基本データ
入手方法
性能や運用について
ヨークタウン級の攻撃機。日本版では開発でのみ入手可能。
前時代の攻撃機ということで性能はお察し。
後続機で性能が上のTBFも比較的揃いやすく、早々に換装してしまうので、この機体を使うことは殆ど無いと思われる。
性能が上がったTBD攻撃機(VT-8)があるが、こちらは対潜値が無くなっているので注意が必要。
元ネタ解説
- ダグラス TBD Devastator。ヨークタウン級空母に搭載するために開発が開始された。
デバステイターは(国土を)荒らす者の意。
しかし現場では突き出た魚雷の装着方法から魚雷(torpedo)とキツツキ(pecker)をもじってTorpeckerと呼ばれていた。
peckerには「ち◯こ」の意味もある。魚雷の装着方法からして多分こっちの意味のほうが強い。
当時の多くの飛行機と同様TBDも尾輪式の降着装置のため、駐機中は機種が上を向いている。
この状態で機体と平行になるよう魚雷を装着するには弾頭を持ち上げるのに苦労して危険な上、
魚雷の命である尾部の推進部を痛めるおそれがあるので、地面ないし甲板と平行になるよう魚雷の尾部が胴体に半分埋まる格好で装着された。
つまりTBDが魚雷を搭載して水平飛行しているとき、魚雷は斜め下を向いているのである。(参考)
この方式は魚雷を投下する際にも着水時の故障を防ぎ水面で跳ねたりしないいかにも理屈の通ったものであったが、
反面900馬力しかないTBDに巨大な空気抵抗をもたらし性能は激烈に低下した。
- 1937年に就役したが、第二次世界大戦当時では既に性能不足。大戦時には大きな損害を被っているが、完成当初は非常に完成度の高い高性能機ではあった。
- 珊瑚海海戦で祥鳳の撃沈を成し遂げる。この時の祥鳳は直掩機がたったの6機という有様で、米軍側の被害は殆ど無かった。
しかし、ほぼ一ヶ月後のミッドウェー海戦では護衛機が殆ど居なかったのに加え、日本側の直掩機が多数いた事で凄まじい被害を被っている。45機が出撃したが、帰還した機体、その数たったの4機。あまりに悲惨な状況である。
- だがその後にやって来たSBDの攻撃により赤城、加賀は大破。雷撃処分されることとなる。TBD迎撃のため低空で戦っていた艦戦隊は、高空からやってきたSBDに咄嗟に対処できなかったのだ。結果的にTBDは囮となって友軍の攻撃を成功させた…ともいえる。乗員にとってはたまったものでないだろうが。
- 結局それ以降はTBFに取って代わられる事となった。大西洋方面でもTBFへの交代が進み、後方で僅かに残った機も1944年に終戦を待たずして全機退役している。
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