伊勢改

Last-modified: 2024-03-16 (土) 13:31:55

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基本データ

No.1004
画像基本情報
L_NORMAL_1004-min.pngレアリティ☆☆☆☆
ゲーム内名称伊势(鳌 áo)翻訳名称伊勢
所属/艦級大日本帝國海軍/伊勢型1番艦
本名伊勢(いせ)Ise
イラストレーターFlaurel
艦種航空戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久79火力67/87
装甲67/87雷装0/0
回避28/53対空48/78
搭載24対潜0/0
速力24.5kt索敵20/47
射程15
最大消費量
燃料85弾薬120
艦載装備
0日本四一式35.6cm連装砲
0対空噴進砲
12瑞雲
12未装備
強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) 32/0/67/60解体資源
(燃料/弾薬/鋼材/ボーキ)
50/60/60/10
改造チャート
伊勢伊勢改
 
旧立ち絵
SD
Ise_M1C_0.png
 
スキル名発動タイミング
(スキルレベル1/2/3)
効果範囲効果
(スキルレベル1/2/3)
備考
敵機駆逐B航空戦時敵空母および航空戦艦敵爆撃機の命中率を10/15/20%下げる
敵爆撃機が接近すると、伊勢は対空砲火で、敵機の陣形を乱す。スキル習得後、敵爆撃機の命中率を下げる。
 

セリフ

セリフ 2017年7月3日~
CV日:中:
場面日本語中国語
改造時じゃーん、航空戦艦伊勢だよっ!この姿ならもっともっと活躍できそう。そうすれば…信仰も…ふふふ…昔受神佑,无上荣光随吾共进。挥别旧日,续写新篇。
母港(昼間)魚雷なんて全く心配いらないよ。接近するのを待って高角砲を使えば解決!その事に関しては天才的だから!本当だってば!祈福、还愿,都可以来这里。神社,就是为此而存在的。心怀所念,必有因缘。
取舵一杯!ふふーん!そんな攻撃じゃ、あたしに当てることもできないよっ?よし!もう一回、取舵ー!曾经所期盼的舰载机,现下正好好的履行着自己的职责。“瑞云”,真是不错的名字。
あれ?瑞鳳、こんなところでどうしたの?もー、輸送作戦中なのに仕方ないなぁ…。よし、あたしが助け…わわっ、敵空母さん達のお出ましだ、一緒に逃げろー!提督您,有着怎样的梦想呢?无论那梦想是以何种姿态存在,都是您所向往的“新”。改变,也许只需要一个很小的契机。
母港(夜間)どう?避けるの上手でしょー。これでもっと信仰してくれ…あー!取らないで!それは回避の仕方が書いてある本なの~!!繁星、月光,美轮美奂。我还是第一次觉得,“活着”是多么的幸运。
今は参拝の時間じゃないから、神社は開いてないよ~。あ!でも、もしお賽銭納めに来たなら今回だけこっそ~り入れたげるよ、提督だけの特別だよ!平日里的一点一滴,都是难忘的回忆。正是每一日的微小变化,才铸就了现在的我们。
提督ー!あたしの報告書だよっ!これ見てよ、凄い数の航空機、撃墜したんだからっ!えっ…相当重複している…?そ、そんな事ないよ…あたし急用があるから、ま、またねっ!嚯,这可积攒了不少文书。没有他人的帮助,您怕是很难休息了。不如,就由我来助您一臂之力吧。
フレンド訪問提督はいないよ?あ、ついでにお参りして行ってよ。
提督室げっ…書類…に、逃げないよ…
陣形選択おっと…敵のお出ましだよ。華麗に避けてみせるから、ちゃんと見ててねっ?你已无处遁形!
攻撃ほらほら、おいでよ!神佑吾身,退邪!
攻撃(夜戦)逃げ足だけじゃないんだからっ!终末之刻!
中破避けることには自信があったんだけどなぁ…福祸所依…再多,坚持下去!
誓約何、参拝しに来…違うの?えっ、これって――もう…あたしだけをずーっと信仰するって誓ってくれ…る?(反転)因为您,我才在这世间有了存在的意义。此身,为“守护”而成。为了您而存在的我,此刻,与您订下誓约。
誓約後(昼間)これから、あたしの神社でお祭りがあるんだよ!もちろん、提督も来てくれるよねっ?待ってるからー!在这广阔的世界里,存在着无数的神明。意志不坚定的人想要追求信仰就如同大海捞针一般。从根源处就迷失自我的人,又该如何找到精神的寄托呢?
提督、見て見て!どう、あたしの巫女服!可愛いでしょ~。ちょっ、コスプレってゆーな!これでもちゃんとした巫女なんだよ?心境成熟之后自然也会在其他方面有所改变,比如会说一些生涩难懂的话?哈,刚才的那番话是不是有些摸不着头脑呢,其实只是随口一提的,并没有什么实际意义。
外、あっつーい…。――あー、冷房は涼しー!いいじゃん、少しくらいだらしなくても…え、見え?…!!ご!ごめ…(赤面)讨伐妖怪?没有哦,我并不是那种巫女。不如说,您眼中的巫女到底是什么样子的啊?现在已经不是平安时代了,妖怪早已成为了历史。“和平”,正是在说当下的世界哦。
誓約後(夜間)提督~、お参り来てよー!あ…また書類?よいしょっ…苦手だけど手伝う…。その代わり、終わったらお参りに来て…ううん、一緒に行きたいな。那只白头鹰说话真的很嚣张,让我难得地产生了想要动粗的念头。啧……明明只是个传话筒而已。咳咳,让您见笑了,让我们继续工作吧。
あれ、こんなに早く仕事終わったの?珍しー。あたし…?あたしはお祭りの準備があるからまだ起きて…手伝ってくれるの?ありがと…嗯?您肚子饿了吗?真抱歉,神社里没什么好招待您的东西……啊,也不是没钱的缘故,只是单纯没有在这边预留食物的习惯。等等……您那眼神,是在怀疑什么?!
もがみんがお願いなんて珍し~。瑞雲の使い方…?あー、提督に褒められたいとみた(にやにや)教えてあげてもいいけど…提督はあたしのものだからねっ?“落语”作为一种艺术载体,却没能得到广泛传播,真是有些遗憾。人生,又何尝不是充满着这些“遗憾”呢?但只要勇于面对!这些都不过是小事而已!
セリフ 2017年4月28日~
場面内容
改造時かつて受けた神佑のもと、無上の栄光と共に進みます。航空戦艦伊勢、過去に別れを告げ、新たな未来を紡ぎます。
母港(昼間)これまで待ち望んだ艦載機が、今はしっかりと自分の職務を全うしてます。「端雲」、いい名前ですね。
お祈りでも、お参りでもここに来なさい。神社はそのためのものですから。心の中で常に念じれば必ずご縁はあります。
提督はどんな夢をお持ちですか?どんな夢であっても、それは貴方が憧れる「真の自分」なのです。変わるためのきっかけは、ほんの小さなものかもしれませんよ?
母港(夜間)輝く星々とお月様のこの壮大な美しさ。私、初めて思いました。「生きてる」ってとてもとても幸せなことだって。
おや、書類が溜まってますね。手伝ってくれる人がいないと、休憩も取りにくいでしょう。微力ながら私もお手伝いしましょう。
日常にある小さな事や煌めいた一瞬が忘れがたい思い出になるのです。日々のささやかな変化が、今の私たちを創り上げてるんですよ。
戦闘突入もう隠れる場所はないぞ!
攻撃神佑をわが身に!破邪!
攻撃(夜戦)終末の刻!
中破禍福は糾える縄の如し…もっと、頑張らねば!
誓約{{{誓約}}}
旧セリフ
場面内容
改造時航空戦艦伊勢、登場です!夢にまで見た航空編隊がやっと…艦載機一杯にして出撃しましょう!提督、どうかご命令を!
誓約うんうん!勝った勝った!改造のチャンスだけではなく、提督の誓いも手に入れちゃった!へへーん、これぞ姉としてのアドバンテージよ!えへッ!
 

艦種紹介

日本版元は扶桑型戦艦三番艦のはずだったが、設計が遅れて大幅な変更になったため、最終的には新たに伊勢型戦艦として建造された。伊勢は最も早くレーダーを装備した日本海軍の戦艦である。1942年末、伊勢は航空戦艦となった。1944年にはエンガノ岬沖海戦に参加したが、飛行部隊を既に消耗していたため、伊勢は航空機を搭載することはできなかった。日向と共に海戦の中幸いにも生き残り、その後北号作戦により本土に戻ったが、最後は呉港にて大破着底し、日本の敗戦を迎えた。
中国版原本为扶桑型战列舰的3番舰,因建造计划延误得以大幅改动设计,最终成为新一级伊势型战列舰。伊势号是最早装备雷达的日军战列舰。42年末伊势号被改装成了航空战列舰,于44年参加了恩加诺海战,由于原定抽调至伊势号的飞行部队已消耗殆尽,所以伊势号参战时并未搭载飞机。她同日向号在海战中幸存下来,之后执行北号作战运输物资回到本土。最后在吴港被重创搁浅,迎来了日本战败。
 
 

