的利他主義・互酬・対人魅力・性格・印象形成

  • ヒース「ルールに従う」第6章 自然主義的パースペクティブ 6.3 互恵的利他主義 P299

    互恵性に基づく利他的性向が維持可能なものとなるためには、それが過去に自分を助けた人を助ける性向だけでなく、過去に自分を助けなかった人を助けない性向をも含まなければならないことに注意すべきである。

  • ヒース「ルールに従う」第7章 超越論的必然性 7.1 懐疑論的解決 P352

    実際、徳倫理の基本概念はすべて、互恵的利他主義によって構造化された社会的インタラクションのシステムの中にその行動上の相関物(behavioral correlate)を見いだすことができる。

    このレベルでは、向社会的行動は本質的に特定の諸個人と協力する性向――それは交換の繰り返しを通して時間をかけて構築されたものである――に支えられている。

    徳と悪徳の概念は本質的には、これらの交換の経過を追うための「得点表」として生じたものだと想像することができるのである。

    他人が遂行した利他的行為から便益を得れば、その個人に対して少しポジティブなカセクシスが生成される(彼を好きになり始めたり、「有徳な」性格を帰属させ始めたりする)。

    他人の利己的あるいは攻撃的な行為によって困らせられれば、それはネガティブなカセクシスを生成することになる(彼を嫌いになり始めたり、「悪徳な」性格を帰属させ始めたりする)。

    (中略)

    さらに、ある人を好きになることは、その人に対して利他的に行為する非常に一般的な性向を生み出すことになる。

徳は、互恵的利他主義と対応する道徳心理学上の概念であり、対人魅力を感じることや、性格に対する印象形成を指す。
また、互恵的利他主義には過去に自分を助けなかった人を助けない性向をも含むため、互恵的利他主義に関する対人魅力が互恵的利他主義の手段として実際に機能しているとみなすべきである。

属する全体である学問・研究領域

本質的な部分である学問・研究領域

非本質的な部分である学問・研究領域

人類学・人類・人間性

  • ヒース「ルールに従う」第6章 自然主義的パースペクティブ 6.3 互恵的利他主義 P298

    食料の分け合い、相互的な毛づくろい、ある種の警戒音声など、動物たちに見られる一定の範囲の利他的行動の背後に、この種の条件依存的な互恵性があることが広く信じられている29)。

互恵的利他主義に関する対人魅力ということは霊長類の毛づくろいにもみられる。

前提となる学問・研究領域(疑いあり)

社会学・社会・規範

  • 山極寿一「家族進化論」第3章 性と社会の進化 6 子育てとインセストの回避 P157

    人間の社会での観察事例が増えるにしたがい、ウェスターマーク効果が実在することがたしかになった。

    そして、それは霊長類から受け継いだ生物学的性質なのだということも明らかになった。

    ではなぜ、人間の社会はインセストをタブーとして制度化する必要があったのだろう。

    それは、レヴィ=ストロースが予言したように、インセストを禁止することによって人間の社会が自然の養成にもとづかない新たな枠組みを創造できるからだ。

    おそらく複数の家族を共同体に組み込む過程で、性交渉を保証される男女と禁止される男女を区別する必要が生じたのだろうと思う。

    家族はその両方から成り立っている。

    家族のなかで夫婦は性交渉を独占し、ほかのいかなる組み合わせにおいてもそれは禁止されるからである。

    それが守られている限り、家族はいくらでも大きくなることができ、ほかの家族と手を組むことができる。

  • ヒース「ルールに従う」イントロダクション P15

    私は、「道徳的」問題と「倫理的」問題との間の、ますます標準となりつつある用語上の区別に従うことにする。

    すなわち、「道徳」は何が正しく(right)、間違っている(wrong)か、許され、許されないのかという問題(すなわち、義務論的形式を帯びた規範的判断)に関連するのに対して、「倫理」は価値、善の概念(いわゆる価値倫理学的問題)に関連するものである。
    山極の説によれば、超家族的な社会や共同体は、性的規範が家族と群れを両立させることで生じる。
    ヒースの説によれば、道徳は、義務論的形式を帯びた規範的判断であり、言語以降のものである。
    社会や道徳が徳の前提であるというより、むしろこれらが徳によって成り立つと考えるべきである。