スクア
Last-modified: 2024-03-16 (土) 13:36:24
基本データ
入手方法
性能や運用について
4月28日のVer3.0.0アップデートで対空+2の代わりに、対潜が-1の修正がされた。*1
元ネタ解説
- イギリス海軍の多用途爆撃機としてブラックバーン社が開発した。
当時イギリスの航空機開発は雲行きの怪しい国際情勢を鑑みて空軍(と防空レーダー)に注力されており、海軍もまた条約明けの艦船整備ばかりで飛行機にまで注力できずにいた。
- 1934年に仕様書O.27/34を発行した。この仕様書が求めていた艦上爆撃機の内容は非常に中途半端なものだった。
また、最初から複座戦闘機として兼用するという要求が盛り込まれていた。
イギリス空母艦載機で複座戦闘機は偵察機を兼ねるということであり、まさに雷撃を除く全て任務につけることが求められた。
- 当時のイギリス軍において海軍機の優先度は低く、試作生産の融通がきかない状況だったため全部盛りの多用途機を作るしかなったというやむを得ない事情があった。
- この仕様書にはアブロ(ランカスターなど)、ホーカー(ハリケーンなど)、ボールトンポール、ヴィッカースなどが参加したが、1935年にブラックバーンが発注を受けることになる。
1937年に原型機が初飛行した。全部盛りの要求を満たすのは困難だったが、高水準にまとめあげ、優れた急降下性能とある程度の空戦能力をもたせることができた。
- 海軍は原型機初飛行の6ヶ月も前に190機を発注しており、現物を見ないまま大量発注しなければならないほど余裕がなかった言える。
- スクアは1938年10月からホーカー・ニムロッド複葉戦闘機、オスプレイ複葉戦闘偵察機の後継として配備された。
最初に導入されたのはアーク・ロイヤルの第800飛行隊と第803飛行隊、次にフューリアスの第801飛行隊に導入された。
1939年の終わりにはほぼすべての機体を納入した。
- これによりはイギリス空母は、制空と偵察(スクア)、水平爆撃と急降下爆撃(スクア・ソードフィッシュ)、雷撃(ソードフィッシュ)のすべてがまかなえるようになった
- 1939年9月14日にアーク・ロイヤルの第800飛行隊がドイツのU-30潜水艦を攻撃。
26日には第803飛行隊がドイツのDo18偵察飛行艇を撃墜した。これはWWIIにおけるイギリス軍初のドイツ軍機撃墜とされている。
戦前は急降下爆撃照準器が実用化されていなかったため開戦当初は戦闘機としての任務が多かった。
照準器が装備されたのは、引退を目前とした1941年に入ってからであり、それまでは通常の照準器でパイロットの経験と勘で爆撃していた。
また、肝となる500lb徹甲爆弾の調達がほとんど進んでいなかったことから1939年の間は対艦攻撃すらできなかった。
そのためスクアが使われた爆撃作戦は全て湾港に停泊中の艦船(要は静止目標)を狙ったものになっている。
- 1940年4月に軽巡洋艦ケーニヒスベルクを16機のスクアが攻撃し撃沈。これは航空機からの爆撃により大型の戦闘艦が撃沈された初のケースとなっている。
ちなみに撃沈したのはアーク・ロイヤルの第800、803航空隊(ただし出撃はオークニー諸島の基地から)
1940年9月のダカール沖海戦にも参加し、リシュリューを攻撃した。命中弾は無く至近弾のみだった。
- ドイツ軍相手に奮戦したスクアだったが、40年の時点ですでに性能不足と判断され後継機による置き換えが始まった。
戦闘機任務はフェアリー・フルマー艦上戦闘機、爆撃任務がフェアリー・バラクーダ艦上爆撃機、雷撃はグラマン・アヴェンジャーに交代していった。
1941年2月9日が最後の実戦参加と言われている。その後は標的曳航機や訓練機として使われ、1945年3月には完全に引退した。
- スクアはイギリス海軍にとって初物尽くしの機体となった。(初の急降下爆撃機で、初の引き込み脚で、初の可変ピッチプロペラを採用している。)
- 全部盛り(特化していない中途半端)という無理な要求で開発された機体であったものの、少ない生産数(192機)・短い活躍期間の中でそれなりの功績を残したスクアはソードフィッシュと共に開戦初期のイギリス海軍艦隊航空隊における主役であったと言える。
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