性能や運用について

  • 改装後は『航空戦艦』という新たな枠にカテゴライズされる。
    基本的な挙動は改造前の戦艦だった時とほとんど同じだが、以下の点に大きな違いがある。
    ・艦載機の装備
    一部の装備スロットに戦闘機、爆撃機を装備することができる。
    ただし航空戦艦が装備可能な艦載機は限られており、全ての艦載機を装備出来るわけではない。
    ・開幕航空戦への参加
    艦載機を装備している場合、空母と同様に開幕航空戦に参加する。
    装備しているのが爆撃機なら爆撃を行い、戦闘機なら敵航空機の撃墜/制空を行う。
    ・対潜攻撃
    偵察機または爆撃機を装備していた場合、次回砲撃フェイズのみ砲撃に替わって潜水艦へ対潜攻撃を行う。
    自身が中・大破している場合や戦闘機だけを装備している場合は対潜攻撃を行わない。
    また、駆逐や軽母といった他の対潜艦と異なり、先制対潜フェイズに対潜攻撃を行わない。単横陣を選択する際には注意。
  • 端的に言えば「航空戦と対潜も出来る戦艦」といったところ。
    幅広い用途に使えるマルチな艦ではあるが、いずれも本職の艦には今一歩及ばないため器用貧乏になりがち。活躍の場をきちんと見出して運用したい。
  • スキル「敵機駆逐B」は、海域攻略よりもどちらかと言えば艦爆を使用するプレイヤーが多い演習において有用である。
  • 91式徹甲弾と水上機の瑞雲晴嵐を一緒に装備すると、水上機の爆撃に徹甲効果を付与出来る。
    晴嵐は、BTD-1ワイバーンの中間ぐらいの強さになる様なので、開幕航空戦では空母並みの活躍を見せる。
  • 搭載スロットが12と少なく、艦載機の損耗を考慮すると海域深部への出撃に連れて行くメリットはあまりなかったが、
    SR.A/1といった航空戦艦にも搭載可能な戦闘機が戦利品報酬に実装されたことで制空にも寄与出来るようになり、活躍の幅が広がった。
  • 戦艦としてカウントされないため、戦艦の数に条件が付くルート分岐やイベント戦での編成制限をすり抜ける脱法戦艦としても使用可能。
  • 中国版及び2018/03/19の日本語版Ver3.6.0アップデートで性能調整された。
    火力64/84→67/87(+3) 対空43/73→48/78(+5)

ゲーム内において

  • 2016年の12月中頃?に本家(大陸版)にて改造前・後のイラストの差し替えられた。これは作者が旧立ち絵に納得がいかず描き直したため。かなり画風が変わっているので「イラストレーターが変更された」と勘違いしがちだが、描いたのは旧絵・新絵ともに同一人物である。
    日本版も2017/3/15のVer2.9.0へのアップデートで変更された。
  • 2017年4月28日Ver3.0.0アップデートにて、新立ち絵に合わせたセリフに変更されている。もはや別人レベルの変わりようである。
    • 2017年7月3日の定期メンテナンスで台詞が再度変更された。
  • 立ち絵について
    • 4基あった主砲が2基になり代わりに飛行甲板になっている。カタパルトにいる艦載機は晴嵐だと思われる。
    • 衣装は元々着ていた服に黒基調の羽織を着ている。改造前と比べて落ち着いたデザイン。
  • セリフについて
    • 昼母港「魚雷なんて全く心配いらないよ。接近するのを待って高角砲を使えば解決!その事に関しては天才的だから!本当だってば!」
      これは実際に伊勢は1942年の北号作戦で命中寸前の魚雷を高角砲で迎撃したという話が元。
      普通なら魚雷を高角砲で破壊するのは難しいが米海軍の使っていた魚雷は磁気信管という直撃によらず艦船の直下で起爆し、竜骨・船底を破壊する装置が上手く作動しないことが多かったため浅めに魚雷を発射していた。海面近く潜行している場合なら高射砲などで破壊することも可能ではあった。
    • 昼母港「取舵一杯!ふふーん!そんな攻撃じゃ、あたしに当てることもできないよっ?よし!もう一回、取舵ー!」
      これはレイテ沖海戦での話。伊勢と日向は米艦爆の急降下爆撃を前に取った回避方法。
      急降下爆撃の体勢に入ると急転舵をするという単純かつとても有効な回避術。一度急降下の体勢に入ると簡単にルート変更できないことと急転舵で速度が落ちパイロットが見失うという2つの隙きをついた作戦だった。
    • 「あれ?瑞鳳、こんなところでどうしたの?もー、輸送作戦中なのに仕方ないなぁ…。よし、あたしが助け…わわっ、敵空母さん達のお出ましだ、一緒に逃げろー!」
      これもレイテ沖海戦での話が元。囮として艦載機をほとんど載せていなかった小沢機動部隊は米艦載機に次々と撃沈された(瑞鶴、瑞鳳、千歳)。その際伊勢が瑞鳳の乗員の救助活動を行った。
      大型の艦船は停止、発進に時間がかかるため、いつ空襲されるか分からない時に艦を止めてまで救助に参加することは無いが、このときは救助活動を行った。奇跡的に発見されず離脱できたものの直ぐ側まで敵機が迫っていたためまさに間一髪だった。
    • 夜母港「提督ー!あたしの報告書だよっ!これ見てよ、凄い数の航空機、撃墜したんだからっ!えっ…相当重複している…?そ、そんな事ないよ…あたし急用があるから、ま、またねっ!」
      これもレイテ沖海戦での話。すぐ上の話の通り一方的に空襲を受けた際、伊勢は撃墜63機もしくは44機撃墜・不確実12機と報告したが、戦闘詳報では『重複スルモノ相当アルモノノ如ク』と評されてしまった。

