ボフォース40mm対空機関砲(連装)
Last-modified: 2024-07-12 (金) 15:24:58
基本データ
入手方法
性能や運用について
- 開発可能な対空砲としてはかなり強力な部類に入る。
- 上位品の4連装は開発不可能なので、序盤では数が揃えにくい。
こちらは艦載機開発などのハズレで出てくるので、4連装の数が揃うまでは駆逐艦用の装備として活躍が見込める。
攻略が進むと4連装の方がむしろ手に入りやすくなり、他の強力な対空機銃を量産する目処もついてくるため、それらに後を任せて御役御免となる。
元ネタ解説
- 絵のモチーフは3inch対空砲になってしまっている。これは単純なイラスト発注ミスであると思われる。
- ボフォース 40mm機関砲。1930年代初めにスウェーデンのボフォース社が開発した、第二次世界大戦時の傑作対空機関砲。
- スウェーデンでは第一次世界大戦時にイギリスから輸入したQF 2ポンド ポムポム砲をライセンス生産していたが、航空機の発達によりポムポム砲では対空戦闘が難しくなってきたため、40mm機関砲を新規開発した。
先に開発した25mm機関砲を拡大設計しており、4発入りクリップ弾倉を採用したため、長時間の連射が可能だった。また、薬莢は銃の下から排莢する面白い形をとる。
- 砲身長は56口径だが、ボフォース社では一の位を繰り上げて60口径と呼ぶことが多い。
- 6tという、高角砲クラスの大重量がネックだったものの、その性能で連合国・枢軸国を問わず幅広く使用された。
アメリカ海軍の対空兵装の中で最も多くの航空機を撃墜したとも言われており、多くの日本軍機(特に大戦終盤の特攻機)を海の藻屑へと変えた。
- アメリカがこの機関砲を作るために手に入れたライセンスは入手方法が独特だった。
1940年になってもアメリカは中立を保っており、スウェーデンから直接ライセンスを購入することが困難だった。しかし、40mmというキングサイズの機関砲は魅力的だった。(意外にもアメリカの国産機関銃の開発は、M2 12.7mm重機関銃以降うまくいかず、大口径機関砲が陳腐化していた。QF 1ポンド(37mm)機銃は古すぎたし、頼みの28mm機銃も追随性が悪い、弾詰まりするといった問題を抱えており、更新は急務だった。ポムポム砲のライセンス生産も候補に挙がったが、ポムポム砲はコルダイトを装薬に使用しており、当時のアメリカにはコルダイトの生産設備がなく、アメリカ製の装薬に変えることも不可能な構造だったため、候補から外れた)
ここでイギリスが持っていた製造ライセンスに目を付けたのである。
イギリスではすでにボフォース40mm機関砲をライセンス生産しており、地上用・艦載用として多数の40mm機関砲を製造していた。アメリカはイギリスのライセンス製造権のライセンスを買うことで、40mm機関砲を製造できるようになったのである。1942年5月ごろから配備が始まり、既設の28mm機銃や3inch高角砲を置き換えていった。
- 第二次世界大戦が終わった後、アメリカは大戦中のライセンス料をまとめてスウェーデンに支払ったらしい。
- ただしアメリカでも大戦末期は威力不足を指摘していた。通常の雷撃機や急降下爆撃機に対しては完璧な効果を発揮したが、特攻機相手だと上空で粉砕しきれずに体当たりを許すことが多かったのだ。
- そもそも対空機銃は敵機の接近を阻害したり、攻撃を失敗させるミッションキル兵器であり、敵機の撃墜は最重要ではなかった。攻撃後に離脱する通常攻撃では敵機の速度に上限があるため40mm機銃で撃墜できたが、離脱を考慮しない特攻では速度に上限がないため、40mm機銃でも撃墜できないことが増えていた。
-こうしてさらなる火力を求め、3inch対空砲や対空ミサイルの開発につながっていく。
- 生産国のスウェーデン以外では、オランダがいち早く連装型を採用しており、ヘイズメイヤー型の砲架と組み合わせていた。スタビライザー付きの砲架であり、船が揺れていても砲架は水平を保つ機能があった。
- イギリスでは、オランダから脱出した船に乗っていたヘイズメイヤー型砲架を研究し、単装型と連装型を大量に生産した。40mm機銃のほか、20mm連装機銃もヘイズメイヤー型砲架に載せた物が作られた。スタビライザーに加えて射撃指揮装置も一体化させたSTAAG砲架も開発した。
イギリス陸軍では1937年から配備を始めていた。一方海軍では予算不足により、製造・配備が遅れていたが、1942年ごろには十分な数が揃っていた。
- アメリカでは単装型と連装型のほか、連装型2台を同一のターンテーブルに載せた四連装型を大量に生産し、多くの水上艦艇に装備した。
- ドイツでは戦前に購入したものを主に使用したほか、少数だがライセンス生産を行っていた。単装型のみ運用した。
- なお日本では輸入やライセンス生産はしていなかったが、大東亜戦争の初期にマレー半島でイギリス軍から鹵獲したものを研究し、ドイツのラインメタル37mm機関砲より高性能だったので、五式40ミリ高射機関砲として
違法コピー複製を試みている。また、鹵獲品も研究用に後送したもの以外は積極的に使用した。
しかし製造に手間取り、終戦間際に30門程度が完成したに留まった。
- 日本がライセンスを取得しなかった理由については諸説あるが、当時の日本では対空機銃の有効射程を1500m程度に設定しており、40mm機銃は弾道の低下が25mm機銃より大きかったため、不採用になったらしい。また、ポムポム砲のライセンス生産版である毘式40mm機銃が劣悪だったため、大口径機銃に対する不信感があったことも一因だといわれる。
尤も、当のスウェーデンは日本に売り込む気がなかったわけではなく、商談次第では製造ライセンスを入手できる可能性は十分にあったという。
- ただ、日本が違法コピーにてこずった理由の一つに、バネのコピーが難しかった説があり、これが正しいとすると仮にライセンスを取得したとしても量産できたかは疑問符が付く。
- 戦後も主に西側諸国で改良を重ねながら使用され、一部国家では80年以上の時を経て現役稼働しているロングセラー兵器である。砲身を70口径に延長したモデルが主流である。
- ちなみに東側諸国では購入品や鹵獲品を使用したことはあったが、1946年にソ連が新型の37mm機関砲を開発しており、これがボフォース40mm機銃と遜色ない性能だったため、以降はこの37mm機関砲を使用するようになった。
- 日本の海上自衛隊でも2連装型や4連装型を過去に搭載していた艦があり、海上保安庁の巡視船にも単装型を載っけている船が今現在でもある。
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