元ネタ解説

No4 伊勢/元ネタ解説

所属大日本帝國海軍
艦種・艦型伊勢型戦艦
正式名称伊勢(いせ)
名前の由来伊勢国 旧令制国 (日本国三重県北中部 愛知県の一部 岐阜県の一部)
起工日1915.5.10
進水日1916.11.12
就役日(竣工日)(1917.12.1)
除籍日(除籍理由)1945.11.20(1945.7.28大破着底)
その後1946解体
全長(身長)208.18m→229.62m(1944)
基準排水量(体重)29980英t(30461.1t)→36000英t(36577.7t)(1937)→35350英t(35917.3t)(1944)
出力ロ号艦本式石炭重油混焼缶24基Brown Curtis式蒸気タービン2基4軸 45000shp(45624.1PS)
→ロ号艦本式重油専焼缶8基艦本式蒸気タービン4基4軸 80825shp(81946.0PS)(1944)
最高速度23.0kt(42.59km/h)→25.2kt(46.67km/h)(1937)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/9680海里(17927.36km)
→16.0kt(29.63km/h)/9500海里(17594km)(1944)
乗員1360~1571名
装備(建造時)45口径四一式35.6cm連装砲6基12門
50口径四一式14cm単装砲20門
40口径三年式単装高角砲4門
53cm魚雷発射管6門
装備(1937)45口径四一式35.6cm連装砲6基12門
50口径四一式14cm単装砲16門
40口径八九式12.7cm連装高角砲4基8門
九六式25mm機銃x20(10x2)
艦載機x3
装備(1944)45口径四一式35.6cm連装砲4基8門
40口径八九式12.7cm連装高角砲8基16門
九六式25mm機銃x104(31x3+11x1)
12cm28連装噴進砲6基168門
艦載機x22
装甲(1937)舷側:89~305mm 甲板:32+135mm 砲塔:152~305mm 艦橋:356mm
建造所川崎造船所社 (現 川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸工場) (日本国兵庫県神戸市)
  • 大日本帝國海軍が保有した伊勢型戦艦一番艦。大正期に建造された超弩級戦艦。艦名の由来は三重県の旧国名伊勢から。伊勢の由来は磯の転音と言われている。
    元々は扶桑型三番艦として建造する予定だったが、予算の都合により起工が遅れた。その間に扶桑型の問題点が発覚。大きく再設計した伊勢型として建造することとなる。
建造~開戦まで
  • 1913年度計画第五号甲鉄戦艦として建造が決定。1914年10月12日、軍艦伊勢と命名され、1915年5月10日に川崎重工神戸造船所にて起工。
    1916年11月12日に仁親王殿下臨席の下、進水式を行う。公試で23.6ノットを発揮。1917年10月14日、神戸港に係留されていた伊勢は、互光商会所有の汽船太陽丸と接触。
    損傷は軽微だったが、すぐに報告書にまとめられた。そして1917年12月15日に竣工し、呉鎮守府へと配属された。初代艦長として秋沢大佐が着任。
    諸元は排水量3万1153トン、出力5万6498馬力、速力23ノット。扶桑型に続く国産戦艦の第二弾として産声を上げた。そして1918年4月1日、第一艦隊第一戦隊へ編入された。
    • 扶桑型と比較すると解消できた問題点も多いが、まだまだ問題点だらけの戦艦であった。特に問題だったのが劣悪な居住性と操舵の難しさだった。いかんせん直進が難しく、ふらついてしまう。
      反面、舵を切るのは非常に簡単だったという。とはいうものの、当然のことながら走攻守全てにおいて扶桑型に劣る面はなく、建造当初は列強諸国と互角以上とも評価されている。
    • 前級の扶桑型は副砲に15cm砲を採用したが、伊勢型は小型の14cm砲としている。これは体格や体力面に劣る日本人に合わせたからだった。小型化に伴い、扶桑型より4門多く装備している。
      弾丸も小型になったため給弾速度も速くなり、発射間隔が狭まった。主機関はブラウン・カーチス式とし、出力は4万5000馬力となった。扶桑型から5000馬力増加している。
      防御面でも扶桑型より強化された。ジュットランド沖海戦の戦訓を採り入れ、水平・垂直防御を強化。防御甲板は30~55mm強化し、水中防御の強化策として縦隔壁を増加した。
      扶桑型では機関室を挟むように主砲塔を設置したため、機関の増設が出来ないという致命的な欠陥を抱えていた。伊勢型では当然改善され、設計上の問題を解決。
      艦内防御力と弾薬庫防御力が向上し、射撃指示能力も増進した。一方、居住性の悪化や副砲配置の制約を招いたとされている。
  • 1919年12月16日、呉に来訪した京都帝大教授市村法学博士と高原文法博士が呉海軍工廠と伊勢を見学した。
  • 1920年5月1日、連合艦隊の栄えある旗艦の座に就く。8月29日、館山を出港し、シベリア沿岸で警備。12月1日より予備艦となる。翌年の同日には第一艦隊第一戦隊へと復帰している。
    また、この年に伊勢神宮から別大麻を戴いた。神殿は艦内で製作し、長官公室の前に設置。艦内神社としている。
  • 1922年4月12日、戦艦長門とともに横浜で、イギリス皇太子座乗の巡洋戦艦レナウンと交歓する。11月24日、三津浜にて皇太子殿下が乗艦。午前9時頃、出港し航海を始めた。
    翌日午前7時、宇和島に寄港し、皇太子殿下を上陸させた。
  • 1923年4月12日午前4時20分、門司曳船合名会社所有の汽船宝安丸は3隻の船を曳航していた。愛媛県大館場島南方を航行していた伊勢を発見し、後方に寄ったところ宝安丸と3隻の船が接触。
    4隻のうち2隻が沈没、2隻が損傷する事故に発展した。門司曳船合名会社は帝國海軍に対し補填を求めた。
    7月23日、第一戦隊は乙種戦闘射撃訓練を行っていた。25日、伊勢の第三砲塔右砲内筒に亀裂が発生している事が判明。換装の必要に迫られた。
    9月1日、関東大震災が発生。東京や横浜方面に甚大な被害をもたらした。被害を受けた帝都と臣民を助けるべく、伊勢は第二艦隊の戦艦群とともに4日午後に呉へ入港。
    白米、乾パン、ビスケット、医療器械、天幕、薬品等を詰め込み、5日朝に抜錨。途中、神戸と大阪に寄港して更なる食糧品を詰め込み、横浜へ向かった。品川港で積み荷を降ろし、無事送り届けられた。
  • 1925年10月14日午前1時40分頃、第三期演習を終えて館山に仮泊しようとしていた伊勢。錨を降ろした途端、何と主錨が切断されてしまい、2名が死亡した(内1名は即死、もう1名は瀕死のち死亡)。
    ただちに査問会が開かれ、原因の究明が行われたという。
  • 1926年2月10日、伝声管の新設が認められる。3月30日から外洋で活動。中城湾を経由してアモイ方面に進出。4月5日、台湾の馬公へ入港。20日に基隆を出港し、舟山島方面で活動。
    4月26日、航海を終えて寺島水道へ帰投した。5月17日、中国地方を行啓する皇太子の御召艦だった日向が都合により参加できなくなった。代役は長門となり、
    伊勢は予備御召艦として6月2日に横須賀軍港へ回航された。
  • 1927年3月27日、佐伯湾を出港し青島方面で活動。4月7日に旅順へ入港している。7月9日、伊勢遭難者(殉職者、負傷者)に対し御菓子料3円が下賜されている。
  • 1929年8月14日、探照灯台天幕装置を新設する工事が始まる。期限は11月末日までと定められた。12月11日、魚雷追跡用内火艇1隻とその搭載装置を新設。
  • 1930年8月15日、予備艦となり入渠。近代化大改装を受ける。1936年12月8日、宿毛湾で全力公試を実施。排水量は4万669トン、出力8万1360馬力、速力25ノットに強化された。
    翌1932年3月、改装完了。3月8日、伊勢に小型製氷機械付き冷蔵庫が配備された。4月25日には罐管外部掃除装置装備の訓令が出ている。同年12月1日に第一艦隊第一戦隊に復帰した。
  • 1933年3月1日、東北地方及び北海道震災で被災した人々のために、伊勢乗員から義捐金が集められた。義捐金を出した者は氏名と階級が官房に載せられた。
    5月1日から4日にかけて、呉海兵団所属の軍楽隊が乗艦。宇品の久賀まで送り届けた。11日、宮島にて山口県日積実業実践学校の生徒182名を乗せて艦内に宿泊させた。
    そして久賀まで回航し、同地で降ろした。5月14日からは呉工廠に入渠。中央露天甲板と側幕を新設した。6月6日、出渠。6月21日、増減速計装備の訓示が下る。
    館山に寄港した際に装備され、機関科指揮所の機械に取り付けられた。
  • 1934年2月9日、海軍通信学校練習生に実習の場を提供。4月9日、満州国の視察団が許可を得て軍港に来訪。横須賀航空隊、伊勢、比叡、記念艦三笠を見学していった。
    5月6日、地方長官等が軍艦及び横須賀を視察する事から即日横須賀へ回航するよう命じられる。
    9月25日、呉工廠で機関部の大改装に着手。1935年8月1日からは船体の改装も始まり、15日に予備艦となる。この改装で主砲の最大仰角が45度になり、長門型と同等の射程距離を有した。
    バイタルパートの防御力強化を重点的に行い、艦側面にバルジを装備して水中防御も向上させた。新型タービンエンジンを搭載した事で速力も25ノットに上昇。それに伴って艦尾も8m延長している。
    新型対空機銃や高角砲を装備して対空兵装を強化、副砲の仰角も上げられている。また光学機器や測距儀も新設し、魔改造された伊勢は強力な存在となった。
  • 1937年3月23日、復役。30日、伊勢と日向の巡航タルビン翼及び噴口翼、緑抑共通予備品の製造が始まる。予算は3万4000円だった。5月31日にようやく完工し、出渠。
  • 1938年4月9日、寺島水道を出港。日華事変が続く中国南部の沿岸を遊弋した。14日、基隆に帰投。10月17日にも同様に寺島水道を出発、中国南部で活動した。
    10月21日、アモイにてイギリスの軽巡洋艦バーミンガムと交歓。23日に馬公へ帰投した。
  • 1939年3月22日、鹿児島を出発。中国北部の沿岸で遊弋する。4月2日、高雄に寄港。
  • 1940年に行われた教練射撃と戦闘射撃で、伊勢は戦技優勝艦の名誉を獲得した。この時、射程距離3万kmで命中率19.2%を記録した。11月15日、第一艦隊第二戦隊へと転属。
  • 1941年4月27日、宿毛湾に回航。5月より21号対空レーダーを試験的に装備。これにより伊勢は初めてレーダーを搭載した日本艦となった。6月3日、宿毛湾を出港し四日市に回航。
  • しかし時代の流れは非情なもの。あれよあれよという間により強力な戦艦が生まれてゆき、問題も多い旧式戦艦の枠に。大改装で抜本的な強化もなされたものの、しばらくは不遇の日々を送ることとなる。
 
開戦
  • 1941年12月8日、運命の大東亜戦争が勃発。開戦に伴い柱島を出港後、小笠原諸島方面で活動。真珠湾攻撃に参加した艦が損傷し、曳航が必要となった時に備えて待機した。
    が、その必要が無くなり13日に柱島へ帰投。以降は内地で全作戦の支援を行った。
    1942年2月8日、警戒部隊に編入。2月19日より呉工廠に入渠して改修工事を受けた。3月12日、柱島を経由し空母瑞鶴とともに本州東方を哨戒。
    4月18日、ドゥーリットル空襲を行った米機動部隊を追跡するため柱島を出撃。しかし逃げ切られ、反転。4月24日に帰投。5月5日、伊予灘で射撃訓練中に姉妹艦日向が爆発事故を起こすのを目撃。
    5月29日、ミッドウェー作戦に参加するため戦艦大和を中核として主力部隊とともに出撃。伊勢と日向には試作とはいえレーダーが搭載されており、それを期待しての参加となった。
    しかし戦闘の機会は無く、主力空母4隻が壊滅して作戦は失敗に終わる。6月6日、アリューシャン作戦を支援する目的で北上。第二艦隊と合流して本土に退却した。6月17日、横須賀へ帰投。
    慰めだったのは、21号対空レーダーの有用性が立証され新型艦や大型艦に次々と装備されていった事だった。
    • 彼女たちの運命が変わったのは1942年6月。
      ミッドウェー海戦の敗北から、足りない空母戦力を補う必要性が生じた帝國海軍は、雲龍型航空母艦の建造計画を立てるとともに既存の艦の空母改装を検討する事となる。
      そこで窓際族であった伊勢型に白羽の矢が立つ。その直前に砲塔爆発事故を起こしていた姉妹艦日向の修理も兼ねて航空戦艦として生まれ変わることとなった。
    • 航空戦艦とは、戦艦の火力と防御力に空母にも迫る航空機運用力を持つ、まさにロマンの権化である。
      ……と、いう印象を抱く者も居るであろう。しかしその実態は、他の戦艦でも運用されていた水上機を、より大規模に運用できる戦艦である。
      残念ながら、本職である空母やフィクションでの航空戦艦と違い、飛び立った航空機が着艦出来るほどのスペースは無かったのである。
      そのため飛び立った航空機は、近辺の航空基地や友軍空母に降り立つ、もしくは海上に不時着するしかないという一方通行であった。特に不時着は機体の再使用が完全に不可能である。
      それを解決できる水上機であっても、そのたびに艦を止めてクレーンで回収しなければならないという問題があり、航空機運用力に関しては疑問が残る状態であった。
      とはいえ、一機でも二機でもとにかく航空機が欲しい時期。概ね好意的に見られていたと言っても良いだろう。搭載機も用意され、訓練も行われていたことからも窺い知れる。
       
  • 1942年7月14日、連合艦隊所属となり呉や柱島で訓練に従事する。11月21日、呉工廠に入渠。いよいよ航空戦艦への改装が始まった。
    資材は、建造中止となった大和型戦艦第111号艦を解体したものを利用している。
  • 1942年12月15日、大竹海兵団から新兵教育を終えた少年たちが乗り込んできた。戦艦だけあって訓練は厳しく、甲板から板を出して海面へ飛び込む水泳が特に大変だったという。
    帝國海軍特有のシゴきも健在。少しでも過失があれば連帯責任で、古参兵に海軍精神注入棒で臀部を叩かれる。初年兵の尻から痣が消える事は無かった。
  • 1943年2月23日、呉鎮守府第四予備艦に変更。塗装や整備が行われた。8月23日、改装工事完了。5番、6番砲塔を撤去し、代わりに飛行甲板を設けて航空戦艦に生まれ変わった。
    周防灘で各種公試に従事。9月5日に再就役を果たした。しかし艦上爆撃機彗星と水上爆撃機瑞雲の生産が遅れ、航空戦艦にも関わらず航空機を有していなかった。
    空の格納庫は輸送という別の用途に使われる事となる。また3番、4番砲塔は位置が悪く、発射すれば飛行甲板が破壊されかねないので実質封印された。
  • 9月14日から兵学校候補生の実務訓練に従事する。候補生を指導するのは柴田中尉。彼は怒ったり、下の者を怒鳴るといった事が無く、優しい人柄で候補生を安心させた。
    機関科の指導官は山鳥中尉だったが、こちらも思慮深く部下想いな良い人物であった。伊勢では未だにハンモックが使用されており、候補生らは準備と片付けに泣かされたという。
    また寝室は飛行甲板の真下なので夜でも暑く、汗がびっしょり出た。ハンモック格納が遅いと、ハンモックを担いで上甲板を走らされるという話があったが、
    先述の通り指導官が優しかったため、実際に走らされた者はいなかったらしい。彼らには武装手当てとして300円が給金された。当時としては大金で、相当な地位の人でも100円が相場だった。
    しかし艦内では金の使い道が無いので、クラス基金に寄付したり親に送金する者が多かった。親の方は毎月大金が送られてくるので驚いたとか。
  • そして伊勢も最前線に投入される事になった。10月9日、宇品にて陸軍の物資を積み込む。14日、山城等とともに第52師団を乗せて出港。
    航海中も候補生の実習が行われた。トラック諸島に近づく頃、1名の候補生が歯槽膿漏を発症。伊勢には歯科医がいなかったのでトラック入港後、艦内の病室に入れられた。
    それから6日間、トラック諸島に滞在し、物資・人員を降ろした。10月31日、内地に引き返すためトラックを出港。11月5日に徳山へ辿り着き、呉まで回航された。その後、また訓練に従事。
    歯槽膿漏を患った候補生は友人の薦めで呉の薬局に駆け込み、薬を処方してもらって何とか快復した。
     
  • 1944年2月25日、単艦で連合艦隊所属となる。
  • 5月1日、第三艦隊第四航空戦隊に編入。5月31日に呉工廠に入渠し、電探と機銃を装備している。6月7日、出渠。21日より伊予灘で諸公試に従事。2日後、広島湾に回航され訓練。
    6月19日、マリアナ諸島の覇権を争うマリアナ沖海戦が生起し、伊勢は慌てて出撃準備を行ったが間に合わなかった。このため伊勢型の2隻は唯一参加しなかった戦艦となってしまった。
    ようやく再建した新生機動部隊はアメリカ軍の猛攻で壊滅。マリアナ諸島の放棄が決定的となった。この海戦でもたらされた戦訓により、残存艦艇の対空能力向上が図られた。
    伊勢は25mm三連装機銃12基、単装機銃11門を増備。25mm機銃装備数は104門に達し、ハリネズミ状態となった。また電探の交換も行われ、対水上射撃が可能な二二号電探改を新たに装備した。
    6月23日、飛行甲板に瑞雲を搭載し、射出訓練を行う。続く9月30日には対空噴進砲を装備。10月1日、伊勢に瑞雲22機と彗星22機を擁する第634航空隊が割り当てられ、待望の艦載機を得られる事になった。
    ・・・のだが、二週間後に生起した台湾沖航空戦により彗星を消耗、瑞雲はフィリピンの陸上基地に進出してパイロットの95%が戦死。そのまま現地に吸収されてしまった。
    このため機体が補充される事は無かった。以降、艦載機の補充は無かった。
  • その間にも戦局は悪化の一途を辿り、10月17日に米軍がレイテ湾に橋頭堡を築いた。
    本土と南方の資源地帯を繋ぐフィリピンが失陥すれば資源の輸送が途絶し、戦争の継続が絶望的となる。何としてでもフィリピンを死守しなければならなかった。
    帝國海軍は捷一号作戦を発令。生き残っていた艦艇をかき集め、迎撃戦力として組み込んだ。伊勢は小沢司令率いる囮こと小沢艦隊に編入された。この艦隊は敵を釣り上げる餌となる空母を擁していた。
     
  • 1944年10月20日午後6時、小沢艦隊は豊後水道を出撃。いきなり敵潜水艦の触接を受けたため、ジグザグ航法をしたり、対潜機を10機放って警戒を行ったが発見できなかった。
    張り詰めた緊張の中、海を行く小沢艦隊。幸い雷撃される事無く航海は続いた。
  • 10月24日午前6時にエンガノ岬の北東へと到達した。午前8時20分、基地航空隊が敵機動部隊の位置を知らせてきた。
    味方の空母から航空機が発進し、敵艦隊に攻撃を仕掛けたが戦果らしい戦果は挙げられず、ルソン島航空隊の下へ着陸した。
    一方その頃、主力たる栗田艦隊はシブヤン海にてアメリカ軍の激しい攻撃を受けていた。その情報が小沢艦隊にも届く。囮の役割を果たせないのではないか、と嫌な考えがよぎる。
    そこで小沢司令は艦隊を二分し、前衛と本隊に分けた。敵の目を引き付けるため、夜戦を以ってルソン島の敵艦隊を攻撃しようと考えたのだ。
    伊勢は前衛艦隊に投入され、日向と駆逐艦4隻とともに午後3時15分、本隊から分離。速力20ノットで南下を始めた。午後7時20分頃、220度の針路上に爆発の光を認めた。
    前衛艦隊の指揮官はこれを「味方の航空隊による夜襲」と判断。今突入すれば味方機に誤爆されるとして午前0時頃に突入できるよう様子見をした。
    午後10時頃にも閃光を確認し、前衛艦隊は機を見せて突入しようと考える。ところが本隊の小沢司令から北上するよう命じられ、突入は果たせなかった。30分後、合流地点を目指して北へ移動し始めた。
  • 10月25日午前6時34分頃、本隊が前衛艦隊を視認し無事合流。ただちに対空警戒の陣形を取り、伊勢は旗艦瑞鶴の後ろについた。間もなく索敵機から「敵機が我が機動部隊に向かう」と報告が入る。
    小沢艦隊を捕捉したのはハルゼー率いる敵機動部隊であった。ハルゼーは小沢艦隊こそが敵の主力だと判断し、航空機527機を送り込んできたのだ。見事、敵を釣り上げる事に成功した。
    午前7時39分、伊勢の電探が230度の方向より接近する敵機の編隊を捕捉。艦長より「対空戦闘」の指示が下された。午前8時15分。いよいよ、エンガノ岬沖海戦の幕が開けた。
    敵機の編隊は右斜め前方から攻撃を仕掛けてきた。さっそく伊勢は至近弾2発を受けるが、損傷は無かった。小沢艦隊は激しい爆撃に曝され、多くの艦が被弾する。
    守るべき存在の瑞鳳や瑞鶴にも被弾が相次ぐ。午前8時56分、護衛の駆逐艦秋月が爆沈。最初の犠牲者となった。この第一次空襲は約1時間続いた。
    敵機が引き上げていくと、すぐに陣形の立て直しが行われた。針路325度、速力20ノットで艦隊は北上を続ける。約1時間後の午前9時58分、第二次空襲が始まった。
    この空襲では大型艦の瑞鶴、伊勢、大淀が狙われた。午前10時5分、伊勢に艦爆10機が迫る。対空砲による攻撃で5機を撃墜するが、二番砲塔に小型爆弾が1発命中。至近弾8発を受けた。
    二回目の空襲は比較的短く、約20分で終了した。約2時間半後、第三次空襲が始まる。午後12時28分、伊勢が左舷より接近する敵の大編隊を探知。地獄はまだ終わらない。
    14時14分、旗艦瑞鶴が沈没。後を追うように瑞鳳も15時26分に沈没した。空襲は止まったが、守るべき空母が全滅した。残されたのは伊勢型戦艦と大淀、そして護衛の駆逐艦数隻だった。
    戦闘前、敵艦隊を攻撃しに行った味方の空母艦載機が小沢艦隊の下へ帰還した。ところが降りるべき空母は全滅しており、燃料を使い果たした機は海面に墜落し、水没していく。
    伊勢は、海面に投げ出された瑞鳳乗員の救助に当たった。いつ空襲が始まってもおかしくない状況で、艦を止めるなど自殺行為に等しかった。それでも伊勢は艦を止め、救助の手を差し伸べた。
    また敵潜水艦の襲撃にも気をつけなければなかった。伊勢は最も脆弱な姿を晒していた。だが、伊勢の名を冠しているだけに神徳があったのだろうか。
    1時間の救助活動を経て、瑞鳳乗員98名を救出。再び艦が動き始めた。その間、敵の攻撃が一切無かったのだ!16時30分、伊勢は臨時旗艦の大淀に率いられ、22ノットで北上。
    17時5分、後方より接近する敵の編隊を確認。第四次空襲の始まりである。敵機は生き残っている大型艦伊勢と日向に狙いを絞って攻撃してきた。
    17時26分、右から35機、左から約50機の急降下爆撃機に襲われる。更に右舷側から魚雷7本、左舷側から魚雷4本が迫り、絶体絶命の危機に立たされる。
    だが、ここで神々の加護と中瀬泝艦長の神業が合わさり、魚雷と爆弾を全て回避するという奇跡を起こした。とはいえ無傷とはいかず、至近弾34発を受けた。
    水線付近に大小の破孔と亀裂が生じ、重油95トンが使用不能となった。左舷缶室も被害を受けたが、全力航行に支障は無かった。また戦死者5名、負傷者71名を出している。
    この戦闘で伊勢は敵機22機撃墜を報じた。
  • 第五次、第六次と空襲は続いたが、6回目の空襲を以ってアメリカ軍の猛攻は止まった。実に527機が投入され、そのうち201機が戦闘機だった。
    攻撃は止まったが、上空にはまだ敵の触接機が飛び回っている。20時頃まで艦隊をしつこく追い回した後、姿を消した。
    その頃、瑞鶴乗員救助のため南方に残っていた駆逐艦初月や軽巡五十鈴が攻撃を受けていた。通信を受けた小沢司令は敵情を知らせるよう命じたが、返信は無かった。
    21時30分、初月らを救助するべく小沢司令は反転を命令、南下。23分後、北上してくる艦影を認めた。軽巡五十鈴と駆逐艦若月である。若月から初月の最期を聞くと、中城湾を目指して撤退。
    こうして地獄のエンガノ岬沖海戦は終わりを告げた。圧倒的不利な状況の中、伊勢は50機以上の敵機を撃墜。ハルゼーは「老練な艦長の回避運動により、ついに1発の命中弾も出ず」と悔しがった。
  • だが帰路も穏やかではなかった。翌26日午前0時頃、敵の潜水艦を探知。闇夜の逃避行が始まる。
    10月26日の夜明けは宮古島南方で迎えた。静寂を破ったのは敵潜水艦の雷撃だった。午前6時10分、日向へと伸びていく魚雷が確認され、対潜戦闘が下された。魚雷は艦首50m先をかすめた。
    午前6時30分、艦隊は北西に針路を変え、宮古島海峡に向かった。4分後、2本の魚雷が日向に伸びていく。が、これは後方に外れた。その直後、伊勢が160度方向に新たな敵潜水艦を認めた。
    午前8時32分、伊勢に3本の魚雷が放たれた。しかしこれも外れ。伊勢と日向の間を通過していった。敵は追撃を諦めたのか、以降は何事も無かった。
    そして10月27日午前0時、奄美大島西方180海里に達し、薩川湾へ入港。伊勢は類まれな強運に救われ、地獄の戦場から帰ってきたのだった。
    被弾による浸水で艦体が5度傾いてしまったので、応急修理して水平に戻す。浸水対策として小部屋を大量に用意し、最小限で食い止められるよう工夫を凝らした。10月29日、呉へ回航。
    • しかしながら、戦場は航空戦艦の完成を待ってはくれなかった。伊勢型の姉妹は、搭載機の配備が間に合わぬまま輸送作戦に従事することとなる。
      その後ようやく揃った搭載機は、急遽別の戦線へと転用。ここに至り、航空機の搭載をほぼ断念することとなる。航空戦艦となったはずの伊勢型は、依然戦艦として活用されていたのである。
      諦めた航空機の代わりに、対空兵装を大幅に増強。その中には、新開発であった対空噴進砲も含まれていた。
  • 11月1日、カタパルトを撤去。これにより伊勢は航空戦艦としての機能を失う。残されたのは広い格納庫だけだった。
     
  • 11月8日、日向とともにマニラ向けの軍需品を積載したあと出港。12日に馬公へ入港した。この時にアメリカ軍第38任務部隊によるマニラ大空襲が行われ、入港が不可能になってしまう。
    14日、新南群島に寄港。軍需品を輸送艦に託し、22日にリンガ泊地へ入港した。11月25日、ジョホール水道で座礁事故を起こしている。
    12月14日、カムラン湾へ入港。ミンダナオ島へと向かうアメリカ軍の輸送船団を襲撃するべく待機していたが、30日に作戦中止。カムラン湾を後にした。
    12月16日と30日にB-29がカムラン湾を偵察。伊勢の存在はアメリカ軍に知られる事になる。ハルゼー大将は伊勢の存在を脅威と捉え、何としても撃沈しようと考えた。
    そしてグラティテュード作戦を発令し、機動部隊を率いて南シナ海を暴れまわった。伊勢が狙われたその時、神風が吹いた。
    大型台風(コブラ台風)が発生し、ハルゼー艦隊だけを蹴散らしていったのである。格納庫を開放式にしていた米空母は勿論、駆逐艦にも大損害が及んだ。兵員790名が死亡、100機以上の航空機が損壊した。
     
  • 1945年1月1日、リンガ泊地に寄港後待機。南西方面艦隊第四航空戦隊に転属となった。未だハルゼー艦隊が伊勢を求めて狩りを行っていたが、何故かリンガ泊地へ回航された事を知らず、
    的外れのところばかりを攻撃。巻き添えで香港やサンジャック、ヒ86船団などが猛攻を受け壊滅状態に陥っている。2月6日、シンガポールでアメリカ軍が敷設した機雷に触れて小破。
    そして伊勢の艦内には航空燃料、ゴム、錫、ダングステンといった南方産資源が積み込まれていった。伊勢と日向は格納庫が広かったので、航空揮発油約2000トンが詰め込まれた。
    多くの輸送船が沈められ、資源を運ぶ船を払底した帝國海軍は、軍艦での輸送を思いつく。喉から手が出るほど欲しい資源を得るため、北号作戦を計画。
    その実行戦力に選ばれた伊勢は、これらの資源を本土に持ち帰らねばならなかった。少しでも積載量を増やすためカタパルトを撤去され、実質戦艦に戻っていた。
    伊勢以外にも南方に取り残されていた大型艦が集められ、最後の輸送船団を結成。しかしフィリピンはアメリカ軍の上陸を受けて、本土とシンガポールは連絡が絶たれている状態。
    しかもフィリピンにはアメリカ軍の主力こと第7艦隊が展開していた。更に少し前に出発したヒ86船団は航空攻撃によって壊滅。先行きを暗くするには十分すぎるほどの状況だった。
    このため軍上層部も「5割戻って来られれば上出来」「成功率は20%以下」と悲観的である。唯一の救いと言えば、同時期に硫黄島攻略が行われていたので、南シナ海に敵機動部隊がいない事だった。
    輸送船団は任務を完遂するという意味を込めて、「完部隊」と呼ばれた。
    荷物の積み込みが行われている間、作戦会議が開かれた。伊勢と日向がマニラ方面から殴りこみをかけるように見せかけつつ、本土に舳先を向ける航路が選択された。
    アメリカ軍も、シンガポールに停泊している伊勢型戦艦を脅威と捉えており、殴りこみを想定して待ち構えていたという。
  • 2月10日、シンガポールを出港。伴走者は日向、大淀、初霜、朝霜、霞であった。出港翌日、シンガポールはB-29爆撃機に空襲された。1日でも遅れていれば悲惨な事になっただろう。
    同日中、完部隊はイギリス潜水艦タンタロスに発見される。12日にはアメリカ潜水艦ブラックフィンも視認。攻撃こそ仕掛けてこないものの、索敵機を完部隊の上空に張り付かせる。
    そして米英の攻撃が始まる。13日正午過ぎ、米軍機88機が襲来。完部隊は対空戦闘を発令したが、目の前にスコールが発生しているのを発見。そこへ逃げ込み、難を逃れた。
    続いてバタガン岬沖でアメリカ潜水艦バーゴールの雷撃を受ける。8本の魚雷が伸びてきたが、神業的操艦で全て回避。ここでアメリカ軍の攻撃は一旦止んだ。
    14日午前11時23分、80機の爆撃機が迫ってきたが、また近くでスコールが発生。その中に姿を隠し、無傷で乗り切る。まるで八百万の神々が護ってくれているかのような幸運が続く。
    アメリカ軍の追撃は留まるところを知らなかった。だが追跡してくる敵潜水艦を対空砲で追い返したり、また伸びてくる魚雷を高角砲で破壊する等をして窮地を脱していく。
    そして2月20日、ついに完部隊は呉へと辿り着いた。1隻たりとも欠ける事無く帰還した完部隊を見て、軍上層部は狂喜乱舞。中には涙する者もいた。
    この資源は日本に届けられた最後の資源となり、米軍機の迎撃に上がる日本軍機の燃料として使われたという。しかし大型艦に満載したとはいえ、その量は中型タンカー1隻分程度だった。
    作戦後、軍令部の富岡第一作戦部長がわざわざ呉まで赴き、松田艦長に「おかげさまで助かります」とお礼を言った。その後、松田艦長は大和艦長の伊藤長官の下へ挨拶に行った。
    その時に伊藤長官は「油は全部俺のところにくれ!」と懇願。伊勢や日向の重油を大和に移した。一方、アメリカ軍は完全に虚を突かれ、戦後の会談で松田元艦長に「してやられた」と苦笑した。
  • 絶望的な輸送作戦を無事成功させた伊勢であったが、これ以上はもう何も出来なかった。深刻な重油不足により出撃すら出来なくなり、呉軍港に係留され続けた。
    伊勢が持っていたなけなしの重油は、水上特攻を行う大和に移された。もはや、動く事は出来なかった。
    3月1日、第四航空戦隊が解隊。第一予備艦として呉に待機を命じられた。大型爆撃機のB-29が爆弾を落としていくのが見えたという。
  • 3月19日、エンタープライズより発進した航空機が呉軍港を空襲。100ポンドから1000ポンド爆弾まで使って
    残余の艦艇を葬らんと襲い掛かってきた。午前6時15分、敵航空隊の急襲を受けた呉軍港はただちに対空戦闘を始め、激しい迎撃が行われた。
    伊勢への投弾が行われ、艦橋の2倍ほどの水柱が高々と築き上げられた。そしてスローモーションのようにゆっくりと崩れてゆく。伊勢も反撃を開始し、三式対空弾を発射。
    ズシーン!という重々しい轟音が地震とともに響き渡り、無数の弾が放射線状に拡散していく。伊勢型には対空噴進砲が装備されており、これが効果的だった。
    噴進砲がもたらす激しい炎と煙は米軍機パイロットに恐怖を抱かせ、攻撃を躊躇させた。しかしそれを覆すほどの圧倒的な物量と爆撃で在泊艦艇の殆どが被弾。
    伊勢もまた30機の敵機に襲われ、3発の命中弾を受ける。うち1発は不発弾だった。
    正午過ぎに第二波が現れ、再び伊勢を襲う。艦橋に1発の直撃弾を受け、艦長以下50名が戦死。同時に多数の至近弾も喰らい、100名が負傷した。高角砲の7番砲塔は助かったが、それ以外は全滅だった。
    空襲後、戦死者の死体を軍港で火葬。慰霊祭を挙行した。
  • 5月5日、B-29が広航空廠に白昼爆撃を仕掛けてきたが、もはや抵抗する事は出来なかった。軍港から当たらない対空砲が撃たれるだけである。6月1日、特殊警備艦となり音戸で防空砲台任務に従事する。
  • 7月24日、再び呉軍港が空襲された。この空襲で伊勢は大破着底し、右へ15度傾斜。呉工廠第四ドックに回航するべく準備していたが28日、三度目の空襲が実施され、
    伊勢は24日の分と合わせて20発もの命中弾を喰らった。空襲後、第二砲塔に残っていた三式弾1発を最大仰角で発射して処分。これが日本戦艦による最後の砲撃と言われている。
    2回の空襲で190名が死亡した。この迎撃で伊勢は主砲を400発以上発射したという。
  • 最終的に伊勢型戦艦は、強力な対空兵装でありとあらゆる航空攻撃を阻み続け、遂には力及ばず呉で大破着底。8月15日の終戦を迎えたのである。
    戦争が終わり、伊勢から軍艦旗が降ろされる事になった。しかし何かに引っかかって降ろす事が出来ない。これを見て乗員たちは「伊勢はまだ戦うつもりなのか・・・」と涙した。
    1945年11月20日、除籍。
  • 伊勢の戦いは終わった。飯野産業により1946年10月9日から翌1947年7月4日にかけて解体された。一方、水中部分は残っていたらしく、堤防を作って埋め立てられたとか。
 

余談

  • 伊勢には「伊勢新聞」という艦内新聞が発刊されていた。艦内で製作されたためか手作り感満載である。
  • 航空戦艦に改装され、撤去した副砲はブーゲンビル島に送られ、現地を守備する第八連合特別陸戦隊の手に渡った。元々はガダルカナル島攻略のために取り寄せられた物だと言う。
    伊勢の神徳が篭もっていたのか、ブーゲンビル島方面を守備していた第17軍は終戦まで戦い抜く事が出来た。
  • エンガノ岬沖海戦時、中瀬艦長は危険を冒して瑞鳳の乗員を救助した。復員後、救助された乗員の父親と思われる老人が駅頭で中瀬元艦長を見つけ、泣き縋ったという。
  • 終戦後、陸揚げされた伊勢の艦橋に戦災で家を失った四世帯が住み着いた。住人いわく「素晴らしい鋼鉄の家」だったそうな。
  • 時は流れて現代。伊勢の名を受け継いだ空母護衛艦いせは、先代伊勢の慰霊祭を挙行している。生き残りの伊勢元乗組員を招き、戦死した英霊の供養を行った。
 

国別艦種一覧表

太文字は中国版のみ実装

アイスランド沿岸警備隊 Landhelgisgæsla Íslands/Icelandic Coast Guard

補給艦-------オーディン

アメリカ海軍 The United States Navy

航空母艦レキシントン級レキシントン(CV-2)サラトガ
レキシントン(CV-2)改サラトガ改
レンジャー級レンジャー改
ヨークタウン級ヨークタウンエンタープライズホーネット
ヨークタウン改エンタープライズ改ホーネット改
ワスプ級ワスプ
ワスプ改
エセックス級エセックスイントレピッドタイコンデロガランドルフ
レキシントン(CV-16)ハンコックベニントンレプライザル
レキシントン(CV-16)改
軽空母ラングレー級ラングレー
ラングレー改
レンジャー級レンジャー
サンガモン級サンティー
ボーグ級ボーグカード
ボーグ改
カサブランカ級ガダルカナルガンビア・ベイ
ガダルカナル改
インディペンデンス級プリンストンベロー・ウッドカボットサン・ジャシント
プリンストン改
サイパン級サイパン
戦艦ネバダ級ネバダオクラホマ
ネバダ改オクラホマ改
ペンシルベニア級ペンシルベニア
ニューメキシコ級ニューメキシコ
テネシー級テネシーカリフォルニア
テネシー改カリフォルニア改
コロラド級コロラドメリーランドウェストバージニア
コロラド改メリーランド改ウェストバージニア改
サウスダコタ級(1920)サウスダコタ(BB-49)
ノースカロライナ級ノースカロライナワシントンワシントンちゃん
ノースカロライナ改ワシントン改
サウスダコタ級(1939)サウスダコタ(BB-57)インディアナマサチューセッツアラバマ
サウスダコタ(BB-57)改
1938案1938(I)
アイオワ級アイオワニュージャージーミズーリウィスコンシンイリノイ
モンタナ級モンタナ
巡洋戦艦レキシントン級コンステレーション
コンステレーション改
アラスカ級アラスカグアムハワイ
重巡洋艦ペンサコーラ級ペンサコーラソルトレイクシティー
ペンサコーラ改
ノーザンプトン級ノーザンプトンシカゴ(CA-29)ヒューストンオーガスタ
ノーザンプトン改ヒューストン改
ポートランド級ポートランドインディアナポリス
ポートランド改
ニューオーリンズ級ニューオーリンズタスカルーササンフランシスコクインシー
ニューオーリンズ改サンフランシスコ改クインシー改
ウィチタ級ウィチタ
ウィチタ改
ボルチモア級ボルチモアボストンメイコンシカゴ(CA-136)
ボルチモア改
デモイン級デモインセーラムニューポート・ニューズ
軽巡洋艦オマハ級オマハデトロイト
オマハ改
ブルックリン級ブルックリンフィラデルフィアサバンナフェニックスセントルイスヘレナ
ヘレナ改
アトランタ級アトランタジュノー(CL-52)サンディエゴサンファンオークランド
アトランタ改ジュノー(CL-52)改
ジュノー級ジュノー(CL-119)
クリーブランド級クリーブランドコロンビアモントピリアデンバー
ファーゴ級ファーゴハンティントン
ウースター級ウースター
駆逐艦ポーター級ポーターセルフリッジフェルプス
ポーター改
マハン級マハンカッシングスミス
マハン改スミス改
サマーズ級サマーズサンプソン
ベンハム級スタレット
シムス級ハムマン
ベンソン級ラフィー
フレッチャー級フレッチャーニコラスオバノンテイラーハルフォード
シグスビーコンバースサッチャーアンソニーヒーアマン
ホーエルサリバンジョンストンチャールズ・オースバーンクラクストン
ダイソンウィリアム・D・ポーターブレインカッシン・ヤング
フレッチャー改コンバース改ブレイン改サリバン改ウィリアム・D・ポーター改ホーエル改ジョンストン改
アレン・M・サムナー級イングラハムラフィー
ラフィー改
ギアリング級ギアリングジャイアットフランク・ノックスティンマーマンパワー
ギアリング改
フォレスト・シャーマン級ハル
ジョン・C・バトラー級サミュエル・B・ロバーツ
サミュエル・B・ロバーツ改
バックレイ級イングランド
ノーフォーク級ノーフォーク
ノーフォーク改
潜水艦ナーワル級ノーチラス
ガトー級アルバコアバーブ
アルバコア改バーブ改
バラオ級タングアーチャーフィッシュ
アーチャーフィッシュ改
補給艦ARヴェスタル
防空ミサイル駆逐艦ギアリング級ジャイアット改
チャールズ・F・アダムズ級チャールズ・F・アダムズ
防空ミサイル巡洋艦オールバニ級シカゴ改
大型ミサイル巡洋艦アラスカ級アラスカ改グアム改
ミサイル戦艦アイオワ級ミズーリ改

アルゼンチン海軍 Armada de la República Argentina

重巡洋艦ベインティシンコ・デ・マヨ級ベインティシンコ・デ・マヨ

王立海軍(イギリス海軍) Royal Navy

航空母艦アーク・ロイヤル級アーク・ロイヤル
マルタ級マルタ
装甲空母イラストリアス級イラストリアスヴィクトリアスフォーミダブルインドミタブル
ヴィクトリアス改フォーミダブル改
インプラカブル級インプラカブル
オーディシャス級アーク・ロイヤル
軽空母アーガス級アーガス
アーガス改
ハーミーズ級ハーミーズ
ユニコーン級ユニコーン
アタッカー級チェイサー
チェイサー改
コロッサス級コロッサス
セントー級アルビオン
戦艦オライオン級オライオン
エジンコート級エジンコート
クイーン・エリザベス級クイーン・エリザベスウォースパイト
リヴェンジ級ロイヤル・オーク
N3級セント・ジョージ
セント・ジョージ改
ネルソン級ネルソンロドニーロドニーちゃん
ネルソン改ロドニー改
キング・ジョージ5世級キング・ジョージ5世プリンス・オブ・ウェールズデューク・オブ・ヨーク
プリンス・オブ・ウェールズ改
ライオン級ライオンコンカラー
ライオン改
ヴァンガード級ヴァンガード
ヴァンガード改
巡洋戦艦インヴィンシブル級インフレキシブルインドミタブル
ライオン級ライオン
クイーン・メリー級クイーン・メリー
インコンパラブル級インコンパラブル
カレイジャス級カレイジャスグローリアス
レナウン級レナウンレパルス
レナウン改レパルス改
アドミラル級フッドアンソン
フッド改
G3級インヴィンシブル
航空戦艦カレイジャス級フューリアス
重巡洋艦ケント級ケントカンバーランドコーンウォールサフォーク
ケント改
ロンドン級ロンドンデヴォンシャーシュロップシャー
ロンドン改シュロップシャー改
ノーフォーク級ノーフォーク
ヨーク級ヨークエクセター
ヨーク改エクセター改
サリー級サリー
軽巡洋艦カロライン級カロライン
カーライル級コロンボ
ダナイー級デリー
エメラルド級エメラルドエンタープライズ
エメラルド改エンタープライズ改
リアンダー級エイジャックス
アリシューザ級アリシューザガラティアペネロピオーロラ
サウサンプトン級シェフィールド
エディンバラ級エディンバラベルファスト
ダイドー級ダイドーシリアスアルゴノートカリブディス
シリアス改
マイノーター級シュパーブ
ネプチューン級ネプチューン
タイガー級タイガーブレイク
モニター艦ロバーツ級ロバーツアバークロンビー
ロバーツ改アバークロンビー改
ロード・クライヴ級ロード・クライヴ
駆逐艦A級アーデントアカスタ
G級グローウォーム
グローウォーム改
トライバル級コサックエスキモーパンジャビ
コサック改エスキモー改パンジャビ改
J級ジャッカルジュノージャベリン
ジャッカル改ジュノー改ジャベリン改
K級ケリー
ケリー改
L級ラフォーレイリージョン
S級ソーマレズ
V級ヴィーナス
ヴィーナス改
バトル級バーフラー
バーフラー改
デアリング級ディフェンダー
改ブラックスワン級スターリングアメジスト
アメジスト改
潜水艦K級K1
潜水砲艦M級M1M2
X1級X1
防空ミサイル駆逐艦カウンティ級グラモーガン

イタリア海軍 Regia Marina

航空母艦ヴィットリオ・ヴェネト級インペロ
インペロ改
装甲空母アクイラ級アクィラ
軽空母スパルヴィエロ級スパルヴィエロ
戦艦ダンテ・アリギエーリ級ダンテ
ダンテ改
アンドレア・ドーリア級アンドレア・ドーリアカイオ・ドゥイリオ
アンドレア・ドーリア改カイオ・ドゥイリオ改
フェラーティ級フェラーティD
ヴィットリオ・ヴェネト級ヴィットリオ・ヴェネトリットリオローマ
ヴィットリオ・ヴェネト改
重巡洋艦ザラ級ザラゴリツィアポーラ
ボルツァーノ級ボルツァーノ
航空巡洋艦ボルツァーノ級ボルツァーノ改
軽巡洋艦アルベルト・ディ・ジュッサーノ級アルベルト・ディ・ジュッサーノ
エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ
ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級ドゥーカ・デッリ・アブルッツィガリバルディ
カピターニ・ロマーニ級ジュリオ・ジェルマニコポンペオ・マーニョシピオーネ・アフリカーノ
モニター艦ファー・ディ・ブルーノ級ファー・ディ・ブルーノ
駆逐艦ナヴィガトーリ級アントニオ・ダ・ノリウゴリーノ・ヴィヴァルディアルヴィーゼ・ダ・モスト
アントニオ・ダ・ノリ改ウゴリーノ・ヴィヴァルディ改
ソルダティ級カミチア・ネーラアヴィエーレ
コマンダンテ・メダリエ・ドロ級マルゴッティーニ
潜水艦グリエルモ・マルコーニ級レオナルド・ダ・ヴィンチ

イタリア軍事海軍 Marina Militare Italiana

防空ミサイル巡洋艦ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級ガリバルディ改
防空ミサイル駆逐艦インパヴィド級インパヴィド

王立オーストラリア海軍 Royal Australian Navy

重巡洋艦ケント級キャンベラ
駆逐艦アドミラルティV級ヴァンパイア

オーストリア=ハンガリー帝国海軍 K.u.K(Kaiserliche und königliche) Kriegsmarine/Császári és Királyi Haditengerészet

戦艦テゲトフ級フィリブス・ウニティス
V案プロジェクトV
潜水艦ブリュメール級U14

王立海軍(オランダ海軍) Koninklijke Marine

軽巡洋艦ジャワ級ジャワ
デ・ロイテル級デ・ロイテル
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン
駆逐艦アドミラーレン級コルテノール

王立カナダ海軍 Royal Canadian Navy/Marine royale canadienne

駆逐艦トライバル級ハイダ

ギリシャ海軍 Πολεμικό Ναυτικό

重巡洋艦ピサ級イェロギオフ・アヴェロフ
軽巡洋艦應瑞級エリ

スウェーデン海軍 Svenska marinen

軽巡洋艦トレ・クロノール級イェータ・レヨン
航空巡洋艦ゴトランド級ゴトランド
モニター艦スヴァリイェ級グスタフ5世

スペイン海軍 Armada Española

戦艦エスパーニャ級アルフォンソ13世
重巡洋艦カナリアス級カナリアス
アンサルド案アンサルド
軽巡洋艦メンデス・ヌニェス級メンデス・ヌニェス

ロシア帝國海軍 Российский императорский флот

戦艦インペラトリッツァ・マリーヤ級インペラトリッツァ・マリーヤ
巡洋戦艦イズメイル級イズメイル
重巡洋艦リューリク級リューリク
モニター艦ノヴゴロド級ノヴゴロド

赤色海軍 Военно-морской флот СССР

航空母艦72型プロジェクト72
戦艦23設計戦列艦ソビエツキー・ソユーズ
24型プロジェクト24
巡洋戦艦69И型セヴァストポリ
82型スターリングラード
重巡洋艦66型モスクワ
83型(旧・独 アドミラル・ヒッパー級)ペトロパヴロフスク
軽巡洋艦スヴェトラーナ級クラースヌイ・カフカース
26型(キーロフ級)キーロフヴォロシロフ
オマハ級ムールマンスク
ムールマンスク改
83К型タリン
68К型チャパエフ
68бис型(スヴェルドロフ級)スヴェルドロフジェルジンスキーミハイル・クトゥーゾフ
68У型ジダーノフ
駆逐艦オルフェイ級エンゲルス
7型(グネフヌイ級)グレミャーシチイレシーテリヌイ
7У型(ストロジェヴォイ級)ソオブラジーテリヌイ
20И型タシュケント
タシュケント改
30型(オグネヴォイ級)オグネヴォイ
38型(レニングラード級)ミンスク
ミンスク改
41型ネウストラシムイ
45型オピトヌイ
47型プロジェクト47
プロジェクト47改
48型(キエフ級)キエフ
キエフ改
56型(コトリン級)スクロムヌイ
35型(ミルカ級)SKR-6
旧・日 暁型ヴェールヌイ
旧・伊 ソルダティ級ローフキイ
潜水艦С型(IX-бис型)S-56
К型K-21
615型M-296
ミサイル駆逐艦56У型ベドーヴイ
57бис型(グネフヌイ級)ジュグーチイ
ミサイル巡洋艦58型(キンダ級)グロズヌイ

タイ王国海軍 กองทัพเรือ

モニター艦トンブリ級トンブリ

大韓民国海軍 대한민국 해군

駆逐艦旧・米 フレッチャー級忠武
忠武改
旧・米 ギアリング級江原
江原改
ミサイル駆逐艦蔚山級蔚山
蔚山改

中華民國海軍 Republic of China Navy

巡洋戦艦1913型1913巡戦
軽巡洋艦海天級海圻
應瑞級應瑞肇和
CNT.68級CNT巡洋艦
逸仙級逸仙
逸仙改
寧海級寧海平海
寧海改平海改
旧・英 アリシューザ級重慶
駆逐艦フルカン(V-25)型フルカン
T.995型T.995
旧・日 陽炎型丹陽
潜水艦II型潜甲潜乙

中華人民解放軍海軍(中国人民解放军海军) People's Liberation Army Navy

ミサイル駆逐艦6607型(旧・露 グネフヌイ級)鞍山
鞍山改長春
051型済南
防空ミサイル駆逐艦053K型鷹潭

チリ海軍 Armada de Chile

軽巡洋艦旧・米 ブルックリン級オヒギンズ

ドイツ帝国海軍 Kaiserliche Marine

戦艦L20級L20
巡洋戦艦モルトケ級モルトケゲーベン
ザイドリッツ級ザイドリッツ
重巡洋艦ブリュッヒャー級ブリュッヒャー
モニター艦ドイッチュラント級シュレスヴィヒ・ホルシュタイン
駆逐艦1916型S113
潜水艦U31型U35

ドイツ海軍 Kriegsmarine

航空母艦グラーフ・ツェッペリン級グラーフ・ツェッペリンペーター・シュトラッサー
ペーター・シュトラッサー改
オイローパ級オイローパ
装甲空母グラーフ・ツェッペリン級グラーフ・ツェッペリン改
軽空母ヴェーザー級ヴェーザー
ヴェーザー改
戦艦ビスマルク級ビスマルクティルピッツティルピッツちゃん
ビスマルク改ティルピッツ改
H39級ヒンデンブルク
H41級ウルリッヒ・フォン・フッテン
巡洋戦艦ドイッチュラント級ドイッチュラントアドミラル・シェーアアドミラル・グラーフ・シュペー
アドミラル・グラーフ・シュペー改
シャルンホルスト級シャルンホルストグナイゼナウ
O級クラウゼヴィッツ
重巡洋艦アドミラル・ヒッパー級アドミラル・ヒッパーブリュッヒャープリンツ・オイゲン
アドミラル・ヒッパー改ブリュッヒャー改プリンツ・オイゲン改
軽巡洋艦エムデン級 エムデン
エムデン改
ケーニヒスベルク級ケーニヒスベルクカールスルーエケルン
ケーニヒスベルク改カールスルーエ改ケルン改
ライプツィヒ級ライプツィヒニュルンベルク
ライプツィヒ改
M級M
駆逐艦1934級Z1Z2Z3
Z1改
1934-A級Z16
Z16改
1936級Z17Z18Z21Z22
Z17改Z18改Z21改Z22改
1936-A級Z24Z28
1936-A(M)級Z31Z32
Z31改
1936-C型Z46
Z46改
1945型Z60
1939(T22)型T23
T23改
潜水艦IIIA型IIIA
VIIB型U47
U47改
VIIC型U81U96U441U552U556U1206
U81改U96改U1206改
IXC型U156U505
U505改
XIV型U459
XVIIB型U1405
U1405改
XXI型U2511U2540
XXIII型U2365
補給艦トーゴ級トーゴ

ドイツ連邦海軍 Bundesmarine

軽巡洋艦ドイッチュラント級ドイッチュラント
駆逐艦ケルン級リューベック
リューベック改
防空ミサイル駆逐艦リュッチェンス級リュッチェンス

トルコ海軍 Türk Deniz Kuvvetleri

巡洋戦艦モルトケ級ゲーベン

大日本帝國海軍 Imperial Japanese Navy

航空母艦赤城型赤城
赤城改
加賀型加賀
加賀改
G6型G6
蒼龍型蒼龍
蒼龍改
飛龍型(改蒼龍型)飛龍
飛龍改
翔鶴型翔鶴瑞鶴
翔鶴改瑞鶴改
装甲空母大鳳型大鳳
大鳳改
G14型G14
G15型(改大鳳型)G15
大和型信濃
信濃改
軽空母鳳翔型鳳翔
龍驤型龍驤
祥鳳型祥鳳瑞鳳
祥鳳改瑞鳳改
龍鳳型龍鳳
飛鷹型飛鷹隼鷹
飛鷹改隼鷹改
大鷹型神鷹
神鷹改
戦艦金剛型金剛改
扶桑型扶桑山城
山城改
伊勢型伊勢日向
長門型長門陸奥
長門改陸奥改
加賀型土佐
駿河型(改紀伊型)近江
超大和型A150
巡洋戦艦金剛型金剛比叡榛名霧島
天城型天城
十三号型十三号戦艦(有明)
B65型(超甲型)B65(黒姫)
航空戦艦扶桑型扶桑改
伊勢型伊勢改日向改
重巡洋艦古鷹型古鷹加古
古鷹改加古改
青葉型(改古鷹型)青葉衣笠
青葉改
妙高型妙高羽黒
高雄型高雄愛宕摩耶鳥海
高雄改愛宕改摩耶改鳥海改
最上型最上三隈鈴谷熊野
伊吹型(改鈴谷型)伊吹鞍馬
軽巡洋艦天龍型天龍龍田
天龍改龍田改
球磨型多摩北上大井
長良型五十鈴
五十鈴改
川内型川内神通那珂
川内改
夕張型夕張
夕張改
香取型香取
香取改
阿賀野型阿賀野
大淀型大淀仁淀大淀(ソノミラ)
長田型長田
本明型(改阿賀野型)本明
重雷装巡洋艦球磨型北上改大井改木曽
航空巡洋艦最上型最上改
大淀型大淀改
駆逐艦峯風型峯風島風
睦月型睦月
吹雪型(特1型)吹雪白雪初雪深雪叢雲
吹雪改白雪改初雪改深雪改
綾波型(特2型)綾波敷波天霧
綾波改敷波改
暁型(特3型)
暁改雷改電改
初春型初春
白露型白露時雨村雨夕立
陽炎型陽炎不知火黒潮雪風野分天津風
陽炎改不知火改黒潮改嵐改
夕雲型長波高波
秋月型秋月涼月初月若月冬月宵月
秋月改涼月改
北風型(改秋月型)初夏早春
早春改
島風型島風花信風
松型
鴻型
潜水艦伊15型(巡潜乙型)伊25
呂33型(海中6型)呂34

ノルウェー海軍 Sjøforsvaret

モニター艦ノルゲ級アイツヴォル

フィンランド海軍 Merivoimat

モニター艦イルマリネン級ヴァイナモイネン

フランス海軍 Marine nationale française

航空母艦ベアルン級ベアルン
ベアルン改
ジョッフル級ジョッフル
軽空母旧・英 コロッサス級アローマンシュ
戦艦リヨン級リヨン
ダンケルク級ダンケルクストラスブール
リシュリュー級リシュリュージャン・バールクレマンソー
リシュリュー改
アルザス級フランドルブルゴーニュ
重巡洋艦エドガー・キーネ級エドガー・キーネ
デュケーヌ級デュケーヌ
アルジェリー級アルジェリー
軽巡洋艦ジャンヌ・ダルク級ジャンヌ・ダルク
ラ・ガリソニエール級グロワールジョルジュ・レイグ
ド・グラース級ド・グラース
駆逐艦ヴォークラン級ヴォークラン
ヴォークラン改
ル・ファンタスク級ル・ファンタスクル・テリブル
ル・ファンタスク改
モガドール級モガドールヴォルタ
ヴォルタ改
シュルクーフ級マイレ・ブレゼ
ラ・メルポメーヌ級ラ・メルポメーヌ
潜水砲艦スルクフ級スルクフ
スルクフ改
防空ミサイル駆逐艦シュフラン級シュフラン
ミサイル戦艦リシュリュー級ジャン・バール改

ポーランド海軍 Marynarka Wojenna

軽巡洋艦ダナイー級ドラゴン
駆逐艦グロム級ブリスカヴィカ
潜水艦オジェウ級オジェウ

モンゴル海軍 Монгол улсын цэргийн

補給艦ОТА-900型スフバートル

ユーゴスラビア海軍 Jugoslavenske ratne mornarice

駆逐艦スプリト級スプリト

深海軍 Abyss Fleet

装甲空母Taihō classTaiho
Graf Zeppelin-classPeter Strasser
航空母艦Ο級敵航空母艦
Χ級
Shōkaku-classShokakuZuikaku
Akagi-classAkagi・Kaga
Kaga-class
----
軽空母Ξ級敵軽空母
Ryujo-classRyujo
戦艦Λ級敵戦艦
Μ級
Ψ級
Yamato-classYamatoMusashi
Bismarck-classBismarckTirpitz
Hindenburg-classHindenburg
Kaiser-classFriedrich der Grosse
Virginia
Southdacota-classBB-57
航空戦艦Ν級敵航空戦艦
(´・ω・`)
(´・∀・`)
巡洋戦艦Κ級敵巡洋戦艦
O ClassBarbarossa
Derfflinger ClassDerfflinger
No.13 super Battleship
重巡洋艦Ι級敵重巡洋艦
Ω級
重雷装巡洋艦θ級敵重雷装巡洋艦
軽巡洋艦Ε級敵軽巡洋艦
Ζ級
Η級
ei級
モニター艦Deutschland-classSchleswig-Holstein
Monitor
駆逐艦Α級敵駆逐艦
B級
Γ級
Δ級
Τ級
陽炎型yukikaze
ミサイル駆逐艦au級敵ミサイル駆逐艦
Zumwalt-classZumwalt
防空ミサイル駆逐艦be級敵防空ミサイル駆逐艦
潜水艦Π級敵潜水艦
Ρ級
Σ級
補給艦Υ級敵補給艦
迷子になった補給艦
旗艦旗艦Ν級Ⅰ型
陸上型Pachina
Kamikaze
要塞Leopold(K5)
Savoy
空港X. Fliegerkorps

コメント

旧コメント欄
  • 「艦載機一杯にして出撃」のセリフが結構重い。実際にあと一歩で実現出来ただけに -- 2017-01-19 (木) 15:34:28
  • 二巡目で飛行機飛ばして対潜攻撃してくれるので重宝する(先制対潜はできないが) -- 2017-01-20 (金) 22:21:44
  • 現時点じゃ差し替え後イラストにする必要はないんじゃないの?大陸版以外で変わったという情報はないし、そもそもこれの本家台湾だよ。 -- 2017-01-27 (金) 19:36:15
    • これ 運営からも不具合として報告されてるし確定されるまで元絵のままの方がいいでしょ -- 2017-03-16 (木) 00:53:12
      • このWikiは日本版だけを扱ってるわけじゃないんだよなぁ -- 2017-03-16 (木) 10:53:36
  • デブで魚の目してた改悪後から更に修正したんやな、ええ事やで -- 2017-03-16 (木) 16:12:49
  • 私も差し替え前のムチムチ柔術娘な伊勢日向がいいですね。 -- 2017-03-16 (木) 17:04:39
  • 新規絵は作者が納得いかなかったから書き直したから変更されたんだぞ -- 2017-03-16 (木) 17:16:35
    • 完全体か -- 2017-03-16 (木) 17:46:44
  • 2017.3.15のアップデートで立ち絵変わったけど、泊地で長押ししたらアップデート前の立ち絵見れるよ -- 2017-03-18 (土) 14:17:54
  • 図鑑のSDキャラも立ち絵変わってない -- 2017-03-18 (土) 14:19:03
  • 防衛戦E2までクリアしたけど伊勢日向姉妹居なかったらクリアが難しかった。 -- 2017-03-24 (金) 20:15:29
    • 防衛戦の戦艦枠に航空戦艦は入りませんからね -- 2017-03-24 (金) 23:15:36
  • 伊勢・日向は、徹甲効果を水上機に付ける事が、徹甲弾を積むだけで出来る。 -- 2017-04-19 (水) 17:51:59
    • 晴嵐の強さが、ワイバーンぐらいになる。 -- 2017-04-19 (水) 17:54:13
  • >>火力限界が日向より5低い。何故だ。<<「艦これ」の影響かも。※艦これにおいて航空戦艦に改造できる戦艦の未改造状態での最大火力が、伊勢は他の3隻より5低い。 -- 2016-12-09 (金) 00:29:28
    • 確か扶桑のステータスが艦これの扶桑と全く同じ数値だったりするらしいし、いわゆるそれも(名実ともに“艦これのパクリ”だった頃の)P7版の名残なんだろうな。 -- 2017-03-16 (木) 23:31:46
  • おっぱいが素晴らしい -- 2017-02-19 (日) 20:15:27
  • 急にグラが差し変わったから何か問題あったんだろうかと思って見にきたら絵師さんのこだわりだったのか。絵柄が変わりすぎてて同じ絵師さんと思わなかったけど、新しい方割と好きだ。ただ、改造前の方が好きなのが困る… -- 2017-03-16 (木) 23:31:51
  • なんか最近セリフ変わったなと思ったら、旧グラ+旧セリフ、新グラ+旧セリフ、新グラ+新セリフの組み合わせがあったってことか。 -- 2017-05-19 (金) 02:35:27
  • 中破時のセリフ、縄であってるよね?ハエになってるような -- 2017-06-03 (土) 20:20:38
    • あらなえるハエの如しで草生えた -- 2017-06-17 (土) 16:30:50
    • 普段触らないけど、あんまりなんで直しといた。分かりにくい罠仕掛けてからに……w -- 2017-06-17 (土) 16:36:53
  • 航空戦艦姉妹のセリフまた変わった模様 -- 2017-07-04 (火) 06:09:05
    • えっ、また?絵柄変わったりセリフ変わったり忙しい姉妹だな -- 2017-07-04 (火) 07:33:31
      • ボイス用にセリフ調整してるんだと思うと期待できそう -- 2017-07-04 (火) 07:53:09
      • 性格変わりすぎw -- 2017-07-12 (水) 08:13:35
  • セリフ変わった時点で分かる範囲だけでも書き込んでおけばよかった。変遷の記録が… -- 2017-08-21 (月) 08:08:30
  • 改造簡単でイベントでの制限も受けないのでプレイ歴短い人は必ず育てておくべき、自分は軽視してたら痛い目見た -- 2018-06-10 (日) 19:30:15